コロナ禍

  

1) 序章

2020年4月15日() 体温36.3度 特に症状無し

 夕方6時15分頃、職員のK君よりCTにて肺炎所見があるとの報告を受ける。「誰の?」と聞くと「自分のです」と言う。右下葉に単発の径2〜3cmのスリガラス様陰影(1)を認めた。恐らく通常の胸部レントゲンでは認識できない陰影であった。「何か症状有るの?」と聞くと、13日の月曜日から倦怠感があるとのこと。また少し胸が重いような気がするとのことであった。発熱もなく咳・痰も無いと言う。CT上はマイコプラズマ(2)かと思ったが、咳が全く無いというのが矛盾している。4月に入り、ますます国内で新型コロナウイルス感染例が増加し、国は4月7日に緊急事態宣言を発令していた。このM市管内でも新型コロナウイルスの感染者が4月9日に判明したばかりであった。M町にて葬儀を介して数名のクラスターが発生との噂であった。当院でも新型肺炎の疑わしい症例があったし、近くの保育園職員のXさんが新型コロナウイルスに感染していた。明日から出勤を停止し、明日市民病院で診察を受けるように指示を出した。勿論市民病院には受診前に肺炎症例と連絡し、市民病院駐車場で待機する指示であった。他の職員には再度院内の消毒を徹底し、勤務前の検温と手洗い・うがいの励行を順守するように再確認した。

4月16日() 体温 36.4度 特に症状無し

 午前中にCT室やK君の使用していた部屋、パソコンのキーボードなどを入念に清拭するよう職員に指示を出した。特にCT室では、次の患者さんが新型コロナウイルスに感染した症例が報告されており、念入りに拭いてもらった。K君に受診後の様子を確認した。やはり倦怠感・関節痛・胸の重い感じはあるが、あまり症状は変わっていないと言う。発熱・咳嗽・喀痰は出現していない。4月13日から15日まで彼と接している間も、彼が咳き込んだり、くしゃみをするところも見ていない。何とかマイコプラズマや通常の市中肺炎であってほしいと思いながら、「どんな検査をしたの?」と聞くと、「マイコプラズマ抗体は陰性でした。あと新型コロナのPCR (Polymerase Chain Reaction) をしました」とのことであった。症状軽微のため入院はせず、自宅待機とのことであった。肺炎球菌、溶血連鎖球菌、レジオネラ(3)やアデノウイルスなども調べてほしいところであったが、一番気になるPCRをして頂いたので文句も言えまい。市民病院のH先生に連絡をとった。「片側で単独陰影ですし、新型肺炎ではないように思います」とのコメントであった。PCRは外注し、その結果は土曜日か日曜日に出るとのことであった。少しほっとした。H先生に携帯電話の番号を伝え、「結果が出たら教えて貰えないか」と依頼した。実は娘が仕事のため4月13日より6ケ月の孫Oちゃんを連れて帰省していた。K君の肺炎が分かった日は万が一のことを考えて接触を避けていたが、少し気が緩んでしまったのかもしれない。その日の夜は孫が寝るまで、抱っこをしたり一緒に遊んだりして至福の時間を過ごしてしまった。

 PCRはPolymerase Chain Reactionの略だ。発明したマリス博士は1993年にノーベル賞を受賞したが、女性とサーフィンをこよなく愛し、LSDを常用していたらしい。2012年日本が誇る山中伸弥先生がPS細胞の研究で同じくノーベル賞を受賞されたが、この二つの発明は人類史上最大の発明だと思っている(ちなみに山中先生は学生時代柔道部だったとのことである)。PCRをもう少し詳しく説明しておく。遺伝子のDNA(デオキシリボ核酸 deoxyribonucleic acid)はシトシン(Cグアニン(Gチミン(Tアデニン(A)と言う4種類の塩基から構成されている。この塩基が数珠のように連なっており、しかも二重のらせん構造になっている(簡単に言うと4色のガラス玉からなる数珠が二重にねじれているようなものだ)。塩基配列は無数にあり(例えば塩基がわずか5個でも4x4x4x4x4の1024通りある。これが1000個や10000個なら天文学的な数字になる。)、これが個々の遺伝子情報になっている。二重になる際には組み合うペアが決まっている。シトシン(C)はグアニン(G)と、チミン(T)はアデニン(A)としか組み合わない(RNAribonucleic acidの場合はチミンがウラシル(U)に代わる)。例えばこうだ。一方がTCACTGACTGならその相手は【図】相補的配列AGTGACTGACだ。

通常このDNAは「ヒストン」という棒のようなタンパク質に所謂バネのような形もしくは昔のピンク電話のコードのような形で巻き付きながら整然と(恐らく)保管されている。言うなればヒストンは棒状の貸金庫のようなものだ。これをクロマチン構造という。このヒストンの両端は同じではなく一方はC末端、もう一方はN末端と呼ばれている。このN末端(ヒストンテールと言っている)のほうはヒモ状にヒラヒラとチンアナゴのように漂うように存在しており、ここに四種類の物質がつくことが知られている(アセチル化、メチル化、リン酸化、モノユビキチン化、こうした研究分野をエピジェネティクスepigenetics(4)と呼んでいる)。特にアセチル基の付くことをアセチル化と呼んでいるが、アセチル化が起こるときちんと巻き付いていたDNAが解けてくる。二重鎖だったDNAがそれぞれ一本鎖に解けると、そこにポリメラーゼというコピー機みたいな酵素が複製を作っていく(鋳型から複製するようなもの)。二重鎖のDNAが一旦一本鎖にほどけて、そこから二本鎖のDNAが二つできることになる。PCRはこの複製を人工的に何回も繰り返し行っていく方法だ。20回すれば2の20乗(1048576倍)、30回すれば2の30乗(1073741824倍)、いわゆる鼠算だ(ただし二重鎖のDNAだから鼠算になる。一本鎖のRNAでは20回やっても20倍だ。そのためRNAを一旦DNAにしてからPCRをする。RTPCRと言う)。ウイルスの塩基配列がわかっていれば、人工的にその鋳型(プライマーと言う)を作ってPCRを行えば、理論上例えウイルスが1個でも30回やれば10億倍になる。ゴルフ場に落ちている一個のゴマは探せないが、ゴルフ場に立っている通天閣なら発見しやすい。

 4月17日(金) 体温36.5度 特に症状なし

 念のため職員全員のレントゲンを施行し、改めて確認するも全員無症状でレントゲンも異常無しであった。M市管内に新型コロナウイルスの感染者が出たことで今まで以上に感染対策をしてきたつもりであった。職員には何度も手洗いとうがいの励行を指示し、待合室には最近発売された塩素系空気清浄機を、診察室には大型の空気清浄機を配置した。受付カウンターには厚さ4mmのビニールシートを張り患者さんからの飛沫感染を予防した。中国でのコニビニなどでのレジ対応の画像を参考にした。当時はそれを見て、中国Watcherの私は”中国らしいな”と笑っていたが、いざ自分がしてみると中々の優れものである。飛沫のためインフルエンザの抗体検査は危険と言われていた。既にインフルエンザの流行は収まっていたが、原因不明の高熱の患者さんにはしないわけにはいかなかった。当院は大腸の内視鏡を行っているためレントゲン室に半畳ほどの更衣室とトイレを設置している。今度は韓国のまねをし、その半畳ほどの更衣室にインフルエンザ検査用の設備を作成した。更衣室のサイズに合うように巾120cm、長さ250cm、厚さ4mmのビニールシートを購入してきて、その上端にパウチで何カ所か穴を開けた。その穴をカーテンレールの金具に取り付け、カーテンと連動して動くようにした。さらに椅子に座って手の高さの位置に直径10cm位の穴を二つくり抜き、そこにビニール製の作業着の袖だけを縫い付けた。袖のついたビニール製カーテンだ。外側からは分からないが、通常のカーテンをめくるとそれは出現する。しかも隣はトイレで換気扇もついている。検査時はゴム手袋をはいて取り付けたビニール製の袖に腕を通し、検体を採取するが飛沫をあびることは100%ない。使用後は換気扇をかけ、内部を厳重にアルコール噴霧した。私は密かにインフルエンザ小部屋と名付けていた。“完璧だ”当時はそう考えていた。

窓口では事務員は全員ゴム手袋をして対応していた。少しでも新型コロナウイルスの感染が疑われる発熱患者さんの場合、受け取ったお金もアルコールで消毒していた。これらのことは事務員が自ら始めたことであった。私が(多分先週であったと思うが)指示した時には、事務員のOさんに「既に始めています」と言われた。これまた頼もしい。彼女は少し頑固なところもあるが、几帳面な性格で、なにより規則(特に医療事務の規則には厳しい、分からないことがあるといつも分厚い“青本(5)”で調べている。それでも納得がいなければ社会保険事務所に電話して確認している)を遵守する。事務にはうってつけであった。月初めのレセプトなどは彼女らに全面的に任せていたが、記載漏れなどがあるとよく叱られた。

昨年秋の日本消化器関連学会週間(JDDW)(6)で消化器内視鏡では御高名ながん研有明病院の平澤先生の講演を拝聴した際に(先生の講演はいつも経験に富み、失礼を承知で言えば非常に愉快である。よく学会場で居眠りしてしまう私であるが、平澤先生の講演では寝ている暇がない)、先生が毎週配信されている“内視鏡アトラス”の話になった。「どなたでも歓迎いたします。是非一緒に消化器内視鏡の研鑽を積みましょう。“内視鏡アトラス”の配信を御希望の方は御連絡下さい」とおっしゃられていた。以前から先生の著書“通常内視鏡観察による早期胃癌の拾い上げと診断”を手元において座右の書にしていた私は小躍りして喜んだ(この本のお陰で“自然出血”を伴う微小胃癌を二例発見できた)。しかし、公演時におっしゃられていた連絡先がメモできず、自宅に帰ってからがん研のホームページなどにアクセスし、なんとか私も先生の“内視鏡アトラス”の配信を頂けるようになり、毎週楽しみにしていた。まるで宅配ミニカンファである。その中で3月28日配信された“内視鏡アトラス”にて、上部消化器内視鏡の新型コロナウイルスでの感染リスクが次のように書かれていた。

「上部内視鏡では咳嗽が誘発されて、エアロゾルによる医療従事者の感染の危険があり、これまで以上の感染対策が必要です。がん研有明病院では検査時にはフェースシールドをつけることにしました(もともと長袖ガウンは患者毎に取り換えています)。また、当院ではASGE(American Society for Gastrointestinal Endoscopy(7)の提言を参考に、緊急性のない検査(年1回の術後のフォローなど)は7月以降に延期することにしました(患者への電話連絡が大変でした)。日本でも院内感染や医療スタッフの感染の報道も多くなってきました。状況に応じては緊急内視鏡以外の検査はすべてストップすることも検討しなくてはいけません。この状況を乗り切って、普通に学会に参加できる日が早く来ることを願っています」。その二日後にはヨーロッパやニューヨークでの内視鏡事情の配信があった。当地区でもいよいよ新型コロナウイルスの感染者が報告されたことから、少なくともゴールデンウイーク後までは新規の上部内視鏡の受付を停止するように職員に指示を出していた。但し、既に予約済の方についてはそのまま検査を続けることとした。

 さらに感染対策として、今までは発熱患者を待合室からカーテンのついたベッドに誘導していたが、できれば車内で待機してもらうこととし、診察後もやはり車内で待機してもらうこととした。院内には既に「発熱のある方はおっしゃって下さい」と数カ所に張り紙をしていたが、診察になってから初めて発熱があることを言われる方もあり、なんとももどかしい限りであった。衛生用品の不足は顕著であった。消毒用のアルコールや次亜塩素酸はいつ入荷されるのか不明であった。一日に500ml容器の消毒用アルコールが3〜4本消えていった。当院では感染の流行を予測して、先月にアルコール500mlを20本確保していたが、予想をはるかに上回る必要量であった。マスクの枯渇も激しく、職員が毎日交換するのは不可能で、マスクの中にキッチンペーパーなどを入れて使いまわした。わずかに医師会などの公的機関から月に100枚入ればいいほうであった。配布されたマスクは全職員で均等に分けた。薬局やホームセンターで見かけることも無くなった。連日薬局には開店一時間以上前からマスクを求める行列ができていた。さすがに仕事をしている方や主婦の方は並べない。たまたま見つけた場合でも「御一人一個です」とか「ご家族で一個です」と書かれており、私と家内は他人のふりをして別々に購入した。フェースシールドを楽天で購入し、雨合羽を100均にて購入し、職員に配布した。たまたま3Mの防塵用マスク10枚入りをホームセンターで見つけた。2500円位の価格でマスクにしては高額であり初老の老人がそれを手に取り思案していた。迷った挙句購入を諦めたようで、商品を元の棚に戻すやいなや私はそれを手に取った。勿論職員全員に配布した。色々なものが不足していた。消毒用品は勿論、雨合羽やトイレットペーパー、おむつまでもが不足していた。一般の大病院でも同じであった。ウイルス対策に必要な高性能マスクは勿論、消毒用アルコールや防護衣も枯渇していた。感染症指定病院などの重要起点病院に優先して配布されているのだろうと密かに思っていたが、昨日大阪大学医学部付属病院で防護衣が不足しており、市長が市民に雨合羽の提供を呼び掛けているのには驚愕するとともに、末端の開業医の私が不足を嘆くのを申し訳なく思った。

17日金曜日の昼休みにK君に電話をした。今日から37度くらいの微熱が出現してきたとのことであった。やはり咳嗽・喀痰排出は無いとのことだった。K君の声が少し疲れているようで、倦怠感が強くなってきているように思えた。「自宅ではどうしているの?」と聞くと、「部屋で隔離されています」とのことであった。夜8時半過ぎに携帯電話がなった。H先生からであった。「先生PCR陽性でした。申し訳ありません」と。私が彼に謝ることはあっても彼から謝れることは何一つない。常日頃沢山の症例をお願いし、時にはかなり無理なお願いをすることもある。本当に謝りたいのはこちらのほうだ。H先生は私の大学の7期下の後輩である。確か同じ柔道部であったように記憶している。かといって私が特に先輩として彼を目にかけていたわけでもない。私は偏屈者で、我の強いところもある。彼も少し似たようなところがあると思っていた。お互いに取っ付き難い人だなと思っていたに違いない。彼がこのM市に赴任したのは私が開業して8年目くらいの時であった。彼はメキメキと頭角を現した。そして程なくその才能は開花し、呼吸器疾患と言えばH先生と言われるようになっていった。私も症例を彼に紹介する毎に彼への信頼と尊敬の念を抱くようになった。数年前、義父の左下肺に径1cm弱の肺癌を発見し、彼に紹介した。未分化の扁平上皮癌という診断であった。というか未分化の扁平上皮癌か大細胞癌か小細胞癌か区別がつかない程であった。最善の手を尽くして頂いたが、残念にも再発し他界した。とてもお世話になり感謝している。今も一生懸命小さな肺癌を見つけるように努力し、彼に紹介している。

「今保健所で新型コロナウイルス対策会議中です」あわただしい雰囲気であった。

「そうか。有難う。本人には連絡してくれた?」と聞くと

「これからです」とのことであった。

「先生、これからどうされるんですか?」。

「明日から二週間医院を閉めます」と即答した。少しびっくりした様子で、「わかりました」との返事であった。月並みではあるが一瞬頭の中が空白になった。ほどなくK君からも電話があった。

「先生、陽性でした」。声に疲れが隠せない。

「申し訳ありません」。K君にも謝られてしまった。K君が謝る必要など何一つない。それは皆が解っている。

「体の具合はどう?」。

「少し熱が出てきました」。

「咳は?」。

「ありません」。

「どうするように言われた?」。

「明日土曜日の午前10時に市民病院に入院になりました」。

「ゆっくり休んで」。

もう少し元気付ける言葉を掛けてあげたかったがそれが精一杯だった。まずはK君本人のことが心配であった。まだ30代と若く、体育会系の頑丈な体の持ち主である。報告されているデータではまず大丈夫だと信じているものの、国内外問わず若年者の重症化例や死亡例も報告されている。万が一ということもある。次に御家族のことが心配であった。一番の濃厚接触者である。お子さんもまだ小さい。一番下の男の子は小学二年生だ。これからのことを考えると不憫であった。

もしもK君のPCRの結果が陽性なら、医院を二週間休診にする方針は職員にも伝えてあった。幸いゴールデンウイークにかかるため、更に長く19日間の休診にすることができた。格好良く即座に返答したものの、いざ休診となると不安で一杯である。様々な思いが頭の中を漂流した。これからの自院をどうしよう、経営的な難題もある、恐らく壊滅的な打撃を受けることは明白であった。各機関にも連絡しなければいけない。そして何よりは職員の二次感染や患者さんへの二次感染が心配である。通常医療機関で新型コロナウイルスが発生すれば大きなクラスターになるのは必定である。大規模クラスターだけでも北海道、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、兵庫など枚挙にいとまがない。しかも数十人以上の感染者を出すことも稀ではない。東京のA病院では既に187名の感染者を出し、多数の死亡例も出ていたし、大阪でも100名近くの大規模クラスターが発生している。医療職員が持ち込むこともあるし、患者さんから医療職員に感染することもある。特に病院では院内感染がおこりやすい。そもそも免疫能の高い若い人は入院していない。入院患者さんの多くは基礎疾患を持ち、高齢で、しかも免疫能が低下している。一日に何十人、何百人が訪れる病院や介護施設はクラスターを形成する要素を全て満たしており、いわばクラスターの温床だ。診療所などの医院も同じ状況だ。いくら自分が政府の言うように、不要不急の外出を控え、人込みを避け、繁華街などへの外出を控えていても、診療所へは絶えず患者さんがやってくる。しかも発熱患者さんも多い。新型コロナウイルスに色はついていない、通常の感冒と変わらない。味覚・嗅覚異常も全員が出現するわけでもない。全く予想不可能だ。いつ自分や職員が感染するかわからない、もし感染すれば今度は自分たちが患者さんに二次感染させてしまうかも知れない。これからは二次感染を少しでも少なくするように努力しなければならない。休診にすることはやはり当然の対応だ。すぐに職員全員に明日4月18日から5月6日まで休診にすると伝えた。但しベテランの事務員二人と看護師二人に明日午前中の出勤をお願いした。調剤薬局にも連絡が必要だ。勿論調剤薬局の売り上げもガタ落ちだ。

少し興奮しながら、まずは医院に向かった。夜の9時であった。感染予防のために既に購入しておいた噴霧器(スプレーとは比べ物にならないくらいに強力だ)で、全館の消毒を始めた。待合室、廊下、トイレ、診察室、採血・点滴室、検査室、レントゲン室、CT室、内視鏡室などだ。普段行わない職員の休憩室もだ。二時間以上かけて念入りに消毒した。手摺やドアノブも丁寧に消毒し拭き取った。殊にK君の休憩部屋やよく使用するレントゲン室、CT室、内視鏡室、検査室は念には念をいれて消毒した。20本以上あった次亜塩素酸や消毒用アルコールは瞬く間になくなり、半分以下になってしまった。消毒を終え、家についたのは12時過ぎであった。シャワーを浴びて床に入った、眠れなかった、午前1時に目が覚めてしまった。”そうだ、自分は濃厚接触者だ、このまま家に居てはいけない”。もしも家内や娘にうつしたらと考えると身の毛がよだった。昨日孫のOちゃんを抱っこしてしまった。感染させていたらどうしよう、気が緩んで抱っこしたことをとても後悔した。それに明日の朝までにしなければいけないことが沢山ある。今はまだ私になにも症状はないが、今日から二週間医院で過ごそうと決意した。私から濃厚接触者を出してはいけない。息子にLINEで“苦しい時こそ人間の本性が出る。ここはがっぷり四つに組んで、誠心誠意取り組みたいです。色々と報道されるかもしれません。心配かけるけど悪いな”と少しかっこいいことを言ってしまった。幸い自院には職員が休めるように寝具を常備していた(当院の職員休憩室には三段ベッドがおいてある)。二週間の休職は学生以来である。時間はたっぷりある、本を数冊手に取って家を出た。午前2時であった。

しなければいけないことが山積みであった。まずはパワーポイントで臨時休診の案内を作成した。

臨時休診のお知らせ 4月18日(土)〜5月6日()

 「4月17日夜、当院の職員が新型コロナウイルスの感染者であることが判明いたしました(発症後は休職しています)。感染予防には万全を尽くしておりましたが、残念で仕方ありません。皆様への感染予防のため、突然ではありますが4月18日(土)〜5月6日(水)の間、臨時休診にさせて頂きます。何卒御理解の程お願い申し上げます。

感染が判明したのは男性の技師さんです。院長はじめ他の職員は現在無症状でレントゲンでも肺炎の所見はございません。しかしながら濃厚接触者であるため、2週間の待機を予定しています。なお本日(4月17日)は各方面への連絡、消毒のため、午前中は院内におります。御用の方は電話もしくはインターホンにてお話下さい。感染予防のため院内には入れませんが、本日の処方箋発行は可能です。」  院長より

全てを公開するつもりでいた。迷うことはなかった。保健所に頼めば匿名にしてくれることは承知していた。しかし今は情報時代である。SNSを通じてあっという間に噂は虚々実々に伝わるだろう。何より伏せておけばいずれ嘘を言うことになるかも知れない。その時私は自分を許せなくなるだろう。作った休診案内を玄関に張り出した。

そうだ、濃厚接触者リストが必要だ。感染者が判明した場合、二次感染潰しのため、濃厚接触者の検査が必要である。幸い彼は投薬や診察、採血や点滴などの通常の診療には参加していない。また厚生労働省の資料では、医療従事者がマスクをきちんとしていれば通常の診療では濃厚接触者に該当しない筈である。彼は必ずマスクをしている。一番可能性の高いのは超音波検査である。彼は放射線技師でありながら超音波検査士の資格を持っている。彼の超音波検査は丁寧だ(疲れる患者さんもいるに違いない)。最低でも15分、何か所見があれば30分以上診ている。プローブ(8)を変え、ドップラー(9)、パワードップラー(10)、ADF (Advanced Dynamic Flow)(11)、SMI (Superb Micro-vascular Imaging)(12)を駆使し、拡大したりフォーカスを変えたりして丹念に観察していく。殊に消化管に病変があれば通常のコンベックスのプローブでは不十分だ。10M(13)などのプローブに持ち換えて更に詳しく検索していく。彼は患者さんに優しい、検査をしながらこんな所見があるよと説明しながらやっている。マスクをしているとはいえ、至近距離での会話である。ただお互いに違う方向を向いている。患者さんは通常上か画面を見ているし、K君は画面を向いている。次にCTだ。新型コロナウイルス感染症の診療手引きによると一時間に6回換気を行っても新型コロナウイルスの症例のCT検査後では30分経過しても10%のウイルスが残存してしまう。患者さんはCT時当然大きく息を吸ったり吐いたりを繰り返すが、技師の方は「ここに上がって下さい」とか「台を降ろします」などの短い会話だ。あとはマイクを通じての説明になる。患者さんとの至近距離での接触も短時間だ。当時彼に咳嗽やくしゃみなど飛沫を飛ばす症状はなかった。でも一度くらいはCT室でくしゃみしているかも知れない。ましてCT室は密室だ。足腰の悪い老人にはCT台に昇ったり降りたりの介助もしている。用心するに越したことはない、濃厚接触者にリストアップしよう。最後に内視鏡検査である。当然彼は看護師ではないので注射などの医療行為は行えない。内視鏡のセッテイングや洗浄、内視鏡の補助を手伝ってもらっている。彼は以前の病院でも内視鏡の補助をしていた。彼は上部内視鏡検査に今や必要不可欠の慢性胃炎の京都分類(14)を熟知している。私が「皆さん興味あるなら読んでみて」と職員用に置いてあった尊敬する春間賢先生監修の第一版である。彼はそれを読破していた。京都分類は今までよりも微細な所見を多数表記しなければいけない。内視鏡が終わっていざ所見を書こうとすると還暦の私は忘れてしまうことがある。そこで思いついたのが歯医者方式である。内視鏡の所見用紙に京都分類を書いておく。私は内視鏡をしながら、歯医者が歯の状態をC1,C2と言っているように京都分類所見を喋っていく。補助するものは該当の所見を丸で囲むだけだ。「C2の萎縮、白濁粘液、ヒダ5mm以上、粘膜浮腫、びまん性発赤、点状発赤、黄色腫、」とこんな具合だ。一般の人には何を言っているのか判らないが、私はとてもいい方法だと自負している。K君は私の所見を聞きながら、自分の観た所見と照らし合わせているようだった。

春間先生のお話は大変面白い。落語を聞くようでもある(漫才ではない、落語である。学生時代よく新宿の末広亭に落語を聞きに行ったものだ)。先生が主催された2013年の日本消化器内視鏡学会はとても印象的であった。殊にこの京都分類は目からウロコが落ちるようであった。申し訳ないが以前のシドニー分類(慢性胃炎の分類)(15)はまるでとりつくしまがない。京都分類はピロリ菌による慢性胃炎の全てを白日の下に照らしたようである。私はそのシンポジユウムが終わるや否や、書籍売り場で購入し、その日のうちにあっという間に読んでしまった。興奮していた。実は今、春間先生がおっしゃるようにA型胃炎(16)(自己免疫性胃炎、ピロリ菌とは原因が異なる)に非常に興味を持っている(自験例はまだ10例ほどだ)。ピロリ胃炎が解明されて、このA型胃炎が炙り出されてきたようだ。神経内分泌腫瘍(17)の発生が有名だがまれに胃癌の発生があり、当院でも一例経験している。ただ難点は、診断のためには抗胃壁細胞抗体や坑内因子抗体(18)の測定が不可欠であるが、保険適用外である。なんとか保険適用にして頂きたい、すべて持ち出しになってしまう。まあ持ち出しよりもA型胃炎を確定したくなる。今年(2020年)の学会でこのA型胃炎の診断指針に進捗があると思っていたが、新型コロナウイルスのために学会も中止となり非常に残念である。さらにもっと前には慢性胃炎の診断分類に木村・竹本分類(19)があった。何十年も前の分類が今も輝きを失っていない。京都分類はこの木村・竹本分類を踏襲している。ところでこの木村先生は私の大学の恩師である。私は大学時代に悪友Oに唆されて柔道部に入ってしまった。漫画で小林まこと作の柔道部物語というのがあるが、全くもってその通りである。現在は女子柔道部物語が始まっており、今愛読している。語弊を承知で言うが下品で野蛮なスポーツである。プロレスなどでは30分とか60分とか戦っているが、テレビで観戦する柔道はわずか5-7分で選手がへばっている。せいぜい10分だ。自分で体験してみるとよく解る。ボクシングと違って絶えず相手と組み合っている。一瞬でも力を抜けない。わずか五分の試合で握力が無くなってしまう。同級生の何人かは骨折している。私の悪友のHYやYHも骨折した。HYもOに唆されて柔道部に入ってしまった(みんな、元気か)。この前聞いた話ではOは今柔道部の顧問をしているという。木村先生は当時その柔道部の顧問をされていた。練習や試合に来られるわけではなく、他の大学も同じであろうが名前だけの顧問である。しかしながら打上の時には必ずお声をおかけしなければならない。重要なミッションである。木村先生はとてもダンデイーな先生で、いつもスーツをかっこよく着こなされていた。金縁の眼鏡が“とても”似合っていた。先程の同級生のYHはコテコテに木村先生を持ち上げて、「先生、もう一軒いきましょう」とねだっていた。先生は「よーし、行こう」とクラブに連れて行って頂いた思い出がある。“先生は大学病院の中より夜のクラブの方が冴えている”と密かに思っていた。学生は皆、先生のことを”敬愛”を込めて“キムケン”と呼んでいた。キムタクより遥か昔の話である。

話がそれてしまった。先にも書いたが、内視鏡検査で新型コロナウイルスの感染リスクが高いのは主として患者さんから医療従事者へにである。がん研の平澤先生のおっしゃるとおりである。しかしながら接触時間は10分以上に及ぶ。個人開業医では総合病院の様に大きな内視鏡室は用意できず、密室になる。やはりこれも濃厚接触者にあげる必要がある。

最後に単純レントゲン撮影である。彼は常にマスクを着用していたので、万が一にも飛沫を遠くに飛ばすことはない。通常の撮影であれば近距離で接するのはわずか10秒程だ。医師の診療より遥かに短い。医師会などの通達から判断すると濃厚接触者にはあたらない。念の為、保健所に後日確認することとした。リストは検査台帳を基に作成した。更に職員名簿を作成しなければいけない。既存の名簿があるので、これにはあまり時間がかからなかった。

他にも気になることがあった。彼は僧侶でもあった。それ程大きくはない寺院ではあったが、年に何件か葬儀を執り行っていた。最近では先週の9日(木)から10日(金)に葬儀を執り行っていたのだった。発症の3〜4日前である。約20名の参列者だったという。3月31日には愛媛県で葬儀に参列した4名が新型コロナウイルスに感染したとの報道があった。小さなクラスターである。隣り合わせて座り、約一時間御経などを聞いている状況も新型コロナウイルス感染の温床だ。当地区のM町で発生したクラスターも葬儀関連ではないかと噂されていた。

更に最近当院で成因不明の非定型肺炎例が2例あった。一例目はYさんで、37.5度以上の発熱が4日以上続いていた。特に咳嗽は無かったが、念のためインフルエンザの検査と胸部レントゲンをさせて下さいとお願いした。K君の発症6日前である。「咳はないのに?」と言われたが、新型コロナウイルスが気になった。まずは胸部レントゲンを撮影し、“自慢”のインフルウエンザ小部屋で鼻粘膜より咽頭ぬぐい液を採取した、完璧に飛沫はブロックできたと思う。このインフルエンザ小部屋を使うのは数例目だ。出来上がった胸部レントゲン写真(出来上がったといってもデジタルなのでアップロードするだけだ)をみて驚いてしまった。両側末梢に多発する径2−3cmほどの淡いスリガラス陰影で、報告されている新型コロナウイルス肺炎像に似ている。“インフルエンザ小部屋を作っておいてよかった”、心底そう思った。早速市民病院のH先生に連絡を取り、非定型肺炎疑いで診て頂くこととなった。二例目は患者Zさんだ。4月13日に発熱が二日続いていることで受診し胸部レントゲンを撮ったところ、またしても両側にびまん性に多発する浸潤影であった。やはり市民病院のH先生に紹介した。この時期、非定型肺炎は市民病院のH先生に頼む以外にない。勿論事前に必ず連絡しなければならない、少しでも新型コロナウイルスの可能性がある時は必ずそのことを伝えなければいけない、小声ではあるが。病院では肺炎例にピリピリしている。間違ってもウオークスルーで肺炎患者が来ないようにと祈っている。知らずにCTでも取った日には最悪である。新型肺炎疑いとなれば顔面蒼白だ。場合によってはかなりの消毒をしなければいけないし、当分の間そのCT室は使えない。担当医師は症例のPCRの結果を、息を潜めて待つことになる、違いますようにと。そうなればおいそれと家にも帰れない。また家族も帰ってくるなと言う。小さな子供がいれば猶更だ。まるでロシアンルーレットだ。症例が新型コロナウイルスと確定すればその恐怖は倍増どころではない。外来を閉鎖し、接触職員を多数休職させ、マスコミに大々的に報道される。病院の関係者は白い目で見られ、“コロナ”差別にあっている例は沢山ある。それ以上に直接症例に接した医療従事者の恐怖はいかばかりであろう。その恐怖感がひしひしと伝わってくる。市民病院の職員は疲弊しているに違いない。申し訳なく思った。“待てよ、今自分はまさにその嵐の中に入ろうとしているのではないか。”

最後に先週末にもう一人気になる患者XXさんがあった。K君の発症2日前である。やはり38度以上の発熱が3日以上続いていた。XXさんは患者Yさんの親族で、強く新型コロナウイルスを疑った。この症例は胸部レンントゲンさえ撮っていない。インフルエンザ検査は怖くてできなかった。本邦では新型コロナウイルスのPCRが遅々として進んでいなかった。クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号(20)での船内集団感染例は、あまりに突発的な事件であり、一部マスコミの言うように多数のPCR検査にすぐ対応できるわけがないと思っていた。しかし、その後もPCR件数は伸びていない。3月15日の時点でお隣の韓国が人口100万人あたり5107例なのに対し、本邦はわずかに211人である。なんと二十分の一以下である。政府はPCR件数を一万件に、そして二万件にと叫んでいるものの牛歩のようである。三重県もしかりだ。県内では新型コロナウイルスの感染者が他県に比し少ないとは言え、PCR件数は2月は64例(一ケ月にである)、県内での症例が増加してきた3月でさえ24日までにわずか306例である。当地区でもなかなかPCRをして貰えないと、大先輩のT先生から聞いていた。すかさず職員に保健所への電話連絡を指示した。なかなか返事がない、何度も同じことを看護師が説明している。20分ほどすると看護師が、

「先生、ダメみたいです。」

「どうして?」

「緊急を要さないからとのことです」

「?」

私が応対した。

 「新型コロナウイルス疑いの症例なんです。PCRをして頂けないでしょうか?」

 「今重症というわけでもないんですよね」

 「どうしても怪しいと考えているんです。無理でしょうか?」

 「今沢山のPCR待ちの方がいるのですぐには無理です」

 「主治医がどうしても必要だと判断しているんです。何とかお願いします。」

押し問答であった。3月6日からはPCR検査に医療保険が適用され、帰国者・接触者相談センターに相談し、センターから紹介された帰国者・接触者外来で検査が必要とされたときは、保健所を経由することなく、民間の検査機関に直接、検査依頼を行うことが可能となりますと報道していた。医師会と保健所の会合でも、主治医が判断すればPCR可能であった筈だ。

 「この症例のPCRをしなくて誰にするんですか」

語気を強めてしまった。結局一時間も押し問答したがPCRを受けて貰えなかった。あまりに腹立たしく、翌日県と医師会に苦情を述べた。ところがである。今は立場が逆転してしまった。私が保健所にPCRを頼まなければならない、あの時余計なことを言わなければよかった、後の祭りであった。

 

(1)スリガラス様陰影:肺に炎症がある場合などによくみられる。早期の肺癌との鑑別が必要な場合がある。

(2)マイコプラズマ:細菌の一種、よく肺炎を引き起こす。

(3)レジオネラ:細菌の一種、よく肺炎を引き起こす。

(4)エピジェネティクス:一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である。

(5)青本:医科診療報酬点数表の通称、医療事務の必携本。

(6)日本消化器関連学会週間(JDDW):主たる消化器系学会が合同で開催される。

(7)ASGE:アメリカ消化器内視鏡学会

(8)プローブ:超音波検査装置で一番大事な超音波の送受信を行なう部分のこと、アーム部分。コンベックスタイプやリニアタイプなどの種々の形状がある。周波数を代えることで目標とする深さが変えられる。

(9)ドップラー:超音波検査法の一種。体内で移動している対象物に超音波をあて、その移動速度を測定するのに用いられる。血流速度の計測・胎児心音や胎動の検出などに汎用されている。

(10)パワードップラー:ドップラー法の一つ。生体内結構動態に色を付けリアルタイムに表示する方法、信号強度が表示できる。

(11)ADF:広帯域のカラードプラ送受信信号により、にじみの少ない高分解能・高フレームレートで血流を描出できる。微細な血流を方向別に色分けし、分離して観察することができる。

(12)SMI:低流速の血流を描出可能な新しいイメージング技術

(13)10M:10 MHZ(メガヘルツ)

(14)京都分類:ピロリ菌感染の有無を基本とした胃炎の分類。

(15)シドニー分類:京都分類以前に使用されていた胃炎の分類

(16)A型胃炎:別名自己免疫性胃炎。自己免疫的機序により胃底腺領域の高度粘膜萎縮および化生を認め,ビタミンB12 や鉄などの吸収障害が起こり,神経内分泌腫瘍や胃癌を合併することがある。

(17)神経内分泌腫瘍:人体に広く分布する神経内分泌細胞からできる腫瘍で、膵臓、消化管(胃、十二指腸、小腸、虫垂、大腸)、肺など全身のさまざまな臓器にできる。

(18)抗胃壁細胞抗体・抗内因子抗体:自己抗体の一種であり抗胃抗体と総称される。

(19)木村・竹本分類:1966年に発表。内視鏡的萎縮所見と生検標本による病理組織学的萎縮所見とを確認した萎縮性胃炎の拡がりの分類.

(20)クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号:船内で新型コロナウイルスの集団感染が発生したまま、2020年2月3日に横浜港に停泊した。その後多数の感染者・死亡者を出した

 

2) K

 彼が当院に赴任したのは6年前であった。当時私はCTscanを導入するかどうか悩んでいた。肺癌の早期発見にCTは欠かせない。膵癌などの膵疾患にも必要だ。ただCTを導入すれば赤字は必至である。ラニングコストやメインテナンスだけで収入を上回ってしまう。診断能を高めるために放射線科の先生に読影をお願いするのも当然だ。そして何よりCTの部屋を増築しなければならない。またCTを撮る放射線技師を雇用しなければいけない。当然男性の方になる可能性が高く、そうなれば男性用の休憩室も必要だ。悩んだあげく、東芝製の16列ヘリカルCT(Alexion)(21) を導入することにした。初期導入費用だけで数千万円かかってしまった。その時の募集に応じてくれたのが彼であった。

彼は僧侶でもあった。仏教は飛鳥時代、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏との戦いで蘇我氏が勝利して以降、聖徳太子を中心に国家体制の基礎として広められた。平安時代には山岳仏教である天台宗真言宗(最澄・空海)が広まり、鎌倉時代にその最盛期を迎える。所謂鎌倉仏教だ。この時代には修行をする代わりに念仏を唱える称名念仏が隆盛する。「南無阿弥陀仏」と唱える浄土宗(法然)・浄土真宗(親鸞)や「南無妙法蓮華鏡」と唱える日蓮宗などである。それに対して禅宗がある。栄西が開祖の臨済宗と、道元が開祖の曹洞宗である。今世界の超一流リーダーがZENに惹かれている。最も有名なのは おそらくスティーブ・ジョブズだろう。禅は侘び・寂びに通ずるところがある。いわゆる茶禅一味である。なるべく不要なものを取り除き、美的で豊かさをも追及する。日本の古典で言えば俳句だし、海外ではiPhoneだ。今で言えば断捨離だ。栄西は社交的で周りとの融和を図り、興禅護国論にて禅による国家繁栄を説いたことから、幕府や武士階級に寵愛された。また、絵画(水墨画)、演劇(能)、茶道等、中世の文化に非常に大きな影響を与え、京都に建仁寺を立てている。臨済宗の禅は「公安」に関して禅問答を(看話禅)行う、まあ対話形式だ。一方道元は今で言えばストイック、ただひたすらに座禅する(黙照禅)ことこそが成仏の本質で最高の修行であると説き(修証一等・只管打座)、家風は厳格であった。他の宗派にも批判的であったため、弾圧を受け、京都に開山させてもらえなかった。今脚光を浴びているZENはどちらかと言えば黙照禅のほうだ。曹洞宗の総本山は福井県の永平寺である。彼はこの永平寺に修行に赴いたが、”人生で一番辛かった”と言っていた。もしかすると今回の苦難はそれを超えるかもしれない。

彼は人当たりが柔らかく、坊主頭で目はクリクリとし、野球をやっていた体は筋肉質でタフであった。一緒に行ったゴルフではドライバーで100ヤード近く離された。プロ野球選手のような弾道であった。彼を面接した瞬間にいいことを思いついた。採用した直後に彼にそれをぶつけてみた。

「K君、エコー(超音波検査)ってやったことある?」

「いいえ一度もありません」

「してみる気ない?これからはエコーの時代や。それも消化管のエコーや」

開業医ではとても総合病院の装備に叶わない。64列以上のCTscanやMRI、内視鏡設備も充実している。スタッフは多岐にわたり、多種多様なコメントが頂ける。我々開業医は総合病院の診断に平伏すばかりである。唯一エコーは総合病院に対抗できるかもしれないと考えていた。エコーを撮る人次第である。当院も超音波検査装置を新しいのに変えたばかりである。東芝製のAplio300であった。医療器械の進歩は目覚ましい。先ほどの大先輩のT先生の名言に「ゴルフは道具や」というのがある。もう30年以上前によくゴルフに連れて行って頂いたが、いつもそう言っては頻繁にクラブを購入されていた。今では私も家内も全くの同意見である。まして医療器械はそれ以上である。最新の超音波診断装置では殊にTHI(Tissue Harmonic Imaging)(22) が格段に進化している。消化器領域でのエコー検査は主として肝臓、胆嚢・胆道、膵臓の病気を対象としてきた。消化管はエコー検査では暗黒の領域と言われ、エコーで消化管の病気なんてわからんよとスルーされてきた。しかしである。このTHIは消化管疾患の診断能を格段に進化させた。彼はクリクリとした目で「やってみます」と簡単に答えた。従来エコー検査は検査技師の方がされている場合が多い。まれに放射線技師の方もされている。当県で、放射線技師でなおかつ超音波検査士の資格を持っている方は数人もいない。更にK君を採用するにあたり、私にはもう二つ願望があった。

「K君、ついでに毎週取った画像の再読を一緒にやってくれない?それとできれば一緒に本を読んでくれない?」

「どんな本ですか?」

「医学書。エコーするならまずは一緒にエコーの本を読もう」

開業医は孤独である。勤務医のように周りに頼れるスタッフも居ない。診療も独善的になりがちだ。私の悩みの一つは検査のダブルチェックであった。一人ではなおざりになりやすい。放射線技師のK君であれば、今までに沢山のレントゲンやCTを見てきたに違いない。なにより一人でやるよりも緊張感がある。また開業医は独学が難しい。一人で本を読んでも長続きしない。しかし二人でノルマをもってすれば、必ず読むことになる。それから彼との二人三脚が始まった。私は消化器内科が専門であるため、エコーは何千例とやってきた。エコーで一番大切なのは執念を掛けてじっくりみることである、それに勝るものはない。しかしながら診療の忙しさに、じっくりとみる時間が無くなっていった。彼には最初にエコーの基本的な取り方を教えた。撮影方法、臓器や脈管の位置関係、重要な疾患の所見を画にかいて説明し、プローベの持ち方や体位変換の必要性を伝えた。それこそ手取り足取りであった。同時にエコーの本を読みながら、知識を増やしていった。彼の撮った後は必ず私が再検し、所見の見逃しの指摘や解析を加えた。しかしそれだけでは不十分であった。私が教えるだけでは私の技術を超えられない。当院の近くには県下で一番の凄腕の超音波検査士の先生がいる。県下の検査技師なら誰もが、いや超音波検査士なら全国の誰もが知っているS病院のY先生だ。彼は検査技師であったが医学論文を提出し、まぎれもない医学博士であった。その時論文の指導をしたのが私の一年後輩のS先生で、その縁もあって20年以上も前からY先生を存じ上げている。私は早速彼に電話をし、「Y先生、実はうちに来た放射線技師の子なんやけど、今エコーを始めたばかりで、できたら先生から直接エコーを教えたって」とお願いをした。Y先生は快く引き受けて下さった。勿論病院長のM先生にはその了解を得るために彼を連れて挨拶に行ってきた。それから彼は3年間かけて毎年当院の閑散期である3月から6月の間週に一度の頻度でS病院に通った。最初彼はY先生を知らなかった。無理もない、エコーなど一度もしたことないのだから。ところが同じ検査技師にY先生に教えて貰っていると伝えると、その友人は「そんなえらい先生についとるの」と驚愕していた。それからというもの彼はY先生のことを師匠と呼んで慕っていた。Y先生も彼をとても可愛がってくれていた。誰にも好かれる彼の人徳である。彼はメキメキと上達していった。既に彼と読んだ超音波検査の本は約10冊になっていた。殊に畠二郎先生の「消化管エコーUPDATE」、森秀明先生の「腹部超音波診断パーフェクト」、杉山高先生の「ここまで診る消化管エコー」は殊に秀逸で、困ったときには絶えずチェックしている。日本で消化管エコーの第一人者と言えばこの畠二郎先生である。先生は私と同大学で、私の1期後輩になるが今は前出の春間先生の配下におられる。お兄さんは同大学の先輩である。学生時代に少し話したことがあるかも知れないが、今や雲の上の先生である。学会などで聞く先生の英語はとても流暢で、学生時代の恩師の河合忠先生を彷彿させる。ある時の講座で河合先生は「話をする時にはまず英語が浮かんできて、それを日本語に訳すのです」、とおっしゃられていた。片言の英語しかできない私には想像もつかない。先程の一年後輩のS先生は畠先生の同期生になり、懇意にされているが、いつかK君を畠先生のところに研修に紹介してくれないかと頼んでいた。

ごく最初は指導していた私でであったが、半年もすると彼の画像をなぞるのが精一杯になった、さらに一年後には彼の取った画像をなぞれなくなることもしばしばであった。超音波検査士の受験資格は学会入会後3年以上経っていないと受けられない。その三年後彼はさっさと取得したのであった。問題の消化管エコーである。先にも書いたが消化管エコーの書籍はほぼ全て読んだ。やればやるほど疾患が見つかった。虚血性大腸炎(23)や憩室炎(24)はゴロゴロと見つかった。炎症があるとその周りの結合織が白く浮かんでくる。先に述べたTHIである。炎症性疾患の重要所見である。さらにその範囲や面積を計測し、重症度を推測する。今我々二人が試行錯誤している作業である。昔は急性虫垂炎の診断に苦慮したこともあったが、彼の見つける急性虫垂炎はごく軽度のものが沢山あった。白血球やCRP(炎症の程度を示す)が正常な例もよくあった。念のために外科の先生に紹介すると確かにCTでも同じ所見であった。最初は虫垂炎の所見を探していたが、その次には正常な虫垂を描出し、虫垂炎を否定できるかどうかを重要視した。正常な虫垂は3mm以内である。暗黒な世界と呼ばれた消化管を砂浜におちたダイヤを探すように見つけるのである。まずは上行結腸(大腸の始まり)とバウヒン弁(大腸と小腸の接合部)を同定し、小腸末端と虫垂を探す作業である。パッと見だけでは探せない。彼は所見のありそうな症例は半時間ほど掛けて所見を探していた。粘膜下腫瘍(25)は1cmもあれば簡単に描出可能である。胃潰瘍や十二指腸潰瘍(活動期に限る)、胃癌(進行癌)や急性胃粘膜病変(26)、悪性リンパ腫も検出可能である。病歴や壁肥厚の部位を参考に径1mm、長さ3〜4cmの胃アニサキス(27)を探す(何といっても病歴は最重要だ。壁肥厚の局在部位も重要だ)。彼がそうだと言えばその場で内視鏡を勧め、患者さんの目の前で取ってみせる。皆手品を見ているようだ。ある人は「おおおー」と歓声をあげていた。その胃アニサキスの検出率は80〜90%位である。畠先生がよくアニサキスが飛び上がる動画を出されている。何とか同じような画像を撮りたいと思うが中々上手くいかない。通常はじっとしていると思うので、何かを患者さんに飲んでもらうのか、それともアニサキスが動くのを何分もじっと待っているのだろうか?是非一度教えて頂きたいと思っている。アニサキスは通常蜷局を巻いたように胃壁に喰いついており(時に潜り込んでいる)、直線的な画像を出すのは困難である。せいぜい数ミリの特徴的な管状構造を探すのだ。1mmX5mmの環状構造である。気合を入れなければ見つけられない。先日は小腸アニサキスを診断した。実は御主人が胃アニサキスであり、その場で内視鏡で除去した。同じものを食べた奥さんも同じ症状であったが、胃壁の肥厚はない。空腸に部分的な壁肥厚があり、そこにその管状構造があると言う。周りに少し腹水もある。アニサキスでは局所的な腹水は重要な副所見だ。私は、壁肥厚はわかっても二重管状構造を検出できなかったが、総合病院に紹介したらCTにてやはり同部位の小腸に壁肥厚とわずかな腹水があると言う。現病歴やご主人のこともあり多分そうでしょうということになった。ちなみに小腸アニサキスを除去するのは大変である。血中アニサキス抗体が陽性であることが後で判明した。あまり知られていない腹膜垂炎(28)は既に数例経験している。恐らく皆さんあまり見たことが無いかも知れない。重症な病気でもなく、診断も極めて簡単である。最初は確認のためにCTを撮っていたが、今後はエコーだけで十分と考えている。彼が超音波検査士の資格をとった当初は当院で見つける進行大腸癌の半分はエコーで見つけたが、その精度は年々向上している。進行大腸癌を指摘できなかった時はとても残念がっている。消化管はエコーで診ると五層構造にみえる。この層構造の変化が良性と悪性の鑑別に重要であった。最近はなんとか大腸ポリープを見つけようと努力している。「そんなの無理だよ」と言う人もいる。しかし既に良性の大腸ポリープ(線種)を何例か見つけている。しかし特異度が悪かった。1〜2cmのポリープと糞便の区別がつかないことが多い。明らかにStroke(茎)を有している場合は可能である。しかし有していない症例の方が圧倒的に多い。あると思って内視鏡してみても無いこともしばしばであった。鑑別するのに何が有効かを考え合った。そのヒントがSMI(Superb Micro-vascular Imaging)である。簡単な話血流があるかどうかを判定するのである。当然糞便には血流を認めない。ただ問題は今の機種ではそのサイズで微細な血管像(SMI)を出せないことだ。より高価な機種が必要だ。メーカーに聞くと最低でも1500万円位とのことであった。安いCTなみだ。辛抱して一年待った。少し値段が下がった今、ようやくその機種Canon製Aplio i700を購入したところである。一例確信した大腸ポリープがあった。総合病院で大腸内視鏡をして頂いたが、何もありませんとの返事であった。その症例に新しいエコーで観察してみた。大腸ではなく、小腸であった。見事にSMIで綺麗に血流を観察できた。ただし、患者さんは88歳の高齢である。検査したいけどどうしよう、検査するならダブルバルーン内視鏡(29)での検査になる。ダブルバルーン内視鏡は私の大学の同級生の山本博徳先生が開発した内視鏡だ。88歳の高齢ではその検査は負担が大きい。たまたまその患者さんが入院することになったので、ついでに小腸ポリープの検査をして頂けないかとお願いしたものの、CTでもエコーでも異常はありませんと返信されてしまった。こうなれば機会を見つけて自院で3時間ほどかけて小腸透視をするだけだ。

彼との抄読会はエコーの本に限らない。胸部CTや600ページに及ぶ腹部CTの本などである。私は大学卒業後10年毎に朝倉出版の“内科学”を読んできた。ただ最新の“内科学”はあまりにも分厚くなっていた。今は彼の基本的な医学的知識の習得にもなると思って(本当は年齢と共に自分の集中力や記憶力が薄れてきているだけだ)、娘が医師国家試験の時に使っていたYEAR NOTE(30)を読んでいる。技師さんでYEAR NOTEを読んでいる人なんて日本全国でも恐らく彼だけだろう。一年たってようやく半分に進んだところである。彼との読影・抄読会は多い週だと2〜3回、今は暇な時なので火曜日に行っていた。そう彼が発症した二日目の4月14日にも読影・抄読会を行った。一時間から一時間半程まずはレントゲン、エコー、CTの画像を主として私が意見を言いながらデイスカッションしながら読影していく。その後今度はK君がYEAR NOTEの約20ページを要約して説明してゆく。途中K君がよく判らなかったところを私が答えていくのである。コーヒーを飲みながら、それこそ袖振り合う距離でしゃべりっぱなしだ。まさに今はやりの典型的な3密状態であった。昔はヘビースモーカーであったが、何とか10年以上前に禁煙していたが、年と相関してBMI(肥満係数)や血圧が上昇していた。私はみごとな危険因子を抱えた濃厚接触者に他ならない。

 

(21)ヘリカルCT:CT台を移動させながら、X線によりらせん状に連続回転しながら撮影を行い(りんごの皮をむくように)、そのデータを画像化するCTの撮影方法。従来のCTに比べ、診断能力が飛躍的に向上した。

(22)THI:入射された超音波が生体内組織を伝搬するにつれて生じる非線形効果により生じる高調波成分を利用して画像を構成する技術。THIの技術を用いることにより分解能の向上やアーチファクトの低減が期待できる。

(23)虚血性大腸炎:何らかの原因で大腸への血液の流れが悪くなり、循環障害が起こることによって生じる病気。典型的な症状は、急に強い腹痛(多くは左下腹部痛)が起こり、だんだん血性の下痢になってくる。

(24))憩室炎:大腸の壁が外に飛び出してできる「憩室」で細菌が繁殖して起こす病気。

(25)粘膜下腫瘍:胃の粘膜よりも下にできる腫瘍の総称。

(26)急性胃粘膜病変:急激に発症し、胃の粘膜に出血やびらんなどが生じる急性胃炎や、潰瘍が生じる胃病変の総称。

(27)アニサキス:寄生虫(線虫)の一種。サバ、アジ、サンマ、カツオ、イワシ、サケ、イカなどの魚介類に寄生し、それを生で食べることで、食中毒(アニサキス症)を引き起こす。

(28)腹膜垂炎:大腸の結腸ヒモに接して漿膜に囲まれた脂肪垂が捻れることで虚血、炎症を生じる病態。

(29)ダブルバルーン内視鏡:山本先生が開発された風船が二個付いた内視鏡。小腸検査には必須。

(30)YEAR NOTE:医師国家試験用の参考書

 

3) 幕開け

 4月18日(土)体温 35.7度 特に症状なし

 あっという間に朝の午前8時になってしまった。外に人の気配がし始めている。一応カーテンは開けているが、ドアは閉まっている。昨日の今日である。まさか今日から突然休診になっているとは誰も思わない。やがてインターホンと電話が鳴り始める。バタバタと慌ただしく職員が玄関にやって来て、ドア越しに患者さんに説明している。

 「当院の職員の一人が新型コロナウイルスに感染してしまいした。今日から5月6日まで臨時休診になりました。申し訳ありません。」

皆臨時休診よりもその理由に驚いている。腫れ物に触るようにそのままソソクサと帰って行かれる方も沢山いた。”本日(4月17日)は各方面への連絡、消毒のため、午前中は院内におります。御用の方は電話もしくはインターホンにてお話下さい。感染予防のため院内には入れませんが、本日の処方箋発行は可能です。”あまりに突然の休診なので、今日の午前中だけは処方箋だけなら発行しようと考えていた、張り紙に書いたとおりだ。事務員二人がドアと受付を何度も往復している。そしてやはり何度も何度も頭を下げて、「申し訳ありません、申し訳ありません」と謝っているのが聞こえてくる。ドア越しにまずは謝って、患者さんの名前と診察券番号を確認する、カルテを出してきて、今度は薬の内容を確認し、受付に戻ってレセプトコンピューターに入力をし、隣の調剤薬局にFAXし、薬局で待つように伝える。最後にまた丁寧に誤っている。患者さん一人に掛かる時間が普段の5倍だ。ひっきりなしにやって来る。ただ院内に入って来ようとする強者は皆無である、さすが”コロナ”の威力だ。応対の合間に検査センターや各種営業所への電話連絡をお願いしていた。一つ大きな仕事を忘れていた。濃厚接触者の住所と電話番号を調べてもらわないといけない。押し寄せる患者さんを捌きながらである。凄い仕事量だ。看護師にはすべてのリネン類を洗濯するように依頼した。そして院内の再度の消毒だ。皆手袋ははめ、マスクをしているのは当然だ。白衣や上着に検査着、多量のタオル(検査に使用するため)、ベッドのシーツに毛布さらにはカーテン、洗えるものは全て洗った。

 今日出勤してもらったのは勤務十年以上の常勤ベテラン四人組だ。短時間勤務の方、幼い子供のいる方、勤務歴の浅い方に頼むのは気が引ける。まずは前出の事務員Oさん。彼女の仕事は完璧だ。妥協を許さない。テキパキと仕事をこなしてゆく。普段は怖いが、こういう時は頼もしい。次に事務のSKちゃん。実はSKちゃんは家内の妹、御主人は私の後輩だ。身内中の身内である。お互いの家も自転車で行ける距離で、絶えず訪問しあっている。家族ぐるみで一緒にゴルフにも行くし、旅行にも行く。私の子供は生まれた時から彼女にお世話になっていて、子供にとっては母親が二人いるようなものだ。よく彼女は街角で家内に間違われる。あまりに回数が多いので、訂正せずに適当に返事しておくそうだ。何せ我が家のことは熟知している。人当たりもよく、家内のように私を扱き使うこともない。仕事も年中安定したプレーヤーだ。本来は薬剤師であるが、今は医療事務として仕事している。次に看護師のIさん。勤務歴二十四年の大ベテランだ。彼女は頭の回転が早い。彼女が外来番についてくれると流れがスムースだ。ほとんどの患者さんを把握している。なにより私の性格や仕事の流儀を知っている。勿論悪い癖まで知っている。仕事上のミスは皆無で、最も信頼を寄せている。人情肌でもある。最近は御両親の介護に忙しそうだ。唯一の欠点はたまにストレスに打たれ弱い時がある。まあ、誰でもそうであるが。最後に看護師のUさん、彼女も人情深い。彼女の話術は巧みである。どんなに聞きにくいことでも当たり前のように聞き出してくる。例え怒っている患者さんでもいつのまにか絆されている。電話番をさせれば超一級だ。見事というしかない。色々なムンテラ(口頭説明)(31)上手な医者を見てきたが、彼女に勝る人はいない。しかも情報通だ。M市には夕刊Mというローカル新聞があるが、是非その記者に推薦したいものである。K君をはじめ、私はスタッフに恵まれた。

 さて私はと言えば各所に連絡をしなければならない。まずは地区医師会だ。

 「いつもお世話になっております。○○内科胃腸科のMHです。実は当院の職員が新型コロナウイルスに感染しました。13日から軽い症状があったようなのですが、昨夜感染が判明しました。つきましては今日から5月の6日まで休診にいたします。これから何かとご迷惑をおかけいたしますが、宜しくお願いいたします。」

いよいよ当地区でも恐れていた医療機関での感染例が出たかという緊張感があった。

 「そーですかー。」 長い嘆息交じりの返答であった。

 「まあ先生、これから大変と思いますが、頑張って下さい。」、そうとしか言いようがないであろう。

 「あと診療所名は実名を公表して頂いてもかまいません」

 「あっ、そうですか。でも先生、そのことは保健所に言って下さい」

 「わかりました。宜しくお願いいたします」

次は保健所だ。

 「いつもお世話になっております。○○内科胃腸科のMHです。実は当院の職員が新型コロナウイルスに感染しました。昨夜判明しました。」

 「感染者は当院の放射線技師兼超音波検査士です。僧侶も兼務しております。13日から倦怠感が出現し、15日CTにて肺炎と診断しました。翌16日に市民病院を受診し、昨夜の8時半頃に市民病院のH先生からPCR陽性と連絡を受けました。」

随分私は気まずかった。それもその筈である。先ほど書いたように、先週一時間も掛けて保健所を詰ったばかりである。しかも県や医師会に苦情まで言っている。保健所の方の耳にも届いている筈だ。既に保健所は昨夜の会議で感染の事実を知っている。担当はAさんだ。

 「あと診療所名は実名を公表して頂いてもかまいません」

 「そうですか。わかりました」

私の鼻息が荒かった。

 「先生とこの職員の方は何人でした?」

 「えーと、私を含めて十三人、いや十四人かな」

本当は13人であったが、咄嗟に鯖を読んでしまった。濃厚接触した可愛い孫のOちゃんのためにも少なくとも娘のPCRをしておかなければならない。

 「そうするとその方たちは濃厚接触者ですよね」

勿論そうだ、しかも私が筆頭だ。

 「そうです」

 「患者さんの濃厚接触者は何人位おられますか?」

医療機関発祥のクラスターを警戒している。

 「すでに名簿をリストアップしてあるのですが、その事で確認させて頂きたい事があります。まず濃厚接触者の選別ですが、いつの日からリストアップすればいいでしょうか?あと彼は放射線技師なので、レントゲン撮影を行っています。厚生労働省の通達を読んでおりますと、マスクをいつもつけている状態なら通常のレントゲン撮影程度なら該当しないと思うのですが、それで宜しいでしょうか?」

 「そうですねー、発症日の13日からいいでしょう。レントゲン撮影ですかー。まあ濃厚接触者に挙げなくてもいいでしょうね。そこのところはもう一度検討してみます」

”そうか、発症日からでいいのか”と少し拍子抜けしてしまった。発症前からの感染例も報告されている。ただ幸いにも前日は日曜日で10日の金曜日は葬儀のため休んでいる。11日の土曜日やさらに9日の木曜日は半ドンだ。しかも彼はまだ発熱もしていない。

 「何人位でしょうか?」

昨夜ほぼ徹夜でリストアップしておいて良かった。

 「えーと、そしたら、ちょっと待って下さいね」

私は作成したエクセルの画面を立ち上げて確認した。単に罫線の数字を引き算するだけだったが、動揺していて一例ずつ数えた。

 「患者さんは20例です」

 「そうですか。そうすると職員が14名で、患者さんが20名ですね」

 「はい、そうです」

 「今先生の診療所はどういう状況でしょうか?」

 「今日から私の判断で臨時休診にいたしました」

 「それはいいですねー」

 「あのー、二つほどお願いしたいことが御座います」

 「何でしょうか?」

 「一つは院内の消毒をお願いしたいのですが。それと、」

少し頼みにくかった。

「濃厚接触者のPCRをお願いしたいのですが」

通常医療機関での感染例はクラスターになりやすく、医療機関職員の濃厚接触者はPCRの対象になる筈だ。しかしながら、濃厚接触患者例は経過観察のみの場合も多い。発症して初めてPCRの対象になる。でも濃厚接触者を生んだのは私の医院だ。なんとしてでもPCRをお願いし、その結果を患者さんにお知らせしなければならない。待つ二週間は長すぎる。

 「消毒ですが、先生の所で自分でしてくれませんか?」

館内消毒は保健所にお願いできると思っていたのだが、違ったのか。既に念入りに消毒はしている。

 「既に院内消毒は昨日済んでいます。たった今も更に念入りに消毒を行っているところです」、しかしながら消毒用アルコールは底をつきかけている。

 「それとPCRなんですが、今PCRが大変込み合っていまして、順番待ちになっております。今の状況ではいつになるかわかりません。早くても今週末か来週でしょうか」

それでは遅すぎる。平均潜伏期間は5日位だ。13日から15日の間に接触している患者さんは、平均潜伏期間で計算すると18日から20日、二週間としても27日から29日だ。その予定なら二週間待つのと変わらない。

 「そこでなんですが、先生とこの職員さんの検体採取を先生自身でして戴くことはできないでしょうか?」

まったくの予想外の提案だった。

 「実は検体採取は総合病院に順番にお願いしていますが、なかなかしてもらえません。とりあえず職員さんの分を、もし先生が御自身で採って頂けるならPCRの検査キットは御用意いたします」

そういうことだったのか。私はてっきり(申し訳ないが)お役所仕事の保健所の体質か、検査技師の不足またはPCRを行う器械(サーマルサイクラーと言う)の不足が原因ではと考えていた。只、サーマルサイクラーはこんな緊急事態に買えないほど高価でもない。楽天やモノタロウでも売っている安いやつなら原付程度だ。最高級のリアルタイムPCRでも高級車一台分位だ。覚悟を決めるしかない。

 「わかりました。私が採取いたします」

 「それじゃー今日は土曜日ですから、月曜日でどうでしょう」

なんだ、そんなにも早くできるのか。

 「職員さん十四人分でしたね?」

 「できたら念のために一人分予備を頂けないでしょうか?」

 「いいですよ。そしたら15人分ですね」

 「はい」

 「明日の昼過ぎには御用意できますので、できましたら取りに来て頂けないでしょうか?」

濃厚接触者の私が行くわけにはいかないが、幸い妻は完全な非濃厚接触者だ。妻は週に一度出勤しており、後は外回りの仕事をしている。

 「分かりました。家内に取りにいかせます」

 「それとですね、濃厚接触者の患者さんなんですが、こちらの検体採取も先生にお願いできないでしょうか?」

 「あっ、別にいいですよ」

と即答したものの、ひっかかるものがある。

 「あのう、私でいいんでしょうか?私でよければいくらでもさせてもらいますが、三つ程条件があります。まずは濃厚接触者の原因を作った私が検体採取をすることに同意して頂くこと、二番目に消毒したとしても院内に入ることを躊躇う方もいるでしょうから、外でさせて頂くこと、最後に万が一私が感染者だといけないので、20日(月)の検査で少なくとも私のPCRが陰性であることです」

 「有難うございます。ではお願いいたします」

即答であった。

 「では4月22日水曜日でどうでしょうか?火曜日には先生の結果がでますので。リストの患者様にはこちらから日時と内容を説明し、同意を口頭で採っておきます」

取り敢えず職員のPCRを20日(月)10時半に、患者さんのPCRを22日(水)にすることとなった。その後事務員が調べてくれた濃厚接触者の電話番号と住所をエクセルで入力して濃厚接触者リストを完成させた。次には近隣の先生方への連絡だ。来週から逸れた患者さん達が近くの医療機関に押し寄せるに違いない。

「あっO先生ですか、MHです。実は職員のひとりが新型コロナウイルスに感染しまして、4月18日から5月6日まで休診することにしました。先生の所に私どもの患者さんが行くと思いますので、申し訳ありませんが宜しくお願いいたします」

 「えー、そーなんですか!それは大変ですね。まあ先生も体に気を付けてがんばって下さいね」と、励ましてくれる。中には「それは先生、英断やな」と私の判断を支持して下さる先生もおられた。理事をしているNH先生やTY先生には「先生、何でも困ったことがあったら言うて」と心のこもった言葉も頂いた。開業医同志は独立的で、競合しあっているように思われがちだが、実はそうではない。同じ釜の飯を食った医局の先輩・後輩であったり、困った症例を紹介しあったりして、病院の勤務医程ではないが、お互いが緩く協力し合っている。何せ抱えている問題・悩みが共通だ。救急医療であったり、雇用問題であったり、経営的な問題であったりする。今の最大の悩みは”コロナ”関連だ。”遂に恐れていた事態がやってきたか”と。”今回はたまたまMH先生だが、今度は自分かも知れない”、また”いつ何時流れ弾が飛んでくるかも知れない”、皆、私の報告を聞いて”明日は我が身、より一層気をつけねば”と思ったに違いない。悩みが同じだと気持ちがよくわかる。今は各先生方に励まされ、近いうちには助けて頂くこともあるに違いない。それぞれの先生に、心の中で再度お礼を申し上げた。

 あっという間に昼になってしまった。当院では土曜日は半ドンだ。職員も帰ってもらわねばならない。午前中にできた洗濯は予定の僅かに五分の一だ。今日は土曜日なので連絡できないところも多い。20日(月)は給与の締め日だ。タイムカードの計算と給与計算が必要だ。職員のPCRの検体採取もあるのでその準備も必要だ。どうせ22日(水)に患者さんの検体採取をドライブスルーでするので、20日(月)は予行演習を兼ねよう、何かとバタバタするだろう、四人組に月曜日はPCRの予定より少し早く出てもらうようにお願いした。他の職員は10時半に検体採取に来るように伝えた。ついでに4人組に月曜日午前中だけ今日みたいに処方箋の発行をお願いした。K君に電話をした。今日から37度と微熱が出てきたと言う。倦怠感がますます強くなっているようだ。明日からアビガン(32)が開始されるとのことであった。慌ただしく職員が帰途についた。いつもは診療後電話を切っていたが、これから二週間ここに泊まり込んで24時間電話対応するつもりであった。悪夢の始まりに過ぎなかった。

 玄関の張り紙や、電話で当院職員に新型コロナウイルスの感染者が判明し、臨時休診になったことは瞬く間に伝わった。午前中職員が取っていた電話をこれからは自分が取らなければならない。

 「友達に聞いたんですけど、おたくで”コロナウイルス”が出たっていうのは本当ですか?」

 「はい。実は男性の職員一人が感染してしまいして、本日より5月6日まで臨時休診にしております。大変申し訳ありません」

 「そちらに13日に薬だけ貰いに行ったのですが、大丈夫ですか?」

 「通常の診察なら、職員は皆マスクをしているので大丈夫だと思います。また通常の診察では感染した職員に接していないと思います」

電話を切っても10秒としない内に次の電話が鳴り始める。

 「はい、○○内科胃腸科です」

 「”コロナ”出たって本当ですか?」

 「はい、申し訳ありません。職員の一人が感染したのは事実です。申訳ありません」

 「うちのおばあちゃんが14日にレントゲン撮ったんやけど、いいかなー?」

 「はい、マスクをキチンとしていましたので、レントゲン撮影だけなら大丈夫と思います」

 「感染してるかどうかは調べてくれるんですか?」

「はい、申し訳ありません。レントゲン撮影だけなら、濃厚接触者には該当しませんので、検査の対象にはなりません。申訳ありません。」

 「でも会ってるんですよ」

 「申訳ありません。多分大丈夫だと思います」

 「多分ですか」

 「はい、申し訳ありません」

最初は噂を聞き付けた患者さんからが多かった。半分は感染の可能はないのかという心配と、検査をして貰えるのかという問い合わせである。「すいません、薬貰えませんか?」

残り半分は投薬のお願いだ。当然だ、突然の休診である。

 「すいません。職員の一人が新型コロナウイルスに感染しまして、臨時休診にさせて頂いております。月曜日の午前中でしたら、診察はできませんが、処方箋の発行だけでしたら可能です」、最初はそう対応していた。しかし瞬く間に薬の依頼は30名位になってしまった。これ以上20日の処方箋を受け付ければ、肝心の職員の検体採取ができない。

 「すいません。お薬だけでも出して貰えませんか?」

 「申訳ありません。今日から臨時休診になりまして、処方箋も出せない状況です。申し訳ありませんがお近くの先生の所にお薬手帳を持って行って頂いて、お薬をだして貰って頂けませんでしょうか」

 「えー、友達に聞いたら薬だけなら出してくれるって聞いたのに」

 「大変申し訳ありません」

電話が鳴りやまない。心配して掛けてこられる患者さんの中には、実際に感染者に接触していない方や、接触していてもはるか昔の方もいる。むしろK君は放射線技師なので、濃厚接触している方は20名しかいない。皆、この”コロナ”が怖いのだ。特に高齢者は死亡率が高いと言われているので、その家族からの問い合わせも多い。現在も東京では日に日に感染者が増えている。”我が国はうまくコントロールしている”と言っていたアメリカは今や世界の最前線だ。朝のモーニングショーから昼のワイドショー、夕方から夜にはニュース番組、ゴールデンタイムではBS放送で集中的に特番を組んでいる。朝から夜中まで一日中報道している。中には記事の裏を取らずにただ自分の主張だけをしておられるようなコメンテーターもいる。O氏は、「民間でPCRをできないのは、国立感染症研究所のOBが邪魔をしているからだ」と、まさに現場で、死に物狂いで頑張っている国立感染症研究所の職員を侮辱していたが、それよりもまず自分の論文データ疑惑を説明すべきである。研究者にとって、もしデータの偽造があったなら一発アウトだ。車の免許で言えば免停ではない、免許取り消しだ。

 「あのー保健所のAです」、保健所からは私の携帯電話に掛かってくる。

 「はい○○内科胃腸科です」

 「今XYさんと言われる方から4月13日CTを受けられたと言われるんですけど?」

 「えっ、そうですか。ちょっと待って頂けますか」

慌てて台帳を見に行くと4月11日なっている。あれっと思い、念のためサーバーを立ち上げて確認してみると確かに4月13日であった。台帳の日付間違いであった。

 「今再確認しましたら、その方はおっしゃるように4月13日でした。申訳ありません。再度他のデータも見直してみます」

 「それと、」電話中に別の電話が鳴りだす。

 「Aさん、すみません、今別の電話が鳴りまして少しお待ち下さい」

 保健所の方との話中の間だけでも2〜3件の電話が入ってくる。そのたびに保健所のAさんとの会話が中断する。実質5分の会話に15分かかってしまった。

 「それとこの前言われていたレントゲン撮影だけの患者さんですが、相談した結果、濃厚接触者に入れなくてもいいでしょうということです」

 「有難う御座います。早速濃厚接触者の再確認をいたします」

 再確認するとさらに二名の患者さんが漏れていた。一人は私のパソコンの入力ミス、もう一人は見落としであった。情けない、保健所に連絡し、再度新しい濃厚接触者リストをメールした。その間にも電話は鳴り続けている。

 「4月15日そちらに受診した者だが、”うつって”ないか調べてくれへんか」

 「申し訳ありません、どういった診察でしたか?何か検査を受けられましたか?」

 「検査は受けてない。診察だけや」

 「通常の診察だけでしたら、感染者本人と直接接触してませんので、まず大丈夫と思いますが」

 「なんで大丈夫と分かるんや。同じ空気吸っとるやないか、絶対”うつってない”と言えるんか」

 「申し訳ありません、厚生労働省の指針によりますと、濃厚接触者には該当しませんので、心配でしたら様子みて頂けませんか」

 「なんや、"うつっとたら"どうするんや、あんたでは話にならんわ。保健所に電話する。電話番号は?」

 「申し訳ありません、保健所の電話番号ですか、すぐにはわかりません」

 「あんた態度悪いな、国と一緒やな」、私は、政府はとても頑張っていると感謝しているが、大多数の国民は違うようだ。今保健所は二十四時間体制で対応しているが、専用回線だ。いつもの電話番号では通じない、ネットを立ち上げて調べなければ分からない。急いでネットで検索して、お教えする。クラスターが発生したM町では発端者の家に投石があったと言う。息子がネットで記事を見て、”うちは石を投げられてないのか”と心配して連絡してきた。随分とお叱りの声があるだろうと覚悟していた。しかし、このように苦情を言われたのはこの一件だけだった。「先生大丈夫?」、「先生も大変やな、頑張ってな」、「いつから再開するの、先生が体壊したら大変やで、ゆっくり休んでな」、とても休むなんて不可能であったが、私のことを心配してくれたり、応援してくれる方が殆どだった。私は患者さんにも恵まれていた。

 電話の元から離れられない、なにやら自院の前をうろついている人がいる。私の居る院長室は玄関横で道に接しており、うろつく人がよく見える。テレビカメラを道路に置いて撮影している。とてもテレビを見る時間なんてなかったが、既に当院で感染者が発生したと報道されたのであろう。何社か来ている。中には玄関ドアの張り紙を間近で撮っている、NHKだった。報道のためだろう、更に電話が加速する。色々な連絡事があり、保健所にも頻繁に電話連絡しないといけない。今まで気が動転していて気付かなかったが、保健所のAさんと話をしている最中も無数の電話が向こう側でも鳴り続けている。きっと私の所以上に保健所には電話が掛かってくるに違いない。しかもバブル崩壊後、財政再建や行政改革で保健所の数は減らされ、人員も減らされ、一人一人の抱える仕事量は増える一方だったに違いない。ましてこの”コロナ禍”である。当院の消毒なんてとてもできない。何かと保健所の怠慢を少しでも考えていた自分が恥ずかしかった。保健所の方たちは毎日がこういう状態なのだ。政経ジャーナリストの麹町文子さんはPRESIDENT ONLINEでつぎのような記事を書いている。

『「過労の保健所をこれでもかと追い詰める悪魔のようなワイドショー」(保健所へバッシング 報道に苦言

2020年4月23日 18時15分)新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、感染経路の調査を担う各地の保健所が大きな悲鳴を上げている。感染経路の調査や電話相談、濃厚接触者の健康管理など、「クラスター対策」を担い、医療従事者と同様に新型コロナの最前線で働いているが、保健所は「電話が全くつながらない」「保健所調査が甘すぎる」と、ワイドショーが拾ってくる「街の声」ではひどい言われようだ。各地の保健所職員が膨大な業務のうえに、心ない言葉が加わり、職員の疲弊につながってしまっている。都内保健所の別の職員は、現状をこう語る。「保健所は本当にギリギリの状態です。引退した保健師にもお願いして働いてもらっていますが、発熱した子どもを抱えた母親らが保健師を怒鳴り散らすケースが多発しています。最悪なのは、一部の開業医です。彼らは医療のプロであるにもかかわらず、国や学会の定めたガイドラインを一切読まずに、すべてを保健所に丸投げしてきます。」「感染の危険性が極めて高いPCRの検体摂取や、陽性反応の出た患者の輸送も保健所の役目になっていますが、その作業への特別手当は1日300円に満たない金額です」。ワイドショーなどでは連日、「保健所がテンプレ通りの対応しかしてくれない」、「保健所が検査をしてくれない」、「保健所がちゃんと聞き取りをして、対応してくれないから不信感しかない」、「電話を60回以上鳴らしてもつながらない。嫌がらせなのか……」と煽り立て、視聴率目当ての保健所へのバッシングが毎日続く。ワイドショーに煽られた国民は保健所へのクレームを厳しくする。』と、書いている。PCRの検体採取は重大なリスクを伴う。万が一感染者からうつったら、最悪死亡することがあるかもしれない。その特別手当がたった300円なのか。正義を振りかざしている報道の方たちには是非300円の特別手当で紛争地区の取材に行って頂きたい。夜、三重県のホームページにK君のことが正式に発表されているのを確認した。

  『新型コロナウイルス感染症患者の発生について(県内第33例目)令和2年4月18日発表。4月17日、新型コロナウイルス感染症が疑われる方について実施したPCR検査の結果が判明し、陽性が確認されました。三重県内で判明した感染者としては第33例目になります(患者情報県内第33例)。

年代 30代、性別 男性(日本籍)

居住地 松阪市

職業 住職・放射線技師・超音波検査士(○○内科胃腸科:M市△町)

症状・経過

 4月13日(月) 全身倦怠感、関節筋肉痛出現

 4月15日(水) 右胸に違和感があり、勤務先医療機関を受診 CTの結果、肺炎の所見

 4月16日(木) 帰国者・接触者外来(医療機関A)を受診 検体採取

 4月17日(金) 発熱症状出現(37.9度) PCRの結果、陽性判明

 4月18日(土) 県内の医療機関に入院

現在の症状 軽症〜中等症(肺炎あり、発熱)

行動歴

 4月13日(月)〜15日(水) 出勤(○○内科胃腸科)

 4月16日以降は自宅待機

 *勤務中に限らず、平時からマスクを着用

 *出勤には自家用車を使用

 今後について 接触者調査を実施し、濃厚接触者については保健所が調査し、PCR検査を実施するとともに、健康観察を行います

*勤務先の○○内科胃腸科は、4月18日から5月6日まで臨時休診とのことです

電話は夜の9時まで鳴りやまなかった。最終的に電話が止まったのは午後11時半であった。あと給与計算をしておかなければならない。例え緊急事態でも職員にも生活がある。遅滞なく給与を支払う義務がある。今月は年度初めのため当院では昇給月である。いつもより時間がかかってしまい、終わったのは午前1時半であった。今日一日だけで一年分の謝罪をしてしまった。何か重い扉を開けてしまったような気がする。行先もわからない、終点も見えない、そしていつ崩落するかも知れない未知の世界だ。

 

(31)ムンテラ:Munt Therapie(ドイツ語の略)、口頭説明。医師が患者に対して病状や治療などに関する説明を行うこと。

(32)アビガン:一般名ファビピラビル。RNA依存性RNAポリメラーゼ阻害剤で、抗インルエンザ薬。

 

4) YT先生

 眠れない、枕が違うからかもしれない。つい20年ほど前までは人類がウイルスを克服するとは考えられなかった。ところがである。人口の約1%の方が苦しんだC型肝炎は現在内服薬で完治するし、C型肝炎が大きな成因である肝臓癌は減少の一途をたどっている。インフルエンザもしかりである。以前なら症状から推測し、”嵐”が過ぎ去るのを待つしかなかったが、今や僅か数分で判定できるし、薬も多種多様ある。これもひとえに遺伝子工学が進歩したからだ。しかしながら、克服出来ているウイルスはごく僅かだ。いまここにある危機である新型コロナウイルスに完璧な特効薬はない。人類はやがてこの新型コロナウイルスを克服するに違いない、1〜2年後にはワクチンや抗ウイルス薬もできているだろう。しかしである。今の私たちにはそれでは遅いのだ。ロシアンルーレットのように自分が”くじ”にあたってしまったら諦めるしかない。若い人は死亡率が低く、”自分たちは大丈夫”と思って、政府の”3密”を避ける行動を無視する人もいる、それを知って死亡率の高い老人はいきり立っている。庶民の武器であるマスクは今や何処にも売っていない。僅かに出回るマスクを購入するのは朝から並べる老人だ。アメリカでは富裕層は感染率の低い地区にさっさと避難している。その日暮らしの労働者はニューヨークを離れられずに次々と”餌食”になっていく。この病気は種々の階層を更に分断し、社会の格差を増幅している。Social Distanceを取るため、人々のスキンシップは崩壊し、人々の良心さえ遠ざけている。昼間の内はまだ良かった、すべきことが山積みで、考える時間がなかった。電気を消して、布団に潜り込むと静かに恐怖と不安が忍び寄ってくる。K君と最も濃厚接触したのは4月14日だ。あれから4日経っている。もし発症するなら明日からの数日の可能性が高い。今できる唯一の予防は免疫力を高めることだ。何としても寝なければならない、砂のように重くなった体を新型コロナウイルスは暗黒の世界に導こうとしていた。これからK君も重症化するかも知れない、私も発症すれば入院となり、そのまま家族にも会えなくなるだろう、死亡することがあっても家族は死に目にさえ会えないだろう、全国にはそういった方々が沢山出ていた。残された時間はあまりない。私はこの日誌をつける決意をした。

 私が医師になって出会った先生で、どうしても忘れられない先生がいる。昭和59年にJ大学を卒業した私はY市の総合病院にて研修医生活を始めた。まるで医局が我が家の居間であるかのような研修医生活が始まった。右も左もわからぬ私は、その頃からとてもダンデイ―なHM先生の後ろを、何日も着替えをしていない薄汚れた白衣を纏い、10年以上も履き古し、底の剥がれた革靴をペッタンペッタンと鳴らしながら、それこそ金魚の糞が如くついてはまわる日々だった。覚える事全てが新鮮で、テキパキと診療・検査をこなしていく諸先輩に憧れながら、日毎に少しずつ成長していく自分が見て取れるようで、病院に居るのが楽しくて仕方がない日々だった。ある日の事、HM先生が医局にFM7(8 bitだった)(33)という、当時画期的なパソコンを持ってこられた。それ以前、研究会の発表や、投稿原稿は全て手書きで、ご指導を承る毎に初めから書き直していたが、机の上に置かれたテレビサイズのパソコンは、入力した文章を全て記憶しており(当たり前のことですが)、原稿作成の時間をあっという間に短縮したのだった。味をしめた私は、無理やりKT先生やHM先生に研究会での発表を頼み込み、幼児が玩具を飽きもなく楽しむかの如くFM7に向かったであった。そうした研修医生活も一年が過ぎた頃、当大学の主催で、Y市で日本胆道学会が開催されることになり、発表の機会を頂くことになった。一例報告ではあったが、何分全国規模の学会は始めての経験で、何時になく気分は高揚し、集めうる文献には全て目を通したつもりだった。「今度の学会は全国大会や。原稿を一度大学に見てもらいにいくぞ。大学にはYTというすごい先生がいるんや」と言うHM先生に連れられて、私は始めて研究棟を訪れた。私にとってYT先生は研究会や学会で遠くから拝見させて頂くだけの遠い存在であったが、HM先生がすごいと言われるとはどんな先生かと興味津々だった。研究棟の廊下は薄暗く、両側には乱雑にダンボール箱や棚、フリーザーが所せましと置かれ、さらにその一番奥に研究室があった。重い扉を開けるとそこにはモウモウと紫煙が立ちこめ、壁に向かって不気味に並べられたパソコンからはドットプリンター独特の印刷音が無機的に流れていました。白衣を着たKT先生とMY先生がゲームに興じる傍ら、いかめしい顔つきで原稿を校正している背広姿の先生が「おう、来たか。どんなんや。」と、今度はニコニコと笑いながら振り向いた。始めて間近にお会いするYT先生は、とても身奇麗とはいえぬいでたちで、髪はボサボサでまとまりはなく、時折垂れてくる前髪を無造作に掻き揚げ、口元から煙草が離れることはなく、背筋をピンと伸ばし、眼光だけは鋭く輝き、どこかの海賊の棟梁を彷彿とさせた。症例に関しての疑問点、始めてのポスター作成の注意点などを恐る恐る質問する私に、先生はいとも簡単に優しく教えて下さった(今思えば優しかったのは最初の頃だけだった)。私は学生時代に先ほども書いたように柔道をたしなんでいたが、ああいった格闘技では相対した瞬間に相手の力量がわかるものだ。何週間もその症例だけを検討し、内心自負していた私やHM先生の疑問に造作もなく答えながら、あっという間にポスター原稿を修正・作成する先生に対して、わずか一年の医師経験ではあったが、戦慄を覚えずにはいられなかった。先生の博識はとめどもなく溢れ出で、留まる所を知らず、やがて戦慄は恍惚へ、そして憧憬へと変わっていった。先生の博識は単なる経験の域を超越していた。その頭脳とパソコンには消化器グループのありとあらゆるデータが入力され、それらを多角的に解析することによって育まれたものだった。一言一言が積み重ねた症例の含蓄を醸し出し、光り輝いていた。さらに先生の学問への渇望は凄まじく、他の追随を許さなかった。いつも渦高く積まれた文献、いつ何時尋ねても、「それだったら、いついつのこの論文に書いてあるぞ。」と答えられる垣間に見て取れる読書量、ご自宅の居間から迷路のような廊下を潜り抜け、台所を通過し、再び迷路を通過すると、新しく建てられた離れが眼前に現れ、その一階にある書庫には何重にも書棚が並び、真ん中に置いてあるコピー機がいやに小さく見えた。また、先生の発表は聴衆を魅了するものがあった。左手をズボンのポケットに突っ込み、やや右に首を片向け、背筋をピンと伸ばして右手をかざす、酒を飲んでいる時とはうって変わった論理的な話し方には吸い込まれるようだった。少し早口で抑揚があり、演劇部仕込みの語り口はまるで独演会のようで、先生の話されることは全て正しいような錯覚に陥り、隣でうたた寝から目覚めたKT先生が赤い目をしながら、肯いている姿が今も焼きついている。後で考えてみると間違っていることもしばしばあったような気もするが、先生が話しされると例え嘘でももっともらしく思えたものだ。

 思えば私の医師としての修練は何とか先生に近づきたい、何とか先生に誉めて頂きたいという一心であったように思う。先生のようにマスデータを扱いたいと考えていた三年目の私に、T先生(ゴルフの大先輩)の胆石調査をお手伝いさせて頂くという好機が訪れた。マスデータの解析には統計手法とパソコン操作は不可欠だ。どちらにも玄人はだし先生の統計技術、パソコン技術を何とかマスターしたいと考えた私は、何度も何度も先生の御自宅を訪問させて頂いた。訪問する日はいつも日曜日ばかりで、今から思えば奥様をはじめとする御家族に大変ご迷惑をおかけした。当時幼稚園児であった息子さんは先生の肩やら頭に駆け上って戯れており、貴重な家族の団欒の時間を割いて頂いたことを今も心苦しく思っている。居間から隠し戸のような扉を開け、急峻な階段を昇ると先生のパソコン部屋があった。パソコンに向かうなり、先生は一心不乱にプログラムを作成された。カード型データベースにはシーケンシャルファイル(34)の中にデータが規則正しく収められている。また統計方法については当時「パソコン統計解析ハンドブック」というすぐれた統計処理本があって、それに統計処理のプログラムが収められていた。その統計処理プログラムにデータが搬送できるようにランダムファイル(35)に置き換えるわけだ。そうすることによって、そのデータをいかようにも統計処理できるというすぐれものだった。プログラムはBASIC(富士通製でしたのでFBASICでした)で主として書かれ、全データを打ち出すと畳何十畳にも及んだ。BASICどころかコマンドさえもよく解かっていなかった私にはまるで宝箱のようなパソコンだった。早いときは1時間位で完成するが、些細な入力ミスなどがあると3時間にも4時間にも及んだ。机の片隅に置かれた灰皿は見る見るうちに山のようになり、前髪を掻き揚げては首や体をポリポリと掻き、イライラしてくると段々と無口になってくる。ただ横に座っている私は何処をどのように直すのかじっと見入っていた。ようやく出来上がったファイルを家に持ち帰り、早速そのファイルを打ち出し、パソコンの本を見ながらそれぞれのコマンド(36)がどういう意味なのか、何処から何処にプログラムが飛ぶのかを何度も検討したが、勉強すればするほどわからぬことばかりで、樹海を彷徨う旅人のようであった。

 先生はよく「医学は自然科学だ」とおっしゃられた。単なる科学ではないと。「数字をいじくったり、機械を動かすだけなら工学部や基礎医学にまかせばよい、臨床に根ざした研究が一番大切だ」とおっしゃられていた。何度も何度も同じカルテを読み返してはデータを積み上げていくfollow up study(37)こそが自然科学である医学には大切で、当グループの永遠のテーマであると。先生は愚直にも第一線でそれを実行されておられた。N先生の実直さを何よりも尊ばれ、KT先生の人間性を愛でられ、K教授には絶えず敬虔で、私の大学病院時代の先輩諸氏は何時も一枚岩だった。決して媚は売らず、人の陰口も言わず、御自分の栄華には無関心で、まるで幕末の古武士の様だった。先生の博識は医学以外にも多岐におよんだ。パソコン関連は言うに及ばず、多種多様のAV機器、歴史関連、司馬遼太郎をはじめとする読書暦、音楽などの芸術に対する造詣。ある時、私の好きなアーサーヘイリーに話題が及ぶと「新作は読んだか」と聞かれ、我が耳を疑ったことがある。彼の作品はすべて読破したつもりでおり、当時アーサーヘイリーは絶筆していたものと思っていたのだが、心筋梗塞での入院を機会に新作「ストロング・メデイスン」を書いたんだと教えて頂いた。早速私はその足で本屋に向かったのは言うまでもない。自宅の通路の片隅にはミニチュアの鉄道模型が乱雑に置かれ、2メートル近くもあるエンジン付きヘリコプターが対峙していた。

 先生に叱られたことばかりが今となっては思い起こされる。Pseudo-Bartter症候群(38)として出した演題では怒髪天をつくようで、「一から出直して来い」と叱責された。学会の最中にゴルフに行ったことがばれ、鬼のような形相でお叱りを受けた。大学勤務となり研究棟に来てみると、実験する場所も無く、色々なデータの詰められたダンボール箱や、10年以上も前の実験器具が山のように積まれており、研究棟の奥の小部屋は扉さえ開けられない状況だった。荒れ放題の研究棟を片っ端に片付け、使い物にならない器具などを捨てていると、「お前は先輩たちの残した大切なデータを何と思っているんだ。」と叱られた。B型慢性肝炎のインターフェロン療法を集積した時に「インターフェロンには限界があります」と結論づけると、「お前が勝手にそんなこと決めるな」と叱られた。肝不全研究会で、劇症肝炎(39)と亜急性肝炎(40)の重複した診断基準に「定義を統一すべきです」と言えば、「どちらも歴史的な背景がある」と一蹴された。「なんでそんなに文章が下手なんや。お前には論文を書くセンスがない。」と何度も何度も返された。「スライドの構成に美的センスがない」とも貶された。確かに先生のスライドは、服装のセンスと反比例するかのように鮮やかだった。

 一方で先生ほど欠点の多い方もいなかった。ヘビースモーカーで、研究棟や先生の部屋はタバコのヤニに覆われ、禁煙している人の前ではそれこそおいしそうに煙をくゆらせる。黙って我慢しているものなら、無理やり煙草を勧めてき、それでも固辞していると挙句の果てには「煙草を吸うと決めたなら、初志を貫徹しろ。」と理由の判らぬ理屈で説教もされた。酒癖の悪さは天下一品の折り紙つきで、酒席での逸話・失敗談は枚挙にいとまがない。つまみ類をほんの少し食するだけで、いつまでも杯を傾け、次第に目はまどろみ、怪しい雰囲気が漂ってくる。さらに酔いが回ると、「阿保か、お前は」と言いながら、手当たり次第に人の頭をはたく。「お前はこれで行け」と無理やりコップに酒をなみなみと注がれ、お酌を受けるときには必ず杯を空けろと強要された。酔っ払って千鳥足で歩く姿は何処からみても、そこいらにいるおっさんで、先生ほど浮浪者姿が似合う人もいないと思われた。私も酒癖がかなり悪いことは重々承知しているが、それでもYT先生よりはまだましだと、いつも心の中で安堵していた。いいかげんで忘れっぽいところも特記すべき事項だ。「原稿を書くんが遅い。早く持って来い」といつもきつく言われるが、いざ持っていくと原稿は何時までも野ざらしのままで、そのまま一ヶ月も過ぎると「何しとるんや。早く持って来い」と叱責を受けることもしばしばだった。「先生、もう一ヶ月程前にお持ちいたしました」と答えると、「あっ、そやったか。探してみるわ」と素っ気なく答えられ、そしてまた空白の時間が過ぎるのだった。症例のカルテが見つからない時は、N先生かYT先生のテリトリーを探しに行くのが通例だった。大学のカルテ庫に行き、何十冊も出して下さいとお願いすると、カルテ庫のおばちゃんは、YT先生やN先生の仲間とみると一瞬ぎょっとしながら「先生、ちゃんと返して下さいね」と言いながら出してくれるのだった。先生は「カルテ庫のおばちゃんには受けがいいんや」とはおっしゃられていたが、明らかに恐れおののくようで、私は地下の売店でアイスクリームやら御菓子を買って持っていくのだった。冬の寒い日にはおばちゃんの使っている電気ストーブを無断で借用し、一人静かにカルテを読んでいると、諸先輩の探索した痕跡を見つけてはほくそ笑むのであった。ある時、劇症肝炎の剖検標本が何処を探してもなく、これではデータが出ないと途方にくれていたところ、十人分以上もの標本がまとめて研究棟の片隅に捨て置かれており、どうもYT先生の仕業のように思えた私は「研究棟から見つかりました」と言うと、暫く考えられた後、「そう言えばそんな事もあったような気がするな。ちゃんと研究棟にしまって置いたんだ」と言われた。何時も多忙な先生は学会の準備も間際にならないとエンジンがかからないらしく、学会の前日などは沢山の演者の先生がYT先生の部屋に出入りし、喧騒の中矢継ぎ早にスライドを仕上げていくのだった。

 頑固な点も筆舌に尽くしがたいものがある。兎も角、後輩の言うことは例え正論であっても自分の考えと異なる場合は「はい、そうですか」と素直に自分の非を認めることは決してない。学問的なことより些細な日常での事で特に顕著だった。先生はベータ型のソニーのビデオデッキを長く愛用されていたが、「世の中の主流はVHSです」と言おうものなら、「ハードはベータがいいんに決っとる。そんなことも判らんのか」とまたしても説教される始末だった(私もベータを買ってしまった)。ベータとVHSの趨勢がとうに決し、貸しビデオ店でさえベータの品揃えを無くした後でも、先生の書棚にはベータの録画ビデオが沢山並んでおり、「見るんやったら貸したるぞ」と言われた。何年か経ち、お宅に伺った時にAVデッキにVHSが並んでいるのを見つけた私は「先生、VHSがありますよ」と言うと、「当たり前やないか。」と、さも何もなかったようにおっしゃるのであった。T先生との幾度にわたる激論はまるで掛け合い漫才のようで、最初こそ紳士的な口ぶりだが、佳境に入ってくるとお互いに口角泡を飛ばしあい、さながら兄弟喧嘩のようで、最後にはT先生の「YT、ええんか、俺はお前のことは何でも知っとるんやぞ」という恫喝にも似た一言で回りは爆笑の渦と化すのだった。

 流行を見事に外す眼力も提示しておく。何人の先生がその犠牲になったかわからない。先程述べビデオデッキは勿論、消化器グループの先生はこぞって富士通のパソコンを購入した。FM7に始まり、16βは不肖私も購入した。当時NECの9801が全盛で、周りの皆が一太郎を使用している時に、「ワープロはCOMAS(41)が一番や。この罫線の使い易さがすばらしい」と豪語し、「一太郎で原稿を持ってきたらみたらんぞ」とのたまっておられた。そのCOMASも絶版が近づくと、いつの間にか人知れず一太郎を使用しており、ついでWORDに変わっていったのだった。経済観の無さも群を抜いておられた。年始に訪れた際、「入ってくる収入はことごとく書物と酒代に消えた」と奥様の前で自慢し、「お前もそのくらいせい」とおっしゃられた。ボコボコになった日産ローレルを長い間乗り回し、後輩が自分よりも良い車を購入すると何かと難癖をつけながら、「そんな金があるなら本を買え」とまたしても説教されていた。ところがKT先生とおそろいのホンダアコードを買われた時は、「キャンプにはこれがいいんや」と妙な開き直りをし、「お前らもいい車を買え」と逆説法をするのだった。私も先生の忠告通り、先生の真似を少しばかりさせて頂いたおかげで、開業当時は多額の開業費以外に多額の住宅ローンを抱え、手持ち資金はわずか百万にも満たない状況だった。

 他にも欠点を挙げればきりがない。診療・研究に対する論理的な思考回路と日常で見せる痩せ我慢にも似たこの無茶苦茶な屁理屈、患者さんや学会場でみせる紳士的な態度や接し方と、私たちに対する時の有無を言わさぬ傍若無人さ、伊勢弁丸出しの品のない語り口が同じ人物の所産なんだろうかと呆れるばかりだった。ヘビースモーカーで、酒飲みで、いい加減で、頑固で、強情で、いつもやせ我慢しているようで、しかも偏屈で、でもそれらの欠点の一つ一つが古武士のように凛々と輝く人間性に膨らみを持たせ、親近感を与え、まわりの皆さんを魅了したのだと思う。長く先生に触れさせて頂く程、その温かみは芳醇に営まれ、そしていつの間にか先生と同類化していくのだった。先生に何度となく叱られながらも先生の部屋には沢山の人が常時出入りし、ある者は食堂代わりに、ある者は喫煙室に、ある者は休憩所や仕事部屋に利用していたのだった。幾つもの依頼原稿や御自分のデータ・所用を抱えながらも後輩の原稿には隈なく目を通し、日々のデータをパソコンに向かって自らもくもくと入力されながら、先生の一日はいつも多忙に過ぎるのだった。時折見せる屈託のない笑顔と、どんな人でも受け入れる度量、口下手な先生の人に対する思いが先生の部屋には蔓延していた。そのYT先生が亡くなられて今年で17年になろうとしている。私の本棚にはYT先生から20年位前にお借りした司馬遼太郎の「街道を行く」10冊が主を亡くして、今も静かに並んでいる。私は先輩にも恵まれていた。

 

(33)FM7:富士通が発売した8ビットパソコン

(34)シーケンシャルファイル:コンピュータにおけるファイル編成法の一種で、データがファイルの先頭から連続して記録され、ファイル先頭からの順序や位置を手がかりにアクセスするタイプのファイルのこと。

(35)ランダムファイル:ファイルのなかの特定のバイト位置を指定して行うファイルアクセス方法のこと。バイト位置を直接指定できるので、ファイルへのアクセスが非常に高速になる。

(36)利用者がパソコンに与える「命令」や「指示」のこと。

(37)follow up study:追跡調査

(38)Pseudo−Bartter症候群:利尿薬、下剤などの不適切使用により、Bartter症候群(体内のミネラルバランス調節がうまく出来ない病気)のような症状が見られる病気。

(39)劇症肝炎:急性肝炎のなかでもとくに重症のもので、高度の肝機能不全と意識障害(発症8週間以内に発生する肝性脳症または肝性昏睡)を特徴とする疾患。

(40)亜急性肝炎:「急性肝炎の症状が2, 3週間程続き,しだい肝不全症状を呈する予後不良の疾患とされたが、劇症肝炎亜急性型 とLOHF(遅発性肝不全、劇症肝炎と異なり意識障害の発生が発症8週以降)との混同がある。現在この言葉はあまり使用されない。

(41)COMAS:富士通のワープロソフト

 

5) 空母

 

4月19日(日) 体温35.6度 特に症状なし

 昨夜1時半に床に入るも、色々なことを考えていると眠れなかった。ようやく午前3時頃に眠りに入ったが朝5時半に電話で目覚めた。4月10日頃に受診したが、大丈夫かという問い合わせだ。寝不足で頭が少しボーとしている。4月になってから全職員に就業前に検温を指示しており、自分も毎日検温していた。いざ濃厚接触者になってみると検温だけでもドキドキだ。今日あたりから発症する頃だ。この新型コロナウイルスは医療機関での感染例が多い。俄かに医療知識があると怖さが倍増する。いっそ何も知らないほうが気楽だ。熱がないとほっとするが、一日に何回でも計ってしまう。一度目が覚めるともう眠れない。そそくさと起き上がり、昨日の残った洗濯を開始した。今日しなければならないことが山積みだ。

 今朝の新聞各社に当院のことが報道されている、勿論実名で。県はクラスターの発生する恐れがあるとして、十七日に新設したクラスター対策班の職員三人を投入し、調査を始めるとのことであった。国内感染者は一万人を超え、特に3月下旬から加速している。町から人影が消え、多くの店はシャッターを閉じている。大都市では人出が8割減ったと報道されている。

 朝8時を過ぎると再び電話の嵐がやってきた。今日は日曜日だが昨日以上だ。やはりほとんどが感染を心配する声と、薬のお願いだ。一人一人丁寧に説明し、謝るしかない。K君より電話連絡が入る。毎日一回は連絡するように指示してある。昨日は37.9度の発熱であったが、今日は39度まで上昇したという。倦怠感もさらに強くなり、何を食べても鼻が詰まっているようで味がしないと言う、臭いもわからないと言う、報道されている通り、新型コロナウイルスでよく出現する味覚・嗅覚障害だ。ただ咳・喀痰はないと言う。呼吸困難は勿論ない。本日からアビガンが開始されるとのことであった。新型コロナウイルスの症状が強くなってきている。午前中電話が鳴りやむことはなかった。

 22日にはドライブスルー式PCR検体採取を行うが、今日中にマニュアルを作成し、明日の職員の検体採取を予行演習代わりにしようと考えていた。夕方に家内が保健所から検体採取キットを貰ってきた。防護衣セットの中には、N95(42)のマスクが一個、ゴム手袋一対、フェースシールド一個(楽天で購入したものとほぼ同じ)、ガウン一個(ビニール製、雨合羽と変わらない)が入っていた。あと依頼書と同意書が人数分入っていた。ドライブスルー方式は海外などではされており、国内ではまだあまりない。19日の読売新聞に新潟県でドライブスルーPCRセンター、横須賀市でウオークスルーPCRセンターの開設記事がのっている程度だ。勿論県下では初めてだ。グーグルマップと手書きの地図で車の流れを図示して、侵入経路、待機場所、そして退出経路を分かりやすくしておく。さらに検体の採取方法の説明図を作成しておく。依頼書・同意書、検体用スピッツのラベルなど、あらかじめ記載可能なものは用意しておくと時間の節約になる。同意書は患者さんの住所を記入しておくと、丸をつけて、署名するだけですむ。患者さんには基礎疾患の有無、現在の症状の有無とその内容、渡航歴・ワクチン接種歴・入院歴を記載して頂くだけだ。依頼書・同意書・ドライブスルー説明書・検体採取の説明図の4枚セットを用意した。この新型コロナウイルスでの医療機関の対応には他の問題での対応と異なる点がある。感染者及び濃厚接触者の職員を招集することは困難で、対応できる職員が大幅に減少することだ。当院でも職員の出勤を4人組に制限し、出勤回数も最小限にした。そのためほとんどの事を自分一人でしなければならない、しかも自分自身が完全な濃厚接触者であり、いつ発症するかも知れない。

 現在新型コロナウイルスのPCRのシステムは次のようになっている。次の四つに当てはまる場合は本人もしくは受診した医療機関から帰国者・接触者相談センターに相談することになっている。1)風邪の症状や37.5度以上の発熱が4日以上続く場合 (解熱剤を飲み続けなければならない方も同様です)、2)強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある場合、3)高齢者、糖尿病、心不全、呼吸器疾患(慢性閉塞性肺疾患など)の基礎疾患がある方や透析を受けている方、免疫抑制剤や抗がん剤などを用いている方で、これらの状態が2日程度続く場合、4)妊婦中の方、である。帰国者・接触者相談センターは保健所内にあり、ここでPCRが必要な場合は帰国者・接触者外来を受診し、そこで必要と判断されれば初めてPCRが施行される。帰国者・接触者外来は非公表だが感染症対策病院かもしくは地区の総合病院だ。ことに主治医が必要と判断されれば少なくとも帰国者・接触者外来に回る筈だ。PCRは政府が色々な対策を練ってはいるものの今も遅々として進んでいない。実際に発熱患者を多数診る開業医は気が気でない。マスコミは煽り立てるだけで、一方でPCRを増やせと言いながら一方で医療崩壊を食い止めろと言う、相反する意見だ。さてここからは私見である。律速のかかっているところはいくつかある。一つは直接PCRをして頂ける帰国者・接触者外来に患者が直接アクセスできないことだ。しかも非公表である。しかしそれを公表するとあっという間に患者が検査に殺到するだろう。もしかしたらそこには”真正のコロナ”がいるかもしれない。殺到した中で危険な3密が発生し、クラスター製造機になるかもしれない。医療崩壊への近道だ。次に帰国者・接触者相談センターに相談しても選別されて帰国者・接触者外来に回らないことである。世間の人はここが律速段階だと誤解している人が多い(保健所で検体を採っているところもないことはないが、抱える仕事量を考えると難しいと考える)。しかし保健所の方からすれば受け入れてくれる件数に制限がある。紹介したくてもできないのだ。大学入試で5人の推薦枠に100人が殺到しても全員を合格させるわけにはいかない。”可能性”の高い方からするしかないのだ。しかし臨床医が考える高確率の患者と保健所の考える高確率の患者が一致するとは限らない。保健所は濃厚接触の程度から判断する場合が多いと思うが、臨床医はさらに症状・経過を重視するため、見解の相違が生じる。最後に検体の採取者である。現在は帰国者・接触者外来が設置されている総合病院の先生方が担っており、採取数に制限を設けているところも多い。”けしからん”と怒られる方もいるかも知れない。しかしである。採取はリスクが伴う、誰もが尻込みするのは当然だ。新型コロナウイルスとの戦いを戦争に例えると帰国者・接触者外来が設置されている総合病院は“空母”だ。万が一新型コロナウイルスに汚染されて、いきなり“空母”が沈没してしまったら負け戦は必定である。戦の場合、“空母”は最後まで死守しなければならない。それでは一体誰が何処で採取すればいいのだろうか。採取は別にそんなに難しいことではない、申し訳ないが”鼻くそ”や”耳垢”をほじくる程度だ。花粉症の鼻洗浄やコンタクトレンズの挿入、インスリンの自己注射のほうがよほど難しい。ただ感染のリスクがあるだけだ。採血などの観血的な処置ではない、必ずしも医師がする必要もないと思う。一番目は自分自身で採ってもらうことだ。実際アメリカでは既に自己検査キットが使用されている。FDA(米国食品医薬品局))の発表は次のようだ。

 『今週、米国食品医薬品局(FDA)は、新型コロナウイルス検査の自己検体採取を認めるガイドラインを改訂すると発表した。これは患者が自分で綿棒を使って鼻から検体を採取し、医療従事者に渡して検査するものだ。米国時間3月25日、United Health Group(ユナイテッドヘルス・グループ)は、大規模な相互監視研究の結果を発表し、この侵襲性の低い検体採取方法に切り替えることの科学的根拠を示した。』」、さらに、

『この最新研究は、自己拭き取り方式が、新型コロナ感染者から医療従事者にウイルスを伝搬させる可能性を減らすだけでなく、医療専門家が患者の鼻孔の奥深くから検体を採取した場合と同等の効果があることを示している。ユナイテッドヘルスはBill & Melinda Gates Foundation(ビル&メリンダ・ゲイツ財団)、Quest Diagnostics(クエスト・ダイアグノスティクス)およびワシントン大学と共同でこの研究を実施し、ワシントン州のOptumCare(オプタムケア)診療施設で検査を受けた約500名の患者を対象とした。』

そしてAmazonは2020年3月23日(現地時間)、ゲイツ財団が支援する研究機関と提携し、新型コロナウイルスの家庭用検査キットを自宅まで届けるサービステストをシアトルで行うと発表した。二番目は有志の方で、“空母”(帰国者・接触者外来)以外の所でPCRセンターを開設することだ。別に医師が採らなくてもいい。看護師でも十分可能だ(極論を言えば今は非常時である。いっそのこと特別に政令を出してマスコミの方が検体を取れるように配慮してもらえると助かる。きっとすすんで取ってくれるに違いない、300円の特別手当で。)。歯科医も採取者に含める動きもある。最もそうは言っても医師か看護師が妥当であろう。医師ならば開業医と勤務医が連携して行うのが望ましいが、そう簡単にいく話ではない。必ず反対意見も出てくる。皆”空母”を守ることに異存はないと思うが、いざ自分が”特攻隊”になるのは尻込みする。武漢やニューヨーク、イタリアのように大爆発して自分の身の回りに”火”が回ってこないと進まないかもしれない。何としてもそれは避けたい。とある地区の医師会幹部は「検体採取は全面的に総合病院でやって頂きたい。我々は後方支援をする」(勿論当地区ではない)と言われたそうだが、後方支援するのは病院のほうである。三番目に検査が必要とした医師が自院で採ることだ(事前に県との契約が必要である)。既に帰国者・接触者外来の設置されている病院の医師は行っている。もしくは採取の方法を動画で用意し、患者さん自ら採取してもらうことだ。搭乗時によく見る救命胴着の説明のように。勿論防護衣なんてない、高性能なN95マスクもないが検体採取をする場合に限りN95マスクを用意すれば可能な筈だ。防護衣は雨合羽で代用可能であろう。そうすれば総合病院にわざわざ送らなくてもすむに違いない。行政PCRの場合だと、検査キットを保健所にて受取り、採取した検体を自ら運べばよい。色々と内実を経験すると、”PCRが進まない”と嘆いていた私は誰に文句を言っていたのであろうか、究極的には自分にこそ文句を言うべきであった。

 食事は家内が一日二回運んでくれているが、食べられない。私の好きなビールを持って来てくれるものの、飲めない。いつもは間食を怒っているが、食事以外に間食まで入っている。食べられない間食はドンドン溜まっていく。K君の感染が判明する以前は、”濃厚接触者にしたろ”と擦り寄ると、”寄ってこんといて”と怒っていたが、今日は妙に優しいし近寄って来ようとすらする。頼むからSocial distanceを取ってくれ。女性解放運動の平塚らいてふは雑誌『青鞜』の発刊にあたって、「元始女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」と書いているが、平塚らいてふが家内を見たら、日本はこんなにも変わったのかと感動するに違いない。世界の太陽神の多くは男性であるが、日本の天照大神は女性である。逆に月の神様は、世界の多くの国は女性であるが日本では男性(月読尊、月読宮、内宮の近く)である。天照大神が奉られている伊勢神宮内宮(正式名称は神宮)の敷地面積は5450万mmであるが、月の神様を奉られている月読宮は500分の一にもならない。ちなみに明治神宮は70mmである。我が家も”天照大神”と”月読尊”みたいなものだ。元来私は凝り性で陰気な性格だと思っているが、家内が楽天的な性格で大変助かっている。何より家の中が明るい。私には子供が二人いる。娘は29歳で半年前に出産し、時々実家に帰って来る。今も心配になったのであろう、名古屋の自宅と実家を往復中だ。娘は両親贔屓である。色々と頼み事を聞いてくれるが、頼み事はもっと多い。母親に似て明るいがお酒の飲み方は父親に似てしまった、不憫である。めげている私をみて、頻繁に孫のOちゃんの写真と動画を送って来る。それが一番の慰めになることをよく心得ている。婿さんのKちゃんとは職場で知り合った。あまり喋る方ではないが、なかなか気骨があってよい。我が家は自他共に認める銭湯好きだ。名古屋や銀座、黒門市場にも行きつけの銭湯がある。娘も根っからの銭湯好きだ。何とかKちゃんにも銭湯通になってもらおうと日々努力している。私の教育方針は”女の子には苦労させてはいけない”、男の子には”楽をさせてはいけない”だ。そのモットーのお蔭で、娘はのびのびと育ってしまった。息子は今関西にいる。いつもは何の連絡もないが、「大丈夫か?」、「体を休めてな」とか、心配してLINEが入って来る。小学生の頃はとても国語が得意だったが、中学生になるとからきしダメになってしまった。ある時どうしてそうなったのかと聞くと、昔私が「走れメロス」の話をしたのがきっかけだと言う。教科書に載っていた「走れメロス」は処刑されるのを承知の上で友情を守り、人を信じることの大切さを悟らせる物語だが、昔太宰ファンであった私は太宰がそんな殊勝な人間じゃないと知っている。「熱海事件」と呼ばれているが、太宰のために借金(飲み代・遊女代・宿代)のカタにとられて熱海でずっと待っていた檀一雄が、東京で井伏鱒二と将棋をうっていた太宰を見つけ激怒したが、その時太宰は「待つ方が辛いか、待たせる方が辛いか」と逆切れしたという。結局その借金も太宰は払っていない。美しい物語だと教える国語が馬鹿らしくなったという。またある時、関西の大学に行きたい理由を聞くと、黒門市場の銭湯でみた見事な入れ墨だという。手塚治虫のブラックジャックを愛読していたのでその影響があったのかも知れない(そういう場面があった)。昨年結婚したが、奥さんになってくれたKちゃんはしっかり者で、とても感謝している。因みに息子も銭湯好きだ。兎にも角にも二人の子供までが心配している。

 夕方、K君の奥様に電話をした。きっと心細いに違いない。まずは何か体の変調はないかと尋ねると、特に子供を含めてないと言う、一安心だ。ついでPCRの結果を尋ねると、まだ行っていないという。私よりも濃厚接触者であることは間違いないが保健所の方から待機を指示されているらしい。それならば希望があれば22日に一緒にしますと申し入れると、お願いしますとのことだった。

 昨日と違い、夜7時以降は比較的静かであった。実は今週SH先生と会うことになっていた。SH先生には開業当初より色々とご指導を頂いており、今尚、麻雀で熱血な御指導を頂いている先輩である。先生には電話ではあるが、色々と悩みを聞いて頂いて、少し気が楽になった。洗濯が終わったのは午後11時であった。一日で洗濯液が一本無くなってしまった。いよいよ明日は自分たちのPCRだ。一昨日、昨日とで3〜4時間しか寝ていない。今日こそ何とか寝なくては。”今までは何とか症状が出なかった。明日は濃厚接触して6日目だ。もし自分が感染していたらどうしよう、今度はさらに濃厚接触者を広げて再調査が必要になるだろう。”、”職員がうつっていたらどうしよう”、”県が危惧する通り、当院初の大クラスターになったらどうしよう”、”それこそ患者さんが亡くなったら医院を閉めなくてはならないかもしれない”、不安は留まるところを知らない。結局一睡もできなかった(このコロナ禍を書いていた)。

 

(42)N95マスク:アメリカ合衆国労働安全衛生研究所のN95規格をクリアし、認可された微粒子用マスクのこと。結核・SARSなどの感染症防止に効果を上げた。

 

6) 職員PCR

 4月20日(月) 体温36.5 倦怠感、食思不振、胃痛

 眠れなかったため、朝早くから4人組の負担を軽減するために請薬のカルテを20名ほど出しておいた。体が鉛のように重くだるい、シクシクと胃が痛む。気のせいか少し体温が高いような気がするが怖くて再検査できなかった。今日までに自分が発症していれば職員の検体採取を中止するつもりだった。体温の再検は検体採取が終わってからにしよう。土曜日に連絡できなかった総合病院にまずは謝りの電話を入れた。特に市民病院は当院より感染者が発生したこともあり、発熱者を一般外来とは別にする体制(発熱外来ではない)を開始していた。ここでも迷惑をかけている。

 本日採取して午後2時半までに保健所に届ければ、明日の3時頃には判明するとのことだ。外は結構な雨だ。ドライブスルーを予定していたが、ウオ−クスルーに変更しよう。8時を過ぎるとやはり電話がひっきりなしにかかって来る。申し訳ないが、職員にこれ以上の負担をかけることもできない。診察、処方箋発行を全てお断りし、住所を訪ねてはお近くの医療機関への受診を勧めた。午前10時になると職員が集まってきた。まずは職員の健康状態の確認だ。幸い特に症状のある者はいなかった。PCRに対する御家族の同意を得るように、事前に申し送りしていた。依頼書・同意書の記入を各自お願いし、検体採取の方法を簡単に説明した。検体採取の際に一番重要なのは防護衣の着方と脱ぎ方である。まずN95マスクを着ける。次に雨合羽を反対向きに着る。この際に予め親指が通るように2cmくらいの穴を袖口近くに開け、そこに親指だけを通す。ゴム手袋をつける際に雨合羽の袖も一緒に入れておく。親指が引っ掛かっているので、袖口が外れることがない。首の所にも頭が通るように12cmくらいの切れ目を入れ、そこから頭を通し、キャップを逆向きに被る。更にカラーリング用キャップを被る。その上に更に雨合羽を被っていく。最後にフェースシールドを被る。ゴム手袋を更に装着するが何重にもつけて、一例ごとに一枚脱ずつ脱いでいく。検体採取は一人一分もかからない。採取がすんだ人はしばらくくしゃみや咳が出てもいい様に人のいない空間に向かって2〜3分休んでもらう。脱ぐときは自分で脱がず、人に後ろを外してもらい雨合羽とともに手袋を脱いでいく。最後の手袋を脱いだら手洗いをし、念のためアルコールで吹いておく。職員13人分採るのに一時間もかからなかった。保健所に終了したことを告げ、検体を家内に運んでもらった。検体採取終了後検温すると36.0度に下がっていた。ひとつのミッションを終了し少しほっとした。4人組に濃厚接触患者さんの検体採取のため、4月22日午前中の出勤をお願いした。

 三重県より緊急事態措置が発令された。

 はじめに

 『新型コロナウイルス感染症の急速な拡大をふまえ、4月16日に政府から全国に 「緊急事態宣言」が発出されました。 「緊急事態宣言」については、4月7日に政府から7都府県(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県)に発出された後、他の都道府県において独自に宣言が発出されています。本県においても、感染の継続や今まで発生していなかった地域へ拡大していることもふまえ、4月10日に“三重県新型コロナウイルス 「感染拡大阻止緊急宣言」”を宣言し、県民の皆様に移動自粛等についてお願いをさせていただいてきたところです。4月16日に政府から全国に「緊急事態宣言」が発出されたことや県内でも新型コロナウイルスの感染が急速に拡大していることをふまえ、県民の皆様の“命と健康”を 最優先に考え、今後取り組むべき対策である、“新型コロナウイルス感染症拡大阻止に向けた 「三重県緊急事態措置」” 〜5つのお願い〜、措置実施期間:令和2年4月20日(月)〜同年5月6日(水)対象区域 :三重県全域を取りまとめました。県民の皆様におかれましては、ご自身や大切な家族、友人の“命と健康”を守るため、新型コロナウイルス感染症を他人事ではなく、我が事としてご認識いただき、ご協力をお願いいたします。』

   三重県知事  鈴木 英敬

検体採取が終わり、K君と電話連絡した。アビガンが始まり、今朝には熱が37度まで下がって楽になったという。咳・喀痰はいまだないという、一安心だ。K君の重症化に歯止めが掛かったと感じた。4月18日に当院のことが報道され、今日が初めての平日である。近隣の医療機関や総合病院では半ばパニックになっていた。発熱者の別対応シフトを敷いた市民病院には発熱患者が殺到し、“パンク”し、通常業務に支障をきたしていた。急遽市民病院より、発熱患者受け入れの制限のおしらせのFAXが届いていた。

 毎日昼・夜と家内が食事を運んでくれている。食用がない私を気遣ってか、今日の晩御飯は伊勢うどんとサメノタレ茶漬けだ。伊勢地方には他の地方ではなかなか入手困難な食材が多い。サメノタレ(サメの切り身を干したもの)、開きサンマの干物(尾鷲地方)、伊勢芋(大台)などであるがその代表格が伊勢うどんである。言ってみれば当地方のソウルフードだ。私がまだ幼少の頃にはどこの家からも歩いて行ける所におうどん屋さんがあった。小さなお店(大体が大きくはなかった)の中には数台のテーブルと椅子が置かれており、あまり綺麗でもなく(ごめんなさい)、メニューといえばうどんとそばしかなかった。岡田屋、河崎屋、山口屋など、およそ食堂とは似つかわしくない屋号を持ち、炊事場にはその店秘伝のタレを入れた瓶が置かれており、店によっては店内に駄菓子やサイダーを置いてもあった。いやむしろ駄菓子屋が本業で片隅にうどん屋を兼ねている店も多かった。伊勢うどんには伊勢溜豆油(たまり)が欠かせない。溜豆油(たまり)とは味噌を作る際にできる上澄みで、鎌倉時代に中国から紀州地方に伝わったと考えられている。よく混同される醤油は溜豆油よりさらに遅れて室町時代に初めて文献に登場し、大量生産が可能なことより、溜豆油に代わり普及したものと考えられる。溜豆油は醤油と比べて大量生産は難しい半面、うま味と香りをより多く兼ね備え、日本人に味覚の郷愁を駆り立てる。当地方における溜豆油や味噌は独特な食文化を育んできた。桑名の焼き蛤、味噌煮込みうどん、五平餅、ひつまぶしなどである。関西出身の友人は「うどんは関西が本場」と言う。関西系、関東系のうどんから考えると、伊勢うどんは邪道であたかも突然変異の如し、である。江戸時代以前うどんは現在のようなどんぶりではなく、平皿で食べていたらしい。ゆでたうどんを平皿に盛り、少量のタレ(醤油・溜豆油)をつけて食べていたが、讃岐地方の“茹で込み”に似ている。恐らく”茹で込み”も伊勢うどんも、うどんの原始的な食し方なのであろう。言うなれば伊勢うどんは古代うどんの原型を留めたうどん界のレジェンドと言って過言でない。江戸時代には“お陰参り”の流行があり、多い時には年間500万人(当時の日本の人口は推測で3000万人)に達したとされ、伊勢の道中には旅人の胃袋を満たすため、多くの餅屋(餅街道と呼ばれている)と伊勢うどん屋が軒を連ねていた。江戸時代を考えると、ゆでた麺にタレをかけ、ねぎを入れるだけのシンプルな伊勢うどんや餅は大勢の観光客に即座に対応できるファーストフードそのものであったといえよう。逆に言えばそのことが大阪うどんのように発展せず、原始的な食し方として伊勢うどんが完成されたと言えよう。溜豆油、かつお節、昆布といった日本人としての味覚の原点を煮詰めた至高の作品は初めて食する人を“ああ、ハレ、何となく懐かしい味だ”と魅了させるのである。

 4月21日(火) 体温 36.0度 症状特になし

 昨夜は重要なミッションをひとつ片づけたこと、K君の様態が改善したことから久しぶりに三時間ではあるが熟睡できた。今日は濃厚接触して7日目であるが、幸いなにも症状はない、昨日の倦怠感やぼーとする感じは寝不足からのものだろう。いつ症状が出るかと不安はまだまだあるが、目の前の課題をひとつずつこなすだけだ。昨日よりは少し電話が減った。午前中で20〜30件くらいであろうか、電話への対応も少し慣れてきた。今日の午後には結果が判明する。まずは午前中に電話対応と、明日の濃厚接触者患者さんのPCRの準備が必要だ。他院でPCRを受けられた方もあり、明日は合計21名の検体採取を予定している。全員分の依頼表・同意書の準備、職員の防護衣の準備、ドライブスルーの手順の確認などを行った。当院では消毒液・マスクが枯渇しており、地区医師会に相談させて頂いた所、マスクと消毒用アルコールを分けて頂けることになった。大変感謝するとともに、多くの医療機関でも不足している状況に申し訳なく思った。自院のホームページ(EPARKという発券機のホームページであるが)に臨時休診の件、感染者情報などをアップしておいた(ずぼらな私は何年も自ら更新やお知らせをいれたことがない)。アメリカやヨーロッパでは新型コロナウイルスの広がりで、多くの診療が萎縮してきている。不要な検査や手術が延期され、本邦でも緊急事態宣言された地区を中心に診療制限がされ始めた。海外では癌症例であっても手術が延期されているらしい。報道もPCR検査の件を中心に医療機関に批判的な記事も多かったが、ここに来て医療機関を応援する記事も増えてきた。申し訳ないが昨今の報道は全くもって衆遇報道である。報道を真に受けていたら、いつ足元をすくわれるかわからない。テレビAでは新型コロナウイルスの予防を訴えていたが、キャスター自らが感染し、しかもクラスター化してしまった。あんなに“3密を避けろ”と言っていたが、自分たちが3密状態で、しかも発熱後も勤務を続けていたらしい。自分たちは特別だとの驕りが垣間見える。

 午後2時半、私の携帯電話が鳴った、保健所からだ。

 「M市保健所です。PCRの結果がでました。全員陰性でした」、嬉しかった。

 「有難うございます。ほっとしました」

 「本当、よかったです」

 「それでは予定通り、明日患者さんの検体採取をさせて頂きます」

 「わかりました。では夕方にまた検体採取セットを取りにきて頂けますか」

 「了解しました。」、届けられた採取セットにN95マスクなどの防護セットはもう入っていなかった。保健所でも枯渇しているのであろう。

 早速、各方面に連絡した。まずは全職員、そして地区医師会である。その結果も玄関に張り出し、ホームページにもアップした。恐らく一番結果を心配しているであろうK君にも伝えた。

 「K君、他の職員全員陰性やったよ」

 「本当、よかったです。皆さん何も症状出ていませんか」

PCRが偽陰性のことはよくある、引き続き待機し、経過観察が必要だ。K君の症状も微熱こそあるものの、倦怠感は薄れ、落ち着いてきている。

 今夜は少しゆっくりできそうだ。空いた時間でこの文章を書いていると夜9時頃にC新聞社の記者から電話があった。今までにも何社か事実についての問い合わせがあり、その都度丁寧に事実を申し上げていたが、その記者は事実の確認だけではなさそうである。職員K君に直接取材をさせてほしいと言う。

 「直接感染職員に取材させて頂けませんか、もしくは先生から当人に話を通してくれませんか?」

 「どういうことでしょうか」

 「当人に直接取材することで、この新型コロナウイルスの恐ろしさを啓蒙したいと思います」

 「・・・」

 「気をつけて予防していた医療従事者でさえ感染してしまう病気の恐ろしさを伝えられたらと思います」

 とんでもない話である。既に新型コロナウイルスの報道は数多あり、啓蒙されすぎている。先にも書いたが県内で放射線技師かつ超音波検査士は数人しかいない。しかも当院の実名報道を許可している。感染者がK君であることは丸わかりだ。本人および家族は今、針の筵にちがいない。これ以上に本人家族を“晒し者”にしようというのか、怒り心頭であった。

 「断固お断りいたします。取材でしたら私が幾らでも受けます。でも職員に直接取材するのはご勘弁下さい」

 「ではこういうのはどうでしょう。皆さんのPCRの結果が判明してから、取材させて頂くというのはどうでしょう」

会話の最中に“読者の反感を招くことは書きづらい”とあった(大切な言葉なのでメモしていた)、また二次感染者が出なかった場合は悪い記事ではないでしょうというニュアンスもあった。ひょっとして県ではクラスターを警戒しているが、その時に向けての取材なのか?

 「そうでなくても今職員やその家族は皆、白い目で見られているんです。そんな非人道的な取材は断固拒否します。事実のままに書いて頂くのは問題ありません。しかし事実を歪曲されるのは嫌なんです、美化されるのはもっと嫌なんです」

言語道断である。翌日に三重県と県医師会に“報道機関からこうした要望があったが、あまりに非人道的だと思われるので、報道機関に個人取材の自粛の要請をするようお願いした。その後も何度かその記者は夜電話してきた。

 

7 患者さんPCR

 4月22日(水) 体温 35.3度 症状なし

 昨夜も眠れなかった。今日は濃厚接触8日後である。取り敢えず最も発症の確率の高い3日間が過ぎた。幸いなことに特に症状はない。昨日職員PCR結果陰性が判明し少し安堵できたが、束の間であった。最大の心配は濃厚接触者となった患者さんたちであった。高齢な方もおられる、万が一感染していたら、重症化するかもしれない、その結果が出るまでは決して安堵できない。事務のOさんから報告を受けた。4人組のIさんの体調が良くないらしい、37.5度と熱発しているらしい。また職員SKちゃんが朝起きた時にめまいがして歩けなく、立つこともできず、出勤できないという。普段病気らしい病気もしたことがなかったが、血圧も上昇しているとのこと、無理はさせられない。また、業者のFさんが14日日にK君と濃厚接触があったという。四面楚歌であった。もしかしたらIさんは感染しているかもしれない、再度PCRが必要だ。実は事前に採取用セットを二人分余分に頂いてあった。急遽Iさんの再検と、Fさんに希望であれば本日PCRを行うと連絡した。孫の面倒をみている家内にヘルプをお願いした。

 職員は3人配置した。一人目は来られた人を駐車位置に案内し、名前を確認してから依頼書・同意書を手渡して説明する。二人目は依頼書・同意書の記載内容の確認と検査の手順の説明である。三人目は検査の補助である。検査前に私に検体用スピッツを手渡し、採取の終わったスピッツをクーラーボックスに保存していく。本来は四人目に院内での電話対応をお願いしたかったが致し方ない。私は再々度名前を確認し、まずは患者さんの体調を確認する。窓越しの会話である。「○○さんですか。今日は御足労願いまして申し訳ありません。体調の法はどうでしょうか、熱とか咳とかでていませんか?食事はとれていますか・臭いや味はわかりますか?」。次に検体採取の説明をする。

「インフルエンザの検査と同じようなものです。まずはゆっくりとこの綿棒(スワブ)を鼻からまっすぐ入れていきます。咽喉の奥の壁に当たると、少し軽い痛みがあります。しばらくそのまま留めといて、今度は回しながらゆっくり引き抜いてきます。三十秒位です。できましたら採取中はしゃべらないでくしゃみも我慢して下さい。できたら息を止めて下さると助かります。」

採取は患者さんの正面からではなく、なるべく斜め方向から行うが、採取が終わるとすぐに患者さんの傍から避けるように患者さんの後ろ側にまわった。採取後くしゃみが出やすくなるが、その場合はあらかじめ人の居ない方向にしてもらうように説明していた。検体を受け取る職員は、採取中は決して患者さんの前に立たず、少し離れた所で待機するよう指示していた。20名ほどならドライブスルーにする程でもなかった。駐車された場所にこちらから出向くだけで十分可能であった。慣れれば一時間で20〜30人は可能と思われた。ただ、同乗者がいる人も多かった。その場合は本人に車から出て頂いて行った。くしゃみや咳が出ないことを確認し終えるまで数分車外で待機してもらった。PCRは偽陰性率も高い。より念入りに時間をかけて採取し、溶液の中で何度も何度もスワブをこすりつけた。検体採取中に娘が孫を連れて現場にやってきた。「近寄ったらあかん、早く帰れ」と半分怒鳴りながら、追い返そうとした。家内が向こうで娘と少し話をしていたが、程なく娘は立ち去った。最後にK君の御家族(感染のリスクの少ない方から行ったので最後になった)の採取をおこなった。実は奥様も医療従事者である。今回K君の感染が判明したのち、奥様の勤務先のSK病院も休診しているという。“コロナ”の影響が飛び火している、誠に申し訳ない気持ちだ。やっと検体採取が終わった。家内が近寄ってきて、「SK(四人組職員SKちゃん、家内の妹である)、脳梗塞やって、S病院に緊急入院になったって。いくら電話しても医院にもオトンやオカンにも繋がらないので直接伝えに来たという。冷汗が止まらない、アドレナリンが溢れでている。他の職員にも大きな負担をかけてしまった。検体採取終了後、慌ててSKちゃんの御主人のHK先生に電話する。MRIにて小脳梗塞をきたしているという、やはり歩けないとのことだ、幸い意識障害や言語障害はない。頼むから患者さんのPCRが陰性であってくれ、今は祈るばかりである。K君より電話があった。体温は36.3度に低下し倦怠感も消失し、現在ほぼ無症状であると。結局K君はほとんど咳が出なかった。

その日の夜、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は最新の現状分析・提言をまとめ、感染者や医療従事者などへの偏見・差別があることを強く訴えた。専門家会議の尾身茂副座長は私の大学の先輩であるが、私の入学と同時に卒業されたので、面識どころかお話したことなど一度もない。先生は大学卒業後地域医療の現場で医師として活動したのち、厚生省を経て世界保健機関に入った。西太平洋地域での急性灰白髄炎の根絶に成功し、西太平洋地域事務局の事務局長に就任された。事務局長退任後は、出身大学にて教鞭を執られた後、年金・健康保険福祉施設整理機構地域医療機能推進機構理事長を務められた。会見で先生は次のようにお話された。

「感染を拡大させる負のスパイラル」医療従事者などへの偏見・差別拡大に専門家会議が強く警鐘(4/22() 20:45配信)

「今日は特に強調したいことがある」とはじめた尾身茂副座長は、「医療機関を含む様々な場所で偏見と差別が起きてしまっている。特に医療機関では院内感染が起こり、医療従事者への偏見や差別が拡大している。こうした影響は医療従事者の家族に対しても向かっている。感染の不安が重なって、医療従事者の離職や休診、診療の差し控えなどにつながっている」と指摘。そうした偏見や差別をなくすために知ってほしいこととして、「誰もが感染しうる感染症だという事実」「誰もが気づかないうちに感染させてしまう可能性があるという事実」「病気に対して生じた偏見や差別が、さらに病気の人を生み出し感染を拡大させる負のスパイラル」の3つをあげ、「偏見や差別は絶対にあってはらない。感染症への感染リスクと隣り合わせで働いているすべての人々に対する敬意をみんなで示して」と訴えた。

今回の件で、私は何も考えずに実名報道を許諾した。しかしその事で今後悔している。先にも書いたが、K君の周りの人や地元の人は感染者がK君であることは重々承知だ。公表されたことで本人や家族が大変肩身の狭い思いをされたことは想像に難くない。まして子供はまだ小学生や中学生だ。友達から“遠慮なく”色々と言われるに違いない。職員の家族でさえ、会社から出勤停止を言われている。職員が買物をしているだけで、医師会に通報がある、何ともやるせない。私の母は91歳で、この時丁度大腿骨を骨折しIN病院に入院していた。姉には心配するから伏せておいてと言ったものの、大々的に報じられたテレビで知ったらしい。私はK君の発症する前に母親に面会していた。その後報道を知った看護師は、私の母への接触と私の状況が心配になったのかもしれない。母親の携帯電話を勝手に取り上げて、履歴やメールを確認したという。母親が携帯使用を始めたのは、入院してからのわずか二週間ばかり前である。メールなんて打てるはずがない。携帯の操作も解っていない。そのIN病院はPCR陽性の患者に間違えて陰性と伝え陳謝していた。世間の噂が喧しい。PCRの採取を手伝い、検体を保健所に運んだ私の妻は今、重症肺炎で人工呼吸器の管理下にあるらしい。マスコミの興味本位の報道姿勢も腹立たしい。私の様に開業してから20年以上経っている医院はまだいいが、開業間もない医院や借金が残存している医院では経営的な重圧も問題だ。皆が私と同じような姿勢を取る必要は微塵もない。今回の件で言えばそう考えると実名報道は多いに疑問である。今後私のところと同じような事例が生じた時に、デメリットをアドバイスしたいと思っている。明日のPCRの結果、SKちゃんの様態のこと、再び眠れない夜がやってきた。

 

8 劇症肝炎

 劇症肝炎という病気を御存知だろうか。昔は結構経験したが、今は皆無に等しい。ひとたび発症すれば致死率は80%とされていた。私は卒後3年目に最も仲良くさせて頂いていた一年先輩の小児科のAT先生をこの病気で亡くした。原因はB型肝炎であった。遺伝子解析により核酸塩基の点変異であることが証明された。当時ウイルスの全塩基配列が解明されるなんて夢物語だと思っていたが、それよりもたった一か所の変異でウイルスはこうも変わってしまうのかと驚愕した。この件以降医療従事者へのB型肝炎ワクチン接種が勧められていった。劇症肝炎は急性型と亜急性型とに分類され、亜急性型はまず助からなかった。現在ではそうなる前に肝移植を行っている。前述したYT先生と私は大学勤務の時に劇症肝炎の共同研究をしていた。ある時に既知の成因を除いた原因不明の劇症肝炎亜急性型23例中7例に同じ薬剤が使用されているのに気が付いた。同じ薬といっても同じ名前ではない。先発薬以外に名前の異なる後発品が沢山ある。その7例もすべて名前が異なっていた。薬の名前一つ一つの一般名を確認していって判明した。ひとえに詳しく病歴をとり、服用していた薬剤名を余すとこなく記載してくれた先人たちのお陰である。エカラジンという薬である。YT先生は小躍りして喜んでくれ、後日論文としてHepatology Vol 23, No. 3, 1996, 465-470 (Fulminant Hepatic Failure caused by Ecarazine Hydrochloride ( a Hydralazine derivative)) に発表した(この薬は発売中止された)。この薬はヒドララジンという薬の誘導体(43)で、抗結核薬のリファンピシン(RFP)、イソニアジド(INH)も同種である。この種の薬剤性肝炎は有名であった。この薬剤性肝障害には特徴があった。 1)通常の薬剤性肝障害とは異なり、長期の内服後(数か月〜数年)に発生し、重症度は投与量に相関すること、2)通常の薬剤性肝障害で認められる好酸球上昇、IgE(44)上昇、皮膚症状はなく、リンパ球幼弱化試験(45)も陰性であること、3)劇症肝炎亜急性型の経過で、肝障害が急性型に比し軽度であるにも関わらず、肝不全が重篤で、肝再生能が著しく低下していること(例えば急性型では肝細胞はほとんど残っていない、AT先生の肝臓も残存肝細胞は皆無であった。ところが亜急性型は結構残っている場合がある。残っていても肝細胞が“働いていない”のだ)、3)抗核抗体という自己抗体の出現を多くの例でみること、4)同じ薬剤が他の再生不良を主体とする疾患を惹起すること(例えば無顆粒球症、再生不良性貧血など)、である。私の恩師のK教授はいつも「どうして再生してこないのだ」と仰せられていた。開業後もこの疑問はいつも頭の片隅にあった。開業後8年が経ったある日のこと、車を運転中にある推理が浮かんだ。PCRの説明時に出てきたエピジェネティクスである。この分野は2000年前後より急速に進歩している。このヒドララジン誘導体は主として肝臓でN-アセチル化酵素(n-acetyltransferase; NAT)(46)によりアセチル化され代謝されるが、NATの酵素活性には個人差があり、polymorphismを呈することは良く知られていた。要するにNATを普通に持っている人と、まれにNATの働きが悪い人(slow acetylator、お酒で言えば下戸の人である)(47)がいる。slow acetylatorでは、ヒドララジン誘導体のアセチル化が十分行われないため、ヒドララジン誘導体及びその代謝産物の過剰な蓄積を認め、肝障害を引き起こすと考えられていた。ヒストンテールもアセチル化の修飾を受けることで、DNAが解れ、再生(転写)が始まると書いたが、このアセチル化する酵素はヒストンアセチル化酵素(histone acetyltransferase: HAT)(48)と呼ばれている。HATはヒストンを得意的にアセチル化するわけでもなく、p53など、ヒストン以外の蛋白質も数多くアセチル化することが知られている。HATとNATは全く異なる酵素ではあるが、アセチル化という同じ仕事をしている。まあ兄弟酵素みたいなものだ。もしもヒドララジン誘導体の分解能が極めて悪いSlow acetylatorの人がこの種の薬剤を長期に服用すれば、体内にこの薬剤もしくは分解物が蓄積し、いずれNATの働きは枯渇する。代わりにHATを使うのではないか(お金をおろすのに郵便局の代わりに銀行を使うようなものだ)、そしてHATも枯渇する。桶から水が零れるようにゆっくりとHAT活性が失われ、最終的にはヒストンのアセチル化はできなくなってしまう。肝の再生能はストップしてしまうのだ。この考えならすべての疑問が解決される。長期の服用後に発生し、重症度は投与量に相関すること、アレルギーではないので好酸球上昇、IgE上昇、皮膚症状は認めずリンパ球幼弱化試験も陰性であること、何より再生不良の原因が明瞭に説明できること、ヒストンにヒドララジン誘導体の一部が付けば、異物として認識され、抗核抗体の出現を見ること、同じ作用で他の再生不良性の疾患を起こす可能性のあることである。私は当時大学に勤務していたKM先生にこの仮説を説明し、立証する実験をして頂いた。エカラジンによる肝障害例では組織上ヒストンアセチル化は極度に低下しており、試験管内ではエカラジンは容量依存性にヒストンのアセチル化を阻害した。マウスを使った実験でもエカラジン投与のマウスではHAT活性の低下を認めた。これらのことは後日Journal of Hepatology 46, 322-329, 2007 (A nobel mechanism for drug-induced liver failure: Inhibition of histone acetylation by hydralazine derivatives) に掲載された。その後この仮説が正しいのかどうかの追試はない。正しいという意見も無ければ間違っているという意見もない。是非どなたか追試をして頂けると有難い。

布団に入ると自然と涙が零れ落ちた。自分の危険よりも他人の危険の方が身に沁みる。物心ついてから涙を流したのは先輩AT先生が亡くなった時とYT先生が亡くなった時、そして今回であった。

 

(43)ヒドララジン誘導体:ヒドララジンより派生した同種の薬剤。

(44)IgE:免疫グロブリンの一種。アレルギー物質(アレルゲン)に対して働きかける抗体。

(45)リンパ球幼若化試験:患者末梢血からリンパ球を分離し、薬剤とともに培養してリンパ球幼若化を観察しアレルギーの起因薬剤を判定する検査。

(46)NAT:N-アセチル化転移酵素2N-acetyl transferases 2)の略称で、アセチルCoAのアセチル基を、本酵素の基質となる芳香族アミンやヒドラジン含有化合物に転移する酵素。

(47)slow acecylator: NATによるアセチル化速度の遅いタイプ。日本人では約10%と言われている。

(48)HAT:ヒストンアセチル化酵素(histon acetyl transferases)の略称で、アセチルCoAのアセチル基を、ヒストンに転移する酵素。

 

9 PCR結果

4月23日(木) 体温 35.4度 特に症状無し

眠れぬ日は続いている。4人組Iさんの結果はどうだろう、同じくSKちゃんの容態はどうだろう、なにより患者さんの結果はどうだろう。今日は決戦の日であった。濃厚接触9日目になるが、今のところ特に症状はない。実は患者さんの中で一人気になる方がいた。88歳の高齢女性である。右上腹部痛を主訴に来院した。まずはエコーを行った。いつもより時間が長い、きっと何か所見があったに違いない。30分程してK君が「先生、右第10肋骨の骨折です」と言ってきた。彼は今までも数例、上腹部痛の患者さんを肋骨骨折と診断していた。実は肋骨骨折はエコーが一番判りやすいと自負している。わずかに肋骨の骨質を示す線状のstrong echo49)がずれている。この程度ならまずレントゲンに写ることはないと思うが、念のためレントゲンを撮らせて頂いた。やはりさっぱり判らない。いままでの症例の中でも一番ズレ(dislocation)が少ない。更にCTで確認させて下さいとお願いした。高齢のためCT台の乗り降りにK君が介助した。CTでも判らなかった。骨のレベルにCT値を合わせ、細かく見てみたが判らない。K君は自分のエコー診断に自信があったに違いない。さらに1mmサイズに画像を切り直し、しかも拡大像を作ってきた。その画像を更に拡大してようやく判った、右第10肋骨の骨折であった。骨の乖離は僅かに0.5mmだった。我々が目指す“執念をかけてじっと診る”エコーであった。彼は既に大いなるエコーの虜になっていた。しかしである、この“執念のエコー”がおばあちゃんを濃厚接触者にさせてしまった。

不思議である。あんなに鳴っていた電話が鳴りやんだ。却って不気味である。例えるならメルトダウンだ。新型コロナウイルス感染職員が判明後の大混乱後の静けさだ。恐らくそれだけ患者さんが減り、今後もこの影響は長く尾を引くだろう。原状復帰したとしても長期を要するであろう。もし、私が新規の開業医であれば発狂するに違いない。静けさの中、暗澹たる気分でこの日誌を書いている。”中島みゆき”の曲が心に沁み入る。大学時代の旧友は“MHはまだ中島みゆきを聞いているのか”と呆れるに違いない。こんな状況下で聞く“時代”は格別だ。そう言えば今年大阪で行われる予定であった中島みゆきのコンサートも延期された、非常に残念だ。“燃やせんかったこの切符”はまだ手元に残っている。オリンピックは勿論の事、すべての行事が延期され、ほとんどの店も閉めている。経済的な打撃は計り知れず、ニョーヨークダウ、日本株が暴落し、原油価格も暴落した。リーマンショックの時は最初の打撃が大きかったが、今回はますます経済的な疲弊が広まるようで底知れない。“そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくる”のだろうか。

午後2時半、“馴染み”の電話番号がデイスプレイに表示された、保健所だ。

「M市保健所です、PCRの結果が出ました。全員陰性でした、良かったです。」

「本当ですか、良かったです。職員のIさんも陰性ですか?K君の御家族も?」

「はい、皆さん陰性でした」

「有難うございました、あともう一週間、念のために全員待機いたします。ご迷惑をお掛けしました。本当に有難うございました」

嬉しかった、自分が陰性であったことより、数倍嬉しかった。早速職員全員にLINEを回し、K君に電話連絡した。恐らくこの結果を誰よりも首を長くして待っていたのはK君に違いない、喜びも一入であったろう。K君の症状は48時間消失しており、確認のためのPCRが予定されているとのことであった。職員のIさんは症状がすべて消失したという。気になっていた88歳のおばあちゃんも陰性であった、当院発のクラスターは回避できそうであった。感染拡大を危惧されている医師会、総合病院にも一報を入れた。何より大変ご迷惑お掛けしたSK病院のSS先生に結果と謝りの電話をいれた。

「SS先生、この度は先生のところまで大変なご迷惑をお掛けして申し訳ありません。昨日K君より聞きまして大変恐縮しております。休診にされているようで、なんとお詫びしたらいいのか申し訳ありませんでした。幸いにもK君の御家族も全員PCR陰性でした」

「先生、いいんですよ、こんな事はお互い様ですから。実は今日K君の御家族の検体採取を私がする予定だったんです。MH先生がしてくれたので助かりました」

有り難い言葉であった、SS先生の懐の深さに感謝した。最後にSKちゃんの容態を確認した。幸いにも小脳梗塞であったため、四肢麻痺はないと言う。言語障害もないが、指先の感覚に違和感があるという。何とか後遺症は軽微ですみそうだ。まだ油断はできない、あと一週間経過観察と待機するよう全員に指示を出した。その日の夜一週間振りに一時自宅に帰宅し入浴した。あんなに減らなかった体重が僅か一週間で3kg減っていた

(49)strong echo超音波の反射が強く透過性の低いものは検査では真っ白く見えること。

 

10 雇用調整助成金

4月24日(金) 体温 35.0度 特に症状無し

この一週間で完全に睡眠パターンが狂ってしまった。2〜3時間熟睡できるものの、平均睡眠時間は3〜4時間で今日も5時半に起床した。今日は濃厚接触10日目だが、特に熱もなく他の症状もない。電話は全く掛かってこなくなった。昨日濃厚接触患者さんの結果が全て陰性だったのがとても嬉しい。大きな重荷が降りたようである。今朝の新聞報道によるとクラスターは全国で125カ所確認され、うち医療機関が41、福祉施設が27とのことである。医療関係だけで約半数のクラスターを占め、感染者数に占める割合は65%だという。50人以上の大クラスターも12カ所で発生している。当院の感染が一人ですみそうなのは奇跡である。

まだまだしなければいけないことがある。診療再開に向けて更に安全性を高めなければならない。まず新たな空気清浄機Medi Airを二台購入した。アメリカ軍でも使用されているそうだ。パンフレットによると、『米ソ冷戦時代に細菌戦争を想定し、アメリカ合衆国政府の軍事補助金によって開発されました。一般的に集塵性能が高いと認識されているHEPAフィルター(0.3μm)と比較して、0.007μmを99%以上と40倍もの高効率な性能を持ち、浮遊ウイルス、浮遊菌、揮発性有機化合物、カビ、花粉、PM2.5、タバコの臭いなど、様々な有害物質を捕集し、不活化します。ホテルでは「アレルギー対応ゲストルーム」や「ピュアウェルネス・エグゼクティブルーム」など、空気のきれいな特別客室として、DFSを搭載した据え置き機が設置。さらに豪華客船、病院、自動車ディーラーなど、世界中の様々なところでDFS技術が採用され、高い評価を得ています。』とのことだ。次に白衣の問題だ。医院だと職員が白衣のままで帰ることも多いがあまり宜しくない。新たに抗ウイルスを謳った白衣を一人三着分購入し、さらに白衣の紫外線殺菌ケースを購入した。エコー室、CT室の殺菌には紫外線ランプを使用し、待合室も同様に診療終了後に紫外線殺菌を約30分使用することとした。併せて換気の徹底である。内視鏡検査は極力検査数を制限し、全例防護衣対策を行う予定である。取り敢えず残っている雨合羽を使用し、それが無くなったら“内視鏡アトラス”で教えて頂いたゴミ袋防護衣を使用しようと考えている。フェースシールドも手作りで十分だ、クリアケースを100均で購入してきて制作している。患者さんの使用したベッドやお金にも紫外線を使用することとした。

国の行っている企業への支援策は主として二つだ、持続化給付金と雇用調整助成金だ。持続化給付金は同年同月比で売上が50%以上減少している事業者に給付され、法人の場合は200万円。個人の場合は100万円支給される。幸いにも当院は50%以上の減少はギリギリ免れそうだ。そこで雇用調整助成金を申請しようと書類の作成に取り組んだ。

雇用調整助成金とは経済上の理由により事業活動の縮小を余儀なくされた事業者が、労働者に対して一時的に休業、教育訓練又は出向を行い、労働者の雇用の維持を図った場合に、休業手当、賃金等の一部を助成するものだ、支給要件は最近三か月の売上高などが前年同期と比し10%以上減少していることで、持続化給付金よりハードルは低い。更に新型コロナウイルス対策として、助成内容を拡充、支給要件の緩和、提出資料の削減もされているものの、それでも煩雑だとの声もなくない。提出資料は厚生労働省のホームページからダウンロードできる。休業等実施計画届(様式第1号(1))、雇用調整実施事業所の事業活動の状況に関する申出書(様式特第4号)、事業所の状況に関する資料(既存の職員名簿で可)、雇用助成金支給申請書(様式特第7号)、雇用調整助成金助成額算定書(様式特第8号)、休業・教育訓練計画一覧表(様式特第9号)、支給要件確認申立書(様式特第6号)、労働・休日及び休業・教育訓練の実績に関する書類(出勤簿・タイムカードで可)である。確かに書類は削減されたとはいえ多い。初めてこういった書類を提出する人は大変だろう。ただ普段労働保険料を計算し、職員退職時に雇用保険の手続きをされている方であれば、格別難しくもないように感じた。作成要件を削減して頂いているお陰だと思う。24日は資料の作成に一日が過ぎてしまった。

 

11 戦いを終えて

4月30日(木) 体温 36.0度 特に症状無し

25日以降、発熱などの症状もなく、無事待機期間が終了した。他の職員にも特に感染の兆候は見られていない。SKちゃんも自力歩行可能となり、待機期間が終了しリハビリが始まるらしい。K君は一回目PCRが陰性になったという。三重県では最終の感染者45例目が24日報告されたが、発症は4月13日ですでに2週間が経過している。東海三県でも感染者が激減している。問題の東京でも新規感染者の減少が認められ、全国集計でも4月11日新規感染者719人をピークとして4月30日は188人まで減少してきている。何よりも今週から家内の持ってくる食事内容の品数が減り、間食もなくなった、今朝の朝食はパン一個だけだった。収束の兆しが見えてきた。アビガン、レムデシビル(50)の有用性も高まってきた。ただここで気を緩めるわけにもいかない、政府は緊急事態の延長を表明した。

K君は僧侶の仕事もあり、規則的な生活を送っている。毎日午後8時頃に晩酌をしている奥さんを尻目に就寝する。起床は午前4時〜5時だ。世間で問題になっている夜間外出なんて皆無だ。一体感染経路は何処からだろう?当初保健所は発症3〜4日前に執り行った葬儀を想定していたように思う。確かに葬儀での感染は報告されていたが、それは参列者の場合である。隣り合わせに並べられた椅子に一時間近くも座っていたら、感染するかも知れない。しかし彼はお坊さんである。参列者と優に2m以上離れた所に一人座り参列者に背中を向けてお経を読んでいる、読経終了後も参列者と談笑することもない。参列者は20名と少なく、健康状態に問題のあった方もなく、その後も関係者から感染者は出ていないという。その葬儀で感染したのであろうか?外出も感染前の二週間でショッピングモールに一度行った位だという。そこでの感染情報も出ていない。そうすると当院内で感染したのだろうか?また普段頑丈そのもののK君が自らCTを取るなんて初めてである、余程しんどかったのであろうか?(後日再確認してみたらまさか肺炎があるなんて夢にも思わなかったという)。K君が感染者と判明した時に濃厚接触者のリストを作ったが、その逆も可能である、K君に感染させた可能性のある逆接触者リストだ。K君発症の二週間前から辿っていく、例えば内視鏡、(私は自分の危険ばかりを考えていた)、私自身はフェースシールドを付け内視鏡もしたが、私以上に前処置を行う職員の危険度が高い。インフルエンザ小部屋にしても咽頭ぬぐい液を取るには安全だが、その直後にその小部屋に入るのは危険だ。濃厚接触のあるエコー、CT、内視鏡から逆接触者リストを作成していくと、何例か気になる患者さんもいた。しかし空しい作業であった。例え感染者が特定できたとしても、その感染者はまた別の誰かからもらっている、分かったとしてもそれが何になるであろう。学問的に重要であれば徹底的に究明するであろう、しかし今回の件に関しては無意味だ、寧ろ医療従事者であればそのような選別をすることは許されない、詮索することはやめにした。結局新型コロナウイルスとの戦いは敗者が積みあがるばかりで、勝者などいない不毛な戦いである。この感染症は多くの医療従事者が犠牲になっている。2〜3日前に労働基準局にK君の場合が労働災害に該当しないか問い合わせてみたが現在のところ該当しないという、可能性があるとしても感染経路の証明が必要とのことであった。色のついていない新型コロナウイルスの経路を辿るなんて不可能だ。今日厚生労働省は医療・福祉従事者の感染例を原則労働災害にとする方針を表明した。是非現場で適切な判断がなされることを期待している。

本日の報道によると世界での感染者は300万人を超え、死者は23万を超えている。一か月前には“今日のニューヨークは二週間後の東京だ”と多くの現地メデイアや日本のメデイアが叫んでいた。しかし現在そうはなっていない。アメリカは感染者が100万人を突破し死者は6万人を超えている。ヨーロッパも同じようなものだ。東京は何かとニューヨークに酷似しているため、比較されやすいが4月30日の時点で感染者は4152人である、日本全体で言えば感染者1万5017人、死者は僅かに469人である。いくつか指摘されているように、日本での被害が少ないのには色んな要素が影響しているかも知れない。人類初めての体験である、暗闇の中を手探りで解決方法を探していかなければならない、失敗もあるだろう、初めての暗黒の道を真っすぐに進める訳がない。確かにPCRは進んでいないが、死者数が全てを物語っているように思う。政府はよく頑張っている、それ以上に国民は頑張っている。医療政策が充実し、国民の清潔感と実直さが新型コロナウイルスを阻んでいるように思う。一番足を引っ張っているのは一部のマスコミのように思えてならない。当院の職員や濃厚接触患者さんのPCR結果が全て陰性と判明してから、あれほど執拗に取材を申し込んできたC新聞社からの連絡は一切ない。

兎も角も二次感染者を出さなかったのにはとても安堵した。一番の功労者はK君の英断だったと思う。彼が放射線技師で当院にCTがあり、超早期にて肺炎と診断できたことが(一般の方なら発熱した数日後に受診している筈だ)、感染を広げなかった最大の要因だ。また今までにも幾多となく訪れた医療危機に対して真摯に立ち向かわれた諸先輩方を間近で拝見させて頂いた経験も大きい。持つべきものは偉大な先輩だ。最後は皆に感謝である。

追伸 K君及びK君の家族の名誉回復になれば幸いである。

 

(50)レムデシビル:核酸アナログのプロドラッグで、ウイルスのRNAポリメラーゼを阻害する。これまでにエボラウイルスや、SARS、MERSの予防と治療に有用であることが示唆されていた。

 

Fig1:当院の新聞報道      Fig2:PCR依頼書

 

Fig3:PCR検体採取前  Fig4:支給されたN95マスクなどの防護衣