for heart ...side。


突如、凭れていたシートに体が押しつけられた。
思いきり踏まれたブレーキに、黒塗りの高級車のタイヤが擦過音を上げる。

「何事だ」

傾いだ体を腕で支えながら、パトリックは運転手を睨んだ。
運転手は急停車したショックで、ハンドルに体を押しつけられていたが、
パトリックの声に慌てて体を起こす。


「もっ申し訳ありませんっ。人が」
「人?」


パトリックは低く繰り返すと、深く眉間に皺を刻んだ目で、フロントガラスの向こう側を見遣った。



車線上立ち塞がるように佇む、細いシルエット。


それは一人の少年のものだった。



少年の栗色の髪は、脇をすりぬけて行く車の風に煽られ、白いシャツと共に風に舞って。
車の窓ガラスは、マジックミラーのような構造で、中が見えるはずも無いだろうが、
その視線は煽られる髪の合間から、真っ直ぐに此方を見据えている。


パトリックは、その不審者に向けて銃を構えようとする側近を手で制すると、
車のドアを自ら開け、車外へと出た。


アスファルトに刻まれる、靴音。
パトリックは車から四、五歩離れた所で、その脚を止めた。


「よく、私がここを通ると解ったな」
「・・・・情報はどれだけ切り離そうとしても、それが端末で操作されるものである限り、
コンタクトは可能ですから」


風に掻き消されることなく、静かに耳朶を打つ音。
乱れるその髪を庇おうともせず、不敵とも思えるその表情で。
重要機密扱いになっている国防委員長のスケジュール…それを個人の端末から足跡を残さずに
ハッキングしたと公然と告げる内容。


やはり面白いと、パトリックは口許を歪め皮肉めいた表情をつくる。


「そこまでして、ここに居るという事は、心は決まったのだろうな?キラ・ヤマト」



問いかけに、少年・・・キラ・ヤマトは頷く代わりに深く瞬きをかえした。



「はい。僕は、ザフトを・・・・戦場を選びます」


つい先日、聞いた声は明らかに自分を畏怖したものであった。
そういう態度には慣れていたし、当然のものだと思っている。
しかし、今は・・・・パトリックは真意を測るように目を狭める。



「君は両親と同じナチュラルを敵として、戦えると?」
「今更、僕にそれを問うのですか」


一片の感情も悟らせることなく、淡々と返される言葉
しかしその眼の光りは、揺るぎ無い意志がもつもの。
ただ一点を未来と決めた瞳。




パトリックは薄く笑みを刻んだ表情に変え、頷き返す。



「解った。手続き等は此方に任せてもらおう」
「はい」


キラは、しなやかな身のこなしで頭を下げた。
パトリックはそれを無感動に少し眺め見ただけで、用は終ったとばかりに踵を返す。
そして開け離したままだった車のドアに手を掛けた、その時



「・・・・憶えておいてください」



背中から、耳に届いた言葉に、パトリックは動きを止めた。



「僕は、許さない。貴方も…ザフトも」



呟くように、囁くように。
まるで、枕元に立った神の啓示のような声、
思わず振り返って見た、その姿に。

神話の一節を描いたステンドグラスの――堕天使の姿が重なる。


天に在ったものが
ただ一つの存在の為、全てを捨て光を失う覚悟で、堕天となる。
しかし罪に漆黒となった筈の翼は、・・・その高潔な魂に、咎人の眼を灼く程の光を放つのだ。




「…ほう。では何が味方だというのだ?」



問い返した声に、被虐めいた笑みを浮べたその唇から、言葉が紡がれる。



「味方はいません。在るのは敵。「彼」を戦場に送るもの、総てが敵です…僕の」



パトリックはその「光」に、一度だけ深く眼を閉じた。





別にプラントをどう思おうが、関係ない・・・・自分の手駒には。

優秀であればいい。
ナチュラルを滅ぼす力があればいい。
そしてその瞬間まで、裏切ることがなければ。




パトリックはそれに答えることなく、車に乗りこむ。
ドアが閉まると、車は発進音をあげ、キラの脇を通り抜けた。






バックミラーに遠くなる堕天使は、
微動だにする事無く、此方を見つめつづけているのだろう。



「精々アスランには生き残って貰わねばならんな。神の加護が失われぬように」



パトリックは、瞼の裏側にいつまでも残る残像を捻じ伏せるように、手に眉間を押し当てた。




top