理事長挨拶

 

一般財団法人三重同工会理事長

山川隆志 (化63、昭和41年卒)


 

 会員の皆様にはご健勝のこととお慶び申し上げます。 

 コロナ感染症としてマスクの着用は個人な判断に委ねられて早一年余りが経過しました。しかしながら混雑した電車、バスを利用時、医療機関、高齢者施設を訪問する際など、一定の状況では着用を推奨しています。では、その状況ではない時においても、まだまだ多くの人が着用されておられます。早くマスクを外し、お互いに相手の表情を見てコミュニケーションを取れる時が来ることを切に願っています。 

 さて、令和5年6月に三重同工会理事長の大役をお引き受けしてあっという間の一年でありました。その間理事長としての役割を十分果たすことが出来たのかと反省をする日々であります。鈴木充専務理事には頼りっぱなしであり大変お世話をおかけしました。 

 その中で深く記憶に残る報告を3点お伝えします。先ずは昨年12月8日のデリバリー事業母校講演会です。この3年間は中止一回、リモート講演2回となり、講師と生徒たちは少し緊張感不足な思いを持たれたと思いますが、今回はコロナ禍前と同じく体育館での対面での講演会であり生徒も真剣に耳を傾けていました。詳しくは事務局だよりの項でお伝えされますが、講師は三重同工会監事、名古屋支部長の鈴木煕氏による「高卒でも取れる国家試験」のテーマでの講演は、工場閉鎖の伴う退職の危機を感じて新たな転身を図るための資格取得の体験談でありました。生徒たちには生涯学び続ける大切さ、「学び直し」の必要性をお教えいただき有意義な講演会でありました。この事業をより充実させ母校の発展に寄与すべきと考えますので、先輩諸兄の皆様に講師のお願いをしました節には快くお引き受けをください。 

 続いては、令和6年3月1日の母校の令和5年度全日制卒業証書授与式に来賓の一員として参列しました。卒業生、在校生(一年生、二年生全員)、多数の保護者、教職員、来賓など総勢で1000人余りが参列され、式典は厳粛な雰囲気の中行われました。各科代表の卒業生が壇上に上がり学校長よりの卒業証書読み上げ、最後に学校長の声が一際大きく発せられる第二〇〇〇〇号、おめでとう。思わずうわーっと声を上げそうになりました。卒業生が2万人を超えたのでした。本年は創立122年周年を迎える歴史と伝統あるここ松阪工業で学び巣立っていった多くの卒業生が、多方面に亘り多くの人材が活躍をされていることだろうと改めて感動を受けました。定時制の卒業証書授与式では、働きながら学んだ卒業生・保護者の安堵感がひしひしと伝わり、よく頑張ったと心の中で声援を送っていました。感動の一日を送りました。三重同工会の活動が継続されているのもこの卒業生があってのことと再確認しました。 

 そして、去る5月18日に関西支部「春の集い」にお招きを頂き、高嶋学校長、鈴木専務理事と出席しました。(詳しくは支部だよりに掲載されます)。「お久しぶりです、お元気でしたか」5年ぶりの開催にお一人お一人からの近況報告にも一段と力が入っていることが感じ取られました。また、桂文我師匠の故郷松阪への想いと熱のこもったご挨拶には聴き入ってしまいました。松阪が生んだ誇るべき文化人の柏木隆雄前理事長を、松阪市の観光大使に推挙しようと現理事長にはお骨折りを期待します。また、松阪駅前周辺の賑わいを取り戻すにはどうすればよいのか、考えを聞きたいなど。美味しくいただいた紹興酒の酔いも醒めるほど緊張しました。そして出席者最年長の梶間先輩から、所有されているアフリカ象象牙の母校への寄贈のご提案、高嶋学校長も快諾され良い結果になればと期待します。まさしく同窓会の役割は何といっても同窓生の情報交換と懇親に尽きると再確認いたしました。楽しく有意義なひと時を過ごさせていただき、関西支部の運営に携われてみえる役員の方々に感謝、感謝申し上げます。 

 令和6年度、各支部の役員の皆様には支部会の活性化によりご尽力を頂きますようお願い申し上げます。理事長としてお役に立てることがあれば何なりとお申し付けください。 

 最後になりましたが、会員の皆様の益々のご活躍を心からお祈りいたします。そして同工会活動への変わらぬご理解とご協力をお願い申し上げます。

略歴 

 1948年久居市(現津市)に生まれる。工業化学科63回卒(昭和41年)

 同年、三重化学工業株式会社入社、社長、会長を経て、平成27年取締役相談役に就き、現在に至る。松阪商工会議所副会頭、松阪市第1期教育ビジョン策定副委員長、松阪市教育委員等を歴任。平成17年三重中京大学大学院で「学び直し」。
  


 



校長新任のご挨拶

校長 髙嶋 真人

  

 本年4月に第31代校長として着任しました髙嶋真人です。
 三重同工会の皆様におかれましては、ご健勝にてご活躍のことと存じ上げます。
 平素は本校の教育活動に様々な面よりご支援・ご協力いただいていますことを、心から感謝申し上げます。

 1902年に創立され産業界や教育界のみならず多方面にわたり多くの優秀な人材を輩出している、120年を超える歴史と伝統ある松阪工業高校に校長として着任し、季節がかわり夏を迎えました。4か月余りの期間ですが本校生徒の様子を見て感じますのは、しっかりとした目的意識を持って学習に臨んでいること、何事に関しても真摯に取り組みしている生徒が多いことです。また、各科やクラブ、定時制等からの報告にあるように輝かしい成果もあげています。このような生徒たちの姿は、『赤壁魂』といわれる松阪工業の校訓がしっかりと受け継がれ、校風として醸成されているからだと思います。この学校に根付いた精神は、今後も教職員・生徒一同となって継承してまいります。

 また、社会の在り方が劇的に変わる「Society5.0時代」の到来や急激な少子高齢化などによる先行き不透明な「予測困難な時代」を背景に、高等学校での教育の在り方も変化が必要となってきています。本校においても、多様な実情・ニーズに応じた学びの実現、STEAM教育等の教科等横断的な学習の推進、地域産業界を支える革新的職業人材の育成が求められています。

 このような課題に対して本校では生徒一人ひとりの自尊感情を高めながら、「自立する力」、「共生する力」、「創造する力」を全ての生徒が身につけれられるよう、全ての教育活動で取り組むとともに、以下の取組を推進してまいります。

(1) 文部科学省DXハイスクール事業を活用した探究的・教科横断的学び
(2) キャリア教育の充実
(3) グローバル社会に通用する基礎学力の向上
(4) ICTを活用した個に応じた学習の推進
(5) 産業界等との連携を軸とした社会に開かれた教育課程の実現

 松阪工業高校を取り巻く状況は日々変化しています。教育に対しても、時代等の要請に応じ、短期的な成果を求める風潮があります。そんな現代だからこそ、建学から大切にしている『社会に必要とされる人間』を育み、未来を担う人材を送り出すことが必要です。俳聖松尾芭蕉が去来抄で「不易を知らざれば基立ちがたく、流行知らざれば風新たにならず」と記した「不易流行」という言葉があります。状況に応じて臨機応変に変えるべきものと、決して変えてはならないものがあるということをしっかりと見極めながら、これからの時代も存在感のある松阪工業高校づくりをすすめ、三重同工会の皆様をはじめ企業や地域の方々の信頼を一層高めていきたいと考えております。

 どうか、今後とも一層のご指導ご支援をお願い申し上げます。
  


 



退任のご挨拶  「感謝」

前校長 村田 武俊

  

 同窓生の皆様、いかがお過ごしでしょうか。私は、本年3月末日をもって2年間勤務させていただいた松阪工業高等学校を最後に、校長職を役職定年させていただきました。今まで工業学科を併設する学校には管理職として何年か勤務をさせてもらいましたが、工業の独立校は初めての勤務で不安なこともたくさんありましたが、多くの方々に助けていただき何とか勤務を全うすることができました。個人的なことではありますが、父方・母方のそれぞれの叔父が松阪工業高校機械科と紡織科を昭和30年代前半に卒業しており、それぞれの叔父が卒業した学校に、校長として最後の2年間勤務することができたことを大変うれしく思っています。

 在任中は三重同工会の皆様には、工業が専門でない私に対していろいろな面でアドバイスをいただくとともに、さまざまな面でご協力ご支援をいただき、心より厚くお礼申し上げます。また、多くの卒業生の方々が本校を訪問していただき、当時の様子を聞かせていただくこともたくさんあり、改めて伝統の重みを感じさせていただきました。春高バレーでの東京体育館での試合には、三重同工会東京支部の方々にも応援に来ていただき、ありがとうございました。 また、デリバリー事業として全校生徒向けに講演会を開催していただき、多くのことを生徒たちに伝えていただきました。このように、部活動の支援や学校教育活動の充実に関して、物心両面より多大なるご支援をいただき、本校教育活動が充実・発展を成し得たことに深く感謝を申し上げたいと思います。

 2年間、本校生徒を見て感じてきたことは、多くの生徒がしっかりとした目的意識を持って入学し、松工生として自信と誇りを持ち、何事に関してもまじめに取り組もうとする前向きな姿勢を持っているということです。このような生徒たちに、『赤壁魂』といわれる「学校生活を通して積極的に自己の人格を高め、勉学に励み、知識・技術を身につけ『社会に必要とされる人間になれ』」という松阪工業の精神をしっかりと継承すべく、教職員一丸となって日々の教育活動に取り組んできました。在任中、校訓を目標として努力してまいりましたが、力及ばないことも多く、三重同工会会員の皆様には、本校にお寄せいただいているご期待とご要望に十分応えることができなかったことがあったかも知れません。非力の点、どうかお許しください。

 最後になりましたが、2年間という短い期間ではありましたが、三重県で最も歴史と伝統のある工業高校に勤務させていただいたことに感謝を申し上げるとともに、三重同工会会員の皆様のますますのご活躍とご健勝を祈念し、退任のご挨拶とお礼の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。
  


 



技術は人なり

〜「近代化産業遺産」認定を受けた松阪工業高等学校の歩み〜

 

(当時)校長 花本 克則

 

 平成21年2月に経済産業省より、本校の資料館(赤壁校舎及 び旧三重県立工業学校製図室)が「地域活性化に役立つ近代化 産業遺産」(質量ともに豊富な人材を供給し我が国の近代化を 支えた技術者教育の歩みを物語る近代化産業遺産群)として認定を受けました

O「近代化産業遺産」とは
 幕末から第二次世界大戦の終戦前にかけての産業近代化の過程は、 今日の「モノづくり大国・日本」 の礎として大きな意義を持っています。このような産業近代化の過程を物語る存在として、全国各地には数多くの建造物、機械や文書などが今日まで継承されています。
 これらの「近代化産業遺産」は、 古さや希少さなどに由来する物理的な価値を持つことに加えて、国や地域の発展においてこれらの遺産が果たしてきた役割、産業近代化に関わった先人たちの努力など、非常に豊かな無形の価値を有しています。
 このため、経済産業省が、近代化産業遺産の価値を顕在化させ、地域活性化に役立てることを目的として、産業史や地域史のストーリーを軸に、相互に関連する複数の遺産により構成される「近代化産業遺産群33」及び「近代化産業遺産群続33」をとりまとめるとともに、個々の遺産について認定を行ったものです。
 本校が認定を受けたのは、続33のストーリーの内、「技術は人なり」をテーマとしたストーリー22「質量ともに豊富な人材を供給し我が国の近代化を支えた技術者教育の歩みを物語る近代化産業遺産群」の一つであります。
 右の認定書に示されているロゴマークは、基本的には、近代化産業遺産を象徴する「歯車」と「工場群の建造物」をモチーフにデザイン化されたものですが、「歯車」部分には、さらに、 我が国の近代化に取り組んだ人々の熱い思いを「太陽」に似せて表現し、そこから伸びる数本の線は、その熱い思いが、次第に近代化の「大きな流れ」に発展していく様を現しています。

O「近代化産業遺産」としての意義
 平成19年4月、経済産業省では産業遺産活用委員会を設置し、 我が国産業の近代化に大きく貢献した「近代化産業遺産」について地域史、産業史を軸としたストーリーを取りまとめるべく 検討を重ね、「近代化産業遺産群 続33」として取りまとめ、 構成する近代化産業遺産を地域活性化に役立つものとして認定を行いました。
 本校が認定を受けたストーリー22では、次のようにその歴史 的経過を述べています。

 「仮令当時為スノエ業無クモ人ヲ作レバ其人工業ヲ見出スベシ」(人を作ればその人が工業を作る)この言葉は、「日本工学の父」と称される山尾庸三が、技術者教育の重要性について語ったものである。
 欧米技術の導入を重視した明治政府は、1871年に工学寮(後に工部大学校と改称)を設立し、欧米に類を見ない独創的な技術教育を推進した。その後は、近代産業の発展とともに、官公庁や大企業の技官や上級技術者を育成するための大学工学部や工業系単科大学、生産現場で活躍する技術者を育成するための高等工業学校や工業学校などが相次いで設立され、近代技術の導入を支える広範な立場の技術者が育った。
 明治以降の産業近代化を支える現場の職工として工業に従事する初級技術者の育成は、実業学校の一種である「工業学校」や、各種学校の一種である「工業各種学校」が担った。こちらは公立・私立学校として設置された。工業学校は、足利などの絹織物産地の染織(染色)講習所を起源とする学校に象徴されるように、元は地域の軽工業や在来産業関連の学科を中心として構成されたが、高等工業学校と同様に、第一次世界大戦後以降は重化学工業に関連する技術教育へのシフトが進んだ。
 このような経過の中で、本校は全国で最初の応用化学に関する専門学科として、また、三重県での最初の工業学校として創設されました。そして、多くの優秀な研究者や現場での指揮・監督に当たる技術者を数多く輩出し、急速な産業近代化を支えてきました。
 卒業生の中には、博士号取得者や学会、実業界で活躍されている諸先輩方も多く、ファックス電送技術の開発で文化勲章を受賞した丹羽保次郎博士、奥田碩経団連名誉会長、坂口力前厚生労働大臣らの著名人もみえます。こうした著名人の資料も多く残され、技術者教育の歩みを象徴する校舎としてその意義は大きなものがあります。
 このストーリー22を代表する構成遺産群として、「工部大学校址碑」、「東京大学 工学部1号館」、「九州工業大学 バックトン引張試験機」、「栃木県立足利工業高等学校関連遺産」等とともに認定を受けたのであります。

 今回の認定を契機とし、歴史と伝統を受け継ぎ、次代を担う技術者の育成のために、更に一層、「ものづくり教育」の充実に努め、地域と共に歩んでまいりたいと思います。


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