北の大地 冬道東
 このページは2002年冬道東で2ケ月を過ごした記録です。

私の愛する北の大地
冬の道東 点描
 名古屋から釧路までは飛行機でわずか1時間半である。しかし友人たちのいるなつかしい道東にいくのに2年近くかかった。
 2002年の今年の道東は暖冬で驚いたことに摩周湖は結氷していなかった。が私のホームグランドの屈斜路湖畔はときにはマイナス27度を記録することもあり冬の魅力に満ちあふれていた。
 私はこの屈斜路湖畔を拠点にして友人との生活や道東のアウトドアを楽しんだ。


道東の冬は野生動物の世界である。中でも圧巻はオオワシ・オジロワシであった。2月末羅臼港からアルラン3世号で流氷の海へ。その日は快晴で波もおだやか。流氷の上には数えきれないほどのオオワシ・オジロワシの群れ。こんなチャンスは珍しいとのことであったが、そのすばらしさに圧倒された。
 数の多さという点では、風蓮湖砂州のエゾシカの群れもすごい。青い海をバックに潅木の間や草地に無数に群れているエゾシカは幻想的である。
 北海道の冬といえば丹頂ヅル白鳥。飛翔する姿が優雅である。画像は鶴見台の鶴と風のない日は毎日のように見た屈斜路湖夕景の中の白鳥である。 
 珍しい鳥も見ることができた。下の画像は養老牛で見た特別天然記念物のシマフクロウと夕刻美幌峠を降りたところで偶然見つけたエゾフクロウ。  
 借りていたコテージの餌場にはエゾリス、カケス、赤ゲラ、大赤ゲラ、山ゲラ、コゲラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、ハシブトガラ、シメ、ウソ、シマエナガ、アトリ、マヒワ等々が毎日のように訪れてきた。いつもお世話になっている方にお聞きしたら「赤ゲラのことを赤フンドシと言う」と聞いて「なるほど」と妙に感心。
 歩くスキー(クロスカントリースキー)も堪能した。
 2年前の冬、札幌定山渓の三笠スキー場で指導員の方に手ほどきをしていただいたり、滝野すずらん公園や真駒内で講習を受けた。この年は札幌中島公園、北広島のコース、野付半島の砂州、サロマ湖の丘から流氷の海へ。弟子屈桜ケ丘公園などで楽しんだ後、旭川の国際バーサースキー大会8キロコースに挑戦した。
 2002年の今年は、全面結氷の屈斜路湖を砂湯から中島まで往復6キロをスキーで御神渡り観察会という川湯のエコミュージアムの行事に参加したり(画像中左)、知床自然センターの知床歩くスキー雪上ハイキングを楽しんだ(画像中右)。
 また、サロマ湖ではスノーモービルに乗り、秘湖チミケップの氷上をスキーでまわり、ワカサギ釣りにも初挑戦。
 弟子屈町の人たちと川湯硫黄山の隣のサワンチサップへかんじき登山(画像下左)。エゾアカマツの林を通って人跡まれな山へ。山頂は見事なダケカンバの林であった。思い出に残る山になった。
 歩くスキー大会への参加のためにコタン山のふもとのパウダースノーの斜面で繰り返し練習をした。屈斜路湖を見下ろす斜面はほんとうに気分爽快。仕上げは旭川国際バーサースキー大会。2002年の今年は8キロコースに。望めるはずだった大雪山の山々は雲の中であったが雄大なコースに大満足。(画像下右)
 
 
道東に心ひかれるのは、たくさんの友人にあえるからである。
 友人はアイヌの人たち。アイヌとは人間という意味で「神とともに、自然とともに生きてきた」人たちで、誠にホスピタリティに富んだ人たちである。前回と今回5ケ月間ほとんど毎日この人たちと話し過ごした。ここで知りあった忘れがたい人たちは、私にとって宝であり、真の友人となった。
 今年もなつかしい人々とあい、刺繍を教えていただいたり、アイヌの人たちの料理を一緒に作りいただいたりした。またアイヌ語教室に参加したり、踊ったりもした。
 画像はこの友人たちの手づくりの品々を置いているのが川湯温泉と屈斜路コタンにある手づくりの店イカラカラというお店。イカラカラは小さいが内容が充実した素晴らしい店です。ぜひお立ち寄りをお勧めします。
 私の織った松阪木綿にアイヌ紋様(イカラカラ)を刺繍したテーブルセンターハンテン
 アイヌ料理は、プクサご飯、レタシケ、イモチョッケ、シト、ユック、ルイベ、キトビロ、しばれいも、ふきのいためもの、きのこの醤油づけ等々である。
 
 下の画像はタマサイと漆塗りの行器(ほかい・シントコ)である。いずれもアイヌの人たちがおもに交易によって手にいれ大切にした生活用具である。私はこの女性の装身具であるタマサイを作りたいと思った。そこで「かしはらリサイクル館」で開かれたバーナーワーク・トンボ玉製作講座に参加させてもらった。トンボ玉製作の第一人者といわれる増井敏雅先生に2003年1月から3月にかけて10回にわたり教えていただいた。しかしながらこれはなかなか奥深いものがあり、現在は家で製作に取り組んでいるが、機会を見つけてまた教えを乞いたい思っている。

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