「ずいぶん…がらんとしてるんですね」
キラは、少年の後について格納庫が見える通路を横切りながら、疑問に思っていたことを口にした。
シャトルの発着場と、MSが収められている格納庫は場所は違えども遠くないところにある。
艦内に案内される途中目に入った其処は、ナスカ級戦艦であるにしては待機している機体が少ないように思えたのだ。
「気付きましたか?そうなんです。作戦途中なので、出ている機体が多いんですよ」
にっこり、という表現がぴったりな笑顔で、ニコルと名乗った少年は肩越しに振り向いた。
「といっても、まだ偵察の段階なんですけどね」
…ここは、まだ平和だ。
キラは相槌を打ちながら、そう思わずにいられなかった。
前に居たバルトフェルド隊は、戦闘が無い時にであっても何処か緊迫感が漂っていた。
けれどここには、最前線の内の一つである筈なのに、戦争を感じさせない空気がまだ残っている。
死の気配が遠い。
ラスティが死ななければいけないような、そんな事態に陥った事があるようには到底思えなかった。
「どうして…」
「はい?」
誰の為に、ラスティは死んだのかな。
吐く息が言葉に変わるその寸前で、キラは息を呑み込んだ。
艦に於いて<移植者>の存在は、特定の階級持ち以外には極秘とされている。
戦闘で、周囲全てが傷ついた事態に起こるであろうパニックを回避するためだ。
…途中で消えた言葉の続きを待つニコルに、なんでもないとあいまいに誤魔化しながら、それでも頭のどこかで
聞いてしまえと囁く声は消えなかった。
彼は赤を着る立場の者だから、<移植者>の存在を打ち明けても構わない部類の人間だ。
何故
何処で
誰に、ラスティはその命を渡したのか
直接的なことは解らなくても、該当する人物は絞れる筈。
けれど、真実を恐れる気持ちもあった。
ここでその誰かを知ったとき、任務と割り切って一緒に居られる自信など・・・あるはずがなかったから。
心臓の音が煩い。
キラは、ぐらぐらし始めた視界を切り離すために、目を瞑る。
「まだちょっと…宇宙に慣れない…のかな」
ちゃんと笑えただろうか?
自分の痛みのように眉を寄せ気遣ってくれるニコルの手を、気付かれないように避けながら、
キラは格納庫が映るガラスに凭れかかる。
と、眼下の格納庫に居る人間が、慌しく走り回っている様子が目に入った。
ニコルもその事に気付き、厳しい眼差しになる。
「何か、あったんでしょうか」
ニコルが呟いた時だった。
格納庫に赤いランプが、そして艦中にカタパルトの緊急開放を告げるアラートが響き渡る。
<<デュエル・イージス着艦。機体損傷、パイロットも負傷。メディカルチームは至急・・>>
「えっ、ただの偵察だって言ってた筈…って、ちょっと!」
キラの行動は早かった。
ニコルがキラの動きに気付き呼び止める頃には、近くにあったエレベータに滑り込んでいた。
ザフトが有する主力機以外の、聞きなれない固体名称を持つ機体。
そのパイロットは、紅。
…任務だ。
キラは格納庫へと向かうボタンを探り、押した。
「くそっ、変な具合に回線がやられちまってる!ひらかねぇぞ」
「パイロットからの応答はありません。気を失っているのでしょうか。生命反応に異常はみられませんが」
「そっちとそっちの端末迂回させろ」
怒号が飛び交う中、すっと横から割り込んできた手が、小型端末を奪い取った。
「すみません」
ざわめきたった周囲の中に、不似合いな落ち着いた声。
その声と共に手の上から奪われた端末。
緊急を要する事態だというのに、横から仕事道具を攫われた技術者は声を荒げようとして、そのいでたちに言葉を飲んだ。
その顔に見覚えはなかったが、その軍服の色。そして伏せられた深い紫の眼差しと纏うオーラはまさしく「紅」。
茶色の髪の少年は、叩くというよりは触れるだけといった風にコンソールを操作すると、黒い画面に浮かぶグリーンの文字を目で追う。
そして、暫くも経たないうちに端末が手に戻された頃には、 "OPEN"という 大きな白い字が浮き上がっていた。
何が起こったのかわからないといった風に、ぽかんとしている整備兵達を残し、キラは損傷が激しい方の赤い機体に
向かい床を蹴る。
そして外部からの開放スイッチに触れると、シュンと音を立ててハッチが開いた。
まだ、外と内の繋がりが切れて間もない状態。
急速に艦内環境は平時に戻ろうとしているが、気温は直には上がってこない。
体を滑り込ませると、キラは直ぐにハッチを閉める。
機体は半停止状態だった。
着艦して格納シークエンスに乗るのが精一杯だったのか。
キラは機体の停止措置を施しながら、片腕だけで器用にヘルメットを取った。
淡い重力に、濃紺の髪が広がる。
見るからに整った容姿。…選りすぐられた遺伝子の結晶。
…プライドが高そうだな。
ちらりとそんな事を頭の端で抱きながら、首元に手を宛て脈を取る。
そして、「大丈夫ですか」声をかけると 、薄っすらと僅かだが反応が返ってきた。
意識はあるようだ。
心拍数も、ほぼ正常。
外部から見るほどに機体内部に損傷が及んでいないし、パイロットスーツに外傷も見られない。
キラは、汗に濡れた濃紺の髪にさらりと触れると、そのまま口付けた。
朦朧としているからだろう、抵抗はなかった。
全ての音が遮断された、暫しの沈黙の刻。
「こんな、ものかな」
深めのキスの名残に濡れた自らの唇を拭いながら、キラは呟く。
ほんの少しの唾液でも。体力回復位には役に立つ。
「後は医療班に任せて…」
キラは覆いかぶさるようにしていた体を離そうとした、そのときだった。
パシッ
耳の近くで鳴った音。
一瞬なにが起きたのか解らなくて目を瞬かせるが、遅れてじんわりと伝わってきた痛みに、
キラの目は納得した表情になる。
ゆっくりと頬に手を遣りながら、その主を振り返った。
「どういう…つもりだ」
怒りを抑えた声。
いつの間にか、くっきりと開かれていたエメラルドは美しい光を湛え、自分の姿を映していた。
一つ鼓動が跳ねる。
ラスティと同じその眸の色に、彼の幻影を見た気がしたのだ。
顔も声も全然似ていないのに。
その透明な翠が似ているというだけなのに。
気のせいだ、キラはその考えを打ち払う。
「どうって」
「初対面の奴にキスされるいわれは無い」
それはそうだ。
しかも相手は男、当然の反応だ。
自分が口づけた理由を紅を着る彼になら言っても構わない。
しかしこれは移植というより、気付薬のようなものだ。
「あぁ…綺麗な顔だからついね。…趣味なんだ」
いずれは、知ることになるだろうけれど。
「ごめんね。女の子じゃなくてさ」
その時が来るまで、できうる限り余分な事は、<移植者>の存在は伏せておいたほうがいい。
そう思って、わざとおどけて返したのに、相手は真剣な目を緩めなかった。
「性別がどうだとかいう理由は関係ない。俺は、人に・・・他人に触られるのが大嫌いなんだ」
「…そう」
キラは後ろ手にパネルを操作して、ハッチを開けた。
「じゃあ、手は貸せないね。一人で出てきてよ」
返事を聞く前にキラはコックピットの外へと出ると、笑顔を、つくる。
そして入れ違いで来たニコルと体をすり替えると、そのまま慣性に任せて体を降下させた。
「こんなの、初めてだ」
微かに耳に届く二人のやり取り。
薄っすらと目を細めて、キラは呟く。
「言葉って、本当に胸に刺さるものなんだね」
── 他人に触れられるのが大嫌いなんだ
言葉一つで、こんなに無性に泣きたいと思うことは初めてだった。
あの翡翠の所為だ。
あの眼で他人なんて言うからだ…。
鼻の奥が痛くなって、このままだと本当に涙が零れそうになる。
キラは頭を振って気をそらせると、空中で体を反転させ、もう一方の機体を見上げた。