Holy Blood-ZERO5




…また、あの子供だ。

金色の光に包まれた、4.5才の子供が目の前に立っている。その子供はくるりと体を翻すと、
その背に羽根が生えているかのように軽やかに走り出す。

「・・」

何時の頃からか夢に現れるようになったこの少年の名前を、アスランは夢の中だけ呼ぶことができた。

「・・」

特別で、大切な言葉。
目覚めれば忘れる、幻の言葉。

アスランはその名を繰り返し呼ぶ。

叫び続けなければ、その少年も自分の中にある記憶も、消えてしまう

…それを知っていて恐れていた。

「・・」


しかし、少年はそんな呼びかけに、立ち止まり振り向くことは無い。

そのまま光の中に後ろ姿を溶かしてしまう筈だった…いつもなら。


けれど今日、初めてその足が止まった。



光の粒子が舞い交差する、二人だけの世界。
歩けば、縮まる距離。

手を延ばして、その小さな肩を掴む。


途端、あたりに散らばっていた光の一つ一つが眩い光を放ちはじめた。
アスランは腕で目を覆うが、それだけでは耐えられずに眼を閉じる。


そして、眩しさが収まり、伺うように開けた目に映ったのは子供の姿、ではなく、

頬をくすぐるさらりとしたブラウンの髪だった。

そして…唇に触れる…何か。


そのリアルさに、一気に意識が覚醒する。



キス、だ。



唇から伝わってくるあたたかさに、夢の中の光の温度を見た気がしてざわりと、体が総毛だつのを感じる。

何の覚悟もない上に、思いがけず深く心に踏み込まれたことに、我を忘れたのかもしれない。

その人物が誰なのか、何故キスをしているのか考える前に


パシッ



その頬で、手のひらが鳴っていた。






「同室、ですか」

アスランは、クルーゼが書類から顔を上げていないのをいいことに、思い切り顔をしかめていた。
 

予想もしていなかった宙域での待ち伏せ。
固定ベルトで体が引きちぎられるかと思うほどの衝撃に、胸の骨の一、二本は覚悟していたのだが、

メディカルチェックでは意外にも軽い打ち身程度の異常しか認められなくて、そのまま勤務を続行することにした。
医務室から出たその足で報告をするために、クルーゼの執務室に向う。
偵察結果・被害報告などはイザークが済ませておいてくれたため、アスランとしては怪我の状態を聞かれるだけだったのが
…まったく関係ない別件として、告げられたのが、
バルトフェルド隊から転属になったという、キラ・ヤマトと部屋を共有しろという命だった。


…まさか「キラ・ヤマトにせまられたんです」と言えるはずも無く



「どうした?何か不都合なことでもあるのかね」



沈黙を訝しむクルーゼの声に、アスランは慌てて表情を戻し姿勢を正すと「いえ、了解いたしました」と踵を鳴らして
敬礼し退出してくる他なかったのだ。

目の前でクルーゼの執務室の扉が閉まり切るのと同時に、はぁ…アスランは重く溜息をついた。


『綺麗な顔だからね、つい…趣味なんだ』


アメジストに青を溶かし込んだような瞳を持つ少年の声が耳によみがえってくる。
…アイツは、キラ・ヤマトというのか。

キラ。

声に出さずに、その名を繰り返してみる。


唇に馴染む音、だと思った。
ほんの少しの間、顔を合わせただけというのに、その容貌が妙にハッキリと記憶に残っていると気付く。

アスランは無意識に、唇を指で辿る。


男に挨拶以外のキスをされたのは…・・・二人目だった。


『あのね、アスラン…キミ眉間に皺寄せすぎ』

とん。人差し指が、眉と眉の間に置かれて。

『折角綺麗な顔してんだから、勿体無いでしょ』

余計なお世話だ。
アスランが払いのけようとする前に、そいつは指を退けその代わりと言わんばかりに掠めるようなキスをする。

予想できなかった仕打ちに呆気にとられたアスランに向け、その元凶は、

『気にしないの。愛情表現なんだから』

悪戯に成功した子供のような顔をして、軽く片目を瞑る。


そいつ…ラスティ・マッケンジーは、ギクシャクしがちな5人の中心だった。
ラスティが居たから。協調性に乏しい4人の個性が絶妙のバランスとなり、ここまで一緒に戦ってこられたのだと思う。

人に触られるのが嫌いなのを知ってる癖に、ワザと触りたがって。
自分やイザークにいくら邪険にされてもメゲることなく抱きついて。
心配性で、おせっかいで。
5人の中で一番の年上の癖に、一番子供っぽくて

その癖、屈託の無い笑顔のままで、自分が戦うのはプラントの為でも、コーディネイターの名誉を守るためでもない。
と、何の臆面も無く言い切る…暁色の髪をした同居者は、決してその本性を掴ませようとしない、風のような奴だった。


しかし…その彼はもう居ない。

連合軍が秘密裏に開発していた機体を奪還する際、投げこまれた手榴弾の爆発に巻きこまれたのだ。
自分は助かったが…ラスティは駄目だった。

ラスティ自身のではなく、自分の体に応急処置を施して庇うように被さって・・・息絶えていた。


血に汚れた顔の優しさに、もっと人は苦悶の表情で死ぬものだと思っていたから尚更、その事実が信じられなくて、
誘爆の炎が迫り来る中で魂が抜けたみたいに立ち尽くした。

しかし、感傷を抱いている時間は残されていなかった。

…任務は「奪還」。
タイムリミットは直ぐ其処に迫っていて、既に事切れていたラスティを運ぶこともできなかった。

無我夢中で赤の機体に乗り込んで施設から脱出した直後、背後で炎と轟音に包まれ施設は崩壊する。


その炎の腕にラスティを抱いて。



居るときは、いちいち構ってくるラスティを煩い、放っておいて欲しい、そんな風にしか思っていなかった。
けれど、ラスティが居なくなって、 部屋でひとりきりになって、ふと空になったベットに目を遣ると、決まって見えるのは
…後ろでに手をついて足を組み、笑う幻影だった。


『ね、アスラン。コミュニケーションって言葉、知ってる?社交辞令じゃないよ。意・思・疎・通』
『必要ない』
『なんで?』
『戦場に…これからの道に馴れ合いは必要ない』
『そうやってアスランは、ずーっと一人で生きてくの?誰も心に入れないで』
『大切な人を…守りたい奴をつくれば、それだけ悲しみが増える理由にしかならないだろう。…こんな世界では』

『失うことが、怖い?』


その時は無言で返したが、ラスティの言うとおり、小さい頃から強迫観念というのだろうか
…とにかく人が去る背中を見るのが、苦手だった。
そして、たったそれだけの事に、怯える自分も嫌だった。

だから心の中に大切な人を作らない事で、全てが「他人」で自分の許に留まる事はないのだと、
自分自身に言い聞かせる理由にしていたのだ。

『臆病だとはおもわないケド…』

それは、哀しいね。

鏡のように自分の顔を映していた同じ色の眼が、部屋の天窓の方へと向けられた。


『ボクはね居るよ。何を引き換えにしても守りたい人が』

ソラの繋がる先、どこか遠くを見て微笑むその表情。
その横顔を見たとき、アスランは思わず息を呑んだ。

それは、初めてみる生身のラスティの表情のような気がしたからだ。

『プラントが無くなっても動揺しない自信があるけど…その存在がなくなったらボクは狂う自信がある』
『ラスティがここで戦う理由は、その人を守りたいから、か?』
『…うん、それもあるし』

ラスティは脚を組みかえると、此方に視線を戻して、微笑みから口端を上げる笑い方に変える。


『ボクが死んだら、泣いちゃうから。泣かさない為に…負けない為に戦ってんの』


本気なのか冗談なのか、直ぐに茶化してあいまいにしてしまうラスティに、アスランは眉を潜めたが、
さっきの表情を嘘だとは思わなかった。
ホンモノだと思った。

『…・・・本当に大切、なんだな』
そう言うと、ラスティは揺ぎ無い笑みを浮かべて「勿論」、と応える。




『ボクの宝物。暗闇しか見えなかった世界に色を見せてくれた、たった一つの光だもの』



そして笑顔を残して幻は終わる。

自分には、そうやって笑うことのできるラスティが、光そのものに見えた。
失うことを恐れずに、たった一人を大切だと言えるその強さが羨ましかった。

恐れていた「喪失」。
…まだ自分は臆病で、傷つきたくないと思っている。

けれどそんな風に幻でも、また覚えていられるのなら…再び会えるのなら…。


自室の銀の扉の前に立ち、開錠コードを入力する。
扉が開くのを待ってアスランは、部屋に入るため何気なく足を踏み入れたが、
唐突に置かれてあったアタッシュケースに躓きそうになって、咄嗟に壁に手をついた。

(もう、来ていたのか)


自分のものではないアタッシュケースを後目に、襟を緩め部屋に視線を移す。
そして目に入った緋色の背中に、片付けぐらいしろと文句を言おうとして…アスランは言葉を止めた。

先客…キラ・ヤマトは微動だにせず、じっとベッドに目を落としていた。
茶色の髪に守られた眼差しの先にあるのは、まだシーツも掛けられていないベッド。
何か言いたげに緩められた唇は、言葉を紡ぐことはない。


(何を…しているんだ?)


何故か言葉を挟んではいけない雰囲気に囚われ、暫くそのまま見守っていると、キラは振り切るように目を閉じて
ベットから目を逸らし、傍らのデスクに向き直り何事も無かったように、淡々と片付け始めた。
既にラスティ個人の持ち物は置かれていなかったが、支給品としてあるものはそのままになっていた。
勿論それを敢えて触ろうとは思わなかったから、ラスティが居たときのままの状態で残されている訳で。

それを黙々とキラは置き換えていく。
アスランは体に怒りが満ちていくのを感じていた。

ラスティの事をまったく知らない奴に、ラスティの居た記憶さえも消されてしまうようで。
無性に腹が立った。


「そんな、片っ端から片付けていくことはないんじゃないか」


自分でも驚く程に冷たい声が出た。
その声に、キラの手が止まる。

「…居たんだ」

キラはさして驚いた風でもなく僅かに振り返ると、表情の見えない視線をアスランに送る。
しかし、そのまま止まることは無く、再び手を動かし始めた。

「癖が残ってるから。左利きだった…みたいだし」
「……」


――よろしく、アスラン・ザラ



初めての対面で握手しようとして、利き腕の所為ですれ違った手。

言われるまで忘れていた記憶が、瞬きと共にフラッシュバックする。

「いつまでも後生大事に残していても辛いだけだろ、君も」
淡々と続けられる言葉。

確かに、次の持ち主はキラだ。此方に口出しする権利の方が無い。
…しかし、謝る気にはなれなかった。
眺めていても嫌な気持ちが増えていくだけだ。

カタカタと片付ける物音に背を向け、アスランは軍服を脱ぎベットに放りながら目を狭める。


…キラ・ヤマト。


口調も、容姿もラスティとはまったく違うのに、今日彼に出会ってから妙に記憶が呼び起こされ
ている気がする。

(たかがキスにどれだけ動揺しているんだ、俺は。)

アスランはこれ以上ペース乱されるは御免だとばかりに、普段あまり手にする事の無い
イヤホンに手を伸ばし、耳にはめた。