for heart ...11。
ふ、睫が震え、薄っすらと開かれる紫。
・・・窓を叩くように降っていた雨は、いつのまにか微かなものへと変わったようで、
静かな雨音だけが、部屋に深々と響いている。
キラは、開ききらない目でぼんやりと白い天井を見上げ、
カーテンレールの上から漏れる、仄かな明るさへ目を移した。
(喉が・・・ヒリヒリする・・・)
キラの手がシーツの中でゴソリと動く。
(無理も・・・無いか)
頭に刷り込まれたばかりの生々しい記憶に微かに顔を顰めると、確かめるように喉に触れた。
あの後、与えられる快楽に溺るがまま、床からベッドに場所を移した事までは憶えている。
けれどそれから・・・何度交わり、どれだけイカされたのかも憶えていない。
始めは抑えていた声も、理性が飛んだ所で解放されてしまったのだろう。
なんとなく、・・・・アスランを呼びつづけていた気がする。
喉が涸れたのは、きっとその所為だ。
・・・・体は眠りを求めているが、このままでは眠れそうも無い。
キラは喉の乾きを癒そうと、ベットから出る為寝返りをうとうとして・・・・・
自分の髪が、何かに絡め取られているのに気付いた。
キラは、その髪を絡めている指の主に、目を向ける。
さっきまで刻まれていた眉間の皺は消えていた。
苦しげな表情は、影を潜め、
安らかとはいかないまでも、静かなものになっている。
長い睫が頬に影を作り、
インディゴブルーの髪が、その寝顔を守るように覆って。
耳に届く規則的な寝息。
部屋を包む雨音と、体に残る気だるさ・・・そしてその顔をもう少し見て居たくて、
キラは再び枕に頭を沈めた。
考えてみれば、一緒に眠るなんて、幼年学校時代以来の事だ。
あの頃は、よくこうやって一緒にベットに入って、消灯時間の巡回をやり過ごし
寝不足になるまでいろんな話をした。
先に寝てしまうのも、遅く起きるのも自分だったけど、
偶に途中目を覚ますと、決まってアスランは髪に触って眠っていた。
撫でるようにして止まっていたり
今のように絡めて遊ぶような仕草で止まっていたり。
その形はいろいろだったけど。
頭を触れるのは気持ち良くて、嫌いじゃないから別に気にはならなかった。
じんわりと、髪からアスランの体温が伝わって、
大きな安堵感に包まれて
さっきよりも深い眠りに落ちる・・・・。
・・・それが、日常だった。
キラは、緩やかにアスランの髪を撫でる。
・・・・・戻り始めた記憶は、どんどん加速していく。
校舎裏。
静かな目で・・・・ボロボロと涙を流す自分の姿を見つめるアスランが脳裏に蘇る。
『どうして、キラが泣くの』
優しい声。柔らかな音。
・・・・その声音に・・・いっそう涙は溢れ出す。
アスランは比べる人が居ないくらい、優秀だった。
誰もが一目置く存在で、慕う人が殆どだったけれど・・・・妬む人達が居ない訳じゃなかった。
そんな人達から呼び出されて、言いがかりをつけられて・・・・時には、殴られたりなんかもした。
勿論、本気でやりあったら、アスランは殴られる事は無かったと思う。
けれど当のアスランは、何を言ってもしょうがないし、面倒だし、問題を拗らせたくないからと
されるがままになる事が多くて。
気が付けば、その顔に傷が付いていたり、服が汚れていたりしていた。
黙って見ていた訳では、無論無かった。
けど、いくら注意していても、アスラン自体が自分に分からないように消えるのだから
止めようも無くて。
アスランがやり過そうとしている事に、自分が仕返しに殴りに行くという事もできなくて。
・・・・何もできない自分が歯がゆくて、悔しかった。
『君が泣かないから!!代わりに僕が泣いてあげてるだけ!!!』
そう言って、泣くことしか・・・できなかった。
『ありがとう』
同じ高さで、困ったように笑うアスラン。
昂ぶる気持ちを、沈めるように撫でられる髪。
『でもね・・・・僕は大丈夫だから』
「こんな風になるまでまた自分追いこんで・・・何が大丈夫だよ」
栗色の髪を絡ませている指に、キラはそっと顔を寄せる。
アスランは昔からいつだってギリギリの所に居る。
自分は優しくないから平気なんだと、心を騙して。
その心を確実にすり減らして。
それでも凛と前を見据えて、迷いなんて無いという風に立っている。
いくら頭が良くても、体が強靭なものにコーディネイトされていたとしても・・・
心まで、強くなる訳じゃ・・・ないのに。
薄闇に浮ぶアメジストが、切なげに揺れる。
…皆アスランは「強い」と・・・どうして思えるのだろう。
君がなによりも大切な存在だと気付いて。
そして、君の進む未来が見えたあの日から、ずっと抱き続けてきた感情は
怒りだった。
プラントを背負う立場になる・・・それは、アスランにとって相応しい未来だと思った。
けれど、今。
戦いが、アスランを呼ぶ。
君が死に近い場所に誘われている。
そして、周囲は・・・
その背中を当たり前のように押す・・・・その行動は許すことができなかった
戦いは好きではない。
壊すだけで、なにも生み出さない虚しい行為だという思いも、嘘じゃない。
けれど、そんな理由よりも先に。
自分が戦いを嫌ったのは、恐かったからだ。
アスランを失うことが、なによりも恐ろしかったからだ。
『もう、いい。――君とは考え方が違うみたいだ』
『そうだね』
ありったけの平常心で、答えた真意。
ずっと一緒に居たかった。
それが例え戦場でも、構わなかった。
けれど、共にザフトへ行くと言えば、アスランは迷う事無く戦場に身を置く事を選ぶ事も
解っていた。
・・・・・・だから、自分が断固として嫌だといえば
アスランは迷ってくれるかもしれない。
思いとどまってくれるかもしれない・・・そう思ったのだ。
元々アスランだって、戦いが好きな訳では無いのだから・・・もしかしたら何とかなるかもしれない。
自惚れている事は解っていたけれど
そのちいさな賭けに、僅かな望みを託したのだ。
けど・・・・・、
アスランを取り巻く運命は強固なもので
自分なんかが一人、嫌だと手を広げても止められるものではなかった。
そして今。
アスランのお母さんが死んでしまった今・・・・彼自身も戦う事を望み始めている。
もう、止められない。
僕の望みが叶う可能性は・・・
・・・・ゼロ。
「・・・・?」
いつからか、白い壁が電話が鳴っている事を伝えるグリーンの明かりを映している事に
気がついた。
「・・・・誰だろう・・・・」
キラは、アスランを起こさないようにそっと指を髪から外すと、床に降り立つ。
体を動かした拍子に・・・腿から伝うに違和感に一瞬顔を顰めるが、
床に落としたままになっていたシャツを羽織ると、コールし続ける電話の前に立った。
「はい」
『・・・キラ・ヤマトかね』
返ってきたのは、威圧感の滲んだ男の声だった。
聞き覚えは・・・多分無い。
「どなたですか」と聞き返す声も低くなる。
受話器の向こうから鼻で嘲笑う気配が伝わった。
そして、名を告げる代わりに、重いトーンが耳を打つ。
『息子が邪魔をしているな』
キラの唇が、声にならない呟きを模った。