本尊後部壁画--二十五菩薩図の一部

元禄9年(1696)
紙本着色 189cmX236cm (高さX幅)


 本尊阿弥陀如来坐像、観音、勢至両脇侍立像と共にこの図の二十五人の菩薩が、臨終の際私たちをお迎えくださるという、聖衆来迎図を構成する壁画である。
 菩薩の冠、光背、ネクレスなどの装飾品に、截金(きりかね----金箔を小片に切り貼ったもの)が多用された豪華で、優れた作品である。
釈迦三尊図

当山第29世観阿堯禅上人(  -明治4年)筆
紙本着色 189cmX236cm


 上の二十五菩薩と背中合わせになっている、后門の壁画である。お釈迦様、獅子に乗った文殊菩薩(向かって右)、白象に乗った普賢菩薩からなる釈迦三尊図である。元の図は元禄9年に描かれたものであったが、痛みが進み、当山第29世観阿堯禅上人によって復元されたものである。なお、今回の修復の際、当初の図の一部がこの図の下に挿入保存されているのが発見された。
 今回の修復には松阪在住、日展無審査野口巳緻子画伯のご協力を得た。
 山越阿弥陀図

当山第29世観阿堯禅上人(  -明治4年)筆
紙本着色 185cmX152cm


 恵心僧都源信が比叡山横川の山中において弥陀の尊容を拝し、それを書写したことから始まった来迎図で、山を越えて阿弥陀、観音、勢至の三尊が死者を迎えに訪れ、向かって右手の観音菩薩が、「さあお乗りなさい。」と死者を乗せて浄土に運ぶ蓮台(金剛台)を傾ける。
楊柳観音像

当山第29世観阿堯禅上人( -明治4年)筆
紙本着色 152cmX64cm

 観音菩薩の慈悲深く衆生の願いに従う様子が、柳の風になびくさまに似ていることから、柳の枝を右手に持たれている。三十三観音の筆頭で、病災消除の利益があると信じられている。
普賢延命菩薩像

当山第29世観阿堯禅上人( ―明治4)筆
紙本着色 160cmX64cm

 普賢菩薩には延命の力があるとされており、密教における延命を祈願する延命法の本尊である。一身三頭の白象に乗る。白象は六牙をもち、鼻で独鈷杵を持つ。この普賢菩薩と後日公開の釈迦三尊像の普賢菩薩との比較は面白い。後者は法華経の女人往生の象徴として美しい女人の如く描かれている。
出山釈迦像 -----12月8日にはこの軸を掲げ成道会を執り行う。

天保四年
曲江維則筆
紙本着色 116cmX50cm

 通常の出山釈迦図には釈尊が長年の苦行によりやせ衰え幽霊のようなの姿に描かれることが多いが、この絵では快楽も苦行も悟りの道でなく、その中道に悟りへの道があるはずとの確信に満ちた表情が、見事に描かれている。
 釈尊は王子の身でありながら29歳のとき、華やかな王城の生活の中で世俗の営みの不浄と哀れを思い、身分、妻子を棄て、王城をぬけだし、悟りを求めて7年間自らの肉体を極限までさいなむ厳しい苦行の実践をつづけられた。その結果、苦行も悟りに達する道でないことに気づき苦行を打ち切り山を降りられた。この絵はそのときの釈尊を描いたものである。
その後、衰弱した身体をナイランジャナーの河で清め、村の長者の娘スジャータの捧げる乳粥で体力を回復し、菩提樹の下に座し、瞑想に入られた。そして、当時のインド暦2月8日(現在の12月8日)暁天に明星の輝く頃、ついに悟り(正覚)に到達された。
涅槃図 -----3月15日にはこの軸を掲げ涅槃会を執り行う。

詳細不明
紙本着色 137cmX88cm

 小幅のものではあるが、金泥のほかに、截金(きりかね----金箔を小片に切り貼ったもの)が多用された豪華絢爛たる作品である。亡くなった釈迦(お体は金泥)の衣の截金には立体文様と彩色が施されている。
 釈尊は80歳に達しられた時、自分の命の尽きるのを感じられ、故郷に向けて旅出たれた。途中クシナーラーの沙羅双樹の下に、頭を北に顔を西に向けて横になられ、居並ぶ大勢のお弟子達に最後の説法をされ、「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。」という言葉を残して涅槃(煩悩を消滅して得られる永遠の命)に入られた。釈尊の入滅を知ったお弟子、国王、鬼神、畜類に至る五十二類が釈尊を取り囲み、深く悲しみ、沙羅の樹林までもが色変じて鶴の林の如くなったという。釈尊亡き後教団を率いた迦葉は、入滅の近いとの報を受け天上界に駆け上がり、ご生母摩耶夫人に急を知らせた。夫人は天上界の特効薬をかき集め急行されたが間に合わないと見るや、迦葉の錫杖に薬の包みを結び投げ落とすが、沙羅の枝にひかかってしまう。釈尊の枕元には托鉢用の鉄鉢、洗面具、経典などが入った袋(頭陀袋)が置かれ、これが釈尊の全財産である。また、釈尊の身の回りのお世話をしてきたお弟子の阿難は、悲しみのあまり、気を失って倒れている。
浅冬峰図

大正三年
田南岳璋(明治9年-昭和3年)
絹本着色 198cmX100cm

 岳璋画伯は当山の隣村高町に出生。一夏を当山に逗留されたと伝えられており、この作品はそのとき描かれたものと思われる。平成8年に当山で発見され軸装された。東京で昭和三年病死され、菩提寺の当山に納骨された。作品は飯田市美術博物館などに所蔵されている。
来迎阿弥陀三尊像

阿弥陀像 台座〜光背の先端まで 180cm
観音,勢至像  同  98cm

 現本尊は延宝六年(1678)に山形立石寺より招請されたが、この仏像がそれまでの当山本尊であったと思われる。平成14年1月当山内で、80年ぶりに発見され、台座、光背を修復。
下品上生の阿弥陀如来坐像

仏像32cm

 平成6年に新築再建なった客殿の仏間に、本堂より遷座し奉安。