前ページに続いて ここでは2002年9月までの記録です。  

私の山行 2
山々に魅せられて
マイエル
   「山にあってはなんとすべてが単純になるだろう。目標は明らかなのだ。
    あそこに山があり、ここに私がある
と語っている。
 そうだ。山はたしかに単純だ。しかし、その単純さを私はすべて覚えている。
一つひとつの岩峰、雲、雪を決して忘れない。
 
 


 ’92年は、たくさんの山へ登った。まず春は英雄が同僚と木曽駒ヶ岳へ。
 台高山脈の高見山は樹氷が残り、北八ガ岳の北横岳・縞枯山も残雪の中であった。
 鈴鹿7マウンテンの一つ鎌ヶ岳は、三重県の山では珍しいアルペン的な山で、カモシカに出会った。
 夏は、妹を加えて三人で北岳へ。大樺沢二俣から小太郎尾根へ登る斜面はキンバイの黄色い花の絨毯。早朝、北岳肩ノ小屋から雲海の中に浮かぶ富士、日の出が見え、言葉では表せない感動的な光景であった。
 ’92年秋は、笹原で覆われた鈴鹿の山 竜ヶ岳大台日出ヶ岳、鈴鹿の藤原岳へ登った。
 ’93年春は、八方尾根を第3ケルンを経て下ノ樺まで歩く。雪深い登山道は更に唐松岳へとのびていた。
 ’93年夏、甲斐駒ヶ岳へ。北沢峠から大雨の中、傘をさして仙水峠へ。仙水小屋は私たち三人の貸切り。翌朝は快晴の中、砂岩でザラザラの頂上へ。
 秋は飯高の山 三峰山へ。
 ’94年春 友人の結婚祝賀登山と銘うって立山一ノ越から雄山へ。深い雪もアツアツの二人のためかなり融けたようだ。
 夏は中央アルプスの千畳敷カールを歩く。
 秋は白山へ。早朝、山頂の奥宮でお神酒をいただく。
 ’95年春 北八ヶ岳の茶臼山・縞枯山を。麦草峠から深い雪をラッセルしつつ歩く。
 同じ春、友人夫妻と共に立山剣御前へ。雪の斜面はお尻をつけてすべり降りる。
 11月妹と三人で焼岳へ。焼岳小屋は翌日冬季休業に入る。山頂も深い雪のため登頂できず止むなく下山。宿泊した帝国ホテルのラストナイトパーティに参加する。
 ’96年春も友人夫妻と八ヶ岳東天狗岳へ。黒百合ヒュッテに宿泊し、一夜明けるとたいへんな積雪に驚く。
 
 ’96年夏は妹と三人で仙丈ヶ岳へ。登山途中予備のフィルムを持っていないことに気づく。小屋に行けばあるだろうと馬ノ背ヒュッテに着くが品切れ。登山者にお願いして1本だけ譲っていただく。
 ’97年 飯高の名峰局ヶ岳へ。カタクリの可憐な花を見つける。仕事が忙しくこの年はこの1山のみ。
 ’98年 英雄退職。淑子はまだ在職中のため英雄一人で乗鞍岳へ。
 秋は千畳敷カールを歩く。
 冬は美杉村の山 大洞山へ。
 ’99年4月 美杉村の尼ヶ岳へ。
 この年5月から翌年の5月まで1年あまり北海道に滞在する。その間 北海道の山 ニセコアンヌプリ イワオヌプリ ニトヌプリ チセヌプリ 恵山 樽前山 後方羊蹄山 雨竜沼湿原 十勝岳 藻琴山 大雪山黒岳へ登った。この北海道の記録は、このホームページの「北の大地 山」の項でご覧ください。
 ’01年 乗鞍岳 千畳敷カールへは 愛車 キャンピングカーで。
 地元の山 観音岳伊勢山上、美杉村に滞在し倶留尊山岳の洞山を歩いている。 
 ’02年 しばらく休んでいた登山を再開した。
 私たち夫婦はよくキャンピングカーで乗鞍高原へ行く。
 今年はまず5月に善五郎の滝、三本滝等滝めぐりのトレッキングを楽しんだ。
 7月中旬 霧ヶ峰の自然観察会ーニッコウキスゲの咲く丘を歩こうーに参加し、霧ヶ峰、車山を歩き、満開のニッコウキスゲを堪能した。
 下旬には乗鞍サマーウォッチングに参加し、畳平に咲く高原の花を楽しみ魔王岳に登る。翌日は畳平より乗鞍剣lガ峰へ。絶好の夏晴れで360度の眺望に快哉を叫ぶ。コマクサにたくさん出会えた。
 8月初め伊吹山3合目より山頂へ。さすが花の名山 シモツケソウ ルリトラノオをはじめとする花々が咲き競っていた。夕方下山した3合目のユウスゲも見事であった。
 1週間後 意を決して鳳凰三山へ。あこがれの地蔵岳オベリスクに登頂した時の感動は言葉を発することさえできなかった。タカネビランジの可憐さ、たくましさに脱帽。観音岳・薬師岳を縦走し青木鉱泉へ下りる。体力の衰えをひしひしと感じる昨今だが、まだ捨てたものでもないかな?
 8月31日 霧ヶ峰の車山を歩いてマツムシソウを楽しんだ。
 翌9月1日 蓼科山登山。累々たる岩石の広大な山頂は圧巻であった。
 
 

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