for heart ...13。

滲む怒りに震える逆の拳を壁に宛て、キラは唇を噛む。


――お前は、オーブの影。オーブを護る者。
      だから何者 よりも強く聡明でなくてはならない


無かったことにした過去が、色を取り戻し始める。
キラは頭を振りながら、全てを拒絶するようにしゃがみ込んだ。


幼年学校に通いだして何年か経った頃、夏季休暇で帰った先で
何の前触れもなく、告げられた事実。

オーブ国籍ではあったけれど、アスランや、他の友達は殆どがプラント出身者で
自分も同じ様に考えていたから、いきなりそんな事を言われても実感できる筈がなかった。

普通の両親の中に育って、
物足りないとさえ感じる程の、平和で平穏な生活を過ごしてきた自分に

まさかそんな、背負わなければならないものがあるなんて
思いもしなかったから。


『僕は・・・父さんと母さんの子供じゃないの?』


両親を仰ぐと、二人は寂しそうな顔で頷いた。


『そうだよ。お前はオーブの尊い血筋を継ぐ子だ』
『けどね、私達が貴方を想う気持ちに嘘はないわ。それだけは信じてね、キラ』


きっと自分が平穏な気持ちで、その言葉を受け容れる事ができたのは、
母さん達が、自分を今も変わらずに愛してくれているという事が分かったからだと思う。
自分は不幸なんかじゃない。
本当の両親でなくとも、本物の愛をくれる人が居る自分は、幸せだ。

その気持ちを確認するように一つ頷くと、父さん達に少し笑う事ができた。


『まもるって・・・僕にできるのかな』


自信も、アスランのような覚悟も何も無かった。
けれどその時は、逆らう気なんて無かったのだ。
自分が必要とされるならその役に立ちたい。


その、つもりだった。

オーブを守ることは、父さんや母さんも守るという事。
出来る限りの事はしようと、頷こうとした・・・・その時だった。

両親の傍らに座り、事実を告げに来た、黒服の男の唇が
笑みを模ったのが目に入る。


『プラントの次期国防委員長とも目される、パトリック・ザラの息子と
友達になっているとはな、引き合わせた甲斐があったというもの』


顔は覚えていない。

けれど、その声だけは
冷たくて、耳に重く残るその声は、
10年近く経った今でも、はっきりと思い出せる。



『中立国オーブは、敵も居ないが味方も存在しない。しかし相手が好意を以って接してくれる
事に越した事は無い。――決して、離してはいけないよ。オーブの為に』





『キラっ!?』


呼びとめる声を振り切る様に、部屋から飛び出していた。
一目散に洗面所へと走り、込上げてくる吐き気に任せ
胃の中の物を吐き出す。


自分だけは、アスランの重圧にはならないと。
何があっても傍に居て、「普通の友達」であるのだと決めていた。
実際自分はその通りにできていると、思っていた。


なのに、ただ傍にいるだけで。


周りに居る誰より、
自分が嫌悪する対象であった人達よりも


アスラン・ザラの名を利用する人間だったなんて。


『僕はっ』


飛んできた母親が抱きしめて
「ごめんね」と何度も繰り返す言葉を背中に聞きながら
必死に考えていた。


彼を、オーブに利用させない為に。
そして・・・ずっと傍に居られる選択を。



『僕はどうすればいい!?』






・・・・そして。幾晩も眠らずに幼い頭で考え、辿りついたのは、
「普通のコーディネイター」になればいいという事だった
序々に成績を落としていって真中位をキープして、普通に紛れてしまえばいい。


優秀である事を望まれるのなら、優秀じゃなくなったら、きっと諦めてくれる。
自分のような人間は他にも居る筈だから。
自分ぐらいがいなくても、オーブが揺らぐような事はない筈だから。


学校が再開して直ぐ、行動を始めた。
出ていって直ぐに成績を下げても怪しまれるから、少しずつ・・・・確実に。


成績が「下がった」認識されだすと、アスランに先生に…そして両親にオーブの人に。
怒られたり、泣き付かれたり大変だったけど、自分の力を抑える事をやめる気は無かった。



そんな事を何年か続けて・・・・
勝ち取った、「普通のコーディネタ―」であるキラ・ヤマトの立場。
オーブの人達も、始めこそ疑ったけれど、そう判断して諦めてくれた。
親権は育ての親である現両親に渡され、以後の身の振り方も、与えられた全ての権利を放棄する事で
自由を得た。


『惜しい事を。君ならばオーブを支配することすらできたかもしれないのに』


全ての書類にサインを終えて立ちあがる時、呟かれた言葉。


キラは、微笑みを残して踵を返すと、訣別の扉を閉める。


アスランと遠くなるんだったら
そんなもの、比べる価値も無かった。







キラはゆるゆると立ちあがると、アスランが眠るベットの傍まで息を詰めて近づく。
見下ろした先、変わらず閉じられた目と、微かに上下するシーツは
変わらず眠っている事を示していた。

キラは聞かれていなかった事に、息を緩めると、
アスランの寝顔の直ぐ横に腕をついて、そっと囁いた。



「どうして、僕なんか選んだんだよ」



たくさんの可能性の中にあって。

出会っていても、君が僕を選ばなければ
せめて言葉を交す位の、普通のクラスメイトとしての友達で止まったならば


アスランはプラントを率いて
自分は、オーブを護って。


永遠に深く交差することの無かった世界。


引き合ってしまったから、全てが歪んで。
お互いから、心が動けなくて

魂が裂かれるような気持ちを味わう事になるのに。



顔を覆う茶色の髪の向こう側。
薄闇の中仄かに光を帯びた雫が零れる。


一粒、二粒、涙がシーツを弾く音の中


微かにアスランが身じろいた。




「・・・・・・・・・・・・・・・・・キ・・・・ラ?」



アスランのうわ言のような声に、キラは慌てて口許を覆った。
息を殺す中、アスランがそっと腕を伸ばしてくる。


「また・・・泣いて・・・・いるの・・・か」


意識は殆ど眠りの中にいるようで
目は閉じられたままだ。

それでも、その腕は首にかかり、優しい力が胸元に引き寄せる。


「仕方ないな・・・・こうしててやるから・・・ずっと傍に・・・居てやるから・・・」



知っている。
彼がこんなに優しく笑いかける存在は、



「泣くだけ泣いたら・・・・笑って・・・くれよ?」




自分だけであると、いう事を。



すうっと眠り深くに戻っていくアスランの腕の中で。
その鼓動を感じながら、
キラは顔を歪ませて嗚咽を飲み込み
・・・・肩を震わせる。




本当なら、全部話して「利用していたんだ」とでも告げてしまえば良かったのだ。
そうすればアスランは自分から離れ、利用されることも無くなる。
でも、この笑顔が自分に向けられなくなるのが恐くて、嫌で。
自分の為に、人をより沢山傷つける選択を選んだ。



その時からもう、答えは出ていたのだ。


賭けは破られた。
彼が戦いに赴く事は止められないと、解った今。

自分が躊躇う理由なんて、もう何処にも無かった。

どう足掻いても、その運命が彼を離そうとしないのなら
アスランを苦しみから少しでも解放する方法が、傍で戦う事だというならば
この手が血に染まっても構わない。
別に「自分が」戦うのが恐くて、逃げていた訳ではないのだから。



君を守れるなら。
君が死なないなら。


それでいい。




例えばそれで命を落とすことになったのだとしても。



僕は君が思うような、優しい人間ではないのだから。








朝が来て。
目覚めたアスランに、乾いた洋服を手渡し、背を向ける。


「今から出かけるから、御飯はテーブルの上。鍵はドアポケットから中に放り込んでおいて」
「・・・・・キラ・・・すま・・・・」
「謝らないで」


キラは玄関の扉を開けながら、強い声でアスランの言葉を遮る。


「・・・・僕は謝られるような事だと思っていないから・・・・軍に行っても、無茶したりしないでね」


それだけ言って、ドアから手を離す。



――僕が、其処に辿り付くまでは


どうか、無事で。


二つの世界を遮断した扉が閉まる重い音に背中を預けて
キラは目を閉じた。




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