以前テレビだったか新聞だったかで、アメリカで豆腐をもっと広めるためには素材の味を強調することが大切だというようなことが言われておりましたがアメリカ人に「素材の味」などという概念があるとは思えません山森ですこんばんは。
「エッダ」に「リーグの歌」という歌謡が含まれます。階級制を示す資料として有名なものですが、古代北欧の食生活も垣間見えて興味深い歌です。
まず奴隷階級の祖となった人間が提供した食べ物です。「ふすまのたくさん入った重くて厚い荒いパン」とあります。
また、支配階級の祖である人間からは「小麦粉の白い薄いパン」「葡萄酒」がふるまわれました。
寒冷地である北欧では、麦は育ちにくい植物です。それを精製、つまり量が少なくなるよう加工して焼いたパンは贅沢品であることは想像にかたくありません。北欧の人々が主に食べていたパンは、現代日本人の我々が思い浮かべる、いわゆる食パンやロールパンとはかなり異なる、健康食品店で売られている「胚芽パン」のようなものだったでしょう。
小麦以上に寒冷地で育ちにくいのが葡萄です。これは北欧では育たず、故に葡萄酒は南方からの輸入品しかありませんでした。庶民が口にすることはあまりなかったでしょう。また、保存技術が未発達であったでしょうから、品質の劣化も激しかったと推測できます。葡萄酒を手に入れられる人でも、それが必ず美味しいものであることはなかったでしょう。
北欧でお酒と言えば蜜酒ですが、これもまた神々の飲み物とされていることからそうそう簡単に飲めるものではなかったといえるでしょう。庶民のお酒は麦酒であったようです。ただ「オーディンの箴言」で「麦酒は飲んでから褒めよ」、「シグルドリーヴァの歌」で「麦酒のルーネ」などと言われているところをみると、麦酒もうまく出来るかどうかは呪術に頼らねばならないのではなかったかと思います。
また、両方の階級でお肉が振る舞われています。「グリームニルの歌」でも猪のお肉が絶えずワルハラで供給されている描写があります。新鮮な、つぶしたてのお肉はやはり、お祭りなどでしか食べられず、普段は保存用加工肉ではなかったのでしょうか。たまに入り江に来る鯨や、漁に出てとってくる魚も保存食になったでしょう。
野菜や果物は、それこそ生のものは春や夏のみの食べ物だったでしょう。
エッダなどから読みとれる古代北欧の食生活は、ロハスやスローフードなどといった、現代都市住民のおママゴトからはかけ離れたそれは厳しいものであったでしょう。ですが、だからこそ彼らは文字通りの大地の恵みをフレイ・フレイヤ兄妹やトール達に感謝し、神々を友としていたのだろうと思います。
食べ物とお百姓さんには感謝しましょうというお話でした。だけど色だけついててぬるい紅茶は勘弁していただきたい。あとかすかすの林檎や柑橘類とか、あんが塊になってる八宝菜とかアルコールを氷イチゴシロップで割ったような某国産のお酒とか茹でたお米の激甘ヨーグルト和え(南独の学食で遭遇した)とか……(以下略)
北欧神話雑考へ