宛てがある筈も無くて、
日暮れ近くまで時間を潰し、家に戻る。

ドアを開けると、足元から人気の消えた空間に
影が音も無く延びて止まった。


正面の窓から差し込む、オレンジ色の光。


見なれた部屋の筈なのに、
まるで、カメラのファインダー越しに見る風景のように、
窓までがやけに遠い気がした。

暖かく包んでいるはずの橙色も、温度が感じられなくて


フローリングに踏み入れた自分の足音が、やけに耳に大きく伝わる。


きちんと片付けられたキッチン。
伏せられた食器。
長い影を落とすジャムの瓶。


・・・・その影の下の、小さなメモ用紙。


―――ありがとう


瓶をすこし退けて現れたのは
…綺麗で、繊細な字。



その言葉が心に沈んだ瞬間
視界に霞みがかかったような気がして、甲で擦った。


何度も
何度も
ムキになって擦るけれど、視界は歪んで・・・滲んで、見えなくなっていく。




「・・・・・ごめん」


擦っていた手を、テーブルについた。
そして、最後の繋がりを確かめるように、指でそっと字を辿る。


「・・・傍に行っても、前みたいに笑えないかもしれない。
・・・これからも…君の心を裏切り続けるんだと思う・・・・ また傷つけるよ」



俯いたその奥から落ちた涙が
紙の上に幾粒もの斑を重ねていく。

それを止めたくて、天井を振り仰いだ。



「けど、傍に行きたい。守りたい。僕が願うのは、君の幸せだから。
今までも・・・そしてこれからもずっと」




表情を覆う茶色の髪が、嗚咽に揺れる。



君は、僕の心なんて・・・・・知らなくていいから。



声に出さずに唇で紡いだ言葉。



涙を止める為に・・・自分の中から涙を忘れる為に、
キラは強く瞼を閉じた。












for heart ...14。





「・・・困ったな・・・」


キラはぽつんと呟くと、無造作に伸びた髪を軽く掻き
天井を見上げていた。


その先には、さっき別れたばかりのストライクが佇んでいる。


仄暗いハンガーに、下からの光源の中佇む荘厳な機体。
目覚めさせたばかりの
祖国オーブが製造し、ザフトが奪った新型機動兵器。


キラは、固定された機体に向けて跳ぶと、頭部近く・・・その冷たい装甲に静かに触れる。


「・・・・部屋ちゃんと聞く前に別れたから、迷っちゃってさ。
適当に歩いてたら、またお前の所に来ちゃったんだ・・・・呼び合うのかな」



故郷が同じ、だからね。

白いブーツの踵が薄闇に浮び上がり、赤の裾が無重力に広がる

キラは体浮かせたまま、その冷々とした表面に額を合わせた。







アスランと顔を合わせる事がないよう、時期をずらしてアカデミーに入ったのは、
それから一年に少し満たないぐらいの事だった。

初めての事ばかりで、慣れるのには時間がかかったけど、一通り飲み込めたら
後は割と簡単だった。



相手にも守りたいものがあるだろうとか。
戦うべき相手が、両親と同じナチュラルであるとか。
オーブ自体が敵になるかもしれないとか。


そんな感情は全て、感情の奥に閉じ込めた。


一刻も早く前線へ・・・
その一心で、教わる戦闘技術の全てをその身体に吸収させたのだ。


すると・・・笑える事に、戦争が嫌いな筈の自分の能力は、戦争にこそ向いていたらしくて。
人よりも早くにアカデミーを出る事を許された。
無論、アスランのお父さん・・・ザラ委員長の圧力が無ければ、叶わなかったことだろうけれど。


そして、約束は守られる。


別任務中で、アスラン達「紅」が艦を離れている間に、ガモフに搭乗する一介の兵として配属される事になった。
アカデミーをトップで卒業したものの、その過程が身元も含め、公に公表できるものでは無かったのもあって
嫌でも注目される紅を選ばず、あえて
時が来るまで一般兵として在籍することを選んだ。
ダークレッドの軍服も、クローゼットの奥に仕舞った。



――役に立つ人間である事を証明しろ



・・・・幸運なのか、作為的なものなのか・・・それは程無く巡ってくる事になる。
暫く後合流したヴェサリウスの、連合から奪取してから現在に至るまで、目覚めを見ることの無かった機体
存在だった。

クルーゼ隊長も、良家の子息でも無いのに、ここエリート部隊に配属された自分の存在理由を
詳細とはいかないまでも承知していたらしく、一介の兵士に過ぎなかった(しかも特別機体に触る部署に
は居なかった)自分に、触れるチャンスを与えてくれた。


『贔屓せよとの命令は受けていないのだがね。あのザラ委員長が目を掛け、さらに紅の資格を持つという君を
眠らせておく事もないと思ってね・・・できるかね?』


ザラ委員長は、コレを自分に駆らせたかったのだ。
連れられて、機体を目にした瞬間、そう感じた。

オーブが、生産性、パイロットの能力を度外視し、性能の限界に挑んだ機体。

確かに、これが動けば、かなりの戦力になる。
そして一度動けるようにしたら、自分が死んでも・・・この機体とデータはザフトで永遠に生きつづける。


ナチュラルが全て、いなくなるまでの糧となって。



コックピットに滑りこみ、素早くOS画面を立ち上げながらキラは頷き返す。



『はい・・・・できます』
『どれくらいの時間が必要かな』


流れていくデータの波にざっと目を通すと、キラは迷い無い視線をクルーゼに向けた。


『30分・・・いえ15分程あれば、形に出来ます』


簡単だとは思わなかったが、不安も無かった。
口許に手を宛て、面白いという風に口端を上げたクルーゼは
満足げに頷いた。


『ほう、流石だな・・・・・愉しみにしているよ。キラ・ヤマト』






「お前と戦場に出る事になったら、オーブが僕の存在を知るのも時間の問題・・・だろうね。
ザラ委員長がバラさなくても戦場に出たら、情報を止めておく事なんて出来ないし
・・・・もしかしたら、既に抹消命令が出てるかもしれないね」



――その身が、オーブ国家に仇為す場合
        命を保証する、確約を持たない。


それは、自分が「オーブの血」と訣別を果たした時の誓約書にあった言葉。

オーブ製の機体が、オーブの者によって、ザフトの為に使われる。
これは中立という立場を揺るがすに充分な口実となる行為だろう。



オーブは脅威に怯える国ではない。
戦う事で均衡を保ち、中立と為す国だ。



いくら誓約を交しているとはいえ、不安要素は無いに越したことは無い。
と考えるのが普通だろう・・・・。



「けど僕は・・・殺される訳にはいかない」



キラは静かに目を伏せる。




「これから、沢山人も殺すよ。何の恨みも憎しみも無いままに、ただ目の前にいるそれだけの理由で、
命を奪うんだろう。・・・もしかしたら愛してくれた人・・・・僕とお前の故郷の人達も殺すのかもしれない
・・・・酷い人間だよね」



ヴェサリウスのエンジンが唸り
ごぉんと広い格納庫内に反響する音



「・・・・僕は、人として欠陥品なのかもしれないね」



それを遠くに聞きながら
キラは、誰に宛てることのない笑みをそっと落とした。







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