2012 北の大地にて
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今年の北海道滞在は2回。1回めは、6月「松浦武四郎の足跡を訪ねる旅」。
2回めは、10月、日本列島縦断の旅の続きで宗谷岬へ。ついに日本列島縦断の念願を果たした。そして道北を楽しんだ。この記録は「日本列島縦断の旅 2」へ収めた。
10月7日から11月11日まで道東屈斜路湖畔の生活を満喫し、太平洋岸、札幌、道南を訪れ、11月17日苫小牧からのフェリーに乗るまで、夏タイヤであったので峠が凍結しないかと心配しながらもゆったりとした旅を楽しんだ。ああ今年の北海道滞在もよかったなあ。いつまでこんな旅が続けられるだろうか。健康に留意して夫と二人で来年もと心から願っている。
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松浦武四郎の足跡を訪ねる旅
「平成30年松浦武四郎生誕200年への会」主催の「松浦武四郎の足跡を訪ねる旅」に行ってきた。総勢39名の旅である。
6月26日
午前中に千歳空港に着き、バスの中でお弁当を食べ、一路北海道開拓記念館へ。三浦学芸員さんに江戸から明治初期の開拓の歴史、アイヌ民族のこと、松浦武四郎の果たした役割など解説していただく。続いて隣の北海道開拓の村へ。広いエリアのほんの一部しか廻れなかったが、開拓期の建物、ニシン番屋など、三重県にいては見られないものの雰囲気を楽しむことができた。今回の旅の訪問先はいずこも何度も何度も訪れており、それだけにあそこも見て欲しい、ここも案内したいと気が急くばかりで・・・北海道大学・札幌農学校第2農場へ。ここは以前は非公開で、学園祭のときのみ公開された。私たち夫婦も数年前、たまたま学園祭のときに札幌にいたので見学することができたのだが、この第2農場が第U期の北海道遺産に登録されたせいか時間を限って公開されるようになった。今回は、元北大教授高井先生にご案内をいただき、クラーク博士のめざされた酪農の姿を垣間見ることができたいへん有意義であった。最後に北海道旧道庁、ここでは、松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図」、安政5年の「阿寒の松浦武四郎」(岩崎英遠画)を見学。北海道アイヌ協会事務局次長の竹内様に説明をしていただく。その後、松浦武四郎も祀られている開拓神社も訪れたかったのだが、時間がなく定山渓の宿に直行。この夜、ホテルでは、先の竹内様ご夫妻にきていただき、雑談会を。アイヌの人々の和人とは全く異なる自然観に考えさせられた。
6月27日
サッポロピリカコタン(札幌市アイヌ文化交流センター)で、北海道アイヌ協会札幌支部のみなさまと交流会。ウポポ保存会、アンコラチ・メノコウタラ、アイヌ・アート・プロジェクトなどのみなさん40名が参加してくださった。ご多忙でめったにお目にかかれないと聞いていたアート・プロジェクトの結城幸治さんのリードで一緒に歌ったり踊ったり・・・楽しく幸運な交流会であった。
北海道は「でっかいどう」、今日もまた車中昼食で帯広へ移動。まずは音更の鈴蘭公園にある松浦武四郎碑。大正時代に建てられた碑で松浦武四郎の先見性を示す碑として有名。帯広百年記念館で。十勝毎日新聞社は、貴重な松浦武四郎関係資料をたくさん所蔵してみえます。そのうち地図と掛け軸を百年記念館にお持ちいただき記念館の内田副館長に解説していただいた。夕景の紫竹ガーデン。「花の十勝」の代表的なガーデンでしばしほっとするひとときを。今夜は北海道ホテル。松浦武四郎の銅鏡の拓本と安政7年作成の地図がフロントに飾られていた。帯広を代表するホテルである。
6月28日
狩勝峠を越えて南富良野へ。ここは松阪市の茅原の人が入植された地であり、役場前に木田幸次郎翁頌徳碑が建つ。思いがけず自分の父親が木田幸次郎とともに開拓に携わったという方のお話を聞くことができた。上富良野に移り、フラワーガーデンかみふらので昼食。上富良野町役場を表敬訪問。千望峠に向う。ここで今日のメインイベント、上富良野町フットパス(NPO野山人・代表佐川泰正様)の皆様との交流会である。トカチ・ルウチシを歩く会代表の山谷圭司様に松浦武四郎が歩いた道、越えた峠について詳しくお話をいただいた。お返しに金属製の口琴演奏、峠に立てるためのイナウを作る説明などを行った後、この日は日差しが燦々とふりそそぐ好天であったため、千望峠フットパスコースの一部比較的木陰になるコース約4kmを歩いた。風がさわやかで地元の方々といろいろ話ながら歩くのは楽しかった。途中休憩のとき、アイスバーを差し入れていただいた。それがなんと井村屋のあずきバーであった。井村屋はもともと松阪市新町にあった製菓店である。その偶然に大笑いして喜んだ。ついで上富良野中学校の吹奏楽部の皆さんが歓迎の演奏をしてくださった。上富良野の空気と風のような澄み切った演奏は心に沁みた。その後、大急ぎで深山峠の松浦武四郎碑を見学して、白銀温泉へ。私が皆さんに一番見てほしかった十勝岳を望む望岳台が時間の都合でカットされたのはかえすがえすも心残りであった。
6月29日
早朝、ホテルの裏にある美瑛川へ蒼滝を見に行った。ビエイというのはアイヌ語で、水源に硫黄山(十勝岳)があって、水が濁り脂のようになったものという意味。滝とそこから流れる美瑛川は蒼く美しかった。300段程の階段を登って防災センターの広場にも行ってみた。そこからは十勝連山がくっきりと望めた。バスを走らせ、最後の目的地旭岳へ。旭岳ロープウェーで上り、旭岳山麓を散策した。残雪の上を歩いていたら大きな兎を見つけた。そういえば今回の旅では動物に出会うことが少なかったなあ。展望台から噴煙をあげる大雪山の山々の雄大な風景を堪能し、夫婦池に映る山影に感歎の声をあげた。足元には、エゾノツガザクラ、チングルマ、キバナシャクナゲ、イソツツジがたくさん咲いていた。短時間ではあったがいい散策で、心を残して下山。バスでの移動時間が長く、その間、松浦武四郎の記録と現地を結びつける学習会、松浦武四郎づけの行程であったが、充実した旅であった。
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10月2日(私の74回めの誕生日の日)苫小牧港着。10月4日日本列島縦断の旅を達成、私たち夫婦の中では達成記念と勝手に決めた天塩川紅葉カヌツーリングを楽しみ、中川町での友人の皆さんが催してくださったバーベキューに胸を熱くし道北の旅を終えた。
10月7日
早朝に中川町ナポートパークを出発、音威子府、美深、名寄バイパス、名寄ではひまわり畑を楽しみ、士別、道央道、剣淵、塩狩峠、和寒、道端のハンゴンソウ(反魂草)の黄色がなんとも美しい。比布JCTから旭川紋別道へ。石狩川を渡って愛別、上川層雲峡、白滝、丸瀬布で下りる。その後遠軽北見道を走る。佐呂間、端野、このあたりは収穫した玉葱や今を盛りのひまわり畑が多い。やっと美幌峠に着いた。懐かしい屈斜路湖が見える。そのまま砂湯を経て川湯まで走り、お借りするコテージのキーを。屈斜路湖畔エメラルドレークのコテージに着いたころには日も沈みかけていた。走ること394.7km、コテージを今日からお借りしたいとずっと以前からお願いしてあったためだが、一日400kmは私たちにはきつい。
10月8日
そうはいうものの今日は快晴で暖かい。川湯のエコミュージアムに寄ってから午後
厚岸かき祭りへ 一面の赤まんまの田を眺めつつ厚岸の子野日公園に着くと、たくさんの屋台が並び人人人で賑わっていた。あちこちからカキ、ホタテ、ホッキ貝、ツブ貝やホッケなどの魚を焼くおいしそうな匂いと煙がたちこめ・・・さっそく数種の焼き貝を堪能、ああやっぱり北海道はいいなあ!帰りはすっかり暗くなり雄の大鹿と遭遇、おっと危ない!
10月9日
からし菜の黄を愛でつつ周囲の丘や湖を散策。弟子屈町役場を訪ねて、
阿寒まりも祭りへ。また今年も参加できたことを喜び、たいまつ行進、歌や踊り、知人友人との再会を楽しんだ。久しぶりに床ヌプリさんともお話できたことが嬉しかった。
10月10日
図書館、アイヌ民俗資料館などを訪ね、コテージで刺繍をして過ごす。
10月11日
和琴半島一周 屈斜路神社に参り、松浦武四郎の久摺日誌の一節を引用した説明板を見たり、ここで越冬するコウロギの声に耳を傾けたり、そしてゆで卵を楽しんだり・・・
10月12日
道新の刈り取ったデントコーン畑に丹頂鶴がたくさん群れている写真を見て、さっそく鶴居村へ見に行った。道端のマユミのピンク色が鮮やかで美しい。タンチョウは確かにたくさんいて大成功だったが、残念ながら私のカメラではその数の多さがとらえられない。釧路湿原展望台まで足をのばして戻った。
10月13日
早朝、こちらへ来て初めてエゾリスを見かける。今年は人家のまわりでたくさん見られるそうだ。川湯のエコミュージアムで話し込む。
10月14日
別海(西別川)秋鮭(あきあじ)祭り 友人を誘って出かけた。屈斜路湖に白鳥が3羽きていた。別海への道にもあちこちにマユミが。大きな雄鹿3頭が牧草地に・・・これまた珍しい。祭りは賑わっており、ホタテハンバーガーを賞味し、鮭をたくさん購入した。
納沙布岬 せっかくここまで来たので、根室まで行ってみることにした。日本最東端の学校、珸瑶瑁小学校(東経145度48分、北緯43度22分)へ寄り、納沙布岬へ。白い灯台の向うに歯舞・色丹の諸島が見え、国後島との間の海峡には、動く人の姿が見えそうな距離に漁船が数隻、すべてロシアの船で牡蠣とりをしており、獲れた牡蠣は根室港に荷揚げされるとか。走行距離327.5km
全国エコツーリズム大会 in てしかがが10月15日〜17日催されるそうで参加することにした。
10月15日
遅れていた紅葉が始まった。屈斜路に近くにもタンチョウが2羽飛来している。資料館へ寄る。エコツーリズム大会は、開会式に続いて、基調講演、トークセッション、交流会があった。
10月16日
大会ではエクスカーションが行われたが所用があり白糠へ。鶴居では前回にも増してタンチョウが見られた。釧路から白糠への海岸は、風が強く白く波立っていた。知人にもあい、釧路へ戻って久しぶりに回転寿司・なごやか亭へ。夜は摩周観光文化センターで、大会の特別講演 C.W.ニコル氏の「美しい日本の森から未来を考える」があった。すばらしい講演であったが、地元の人の参加が意外に少なく残念であった。
10月17日
大会の分科会「ユニバーサルデザインと観光地域づくり」に参加。会場の総ガラス窓の外の紅葉がとてもきれいだった。終って、友人に舞茸採りに連れて行ってもらった。見つければ躍り上がって喜ぶという舞茸だが、さすが友人は茸採りの名人で2kg株を2つゲット。ばんざ〜い。ついでにあまりにも美しいのでマユミを何枚も写真におさめる。
10月18日
釧路川で幼稚園の子ども達がカヌー体験、かわい〜い。紅葉の美しいエコミュージアム裏の林を散策。あとほ図書館。
10月19日
知床峠を歩く 沿道にコスモスが咲いている。快晴である。斜里岳、ビートの収穫等見ながら走る。遠音別、知床の山々が見えてきた。知床自然センターで友人夫妻の車と待ち合わす。1台に合流し知床峠へ。よく晴れて羅臼岳が頂上までくっきりと。振り返ると国後もよく見えた。ここから歩き始める。何のために・・・そんなこと問題ではない! 眼下に続く道路と葉を落とし始めたダケカンバの白を浮かび上がらせた山々が美しく、なんとも気持ちがいい。見つけたキタキツネと遊んだり、行き交う観光バスに手を振ったり。ふと気がつくと羅臼岳を回りこんでおり、北斜面には冠雪が見られた。もうすぐ冬が来る。車をとりに戻り、ホテル「北こぶし」で松浦武四郎の展示を見、近くの武四郎歌碑にも行った。
10月20日
夜、網走呼子浦のモヨロ火祭りを見に行ったが今年はやっておらず残念。
10月21日
屈斜路湖は風が強く湖面が波立っている。白鳥も数がずいぶん増えた。資料館に行き、コタン近くで写真に撮る。今日も図書館へ。
10月22日
今日から旅中旅に出る。阿寒を通り足寄へ、道はすばらしい紅葉の中を走る。
帯広へ。帯広緑ケ丘公園、百年記念館へ行くが月曜休館、しまった! 十勝毎日新聞社、六花亭、生活館等で所用を済ませ、夜は、北海道ホテルで友人と会食。近くの公園で車中泊。
10月23日
帯広百年記念館、生活館を再度訪れる。道東道を通り十勝清水から狩勝峠へ。峠ではすっかり葉が落ちていたが、下りは黄葉がきれいであった。南富良野、上富良野役場へお礼とお願いに伺う。
上富良野 街路樹のナナカマドの葉も実も赤く色づいてきた。知人にもあってお礼を言い、一年ぶりのペンション「ステラ」へ。いつものように温かく迎えていただく。雨の中を走ってきたがやっと寛いだ気分にひたる。十勝岳は冠雪していた。望岳台には是非行きたかったが諦める。少し遅かったようだ。あすは三国峠か石北峠を越えるつもりであったが、峠はノーマルタイヤでは危ないといわれ南下することにする。秋(10月)とはいえ、北海道を甘く見てはいけない。
10月24日
十勝岳は全く見えず、凍結のおそれあり、吹上温泉にもいけず。樹海峠を越え、南富良野ではポッポやロケ地・幾寅駅を訪ねた。狩勝峠から帰りは新得へ。十勝はきれいな青空が広がっていた。十勝の大平原を、道の駅を辿って鹿追、「うりまく」、「ピア21しほろ」、そして足寄湖、阿寒を経て戻った。
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10月25日
野付半島 尾岱沼の港に用もあって別海に行く。斜里岳が冠雪している。虹別から尾岱沼へ。白帆さんでの食事も1年ぶりか。羅臼をはじめ知床の山々も冠雪。野付半島のビジターセンターへ。近いうちに通行屋遺跡に行きたくて、手続きと道を調べに行ったのだ。4番めの番屋のところから入ると教えてもらい天気のよい日にこようと決心する。
10月26日
知人の家にお邪魔し、思いがけずすてきな手作りの半纏をいただく。嬉しい。資料館に寄り戻る。
10月27日
朝、霜がうっすらと、しかし日中は暖かい。周辺を散策する。からし菜の黄色が広がり、収穫した甜菜がうず高く積まれている。夜は、白糠から知人の若者夫婦と赤ちゃんが来て泊まる。久しぶりの子どもの声にはなやぐ。
10月28日
資料館へ行き、摩周観光文化センターへ、弟子屈町総合文化祭を見に行った。
10月29日
遠軽町・丸瀬布へ 秋葉實先生にお目にかかりに行く。美幌峠は濃いガスの中で風も強い。端野峠、ルクシ峠と進むうち天候が回復し、渓谷の紅葉がきれいだ。丸瀬布では、秋葉先生はじめ、札幌からかけつけてくださった方、遠軽町長、私たちの友人の7人で会食をさせていただく。しかし帰りの美幌峠も、雨、強風、ガス・・・いよいよ冬がくる。
10月30日
図書館、郵便局、資料館などを回る。「日本で餌をやって太らせた白鳥がロシアに戻り羽根布団になって帰ってくる。」と冗談をいう人があり大笑いした。エメラルドレイクの紅葉が今年は今盛りでたいへん美しい。
10月31日
琢木歌碑めぐり 国際啄木学会理事で釧路琢木会会長の北畠立朴氏に琢木歌碑をご案内していただくことになり釧路に向う。標茶、塘路は今年初めて。草紅葉の美しい道をタンチョウや白鳥を楽しみながら港文館へ。先ずは港文館の中を見学し、館の前の琢木立像と記念撮影。その後
さいはての駅に下り立ち雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき
浪淘沙ながくも声をふるはせて
うたふがごとき旅なりしかな
あはれこの国のはてにて酒のみき
かなしみの滓を啜るごとくに
神のごと遠く姿をあらはせる
阿寒の山の雪のあけぼの
しらしらと氷かがやき千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
27箇所の歌碑をすべてご案内いただいた。歌碑は色も形も大きさも様々であったが、いずれも立っている風景にぴったりで趣があった。町は琢木通り、琢木ゆめ公園、琢木バス、ホテルの壁面に大きく琢木の歌がなど啄木一色、大好きな石川啄木にどっぷりと浸れた一日に感謝した。
11月1日
シケレベとりに連れて行ってもらった。友人は高い木に登りたくさんのシケレベの実を落としてくれた。エメラルドレイクは紅葉と落ち葉が風に舞うさまが感傷を誘う晩秋の景。
11月2日
和琴郵便局へ行きあたりの丘をドライブ。白鳥の餌場(デントコーンを刈り取った畑)を発見。屈斜路湖を背景にたくさんの白鳥、まさに絵になる風景。夜は友人の一人をコテージに招き話に花が咲く。
11月3日
ここでの日々も残り少なくなってきた。900草原へ、まわりの山々を眺め、牛が放牧されている牧歌的な草原を楽しむ。桜ケ丘公園にも行ってみた。スキーやキャンプを楽しんだ所だ。夜は、幕別からの友人を迎える。
11月4日
白糠ししゃも祭 泊まった友人と出かける。鶴居村ではますます増えてきたタンチョウと白鳥が・・・たまたま近くのタンチョウを捉えることができた。白糠のウレシパチセで、ししゃもの安全操業と豊漁祈願祭のカムイノミが厳かに行なわれた。そのあと茶路川河畔広場で、ヌサオンカミ、イチャルパ、古式舞踊奉納と続いた。滔滔たる流れの川辺での諸儀式は、始めて参加させていただきまことに感動的であった。帰りは阿寒へ。落葉松の黄葉がすばらしい。道路には落葉松の落葉が黄色に敷き詰められていた。阿寒岳神社に参り、ある方を訪ねた。横断道路の峠付近は、ガス、霙、風も強くそろそろと帰った。
11月5日
コテージに3人の友人を招き、お昼ご飯をともにしながらの歓談を楽しんだ。
11月6日
野付通行屋遺跡(幻の町喜楽) 自分たちだけで行こうと計画していたところ、別海町の元加賀伝蔵文書館の戸田峯雄先生と標津町の元ポー川史跡自然公園園長の椙田光明先生ご夫妻が案内してあげようと言ってくださり喜び勇んで野付ネイチャーセンターへ。途中友人に長靴を借りていく。 ここは前に2回訪ねたことがあったが、半島が海に沈みつつあり、自分たちの年齢と体力を考えると今年が最後だろうと覚悟していたからだ。センターで、途中までの車の乗り入れと遺跡に入る許可をとり、出発。車を降り、ハマナスなどが生い茂り以前よりはるかに歩きにくくなった道を辿ること50分、遺跡に着いた。椙田先生ご夫妻はここの発掘調査をされたプロ、説明を興味深くお聞きする。今は数基の墓石と「北方警備会津藩士・きらく先住者 有無両縁三界萬霊供養塔」が建っていた。当時は通行屋や多くの番屋が建っていたそうだが今はない。前回は基礎の部分がわずかに認められたが今は砂に埋もれている。戸田先生がここの歴史を話してくださった。以前テレビで加賀伝蔵の「幻の町キラク」を見たが、賑わい町づくってはいただろうが歓楽街までは・・・むしろ、尾岱沼からここまでは船で2時間、漁をしても往復するわけにはいかず、小屋を張り、火を焚いて、酒を飲み歌った。対岸からその火を見た人たちが「なんて気楽な奴らだ」からきたのだろうとのこと、なるほど。ここには国後択捉へ渡る通行屋とニシン漁、サケ漁のための番屋が建ち並び賑わいを見せていたことは確か。根室地方のアイヌの男達はことごとくここに集められ、強制的に漁労に従事させられたという。ニシンが獲れなくなり当時の番屋は廃れた。壊した木材で対岸に学校が建ったそうだ。帰りは海岸を歩く。寒い。波の花が白く泡立っていた。標津で海の幸をご馳走になった。帰り道、馬のみが道路を横断、驚く。夜は、友人親子を招き食事会。
11月7日
雨。終日コテージで。
11月8日
いよいよ残る日わずか、焦る。木々は落葉し、残っている葉が少ない。藻琴山へ出かけ屈斜路湖を眺める。私はここからの屈斜路湖が最も好きだ。神の子池にも行った。次に裏摩周展望台に行こうとしたら、早くも通行禁止。落葉松林の美しい道を養老牛の方へ。多和平のレストランで食事。夜は友人ご夫妻を招き、遅くまで話し込む。
11月9日
図書館や役場に挨拶に行き、一度も行かなかったのではと、摩周湖、第3展望台へも通行止め。廻って硫黄山へ。エコミュージアム等へ別れの挨拶に。帰り支度に取り掛かる。
11月10日
文化センターのところから通ったことのない道に入る。デントコーン畑で白鳥8羽と鶴2羽のバトルをおもしろく眺めた。タンチョウのテリトリーなのか白鳥が一斉に逃げていった。広い牧場が広がる。今年はじめて赤ゲラを見つけた。周囲の山々もうっすらと冠雪した。いよいよ別れの時がきた。
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11月11日
すっかり木々の葉が落ち、藻琴山も美幌峠も冠雪している。川湯でコテージのオーナーさんにお礼を言いいざ出発。いつも別れはつらい。鶴居村は、牧草地の緑と落葉松の黄色のコントラストが絵の中の世界。白糠では静かな海と美しい海岸線が見られた。浦幌、十勝川大橋、豊頃、大樹と走り、ナウマン象発掘の地へ寄った。きれいに整備されていた。忠類、ナウマン街道、歴船川、紋別川、広尾と走り、天馬街道へ。ここの野塚トンネルは4323mで道内NO.3の長さだそうだ。標高は500m。冠雪の山々の間を走る。峠を無事に越え、日高幌別川、宿泊予定の新ひだか町三石の道の駅に着く。温泉つきの道の駅だ。もちろん車中泊。
11月12日
新ひだか町 静内 真歌の丘に 山々が黄色に色づいている。さすが道南だ。真歌の丘への上り口にすばらしく大きくて美しいウメモドキがあった。スス(ヤナギ)の綿毛が風に舞っている。丘に今年の5月に建立された立派な松浦武四郎記念碑があった。新ひだか町と松浦武四郎と題する碑文に「・・・その地に住むアイヌ民族の名を後世に伝えるとともに「心情の率直で純朴なことはたとえようがない。世の方々にアイヌ民族の美しい心を知っていただきたい」と絶賛した。アイヌ民族に導かれて蝦夷地内陸部深くまで踏査した松浦武四郎の百五十冊を超える調査記録には、随所にアイヌ民族が大地で育んだ生活の知恵と文化が記され、残された地図には九八〇〇ものアイヌ語地名が収められている。明治二年(一八六九)、蝦夷地を改称するにあたり、松浦武四郎は、その名を「北加伊道」と撰定した。これは「ここはアイヌ民族が暮らす大地」という思いを込めたものである。北海道の名付け親・松浦武四郎が新ひだか町を訪れてから百五十年以上が経過したが、我々の祖先と松浦武四郎の絆は今なお燦然と輝いている。我々は、新ひだか町のアイヌ民族と松浦武四郎の民族を越えた交流と共になしえた業績を讃え、ここアイヌ民族の聖なる地・真歌の丘に記念碑を建立する。」と記されている。今日は月曜日で、アイヌ民俗資料館、シャクシャイン記念館も休館日で残念であったが、雨がしぶつき風の強い中、チャシやシャクシャイン像を眺めていたらかねて顔見知りのシャクシャイン記念館を管理してみえる方が中に招じ入れてくださり嬉しかった。しばし歓談する。帰途、交差点で白鳥が1羽ゆうゆうと横断し車が渋滞している光景がなんともユーモラスで笑ってしまった。二十間道路の桜並木を経て、「北辺開拓の礎」を訪れた。徳島藩州本城代家老稲田家によるこの地の開拓は困難をきわめたといわれる。この巨大な碑のほか、開拓記念碑、神社、赤松記念保護樹木などがあった。映画「北の零年」の舞台である。その後、新冠、沙流川を越え、むかわ道の駅へ。雨が降りこんなに寒いと温泉つきの道の駅はありがたい。旬のししゃも焼きやホッキ貝のお刺身など海の幸を堪能した。
11月13日
鵡川ICから日高道、道央道を走る。すごい羊の群れのいる牧場が見えた。輪厚、北緯43゜線、札幌から札樽道、札幌北で下り、ポプラ並木の美しい創成川沿いに走り、何年ぶりかの石狩サーモンファクトリーに行った。あちこちにお土産を送るためである。茨戸川、伏篭川、札幌は川が多いなあ。定山渓に向い小金湯のアイヌ文化交流センターへお礼に伺う。帰りは真駒内を通り、北広島から道央道、苫小牧東で下りて、道の駅「ウトナイ湖」へ。
11月14日
野生鳥獣保護センターを見学し、苫小牧へ。入船公園、ホッキ貝の水揚げ日本一の苫小牧、ぶらっと港市場でホッキ定食を食べる。登別の知里幸恵「銀のしずく記念館」を見学。室蘭へ。地球岬へ行くと、随分整備されきれいな公園になっていたのでびっくりした。灯台と下に広がる果てしない海、おまけに虹までかかり、楽しませてもらった。トッカリショ(アイヌ語でアザラシの岩の意)を廻って、道の駅「みたら室蘭」へ。近くのゆらら温泉を楽しんだ。
11月15日
室蘭八景の一つ絵鞆岬へ、室蘭発祥の地である。ここで「アイヌ記念碑」を見た。白鳥大橋、室蘭ICから道央道、白老に向う。仙台藩白老元陣屋資料館、この資料館はすばらしく、何度も訪ねたことがある。今回最も注目したのは、鮮やかに色分けされた「蝦夷地各藩の分治地図」と択捉島にあった「アトイヤ標柱」である。丘の上の神社や白老八幡神社にも行った。
11月16日
白老会所跡や虎杖浜周辺のアイヌ語地名の残る地を案内していただいた。アイヌ伝承の洞穴「アフンルパロ」・・・当時は海からでないといけなかった洞穴は防波堤が築かれすっかり陸地化していた。カムイエカシチャシなどである。その後、ポロトコタン・アイヌ民族博物館へ。何より嬉しかったのは顔見知りのアイヌの青年たちに再会できたことであった。あす苫小牧から船に乗るのにやはりゆっくりできるのは鵡川かなと、道の駅「むかわ四季の館」へ。
11月17日
早朝、竜巻状の風が吹く。鵡川のアイヌ慰霊碑を見たり、鵡川漁港、汐見駅へ行ったりして鵡川を離れ、苫小牧の樽前山神社へ。松浦武四郎も詣でたであろう神社である。最後に厚真へ、三重県から移住し、武四郎もちや武四郎だんごを製造しておられる方を訪ねた。帰りに郷土資料室へ行き、厚真町史を調べたら松浦武四郎が詳細に記述してあり、勉強させてもらった。船は午後11時30分、苫小牧東港のフェリーターミナルから出航した。
11月18日
風は強く、波が高くてフェリーはかなり揺れ、敦賀港着も1時間遅れの午後9時30分であった。かくして50日に及ぶ比較的長い旅を終えた。
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