泣き笑いそして感動のカナダ30日間滞在記 2

泣き笑いそして感動のカナダ30日間滞在記 2
カナディアンロッキーの山々に抱かれて


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ローワー・バンクヘッドにある鉱山建物跡
袋を被った角をもつ雄のエルク
サルファー・マウンテンの測候所のあるピーク
キャッスル・マウンテンの勇姿
 
5月13日
 朝起きると車や家の屋根は雪で真っ白ながら窓から明るい日差しが射しこんだ。久しぶりの太陽のような気がする。窓から見える白銀の雪を纏ったスリーシスターズが神々しいとしか表現できないような荘厳な姿でそこにある。
 英会話のレッスンが終わってから、山の写真を撮ったり動物を探したりするためにバンフ方面に出かけた。しかしまたもや天候が怪しくなる。バンフからミネワンカへ向う途中カスケード・ポンドに寄った。小さな池で今水は少なかったが、カスケード・マウンテンを流れ落ちる長い滝が目前に見え、反対側にはまっ白に雪を被ったマウント・ランドルがたいへんきれいだった。
 しばらく行くとジョンソン・レイクスがあった。湖の周りを少し歩いた。カナダの国鳥のカナダガンが2羽遊んでいた。あいにくの曇り空で水の色は今一つだったが、雪を頂く山が美しく静かな湖だった。湖畔で読書にふける人があり散策する人もかなりあって、いよいよ春近しといった感じであった。
 さらに上にツージャック・レイクがある。湖に突き出たところに数本の木が生えどちらかというと日本的な風景であった。大きなカナダの観光バスが追い越して行った。
 間もなくレイク・ミネワンカである。ここは1912年に造られたダムによってバンフ国立公園最大の湖になったところで、ダム建設の際に水底に沈んだ町がそのままの姿で残っており、その跡を探検するダイバーも多いという。遊覧船もあるが今は準備をしているところで、本格的な春はビクトリアデー(5月24日)が済んでからだそうだ。先日来た時はここへの途中でたくさんのエルクの群れを見たが今日はいなかった。いつも柳の下にどじょうがいるとは限らないらしい。
 帰りは道を変えた。カスケード・マウンテンが眼前に巨大な姿で迫っていた。アッパー・バンクヘッドへ寄った。ここは1904〜1923年に鉱山として繁栄していた場所で、約1000人が居住した町がこの辺りに実在していたという。ここは又シー・レベル・サークへの登山口でもある。C・レベルとは最も高い位置にあった採鉱場所で、サークとはカールのことである。カスケード・マウンテンの東壁を削り取ったカールを訪れ、迫力ある壁を間近かに見るこのコースに天候のよい日に是非挑戦したいものだと思っている。
 少し下ってローワー・バンクヘッドに着いた。ここにも今はゴースト・タウンになっている鉱山町があった。当時の建物跡などを見学して歩ける簡単なトレイルがあったのでそこを歩いてみた。地リスが遊ぶ広い草原の中のトレイルを行くと、あちこちに壊れた建物や建物の基礎部分が残り、当時使われたトロッコも置かれていた。兵どもの夢の跡、なんとも切なく侘しい光景であるが、しばし過ぎし昔に想いを馳せた。ここで観光客のご夫婦と話した。話すうち相手はフランス人だと分かった。フランス人と日本人が拙い英語で話していると分かり大笑いした。互いに分かり合いたいという気持ちがあれば何人であれ、何語であれ通じ合うものがある。なおカナダはもとフランス領であったので、どこの説明板も英語とフランス語が書かれている。ちょうど持っていたマタンプシをプレゼントした。廃墟の中を歩いていて、カナダ人のご夫妻とも出会った。いろいろ説明してもらって握手して別れた。手のひらから温かさが伝わってきた。
 途中降っていた雪も止み天候も回復してきたので、前回ゴンドラの上までしか行けなかったサルファー・マウンテンへ再挑戦し、測候所のあったピークをめざすことにした。ゴンドラを降り雪の残った木道・階段を登った。つるつる滑り転びそうだったがバンフの町、ボウ川、延々と連なるロッキーの360度大パノラマを楽しむことができた。中世のお城を思わせる有名なバンフ・スプリングスホテルの佇まいも見ることができた。測候所は昔のままの様子で残されていた。ここでまたあのフランス人ご夫婦と出会った。しばし語り合い、写真を撮りあい、Eメールの交換を約束して See you again と別れた。一期一会というが温かい気持ちになり、人と人が偶然に出会うとはなんとすばらしいことだろうと思った。
 バーミリオン・レイクの湖畔に下りていった。まっ白なマウント・ランドルが湖面に映り美しかった。
 まだ日も高かったし、今日は動物との出会いが少なかったのでもう少し北上することにした。トランス・カナダ・ハイウェイをレイク・ルイーズまで行った。車窓にキャッスル・マウンテンの姿を見ながら走った。レイク・ルイーズ・スキー場はまだ滑れそうだった。1Aに戻り南下した。キャッスル・マウンテンの真下の展望台でその堂々たる岩稜を飽きることなく眺めて、ふと反対側のボウ川の方に目をやると、突然まっ白い頭の白頭鷲が飛んできて対岸の高い木の上に止まった。大感激である。再びキャッスル・マウンテンの下のCATHLE INTERNMENT CAMP(キャッスル強制収容所)を訪れ、モニュメントを詳しく読んだ。英語、フランス語、ウクライナ語で書かれていた。ここは第一次世界大戦の時、ウクライナ人(カナダ国籍を持つウクライナ人を含む)が敵国人とみなされ、強制収容された地であった。折りしも明らかに東欧系と思われるご夫妻がモニュメントの周りを掃除して去っていかれるところであり、静かに目礼して別れた。こんな美しいキャッスル・マウンテンの麓でこんな悲劇があろうなどとは思いもしなかった。
 前に見つけたクマゲラの巣を見に行ったが残念ながらいなかったもののハイウェイと違いこの1Aは動物に出会うことが多い。今日もたくさんの鹿、エルク、ビックホーンシープを見ることができた。
 キャンモアに帰るとまだ明るいものの時刻はすでに8時30分、「武蔵」というお店に寄り、久しぶりに純日本食の夕食を堪能した。
 今日は日が長いからこそできるもりたくさんの Fine day であった。
 
 
 
 
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Wedge Pondで見たグリズリー・ベアー
バーミリオン峠 大西洋と太平洋の分水嶺
マウンテン・ゴートの群れ
バーミリオン川で見たブラック・ベアー
 
5月14日
 英会話のレッスン。ジョスリン先生が身振り手振りを交えてゆっくり話してくださるので聞き取ることにだんだん慣れてきた。私の英語も巻き舌になってきたと夫が笑う。
 雪の日にスプレイ・レイクへ行ったが、晴れた日の山や湖を見たいと再び出かけた。キャンモア・ノルディックセンターから山岳道路に入る。下から見ると険しい山の中腹に帯のように延びているすごい道路だ。少し上ると1322mの高地にあるキャンモアの町が小さく見えている。2週間前に行ったグラシイ・レイクや滝が下の方に小さく見える。雪の日には見えなかったこれぞロッキーと思われる山々が連なっている。いよいよ野生の王国に入った。晴れているせいか地リス,鹿、小鳥がたくさんいた。そして白頭鷲も。すごい猛禽類である。
 原生林の中に地道ながら道幅の広いすばらしい山岳道路が続く。「安全のため80kmで」には驚く。すでに標高2000mは越しているはずだ。道の両側にかなりの雪が残っている。高所では雪が舞った。日が射しこむ湖の色はエメラルドグリーンやスカイブルーに輝き美しい。ゆっくり走ったがお目当ての大型の野生動物にはなかなか出会えない。ハイウェイ40に出る手前でカナナスキスのビジターインフォメーションセンターに立ち寄った。たまたま見つけたのだがすばらしいセンターであった。カナディアンロッキーの自然や野生動物の生態を映像で楽しんだ。
 ハイウェイ40に入る。前回ブラウンベアーを見たあたりをよく探したが今回はだめであった。ここはカナナスキス。道路と川を挟む両側に絵はがきそのままの険しいロッキーの山々が連なっている。雪を被った頂は空と溶け合いながら白銀に輝き、天を刺すように鋭く截り立った山容は人を寄せ付けない峻烈な厳しさを見せている。眼下の谷間は目のくらみそうな深さであったが一面濃密な針葉樹の樹林に掩われ非情に近いまでの静謐さであった。原生林のこの広い谷間は全く狩猟に適した地である。先住のインディアンの人たちが獲物を追ってこの谷間を駆け巡ったであろう姿が目に浮かぶようである。
 途中、地殻変動で複雑に彎曲した地層を顕わに見せる山塊がありしばし見とれた。
 この道路沿いではエルクの群れやビックホーンシープの群れに出会った。
 Wedge Pond に寄った。ポンドまで下りようと歩いていた時だった。ふと下を見ると100m程離れた湖の水際を大きな肩が大きく盛り上がっているグリズリーベアーが歩いているではないか。しかもだんだん近づいてくる。冷や汗をかきながらカメラを構える。シャッターを切ると立ち止まってじっとこちらを見ている。これ以上近づくのは危険なので車へ戻った。そして熊の去った方へ車を進めるとなんとハイウェイを横断し、ハイウェイの道端に一面に咲いているタンポポの花を食べている。車の中なので数mのところまで近づき写真を撮ることができた。それを見て次々に車が止まった。しかし熊は悠然とタンポポを食べ続けた。そうでした。ここはあなたの国、熊の王国でした。はいお邪魔しました。今日はなんともVery Lucky な日であった。
5月15日
 雪が雨に変わり暖かくなってきた。ラジウム・ホット・スプリングスに行くことにした。トランス・カナダ・ハイウェイを北上し、バンフとレイク・ルイーズのちょうど中間点のあたりのキャッスル・ジャンクションからロッキーを東西に越える93号線クートネイ・パークウェイを南西方向に進む。バーミリオン峠(5380フィート、1640m)がアルバータ州とブリテッシュコロンビア州との境である。ここはまた大西洋ATLANTIC OCEANと太平洋PACIFIC OCEANの分水嶺である。さらにバンフ国立公園とクートネイ国立公園との境でもある。
 はじめてクートネイ国立公園に入って目についたものはバーミリオンリバーに沿っての広大な山火事の跡であった。あまりの被害の大きさに驚いて登山口にいた人に聞くと2003年の8月から3ヶ月間に渡って燃え続けたそうである。私たちも山火事の跡に入って歩いてみた。大針葉樹林が猛烈な炎に包まれてまっ赤となり、空は煙で覆われ、動物は逃げ惑い、人の手ではどうしようもなく自然鎮火を待っていたのだろうか。大森林は今後元の姿に戻るのに一体何年かかるのだろう。自然の猛威についてつくづく考えさせられたことであった。
 氷河から流れ出る川は氷河が岩盤から削り取った多くの固形物を含んでいて浸食力が強い。ロッキーではそんな滝や渓谷がたくさんあるが、マーブル・キャニオンはその典型だといわれている。しかし山火事のためこの渓谷は閉鎖されていた。しばらく南下したところに登山口があったので入ってみると、白濁したすごい量の水が豪音を轟かせて流れ落ちる滝があり、木橋の上から見ると固そうな岩盤が深く垂直に削られた渓谷になっているところがあった。ここでも自然の力のすごさを見せ付けられた。
 何キロほど下っただろうか。対向車が合図をしてくれた。何かいるらしい。あっ、いた!それはまっ白な毛をもったマウンテン・ゴートの群れであった。びっくりした。カナダでも標高の高い山の岩場でしか見られないと聞いていたので諦めていたが、ここで会えるとは何とluckyな。何枚も写真を撮った。
 このあたりは標高が高いのか山は雪でまっ白。広大な針葉樹林帯、その一番低いところを流れるコバルトブルーに輝くバーミリオン川。クートネイ国立公園はバンフ国立公園とは一味違う。
 160km程走りようやくラジウム・ホット・スプリングスに着いた。このあたりでは珍しい赤い岩肌の山を背に温泉はあった。太平洋側は比較的暖かいのかタンポポが一面に咲き、ライラックに似た花も咲いていた。芽を出した若葉の緑がきれいだった。温泉といっても日本のそれとは全く違う。巨大な温水プールであった。
 帰り道、オリーブ・レイクに寄った。エメラルド色の湖で、ここには魚が泳いでいた。釣りもできるらしい。「あなたといっしょにブラックベアーもハイキングしています」と書いてあった。怖いけれどブラックベアーも見たいものだと思った。
 さらに進みバーミリオン川のほとりで車を止めた。このあたりの川はコバルトブルー、すごい水量の急流で美しい。
 車でしばらく行くと、あっ!と息を止めた。ブラックベアーだ。子熊らしい。しかし後続車があり止れない。500mほど走り、急いで引き返したがもういなかった。さらに車を走らせると前にキャンピングカーが止まっている。ビューポイントだ。私たちも寄ってみることにした。するとなんとブラックベアーがいるではないか。それも大きい。わぁ!と興奮しこれまた何枚も写真を撮った。
 ペイント・ポットの標識が出ていた。「鉄分を多く含んだ鉱泉が湧いており、氷河が作った粘土を赤や黄色に染めながら噴出し、ドームのような不思議な形のプールを作り出している。この地の色つき粘土はインディアンによって長い間染料として珍重されていた。今でもその跡が残っている」とあったので山に入り探したが見つからなかった。
 ブルテッシュコロンビアからアルバータ州に入って、つまり分水嶺を越えて最初にあるのがビスタ・レイクであった。下の方に見えるこの湖はエメラルドの美しい色をしていた。
 このあたりから白い雪の帯を巻いたような特異な岩稜を長々と連ねた山が目に入った。あれは一体何という山だと見ていたらジャンクションまで来てそれがキャッスル・マウンテンだと分かった。山は見る方向によってこうも違うものなのだと感心した。
 バンフのランドル・マウンテンもまっ白の雪で覆われて美しかったし、キャンモアのスリーシスターズもすばらしく夕陽を受けて輝いていた。午後8時30分であった。
 今日はたくさんの鹿やエルクは勿論のこと、見ることの珍しいマウンテン・ゴートやブラックベアー2頭にも会えて感激であった。 
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カスケード・マウンテンのカールと切り立つ東壁
シー・レベル・サークへの樹林の中のトレイル
バウンダリー・ランチでホースライディング
レディ・マクドナルド登山道よりキャンモアを
 
5月16日
 ジョスリンさんに昨日見た山火事の話をした。ブリテッシュ・コロンビアのバーミリオン川の山火事の現場からここキャンモアまでは直線距離にしても70〜80km離れているのに、火事の3ヶ月間は灰が降り煙が流れてきてたいへん困ったそうである。改めて火事のすごさが分かった。
 今日は朝から快晴であった。カナダの山も一つくらいは登りたいと願っていたが、山はまだ雪が深い。しかし道端に花が咲き出し、木々の若芽も芽吹いてきた。早春という感じである。そこでここならなんとか登れそうだと選んだのがシー・レベル・サークである。
 トランス・カナダ・ハイウェイをバンフからレイク・ミネワンカ・ロードを走り、アッパー・バンクヘッド・ピクニックエリアの登山口から登り始める。傾斜はあるがしっかりしたトレイルを針葉樹林帯の中を登っていく。30分程登ると鉱山の工場の建物の一部が残っていた。その少し上から金網をめぐらしたいくつもの採鉱跡が深い穴を覗かせていた。少し道を逸れたボタ山のようなところからレイク・ミネワンカとマウント・イングリスマルディが美しく見下ろせた。
 ここから山道は雪が残っていて滑りやすく歩きにくい。かなり登ったあたりから山道は山を巻いて登っていく細い道となる。木々の間からツージャック・レイクがエメラルド色の湖面をのぞかせていた。もうこんなに高く登っていたのだ。雪は次第に深くなり雪の斜面をトラバースするあたりはおっかなびっくりそろりそろりと進んでいった。途中5人の登山者と話を交わしたりした。
 森林限界を超えると突然目の前に巨大なカールとカスケード・マウンテンの切り立つ東壁が展がった。青い空に映えるそれは息をのむ美しさであった。カスケード・マウンテンの鋭鋒が紺碧の空を截り裂くようにそそりたっていた。そして白い牙のような鋭鋒を突き上げ、幾条もの急峻な尾根が襞のように重なり合いながら谷に向って尾を曳いていた。南に取り巻くまっ白な山々の眺望もここがカナダであることを雄弁に物語っていた。登り時間2時間の行程であった。
5月17日
 今日もよい天気である。予約しておいたカナナスキスのバウンダリー・ランチへホースライディングに行った。ジョスリンさんが馬に乗っている時例の質問をするなら "Right now"をつけるのよと笑いながら教えてくれた。
 馬が連れてこられると台を持ってきてすぐ乗れという。そしてgo、stop、right、leftの手綱さばきの簡単な説明が終わるといきなり「Letis go」 えっと驚いていると馬はすぐ歩き出した。ガイドは若い女の子、続くは夫と私の二人だけ。しかしおとなしい馬で思ったほど怖くない。なにしろ乗馬は初体験の私である。
 アップ ダウンを繰返しかなりの高所まで登った。空気はひんやりとしている。眼下には広大な森林が広がりその向こうにカナディアンロッキー。全く美しい。山から流れ出すクリーク、川の源流も見た。珍しい雉に似た鳥も見た。このあたりにいるというムースを私は見たいと期待していたのだが残念ながらそれは出てこなかった。しかし鹿もエルクも出てきた。
 やがて道は樹林の中の平坦なトレイルになる。木漏れ日の美しい快適なコースである。途中インディアンの小さな村を模したところも見学した。下り坂が少しむずかしかったが楽しい乗馬体験だった。ガイドの女の子とも拙い英語の会話を楽しんだ。2時間のコースであったが充分ホースライディングを堪能することができた。
 ライディングについていたビーフステーキのランチもおいしかった。
 この前グリズリーを見つけたWedge Pond が近いのでもし足跡があればと思って行ってみた。着くと観光客が騒いでいる。「危険だ。グリズリーがいる。車に戻れ!!」と叫んでいる。少し離れた池の見えるところに車を止めて見下ろしたら、池の向こう側にグリズリーを発見した。どうやらこのあたりをテリトリーとしているらしい。やがてグリズリーは土手を登って道路の方へ向ったので、車を移動させて横断するのを待ち受けた。期待通りグリズリーはゆっくりと道路を横断し美しい全身を私たちに見せてくれて林の中に入っていった。グリズリーを見ているとき突然大きな音がし,振り返ると高い山の頂上付近から巨大ななだれが発生していた。ダイナミックな自然の営みを目にした一日であった。
 それに私はカナダでしか手に入れることのできないすばらしいコートを買った。冬の北海道で着るのが楽しみである。
 帰りにふと立ち寄ったところに碑があった。カナナスキスには第二次世界大戦の時、600人のドイツ人と55人の日系人が三重の鉄条網と機関銃で見張られた強制収容所があった。こんなことは戦争時どの国でもあったことであるが。それをカナダの退役軍人が守っていた。確かなことは分からないが碑はそのカナダ退役軍人のための碑であるらしい。
 帰ってからキャンモアのダウンタウンにある写真屋さんまで歩いて写真を貰いに行った。ゆっくり風景を楽しみながらの散策であったが往復2時間かかった。
5月18日
 すばらしい青空と朝の光である。早朝散歩に出た。ここはキャンモアのダウンタウンから少し離れた丘の上の町だ。空気がひんやりとして心地よい。しかし春。家々の前の花壇にはチューリップ、ポピー、パンジーその他名を知らない花が一斉に咲き始めた。近くの川へ出た。水がない。この川は6月の3週間だけ雪どけ水が流れるそうだ。その量がすごいのか大きな石がごろごろして如何にも暴れ川といった感じである。橋の上からスリーシスターズをはじめとする朝日に輝いている美しい山々が見えた。住宅街を通ると様々なつくりの家々が並びたくさんのキャンピングカーが止めてあった。さすがカナダである。
 キャンモアの町を挟んでスリーシスターズと対峙している山がMt.レディ・マクドナルドである。山の下に広がる樹林帯を散歩するつもりで駐車場に車を入れた。説明板に早春と晩秋に山塊の上を数千羽のゴールデンイーグルが飛んでいくとあった。また熊もクガーもいると出ていた。車の中からなら熊もクガーも見たい気がするが山道ではNo Thank you である。橋のところでは全く水のないカルガー・クリークに沿って少し上流に遡っていくと水音が聞こえ水の流れが見えた。
 川を離れ樹林帯の中に作られたトレイルに入る。急登につぐ急登で、しかも樹林帯を抜けると大きな石灰岩が累々と続いている。その間を縫うように登っていく。咲き始めた小さな高山の花に励まされながらもう少しもう少しと登っていく。
 やがて遥か向こうにMt.レディ・マクドナルドのピークとその直下にあるテラスが見えた。あそこまで頑張ろう。
 あえぎあえぎテラスに着いた。2300m。なんのことはない。散歩のつもりが登り4時間の登山になってしまった。
 目前にレディ・マクドナルドのサミットが見えた。そこに二人の青年がいた。彼らはボウ川から吹き上げてくる上昇気流を待っているとのこと。ハングライダーで3000mまで飛び上がるのだと。彼らこそ現代キャンモア青年のゴールデンイーグルである。下りるとき「Good fly」と叫んだら、彼らは大きく手を振って「thank you」と叫び返した。
 本物のイーグルには遅すぎ、熊にもクガーにもありがたいことに会わなかった。ナキウサギらしい声を聞いたが姿は見えなかった。今日はたくさんの登山者から「Have a nice day」と励ましの言葉をいただいた。
 眼下に小さくキャンモアの家々が見下ろせた。それは広い範囲に広がる美しい町であった。
 
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スパイラル・トンネルをゆく貨物列車
ナチュラル・ブリッジの奇観
ウクライナ人とドイツ人の強制収容所跡
エメラルド・レイクで念願のカヌーを
 
5月19日
 午後は晴れてきたが朝はたいへん曇っていた。それに昨日の疲れもあったので今日は休息日にすることにした。英会話のレッスンが終わってから、昨日山の上から見たキャンモアの町の大きさに驚いたので買い物の帰りにドライブした。町はずれのグラウンドの横で休んでいたらスクールバスが止まり高校生らしい男女が14人降りてきてグラウンドを一周し、思い思いにストレッジをした後プリスビーゲームをしていた。緑のきれいな芝生のグラウンドであった。午後はゆっくりと読書をして過ごした。
5月20日
 あいにくの雨であったが、もうカナダ滞在の日が残り少なく英会話のレッスンが終わってからヨーホー国立公園に行くことにした。
 ヨーホーの語源は先住民の「驚異・畏怖」を表す言葉。切り立った岩山やスケールの大きな滝を見てそんな風に感じたのでしょう。
 トランス・カナダ・ハイウェイは激しい雨であった。どうなることかと案じながらレイク・ルイーズ・ジャンクションから出た。モレイン・レイクへの道はまだ閉ざされたままだ。野生の神々しさと静寂の中に佇むモレイン・レイクの景色はカナダの20ドル紙幣の図案として採用されている絶景。湖尻には岩の堆積が自然の堤防となって湖を形作っており、これが名前の由来。しかし実際には岩壁が崩れたものが氷河で運ばれてできたものでモレインではないという。ここにも是非行きたかったが致し方ない。
 ついでにレイク・ルイーズに寄ってみた。前に来たときは氷に固く閉ざされていた湖も18日後の今日は湖の半分ほど氷が融けていた。帰国するまでに晴れた日にもう一度訪れ、湖の周りを散策し、小高いところからこの湖と氷河を眺めてみたい。
 何故ここで降りたかというと、キッキング・ホース峠を見たかったからである。この峠は北米大陸の分水嶺である。それは旧道にある。せせらぎが大陸分水嶺のプレートを挟んで東西に分かれて行き、東への流れはボウ川、サスカチュワン川、ハドソン湾から大西洋へ、西への流れはキッキング・ホース川、コロンビア川から太平洋へと下る。このせせらぎの水がやがては4500kmも隔たることになる。その最初のところを見たい。しかし旧道はまだ閉鎖されていた。止むなく1Aに戻る。
 こちらのキッキング・ホース峠はすぐだ。アルバータ&ブリティッシュ・コロンビアの州境でありGreat Dirided の標識があった。1858年にカナダ西部地域の開拓者ジェームズ・ヘクター郷がこの峠を通る時に郷を乗せた馬が氷に滑って転倒した。ヘクター郷は起き上がり手綱をとって再び馬に乗ろうとしたところ、馬に胸を蹴られて失神してしまった。同行の者たちは彼が死んだと思って穴を掘って埋めようとしたところ、郷は息を吹き返したという。この史実に基づいてキッキング・ホースという峠の名がついたそうだ。
 嬉しいことに峠を越えると雨はすっかり上がり薄日が射してきた。
 次の分岐点はオハラ湖への道。この道は一般車の通行が禁じられている。
 ワブタ・レイクの横を通り更に進むと、スパイラル・トンネルの展望台に着いた。ここからVIAの珍しい8の字型のトンネルが見えた。1884年に完成したカナダ横断鉄道VIAは急勾配のためコントロールを失った汽車が脱線する事故が何度も起きた。当時は15両の客車を上げるのに4両の蒸気機関車が必要だった。そこで考え出されたのがスパイラル・トンネルでレールをらせん状に敷いて山腹のトンネル内でループを描くよう設計され、これを2回繰り返して8の字型のトンネルが完成したのが1909年。ここを去り少し走るとこちらに向う列車と出くわした。Uターンして急いで戻り、おもしろい光景を目撃することができた。つまり長い列車がトンネルの1つの口から入ると山腹をぐるりと周り上にある他の出口から出てくる。さらに廻ってすぐ目の下のレールの上へ。即ち長い長い列車は展望台から見ると三重に走っているのが見えるのである。
 そこから程なくタカカウ滝へのヨーホー川に沿うヨーホー・バレー・ロードの山道である。その途中にキッキング・ホール川とヨーホー川の合流点があり、氷河の末端に溶けていた成分によってミルキー・カラーの濁ったヨーホー川の水と、上流に湖があるため氷河から流れ出た成分が沈澱してブルーのキッキング・ホース川の水とが真ん中ではっきりと分かれているらしい。また北米大陸第3位、カナダでは1番の落差410mを誇るタカカウ滝は途中に滝壺のような場所があって、水がそこでジャンプ台のように空中に跳ね上げられて豪快そのものだという。しかしここも極めて残念ながら閉鎖されていた。6月末まで開かないそうだ。山道の入口に険しい岩壁がそそり立っていて春から初夏にかけてマウンテン・ゴートがよく見られると説明板があったが、今日は見つからなかった。
 やがてこの山岳地帯で唯一の小さな町、フィールド。深い緑の森に溶け込んだ美しい町。この町の正面にある山がバージェス山でNHKの番組で有名になったカンブリア紀の化石バージェス・モンスターの「産地」。このあたりの山はバンフの石灰岩の灰色の山とは違いこげ茶色の山肌である。
 エメラルド・レークへはここから少し行ったところで道を右に分ける。また少し登ったところにナチュラル・ブリッジがあった。長年にわたって川床のライムストーンを削り続けたキッキング・ホース川が作り上げた自然のアーチ。実際には「橋」の中央は切れているが、人間が跨げるような感じで、その下を渦巻く奔流が流れていく様は全く躍動的である。人里離れたこの森林の中にまたもやウクライナ人とドイツ人の強制収容所跡を見つけた。ここにもカナダの歴史の一つを垣間見た思いがした。
 やがてエメラルド・レイク。長い木の橋を渡って行くロッジはこの湖を作ったモレインの上に建てられていた。この湖で私たちはカナディアン・カヌーを楽しんだ。北海道の天塩川で鍛えた腕である。静かな湖面でのんびりとパドルを操った。湖の水は「ああこれがエメラルドなんだ」と感激させる深い色であった。カナダでカヌーに乗るなんて思いがけない喜びであった。
 帰りにハイウェイを離れて7kmのサンシャイン・スキー場に入ってみた。驚いたことに入口に「いらっしゃいませ」と日本語で書いてあるのには恐れ入った。そしてゴンドラはまだ動いていて山上ではスキーやスノーボードを楽しんでいる客がいるらしくたくさんの車が止まっていた。あまり遠くないので(50kmくらい)また日を改めて来ることにした。
 さらに私たちが楽しみにしていたのはバッファロー・パドックだった。正しくはアメリカ・バイソンの保護区(サファリパーク)で車で回ってバイソンの群れを観察できるところ。夏だけということなのでビクトリアデーには開くだろうと期待していたが、野生動物、自然保護の観点から反対も強く閉鎖されたそうだ。そのパドックがハイウェイの傍らにあり、今回はここにたくさんのエルクが群れていた。
 あの激しかった雨も私たちの行く先では止み、なんとも幸運な一日であった。
 

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