悪巧みは人の常。神様もまたしかり。ことに某片目様など
ひどいものです。果たして御自身はどう思っておいでなのか。
釈明会見をしていただきとうございますが私まだ死にたくありま
せんのでそのお言葉から類推してみましょう。

 「箴言」42節から47節で、人付き合いについてのことが
述べられています。いわく
「笑いは笑いで、嘘は嘘でうけとめるべきだ」「信頼できぬ友を
〜口先だけきれいごとをいって、心では欺き、ごまかしにはごま
かしでむくいるべきだ」「気心の知れぬ者についてもそうだ。
その者には笑いかけて、心にもないことを話せ」

 つまり「やられたらやりかえせ」「信頼できない相手にたいして
誠実である必要はない」というわけですね。同意できます。
ですが、ことに女性関係でかなりひどいことをなさっています。そ
のあたりはいかがでしょう。
 「箴言」のあちこちに出ている女性への関わり方に関する文言から
察しますと、基本的に女性は信用していらっしゃらないようです。で
すが、知恵の蜜酒を手に入れるために利用したグンレズについては
「彼女の信頼、彼女の憂慮にたいし、わしは恩を仇で返すようなこと
をした」とおっしゃっています。また、「彼の誓いを信ずる者など
あろうか。オーディンはスットゥングを欺いて蜜酒を奪い、グンレズ
を嘆かせたのだ」だそうです。
 信頼をよせてくれた相手を裏切ることはよくない、ということで
しょうか。だとすれば、「やられたらやりかえせ」の原則が生きて
いるわけです。

 「詩のエッダ」の他の歌謡の描写を見てみると、「ヒョルヴァルズの
子ヘルギの歌」では「正直な取引をやろうではないか。それが友達の
やり方だ」とあり、またヴォルスングのシグルズ暗殺については誓いに
縛られていない者に実行させています。

 すくなくとも神話や伝説の世界においては「策略や裏切りは、
誓いをかわした友や信頼をよせてきた者相手では恥ずべきことである。
敵やうさんくさい者相手の場合はその限りではない」との原則が読みとれ
るのではないでしょうか。

 というわけでオーディン様の策略は「無罪だが無実ではない」との結論
を下すものでございます。

 ところでバイキングの皆様は、納豆とシュールストレーミングの二者選択
ではどちらをお選びなのでしょうかねえ。

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