旅はキャンピングカーに乗って  東北紀行 2
 キャンピングカーですれ違う。互いに連帯の合図を交わす。ゾクーとするこのキャンピングカーを愛する人にしか味わえぬ快感。互いにP泊した地で別れるときは再会を願って「生きていればまた会える機会が来ますよ。お元気で いい旅を」と。出会いと別れのキャンピングカーでの旅が大好きです。

旅はキャンピングカーに乗って
 東北を巡る旅 2


第8日 秋田駒ガ岳
 車で8合目まで行き、濃いガスの中を阿弥陀池を経て女目岳登頂。比較的楽に登れたが、時々ガスが晴れるだけ。ようやく下山の途中で視界が展け眼下に田沢湖が望めた。ガスの中を登ったがこの田沢湖を見ることができただけでもこの山に登った価値は充分であった。
 下山後きりたんぽセットを知人に送り、岩木山麓をめざして走る。紅葉が美しい。
 嶽温泉公共駐車場P泊。温泉はあすなろ荘で
 
第9日 白神山地へ 龍飛岬
 前回雪で断念した岩木山へ登るつもりで津軽岩木スカイラインを8合目まで行くが、濃霧のためまたもや登頂を断念。
 たわわに実るリンゴ畑の中を白神山地へ向かう。西目屋村に着き「暗門川」を第3の滝までさかのぼり、暗門ぶな林を2時間あまり散策する。雨であった。
 ここから日本海まで出ればサンタランド白神や日本キャニオン 十二湖 さらにずっと戻れば八郎潟もと望みは広がるばかりだが、この先は道も悪く雨のことでもあり諦める。
 その後鯵ケ沢を通り、ここで干しいかを焼いてもらって食べたが忘れられなく美味であった。そして龍飛岬に行く。青函連絡船に乗るたび「あれが龍飛岬北のはずれと・・・」と歌い、一度は訪れたいと願っていた地だ。薄暮のころ着いたが折りしも灯台のあかり、日本唯一 歩行者しか通れない国道 階段国道にもあかりが灯り幻想的であった。
 青函トンネル入り口のまち いまべつの道の駅でP泊
第10日 大間崎へ 
 陸奥湾を蟹田から脇野沢へフェリーで渡る。
 佐井から観光船に乗り「神のわざ 鬼の手づくり 仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり」(大町桂月)の仏ケ浦を訪れた。海の青さと岩の白さのコントラストが印象的であった。
 大間崎で「本州最北端大間崎到着証明書」をもらう。まぐろの突ん棒漁で有名な地にふさわしくまぐろ丼がたいへんおいしかった。
 尻尾崎へ行き寒立馬にも会いたかったが時間の関係で諦める。
 この夜は早掛レイクサイトオートキャンプ場に入る。利用は私たちの車1台だけであったが、炊事場にも煌々と灯り・・・
 
第11日 恐山へ 三内丸山遺跡へ 
 恐山へ行ったのはちょうど秋詣りで最も賑わう日であった。もっとおどろおどろしい所とのイメージをもっていたが好天のせいか意外に明るい霊山であった。荒涼たる景観の中たくさんの風車がまわる様は、はじめて目にする世界であった。土地の人にとって信仰の山を遠方から来たものが観光化してしまう恐ろしさを感じる。
 次に国内最大級の縄文時代の集落跡である三内丸山遺跡へ。縄文文化のすごさを感じる。
 夕食後酸ケ湯温泉千人風呂に行く。ものすごい賑わいである。湯気はもうもう 湯はまっ白。混浴であったが浸かってしまえば何かまうものかと飛び込む。夫らしき人を見つけて手を振っていたら、すぐそばで「誰に手を振っている!」との夫の声に仰天。
 その夜は萱野高原駐車場でP泊。夜中暴走する車に悩まされる。ここでのP泊は避けた方がよいのではないだろうか。
 
第12日 八甲田山
 八甲田山へ登ろうとしたのは10月13日。三連休の中日で紅葉も最盛期。青森ー八甲田連山ー十和田湖間のゴールドラインは渋滞。最悪の日であった。八甲田ロープウェイ駅へ午前7時に着き、並んで始発に乗る。素晴らしい天気。登るにしたがって岩木山がくっきりと美しく 厳かに浮かび、龍飛岬 下北半島を遥かに望み、青森市を眼下に見ながら赤倉岳・井戸岳へ登る。「これが人の少ない平日であったら、もっとゆとりをもって大岳まで歩けたのに」と思いつつロープウェイで下山。
 十和田湖を避け鹿角から八幡平へ入る。 夫が40年以上前 八幡平を登山した際に何度も泊ったふけの湯温泉に入る。まっ暗な中 満天の星を見ながらの露天風呂で旅の疲れが吹き飛んだ。その夜はアスピーテラインのふけの湯休憩所にP泊 2日後の10月15日から夜間通行は禁止と通知版があった。
 
第13日 八幡平 小岩井農場 花巻
 八幡平頂上駐車場へ車を入れ、2時間ほど歩く。県境の八幡平頂上付近には原生林と湿原に囲まれた48もの湖沼が点在している。この日は湿気の少ないガスが漂っていた。
 八甲田山から八幡平あたりの中腹の紅葉は全く見事の一言に尽きる。
 アスピーテラインを下る途中 松尾村で山賊まつりをしていたので寄って楽しむ。
 小岩井農場まきば園にも寄り、息子と娘に乳製品等をいろいろ送る。小岩井農場は、岩手県の家族や若者たちの行楽地らしく賑やかで、美しい花壇と芝生の上に岩手山がどっしりと聳えていた。挑戦意欲をそそる山であるが、噴火の恐れあり登山禁止とのこと。
 花巻宮沢賢治童話村へ。賢治の世界らしく色彩豊かで幻想的な館であった。時間があれば記念館にも行き、イギリス海岸も訪れて宮沢賢治の世界に浸りたかったし、石川啄木の渋民村にも行ってみたかったが、かねてより遠野物語の舞台に憧れていて今夜は遠野の民宿の予約もあり、早々に遠野に向かう。
 民宿「曲り家」は、その名の通り南部の典型的な民家である曲り家を民宿としたもので、いろりと山菜料理のもてなし 飾ってある調度品は、ざしきわらしの世界、日本人の心のふる里を感じさせる家族的雰囲気の民宿であった。夜半かなりの地震に驚かされる。三陸は地震の多い地域であるとのことで、朝 地震のことを話題にしたが、「ありましたね」とこともなげな返事。
 
第14日 遠野ふるさと村 厳美渓
 東北へ来てはじめてゆったりとした時間を持った。この日は三連休の翌日。遠野ふるさと村には客が少なかった。始めに入った大工どんの曲り家で三人のお年寄りから「どこから来たか」と聞かれ「伊勢の松阪から」と。とたんに「ええ!伊勢?」「上がってお茶さ飲め」「餅食べろ」「りんご食べろ」と大歓待を受け炉辺で話し込んだ。夫は4年間仙台に住んでいたから東北弁が少しは分かる。話の途中私が夫の顔を見るたびに通訳。それを見て「わがんねえか」と大笑いしながらますます東北弁で話し、説明も。別の曲り家では85歳の語り部のおじいさんが夫と私二人のために遠野民話「おしらさま」を語ってくださった。帰りに三人のお年寄りから「これ食べながら旅さしろ」と柿をいただいた。人の心のあたたかさをしみじみと感じ「感あまりて即ち涙ぞ流しける」の心地であった。早池峰山がその美しい姿を見せていた。
 夫が「おもしろい所へ連れてやろう」と厳美渓へ。谷の上に架けられたケーブルによって対岸の店から団子の入った竹かごが滑り降りてきた。不思議なことにお茶が一滴もこぼれない。「ヒェー!なあにこれ!!」思わず拍手喝采。
 その日は栗駒高原オートキャンプ場に入る。温泉つきのキャンプ場だ。夜半風雨をさえぎる樹木もないサイトでものすごい雨と雷。忘れられない一夜となった。
 
第15日 栗駒山へ 鳴子温泉
 天候は回復するとのことであったので、いわかがみ平より栗駒山へ。ところが山頂が近づくにつれ、日本海側よりふきつける強い風と雨に閉口する。しかし登山路はよく整備され、なだらかで、天候さえよければトレッキングには最高の山だ。下りてきた栗駒高原の紅葉もまた素晴らしい。
 温泉づいた私は銀山温泉に行きたかったが、天候の回復を待ち遅れてしまったので、近くの温泉を探すことにした。
 鬼首吹上温泉の間歇泉に近い一軒宿峯雲閣に電話するが満室とのこと。平日とはいえ行楽シーズン、予定のたたぬ旅では無理らしい。
 鳴子温泉の老舗 ゆさやに頼み込む。ここはよき時代の温泉情緒を今に残す地であり、ゆさやの「うなぎ湯」に入ると、どこもかしこもつるつるになった感じがした。うーん、満足! 名古屋大学山岳部OBの男性と登山について語りあった。
 
第16日 山寺(立石寺) 蔵王熊野岳
 私が組んだ旅先に立石寺をはじめから入れていたが、芭蕉は「山形領に立石寺と云山寺あり。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て尾花沢よりとって返し、其間七里ばかり也」と予定外に往復およそ56km程歩いて山寺へ。その結果「岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ」であった。境内に芭蕉と曽良の像、句碑があったが、私にとって印象的だったのは蝉塚であった。安永年間に蓑笠庵梨一によって書かれた「おくのほそ道」の注釈書「奥細道菅菰抄」によると「いにし年ならん、最上林崎駅の壺中という俳人、此山中に翁の塚を築き 短冊を埋て、蝉塚と名づく」とある。「殊に清閑の地也」の山寺も観光客であふれていた。
 週末までは晴天が続かぬとのこと、安達太良を是非好天でと芭蕉記念館へ行くのを省略する。
 蔵王の最高峰熊野岳へは、お釜を右に見ながら登った。山頂に観光百選第1位碑 斎藤茂吉歌碑などがあった。夕刻だったので人影少なく、雲海の上遠くに朝日連峰の主峰大朝日岳の端正な姿を見た。
 秘湯蛾々温泉で宿をとろうと電話したが満室。晴天は明日で終わるとの予報で、最後の山 安達太良の登山口駐車場まで強行軍してP泊。富士急ハイランドホテルの温泉に入れてもらう。
 
第17日 安達太良山
 智恵子の見たいという「ほんとうの空」を私も見たいと憧れていた。この日快晴。ロープウェイを降りるとそこはもう薬師岳山頂。そこに「この上の空がほんとの空です」との標柱があり、空はぬけるようなスカイブルー。これだけでも大満足。
 長いアプローチの末、安達太良山山頂へ。夫は44年ぶりのこの山をしきりに懐かしがり、ロープウェイもない時代の登山の話をしてくれた。車道がどんどん高所までのびて、ロープウェイやリフトがかかり、体力の劣えた私にとっては幸いだが、果たしてほんとうに登山を楽しむ人にとってはどうなのだろう。軽装の登山者を見ると考えさせられる。
 登山者の多くはこの山頂から引き返したが、私たちは更にお釜まで進むことにした。安達太良のお釜は圧巻。まっ白な岩肌とその広い広い火口に息をのむ。「自然が文学を模倣する」という言葉があるが、安達太良は「智恵子抄」以上のものであった。長い旅の最後を飾る山にふさわしい安達太良山を私は忘れないだろう。
 下山後、秘湯である新野地温泉相模屋の露天風呂で疲れを癒す。
 最後の泊を磐梯高原休暇村のオートキャンプ場でと考えたが、ないとのこと。止むなくその近くの駐車場でP泊。
 
第18日 さようなら みちのく!
 裏磐梯から松阪へ720km
ひたすら走りに走った。
 
 I will cherish my visit here in memory , as long as I live .
  この地を訪れたことを思い出として大切にするでしょう。私が生きているかぎり。
              (ローマの休日より)

戻る