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日 時 | 平成17年4月5日(火) |
時 間 | 午後 7:00開演 | |
会 場 | 松阪市市民活動センター |
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住 所 | 松阪市日野町788 | |
会 費 | 2,000円(講演会) | |
茶話会 | 1,000円(うちの茶の間) | |
中村先生と「ご縁」について語ろう会) |
断られても、怒られても頼むのはタダ
〜長者番付の上から順にお金を借りに行く〜
二十三歳の若気のいたりか、早トチリ的にみごとな設計図と、みごとなアンティーク家具と、みごとな一枚板カウンターは用意したものの、これまたみごとにどうにもならないのが資金調達でした。
総予算はどう計算しても二億円かかります。これは、当然ながらそう簡単に工面できる金額ではありません。ものを考えることや、企画を立てることや、人を集めることや、料理で人に喜んでもらうことなら、僕にもできます。しかし、それをするためのお金がないわけです。
しかし、「お金がないから」と、あきらめたのでは男がすたります。
「しかし、ないもんはないわな。だけど、どうにかならんかな」と考えていたある日、新聞に掲載されている高額納税者の”長者番付”が目につきました。
「こんなに税金払う人がおるねんな。こんなに払うんやったら、ちょっと、こちらにまわしてくれんかな」と思いながら見ていたのですが、そのときにふと、「なかには、お金を貸してくれる変わり者がおるかもしれん」と思いました。
失礼のないアポの取り方をすれば、会ってくれるだろうと思いました。しかし、会ってはくれたものの、みごとに断られました。
これであきらめるわけにはいきません。ここがだめなら次はどうかと、順番にあたっていったのです。一人、二人、三人目はムリだろう、五人、六人、七人目もムリだろうと思いました。
でも、もしかしたら、七十六人目がうなずいてくれるかもしれません。百八十三人目の人が承知してくれるかもしれません。
あきらめさえしなければ可能性がゼロになることはあるまい、人間は世の中にうなるほどいるんだからと、思えば無謀なことを考えたものです。
伊勢でだめなら、松阪がある、それがだめなら隣には津がある、名古屋まで行ったろか、静岡、東京と東へ東へ上がっていって、仙台あたりで見つけたら一代記が書けるなと思ったら、なんだか希望がわいてきました。
たどりつくまで絶対やめへんぞと思っていたのですが、案外近くでめぐりあったのが、製材業で財を成した七十四歳の小濱さんという方でした。
もちろん、この若造が二億の大金を借りようというのですから、一回でOKがもらえるはずはありません。根性と気合で、しつこく日参しました。お金を借りる話をしに行くだけでは、警察に連絡されたり、不法侵入扱いされたり、塩をまかれたりしますので、何かお役に立つことをしようといろいろやりました。
庭の草取り、ガラス拭き、車の掃除。なんとか気づいてもらいたいと、あれこれやりました。ようやく声をかけてもらったのは、庭の池の落葉をすくっていたときでした。僕がやっていたことは全部お見通しだったようで、開口一番「おまえ、死ぬまでついてくる気やろ」と言われました。
「もう目星をつけたら、どこまでも行きますよ。次の可能性はなかなか薄いですやん。頼んで頼んで断られて、ここまで来るのも大変でしたし…」
そんな僕の話を小潰さんは「そうか、そうか」と開いてくれました。そしてこう言ってくれたのです。
「おれがこうやって製材の仕事をして、これだけの財産を成しえたのも、やっぱりおまえぐらいの年のときに力を貸してくれた先輩がいたからや。人生のうちで、そういう人間に出会えて逆の立場になれたら満足やと思ってた」
小濱さんは、神棚に置かれていた九百坪の土地の権利書を持って、銀行へ同行してくださいました。支店長は丁重にお出迎えです。
中村 文昭氏著書「お金ではなく、人のご縁ででっかく生きろ!」から抜粋
柳生家の家訓に「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う縁もこれを活かす」という言葉があります。中村氏は大才の如く、どんなに小さなチャンスでも、それを見逃さず、最大限に活かしていくことができる方です。
天から与えられたものとして、その時には何も意味がなくても、「袖触れ合う縁を活かすことの大切さ」を私たちに訴えかけてくれております。