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コラム

ボク(院長)が思いついたことを書いていきます。
新年度に思う
春の気配を感じてから早一ヶ月。
確かに春を感じる暖かい日はありました。
しかし、奈良のお水取りの終わった日に雪が降り、彼岸までのはずの寒さもまたぶり返しています。
「やっぱりな」というところでしょうか。
異常気象に慣れてきていますので厳寒のこの冬が素直に春に替わってくれるとは思っていませんでした。
こんなことは珍しいのでしょうか?
珍しいながらもちゃんと名前がついていました。
『花冷え』
桜の頃の冷え込みを言うのだと、これも以前に母から聞いた記憶があります。
 
少し前の予想では今年の桜は開花が早いということでした。
ところがこの寒波。膨らみかけた蕾が「危ない危ない」とばかりにじっと耐えています。
桜が日本人に好まれるのは、ぱっと咲いてぱっと散る、その儚(はかな)さ、潔(いさぎよ)さだと言われています。
開花中に寒くなると開花しながら葉が出て綺麗でなくなったりします。
でも花見の期間は長くなりますから一杯好きの呑んべえには嬉しいことですね。彼等は桜も紅葉も花火も最初だけで観ていませんからね。
何か口実があれば炭をおこして肉を焼いて酒が飲めればよし、と。(当院のスタッフにも約一名います)
 
もうすぐ学校では入学式があります。
入学式に桜はとても似合います。
当初の予想では、とても入学式シーズンまではもたないだろうと言われていた今年の桜は、ちょうどいい開花ぐあいになるのではないでしょうか。
事業所では新年度です。
異動や新入社員や退職者でこの時期どこの職場も対応に追われます。
ウチにも変化がありました。人の入れ替わりは活気が出るという効果もありますが、長く勤めてくれていたスタッフがいなくなるのは寂しいことです。色んな事情がありますから本人が幸せになるのならと送り出すしかないのですけど…。
 
新年度だからということではないのですが2年に一度の診療報酬の改定が行われ今日から改定後の決まりで診療を行うことになりました。
このご時世ですからマイナス改定は覚悟していました。しかし今回の改正は点数が下がっただけでなく情報公開と証拠主義の為に医療機関に膨大な事務処理を押し付けました。何かにつけて書類を渡して写しを保存です。ひどいものになると患者さんの同意を得た証拠に自筆で署名してもらって計画を立てるなどというものも出来ました。
領収書は治療の内容が判るものを交付しなければなりません。
歯医者はここまで信用されていないんですね。
医療費抑制や不正対策は必要なことではあるのでしょうが現場では死活問題です。
先日、今回の改正の説明会に行きました。
説明を受けるたびにあちことから溜息や怒りの声が聞こえてきました。
「これはもう歯医者をやめろと言ってるようなもんやなあ」と年配の先生が口々につぶやいていました。
日本歯科医師会の前会長らによる1億円の献金問題の影響で歯医者側は改正に関して言いなりだったそうです。
 
今回の改正に関しては業界全体の問題ですのでこんな時代だと受け止めるしかありません。
幸いウチは本院分院ともカルテコンピュータも導入済みでしたのでソフトで対応できましたが手書きレセプトの医院は大変です。
医療機関は儲けすぎと一般には映ります。確かに一昔前は良かったのかもしれませんがボクが開業した頃は「昔はよかったけどね」と既に言われていました。
今でも長者番付には医者がわんさか。医科は今でもいいのかな?(などど…)
歯医者ではほとんど載りませんし流行っているところはそれなりの経営努力をしているところです。
これから莫大な借金をして歯科医院を開設しようとする人は少なくなるでしょうね。
リスクが高すぎます。現に近年開業したこの地域の先生方はほとんどが苦戦をしいられていると聞きました。
ウチもまだまだ借金がたくさん残っています。
 
さて今回は珍しくシリアスなコラム展開になってきました。
このままではオチがないので少し悪ふざけを…。
今回の改正を機に宣言します。
あと5年で借金が無くなればセミリタイヤなどと言っていましたが、そんなに待ってられません。
『今年一杯で歯医者はやめてプロレスラーになる!』
(4月1日ということで悪しからず)
 
 
 
 
 
 
更新日時:
2006/04/01
春よ来い♪
あっと言う間にもう3月です。
1月は「行く」2月は「逃げる」3月は「去る」と言いますから今月も早いのでしょうね。
年末は昔から忙しかったようで『師走』などと呼ばれています。その頃は「年度末」などというものは存在しなかったと思われますので3月の慌しさを表わす「昔ながらの言葉」を聞きませんね。
 
今日は県内では公立高校の卒業式です。4月から新年度という区切りは日本の四季を考えてもうまく出来ているなと感心します。
3月に卒業するので新入社員もそれに合わせて4月入社です。退職や人員配備のための部署の移動もそれに合わせます。
そうなると決算期も合わせた方がいい場合も多く、社会全体が連動します。
 
さて『四季』についてのお話です。
真夏の暑さが嫌いという人も多いのですがボクは夏が大好きです。アウトドアのレジャーが好きなので海に山に飛び回ります。
それと学生生活が長かったので[夏=休み]と刷り込まれているのもあるかもしれません。
最近ちょっと花粉症気味なので困りますが春も好きです。これは後で詳しく述べます。
秋も好きです。大好きな夏が過ぎた物悲しさはありますが紅葉や果物、行楽日和などで紛れます。
しかし好きな季節は大抵短いのです。
暦の上では3ヶ月毎に分けられていますが実際にはどうでしょう。
四季にはない梅雨という厄介な時期もあります。
ボクの感覚では春は4,5月。梅雨が6,7月。夏は(7月後半と)8月。秋は9,10月。冬が11,12,1,2,3月です。
「春夏秋冬」ではなくて「春・梅雨・夏・秋・冬冬冬」という感覚です。
現在のように冷暖房の完備した社会では暑いから寒いからと言って季節の好き嫌いが決まるわけではありません。
前述の花粉症もそうですし、虫が嫌いだから夏が嫌という人も我が家にいます。
ウインタースポーツが好きな人は冬が待ち遠しいでしょうし。まあ冬というより雪が好きなのかもしれませんが。
 
一般的に冬はあまり好まれません。
春は大抵好まれます。
桜や青葉や草花はいいものですね。嫌な冬が終わったのも一因でしょう。
物事がうまくいき始めると「春が来た」と言います。反対に経済などでも悪い時を「冬の時代の到来」などと言います。
この地域は滅多に雪も積もらず冬が厳しい地方に比べると大したことはないのですが春の訪れは嬉しく、少しずつ春が近づく気配でさえ楽しんでいます。
2月は寒い月です。今年はいつもに増してよく冷えましたが暖かい日もありました。
「2月は日差しに少し力が出る。天気のいい日は暖かいから嬉しい」これは母の得意の台詞です。この言葉はボクにとってたいへんありがたく、2月を乗り切るのに役立ちます。
そして3月です。『三寒四温』を『奈良のお水取り』まで重ねます。そうなると『暑さ寒さも彼岸まで』、さらには『桜便り』と確実に春を感じ取れます。
今日、本院の裏の竹薮からウグイスの鳴き声が聞こえてきました。
「ホーホケキョ♪」
「は〜るよ来い♪」
 
 
 
更新日時:
2006/03/01
インフルエンザ予防の裏技?
先日のNHK『ためしてガッテン』でインフルエンザを取り上げていました。
ボクはインフルエンザと診断されたことはないのですが数年前に40℃の高熱が出たことはあるのでかかっていたのだと思います。
 
家族は毎年予防接種をしているらしいのですがボクは先シーズンが初めて。それもたまたま実家に来た内科医の従弟をつかまえて「ついでに」とやってもらったもの。今年も狙っていたのですが先月のコラムのとおりで会えませんでした。
 
今期は長女と末っ子が先月前半にかかりました。早期発見とタミフル様のおかげで普通の風邪並に経過しました。家内が「いつもたいしたことがない」との理由で末っ子を食堂兼リビングに寝かせていたのでボクが「逆隔離」「家庭内避難」と部屋にこもるはめに。長女にうつってようやく隔離政策を取ってくれた我が家の官房長官ですがボクだけは念入りに「引きこもり」を続けました。
 
幸い家庭内ではそれ以来発症者は出ていません。
スタッフも例年誰かが発症します。
手洗いウガイを励行してはいますがなにぶん多くの人と接する仕事。保菌者がいないはずもなく、その口の中の治療をする訳です。エアータービンで唾液もきっと撒き上がって顔に付きます。マスクはしていますが呼吸していますからね。
今は女医の松井先生がインフルエンザでお休みしています。40℃の熱が出ているそうです。
風邪も何人かひいていますが無理して出てきています。インフルエンザならうつることを考慮して休むスタッフですが風邪だと休めと言ってもなかなか聞いてくれない頑固者ばかり。(責任感が強く思いやりのある人達なので残りのスタッフに迷惑がかかると頑張ってくれているというのが本当のところです)
 
そんな「歯科医院の天敵」とも言うべきインフルエンザを特集するというので普段は格闘技以外はあまり見ないテレビですが早々にスタンバイ。(しっかり覚えてスタッフに教えてやろうっと、そうだ家族には直接覚えさそう…)家内を呼び、ゲームをしている子供たちも集合させました。
予告や冒頭の興味付けで『インフルエンザの誤解』や『タミフルについて』などをテロップしていましたが、最も興味があったのは手洗いウガイ以外に『意外に知られていない…インフルエンザの発症を10分の1に抑える裏技』というものでした。
クシャミのスロー映像を見て「汚なあ〜」などと喜んでいるうちは良かったのですが子供たちは徐々に飽きてきます。こちらも大体知っていることばかりだったので「知ってるって〜」などと言いながら裏技を待ちました。
興味付けは民放と同様ですがCM前にチャンネルを変えさせないための「大事な場面」を持ってこないだけNHKはありがたい。「普通ならここでCMやなあ」などと何回か言って待ちに待った裏技が登場したのは番組の最後。
 
「待ってました」ともう一度子供たちを呼び寄せ注目。すると…
ある老人施設でインフルエンザの発症が少ないとのこと。(ふむふむ)
TV:「実はこの施設では歯科衛生士による口腔内清掃に取り組んでいるのです!」
家族一同:「…」(皆がボクの顔を見る)
ボク:「こ、これだけ?」
あっけに取られるボクや家内と迷惑そうな子供たちを残して番組は終了しました。(当然我が家も口腔ケアは熱心に取り組んでいます。いちおう父:歯科医師、母:歯科衛生士ですから…)
 
ボクや家族が期待していた裏技は得られませんでしたが歯科医院にはいい情報でした。
今日は早速患者さんに聞いてみました。虫歯治療ではなく口腔ケアのメンテナンスで毎月来院される患者さんです。
この方はけっこう発症していたのが今期はかかっていないとのことでした。
放送の話をすると「昨年からここに通っているからかしら?」と喜んでくれました。
本当なら素晴らしいことですよね。メデタシ、メデタシ。
 
 
 
更新日時:
2006/02/03
忘れられない元旦
新しい年が始まってもう20日が過ぎました。
新年のコラムといえば今年の抱負や意気込みを書くものなのでしょうが今回はちょっと違います。
 
元日の未明、かねてから癌闘病中だった同級生が逝ってしまいました。
生前こそ照れくさくてお互い言えませんでしたが親友でした。
 
中学高校と同じでしたが会うと喧嘩ばかり。
ところが高校を卒業してお互い独り暮らしになると訪ねあって泊り込む仲に。離れていましたので「泊まる」と言うより「転がり込む」という感じで2〜3週間同居したりしていました。
就職してお互い家庭を持ってからはさすがに泊まることはなくなりましたが卓を囲んだりと顔を合わせていました。
 
3年前に癌が判り手術をした後は順調だったのですが昨年再発し抗癌治療を続けていました。
会うたびに痩せていきましたが抗癌治療のせいだと思っていました。
 
12月の半ばに「かなり悪そう」との知らせで見舞いに行くと、口調は元気でしたが衰弱しているのは明らか。
その時初めて「もう治らないかも」との思いがよぎりました。
後で知りましたが、この時すでに奥さんと実弟は期限を聞かされていたそうです。
むくんだ脚を揉んでみると「楽になる」とのこと。本人に気づかれてはいけないとこらえていた涙が溢れてきました。何とかごまかして後ろに回り背中をさすりながら泣きました。
 
それからは暇を見つけては脚揉みに病院通い。
普段から良く集まる友人も「ローテーション表を作ろう」などと言って順番に脚揉みに通いました。
 
29日、年末の本院の大掃除の後、脚揉みに病室に行くと実弟が付き添っていましたが、これまた疲労感でいっぱい。聞くと昨夜病状が悪化して無意識で苦しんで暴れたとのこと。
疲れきった実弟を休ませるべく帰宅させ一晩付き添うことに。
 
少し眠っては腰の痛みで苦しそうにする。腰を伸ばせないので座る位置や角度を変えてやらないと痛むのです。
消化器官はもはや機能せず口に入れることが出来るのは氷ぐらい。その氷さえ胃袋に水が溜まるのでドレーンで抜いている状態。
氷を含ませたり座る位置をずらしたり脚を揉んだりとなかなか忙しいのです。しんどそうであまり話すことはできませんが返事はします。なるべく楽しかった思い出を話して世話をして一夜が過ぎました。
 
30日朝、奥さんが交代に訪れてからもしばらく一緒にいましたが見舞客が増えたのでそっと立ち去りました。
自己満足ですが充実した幸せな一夜でした。
その日の夕方、再び苦しみだしたので呼吸器を付けて集中治療室に。意識はほとんどない状態。
 
31日朝、危篤と連絡を受けすぐに病院に。
親戚や友人知人が続々集まってくる。
血圧が下がるが脚を揉むと回復するので交代で脚を揉む。
夜、消灯時間を過ぎると部屋に入れないので一旦解散。
自宅で待機していると日付が替わり新年に。
 
1日3時過ぎ、「もう長くない」という電話で駆けつけると脈拍もとだえとだえ。
一旦帰宅した子供たちや友人たちが来るまで何とかもたそうと「気」を入れ続ける。
子供たちが到着。友人たちはまだ来ない。懸命に脚を揉む。一時間ほど遅れて友人たちが到着したそのわずか数秒後…主治医が臨終を告げる言葉を聞きました。
 
覚悟はしていたものの現実にその瞬間が訪れると全身から力が抜けました。
少し自律神経失調症の症状も出てその直後のことはあまり覚えていません。
病院から彼の自宅まで遺体を運び実家に戻ったのも夢か現実かわからない感覚です。
 
今でも現実として受け止めることができません。今にも「おうっ」と言って入ってきそうな気がします。
今日までこのことをコラムに書こうかどうしようか迷っていました。
忘れられない出来事でも記憶というのは薄れたり変化したりします。
悲しいことは忘れたいものですがこの年末年始のことは悲しみも含めて忘れたくない忘れられない出来事として記録しようと書くことを決めたしだいです。
 
PS.このコラムを書いている間に新たな訃報が入りました。
本日、彼の父親が亡くなりました。ご冥福をお祈りします。
 
 
 
 
 
 
 
更新日時:
2006/01/20
開院記念日
明日12/10もまたまた記念日です。
これは今の医院の前身である(旧)林歯科クリニックの開院記念日です。
結婚してすぐに開業しましたのでこれも15周年ということになります。
 
時代や地域性に加え両親先祖様の恩恵もありましてオープンと同時に患者さんが押し寄せました。
勤務していた医院で開業のお墨付きは頂いていたものの、臨床経験は1年半あまり。しかも大阪の難波駅の真前の医院と田舎の医院では患者層も違います。
勤務のときはほとんどがビジネス層でした。小さな虫歯や見栄えをよくする治療が多く「入れ歯関連」の患者さんはたまにお目にかかるほど。ところがこちらでは「絶句するような口腔内の方」やお年寄りが多く、抜歯や入れ歯を作ったり直したりの連続でした。
スタッフは家内と歯科経験のないお嬢さんが2人。歯科衛生士としてボクより臨床経験の長かった家内は頼もしい味方でした。
 
当然のことながら今のようにスムーズに診療が進むはずもなく、カルテはたまるは…待合には人があふれるは…の毎日。診療終了後に家内と2人残ってカルテを清書したり片付けたりしているといつも深夜になりました。キリがないので深夜1時になると「帰ろうか…」と言っていたのを思い出します。
 
その頃誰かが「3ヶ月経ったら少し楽になる、3年経ったらかなり楽になる」と言った言葉を頼りに死に物狂いで日々を過ごしました。
開業しても患者さんがいなくて困っている先生方も少なからずおられましたので「嬉しい悲鳴やね」などとも言ってもらいましたが「嬉しい…」を実感することは当時出来ませんでした。
確かに3ヶ月ほどは毎日午前帰宅でしたが徐々に色んなことがこなれてきて倒れずに済みました。
 
その頃のことを家内と話すことがあります。
お互い開業の記憶はあるが新婚生活の記憶がない…と。
新婚生活の記憶がなくて当然なのです。全てのエネルギーと時間を仕事に費やしていましたから実際に存在しなかったのです。
 
あれから15年。今でも大変なことはありますが当時と比べたらなんということもなく順調です。
その今があるのは当時のボク達を支えてくれた周囲のおかげです。
特に両親にはとても感謝しています。
開院記念日(旧医院、本院、分院と年3回ある)にはお世話になった人達を思い出して誕生日と同じように今一度その人達に感謝することにします。
 
『ありがとう』
 
更新日時:
2005/12/09

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Last updated: 2007/2/3