「キラ、時間だよ」
「うん、わかってる。2100までには戻るから」
「りょーかい」
よろしく、と上げた手で今日の運転手らしき男の手から鍵を攫う。
「自分で運転します」
チャラリと、シルバーのエンブレムが黒革のグローブの中で踊った。
すらりとした肢体に馴染む礼服。
テレビで馴染んだその顔に気づき受ける会釈に柔らかく微笑んで返しながら、青年は会場に背を向け
廊下を進んでいた。
進むにつれ人はまばらになり、玄関から外に出る頃には喧騒は遠くのものになっていた。
そして、駐車されている中の一台、黒塗りの車の前へと辿り付く。
コンコン
青年は、スモークの掛った窓をノックする。
すると確認する言葉も無く、カチンとロックの外れる音がした。
青年はドアを開けると、ドアの縁に手を掛け中を覗きこむ。
「相変わらず、人ごみは苦手ですか?」
若草色の髪が傾けた顔にふわりと掛る。
「…こんなタイミングで、プラントに帰ってくるなんてついてない・・・」
中には、倒したシートに沈む闇色の軍服。
気だるげに額に腕を宛てていたキラが、髪の隙間から恨めしそうにニコルを見上げた。
昔同僚として戦った五人は、それぞれ二つの道を歩いていた。
アスランとニコルは、評議会の末席・・・ プラント中枢部に籍を置き、
キラ・イザーク・ディアッカは、軍籍に留まっている。
『平和にお話し合い、って柄じゃないんだよなぁ』
『戦争がいつまでも続けばいいとは思わない。…が、ナチュラルに頭を下げるぐらいなら 悪役(ヒール)を選ぶ』
『僕は僕にできる事をやるよ』
それが彼らの弁だった。
「けど律儀に顔まで出しちゃったんですね。始めは来るつもりもなかったんでしょう?」
体を起こしたキラと、再会のキスを交しながらニコルは苦笑した。
眼鏡越しの表情が疲れ気味に見えるのは、気のせいじゃないはずだ。
帰港は確か昼過ぎで、休む時間があったとは思えない。
連戦の疲れもあるだろうが、宇宙に出ている人間にとって一番の負荷は重力差だ。
同じ擬似重力といっても、艦とプラントとではまったく違う。
いくら慣れているとはいえ、経験で変わるのは復活するまでの時間ぐらいで、艦で宇宙に出ている期間が
長い人間ほど、体に感じる負荷は重くなるのだ。
「そのつもりだったんだけどね」
心配する表情に気付いたのか、口許に浮かべた柔らかな笑みと共に軽くウィンクがかえってくる。
「ニコルに会えるって聞いたから」
キラは 、恐らく現ザフトでMSを駆らせたら随一の戦闘能力の持ち主だといってもいい。
彼と愛機だけで一個中隊を軽く凌ぐ程の力を持つ。
『白き死神』『ザフトの守護神』、彼の功績を讃え崇める声は未だ薄れる事は無い。
だがそれを聞く度に、泣きたい様な叫びたいような複雑な気持ちになる。
そんな名で、この人を呼ぶ人は知らないのだろう。
こんな風に笑う人だということを。
誰よりも人を殺しながら、誰よりもこの戦争の終わりを願っているということを。
ピピピピ。
思考を遮るように、ダッシュボードに置かれた携帯通信機からアラームがなった。
「いいんですか?出なくて」
「ただのアラームだから。この後待ち合わせしててね」
「アスランですか?」
「・・・違うよ」
キラの纏う雰囲気が少し変わった。
表情のみえない、深い蒼紫の双眸。
「じゃあニコル。また連絡するよ」
そう言って微笑んだ顔からは、そんな気配は消えていたけれど、
キラから送られた別れのキスは、それは見間違いではなかったと伝えるように、
ニコルの頬にひんやりと冷たい感触を残した。
ウエイターに案内され、曲がりくねった廊下の突き当たりにある個室のドアが開く。
重い扉の向こう。
正面にその男は座っていた。
「申し訳ありません。お待たせしました」
「私が無理を言ったんだ。気にするな」
男は手を上げて、給仕を下がらせた。
そして自ら、ミネラルウォーターの入ったブルーのボトルを取る。
「契約通り、役に立ってくれているようだな」
「・・・ 」
キラは男の方ではなく、グラスに注がれる透明の液体に視線をおく。
「アレと共に上げた戦績も、ザフトにとってかなり有益なものになった。ナチュラル共が受けた脅威は、
自分達の劣勢を現実のものとして認識せざる得まい。まあ今となっては表立って使えなくなったのが残念だがな」
「ありがとうございます」
言葉とは裏腹に顔も見ぬまま、書いてある文字を読んだだけというような言い方に、
男は僅かに呆れを含ませて息を吐いた。
「もう少し本心を隠すということを覚えたらどうだ」
「結構得意だと思っていたのですが、貴方は特別です」
眼鏡越し、男を映した瞳に鋭く光が映りこむ。
「それで、ここに自分を呼ばれたのは、そんな事を言うためですか」
「あぁ、そうだな。無駄話だったな」
男は外に向けて声を掛け、廊下に控えていた部下を呼んだ。
アタッシュケースの中から渡されたそれを、机に軽い力で投げ置く。
「見たまえ」
促され封を開け取り出した中身は、文字と数列で埋め尽くされていた 。
キラは訝しげな表情を隠しもせず、一枚二枚と捲っていく。
その羅列を追っていたキラの表情が、先ほどまでとは比べ物にならないほど険しいものへと変化した。
次第に震えだす 手。
「あ・・・ 貴方は・・・」
最後まで読みきる前に、封筒の上に書類が叩きつけられた。
「一体、貴方は何をしたいのですか!プラントの平和が守りたいわけじゃないのかっ!?」
「戦争で得られると思うのか?平和が」
「じゃあ、何のために」
「復讐だと言えば、満足か」
静かにそう言うと、男は机の上で指を組む。
「妻を奪われたその復讐だと言えば、満足か」
「・・・・・・・・・その為に」
バン、と落ちた書類に手を打ち下ろす。
「ニュートロンジャマー・キャンセラー搭載機の量産化に関与せよと?」
ギィッ、椅子が鳴った。
男が背に、体重を掛けた音だった。
「核の力は凄いものだな。何世紀も前に開発されたものとは思えない力を持っている。それを機体に転用すれば
性能も格段に上がるが、それを制御しきれる者が居ない・・・ いや居なかった。だがそれを可能にしたのは
他でもない、君ではなかったな」
「っ!!」
キラの手の中で、書類がぐしゃりと塊になる。
『二機だけこの機能を搭載した機体を製造する。それ以上は機密保持の限界だ。それに搭乗するのはアスラン・ザラ。
もう一人はイザーク・ジュールが適任か?半端なものは作れまい。核は『動力源』だ。完璧なものでなければ、死ぬぞ。二人ともな』
「こ・・・こんなにも」
手は未だ小刻みに震えている。
しかし、薄くキラの口許に笑みが刷かれた。
それによって、怒りの横顔は凄艶な美しさへと変わる。
「こんなにも殺したいと思う人間は、貴方しかいない」
バンッ。
書類の上を再度殴りつけると、キラは黒い軍服を翻し敬礼も残さず部屋を出る。
残された男はその態度に怒る様子もなく、寧ろ笑みに近い表情で椅子に背を埋めた。
「それでも殺せぬ、か。業の深さなら、大して変わらんだろう。――あぁ、それが解っているからか」
男は、遠ざかる軍靴の音に耳を傾けるように目を閉じた。