私の山行 3

私の山行 3
山々に魅せられて
2002年10月 東北の山々 磐梯山 西吾妻山 月山 秋田駒ケ岳女目岳 八甲田山赤倉岳・井戸岳 八幡平 栗駒山 蔵王熊野岳 安達太良山に登る。(これについては「東北紀行1」「東北紀行2」をご覧ください。)
2003年6月 北海道の 函館山 オロフレ山 東ヌプカウシヌプリ 
7月 同じく ピヤシリ山 松山高層湿原 旭岳 西別岳 羅臼湖(以上については「六十日間北海道の旅1」「六十日間北海道の旅2」をご覧ください。) 
11月 北海道弟子屈の屈斜路湖畔にある丸山。これについては「イチャルパへの旅」に少しふれてあります。
2004年10月11月 九州の 妙見岳 普賢岳 韓国岳 高千穂峰 開聞岳 阿蘇中岳 久住山 鶴見岳に登りました。「九州紀行1」「九州紀行2」「九州紀行3」をご覧ください。
 これからも体力にあわせ、あるいは挑戦して大好きな山登りを続けるつもりです。このページが増えていくことを心から願っています。


古光山 2003年10月1日
 曽爾高原の倶留尊山から南へ続く稜線の南端に位置し、山頂に6つの尖峰を並べている山である。大峠まで車で入りここから登りはじめた。植林地を抜けると途端に道が分かりづらくなる。しかもすべりやすい急登。細い木や草の根に捉まりながら登る。しばらく行くとやがてそれと分かる登山道へ出る。がやはりの急登。やっと960mの南峯に着く。快晴でしかも360度の展望。なんともすばらしい峯である。室生火山群の山々を手にとるように眺めることができた。ここから山頂へは岩塔ややせ尾根があり300mと短いがスリルもあり快い稜線歩きである。山頂(953m)は木が茂り見通しはきかない。ここから縄梯子を伝って降りると後古光山に通じるが、私たちは車の置いてある大峠に戻った。
烏岳 富士見ケ原 10月5日
 飯南の櫛田川を見下ろすように聳える山である。高見を越え和歌山街道を下ってきた人々はこの山を見てようやく平地に入ったことを知り安堵したという。「隠れた名山」に紹介されている山である。私はかつて延べ7年間飯南で過ごしたことがあり、馴染み深い懐かしい山であるが、登ったことはなかった。今回はじめて立梅の登山口から登った。545mの山頂付近は展望台も整備されていて見晴らしもよくゆっくりと低山歩きを楽しんだ。帰途、近くの富士見ケ原にも寄り山頂近くの駐車場から山頂までの歩きを楽しんだ。
兜岳 10月19日
 長走りノ滝を見て「目無地蔵」のところまで入る。そこの小さな空き地に車を入れ、登りに取り付く。道はいきなり大きな岩をよじ登る急登につぐ急登である。しかしそれも50分で920mの山頂に着く。わずかに伐り開かれた樹林の間から青蓮寺川や曽爾の村が美しく眺められた。ここから鎧岳へ縦走するルートが一般的であるが、私たちは車のところまで来た道を戻った。 
鎧岳 10月27日
 青蓮寺川の橋のたもとから眺めると鎧岳の尖峰が迫力ある姿を見せている。その屹立した山容を見ると「あの山に登れるのだろうか。登れるものなら登ってみたい」と思う。鎧岳、兜岳、柱状節理の絶壁をもつ屏風岩等の特異な山容をもつ景観はまさに奇景というべきである。私たちは葛から林道を入った。山仕事をしてみえた人に聞くと「私有地だ」とのことであったがお願いして林道終点の駐車場に車を止めさせていただいた。しばらく登り、兜岳からの下りの道をあわせ峰坂峠をめざす。この道はどうやら村と村を結ぶ古来からの道であるらしい。その道を離れ峰坂峠から鞍部までの登りはかなりの急登である。鞍部から894mの頂上は近い。見晴らしはあまりよくないが、下から見上げたあの山頂に立っていると思うと感動的であった。車のところまで戻り、帰りに県指定天然記念物の「ヒダリマキガヤ」の林を見に行った。それは見事な林であった。
 
住塚山 国見山 12月9日
 この2山のいわれは、日本書紀の神武天皇「大和平定物語」の中で、国見岳に住む土蜘蛛八十梟師を討伐し、宮城(みやしろ)に仮宮を建てたという伝承によって、住塚山(別名次郎岳)や国見山の山名が生じたと伝えられている。室生火山群の山々は、数百万年前いくつかの噴火口から噴出した硬めの噴出物を高温状態のまま堆積しそれ自体の高温によって熔結し凝固したものとされている。屏風岩公苑駐車場に車を入れる。住塚山から東へ延びる尾根は一ノ峰のコル付近から南面に柱状節理の絶壁を持ち、楯岡山の手前、タワミ峠まで全長2km以上続く。いわゆる屏風岩である。平均傾斜85度、高さ150mの壁である。公苑を抜け、屏風岩のキレットのところに登山道はついている。コルまで直登ともいうべききつい傾斜の登りである。コルから屏風岩を縦走する道の反対側の山道に入る。しばらくは尾根道であるがすぐに住塚山への急登となる。やがて1009.4mの住塚山頂上に着いた。やや曇ってはいるが見晴らしはよい。国見山に向かう。登りにも増して急傾斜の下りである。これをまた上り返すのか!降りきったところがゼニヤタワ。ここからまたきつい登り、ヒヤリとするところも1〜2箇所あるが、登山道はしっかり整備されている。1016mの国見山山頂からは倶留尊山、三峰山、高見山から大台の山々まで見ることができた。通常の登山コースはクマタワへと下るのだが、私たちはゼニヤタワへ戻り、ここに交叉する道の室生へと標識のある反対側(こちらには標識なし)へと降りる。思いがけず10分ほどで林道に出る。川根林道の終点である。少し下り右手の鉄の梯子階段を14段を上ると山を巻く林道に出る。しばらくで屏風岩の上にある若宮峠である。左に小さな鳥居があり右に行くと往きに通ったコルに通じている。まっすぐに急坂を下る。道はくねくねと500m続き、若宮に着く。ここから駐車場は近い。なんとも楽な近道だ。住塚山、国見山へのお勧めコースである。
カナディアンロッキー山麓の小さな町キャンモアに2004年5月1ヶ月間滞在したときの記録である。
ジョンストン・キャニオン(画像左上)
 8000年前に地殻変動でできた亀裂に氷河が流れ込み大地を削り取った深い渓谷である。1回目はLower Fallsまで、2回目はさらに上流のUpper Fallsまで行った。渓谷の絶壁を縫うように進む遊歩道を登っていくと谷に轟音がこだましていた。
シー・レベル・サーク(画像左下)
 アッパー・バンクヘッドからカスケード・マウンテンの巨大なカールへの登山である。針葉樹林帯のトレイルを登り鉱山の工場や採鉱跡を見ながら更に登る。やがて山道は細く雪が深くなる。雪の斜面をトラバースしながら登っていくと、突然巨大なカールとカスケード・マウンテンの切り立った東壁が展がった。
ウィスラーズ(画像右上)
 標高2284mの山頂近くにある展望台までトラムウェイで上がった。風は強かったが山は幸運にも晴れていて、山頂まで行く1.5kmのトレイルがついていたので尾根まで登った。ジャスパーの町とアサバスカ川の雄大な流れ、そして点在する湖がそれぞれの美しい色に輝いていた。
サルファー・マウンテン(画像右中)
 途中までゴンドラで上がり、雪の残った木道・階段を登って測候所のあったところまで行った。バンフの町、ボウ川、延々と連なるロッキーの360度大パノラマを楽しむことができた。中世のお城を思わせる有名なバンフ・スプリングスホテルも見えていた。その日午前中にローワー・バンクヘッドでカタコトの英語で話したフランス人のご夫婦と思わぬ再会をし、また話し込んだ。
Mt.レディ・マクドナルド(画像右下)
 この山塊の上を早春と晩秋に数千羽のゴールデンイーグルが飛ぶという。急登の長い樹林帯を抜けると大きな石灰岩が累々と続いている。その間を縫うように登っていく。小さな高山の花が咲き始めていた。花に励まされ喘ぎ喘ぎ登ってようやくピークの直下にあるテラスに着いた。そこに二人の青年がいた。彼らはボウ川から吹き上げてくる上昇気流を待っているとのこと。ハングライダーで3000mまで飛び上がるのだと。彼らこそ現代キャンモア青年のゴールデンイーグルである。下りる時「Good fly」と叫んだら、彼らは大きく手を振って「Thank you 」と叫び返した。
三郎岳 2004.12.14
 太郎岳といわれる倶留尊山にも何度か登ったし、次郎岳の住塚山にも登った。いつかは三郎岳への念願が叶ってやっと登ってきた。三郎岳の通常のルートは、仏隆寺の前を通り高城岳を越えるらしいが、私たちは伊勢本街道を歩いた時、諸木野から上田口へ抜ける石割峠の下からのコースを知ったので、今回はここから登ることにした。登山道ははっきりしている。倒木が何本もあり、跨いだり潜ったりしながら進んだ。しばらく行くと木漏れ日の美しい手入れの行き届いた杉林を辿る道だ。みるみる高度をかせぎやがて明開寺奥の院に着いた。数人の方がお寺の清掃をしてみえた。この上に岩壁に彫られた数体の立派な石仏があった。ここから山頂までは直登でかなりの傾斜だ。鎖が付けられていた。879mの山頂は抜けるような青空の下にあった。狭い山頂であるが360度の眺望がありすばらしい。登山口からわずか50分、三郎岳への最短コースであった。仏隆寺から往復で6時間もかかったという記録を読んでいただけに、下山には鎖のお世話になったというものの快適な登山で、なんだかとても得をした気分になった。
大洞山 2004.12.16
 榛原、曽爾を通る368号線を御杖村役場の前から坂を登っていくと突然雄大な山塊が眼前に迫ってくる。985mの大洞山である。見るたびに息を呑む光景である。この雌岳・雄岳に登ったのは6年前であったろうか。もう一度登りたいといつも思っていた。夫が友人と話していたら、この大洞山の中腹に住んでみえる方の話になり、私たちもよく知っているこの方に会いたくなった。そこでこの日会いに行き、懐かしさのあまり話し込んだ。ついでに大洞山へ。勝手知ったるとばかり、平日だから駐車できるだろうと登山口の真下まで車で。ここから山頂まで、石段が組まれている。思いの外急登であった。40分で雌岳山頂へ。山頂は広く、草など刈ってあってよく管理されていた。山座同定板も作られていたので、四方に見える私たちの登った懐かしい山々を眺めることができた。ただこの日は風が強く、にわかに黒雲が空を覆ってきたので、行く予定だった画像すぐ横の雄岳には行けなかった。でも山頂に立てて大満足であった。

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