理事長挨拶

 

一般財団法人三重同工会理事長

山川隆志 (化63、昭和41年卒)


 

 会員の皆様にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

 今年の元号は「令和」でありますが、近年、種々の書類などで「年」を記入する欄が多くありますが、「西暦」と「和暦」のどちらかを使用するべきかを迷う人もいるのではないでしょうか。公的な書類には「和暦」を使用する慣習があるようですが、表記方法に明確なルールなく、どちらか一方に統一し略さず書くのがポイントのようです。

 今年は昭和元年から100年目にあたり節目の切りの良い年であります。卒業生の卒業科何回生と記されることもありますが、卒業年度昭和〇年と記された場合には、100からその年を引けばよいので、年齢が即座に簡単に計算できる年であり、計算苦手な私にとりまして大変便利な年であると思っています。
 現在、昭和を知らない世代も多くなってきていますが、会員の皆様の多くは昭和に生まれ、育ち、激動の昭和と称されている時代を歩まれてこられたことに、懐旧の想いを抱かれていることと思います。 昭和100年にあたる本年に、これまでの歴史を振り返りつつ、この先の日本がどのように変わっていくのかを想像してみてはいかがでしょうか。

 さて、去る令和7年6月8日、母校赤壁資料館に於いて、一般財団法人三重同工会定時評議員会、臨時理事会及び(従前)の三重同工会総会が開催されました。4年の任期満了に伴う評議員・監事の選任につきまして、今回10名の評議員・1名の監事の皆様がご退任されましたが、永年三重同工会の事業運営、発展に多大なご尽力を頂きましたことに心より深く感謝申し上げます。これからも変わらず三重同工会へのご支援、ご協力をお願い申し上げますとともに、ご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。 また、新たに選ばれました6名の評議員・1名の監事の皆様には、三重同工会の運営、事業への参画などお世話になることが多々ありますので、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

 任期満了に伴う理事の選任につきましては、全・定教頭の異動による2人が新理事に就任され、9名の現理事が再任されました。後の臨時理事会では、現役員が引き続きお役目を務めさせていただきますことになりました。福井輝夫副理事長・伊勢支部長、米倉芳周副理事長・松阪支部長、鈴木充専務理事には引き続きお世話になります。至らぬ理事長を補佐していただき、支部長として支部活動にもご尽力を賜りますことお願い申し上げます。また、会員の皆様には今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

 会議に先立ちまして、竹上真人松阪市長に当資料館にお越しいただき、柏木隆雄前理事長から著書である『心の中松阪』『松阪の知の系譜』2冊を寄贈され、松阪市の行政施策にお役に立てれば嬉しいと述べられ、市長も拝読し参考にさせていただきますと感謝の言葉を頂きました。三重同工会の理事長としてこの場を設定できたこと光栄に思います、と共に、柏木隆雄様には今後も「松阪」に関わる執筆をご期待申し上げます。

 母校バレー部の10年連続42回目の春高バレーの出場を応援するため、「松工バレー部 頂点を目指せ」の横断幕を寄贈しました。令和7年1月5日の大会一日目の一回戦、予定時間を2時間以上遅れること開始された試合であり、横断幕も掲げての応援ですが、残念ながらフルセットまでもつれ込みましたが、惜しくも初戦突破とはなりませんでした。私は現地に赴かず、スマホ配信を見て応援をしていました。画面とにらめっこし、手に汗が滲んできました。次回の大会には東京体育館で応援できることを楽しみにしています。東京支部の皆様、応援団の皆様いつも応援ありがとうございます、熱の入った試合展開でさぞや応援には声をからされたことと思います。お疲れ様でした。

 デリバリー事業講演会には、当赤壁会誌の第93号に「梶間 お前なんで船乗りになったんや、なんでやー」を寄稿頂きました梶間靖郎大先輩(今年卒寿を迎えられます)を講師にお迎えし「私の船員人生」をテーマにお話を頂きました。生徒たちは真剣に聞き入っていました。詳しくは事務局だよりに掲載されます。

 また、関西支部総会・春の集い、松阪支部の集いにも出席させていただきました。支部長を始め世話役の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。今後とも活発な活動をご期待申し上げます。

 今年の平均気温は平年と比べて2〜3度高い傾向にあり、特に夏場は記録的な猛暑となる可能性と、この原稿を書いている時の気象庁の予報であります、この「赤壁99号」がお手元に届くのは9月中旬ですが、まだまだ、残暑が続いていると思いますが、負けずにご健康にはご留意頂きますと幸いです。そして三重同工会活動へのより一層のご理解とご協力をお願い申し上げます。

略歴 

 1948年久居市(現津市)に生まれる。工業化学科63回卒(昭和41年)

 同年、三重化学工業株式会社入社、社長、会長を経て、平成27年取締役相談役に就き、現在に至る。松阪商工会議所副会頭、松阪市第1期教育ビジョン策定副委員長、松阪市教育委員等を歴任。平成17年三重中京大学大学院で「学び直し」。
  


 



学校長ご挨拶

校長 髙嶋 真人

  

 三重同工会の皆様におかれましては、日頃より本校教育活動に対しまして物心両面にわたるご支援・ご協力を賜り、心より感謝申し上げます。

 昨年4月に第31代校長として着任し、2年目を迎えました。創立以来120年を超える歴史と伝統を有し、産業界・教育界をはじめ多方面にわたり優秀な人材を輩出してきた松阪工業高等学校において、昨年度にも増して、校長としての職責を担うことに大きな誇りと責任を感じております。

 本校の生徒たちは、しっかりとした目的意識を持ち、真摯に学びに向き合い何事にも積極的に取り組む姿勢を見せてくれています。こうした姿は松阪工業の校訓である「赤壁魂」がしっかりと受け継がれ、学校風土として根付いている証であると感じております。後ほどもページで紹介させていただきますとおり、各科やクラブ活動、定時制課程においても輝かしい成果を挙げており、これらの実績は本校の教育の質の高さを物語っています。

 さて、近年の社会は「Society 5.0」時代の到来や急激な少子高齢化など、予測困難な変化に直面しています。松阪地区においても高等学校再編の動きが進んでおり、本校もその渦中にあります。こうした状況の中で、教育の在り方も大きな転換期を迎えております。

 本校では、探究的な学びを軸とした工業教育の創造に取り組んでおります。文部科学省のDXハイスクール事業を活用した教科横断的な学びの推進、キャリア教育の充実、ICTを活用した個別最適な学習の展開、地域産業界との連携を軸とした社会に開かれた教育課程の実現など、多様な教育的ニーズに応える取り組みを進めております。

 令和7年度の学校マネジメントシートに示された「目指す生徒像」は、以下のような資質・能力を備えた人材です。
[全日制]
 ● 自ら考え、判断・決定し、行動する力を身につけた生徒
 ● 基礎・基本を大切にし、自己を律しながら学び続ける力を持つ生徒
 ● 他者と協働しながら、目標に向かって粘り強く挑戦する力を持つ生徒
[定時制]
 ● 人生を切り拓くために必要な知識と技能を身につけようと学び続ける生徒
 ● 自己肯定感を高め、多様性を理解し協働することができる生徒
 ● 相手の立場を尊重し、思いやりを持って、コミュニケーションできる力を備えた生徒

 また、中長期的な教育目標としては、専門学科を中心に実践的・体験的な学習を重視し、社会的・職業的自立に向けて必要となる資質・能力の育成を図ることが掲げられています。さらに、グローバル社会に通用する基礎学力の向上や、コミュニケーション能力の育成、多文化共生の学習などを通じて、社会に参画し活躍できる人材の育成を目指しています。

 このような教育活動を支えるために、教職員一人ひとりが資質向上に努め、情報共有を密にしながら、協働的な組織文化の醸成にも力を入れております。業務の効率化や働き方改革にも取り組み、教職員が心身ともに健やかに教育に専念できる環境づくりを進めています。

 松阪工業高等学校は、これからも「社会に必要とされる人間」を育てることを使命とし、地域とともに歩む学校づくりを進めてまいります。三重同工会の皆様をはじめ、企業や地域の方々の信頼を一層高めていけるよう、教職員一同、力を尽くしてまいります。どうか、今後とも一層のご指導・ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
  


 



技術は人なり

〜「近代化産業遺産」認定を受けた松阪工業高等学校の歩み〜

 

(当時)校長 花本 克則

 

 平成21年2月に経済産業省より、本校の資料館(赤壁校舎及 び旧三重県立工業学校製図室)が「地域活性化に役立つ近代化 産業遺産」(質量ともに豊富な人材を供給し我が国の近代化を 支えた技術者教育の歩みを物語る近代化産業遺産群)として認定を受けました

O「近代化産業遺産」とは
 幕末から第二次世界大戦の終戦前にかけての産業近代化の過程は、 今日の「モノづくり大国・日本」 の礎として大きな意義を持っています。このような産業近代化の過程を物語る存在として、全国各地には数多くの建造物、機械や文書などが今日まで継承されています。
 これらの「近代化産業遺産」は、 古さや希少さなどに由来する物理的な価値を持つことに加えて、国や地域の発展においてこれらの遺産が果たしてきた役割、産業近代化に関わった先人たちの努力など、非常に豊かな無形の価値を有しています。
 このため、経済産業省が、近代化産業遺産の価値を顕在化させ、地域活性化に役立てることを目的として、産業史や地域史のストーリーを軸に、相互に関連する複数の遺産により構成される「近代化産業遺産群33」及び「近代化産業遺産群続33」をとりまとめるとともに、個々の遺産について認定を行ったものです。
 本校が認定を受けたのは、続33のストーリーの内、「技術は人なり」をテーマとしたストーリー22「質量ともに豊富な人材を供給し我が国の近代化を支えた技術者教育の歩みを物語る近代化産業遺産群」の一つであります。
 右の認定書に示されているロゴマークは、基本的には、近代化産業遺産を象徴する「歯車」と「工場群の建造物」をモチーフにデザイン化されたものですが、「歯車」部分には、さらに、 我が国の近代化に取り組んだ人々の熱い思いを「太陽」に似せて表現し、そこから伸びる数本の線は、その熱い思いが、次第に近代化の「大きな流れ」に発展していく様を現しています。

O「近代化産業遺産」としての意義
 平成19年4月、経済産業省では産業遺産活用委員会を設置し、 我が国産業の近代化に大きく貢献した「近代化産業遺産」について地域史、産業史を軸としたストーリーを取りまとめるべく 検討を重ね、「近代化産業遺産群 続33」として取りまとめ、 構成する近代化産業遺産を地域活性化に役立つものとして認定を行いました。
 本校が認定を受けたストーリー22では、次のようにその歴史 的経過を述べています。

 「仮令当時為スノエ業無クモ人ヲ作レバ其人工業ヲ見出スベシ」(人を作ればその人が工業を作る)この言葉は、「日本工学の父」と称される山尾庸三が、技術者教育の重要性について語ったものである。
 欧米技術の導入を重視した明治政府は、1871年に工学寮(後に工部大学校と改称)を設立し、欧米に類を見ない独創的な技術教育を推進した。その後は、近代産業の発展とともに、官公庁や大企業の技官や上級技術者を育成するための大学工学部や工業系単科大学、生産現場で活躍する技術者を育成するための高等工業学校や工業学校などが相次いで設立され、近代技術の導入を支える広範な立場の技術者が育った。
 明治以降の産業近代化を支える現場の職工として工業に従事する初級技術者の育成は、実業学校の一種である「工業学校」や、各種学校の一種である「工業各種学校」が担った。こちらは公立・私立学校として設置された。工業学校は、足利などの絹織物産地の染織(染色)講習所を起源とする学校に象徴されるように、元は地域の軽工業や在来産業関連の学科を中心として構成されたが、高等工業学校と同様に、第一次世界大戦後以降は重化学工業に関連する技術教育へのシフトが進んだ。
 このような経過の中で、本校は全国で最初の応用化学に関する専門学科として、また、三重県での最初の工業学校として創設されました。そして、多くの優秀な研究者や現場での指揮・監督に当たる技術者を数多く輩出し、急速な産業近代化を支えてきました。
 卒業生の中には、博士号取得者や学会、実業界で活躍されている諸先輩方も多く、ファックス電送技術の開発で文化勲章を受賞した丹羽保次郎博士、奥田碩経団連名誉会長、坂口力前厚生労働大臣らの著名人もみえます。こうした著名人の資料も多く残され、技術者教育の歩みを象徴する校舎としてその意義は大きなものがあります。
 このストーリー22を代表する構成遺産群として、「工部大学校址碑」、「東京大学 工学部1号館」、「九州工業大学 バックトン引張試験機」、「栃木県立足利工業高等学校関連遺産」等とともに認定を受けたのであります。

 今回の認定を契機とし、歴史と伝統を受け継ぎ、次代を担う技術者の育成のために、更に一層、「ものづくり教育」の充実に努め、地域と共に歩んでまいりたいと思います。


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