| 私を探して 残像(8) 「…マスタング、大佐?」 信じられないものを見る趣で、エドワードは窓から身を乗り出した。 漆黒の髪に、それと同じ色のコート。 それ自体は珍しいものでもないのに妙に存在感がある、癖のある風貌を見間違えるはずも無い。 エドワードの取った宿の部屋は2階のため いつもはその身長差から見る事の少ない彼の頭の旋毛辺りまでが目に入った。 「やあ、エドワード=エルリック。ここは君の宿かい?偶然だな」 対するロイは、エドワードの呼びかけに、まさに今気付いたような風だ。 そのくせ、別段驚いた風も無く口元に薄い笑みを浮かべている。 「偶然?」 偶然にしては出来すぎていると思った。 エドワードがイーストシティに滞在する時は、その所在地を軍に届けてある。 そして、この宿はロイの勤務する司令部から私宅へ帰る道すがらに通るほど近くもない。 かといって、わざわざ立ち寄る用事があると思えるほど栄えた場所でもなかった。 宿として客を得るには便の欠けた、言わば場所争いには負けた宿であろうが、 繁華街の喧騒から一線引いた静かな佇まいが気に入ってエドワードが贔屓にしている場所だ。 特に人を寄せるような目立った店も建物もなく、事実こうやってロイと話している間にも 通りかかるものは一人も居ない。 しかしそれでも唐突にロイが自分に会うため訪ねて来たと考えるよりは 自然かもしれないが、とエドワードは思った。 エドワードのいぶしがるような声にも動じず、ロイは変わらぬ笑みを浮かべこちらを見上げている。 「…何やってんの、アンタ。今の時間ならまだ職務中のはずだろ?」 「散歩だ」 「は?」 まるで自慢でもするように応えるロイの声に、エドワードはますます混乱した。 そうこうするうちにも日は傾き、あたりは僅かながら夕闇が濃くなってきている。 しかし慢性的な人員不足の東方司令部が、こんな時間にも忙しなく動いていることを エドワードは知っていた。ましてこの間の爆弾テロのような大事件の直後である。 東方司令部の最高責任者の一人として、軟禁状態になっていても不思議ではないのではなかろうか。 エドワードの知っている彼の副官ならきっとそうするだろうと思えた。 いくつもの疑問符が頭に浮かび、どうにも釈然としないエドワードは黙り込んでしまった。 そんな彼の様子に、ロイは胸中で苦笑する。 幼いながらも国家錬金術師の資格を得るほどの少年である。 見た目はともかくとしても利発なことに間違いないのだろう、 どうやら理屈の通った説明で無いと納得出来ないらしく、そこに浮かぶ猜疑心を隠そうともしない。 ロイが何を、目の前の人間が何を企んでいるのかと、思案を張り巡らせているのが丸解かりだ。 正直な子だと、ロイは思った。 そしてどこか悲しい。 子供の素直さは愛すべき美点だが、それは必ずしもエドワードのためになるとは思えない。 彼が選んだ道は、その年齢に見合った庇護ではなく、 己の才覚一つを武器にして、大人の世界に身を投じる事だからだ。 そこにはエドワードを子供だからといって容赦してくれるほど生易しくは無い。 保身のために他人の顔色を伺って生きる者、私利私欲のためには他者をも蹴落とす者、 それらの雑多する、この世界は子供の目から見ていた時とは及びもつかぬほど 憂いに満ち、醜さを帯びているであろう。 大人になるとはそれらを知るということだ。 彼は僅か12になるやならずやという幼さで飛び込んできた。 癖なのか、今まさにロイを睨みつけるように見据えた瞳は綺麗な色をしているが 軍の狗と蔑まれた数年は、彼の純粋な魂を損なう事にはならなかったのだろうか。 或いはそれらから運良く逃れてきたのか。 しかし彼は、いずれその純真さゆえに けして抗えない矛盾に立ち向かうことになるだろう。 恐らくそう遠く無い未来に。 (エドワード=エルリック。私は君に良く似た子を知っているよ) ―その時が来たら、君はどう化けるのかな。 ロイは、心の奥底がわずかに震えるのを感じた。 それは僅かな同情と、そして仄暗い喜びに近い。 「…散歩でも何でもいいけどさ、いつまでそこに突っ立ってるんだ?」 所在無さげにエドワードが呟いた。 漠然とした思いに取り付かれたロイはエドワードを凝視し続けていたが どうやらそれの居心地が悪かったらしい。 カーテンに半ば巻きつくようにして持たれかかる姿は、 不思議に身を隠したがっているようにも見えた。 何事かを言いかけようと開いたロイの口から、小さなくしゃみが一つ洩れる。 「っと、失礼」 「! おい」 季節は秋から冬に移ろいかけている時期だ。 加えて陽が落ちた事もあり外気は、随分冷たくなっているのだろう。 エドワードは少しの間、ロイの姿を見つめた。 いつもの軍服の上にコートをはおり、そのポケットに両手を突っ込んでいる。 マフラーの類は無し。 軍支給の黒コートは特に薄手には見えないが、特別に防寒に優れていそうだとも思えなかった。 耳を澄ますと、気のせいかさっきよりも風の音が大きく聞こえる気がする。 エドワードは軽く溜息をつき、口を開いた。 「上がってけよ、外よりはあったかいから。 病み上がりだろ、中年なんだから肺炎にでもなったら事だぜ?」 「…以前会った時から気になっていたのだが、君は上司に向かって随分と失礼な物言いをするね」 エドワードの辛らつな単語を含んだセリフに、ロイは憮然とした面持ちで 小さく息を吐いた。エドワードの、上官に対する恐れを知らぬ態度にはむしろ感心するほどだ。 「それはそれは大変失礼致しました、大佐殿。 で、どうされますかー?」 エドワードはつまらなさそうに、ひらひらと手を振る。 拗ねたように、唇を突き出したエドワードの、その子どもっぽい仕草に ロイは忍び笑いを洩らした。 「では、ありがたく招待を受けることにしようかな」 外はとても寒く、 見上げた小さな窓はとてもあたたかそうに見えた。 ************************** エドワードの宿泊する部屋は外観と相違することなく質素な造りだった。 家具といえばあまり大きくも無いベッドが2つ窓際に置かれているだけで、 それらの間には、サイドテーブルが置かれている。 そして、小さなそれには到底乗り切らない大量の本が 乱雑にならない程度に床に積んであった。 先ほど彼が顔を出していた窓は閉じられ、開け放たれたカーテンの隙間からは ほぼ落ちきった夕陽が最後の名残とばかりに差し込み、室内をオレンジ色に染めている。 清潔さは感じるが、部屋の何処にも飾り気はなく どうにも殺風景な宿だというのがロイの感想だった。 国家錬金術師には、十分な資金が支給されている。 その気になれば、もっと豪勢な宿をとる事もできるであろうに 彼らは必要以上の贅沢を好まないのだろう、寝食さえ取れれば良いとでも言っているような この部屋を見ていると兄弟の素朴で実直な性格が窺い知れるようだった。 「失礼するよ」 椅子が見当たらなかったため、ロイは窓に近いほうのベッドに腰を下ろした。 それに対し、エドワードは立ったまま向かい合う。 そう長い時間ではないだろうと判断したし、ロイより高い目線であることが珍しく 落ち着かなくはあるが、悪い気分でなかったからだ。 「弟はどうした?」 「俺の…夕食を買いに出てる、出てますよ」 アルフォンスは、近頃めっきり食欲の無いエドワードの様子を病気と勘違いしてか、 止めるのもきかず薬を買いに出かけたのだった。 元々無理をしがちなエドワードだ。 アルフォンスは、生身の感覚が無いために見過ごしてしまったのだろうと思い込み、 責任を感じている風でもあった。 その心根の優しさゆえか、時に過保護過ぎるほど自分の世話を焼こうとする 弟の様子を思い出すとエドワードの心が少し痛む。 ロイの事を考えるときとは違う痛みだ。 弟だけを愛せればよかった。 自分には必要な愛は、親愛だけでよかった。 「それで、何の用なん、…ですか。もしかして爆弾テロの事?…ですか」 結局エドワードの考えは、ロイは急な任務とかそういったものを伝えに来たのだろうと決着した。 責任者自らが出向く必要もないだろうが、 それくらいしか突然の彼の来訪理由に説明がつかなかったからだ。 たどたどしく話すエドワードの敬語混じりの言葉に、ロイが片眉を上げる。 「口先だけ丁寧にしたところで、意味は無いのだよ?エルリック君」 「んな事言われたってさ!…いや、言われましても、ましても?…あれ??」 舌でも噛みそうなエドワードの様子に思わずロイが吹きだす。 途端、エドワードの頬が羞恥に染まった。 「アンタがこうしろって言ったんだろ?!」 「別に命令したわけじゃない。どうしてかな、君には乱雑な物言いをされている方が自然なようだよ」 「……」 エドワードは、何がそんなに楽しいのか未だくつくつと笑い続けているロイを見つめた。 そしてロイが自分に対して、権力を誇示して礼を強いたことが一度も無かった事を思い出す。 会えば、互いに喧嘩といった方が早いような、皮肉の交じる会話ばかりを交わしていた。 ロイに対する敬意の気持ちが全く無いわけではなかったが それを言葉遣いで表す気など毛頭無かったからだ。 そしてロイも、むしろそれを楽しんでいた節もあったように思う。 だからこそ、エドワードの傍若無人とも言える態度を許していたのだろう。 エドワードは急に目の前の男が、ロイ・マスタングその人なのだと実感した。 そして同時に酷く悲しかった。 彼は、その以前と変わらず存在している。 足りないのはエドワードの記憶だけで、 そしてそれは彼にとって何の支障も無い事なのだと言われている様で。 「…その顔」 「え?」 唐突なロイの声に、漂いかけたエドワードの心が引き戻る。 ロイは、黙ってエドワードを見つめると、口開いた。 「…いや。今日ここに来たのはね、軍がらみのことではないよ。そう私の個人事情かな」 「アンタ個人の事って…」 聞きなれない言葉に、エドワードは軽く眉根を寄せる。 ロイのまっすぐな視線が、注がれた。 「君に、会いたかったんだ。エドワード=エルリック」 その静すぎる声に、エドワードは瞳を見開いた。 NEXT |
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05/03/14