「…」
タダでさえ緊張してて暑いのに、襟までキュッと詰められた服を着ていないといけないし。
「……」
何より前フリが長すぎだっての…。
「…もう…駄目だっっ」
「あっ、おいっシン」
「トイレだよっ。すぐ戻るっ」
列からそろりと抜け出し、脇の通気口から講堂外にでる。
こういうとき、此処で学んできた事はひじょーに役に立つ。
更に勝手知ったる構内だ。
動くのに鬱陶しい首元のホックを外しながら、トイレまでの最短コースをとる。
今日はオーブの元首であるウズミ様が視察に訪れる日。
テレビでは何度も見たことがあるけれど、生で見るのは入学式以来二回目だった。
自分が守るべき…人たちを。
オーブは「中立国」で、戦争とは無縁という風に暮らしている人達ばかりだと思われがちだけれど、
実はそうでもない。同じくらいの数…「裏」に携わる人たちがいる。
連合やプラントと対等に渡り合う為には、どちらに服従を求められても、跳ね除ける程の力を
持っていなければ意味が無いからだ。
勿論そんなイザコザに嫌気が差したからオーブを選んだという人たちもいるけど、ナチュラルだ
コーディネイターだという事に囚われることなくことなく優秀な人材を広く受け入れ、更に能力が発揮できる場を
提供できる国 …それを求めてオーブ国籍を持つことになった人も少なくない。
かくいう両親も自分達の仕事…そして将来を見据え、オレをコーディネイターとして生むこと、そして育てていくこと
を考えオーブに移住を決めた人達だった。
だからだろう。
小さい頃から、<オーブ>が中立国として在ろうとする信念がいかに大変な事で…如何に誇るべきものか
という事を言い聞かされてきた。
更に父さんの仕事柄、普通のオーブの人達に比べて「裏」の世界に触れることも多かった。
本国の研究施設の敷地内にあった家に住んでいた頃、日課は近くにある高台に登る事だった。
そこは部隊の飛行訓練の通過地点で、白い雲を従えて飛ぶMA…轟音と共に風が生まれるのを
母さんが迎えに来るまで飽きることなくずっと見上げていた。
あまりの執心ぶりに、父さんは勤めている工場施設も見学させてくれた。
所長さんの好意で、もう何年後かに実用化されるMSの試作機を見せて貰って、その大きさに眼を輝かせた。
『いつかこれに乗りたい。そしてオーブをまもりたい』
いつしか、それは夢になっていった。
軍に入るには通常の教育課程を終えてから・・・という方法が普通だったけれど、他の方法…更に上を目指そうとする者に
示される道もあった。
子供の頃から普通の授業に併せ各個人の特性に合わせて専門的な教育が受けられるという養成機関がそれだった。
折角コーディネイターとして生まれたんだし、それに何より、早くあの大きなMSのパイロットになりたいという
想いは強くなっていくばかりだった。
そこで二年前、通っていた本国の幼年学校から月にあるココへと編入してきたのだ。
ザーッと出しっぱなしにした水で手…ついでに顔を洗って頭を振る。
濡れた前髪を掻きあげた所で、鐘の音が遠く聞えてきた。
「・・・やっば」
腕時計を確認して、慌てて飛び出す。
サボりたくて出てきた訳じゃない。
ウズミ様も、ムラサメ隊の模擬戦闘も、見逃す気は、更々なかった。
気配一つ感じない、 しんと静まり返った廊下を戻る。
走る息遣いと靴音だけが、妙に大きい。
中庭に抜ける最後の曲がり角を曲がろうとして
「!?」
・・・反射的に壁にへばりついてしまった。
白やグレーの景色の中に、唐突に目に飛び込んできた鮮やかな若草色の…ひらひら。
オレは壁に背中を添わせて、もう一度そっと覗き込む。
「カ、カガリさま…だ」
やっぱ見間違いじゃなかった。
オレは眼を見張る。
(一緒に来てたんだ)
ウズミ様の横に居るのをテレビで見たことはあるけれど。
こんなに間近で逢えるなんて。
ゆっくり唾を飲み込むように息をして…その姿を見つめ直す。
(護衛の人はいないみたいだ)
カガリ様はこっちの視線に気づかず、器用に窓の淵に腰掛けて、足をゆらゆらさせていた。
外からの光を受けて金の髪がきらきらしている。
暁の姫。
その優しげな横顔は、 春の日差しみたいだ。
ほとんど年は変わらない筈なのに、少し大人びてみえて…。
…。
…あれ?
もう一人、向こうから悠々と歩いてくる人がいる。
服装は男っぽいけどその顔は確かにカガリ様で…?…カガリ様が二人…?
「よう!キラ。ご苦労」
「ご苦労、じゃないよ。なんのつもりだよ。身代わりなんて」
「お前が居たら苦労なんて半分以下で済んでるんだ。偶には私の苦労も味わえ」
「ばれたらどうするつもりなんだよ」
「だいじょーぶ。喋るわけじゃないし。完璧だ!」
「暑いんだよ?これ」
と思ったら、片方は髪が取り外し可能で…え!?
「えぇぇっ!?」
思わず声をあげてしまった。
「だれだっ」
口を蓋しようにも、思いっきり声を上げてしまった後。
わたわたしている間に、ふわ…とドレスが廊下に舞い落りる。
そしてこっちに向かって走ってくると素早い動作で襟元を掴まれた。
「っ」
その速さに、 つい反射的に体が動いてしまった。
どう見ても同じくらいの年で、自分みたいに特別な訓練も受けてなさそうで、 ドレス姿で
しかも、カガリ様の顔をしていたのに!!
「しまっっ」
頭の中で冷静になれっオレっと思った頃には…淡いグリーンの布が目の前で大きくひるがえって
<カガリ様>は廊下の床で強かに頭を打った後だった。
「いったっ」
「大丈夫かよっ」
敬語とかそんなのは頭から吹き飛んでいた。
慌てて覗き込んだ眼は…ショックでコンタクトが飛んだのかさっきまでと片方の眼の色が違っていた。
吸い込まれるような紫陽花色。
こっちが本当の色・・・なのか。
見惚れているうちに飴色の髪がその眼に掛かる…。
「キラ!!」
「何をやっている」
ドレスの胸元を掴んだままぼうっとしているうちに足音が近づいてきて、体を引き離されて
下の少女が助け起こされる。
「キラ!!大丈夫かっ」
「うん。へいき…」
へいき、という言葉にホッとしたのも束の間、強い力で腕が掴まれ振り向かされる。
「お前はここの生徒か。この方は大事なお方だぞ。解っているのか」
正規の軍服だ…。しかもこの人の顔にも覚えがある。
確か…最年少でムラサメ隊の隊長になった…
「キサカさん」
いたたた。
頭をさすりながら、片ひざをたてたカガリ様…じゃない。茶色の髪をした女の子が
更に怒鳴ろうとしたキサカ隊長を止めた。
「その子は悪くないよ」
「しっしかし…」
「そもそもはカガリが悪いんだし。ね、カガリ」
「う・・・」
その子に付いていた埃を払っていたカガリ様の手が止まった。
そして伺うようにその子を見ると、「ね」と再度言葉を重ねられ…ゆるゆるとキサカ隊長に目を移す。
「そ…そうだな。コイツを混乱させるような事をしたわたしが悪い…な」
「・・・まぁ…この場合はそうだろうな…」
二人の姿を改めて見比べて、何があったか一瞬で理解したらしいキサカ隊長は大きく息を吐くと
腕を掴んでいた力を緩めた。
カガリ様が二人…想像もしたことがないような現実と。
ムラサメ隊の隊長に間近で怒られた迫力とショックで、思わずへたりこんでしまったオレに、
暫くして細い手が差し伸べられた。
「わたしはカガリ。そっちのは弟のキラ」
「カ…カガリ様!?」
慌てるキサカ隊長に、カガリ様は口を尖らせた。
「面倒くさいじゃないか。これだけ似てるのに従弟も親戚もないだろう」
「影武者でしたって手もあるけどね」
くすくすと笑いながら、カガリ様の隣からもう一つの手が延ばされる。
「このことを知ってるのは、大人の人はどれだけ居るのか知らないけど、子供ではこの三人だけっていう
すっごい秘密なんだよ」
「そうなんだよなっ!あっ、それじゃあ、これからは気兼ねなく遊べる奴が一人増えたって事だな!」
「そうだね。こんな変な事いちいち考えなくても、退屈しないよ」
「カガリ様っ、キラ様!!」
焦った声を上げるキサカ隊長を背に、二つの手がオレの手をそれぞれ握って立ち上がらせる。
「お前、名前は」
「シン…です。シン・アスカ」
「シンか」
二人は顔を見合わせると…その表情を満面の笑みを変えて此方に向ける。
「「よろしくっ。シンっ」」
あぁ。
ぶんぶんと握った手を振り回されながら、目を細めた。
太陽はやっぱり 眩しくて…暖かい光のカタマリなのだと
そう、思った。
二人が去った後、案の定…というか当たり前だけど別室に呼び出された。
其処にはウズミ様とキサカ隊長がいて・・・二人の関係は絶対に喋ってはならないと口止めされた。
友達にも、両親にも、誰にも。
けど、厳しい口調で厳命されたその後…うって変わった優しい顔でウズミ様は続けられた。
「二人のことを、よろしく頼む。シン・アスカ」
オーブにはまだ小さいけれど…真昼を照らす太陽と、夜を護る月がある。
オレの夢はMSのパイロットになること。
そして…。
「はいっ」
オレは背筋を伸ばすと、ありったけの決意を込めて返事を返した。