新しい年が始まってもう20日が過ぎました。
新年のコラムといえば今年の抱負や意気込みを書くものなのでしょうが今回はちょっと違います。
元日の未明、かねてから癌闘病中だった同級生が逝ってしまいました。
生前こそ照れくさくてお互い言えませんでしたが親友でした。
中学高校と同じでしたが会うと喧嘩ばかり。
ところが高校を卒業してお互い独り暮らしになると訪ねあって泊り込む仲に。離れていましたので「泊まる」と言うより「転がり込む」という感じで2〜3週間同居したりしていました。
就職してお互い家庭を持ってからはさすがに泊まることはなくなりましたが卓を囲んだりと顔を合わせていました。
3年前に癌が判り手術をした後は順調だったのですが昨年再発し抗癌治療を続けていました。
会うたびに痩せていきましたが抗癌治療のせいだと思っていました。
12月の半ばに「かなり悪そう」との知らせで見舞いに行くと、口調は元気でしたが衰弱しているのは明らか。
その時初めて「もう治らないかも」との思いがよぎりました。
後で知りましたが、この時すでに奥さんと実弟は期限を聞かされていたそうです。
むくんだ脚を揉んでみると「楽になる」とのこと。本人に気づかれてはいけないとこらえていた涙が溢れてきました。何とかごまかして後ろに回り背中をさすりながら泣きました。
それからは暇を見つけては脚揉みに病院通い。
普段から良く集まる友人も「ローテーション表を作ろう」などと言って順番に脚揉みに通いました。
29日、年末の本院の大掃除の後、脚揉みに病室に行くと実弟が付き添っていましたが、これまた疲労感でいっぱい。聞くと昨夜病状が悪化して無意識で苦しんで暴れたとのこと。
疲れきった実弟を休ませるべく帰宅させ一晩付き添うことに。
少し眠っては腰の痛みで苦しそうにする。腰を伸ばせないので座る位置や角度を変えてやらないと痛むのです。
消化器官はもはや機能せず口に入れることが出来るのは氷ぐらい。その氷さえ胃袋に水が溜まるのでドレーンで抜いている状態。
氷を含ませたり座る位置をずらしたり脚を揉んだりとなかなか忙しいのです。しんどそうであまり話すことはできませんが返事はします。なるべく楽しかった思い出を話して世話をして一夜が過ぎました。
30日朝、奥さんが交代に訪れてからもしばらく一緒にいましたが見舞客が増えたのでそっと立ち去りました。
自己満足ですが充実した幸せな一夜でした。
その日の夕方、再び苦しみだしたので呼吸器を付けて集中治療室に。意識はほとんどない状態。
31日朝、危篤と連絡を受けすぐに病院に。
親戚や友人知人が続々集まってくる。
血圧が下がるが脚を揉むと回復するので交代で脚を揉む。
夜、消灯時間を過ぎると部屋に入れないので一旦解散。
自宅で待機していると日付が替わり新年に。
1日3時過ぎ、「もう長くない」という電話で駆けつけると脈拍もとだえとだえ。
一旦帰宅した子供たちや友人たちが来るまで何とかもたそうと「気」を入れ続ける。
子供たちが到着。友人たちはまだ来ない。懸命に脚を揉む。一時間ほど遅れて友人たちが到着したそのわずか数秒後…主治医が臨終を告げる言葉を聞きました。
覚悟はしていたものの現実にその瞬間が訪れると全身から力が抜けました。
少し自律神経失調症の症状も出てその直後のことはあまり覚えていません。
病院から彼の自宅まで遺体を運び実家に戻ったのも夢か現実かわからない感覚です。
今でも現実として受け止めることができません。今にも「おうっ」と言って入ってきそうな気がします。
今日までこのことをコラムに書こうかどうしようか迷っていました。
忘れられない出来事でも記憶というのは薄れたり変化したりします。
悲しいことは忘れたいものですがこの年末年始のことは悲しみも含めて忘れたくない忘れられない出来事として記録しようと書くことを決めたしだいです。
PS.このコラムを書いている間に新たな訃報が入りました。
本日、彼の父親が亡くなりました。ご冥福をお祈りします。
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