泣き笑いそして感動のカナダ30日間滞在記 1

泣き笑いそして感動のカナダ30日間滞在記 1
  カナディアンロッキーの山々に抱かれて
 退職後モンゴル語を勉強してモンゴルでしばらく暮らしたいと言っていた夫が家族に猛反対され「それなら鎖国をする」と宣言した。それから6年。私や娘に「そろそろ開国したら・・・」と説得され、「カナダなら」「通り過ぎるツアー旅行でない」を条件に開国を決意。私はこの機を逃してはならじと早速カナダ滞在を決めた。かくして4月29日から5月29日の1ヶ月間カナダ滞在が実現した。
 滞在したのは、カナディアンロッキー山麓のバンフ国立公園入口の小さな町 キャンモアのB&B Monarch。Monarch(モナーク)とは、遥か5000km南のメキシコからカナダまで渡ってくる蝶の名前だとか。ここは名古屋出身の小川史高さんが営んでみえるB&B。奥さんのジョスリンさんはカナダの人。コーディ君(10歳)とニコラス君(7歳)の二人のお子さんがある。ただしご主人の小川さんは所用のため日本に帰国されていて滞在中一度もお目にかかることはできなかった。その分、ジョスリンさんや二人の子どもさんにはたいへんお世話になって、快適に過ごすことができた。
 
 


画像 上から
キャンモアの象徴 窓から見えるスリーシスターズ
神秘的なグラシィ・レイク
キャンモア・ノルディク・センター
ジョンストン・キャニオン Lower Falls
 
4月29日
 16:10 成田からUA852便でサンフランシスコへ(ここまで約9時間) 乗り換えて2時間30分でカルガリー空港に着いた。日本時間でいうと
AM4:30 現地時刻では日付変更線を越えているのでまだ29日15:30
 初めての海外旅行でもありUA852便はビジネスシートにした。自座席テレビがついていた。そのフライト地図によると日本時間PM11:30現在
 @ 目的地まで あと1:47
 A 予定着時刻 AM9:09
 B 総飛行距離(ここまで) 7366m
 C 高度 10972m
 D スピード 時速979km
 E 外気温 -52℃
 F 送り風 48m
 ジョスリンさんの出迎えを受け150km先のキャンモア 今日から1ヶ月滞在するB&B Monarchに着いた。18:30であった。
 早速ジョスリンさんに送ってもらいキャンモアのダウンタウンのスーパーへ。スーパーは驚きの連続であった。さすがアルバーター州である。肉や肉製品の豊富で安いのに驚いた。スーパーには日本人女性が二人働いていて、日本語で楽々買い物。
 夜9:30になっても窓から見えるキャンモアのシンボルであるスリーシスターズ山が神々しく白銀に輝いているのを見て、さすが北緯50度だと妙に納得した。それにしても、今後夜が短く睡眠不足に悩まされそうだ。
 カナダ第一印象 飛行機の中からロッキーの山々がまっ白に見えたが、それは上からの景色であって立体感はあまり感じられなかった。しかし車でキャンモアへ近づくにつれて次々に現れるロッキーの山々は今まで登った日本の山々とは全く違い、岩稜の連なりで、人間の直接的な悪業では破壊できそうもない頑強さをもっていた。
4月30日
 レンタカーを借りなければ行動できないことが即座にわかった。このことは予想でき国際免許も取ってきていたので、早速ジョスリンさんに交渉してもらいレンタカーを1ヶ月契約で借りた。なんとその車は総走行距離が2500kmの新車であった。
 すぐさまトランスカナダハイウェーを走りバンフ国立公園の拠点地であるバンフへ行った。22kmであった。最も賑やかな通りを散歩した。西部劇に出てくるような町であった。ちょうどスキーシーズンが終わり夏までのオフシーズン、しかも平日であったが、日本人(働いている人、住んでいる人)の多さに驚いた。川辺で馬車に乗った新婚さんを見かけた。これから春になり、白銀に輝く山々のもと、湖の氷が融け、町が花々で飾られるとバンフは一層その輝きを増すのであろう。
5月1日
 キャンモアで最も美しいといわれる神秘的なグラシィ・レイクへ登った。山から出る堆積物で湖は言葉で表せない不思議なエメラルドグリーンであった。その周辺の切り立った岩壁では若者たちがロッククライミングに熱中していた。帰途キャンモア・ノルディクセンターに立ち寄った。ここはカルガリー冬季オリンピック大会のクロスカントリースキーとバイアスロンの競技場であった。札幌オリンピックの北海道白旗山競技場とは比べものにならないすばらしいコースであった。私もこの雄大なロッキーの山々を背景にこのコースを滑ってみたいと思った。
 キャンモアのメーンストリートで一休みした。この町はたくさんの若者たちで賑わっていた。ロッキーの山々の豪華な写真集がたいへん安かったのには驚いた。早速手に入れた。そしてChef's スタジオ・ジャパンで日本食を食べた。
5月2日
 レイク・ルイーズへ行った。もとはエメラルド・レイクといわれたが、ビクトリア女王の娘の名をとってレイク・ルイーズと呼ばれるようになったという。湖の奥に聳える氷河を身に纏ったマウント・ビクトリアに日が射し、それが湖面に映るさまはロッキーで最も美しいといわれる。しかしまだ湖は固い氷に閉ざされ氷河だけが輝いていた。あの美しいビクトリアの氷河の一滴一滴が娘のレイク・ルイーズに集まり、ボウ川に注いで大西洋にまで流れるのかと思うと、自然の悠大さに胸を打たれた。
 帰路、バンフに立ち寄りサルファー・マウンテンのゴンドラで2300mの高さへ登った。これこそロッキーの山塊という山々が360度見渡せた。降りてきてアッパー・ホットスプリングへ入って楽しんだ。
5月3日
 ジョンストンキャニオンに入り、下の滝まで散策した。石灰岩の岩肌を膨大な量の水が削り、渓谷は200mの深さになっていた。滝は融雪期でたいへん水量が多く豪快であった。駐車場周辺は小鳥が多く、中でも巨大なクマゲラにそっくりの鳥にはびっくりした。後方にキャッスルマウンテンの勇姿が見られた。途中の林の中でリス、鹿、雄のエルクに出会ったが、エルクの大きさには全く肝をつぶした。
 バーミリオン・レイクからはマウントランドルが美しかった。レイク・ミネワンカへ行く途中、大きなエルクの群れがイングリス・マルデイの山を背にのんびりと草を食んでいた。トンネル・マウンテン・ドライブの駐車場展望台からはボウ川の蛇行が見渡せた。ここではマーモット(コロンビア・グラウンド・スクエリル)があちこちの土の穴から愛嬌のある顔を覗かせた。今日は一日動物三昧であった。 
画像 上から
氷が解け始めたミスタヤ・レイク
コロンビア大氷原 アサバスカ氷河
ラクストン博物館 インディアンの生活ジオラマ
北海道東川町とキャンモアの姉妹都市記念碑
 
5月4日
 今日は少し遠出になる。トランスカナダハイウェイを走っていると「熊横断中スピードダウン(70km)」の標識があった。途端にどの車もスピードを落す。急いであたりを見回すが勿論そう簡単に熊が見られるはずもない。
 87km地点でアイスフィルドパークウェイに入る。ここからは氷結した湖があちこちに点在している。ヘクターレイクも凍結していた。どんどん登り小さな峠を越えると山々の雪は深くなる。クロウフット氷河展望台の標識が見えるが、帰りに寄ることにした。
 ボウレイクは湖面が一面真っ白い雪で覆われていた。この氷河湖から流れ出る川がボウ川で南へ向いバンフから五大湖を流れ大西洋へと注ぐ。ボウ峠は2069m、分水嶺である。キャンモアからわずか130kmほど北上しただけであるが、標高が高くあたりは一面の雪原である。冬眠から覚めた熊がそのあたりを歩いていそうだ。
 ペイト・レイクの展望台は駐車場から5分と書いてあったので入ってみた。しかし100mも進むと深い雪に足がすっぽりと埋まり前進できないので諦めて引き返した。ペイト・レイクから流れ出る川はサスカチュワン川で北へ向う。
 ミスタヤ・レイクはわずかに融け出していた。マウント・シュフレンが美しかった。湖岸に下りて写真を撮った。つくしが出ていたのには驚いた。ここからは湿地帯が続いており花の季節はさぞきれいだろうと思った。ホウス川の展望台からの景色が最高と案内書にでていたが見過ごした。マウント・ウイルソンの展望台、マウント・アメリーとマウント・サスカチュワンの展望台、シラス・マウンテンの展望台と続くが先を急ぐせいもあって分からなかった。
 ウィーピングウォールは高い岩稜の絶壁から幾筋もの滝が流れ落ちていた。ブライダル・ベール滝はまだ上部が氷結していた。パーカーリッジの展望台も通り越した。そしてようやくコロンビアアイスフィールドに着いた。キャンモアから216kmであった。ここはジャスパー国立公園にあるコロンビア大氷原の中のアサバスカ氷河である。
 氷河は冬の降雪量が夏の雪解け量より多い場所に形成される。長い間積もった雪の圧力で雪が凝縮され密度の高い氷河状の氷に変形される。氷河はこの氷の集団で最低でも100mの厚みがあり重力で動く。そのため氷河は「氷の河」と呼ばれる。大氷原とは周囲にある土地の高度の方が高いためできた氷河状の氷の膜であり、そこから氷河が複数流れ出している。コロンビア大氷原もこのような「氷の湖」であり、コロンビア山(3745m)やアンドロメダ山、キッチナー山といった峰に囲まれ約200平方kmに広がり、コロンビアやキャッスルガード、ドーム、スタットフィールド、サスカチュワン、アサバスカ等6つの広大な氷河に注いでいる。特にここアサバスカ氷河は世界でも特に近づきやすい氷河である。
 このアサバスカ氷河を雪上車に乗り見学した。そこは正にSNOWではなくICEの世界であった。アンドロメダ山の氷河は限りなく透明に近いブルーに輝いていた。この氷河も次第に後退し1898年のラインは駐車場のはずれであり、地球温暖化で加速度的に後退しているという。雪上車観光もワン、ツー、スリーで乗客が一斉に天井を指差し空に何かいるよとゼスチャーし対向する雪上車の客を騙すゲームなど愉快で楽しいものであった。
 帰りは雪が降り出し、下ると雨になりで、帰りに寄ろうとしたクロウフット氷河展望台も通り過ぎてしまった。アイスフィルド・パークウェイは湖の連続であった。
5月5日
 朝起きると道路も一面の雪であった。車の上にも20cmほど積もっていた。雪の中をバンフまで行き、ロバート・ミッチャムとマリリンモンローの「帰らざる河」のいかだで下る場面の撮影が行われたボウ川にあるボウ滝を見に行った。滝は雪景色の中できれいだった。その後ラクストン博物館に行った。インディアンの生活の様子や狩りの模様を再現したジオラマや実物大のテントなどの展示があった。その芸術の質の高さに驚いた。バンフの街でランチとショッピングを楽しんだ。
5月6日
 カルガリーへ行った。(125km) トランスカナダハイウェイを走る。道は一直線にどこまでも続いており、両側に牧場が続く。馬、牛等が放牧してある。北海道では雪が融けるとすぐ緑の牧草が現れるが、ここカナダの牧場はまだ枯草一色である。
 空港を見てからレストランでランチを食べ、カルガリータワー(191m)の展望台からカルガリーの街を眺めた。緑の多い美しい街であった。タワーの下は駅であり、おそろしく長い貨物列車が止まっていた。日本では忘れられた光景であった。
5月7日
 早朝カルガリー空港まで行った。西の空にオレンジ色の丸い月が出ていた。下の方に広がるカルガリーの街の灯がきれいだ。こうして見ると大きな街だということがよくわかる。5時30分になると東の空が茜色に染まり、6時にはすっかり明るい日が射し始めた。帰途の7時を過ぎる頃になると気温が上昇してきたのだろう、道路はもやに包まれた。
 午後はボウ川に沿ったHIGACHIKAWA FRIEDSHIP TRAILを散策した。ビーバーが倒した木(ボウ川にはビーバーがたくさんいて倒した木で川の中に巣づくりをしているそうだ)、リス、メークパインという大きな白と黒の美しい鳥、エルクの群れ、鴨など多くの動物と出会った。動物といえばキャンモアは犬を連れて歩いている人がたいへん多い地である。
 「日本国北海道上川郡東川町とカナダ国アルバータ州ケンモア町の姉妹都市としての友好関係樹立を記念し、この自然散策路をひがしかわ友好の自然歩道と命名します」とのメモリアルプレートが立っていた。
 見るものすべてが珍しく、出会った土地の人にすばらしい?英語で聞くと、何とかわからせようと身振り手振りを交えて説明してくださったのには心から感謝した。
 
画像 上から
ボウ川に沿って走るカナダ・ナショナル鉄道
キャッスル・マウンテン下の強制収容所跡
バーミリオン・レイクスとマウント・ランドル
巣穴から頭を出したクマゲラ
フードゥーの土柱
 
5月8日
 トランス・カナダハイウェイでバンフから少し行ったところからボウバレイパークウェイに入った。Mt.Brettを望むビューポイントに立ち寄ったら、下にボウ川とその湿地帯が広がっており、ボウ川に沿ってカナダ・ナショナル鉄道の線路が延びていた。折りしも貨物列車が通りかかった。あまりの長さに数えてみたら94両もあった。さすが大陸ですごい輸送量だと思った。
 次のポイントでは大きな巣穴から首を出しているクマゲラを見つけた。北海道では見ることができなかった赤い頭の大きな鳥であり、嬉しさのあまり長い間見ていた。
 更に進むと1993年の広大な山火事の跡があり焼けた木がそのままにしてあった。日本なら始末してすぐ植林するところだろうが、自然のまま自然に返すというお国柄を思った。
 子ジカやリスがたくさんいた。ジョンストンキャニオンを歩いた。ここは8000年前に地殻変動があり亀裂ができたところへ氷河が流れ込んだ。この水が大地を削り取ってできた深い渓谷(最も深いところで200m)である。先日行った下滝Lower Fallsから更に1.6km上流の上滝Upper Fallsまで行った。渓谷の絶壁を縫うように進む遊歩道を登っていく道である。上滝は下滝より更に落差も水量も多く迫力があり、轟音があたりにこだましていた。女の子と話したら日本語は3つだけしか知らない。「こんにちは ありがとう さよなら」の3語ということだった。そう、この3つを知っていたらあたたかい気持ちは充分通じる重要な言葉だと思った。
 更にこの道を車で進むとキャッスルマウンテン(2862m)の威風堂々たる岩稜のすぐ下を通った。少し雲がかかっていたがカメラに収めた。しかしこの偉容と迫力は到底カメラに収まりきらない。
 更に行くと第一次世界大戦時、敵国人とされた人たちの抑留地がありモニュメントと花のリースが飾られていた。カナダにも残る歴史の一頁を見た想いがした。
 レイク・ルイーズ・バレッジからトランス・カナダハイウェイに戻った。ここでカナダに来て初めてハンドルを握った。左ハンドルにはキャンピングカーで慣れているが、道の右側を走るのはなんとなく落ち着かない。しかしハイウェイだからどの車も90〜100kmで走っている。その速さにはすぐ乗れた。なお猛スピードで走る車はなくマナーのよさに感心した。
 バンフに入る手前でバーミリオンレイクス湖岸に下りる。朝焼け空を鮮やかに湖面に映し出し朱色に染まることからバーミリオン(朱色)の名がついたという。マウント・ランドルが美しい。大きなエルクがいたし、湖面には大きなカナダガン(カナダの国鳥で1ドル硬貨の裏に描かれている)ものどかに浮かんでいた。
 バンフからトンネル・マウンテンへの道を進みフードゥーへ行った。トンネル・マウンテンの東側は険しい崖となってボウ川に落ち込んでいる。そこに侵食によって形作られた不思議な土柱フードゥーがあった。上から眺めるとどこまでも続く緑の樹海の中をボウ川が流れ、サルファー山の麓にバンフ・スプリングス・ホテルも見えていた。急な坂道をそろそろ下りフードゥーの土柱に触れてみた。ほんとうに不思議な物体であった。バンフに下りる坂からカスケード・マウンテン(2998m)の大きな山容が眼前に迫っていて、一筋の長い長い滝が流れ落ちていた。まさにロッキーの山である。
 この日は土曜日で、どこも多くの観光客で賑わっていた。キャンピングカーが何台も通っていった。たくさんの若い人と話をすることができ楽しかった。
5月9日
 朝から終日小雪の舞う一日だった。
 CANMOREのNordic Centreの近くを通りSmith-Dorrien/Spray TrailをSpray Lakesに向った。「あなたは熊の王国に入っている。安全は自分で守れ」の看板がある。いよいよ熊に会えるという期待感が高まる。雪のちらつく険しい地道の山岳道路である。しかし熊の姿はない。熊どころか一匹の動物も現れない。車も一台も通らない。
 やがてSpray Lakeに着く。あいにくの天候で見えるはずのスリーシスターズの山々も見えないし、湖もわずかに氷が融けはじめたところであった。ここから道路は地道ながら巾10m以上の広い立派な道となる。ロッジ・ポール・パインやスプルースの広大な原生林の中に開かれた一本の道である。人家はおろか車も殆ど通らないところに何故こんな道がと不思議に思った。夏になってもここへ観光客が入るとも思えないし、むろん産業道路でもない。突然山の方から黒い防寒着を着た人が2人現れた。一瞬「熊だ」と思った。人で残念だったというところだ。ビューポイントの標しはところどころにあり、その一つの小さな池に立ち寄ったら若者が2人釣りをしていた。「なだれ地域 停車禁止」の標識もあった。
 Spray Lakes Provincial ParkからPeter Lougheed Provincial Parkに入った。この道を延々と走る。鹿が飛び出した。50kmもあっただろうかこの道で車に会ったのはわずか5台であった。「人間がanimalだった頃」を思った。
 やがてHighway40に交わった。この道はここから南へはまだ閉鎖されていた。北上する。しばらく行くと突然ブラウン・ベアーが上がってきた。車を止めて見ていると、ゆっくりと道路を横断し道の反対側の山へと登っていった。何枚も何枚もシャッターを切った。今日は熊が見られただけでlucky。山岳ドライブに来たかいがあった。
 Kananaskisに入っている。道は舗装されていて快適である。牧場が広がっている。乗馬体験のできるところもある。自分の体重を考え、日本では馬がかわいそうだと諦めていた乗馬だが、カナダの人は大きい。ここでならできそうだ。いつか挑戦したいものだと思った。
 Barrier Lakeという美しい湖があった。それを過ぎてすぐカナナスキス川にカヌーポートがあった。覗いてみたらすばらしい川であった。カヌーにも是非乗りたいと思った。しかし残念ながらまだカヌーの季節には早すぎるようだ。
 今日は天候が悪く山々と湖の美しさは堪能できなかったが、待望の熊に出会って最高の喜びであった。
画像 上から
たいへん美しいメーク・パイン
ビックホーンシープの群れ
バンフ公園博物館 エルクの剥製
カスケード・ロック・ガーデンズからのバンフの町
 
5月10日
 この10日間で最も困難に感じた場面での会話をどう進めたらよいかジョスリンさんに相談し、今日から1日1時間ずつ英会話のレッスンを受けることにした。第1日めはhappyな気分であった。
 昨日とんでもなく車を汚してしまったので、セルフサービスの洗車の方法を教えてもらうためにジョスリンさんと共に外出した。給油も洗車もセルフが多いのでさすが車社会のカナダだと思った。
 デジタルカメラのメモリーカードが一杯になってしまった。これはなんとかしなければと思って町を注意深く探したらしてくれそうなところがあったので飛び込んだ。夫は「自分のことは自分でしろ」と笑っている。
    I am sorry,I can not speak English.
   No problem.
から始まって、必死になって意志を伝えたらようやく通じ、無事プリントとCDの作成に成功した。操作の仕方がわからなかったので、店のやさしそうな女の人に殆どしてもらったが、本来はすべて自分で機械を操作して注文するらしかった。カナダでは人の手を借りずに自分ですれば、ものごとがてっとりばやく進む社会だと感じた。それにしても汗を流しながら必死でカタコトの英語で話すおばさんの言葉を辛抱強く分かってくれようとした彼女には感謝感激であった。余談ながら、その後彼女とはすっかり仲良くなって、互いにしたことや出会った動物の話などをよくするようになった。窮すれば通ず。完全な英語で話そうと思ったり、恥ずかしがっていないで勇気を出すことだとつくづく思った。こんな機会を与えてくれた夫にも感謝。店を出るときの彼女の言葉 Have a nice day! が温かい。
 その後、ダウンタウンを散策した。歩いて分かったことだが、自動販売機は町の中に殆どなかった。気をつけてみると日本の社会との違いはたくさんあるに違いない。
 ボウ川の堤防を町はずれまで歩いた。ボウ川は川幅も広く、雪融けのためか水量もたいへん多くてすばらしい流れである。川の流れも堤防もゴミ一つなく美しくて気持ちのいい散歩道である。
 今日は観光ではなくまさに滞在しているという感じのする一日であった。
5月11日
 今日も雪。英会話のレッスンが終わってから、ネイティブの人たちのすばらしい工芸品を見たいと思って、1A(トランス・カナダの旧道)を通ってChief Chiniki Restaurant&Handicraft Centreへ行った。途中の道路脇で往きはビックホーン・シープの雌と子どもの群れに、帰途立派な角を持った雄の群れに出会った。まだ毛が抜け始めた頃で堂々たる姿であった。メーク・パインが背中に止まり、体についた虫などを食べていた。ハイウェイでない道を通ると動物とよく出会って楽しい。
 クラフト工房は残念ながら閉まっていた。そこでレストランに入った。正直言ってレストランでの食事が一番気を遣う。夫は
 I can not speak English,But I am hun'gry.
などと言っている。すると親切なネイティブの女の人が笑いながら言葉の不自由な私たちのことを理解してくれて楽しい食事ができた。ランチであったので伝統的な民族料理とはいかなかった。「おいしかったが食べきれない」といったら、パックを持ってきて「持ち帰ったらどうか」と言ってくれた。心温まる昼食で大いに満足した。
5月12日
 一日中雪のちらつく曇り空であった。
 英会話のレッスン。おかげで英語で話してみようという気になってきた。ジョスリンさんは身振り手振りを交えてゆっくり話してくださるのでよくわかり、ヒヤリングにも多少は慣れてきたような気がする。レッスンでは先ず私たちの外での珍問答を披露することから始める。そして3人で大笑いする。だからレッスンが楽しく待ち遠しい。カナダの滞在で私が最も心配したことは・・・空腹なら3時間でも5時間でも辛抱できる。しかし辛抱できないことがある。それをジョスリンさんに教えてもらった。つまり
  Where is a washroom?
この尋ね方さえわかればもうこちらのもの。何があっても怖くないと言ったら、ジョスリンさんは笑い転げていた。
 バンフに行った。先ずホワイト博物館へ。カナディアン・ロッキーをモチーフにした絵画、彫刻、写真などを通してバンフとその周辺の歴史が紹介されていた。山火事をテーマにした館、登山家たちが残した文献を展示する資料館がおもしろかった。驚いたのはこの博物館が所蔵する浮世絵など日本の美術品の絵はがきが売られていたことだった。自然史博物館も見たかったが閉まっていた。
 次にバンフ公園博物館へ行った。1903年建てられた建物自体が歴史記念物に指定されている博物館だ。剥製だけが陳列されているシンプルさ。しかしすごかった。バンフ国立公園内に生息する熊や鹿、鳥類など野生動物の剥製が所狭しと並んでいる。北へいくほど動物は大きくなるというが、カナダのエルク、バッファロー、ヘラ鹿、ビックホーンシープの巨大さには全くびっくりした。ボウ川の堤防を歩いていてビーバーに倒された木を何本も見たが、そのビーバーの実物の大きさにも驚いた。私は今まで見てきた鳥、獣類の名前を剥製や図鑑で調べた。
 近くのカスケード・ロック・ガーデンズはまだ花の季節には早かった。カスケード・マウンテンは頂上付近が雲に包まれていた。
 バンフの街を散策しあちこちの店を覗いた。大橋巨泉さんのOKギフトで少し早いがお土産を買った。夫はインディアン民芸店のキニキニックでナイフとドリーム・キャッチャーを買った。
 その後ケーブ&ベイスンへ行った。バンフは1883年の温泉発見を機に開発された山岳リゾートだが、その温泉の一つである。地下から湧き出した温泉が流れているところがあり、手をつけてみたがあまり温かくない。あらためて東北の温泉のすばらしさを思い知らされ、日本の国は火山国だと思った。ここからボウ川の河畔にかけての地域は温泉に温められた湿地となっていて、珍しい植生、魚、水鳥の観察コースになっている。期待して行ったが水鳥は全く見られず残念であった。
 帰りにマウント・ノーケイの山岳道路を登りリフト乗り場まで上がった。ここはスキー場として賑わう所だが、まだ雪はかなり残っているもののスキー場は閉鎖されていた。途中の道からバンフの街が小さく見え、ボウ川河畔に広大な湿地帯が広がっていた。 

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