HOLY BLOOD――楽園



…動物が傷口を舐めて治すって、こんな感じだったよな。

掴まえた腕に唇を落すソイツの事を眺めながら、ディアッカはぼんやりそんな事を思っていた。

今会ったばかりの、何者なのかわからないヤツ
しかも女の子ならともかく、男にされるがままを許すなんて、らしくない・・・と思う。

男でも女でも、どちらでも納得できるような容姿の所為もあるかもしれないけど
何よりも少年の持っている雰囲気に、緊張とか警戒や痛みさえも効力をなくしているような気がして。

普通ならこんな深い・・・見たことも無いような傷。
麻痺が途切れて思い出したように襲い来る痛みに、 オトナがパニックになってもおかしくない。
痛いと泣き叫ばない今の方が変だ。

けど、気持ちはいつのまにか不思議なほどに落ち着いていた。

ナチュラルとは絶対に違う・・・同じコーディネイターなのだろうけど、 少し異なった感じがする空気。
唇の冷たさは感じなくなったが、冷気に湿って冷たいままの黒に近い茶色の髪。

大抵の場所にはノーチェックの自分が、入ってはいけないという此処に、居るということ。
考えれば考えるほど、「何故」は増えていったけれど、「気持ちが悪い」とは思わなかった。


大丈夫。


根拠なんて全然無い、自分でも何処からくるのかわからない自信。


守られている。


だから何も心配しなくてもいいと
微笑むことさえ、できるような気がしたのだ。






「やっぱり、これだけじゃ追いつかない…か」


暫くして、軽い溜息と共に唇を離した少年が、ポツリと呟いた。
その声に、ディアッカは知らずに目を閉じていたことに気付いて、薄っすら目を開けた。
ソイツは、口元に手を宛て何か考えを巡らせる表情をしていたけど、それも一瞬の事で、
直ぐに 「仕方ないよね」と吹っ切ったように
一人頷く。

そして、自分の目よりも少し青みがかった紫色の目できょろきょろと辺りを見回すと、
ディアッカの首に掛かったままになっていたヘッドホンに止めた。

そのまま視線を下ろした少年は、ポケットの中に手を入れプレイヤーを取り出す。
ソイツの手によって、目の前に掲げられたそれは、本体は無傷なものの、ヘッドホンに繋がっている筈のコードが
中途半端に溶け落ちて垂れ下がっているという
無残な姿になっていた。

ソイツはコードがついたままのプレイヤーを地面に置き、中から取り出したディスクをその上に置く。
そして立ちあがり、そこら辺に転がっていた大きめの石を持ってきて再び屈むと、プラスチックに守られた
七色に光るディスクにむけて容赦もなく振り下ろした。



ガシャッ、ガシャッ。

どんな有様になっているのか音だけで想像できるような・・・聞いていたくない音が辺りに響く。
そして、何度目かの衝撃で、ディスクはいくつかの破片に変った。

ソイツはそれをいくつか拾い上げると手の中で選り分けて、他は地面に落していく。


持ち主に何の了解もなく、無残な姿になってしまったディスクだったモノ・・・。
声には出せないものの全力で睨みつける気配に、ソイツは気付いたみたいだったけど「ごめんね。非常事態だから」と
平然と応えるだけ。


非常時とディスクを割る事とに何の関連性があるんだ!
しかもプレイヤーを台にしやがって、この一ヶ月前に買ったばかりだったのに。


・・・しかし、体の状態を省みず叫ぼうとした怒りは、次に少年が取った行動に言葉にならなくなる。


ソイツは手に残した鋭い破片を、何の躊躇いもなく握りしめたのだ。
そして、更にもう片方の手を重ねると、ぎゅっと此方からも解るほどに力を込めた。


「だいじょうぶ。慣れてるから」


息を呑むディアッカに、変らぬ調子投げられたその言葉どおり。
少し眉が動いだけで、少年の表情に大きな変化はない。


な・・・なれ・・てるって・・・。


呆然と見つめる前で、
握り締めた手の隙間から溢れ出す赤。
真紅の血の珠が幾つも落ちてきても、
ソイツは、破片を握る力を緩めようとしなかった。

間隔が短くなっていく雫。

ソイツはそのまま傷口に握った手を掲げると、落下に任せる。



両の腕に吸い込まれていく血。
ぽつぽつと。
傷口が赤の雫に染まっていくのが見える。


暫くして、どくん、と一際大きく心臓が脈打つのがわかった。
そしてそれが合図であるかのように
血が触れたそこから、皮膚が燃えるような熱を発して活性化し始める。
痛みとは別の苦しさが体を満たして、呼吸が荒くなってくる。
まるで体中の体温が一斉に上昇し、体の機能の全てが腕の傷口に向かうような・・・。


少年はその変化を見届けると、ようやく握り締めていた手を緩めた。


「苦しいかもしれないけど、これで、だいじょうぶだから」


微笑む、気配。
ディアッカは芝生に頬を埋め、太陽に逆らう眼差しでその顔を見上げた。



「お前・・・は大丈夫なの?」


まだ自由にはならなかったけど、やっと喉を声が通る。


「手・・・血、出てんだろ・・・それにつめたいし・・・顔色よくねぇし」
「ん。慣れてるから平気だよ。それに、冷たいの・・・・は・・・実験・・・」


・・・せい・・・。

ぐら。

全ての言葉を言い終わらないうちに、その体が音もなく傾いだ。

ディアッカは、目を見開くと反射的に体を起こす。
急に起き上がった所為で、さあっと血が引く気がしたけど、膝をつきながらもなんとか立ち上がることができた。
慌てて倒れ行く体を支えようと手を延ばす、が。


自分とソイツの間を過ぎる白い影。

「きら」

鼓動を攫うような声音で、名前を呼んで。
そして、
お前なんかには触れる権利は無い、と拒むように此方に差し出された腕の隙間から覗く
翡翠の瞳に動きを止められる。


「どうしてキミは、こう無理するの」


困ったように、けれど愛おしそうに囁いた少年は<きら>の体を地面につく前にふわりと抱きとめた。




橙色の髪に、翠の目。
見目は同じくらいの年・・・だろうか。

ソイツ・・・<きら>と同じ白い手術着のようなゆったりとした服をを着た少年は、 腕におさまったソイツの手を解き、
破片を丁寧に払い落す。
そして力を無くした手に、静かに口付けた。


何処となく現実味のない光景。
目を伏せ深く口付ける様に目を奪われる。


ソイツといい、この少年といい・・・傷に触れることを何とも思わないのか・・・。
芝生に落ちた血まみれの破片。
舐めて治るような傷でもないだろう・・・。



ただ立ち尽くして見ていることしかできなかったディアッカの耳に、建物の
方からくる幾重もの足音が届いた。


ちっ。
オレンジの少年もそれに気付いたからか、<きら>の手のひらから唇を離すと小さく舌打した。

一瞬建物の方に目をやったディアッカだったが、その音に再び二人に視線を戻す。

「エラくタイミングいいんだね。見えないところでキラがやったことまでは知らない。

アンタの怪我はなかったことになる」

直接的な棘がある言い方ではない。
朗らかとさえ言える口調だ・・・その内容を聞かなければ。


「実験以外の使用は認められない、決めた張本人も人の親ってわけだよね」


ぞくりとするような、氷の眼差しでなければ。


少年は、壊れ物を扱うような手付きで大切にキラを抱えあげると、すっくと立ち上がる。

「な、なあっ」

ディアッカは、反射的にその背中を呼び止めていた。


「お前らは一体、・・・ここはなんだっての」


此処で聞かなければ、ずっと答えが解らないままになりそうな気がした。
少年は歩きかけていた脚を止めて、めんどくさそうにちらりと肩越しに一瞥する。

「お坊ちゃんは、ノウノウとその地位に甘えていれば?」
「なんだって?」

その言いように何か言い募ろうとして、オレンジの髪の隙間からの視線に黙らされる。


「<楽園>だよ。ボクに訊かなくてもキミは知ることのできる立場にある。けど何も知らなくても
生きていけるよ。ただボク達とはもう一生会うことはないだろうけどね」



それ以上の言葉は聞かない。
歩き出した背中はそう言っていた。
<きら>と同じように裸足で芝生を踏み、建物の方に向けてあるきだす。


「ディアッカ!!」


入れ違いに
親父が建物の中から走りでてきた。
強く抱きしめられる腕の隙間から、幾人かのオトナ達に囲われて、二人は建物の中へと消えていくのが見える。
オレンジの髪の少年は、<きら>を受け取ろうとした一人を無視して、しっかりとその体を抱えなおす。

その姿が、とても印象的だった。




「どうだ」

頭の上で親父の声がした。
すると、医師らしき男が近づいてきてディアッカの腕をとった。

「流石ZERO・・・といったところでしょうか」

感嘆の声と共に、ディアッカの腕を一頻り診たあと、腕は開放される。


「他のレベルではこうも早い効果は見られない。一週間もすれば、跡も消えるでしょうね」


疲労感が体を苛み、親父となにやら難しい話を始めたみたいだったけど頭は回らなかった。
親父抱かれたままで、自分の腕を改めて動かしてみる。

まだ痛かったけど、痛みの種類が覚えのあるものに変ったような気がした。

引き攣ってピリと痛む・・・火傷が治りかけた時のような・・・。
乾きかかった血の向こうに、薄い皮膜の存在を感じた。


治りかけてる?あのピンク色の傷が?



――苦しいかもしれないけど、これで大丈夫だから



まさかあの・・・<きら>が治した・・・のか?



「・・・親父・・・」



ディアッカは建物を見つめたまま、言葉を落す。


「・・・・アイツらは何?」


親父だけでなく、周りを囲む大人達の視線が集中するのが解った。
そんな事はまだ知らなくていいと、言っている目だ。



けど、まだ残っている。
燃えるような熱を発した傷よりも、あの唇の冷たさが。


――慣れてる、から。


アイツはそう言った。
深い傷を見ても動じなかった。
自分を傷つけて、血を流すことに慣れているといったのだ。



ディアッカは父の腕から離れる。



そしてまだハッキリしない意識を繋ぎ直すようにひとつ瞬きをすると、
挑むように強く目を上げた。




「・・・ここは<楽園>なの?」



全てを・・・知る為に。