ガモフに着艦したと同時に、通信解放を要求するランプが頭上で点滅する。
ボタンを押すと、
『アスラン』
キラの顔がモニタに映った。
無表情でひらりらと指を動かしたキラの顔が、近づき覗きこむような感じになる。
モニタ上部に腕を凭せ掛けたからだろう。
茶色の髪が直接カメラに掛りぼやけて映る。
『出張になっちゃったんだってね。知らなかったよ』
「…朝のミーティング聞いてなかったのか」
『え、そうだっけ。って何?それじゃあ、知ってて駄々こねたの?』
駄々?
視線をずらすと、背後に小さくディアッカとニコルの姿が見えた。
自分と目が合った二人は、あさっての方向を向くと目を逸らす。
イザークとの諍いを告げ口したのだろう。
それにしても、駄々って…。
複雑そうに顔を顰めるアスランに、キラは肩を竦めた。
『そんなに真剣に考えなくてもいいのに。アスランのことだから、僕ができそうに無い事を
減らしていって少な〜い選択に絞ってから考えてるんじゃない?インスピレーションで
いいんだよ。ぱっと思い付いたことで』
「できない事を頼んでも意味無いだろ」
『できるできないは二の次。要は君が望むものだよ。アスランの「言葉」』
キラは口許で微笑むと、顔を離す。
『明日の0時まで。直接が無理そうなら、書いた紙を今みたいに見せてくれたら受けつけるから。
本当に、何でもいいからね。じゃ、イザークにあんまり迷惑かけちゃだめだよ』
ぷつん。
軽い音がして画面が暗くなり、イージスのコックピットに暗さが戻った。
「何でもって…」
アスランは呟くと苦しそうに眉を寄せる。
蘇ってくる、ヴェサリウスを出る前の、ディアッカの台詞。
――あーんな事や、こーんな事も許されるって事でしょ
その所為で、ガラリと意味を変えてしまった言葉。
キラの事は好きだし、大切にしたい。
けれど、偶に思うことがある。
あれだけ願った、キラが傍にいるという日々。
キラがザフトに、隣りにいさえすれば、そんな狂おしいような気持ちは消えるのだろうと
思っていた。
・・・けれど結局は、心の苦しさから解放されることはなかった。
気が付けば、心はキラを追うことしか許さなくて、離れる事がなくて。
欲求は止まることを知らなくて。
いっそ、その目に映るものが自分の姿だけだというのなら、
こんな気持ちになることもないのだろうけれども。
それは、キラがキラではなくなることでもある。
「アスラァン!!」
イザークのがなる声をマイクが伝えた。
アスランは心を静めるように、一瞬目を閉じると、ハッチを開ける。
そして、エレベータに先に乗り込んでいた、イザークの隣りに立つ。
「待たせた」
「…ふん、ようやく正気に戻ったか」
「そうだな」
アスランはヘルメットを外し、乱れて掛った髪を振るう。
(正気・・・か)
忘れてはいけない。
―自分は抑え込まなくてはいけない獣を、内に飼っているのだという事を。
「なんでもなんて、軽々しく口にするなよ…馬鹿…」
呟いた声は、エレベータの上昇音に紛れて、消えた。
ピッ。
通信をOFFにすると、キラは壁を支えにして背後の二人の許に跳んだ。
止まれるよう伸ばしてくれたニコルの手に掴まり降り立つと、ディアッカの顔を仰ぐ。
「ディアッカ。例のアレだけど」
「OK。ちゃんと手に入れてきた」
手ェ出して。
ディアッカの言われるままに差し出すと、手のひらすっぽりとはまる程の小さな箱が
載せられた。
「中、確認しとかなくていいか?」
「うん、いい。ありがとう。さすがディアッカっていろんな方面に顔が利くんだね。助かったよ」
二人のやり取りを聞きながら、ニコルはキラの手の中に納まった小箱を覗きこむ。
「何ですかこれ、もしかしてアスランへのプレゼント?」
「そ」
「え、じゃあ。キラはアスランが何が欲しいかって…」
解るんですか。と瞬きするニコルに、キラは曖昧な笑みを浮べる。
「うーん。解るっていうか…なんていうか…」
「イジメだよな」
ディアッカは、困ったように笑いながら言葉を濁すキラの首を、脇に抱えると
「キラも結構意地が悪いってヤツさ」
その額を人差し指で弾いた。
キラは、小突かれた額を擦りながら軽く睨む。
「なんだよ、人聞き悪いな・・・っそうだ。ディアッカ、アスランに余計な事言った?
さりげなく目が合わなかったんだけよね、さっき」
「なんでオレ限定なの?」
自分の腕に納まったまま向けられる視線に、ディアッカは片眉を上げ応える。
そして、「ディアッカだから」と即答を返したキラに、大仰に肩を竦めてみせた。
「うわ、オレ信用ねェの」
「ニコルと信用度対決しようって方が間違ってると思うけど」
「ディアッカ、何言ったんです」
「別に?「何でもって事はあーんな事やこーんな事してもOKなんだ」みたいな事言っただけ。」
「また、意味深な事を」
「含まれる事実をリピートしたまでさ。解って悩んでるのかと思ってたけど…まさかマジで
気付いて無かったとはね」
その時のアスランの不意をつかれた表情を思い出したのか、肩で笑いはじめたディアッカに、
「…普通は考えに入れないって…」
キラは呆れた顔で溜息をつくと、笑うディアッカの脇腹を肘で突いた。
・・・はぁ。
イザークと揉めるほどに考える時間が足らないと思っていたのに、実際に何を書こうか
決めようとしたら、いろんな事が湧きあがるばかりで収拾がつかなくなっていた。
大抵の事は対応できると思っていた脳は、オーバーヒー気味。煙が出始めるのも
時間の問題のような気がする。
仕事でミスする事はなかったが、目敏いイザークには「集中しろ」と何度か怒鳴られる
ハメになった。
仕舞いには『早く仕事が終われ』から・・・期限が・・・ずっと夜中が来なければいいと
思うまで考えるようになって。
しかし、そういう時に限ってガモフでの「仕事」は、予想よりもスムーズに終ってしまう
もので、日付の変わらないうちにヴェサリウスに戻ってくることになってしまった。
アスランは整備兵に機体を任せると、真っ直ぐに自室に向かい、詰襟を緩めながら
体をベットに投げ打つ。
ちらと見上げた暗闇でも浮き上がるデジタル時計は、まもなく夜中の零時。
タイムリミットまで5分足らず。
時が刻々と0に向けて進んでいく、静かな主張に耳を傾けていた、その時。
『アスラン、入るよ』
キラの声だった。
そして、返事を待たずに外の明かりが部屋に差し込む。
「うわ、なんで暗いの」
部屋の電気を、今までが暗闇だったことを考えたのか一番暗い光に設定したキラは、
いつもの指定席…デスクの椅子に跨ぐように座ると背もたれに腕を凭せかけ、
「どう、決まった?」とその上に顎を乗せた。
「・・・駄目だ。決まらない」
「なんでもいいって言ったのに」
「だから決まらないんだ」
アスランは、ごろりと寝返りをうつとキラに背を向ける。
「俺が望む事は…キラが傷つくことばかりで…。自分って人間の狭量さにつくづく
嫌気がさしたよ」
「例えば?」
首を傾げるキラに、
暫くの沈黙の後、ぼそりとしたアスランの声が返る。
「・・・・・・キラを泣かせてみたいとか…そういうことだ」
「ふうん。」
君が望むなら、別に良かったのに。
ピピッ。
その呟きを消すように、時計が日付が変わった事を知らせた。
キラは顎を乗せたままで、自分の腕時計に目を遣ると小さく息をつく。
「やっぱりね…アスランの事だから、決められないんじゃないかって思ってたんだ」
キラはよっこいしょ、と椅子から立ち上がる。
羽織っただけの軍服が椅子に擦れる音。
「欲望はどうであれ。君は人を傷つけてまで自らの欲求に忠実でいたい人じゃないから」
「そうか?そんなに優しい人間じゃないぞ、俺は」
「嘘。・・・あとで死ぬほど後悔するくせに」
耳を溶かすように甘く囁くような声が、すぐ耳元に伝わった。
驚いて体を半分起こしたアスランに抱き付くように、キラはその体に腕をまわす。
「キラ?」
突然の行為に混乱したアスランの思考が追い付く前に、キラの体は離れる。
緩めてあった胸元に生まれた冷たい感触。
元々首に掛けていた自分の名を記したドッグタグと共に揺れる、サラリとした手触りの
真新しい輝き。
トップに光る十字架は、光を反射する姿はメタリックシルバー・・・それは宇宙鉱石でできたペンダントだった。
左半分は細かい細工が施され、右半分は透かせば微かに向こう側を見ることができるというデザインの
ものだった。
「これは・・・」
「僕からのプレゼント。アクセサリーなんて君は興味ないだろうけど。一個ぐらいあっても
いいかなって思って」
「…キラ。こうなることを初めから予想してて…」
「なかったら用意できないよね。コレが間に合うか解らなかったから、紙は保険のつもりでも
あったんだけど」
眉間に皺を寄せたアスランに、悪びれもせずそう応えたキラは、
アスランの胸元に揺れる薄い十字架にそっと口づける。
「・・・Happy birthday Athrun」
唇を離したキラは、上から覆い被さるようにしてアスランの顔を覗きこみ、
ふりかかる髪の隙間から、悪戯っぽく笑った。
深く透とおり、底が見えない美しさを持った紫の目。
キラを包む微かな香りに感じる眩暈が、悩まされていた事など始めから無かった
ことのように自分の中から綺麗に拭い去ってしまう。
そして、キラの唇の温かさが鉱石を通して心に伝わるような感触が・・・手の届くところに
いるという確証に思え、酷く嬉しくて。
その嬉しさと、自分の単純さ加減に耐え切れなくて、くっくっと笑い出してしまった。
「・・・アスラン・・・不気味だよ」
引き気味な表情で口許を引き攣らせたキラを、少し強めの力で自分の胸元に引き寄せる。
「どうも俺は・・・キラの所為で・・・年を追う毎に救いようのない馬鹿になっていく気がするよ」
「酷いな、僕の所為?」
「そう、全部。だから…責任取れよ」
アスランはキラの唇にそっと触れると、キラが逃げようとしないのをいいことに
その体を抱く。
互いの体温が混じわり差がなくなっても・・・腕の力が自然に解けるのを待つように
ずっと・・・・長い間、抱きしめ続けていた。