北の大地 登山

私の愛する北の大地
登 山
 四季折々の山に時間を見つけて登った。
 北の大地の山々は驚くほど活火山が多く豪快な溶岩ドームを持ち魅力的であった。
 5月中旬残雪深い五色温泉からアイゼン、スパッツに身を固めニセコアンヌプリに登った。頂上に立つと対峙する後方羊蹄山がアイヌの人達の霊山にふさわしい勇姿で望まれた。周辺のイワオヌプリ、ニトヌプリ、チセヌプリ等へ登り、大谷地、神仙沼にも幾度となく足を運んだ。
 十勝連山の景観が好きで望岳台へは何度も訪れた。そして遂に十勝岳に登頂。ラッキーなことに登山家の岩崎元郎氏に会い話をした。
 6月はじめシマリスと戯れつつ樽前山に登る。山頂より見る溶岩ドームはすごい迫力であった。その後まもなく噴火の危険のため登山禁止となった。
 駒ケ岳に登ろうと出掛けたが登山禁止であった。目的を恵山に変える。足元から立ち上がる噴煙をさけつつ頂上に立ったら溶岩ドームの上であった。アイヌの歌人偉星北斗の「ホロベツの浜のハマナシ咲き匂いエサンの山の遠くかすめる」の短歌を思い出した。
 6月末 4ケ月間その山容を見て暮らすことになる後方羊蹄山に挑戦した。やっとたどり着いた頂上はときどきガスがかかったもののその巨大な火口周辺を回った。そこここに咲くキンバイ、エゾノツガザクラ、コケモモ等々が静かに迎えてくれた。
 暑寒別岳の雨竜沼湿原も忘れ難い。見渡す限り広がる台地は百数十の池塘からなる高層湿原で花の楽園であった。
 9月に屈斜路湖畔の周辺をあちこち歩いた。美幌峠からの湖も美しいが神話の藻琴山山頂からの屈斜路湖も格別であった。
 10月中旬 真っ赤な紅葉のパノラマショーの層雲峡から大雪山黒岳に登った。折悪しくもリフトはスキー用との取替えのため運休中。自分の足で登るのはなんとも疲れが倍加したが、平山の紅葉に励まされて登った。黒岳山頂はうっすらと雪化粧をしていた。次回は紅葉の旭岳に登りたいと思っている。


天然記念物の溶岩ドームを持つ樽前山
 私が住んでいる三重県には活火山がない。だから活火山には不思議な魅力を感じる。樽前山は天然記念物の巨大な溶岩ドームで迎えてくれた。
アイヌ語で家の形をした山チセヌプリ
 ニセコ積丹小樽海岸国定公園内にある山々は根曲がり竹の宝庫。チセヌプリ山麓に駐車している車のフロントガラスに「山菜採りより命が大切」の張り紙がしてあった。
羊蹄山の登山口
 百名山の後方羊蹄山の登山路には水がない。小川もない。膨大な量の雪融けの水はすべてがしみ込む。そして山麓のいたるところから噴出している。山頂の火口には長年月にわたって作られた不思議な模様があり、強風の中で可憐な高山植物が咲き乱れていた。
ニセコのニトヌプリ
 イワオヌプリとニトヌプリを結ぶ登山路は花に包まれた道だった。たくさんの高校生にも会った。「どこへ行くの?」 「大谷地へ行きます」 「大谷地に珍しい花は咲いてない?」 「フサスギナと言う天然記念物の植物がありますよ」 高校生に教えてもらって私たちもフサスギナを見た。山麓には温泉がたくさんあった。
四季折々に花が咲き乱れる神仙沼
 ボーイスカウト発展に力を尽くされた人が見つけた神仙沼。面積は広くないが花の種類の多い静かな沼であった。
 
恵山
 「駒ケ岳に登ろう」と出かけ情報を得るために森町に住んでみえる夫の東北大学時代からの親友の家に寄ったら「おい、駒ケ岳は登山禁止だぜ」と。急遽変更して恵山へ。
 海から突き出た恵山からは津軽海峡を隔てた向こうに下北半島がくっきり見えた。
羊蹄山に対峙するスキーのメッカ ニセコアンヌプリ
 ニセコアンヌプリはスキーのメッカだけあって豪雪の山。この山の登山はスパッツをつけアイゼンをはいての楽しさだった。八ヶ岳連峰、中央アルプス、立山等で春山登山を楽しんできた私たちには格好の山だった。
暑寒別岳の中腹に広がる雨竜沼湿原
 雨竜沼湿原へ登って行ったのは大雨の翌日だった。人は少なく花は瑞々しく湿原にふさわしく水はたっぷり。「これが北海道の高層湿原かぁ」と至福の一日だった。
望岳台から見る十勝岳連山
 山頂近くで噴煙をあげていた。下山して着替えたらそこへNHKテレビの「中高年の登山学」の岩崎さんが生徒を連れて下山してみえた。思わず駆け寄って一緒に写真を。思い出の望岳台。安政火口で見た獲物をくわえたキタキツネは観光地で見るオネダリキツネにはない野性味があった。
 
 
初冠雪の大雪山黒岳
 「黒岳が初冠雪」と聞いて登りに行った。あいにくリフトが冬季への準備で運休。ガックリ。台湾の若い女性も登っていた。知っている英単語を並べて話をした。カムイミンタラは薄化粧をしていた。
層雲峡の豪華絢爛たる紅葉
 層雲峡の紅葉は強烈だった。道南の紅葉の黄色に比べると「真っ赤」の印象。それが何キロも続いていた。「ダイナミック」のことばにふさわしい紅葉だった。
4ケ月間毎日眺めた後方羊蹄山
 深田久弥が「整正な山容はどこから眺めても形を崩さない」と称えた後方羊蹄山は古来から蝦夷富士と呼ばれアイヌ民族の聖山だ。この頂を見るたびに「あの頂上に登った」との満足感を抱く。また深田久弥は「幕末の偉い蝦夷探険家として松浦武四郎の名を忘れてはなるまい」と書いている。松浦武四郎を敬愛する私にとって後方羊蹄山は聖なる山に相応しい荘厳さを持つもっとも美しい山である。深田久弥が後方羊蹄山に登るために9月2日早朝に降り立った「ひらふ駅」は今も「貧弱な停車場」だった。
 

戻る