泣き笑いそして感動のカナダ30日間滞在記 3

泣き笑いそして感動のカナダ30日間滞在記 3
カナディアンロッキーの山々に抱かれて


画像 上から
レイク・ミネワンカの遊覧船乗り場
レイク・ミネワンカの一番奥にある白銀の山々
サンシャイン・スキー場 この春は今日で終わり
サンシャイン・スキー場へ90度曲がるゴンドラ
 
5月21日
 帰国の日が近づいてくる。ほんとうはジャスパーまで行ってみたかったのだが、なにしろここからジャスパーまでは350km どうしても向こうで1泊しなければならない。それに今週は天候もあまりよくない。諦めるより仕方あるまい。
 今日も小雨のぱらつく曇り空。寒い。外へ出る気にならず、英会話を2レッスン受け、あとは部屋で読書。ゆったりとくつろぐ。カナダ滞在中、計画ではこんな日をもっととるはずだったのだがついついあれもしたい、あそこにも行きたいと日の長いのを幸いにして忙しく飛び回ってしまった。おかげで充実した毎日だった。でもあと1週間何もせずにというのもなんだかねぇ。
 夜はキャンモアの最高級ホテル・ラジソンでディナーを楽しんだ。英会話のレッスンが大いに役立ち、たいへんおいしく大満足であった。
5月22日
 五月も下旬に入ったというのに今日は朝から雪。昨日行ったラジソンホテルのウェイターの人が「ロッキー山麓の天候は、昨日は夏だったのに今日は冬」というほど日によって温度差が激しいと言っていたがほんとうにそうだ。
 雪の止んだわずかの間に山が見えた。先日登ったMt.レディ・マクドナルドだ。それは雪でまっ白であった。それもすぐ見えなくなる。
 午前中はキャンモアのダウンタウンを歩いた。本やさん、雑貨やさん・・・図書館にも行った。わずかではあったが日本語で書かれた本もあった。いつも行くセーフウェイで食料品を買い込んだ。
 こんなに雪が降り続いては何も見えないし、散歩にも行けない。そこで午後、カナナスキスのバウンダリー・ランチへ行った。先日ホースライディングに行ったとき見たドリーム・キャッチャーがどうしても欲しくなったからだ。これはインディアンの人たちが作っている工芸品で、丸い木の枠にくもの巣状の網を張り、風を感じる羽で飾ったすばらしく美しいものである。数ある夢の中でよい夢だけを捕まえようという意味がある。少し高価だが日本では絶対手に入らないので思い切って買ってきた。5日前なのに店の人が覚えてくれていて「また馬に乗りにきたの?」には驚いた。
 40号線を野生動物を探しにそのまま進んだ。ようやく芽吹いたポプラや白樺の若葉も今日は雪景色の中。雪の中だったが3連休の初日の今日は、カナナスキスリバーではラフティングを楽しむ姿が見られた。Wedge Pond へも寄ってみたが、今日は釣り人の2艘のボートが浮かび熊の姿はなかった。「二度あることは三度ある」とはいかなかった。湖の水際を歩いてみたが熊の足跡もなかった。40号線をクローズされているところまで行ってみた。大きなビックホーンシープの群れやエルクの群れに出会った。このごろは「ベアークロス中」の電光表示を見てもはじめの頃のようにどきどきしたりせず「あっそう」という感じ。ビックホーンシープもエルクも「またいたー」 それでもこれらの動物たちとももうすぐお別れかと思うと名残惜しい。
 40号線を反対の入口まで戻り、今日こそインディアンの人たちの伝統的な民族料理を食べたいとChief Chiniki Restaurant へ行ったがあいにく今日は休みであった。残念。近くでガソリンを入れた。きっちり入れるのがスタンドのお兄さんのプロの誇りなのか1セント出たことを大きな身振りで嘆いた。1セント渡しながらいっしょに笑いあった。
5月23日
 昨夜一晩中降り続いた雪で家の屋根も車もまっ白だった。疲れもたまってきた折だしゆっくり休養することにした。雪は止み間もなく降り続いている。外へ出たのはゴミを捨てにゴミスティーションへ100m位歩いただけで終日読書して過ごした。暖かくなったためか降ってくる雪は大きなボタン雪。
 夕方5時になってやっと晴れ間が戻ってきた。突然見えた久しぶりのスリーシスターズは全山まっ白に雪化粧して夕日に輝いていた。
 さあ明日から4日間カナダを楽しもう。
5月24日
 久しぶりの好天である。まわりの山々は一際美しく見える。
 英会話のレッスンが終わってから、レイク・ミネワンカの遊覧船へ乗りに行くことにした。今日はビクトリアデーでトランス・カナダ・ハイウェイは車の列で、こんなハイウェイははじめてである。しかし道の両脇は黄色いタンポポの花の絨毯でとても美しい。レイク・ミネワンカの遊覧船は22日(土)に始まったばかり。さすが祝日でかなりの客があった。
 ここレイク・ミネワンカのあたりは先住民のインディアン・ストーニイ族が古くから住んでいたところで、その後ホテルを中心に町ができていたのだが、1912年に造られたダムによって町がそのまま湖の底に沈んだという。たいへん大きな湖で遊覧船で湖の一番奥まで行って戻ってくるだけで1時間30分もかかった。しかも雪融けの満水時は水面が現在より3mも上昇するらしい跡がある。
 深いエメラルド色の湖とまっ白な山々の景色はすばらしい。この湖に流れ込む河口の見えるところまで行った。沈んだ町はどのあたりだろうと目を凝らしたがとらえることはできなかった。
 次いでバンフの町から少し離れたサンシャイン・スキー場に行った。スキー場のゴンドラは今日で終わり。広い広い駐車場だが車が止められないほどいっぱいの車、車、車。それでもやっとゴンドラに乗った。長い。しかも90度曲がりがあったり、カーブを描きながら登っていく。こんなゴンドラも始めてである。
 スキー場に着くと、なんとまあたくさんの若者たちがスキーやスノーボードを楽しんでいた。スキーリフトがあちらの山にもこちらの山にも何本もかかっていて、バラェティに富んだコースがなんと広いこと。ここでカナダのナショナルチームが練習するそうだ。日本とはやはりスケールが違うと思った。
 ゴンドラを降りてくると「おおきに。お疲れさんでした。」とカナダ青年のスタッフに言われたのには大笑いした。
 この山は夏は登山、ハイキングの人で賑わい、点在する湖とたくさんの花がたいへん美しいそうだ。
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まだ凍結しているボウ・レイク
氷に割れ目が 神秘の湖 ペイト・レイク
サスカチュワン・クロッシング
豪快なサンワプタ滝
 
5月25日
 カナダでの最後の思い出に思い切ってジャスパーまで出かけることにした。空は殊の外よく晴れた。トランス・カナダ・ハイウェイもカスケード・マウンテンも朝の光に輝いて何ともいえず美しかった。
 アイス・フィールド・パークウェイに入るとすぐビューポイントのHerbert Lake があった。静かできれいな湖であった。ヘクター・レイクは大きな湖で樹間から見るそれはブルーの水を湛えてすばらしい。Mosquito Creek のキャンプ場はすでにオープンしていてたくさんのキャンピングカーで賑わっていた。
 クロウフッド氷河はすごい風だったが晴れた空にくっきりと見え、氷の透明なところもよく分かった。折りしもバスが止まり降りてきたのは日本人らしい。聞けば岐阜県の町立の中学校生徒で修学旅行と研修をかねて10日間の予定で来ているという。うち4日間はホームスティだそうだ。私の中学校の修学旅行は東京だったなあ。
 ボウ・レイクはまだまっ白に氷結していてこれまたきれいだ。ボウ氷河が近く見えるあたりまで入ると、まだ凍結しているが二つの大きな滝が見えた。ここが分水嶺で南へ下るのがボウ川、北へ向うのがサスカチュワン川である。道路の峠はもう少し北にある。
 次にペイト・レイクへ行った。5月4日に訪れた時は雪で登れなかった展望台であったが、今日は雪の上の細い踏み跡を辿ってようやく辿り着いた。それが見えた時、思わず歓声を上げた。今日のハイライトの一つである。氷に幾筋もの亀裂が走り、湖の端の方から融け始めている。その色といったら、黄緑から濃紺まで色を変え言葉では言い表せないすばらしさだった。来てみてほんとうによかった。
 ボウ峠はそのすぐ北。しかし標識もなく通り過ぎる。ミスタヤ・レイク ミスタヤ・キャニオンのあたりまで来ると雨が降り始めた。
 サスカチュワン・クロッシングは大氷原へ北上する道と大草原へ東向する道の交わるところであり、このあたり唯一のガソリンスタンドがある。
 そこを過ぎるとやがてジャスパー国立公園の入口である。このあたりから荒涼とした景色になる。
 ウィーピング・ウォールもブライダル・ベール滝も雨の中であった。コロンビア・アイスフィールドは5月4日に氷上車にも乗ったことであるしそのまま通り過ぎた。
 道の両脇に大きな岩がごろごろしたところもあり怖いような道だが、タングル滝は小さいながらきれいな滝であった。
 初めて目にするサンワプタ川の河床は広大な荒野となって広がっていた。このあたりから山の様子がバンフのそれとは少し違ってきた。
 サンワプタ滝に着いた。雨も止んだので滝の傍まで見に行った。サンワプタ川がここで急に向きを変えて渓谷に流れ込むのですごい迫力で流れ落ちている。橋の上から見ると目も眩むような渓谷となっている。
 ここからジャスパーへ向う道は白樺の林が続いていた。山も林も道も北海道に似ていてなぜか懐かしい。ただ川の水の色の美しさはカナダ特有の色で北海道のそれとは違う。
 アサバスカ滝もサンワプタ滝より更に豪快である。コロンビア大氷原から流れ出た豊富な水が、川幅の狭くなるこの地点で勢いを増して22m下の滝壺へ落ちていく。そばで見ると引き込まれそうで怖い。
 ここから道を93号ではなく93Aに入った。旧道であるから一応簡易舗装されているとはいえ山道でガタガタするところがあった。が点在する湖は静かで美しい。
 途中観光案内書に「垂直に切り立ち、見る者を圧倒する迫力で聳える標高3363mのマウント・エディス・キャンベルとその山肌を流れるエンジェル氷河は、天使が羽を広げたように見えることからその名が付いた、ジャスパーに来たら必ず訪れたい絶景ポイント」と出ていたが残念ながら閉鎖されていた。6月中旬にならないと開かないそうだ。
 93号と合流し、遂にジャスパーの町に入る。ジャスパーの駅にジャスパーとバンクーバーを結ぶロッキーマウンテニア号が止まっていた。これで鉄道の旅というのもどんなにか楽しいことだろう。
 今夜はジョスリンさんに予約してもらったジャスパーの名門ホテル、ジャスパー・パーク・ロッジに宿泊する。氷河が作り出したボベール湖はみごとなエメラルド色で美しく、その湖畔に建つジャスパー・パーク・ロッジは広大な敷地の中にたくさんのロッジが点在している。芝生の中でエルクが草を食み、時には熊やヘラジカも出るという。ゴルフ、乗馬、サイクリング、ボート、クロスカントリー・スキー、スケートなど楽しめる。ボベール湖はさしずめロッジの庭といったところ。ディナーで食べたアルバータ牛のステーキはたいへんおいしかった。明日はどうか晴れますように。
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ジャスパー・パーク・ロッジはボベール湖のほとり
目もくらむマリーン・キャニオン
ジャスパーの町で
ウィスラーズより点在する宝石のような湖
 
5月26日
 ジョスリンさんの英会話のレッスンのお蔭で買い物には不自由しなくなった。コインの種類や出し方にも慣れた。しかしまだ困るのがホテルやレストランでの食事である。なかなかレッスン通りにはいかない。今朝もウェイトレスさんがゆっくりと丁寧に注文を聞いてくれたのでおいしくいただくことができた。ただ量の多いのにはびっくりする。朝食のあと湖のまわりを散歩したり、ショッピングを楽しんだ。今回のカナダ滞在中、私の行きたいところへあちこち付き合ってくれた夫にすてきなカウチンセーターをプレゼントした。
 ロッジを後にし、近くのアネッテ湖、エディス湖を訪ねた。いずれも氷河が作り出した湖であり、静かで美しい。
 少し戻り、今度はマリーン・キャニオンに向う。マリーン川の流れが1万1000年の歳月をかけて造り上げた渓谷だという。幅わずか数mの狭い谷に架けられた橋の下55mを流れる急流は息をのむほどの迫力で足がすくんだ。夫は今日も渓谷を歩くときホムスを鳴らしながら行く。すると多くの観光客が興味を示し立ち止まって聞き、Good music と褒めてくれたり拍手をしてくれた。夫は得意げに「1演奏1ドル」など冗談を言って共に笑っている。
 更に進むとメディスン・レイクがあった。ここへの途中、道にウルフの絵が描いてあって、注意の標識が出ている。ジャスパー国立公園はバンフ国立公園に比べて野生動物が少ないように思ったが、このあたりにウルフがいるとは。
 メディスン・レイクは春から夏にかけては雪融け水が満々と湖面をたたえているが、冬になるにつれて湖底から水が流れ出し、遂には湖が完全に姿を消してしまう。このことから先住民は「魔法の湖」と呼んで恐れていたそうだ。今日はまだ少したまりはじめたところらしく、湖の中に舟が1艘出ていて,1人の人は湖の中に立って歩いているのが見られた。
 更に奥に上りながら進んでいくと運悪く小粒ながら雹が落ちてきた。このあたりの雹は大げさでなく野球ボールくらいのものが降ることがあると聞く。COLIN RANGE の特異な姿が目を引く。
 やがてマリーン・レイクに着いた。長さ22km 幅平均1km という細長い形をしたカナディアン・ロッキー最大の湖。氷河湖としては世界でも2番目の大きさを誇る。クルーズ船に乗り、湖の中程に浮かぶスピリット・アイランドに行くのを楽しみにしていたが、残念ながら6月中旬にならないと運行しないそうだ。
 ロッジの方へ戻り、アサバスカ川に架かる橋を渡ると道は二つに分かれる。東へ行くとALBERTA州の州都Edmonton へ、西に行くとジャスパー市街へ。私たちはジャスパーに戻り、ジャスパーの駅に立ち寄ったり市街を散策した。
 次にウィスラーズに行った。標高2284mの山頂近くにある展望台までトラムウェイと呼ばれる30人乗りのゴンドラで上がった。風は強かったが山は幸運にも晴れていて、山頂まで行く1.5kmのトレイルがついていたので尾根まで登った。ジャスパーの町とアサバスカ川の雄大な流れ、それに今日訪れたボベール湖、エディス湖、アネッテ湖をはじめピラミット湖、パトリシア湖、その他たくさんの湖も眺められ、それらの湖はそれぞれの美しい色に輝いていた。ジャスパー国立公園には800以上の湖や沼があるそうだ。カナディアン・ロッキーの最高峰マウント・ロブソンも見ることができた。登山の途中で夫はあいかわらずホムスを鳴らしていた。すると「昨日も会った。その音を聞いた。」という人と会い、しばらく話した。その人はなんとドイツから来たそうだ。夫は「山はいい。どこの国の人とでも誰とでも仲良くなれる。」と感慨深げに言った。でもゴンドラ乗り場では日本人の団体さんが我が物顔に大声で話していた。どうも日本人のマナーには閉口することがある。
 私は久しぶりにここからレイク・ルイーズまでの230kmのハンドルを握った。季節的にはまだまだ車も少なく快適なドライブであった。
 サンワプタ川の展望台のあたりからマウント・アルバータが見えるはずであったがよくわからなかった。大正14年(1925)ロッキーの高峰3619mのマウント・アルバータに槇有恒を隊長とする日本山岳会会員のメンバーがスイス人ガイドとともに初登頂したという記録のある山である。
 コロンビア・アイスフィールドの少し手前でマウンテン・ゴートが道の傍まで下りてきていた。
 ブライダル・ベール滝のあたりから見下ろす下の渓谷はすばらしく、ウィーピング・ウォールも日に映えて美しかった。
 サスカチュワン・クロッシングで休憩し、ボウパスを通り、レイク・ルイーズからトランス・カナダ・ハイウェイでキャンモアに戻った。こんなに遅く車を走らせることはなかったので、バンフ・ジャンクションに照明が入ったり、キャンモアの町の明かりが点いているのも初めて見た。9時を過ぎてもライトを点けない車もあり、キャンモアに着いたのは10時であったがまだ薄暮といった感じだった。6月の夏至の頃は11時過ぎまで明るいというので驚く。
 この2日間、カナダ最後の思い出の旅となった。
画像 上から
トランス・カナダハイウェイ カスケード・マウンテン
カスケード・ロック・ガーデンズ
ジョスリン先生と英会話のレッスン
思い出の B&B Monarch
 
5月27日
 13回目の英会話のレッスン。今日は帰国に備えて出国手続きについてのレッスン。必要なスチュエーションに対してのレッスンがいろいろあり、滞在中たいへん役に立った。お蔭で場面に応じてわりあい気軽に話すことができるようになった。
 キャンモアで用を済ませてから、孫へのお土産を買いにバンフまで行った。バンフの町ともお別れである。町は観光客で賑わっていた。
 カスケード・ロック・ガーデンズを訪ねたが、まだ花壇の用意がなされているだけで、わずかにポピー、わすれな草などが花をつけているだけであった。しゃれた造りの公園管理事務所に入り、カナダの自然についての展示や映像を楽しんだ。
 夕方から帰国のため送り出す小包つくりや荷物の整理、レンタカーの洗車などに追われた。
 ほんとうはカナディアン・ロッキーの宝石とうたわれるレイク・ルイーズをもう一度見たかったのだが、今日はあまり好天ではなく、湖の氷もまだ完全に融けていなくて、宝石のような湖面が見られるはずもなく、絵はがきを一杯買って満足することにした。
5月28日
 早朝は雨が降っていたが、10時になると太陽が顔を出した。カナダ Last day である。
 英会話最後のレッスン(14回目)で日本に帰ったら日本の様子を知らせる手紙を英語で書く約束をした。
 小包を送りに行ったり、レンタカーを返しに行ったりした。結局このレンタカーで1ヶ月 4439km も走ったことになる。
 その後今回の滞在では今日が最後になるキャンモアの宿の周りを散策し名残を惜しんだ。ロッキーの山々はまっ青な空にくっきりと浮かびまさしくここがカナディアン・ロッキーの町であることを物語っており、美しく印象的であった。
 さようなら、カナダよ。たいへんお世話になったジョスリンさんと子どもたちに感謝をこめて・・・。
5月29日
 早朝、ジョスリンさんに送ってもらいカルガリー空港へ。夜が明けてくると牧場に一面の緑が広がる。1ヶ月前とは大違いである。
 空港は太陽が燦燦と照り、青空の中にカナダの国旗が翻っているのが印象的であった。空港の女性のスタッフが、私たちを見て、「グループか」と尋ねたので、No only 2 と応えると Oh Great!! ですって。
 サンフランシスコは快晴。サンフランシスコ・ゴールデンブリッジが眼下に見えた。
 
帰ってからジョスリンさんに手紙をしたためた。
Dear our English teacher, Ms Joscelyne
I saw a video THE GRAPES OF WRATH in this morning. HENRY FONDA sang RED RIVER VALLEY.
 
Come and sit by site if you love us
Do not hasten to bid us adieu
But remember the Bow River Valley
And the Japanese who loved you so true
 
I will cherish my visit CANMORE
in memory, as long as I live.
      SEE YOU AGAIN
        TAKASE YOSHIKO
 
後日の感動的なできごと
 バンフで1日に3度出会い覚束ない英語で語り合いすっかり意気統合したフランス人ご夫妻があった。
 帰国してから、カナダで共に写した写真と私たちの友人たちが1983年に屈斜路湖畔で75年ぶりにシマフクロウイヨマンテを再現したのを記念して出版された「シマフクロウ(平凡社 4017円)」という写真集を送った。
 するとご主人が病気で倒れられたという悲しい知らせが届き驚いた。私たちは心から回復を願い祈った。
 そして8月末、今度は私たちが涙を流して喜んだ嬉しい嬉しいメールが届いた。それには次のように記されてあった。
 
 6月15日に私は脳血管障害で倦怠感を感じるようになりました。幸い深刻な後遺症はありませんが、この2ケ月間働けませんでした。
 今日仕事に戻りました。このアクシデントは私たちを大変不安にさせました。
 幸いなことに、ある朝一條の光が日本から届きました。それは私の病気からの回復にとても重要な要素でした。
 本はとても立派で、あなた方の写真は私たちに素晴らしい思い出をよみがえらせました。
 あなた方のご親切に対し、どのようにお礼してよいかわかりません。
 人生はかくも脆いものでした。
 私たちはいつも日本を訪問することを計画しています。そのために、私たちはあなた方にたくさんの情報をいただけるようお願いします。
 改めて、私たちはあなた方の贈り物に大変感動し、あなた方の国かフランスでお会いできるよう願っています。
 私たちの友情のために再びありがとうございました。
 
下の画像の3人がご夫妻と私
 
 私たちは早速、病気回復のお祝いと、そのメールを読み、私たち自身もとても幸せな気分に満ちている旨を返信した。

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