伊勢うどん
最終更新日2015年8月14日
伊勢生まれ・伊勢育ちの人にとって、伊勢うどんは主食であり、おかずであり、時にはおやつとして欠かせぬものでした。この古き良き伊勢の食文化の伝道および継承を目的に本ホームページを開設いたします。
目次
1)伊勢うどんの歴史
4)掲示板
伊勢うどんの歴史を語るには伊勢溜豆油(たまり)のことから話さなければならない。溜豆油(たまり)とは味噌を作る際にできる上澄みであるが、その歴史は古く、鎌倉時代に遡る。建長6年(1254年)信州の禅僧覚心が、中国から径山寺(金山寺)味噌の製造法を持ち帰り、紀州の湯浅で村人に製法を教えるうち、桶底にたまった液汁で食べ物を煮るとおいしいことを発見したのが始まりと考えられている。よく混同される醤油は溜豆油よりさらに遅れて室町時代に初めて文献に登場し、大量生産が可能なことより、溜豆油に代わり普及したものと考えられる。溜豆油は醤油と比べて大量生産は難しい半面、うま味と香りをより多く兼ね備え、日本人の味覚の郷愁を駆り立てている。
伊勢平野における味噌は何れも農家の自家製で、大豆を蒸して筵を掛け、これを豆と併せさらに塩と水を加えて樽に仕込み、1ケ年程かけて醸造していた。この味噌作りの樽の中に、竹で編んで作った簾を差し込み、そこに溜まった汁をくみ取り、溜豆油を精製した。殊に赤味噌醸造圏である愛知、岐阜、三重では、桑名の焼き蛤、時雨煮、たがね、松阪の牛肉時雨、てこね寿し、五平餅、ひつまぶしなど今でも溜豆油を使用した食文化が数多く見受けられ、伊勢平野の味覚は溜豆油の味覚文化圏と言える。伊勢詣でに訪れる人々は、この味に触れることによって伊勢に来た実感を味わったのであろう。
伊勢うどんの原点は鎌倉時代にこの地の農民が、うどんに溜豆油を少しかけ、食べていたのがそもそもの始まりと伝えられている。同様のうどんの食べ方に、讃岐うどんの「茹で込み」(生醤油うどん)があり興味深い。釜から揚げたばかりの麺に生醤油(これに大根おろしやすだちを加える場合もある)をかけて食するのであるが、どちらもうどんの原始的な食し方と考えられる。その後、うどんは麺・だし・具に改良が加えられ、発展してきた。さて、その後の伊勢うどんであるが、当地で豊富に取れるかつを節や昆布でとっただしを少量加え、食べやすくしたのが現在の伊勢うどんの原型で、約360年前に浦田町橋本屋七代目小倉小兵氏がうどん屋を開業したとされている。伊勢うどんの発展には伊勢詣での賑わいが大きく寄与している。江戸時代にはおかげまいり、かげまいりの流行があり、多い時には年間500万人に達したとされ、伊勢の道中には多くの食べ物屋の中に伊勢うどん屋も軒を連ねていたとされている。当時伊勢うどん屋で最も有名な店には古市にあった豆腐六(どぶろく)で、大安旅館の隣にあり、「外宮から内宮に向かう道すがら、豆腐六のうどんを食べてきた」というのが旅の土産話になる程の評判であったが、残念ながら、明治36年に大安旅館が火事で焼失してしまった。江戸時代を考えると、ゆでた麺にタレをかけ、ねぎを入れるだけのシンプルな伊勢うどんは大勢の観光客に即座に対応できるファーストフードそのものであったといえよう。逆に言えばそのことが大阪うどんのように発展せず、原始的な食し方として伊勢うどんが完成されたと言えよう。
「伊勢うどんは、雪のように白く、玉のように太く、それに墨のように黒いタマリ醤油をかけて食す。このうどんを生きているうちに喰わなければ、死んで閻魔に叱られる」と、中里介山の『大菩薩峠』に書き出されている伊勢うどん、この伊勢うどんの味覚の醍醐味は一体何であろうか。うどんは大別すると麺そのものを賞味するタイプ(讃岐うどん、水沢うどん、稲庭うどんなど)と、麺・かけ汁・具の一体化を楽しむタイプ(大阪うどん)に分かれるという。前者は、麺そのもののうま味、麺のコシ、喉越しの感触を追求し、後者は種種多彩なだし、具の追求を求めている。しかしながら、伊勢うどんはそのどちらにも属しない。太くて柔らかい麺にトロッとしたタレが絡みつく、タレには溜豆油・カツヲ節・昆布本来が持つ素朴で、おふくろを思わす温かみが醸し出される、それこそが伊勢うどんの醍醐味である。言うなれば伊勢うどんは日本人が郷愁を感ずる溜豆油・かつお節・昆布のタレを味わう麺とも言える。余談であるが、伊勢地方ではお餅を焼いて食べる時にこれを砂糖醤油につける習慣がある(他地方の人には奇妙に映るらしい)。これなどは伊勢うどんのタレの作成方法に近似しており興味深い。
その伊勢うどんを食するにはもちろん太くて柔らかい麺が必要である。少し茹ですぎたくらいが調度よい。その方が麺にタレが良く絡み付くからである。かつを節と昆布、にぼしから十二分にダシをとり、味醂、溜豆油を加えてタレを作りたい(他に鯖節、ムロアジ、カタクチイワシなどもよく使われる)。水飴、水溶き片栗粉を少量混ぜると、タレにとろみが出る。余分な具は不要である。きざみネギと一味唐辛子で充分である。卵・めかぶ・めひび・カツヲ節などを具に使用することもあるが、伊勢うどんを味わうには、やはりうどんとタレ、そしてきざみネギの王道を勧めたい。
私がまだ幼少の頃、伊勢ではどこの家からも歩いて行ける所におうどん屋さんがあった。小さなお店(大体が大きくはなかった)の中には数台のテーブルと椅子が置かれており、あまり綺麗でもなく(ごめんなさい)、メニューといえばうどんとそばしかなかった。やがて中華そばが加わることになるのだが、それでも定食物はなかった。河崎屋、喜八屋、旭屋など、およそ食堂とは似つかわしくない屋号を持ち、炊事場にはその店秘伝のタレを入れた瓶が置かれており、店によっては店内に駄菓子やサイダーを置いてもあった。いやむしろ駄菓子屋が本業で片隅にうどん屋を兼ねている店も多かった。お昼時にはよく出前をしてもらい、それをおかずにご飯を食べることは日常茶飯事であった。伊勢うどんは時に主食として、時にはおかずとして、時にはおやつとして伊勢庶民には欠かせぬものであった。
高等学生の頃になると行動範囲も広くなり、数件位のなじみの店を持つようになった。その店その店で微妙に異なる麺のゆで具合や、タレのまろやかさやだし汁が異なるのを知り、「今日はあそこの店に行こう」とか、「今日は何となくあそこのおうどんを食べたい」とか感じたものであった。あの頃は伊勢うどんを何時でも何処でも気軽に食べるということを何の不思議もなく、謳歌していたのであった。そうした環境を初めて有り難いと感じたのは、大学生となり故郷を離れた時である。今も昔もそうであるが、大体の食材は日本全国何処に居ても食べることが可能であるが、伊勢うどんはそうではなかった(考えてみると伊勢地方には他の地方ではなかなか入手困難な食材が多い。サメノタレ(サメの切り身を干したもの)・黒蜜ダンゴ・ハンペイ・開きサンマの干物(尾鷲地方)・伊勢芋(大台)などである)。伊勢を離れて1〜2ケ月はまだいいが、それが3〜6ケ月もたってくると無性に伊勢うどんを食べたくなった。たまに実家に電話して、市販の伊勢うどんのタレを送ってもらい、スーパーで購入した玉うどんにて自分で作ってみるのだが、やはり本場の味には遠く及ばない。そもそも他地方には伊勢うどんに適した野太くて柔らかい“あの麺”は売ってはいない。そういう現実を前にして、将来自分はとてもじゃないが、伊勢地方から離れて暮らすことはできないと痛感したものだった。夏休みなど帰省の際には、何をおいてもまず伊勢うどんを食べたくなり、実家に帰る道すがら、2〜3軒の伊勢うどん屋をはしごするようになった。
多くの諸兄同様、私も幼い頃はうどんと言えば伊勢うどんしかないものと思っていた。初めて他のうどんを食したのは小学校5年生、場所は下関であった。その後多種多彩なうどんを食したが、ある疑問が徐々に心の中から湧き出でた。「どうして伊勢うどんが生まれたのであろうか?」。関西出身の友人は「うどんは関西が本場」と言う。伊勢うどん派の私は圧倒的少数意見のため、いつも馬鹿にされることになる。たまたま伊勢に来た友人を、伊勢うどんを食べに連れていくと、「とてもこんな醤油のように濃い汁は飲めない」、「塩分が多そうで身体に悪い」と言われてしまう。関西系、関東系のうどんから考えると、伊勢うどんはあたかも突然変異の如しである。『伊勢うどんの歴史』の項にも書いたが、江戸時代以前うどんは現在のようなどんぶりではなく、平皿で食べていたらしい。ゆでたうどんを平皿に盛り、少量のタレ(醤油・溜豆油)をつけて食べていた。讃岐地方には『茹で込み』という食べ方がある。釜から揚げたばかりの麺に生醤油(これに大根おろしやすだちを加える場合もある)をかけて食するのであるが、伊勢うどんの食し方に極めて似ている。恐らくどちらもうどんの原始的な食し方であろう。言うなれば伊勢うどんは古代うどんの原型を留めたうどん界のレジェンドと言って過言でない。溜豆油、かつお節、昆布といった日本人としての味覚の原点を煮詰めた至高の作品なのである。初めて食する人が“ああ、ハレ、何となく懐かしい味だ”と感じるのは心に眠る日本人としての遺伝子が揺さぶられるからに違いない。
ところが、ここ何十年かにかけて、私の好みの老舗の伊勢うどん屋が閉店を余儀なくされている(駄菓子屋を兼ねた店も駄菓子屋の衰退とともに激減してしまった)。古くはたきがわ(辻久留)、旭屋(八日市場)、最近では松月屋(宮町)、安全地帯(大世古)である。それぞれの店により、事情は異なるであろうが、いかんせん伊勢うどんは低価格であり、とても伊勢うどんだけでは昨今の商売にはなじまない。それでもこのまま斜陽の一途をたどることは、私を含めた伊勢うどん愛好家にとっては断腸の思いであり、何とかこの古き良き伊勢の食文化を残し発展させたいと切に願っている。本ホームページがその一助にならば本望である。
伊勢うどんを食べさせて頂けるお店は数多くありますが、本ホームページでは、昔ながらに伊勢うどんを主力に頑張っておられる伊勢市内のお店を中心に掲載いたしました。
岡田屋 伊勢市宇治今在家31 ☎0596-22-4554 おはらい町に位置し、観光客にも親しまれている。つゆはとろみがあり、ネットリと麺に絡まる至極の一品です。一押!行列必須 |
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河崎屋 伊勢市中島1-9-6 ☎0596-28-2934 私行きつけの一軒。中華そばは絶品です。若おかみの笑顔がとても良い。地元の人でいつも賑わっています。出前有も嬉しい。 |
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伊勢市宮後1-1-18 ☎0596-28-3856 行きつけの一軒。伊勢市駅に近く観光客も多い。ダシ亀、年季が入っています。隠れた名品伊勢そばも是非堪能下さい。ネット販売有。 |
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伊勢市宮後2-19-11 ☎05966-23-2425 こだわりの自家製麺。老舗の一軒で贔屓客も多い、客足が絶えない。カレーうどんも絶品。 |
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ちとせ 伊勢市岩淵1-15-11 ☎0596-28-3879 |
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喜八屋 伊勢市船江1−6−60 ☎0596-28-2783 昔の駄菓子屋の面影はありませんが、ダシの香りが素晴らしい。是非味わって下さい。 |
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河崎屋 伊勢市中之町171−2 ☎0596-22-4626 古市街道に接する隠れた名店。出前もある様で、店内には昔ながらの木製の岡もちが。郷愁を感じる昔ながらの味です。 |
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つたや 伊勢市河崎2-22-24 ☎0596-28-3880 河崎の路地を一つ入った所にある名店。喜八屋と同様、何とも奥深いダシとタレが絶品。近ければ毎日でも行きたい一軒。 |
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太田屋 伊勢市岩渕1-10-23 ☎0596-28-0546 伊勢市駅、宇治山田駅に近く、観光客には便利。店内は清潔感があり、固定ファンが多い。 |
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ふくすけ 伊勢市宇治中之切町52 ☎0596-23-8807 おかげ横町の真ん中に陣取り、この店で初伊勢うどんの観光客も多い。団子屋風で風情があって良い。 |
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伊勢市本町12−14 ☎0596-28-4472 外宮の近くで清潔感あふれる店内が嬉しい。観光客の方にも人気の一軒。ネット販売有。 |
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駒鳥食堂 伊勢市一之木2-5-12 ☎0596-24-3792 一般食堂でもここの伊勢うどんは外せない。伊勢うどんのバリエーションも豊富で他のアラカルトも豊富。 |
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伊勢市宇治今在家18 ☎0596-22-2589 おはらい町にドンと店を構える老舗。隣にステーキ店や喫茶店も経営。 |
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伊勢市中村町831 ☎0596-23-5154 伊勢への熱い思いを込めた自慢の一品。そう言えば私も小学生の頃によく今は無き小川町のおうどん屋さんで食べました。 |
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福野屋 伊勢市河崎3-2-1 ☎0596-28-3564 河崎は昔の舟参宮の重要拠点であり、今も多くの伊勢うどんの名店があるが、そのうちの代表店。是非一度御堪能あれ。 |
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伊勢市宇治在家町19-1☎0596-24-4409 おはらい町にありいつも混んでいます。 |
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中井屋 伊勢市宇治中之切町10 ☎0596-25-8308 おはらい町にある老舗。うどんだけのメニューが嬉しい。 |
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いちし 伊勢市一志町9−3 ☎0596-24-0809 五穀豊穣の神様である豊受大神宮(外宮)のおひざ元。御け丼もお勧め。 |
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起矢食堂 伊勢市尾上町531 ☎0596-23-5740 古市に通ずる道の「間の山」近くにあります。麺は量が多く、もっちり、是非ご賞味を。 |
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五人囃子 伊勢市神田久志本町1525-1、☎0596-27-6670 うどんへのこだわりを感じる一軒。伊勢うどん以外の手打ちうどんもお勧め。 |
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しも里 ☎0596-28-4234 尼辻の交差点の近く。おそばもお勧め。 |
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伊勢市中之切町52 ☎0598-50-3008 おかげ横丁内で伊勢醤油のお店ですが、テイクアウト用の伊勢焼うどんがあります。 |
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おかげや ☎0596-23-9013 伊勢神宮内宮前。お客はタクシー、バス関係者が多いらしい。 |
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若草堂 ☎05966-24-3210 昔のうどん屋さんの面影が色濃く残っています。 |
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新玉屋 ☎0596-22-0537 家族的な雰囲気がとてもいい一軒。 |
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