宗祖、圓戒国師慈摂大師真盛上人が教化活動に努められたのは応仁の乱をきっかけに日本の国が最も乱れた時代であった。そんななかで、真盛上人は黒衣を身につけ、権力者を正すときにはいかにも厳しく、庶民を導くときには情愛こめて接しられた。そしてその慈愛は人々のみならず生きとし生けるものすべてに及んだ。当時の人々は、真盛上人を「地蔵菩薩の化身」と敬い、「無欲の聖」と呼んだ。

  その教えは戒称二門と言われる。戒とは円頓戒をさし、悪事をつつしみ、善行に励み、人々のためになる生き方をすることで、自分の中に仏をみつける日々の生き方を目指すものである。また称とは称名念仏をさし、阿弥陀如来の「必ず衆生を極楽往生させる」という誓願にすべてをあずけて、無心に「南無阿弥陀仏」と念仏を称え(本願念仏ともいう)、自分が仏の慈悲で生かされていることに気づくことになる。この法門は、人々のためになる生き方をして、自分の心の中の仏(仏性または如来蔵(胎児の如来の意)という)をそだて、阿弥陀仏と一緒に、阿弥陀仏に護られて生きることを喜び、感謝する日々を勧めるものである。

真盛上人の御影(みえい)(左図)
  後柏原天皇が僧等竜に描かせ、上人自戒の偈を親書された(西教寺蔵)ものを、当山第29世堯禅上人が幕末の頃書写したものである。

真盛上人自戒の偈(左図上部)
   ()(かい)(すがた)を飾って誤って持律の職に()
   念佛の門に入りて(なお)称名の(ぎょう)(うと)
   ()するところは一得(いっとく)永不失(ようふしつ)の戒

   (たの)む所は弥陀兆載劫の願

  持戒のできないような自分が、その本性を偽って、何の訳か戒律を守らねばならぬ僧侶という職についてしまった。念仏の法門に入りながらも、称名念仏をするのが疎ましくさえ思われる。このような自分であるが、一度得れば決して失うことがないという戒体に期待し、阿弥陀如来の「衆生を残らず極楽往生させる」という誓願に頼みを託して、自分自身を克服したい。


宗祖真盛上人の一生のあらまし