過去ログ2025_2(04-06)



06/30 夏越の大祓

今日は6月の末日で「なごしの-おおはらえ」です。今年も半分過ぎて、半年分の「穢れ(けがれ)を祓う(はらう)」神事の日です。言わば半年分の反省と感謝の日です。連日真夏のような日が続いていささかバテ気味です。いつもなら茅の輪潜りをして、水無月(ういろうに小豆がのった菓子)を買って帰るのが恒例でした。もう神社に出掛ける元気がありません。ブツブツ。

先日何気なくテレビの医療番組を観ていたら、二十歳くらいの若者と還暦くらいの中年の男性が、並んで同じ食事を食べて血糖値がどう変化するかを映していました。ある程度予想はできていましたが、意外や意外予想以上に劇的に差がありました。中年の男性は食事が進むとあっという間に空腹時の100から200を超えていきました(単位はmg/dLです)。正常値は180以下。食後も1時間半くらいかかってやっと落ち着いていきました。

若者の方は食べ方がはるかに早いです。血糖値のグラフはと言うと食べても110くらいで1時間ほど横ばいです。見事なものです。インシュリンが正常に働き、内臓や筋肉へ瞬時に糖分を取り込んでいるんでしょうね。血管内の糖分濃度を一定に保っています。想像はしていても眼前に示されると圧倒されて絶句。自分の若いときでも、食事の後胃に負担感が全然なかったことを思い出します。どんぶりで大盛だったのに。

後期高齢者になると30%ほどの人が糖尿病になると聞きます。こうして血糖値を目で見ると納得できます。糖尿病は血管の病気ですから全身に及びます。糖尿病は予備軍の時がありますから、この時に気がつくことで大事に至らないことも。飲み食いするときはチラッと血糖値に気をつかいましょう。(10:44)


06/25 眼に奇跡が

梅雨空のうっとうしい日が続きます。我が家のテレビは、居間の普段座っている籐椅子から2mほどの位置にあります。最近は眼と耳の老化が進み以前ほど楽しめませんが、それでも毎日よくテレビを観ます。眼は画面がボケていてテロップの文字が判読不能のことも。耳は音声が出ていることは分かりますが、セリフはほとんど理解できません。画面の動画を追っているだけです。それでも最近は高齢化を反映してか親切なテロップが頻繁に出ますから、番組の内容は分かります。

テロップの文字の大きさは番組によって極端に異なります。ニュースなどの補足記事は隅の方に小さく出ます。テレビが大型化したからでしょう、画面の隅にあっても相対的に文字自体は大きいのです。だから小さくて読み難いことはないのでしょう。でも拙宅のように24インチの小型テレビでは虫メガネ級になります。テレビを代えないのは、買い換えの軍資金や面倒の問題もさりながら、ほとんど一日中電源入れ放っしの消費電力を気にしてのことです。地球にやさしくです。

今日の問題はテレビの画面がボケていた眼が、ピントが合って鮮明に見えることです。奇跡のようです。というのも、昨日の目覚めの時は、左右の眼が非常に悪く、経験したことないボケた状態で、テレビも新聞も判読不明。不安になり悪い方向にしか考えられなくなります。動くに動けず、仕方なくジッとして目を塞いで様子を見ます。ところが20分ほど経つと普段の程度に戻りやれやれ。恐る恐る洗顔と朝食を済ませ、ひょっとテレビを観るとハッとするほど鮮明に見えるのです。ピントばっちり小さい文字もよく見えて色彩も鮮やか。何が起きたかとしばらく金縛り。70歳代に戻った感じです。

どう考えても原因は分かりません。このうれしい目の状態も、また悪い方へ戻るかも。加齢現象は波動しますから。悪くなったり良くなったり・・ぬか喜びにならないで!(16:27)

26日になりました。今日はいつものボケた眼に戻っています。何だったのでしょう。84歳現在「こんなものです」ハイ。(06/26 16:01)


06/23 高齢者の不調

暑いです、仕方なくクーラーを入れています。部屋の湿気が取れると体が楽です。明け方に冷えるのが怖いので、夜は今のところ切って寝ています。夜中に暑くなって起きることも。でもどうせトイレに起きますから同じこと。15分ほどクーラーをつけて体を冷まして再度寝。夏はクーラーとの折り合いが知恵の出しどころ。クーラーを切って熱中症は悲劇ですから。

新聞の投稿記事ですが、執筆者は農家の高齢者のよう。『体力の低下で畑の作業は、ここ数年30分身体を動かすと30分は休憩する状態。』とあって、爺と同じで思わず吹き出します。必ず椅子を持ち出し、居眠りをすることも、とか。認知症を取り上げた記事なのですが、休憩しながらでないと畑仕事が継続できない高齢者の現実は、爺と重なり『同じだ』と安心感を与えてくれます。次々押し寄せる老化現象はそれぞれ個人の問題なので、自分だけの問題、つまり病気なのか、放っておいても大丈夫な通常の老化現象なの判断できません。こうして他人も同じ老化現象だと分かると安心します。爺の散歩15分歩いて10分休憩、また15分歩いて休むのも、この記事のようにありがちな老人の体力退化のひとつですね。歩くことは継続したいものです。

当サイトが臆面もなく自分の老化現象や老人病などを記事にするのは、高齢者の現実を知ってほしいからです。知恵を出してなんとか老化現象をやわらげ、元気で生きたいからです。AIが進化して、医療情報はやぶよりマシになって、素人でも素人なりに治すことができるようになってきました。病気は自分で治す=心構えが基本です。(06/24 11:46)


06/19 摂食嚥下障害

カーッと夏の太陽が照って風があって、梅雨明けのような気候ですが・・まさか。今日も起きた時から30℃超え、暑い日になりそう。

80歳代になってから食事中の鼻水に困っています。最近とみに起きます。摂食嚥下(せっしょく-えんげ)機能障害、と言うんですね。食事中にむせるとか、食べ物がのどに詰まる、食べた物がのどや鼻に戻る、ようなことはありませんが、老化現象でしょう。

AIで「高齢者 鼻水 食事」で検索すると、原因や対処法など丁寧な説明が出てきます。若いとき(80歳未満!?)は気がつきませんが、食べ物や飲み物は口からのどにかけて複雑な処理をして飲み込んでいるようです。舌の奥、胃へ行くものと肺へ行くものとの分岐点では、喉の奥全体で分担して機能するようです。高齢になるとこの高機能処理ができなくなるようです。

医療による治療方法はあるでしょうが、食事を中断して「鼻をかむ」が一番安全。一緒に食事中の妻には申し訳ないですが、早めにかんで音を小さくしています(年取るといろいろと気を使います、ハイ)。できるだけゆっくり飲み食いするようにしています。(11:36)


06/18 真夏ですね

昨日今日の気温は35℃前後まで上がり、まさに真夏ですね。予想されていましたから平静でいますが、体調維持は大変です。30℃を越えた時点でクーラーを入れ、水分の補給を心がけています。太陽が西の山並みに沈み、やっと落ち着いてきました。(18:21)


06/16 命とはなにか

梅雨前線が当地を越えて列島を北上すると、湿度が10%ほど上がりずいぶん蒸し暑く感じます。酷暑の真夏を予感させて憂鬱。今にも降り出しそうな湿気模様の中、当地の文化活動のシンフォニック・バンドの定期演奏会に行ってきました。新型コロナ以降で初めての本格的な演奏会です。文化会館千三百ほどの座席がほぼ埋まっています。圧倒的に中年女性と男性の高齢者です。料金はパンフ付きで千円。一部四曲ほどの四部仕立て、ゆったりした構成。選曲はポピュラーなものばかり。落ち着いたじっくり聞かせる演奏会でした。

考えてみると文化会館で生演奏を聴くのは五年ぶりです。自宅から徒歩10分ほどの場所ですが、ヨタヨタ歩き。しかも途中で公園のベンチに座って一回休憩。加齢現象が激しく、やはり耳がダメになっているのを痛感します。楽器の音の華麗さが無くなり、音が痩せている感じです。このバンドを中心になって活動していたいつもの指揮者も、最後に杖を突いて登壇、椅子に座っての指揮です。お互い人生を感じます。

夜は茶の間でNHKの「命とは何か」を追求してきた特番山中伸弥博士とタモリの『人体』最終回。この分野も研究が凄い速度で進んでいることもあってか、やや中途半端な終わり方。ともかく研究の先端は次々新発見で大変なことになっている模様。命あるものもサイボーグじゃないけれど、物理現象だけで存在しているのではないか、とさえ見えてきます。

すべての生き物の老化・老死の局面、「命とは何か」を考えさせられます。酸化して錆びたボルトが折れてしまうのか。細胞は核とミトコンドリアだけの空洞のイメージが覆り、非生命の物体で充満し、かつプラズマ並みに超活動を発見。NHKの「命とは何か」の続編をよろしく。(5:45)


06/12 様式は美

シトシトと終日雨が降る、草木が茂りカタツムリがやたらと目につく、梅雨ですね。外出できず恨めしと、窓の空を見るばかり。周りの年寄りは、たいがい首・肩・腰・膝に痛みを持っている。痛い痛いと訴える程度から医者通いや外科手術まで程度はさまざま。爺も時たま痛みに襲われるが、幸いにも大した事にならず助かっている。痛みがくると無理せず即休むことができるので恵まれている。

家に籠(こも)って暇がてら、2012年に「京都栂尾の高山寺(こうざんじ)」へ行った時の写真探し。食傷気味の話題ですが記憶の掘り起こしです。ありました、寺号の看板の前でばっちり撮っています、13年前の顔で満面の笑み。でも寺の雰囲気にのまれたのか他には2枚ほどしかなく、お見せできるほどのものはなし。でも深閑とした空気は思い出しました。やはり叶うならもう一度行きたいものです。

明恵上人の「あるべきようは」の言葉、AIの解説文に当たり多少理解できました。「あるべき+よう+は」で考えてみます。この「は」が現代人は使いませんが、「ように」としている中世の本もあり、これなら分かります。要は「よう」が難しい。自分なりに考えて、「様式」の「よう」ではないかと思い当たっています。茶道や能などの様式の「よう」です。つまりあるべき様式を悟り、あるべき様式で生きろ、それが悟り(寂静)の世界の意味かと。釈迦は死後や死に方は一切言っておらず、現世での生き方を教えています。明恵は釈迦原理主義とも言うべき仏教観で、鎌倉仏教とは異なります。道元や法然に匹敵する僧侶ですがその割にはあまり取りざたされていません。見直されてもいい偉人です。でも明恵上人を知った人は深く追求して、人物はほぼ解明されているようです。

能の華美、茶道のわび、両極端ながら共に美の追求。要は「あるべき様」でしょうか。(8:48)


06/09 ハルジオン

デューク・エイセスの『女ひとり』で「京都 栂尾(とがのお) 高山寺・・恋に破れた女がひとり」と大ヒットしたのは1966年(昭和52年)とか。ほぼ60年前。おおよそ歌謡曲の舞台になるような寺ではないのだが。むしろ恋に破れた女には、清楚な野草ハルジオンの花の方が合うのでは。


06/08 高山寺で・・

京都の西北の神護寺の東北にある栂尾高山寺、いつ行ったのか調べてみました。2012年の4月24日のことで、マイカーでした。なんと13年前。それでも簡素で地味な、それゆえに強烈に印象に残るお寺で、鮮明に覚えています。今と違って観光客・参拝者はおらず、静寂な境内を目を見張ってゆっくり回ることができ、恵まれました。鳥獣戯画の寺として教科書にも載る有名な寺ですが、そちらは全然興味がなく、仏教の有力な寺としてのみ見ていたように思います。

再度行きたいと願いながら果たせず、いまや電車でも体力的に難しくなりました。ネットの写真で偲んでいます。当時は鎌倉仏教勃興のときで、浄土宗のほか禅宗や日蓮宗が競っていました。その大きな流れの中で、これを批判することは容易ならざることでしょう。既存の寺は檀家制度に護られ、先祖崇拝・儀式化して変容します。本来の釈迦の仏教は忘れられます。そのためいったん釈迦まで逆流して辿り着き、本来の釈迦の教えを知りたいと思いました。その中で明恵上人は名前は知っていてもそれ以上には知らず、この高山寺行きで「鎌倉仏教に異を唱える僧がいた」と目を見張ったものです。日本の仏教の中では、この明恵が釈迦のいわゆる原始仏教にもっとも近いでしょう。

老いも若きも漂流する時代にあって、現代の明恵上人が求められます。現代の「あるべき姿」とは何でしょう。これはいつの時代も、釈迦の時代から変わらないのでは。ただ「あるべきように」生きれるかどうか。明恵上人に問いたいですね。


06/07 明恵上人

明恵(みょうえ)上人は京都栂尾高山寺を建てた高僧です。法然や親鸞の少し後で生まれた同時代の人です。『あるべきようは』という言葉を残したことで有名ですが、「あるべき」は分かっても「ようは(わ)」が分からず、熟慮。その結果、ヘンな古語ですが『あるべき ありよう』の意味ではないかと気づきました。これを

AI(検索語:「古語 あるべきありよう」)

で検索してみると、「本来あるべき状態」とヒットしました。浄土宗のように来世を頼むのではなく、現世を「あるべき様に生きろ」の趣旨です。釈迦の教えは、現世で如何に悟りを開くかであって、真理を見極めれば煩悩から解脱できる、ということだ、と説いています。宗派は華厳宗ですが、密教や禅宗にも通じています。

いまさら明恵上人が気になったのは遺訓の中に、「明けぬ暮れぬと過ぎ行きて、我こそ何もせずして徒者(いたずらもの)になりぬれと思わじ。是は畜生の徒者に成り還りたり」の一文が刺さったからです。「あるがまま」がもてはやされる時代ですが、やはり間違いです。「本来あるべき状態」を追求し、あるべき様に生きる努力をすべきです。緊張感も出てきます。そのことを厳と述べています。

(追加) 徒者(いたずらもの)とは、① 役に立たない者。 何のとりえもない人間。 無用の者。 いたずらびと。 ② 粗暴または、気ままなよくない行為をする者。 悪賢い者。 ならずもの。 いたずらびと。 ③ 無為に日を過ごしている人。 なまけもの。 ぶしょう者。


06/06 AI(えーあい)で調べる

歯の検診日で、道のり800mほどの主治医の歯科医院へ行ってきました。あいにく外気温27℃で、今夏初めての高湿温で大変疲れました。遠中景の町の風景がいつも以上にボケると、どうしたものか不安になります。AI(えーあい)で調べると懇切丁寧な解説が出てきます。引用して下手な解説を加えるより、読者の皆さんが手元のスマホで検索してもらう方が早いと思います。

AI(検索語:「高齢者 疲労とは」)

高齢者の疲労は若い時の疲労とは違うものです。精神的な不調を合わせ全身に疲労がきます。それになかなか治りません。AIの回答に続けて関連のブログが続きます。役立つといいのですが。


06/05 米作り

令和の米騒動、農家と米穀業界さらに政界を舞台に複雑な話とか。難しいことは分からぬが、こうなることは分かっていた。田んぼで米を作っている人がほとんどが高齢者。少子化もあって子が継ぐことはほとんどない。85歳の自分の体力から考えて高齢者の米作りは無理と思っていたら、近年は大年寄りがチョット年寄りに米作りを委託するとか。が、いずれみんな大年寄りになり、結局問題の先延ばし。米を作る人がいなければ不足する事態に。

戦後の増産合唱、コメ余りの減反政策なみに国家がコメ政策に乗り出す局面。政治家や公務員が田んぼに入って米作りじゃあるまいし、結局農家や消費者の国民にしわ寄せが。主食の多様化、人口の減少などなにがなんでも増産の時代ではない。若い人がサラリーマン並みに収入が確保できて、遜色のない将来に希望があることが、農業人口を増やすことにつながる。田んぼは先祖代々継承してきたから、他の生産手段とは違う難しさもある。だが小さい田んぼでは機械化も限界があり、地続きの面積の大きな田んぼにして効率化を図るほかない。ちょっと考えただけでも次々問題点が浮かんでくる。

門外漢が口出ししても始まらない。問題ははっきりしているから、将来性ある解決策を期待する。今後とも「米が主食」は変わらないだろうから。


06/03 文字が小さく見える

AI(えーあい)が普及してスマホにもシレッと入っている時代、無料だし大いに利用したいものです。検索語によって出てくる情報にかなりの差が出ます。調べたいことをよく考えて、的中する語が見つかればこれほど役立つものはありません。ただし鵜呑みは禁物。特に知識の進歩が広範で激しい現代に合っています。

今年あたりから困っていることにパソコンや新聞の文字が小さく見えて読みづらいことです。かっては老眼鏡をかけると裸眼より文字が大きく見えたものですが、今は逆に小さくなります。これはどうした現象でしょう。ネットで調べる(AI/検索語:「85歳男性 文字が小さく見える」)と、意外と同じ相談が多くてびっくり。そして緑内症・白内症や加齢黄斑変性症のおそれとともに85歳以降には「老眼が進行している可能性」を指摘しています。しかし老眼鏡は45cmくらいで最もピントが合い、度数は合っていると思われます。むしろ老眼鏡をかけて近距離を見ているときはしっかりピントが合っています(錯覚で合っているように見えるだけかも)。裸眼で中遠距離を見ているときはピントが合わずぼやけており(日によって差がある)、看板や建物などは縁(ふち)の部分が二重に見えます。ボケる・かすむと合わせ「視力の低下」と言うようです。病気が原因の場合はあっても、やはり加齢が主たる原因のようです。

問題の原因が病的な視力障害ではなく、加齢による視力低下では・・(トホ)、治療法はなし。一般的には、新聞・本などを読むときは虫メガネで拡大してます。歩行障害に杖のようなもの。不便ですがこれが合理的かも。爺の場合、今のところ老眼鏡をかける場面では大変よく見えるので助かっています。でも日々に変化する老後では単なる過渡現象かも・・。


06/01 どうするお通じ

牛乳の乳糖が体質に合わず下痢になることがあるのを逆に利用して、便秘を改善できないものか、と先月19日から試行してきた。朝食のとき温めた牛乳を飲んで中る(あたる)かどうかです。31日までの12日間で、中って便秘が治まったのは2回です。問題はかなりの下痢腹痛を伴うことです。30分もすれば治まり病的な心配はないものの、痛みは避けたいもの。そこでここ3日ほどヨーグルトに替えてみたが、中ることはないが便秘解消の効果は期待できない。便秘が続いたときの非常用として利用することぐらいか。便通は去年までは特に問題はなかったが、加齢で便秘がち、良い解消法はないものか。(21:05)

梅雨の月に入っての五月晴れ、爽やかな風が吹いて気持ちいい朝です。先般の雨でいっせいに咲きました、やはりこの花ですね。(05:30)


05/31 歩幅

片足立ちと同様に簡単に体力を知る指標に歩行速度がある。歩行速度はスマホに表示されるから簡単に知ることができる。人の歩く速さは常識的には1時間に4キロ(ほぼ1里)としたものだが、多忙な日常の買物・散歩などではもっと早く歩いている。さらにウエブで健康のため歩くのなら 3.6km/hくらいあればいいという。だが速度は歩幅で決まる。歩幅もスマホに表示される。歩幅は身長や足の筋力、心臓の能力など全身の体力によって決まる。数値が安定するように、家の中を動くような歩行は慮外して、比較的に連続してある程度の距離を歩いた時の数値を対象に。高齢になると歩幅は確実に縮む。それにしても、ここひと月の記録を見ても40ー66cmと幅がある。元気よく歩いているときと、疲れて歩いているときの差が大きい、ということか。

歩幅の標準をウエブで検索(# 歩幅の標準)すると、高齢の成人男性で65cm前後、成人女性で55-60cmほどだ(ネットには年齢別や身長別の歩幅の統計表もあり)。今日の主たる歩行はスーパーまで(約往復1.5km)の買物。スマホには歩幅の最高は60cm、平均44cmと出ている。年相応と言うべきか、若い人に追い越される実態を反映していないと言うべきか。いや平均44cmは低い。トボトボ歩きだ。

一般的には身長×0.37 で計算できるとの説あり、それなら58cmとなる。わずか1センチ2センチの問題。歩幅が延びれば歩行速度は上がる。この点を意識して頑張るか。


05/30 気温不安定

寒いと思えば汗をかいたり、気温の上下が激しく自律神経失調の症状でヘロヘロ。ふらつきが酷くて転倒しそう。それでも頑張って庭の草引き。庭木の伸びも思い切り伐(き)って、きれいさっぱり。夕食を食べて一服したら体調が戻りました。好きなベゴニア、葵系の葉がお気に入り。


05/29 10kgが重い

またまた驚くべき老化の事実が判明、ガックリ。いつも通り自家用カートで買物。昨日は病院行きで3日分、いつもより買物が多いのは多かった。それにしても帰宅して買物かごを降ろそうにもカートから抜けない。重くて持ち上がらないのだ。少しずつ降ろせばいいが男が廃(すた)る。覚悟を決めて再挑戦、なんとか抜けた。やっと台所まで運んだら全身の力が抜けた。

念のため重さを計ってやろうと風呂場の体重計を持ってきた。そして今度は気が抜けた。なんと10kgしかない。体重計が狂っていると罪を負いかぶせ、自分が乗ってみたが体重は正確だ。今や10kgが持ち上がらいほど筋力が衰退している、トホ。かって米一俵60kgが背負えたこともある。その米が30kg包装になり20kgになり、今やスーパーの店頭では10kgのビニール袋。10kgなんざお手玉だった。それが骨身にこたえるとは何事か、である。いや一年前ですら今日の10kgの感覚で20kgあった(この時も体重計で測った)から急落である。片腕を擦(さす)りながら慰めあう。

まずまず持てる荷物の重さ 20-30歳代/40kg 40-50歳代/30kg 60-70歳代/20kg 80歳代/10kg、見事な老衰グラフが書けるではないか。一目瞭然、右下がりの下降一直線、力が無くなるのは早い。問題は体の全体の機能もすべて老衰グラフに沿うて下がっていることだ。一日一日、一刻一刻を一生懸命に生きるしかない。


05/28 電車に乗った

昨日は医者通いで久しぶりに電車で外出、人の賑わいに触れました。ホームへはエレベータで、電車はシルバーシートと有難くも待遇に甘んじています。こうなると通勤客や通学の学生など一般の旅客と隔絶感が湧いてきて・・「そうなんだ」。痛い足や腰をなだめて歩いています。去年までは元気な老人の虚勢を張ることが出来ても、今やもうごまかしが効かなくなっています。でも弱音は禁物、今日も元気を出すぞ。(05/29 11:00)

寒い寒い、気温は20℃を切っています。昨夜は足が冷たくて寝られず、仕舞ったアンカをひっぱり出して、やっと寝付きました。陽気が逆戻りでブルブル。(06:30)


05/27 片足立ち

老化の程度を推し量る指標(目安)に片足立ちが使われます。椅子などにつかまり眼を開けたま片足を浮かして立ちます。70歳未満で20秒以上が基準だそうです。「そんなもん全然問題ない」と自信あり。それが実際やってみると、20秒どころか立つ間もなくグラグラ揺れて着地、何度やっても10秒以下で大ショック。特に左右の足を変えたときに安定せず、数秒で着地。立つだけでもお尻の筋肉(大臀筋など)・腿(もも)の付け根の筋肉(腸腰筋)・腿の前の筋肉(大腿四頭筋)など多くの筋肉を使うようです。この脚の筋肉が弱っているのでしょう。ガックリ。(参考検索用語 #「高齢者 片足立ちができない理由」)

脚力が弱ると転倒したり、歩行困難につながります。また片足20秒以上できない人の3人に1人は小さな脳梗塞や脳出血が見られたそうです。高齢になるとどうしても動脈硬化や高血圧を持っているからでしょうが、他人ごとではありません。片足で立つことは、自力で立ち自力で歩く普通の生活を送るための不可欠の条件。できないなら筋力アップのトレーニングをすすめられています。片足で背筋を伸ばして立ち、両手を腰に片足ずつゆっくり膝を直角に上げる、を繰り返す、です。くれぐれもやり過ぎに注意。

漠然と大丈夫と思っていても、こうした指標を示されると客観的に身体状況を正確につかめます。変わりないと思っていても、間違いなく老化が忍び寄っています。


05/26 動け動け

北の高気圧が張り出して寒い。終日重い曇り空で、気温が20℃以上に上がらない。上着を着込んでいつもの散歩コースの中でも最短コースで散歩に出た。案の定三千歩少々。それでもしっかり歩いた訳でもないが、歩行速度4.4km/h、歩幅56cmである。少し気を許すと3km/h台だから上々(若い時は楽々5km/h台だった)。歩幅も40cm出ない時もある。健康のためならこれで十分、犬の散歩よりマシさと自己満足。

このわずかな散歩でも体調を保つには不可欠で、外へ出ないと体が固くなって筋肉や関節など動かしにくい。家にいるとどうしても座ったまま動かず、最悪の場合ゴロンと寝そべるからである。人間は動くように出来ている。本来動かなければ食べ物にありつけない。でも今はスーパーへ行けば、畑を耕すことなく野菜を食べ、獣を追わずに肉が食える。有難い時代だが、本来の生き方から離れた結果年中体調不良。

散歩中に若い人があっという間に追い越していった。そう、若い時は歩くことが楽しくもあり、今ほど歩くことが億劫だった訳ではない。出不精で歩きたがらない、これも結局加齢現象だ。老化が悪循環になって、結局に虚弱化する。このメカニズムを見据えて、体を動かすことを「やる」しかない。


05/25 六根清浄

「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」は山伏や僧が修行の山へ登るとき唱える言葉。六根は眼・耳・鼻・舌・身・意(心=脳)の感覚器官を言い、煩悩の出入り口。これを清めて(正して)仏教の修業に励もうの意味。身に染まった汚れ・罪を反省する「懺悔(ざんげ)」を付加して、『懺悔懺悔 六根清浄』と調子を付けて言う。神聖な修行の言葉ながら私生活に利用して、日常生活で意識を集中するとき心に唱える。すると不思議と心が静まり落ち着くことに気づく。

南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経などの称号やお題目が特定の宗派に偏るのに比べると、仏道全般を指し、または仏教の信者でなくても入りやすい。それに意識が外に向かわず内を対象にするのもいい。要は雑念や執着心に捉われた意識を開放することに意味がある。だからリラックスし、副交感神経を優位にする。初めのうちは『懺悔懺悔 六根清浄』と唱えても妄想に戻るが、気が付けば執拗に六根清浄に戻ればいい。心の不思議に気づき、心の実体はないことに至れば、言うことはない。そして苦しみから逃れよう。を目指しているが・・

(05/25 18:03 追加) 昨日の雨で公園のアジサイが一斉に咲いた。


05/24 抗老化に期待

静かに小雨が降って23℃、暑さに一息。いくつもの老化現象に見舞われる中でも、眼が一番困る。2m先のテレビもボケて見づらくなってきた。どうしても見たい番組は少ないけど、見逃せない番組はビデオに録画して、何度でも確認できるようにしている。何が本当なのか分かり辛い現代にあって、テレビは信頼のおける情報源。新聞と共に庶民には重要な情報源で、絶対ではないがこれ以上のものはない。やはり視野を広げる眼は命。

ボケる、ピントが合わないという現象は、眼の老化の何が問題なのかよく知らない。病気を派生する老化は、現代医学が鋭意力を入れて取り組んでいるように思うが、その成果はマダラ。失明に至る黄斑変性症などはずいぶん進んでいて、多くの人が救われている。だが眼のボケ自体を原因として寿命が縮むことはないためか、ボケ症状には期待するほど進んでいないように思う。爺はスマホやパソコン操作には支障はない。ブツブツ言うまでもなく、恵まれている方と言えようか。

筆者のもう一つの老化による持病、難聴・耳鳴。これも治療が進まない。眼のボケと合わせ生活の質を落とし難儀なものに。症状を悪化させないよう体調に気を使いながら、我慢ガマン。老人化社会を映してか、医学も抗老化の研究を進めているという。明るく元気に生きられる時代を期待。


05/21 暑い暑いフ~

眼がぼやける症状が進む。眼の網膜は毛細血管の状態を肉眼で検視できる唯一の部位なので、定期的に眼底検査を受ける。過去2014年と2023年で、眼の年相応の老化を言われても、眼の病気を指摘されたことはない。だが今年になってから眼のボケが酷くなった。加齢に伴い近いうちに検診した方がいいかも。2014年は初めて遠景のボケが気になって眼科を受診した年だと思う。すると10年ほど経過して進行していることになり、ほぼ実感通りである。特に生活上困ることはないが、今後の経過に不安がよぎる。

不安を感じるのはボケの具合に波があること。テレビのテロップがくっきりと読める時と、ほぼ判読ができない時がある。身体現象には波があるのが普通だが、その規則性が分からないことが不安。寝不足や疲労、ストレスなどがボケに影響するとしても、20分から1~2時間くらいでボケが悪くなったり良くなったり変化するのは解せない。寝不足や疲労がこの時分では変化しないからである。

血圧や体温のように常時変動するものもあるから、眼も変動が激しいのかも。疲労には休養しかない。もう寝て眼も休めようか。(23:15)

(09:00) 昨日は30℃越えの真夏日。参った参ったで、更新小休止。
 同じ昨日のこと、買い物帰りに足を止めて、橋の上から涼し気な川の流れを見ていたら、一瞬きれいな水色の鳥が川上へ一直線に飛んで行った。カワセミだ。


05/19 大きくなった

6日に植えたベゴニア、順調に育つ。ちょっと込み過ぎたようだ。毎日眺めるのが楽しみ。(05/25 17:53 写真のみ更新)


05/17 ミトコンドリア

コタツはいつもならGWには仕舞うのに、今年は10日以上遅れて昨日やっと片づけた。寒暖の差が大きくて朝晩は寒かったからである。九州南部が梅雨入りしてこれは異例の早さ、暑い夏を予感させる。補水液を用意しておこうか。

先日のテレビ番組山中教授とタモリの『人体Ⅲ』(NHK)。命とは細胞であり、細胞はミトコンドリアで生きる、を反芻(はんすう)している。家族はほぼ同じものを食べ、同じような生活をしていても病気・体力が異なるのはミトコンドリアが異なるかららしい。ミトコンドリアの細胞の遺伝的形質は母親から受けるという。生活を共にする夫婦が、体格や体力など異なる最大の要因。

妻の方が体力・スタミナがあり背は低いが筋骨の体格はある。何10年も同じものを食べながら、この差はなんだ、と長い間の疑問だった。結局、細胞に内在してエネルギーを作り出すミトコンドリアの違いだと教えられた。ともに母系の祖母に大事にしてもらったが、ミトコンドリアの遺伝を受けていたのだ。でも遺伝はどうあれ、ミトコンドリアを活性化するか、弱らせるかはその人の生き方次第らしい。

このミトコンドリアは、ぶどう糖・アミノ酸・脂肪酸など食べた物からATPというエネルギーの素(もと)を作る。これが筋肉や臓器など全身の細胞に内包し、それぞれの細胞の働きのエネルギーになるという。ブドウ糖1単位で最大38個のATPを作れるが、ミトコンドリアが働かないと細胞自体は2個のATPしか作れない。すると疲労感・倦怠感・炎症・細胞の老化が起き、免疫力が低下してがんが発生しやすいと。弱らせる要因は、加齢・ストレス・活性酸素・低血糖・運動不足などなど。

ミトコンドリアの機能を低下させず活性化させ、エネルギーに満ちた健康を維持するためには、十分な食生活、ストレス管理、そしてやはり適度な運動が決定的という。専門的な話で誤解があるやも、調べてくださいね。

(追加) #ミトコンドリアの発見 はなんと1857年で168年前(日本では安政4年の幕末)、ドイツのケーリッカー氏が、筋細胞を顕微鏡で観察していて見つけたとか。この発見により細胞内でエネルギー(ATP)を生成する仕組みが明らかになり、細胞の発電所と呼ばれる。細菌だったミトコンドリアが細胞に共生したのは約20億年前とか。共生の語はコロナ騒動のとき散々聞かされました。(05/18 08:49)


05/15 猫よ来るな

室温25℃の夏日、熱中症関連の注意に気が抜けず大変だ。暑さに慣れず、散歩も含め運動自粛。

飼い猫か野良猫か分からないが、交代で違う猫が2匹、庭を我が物顔で悠々とやって来る。ただ通るだけならいいのだが、砂利や庭の土の軟らかい所を選んであちこちに用足し、これには臭くて困る。先だっては湯気が立っていそうな生もの。猫たちをよく見ていると散歩のルートがあって、決まってそこを通るようだ。裏門の扉(アルミ製)の下の10cmほどの隙間を、背中ぎりぎりに裏道に通り抜けているのが見えた。

そこを閉じれば我が狭い庭は袋小路、木の端材を細工して扉の下を塞いだ。勝手口の扉だから妻が週2回のごみ出しに使うくらい、さして不便はない。果たして効果てきめん、以来一度も猫を見かけない。


05/14 卯の花

卯の花の匂う垣根に ホトトギス早も来なきて 忍び音もらす 夏は来ぬ

卯の花を見ると不思議とこの歌を思い出します。小学生の時に訳も分からず歌詞を覚えたものです。それが85歳の今、蘇ってきます。昨日今日と夏の陽気が誘うのかも。


05/13 四股を踏む

大相撲が始まって、もう夏場所!。今日は日当たりも強く夏らしい。相撲を見ていつも思うのは体操のスクワットは四股(しこ)と似ている。四股は片足づつ強く土を踏みしめ、脚(股)を広く開くことが違っているか。相撲は記紀にも記載があり二千年からの歴史が。四股を踏んで試合開始だから四股もその当時からあったと思われる。体を鍛える日本の歴史も大したもの。

スクワットなんて西洋かぶれはやめて、これからは四股を踏む、といきますか。強く土を踏みしめる所作は、足腰を鍛える以上に足の裏から骨にショックを与え骨を強くする。骨を強くすれば若さを保つ、とか(山中・タモリの番組NHK『人体』)。特に最近指摘されるように日本人の知恵は凄い。四股と並んですり足も足裏を地につけるものであり、やはり足裏の刺激に意味がありそう。能(のう)もすり足を使うのも意味がありそう。

毎日の健康に四股を踏む、いいですね。ついでに土俵入りもすれば全身ストレッチになりそう。弓取りの所作もいい。足裏を強く踏み刺激を与える、五本指靴下より効果ありそう。


05/12 血糖値が高いか

昨日のこと。菩提寺へ行く途中500mほど歩いた所で歩けなくなった。足が重くて動かず、気分も悪い。仕方なく道沿いの小公園のベンチで5分ほど休んで引き返してきた。ともかく自力で帰れたのは幸いだった。途中で引き返すのは初めてではないが、今回は症状が重い。いろいろ考えてみた。

まず血糖値が高いのではないか、と疑う。疲労感が激しいほか眼のボケが酷く、余程手前から焦点が合わない。持病の耳鳴も強い。弱点に顕著な症状が出る。前かがみになり早足になって抑制が効きにくい。精神的に追い詰められるが、心臓や脳の症状は特にない。手のふるえがあるか。重い軽いはあるが、いつもの症状である。血糖値が低いときは自販機の缶飲料で糖分を補給すれば済むが、高いときはコーヒーを飲むほか運動すること。今は激しい運動中で徐々に血糖は減るから、時間を待つしかない。

なぜ血糖値が異常に上がったのか。昼食は天そばだった。麺は80gで抑えているが、天ぷらはいつも半分なのに、一個食べてしまった。満腹感は充分ながら食べ過ぎ。しかも2時間後そのため空腹感もないのにおやつの菓子をいつも通り食べてしまった。冷静になれば食べ過ぎ、つまり血糖値は異常に上がっているはず。油断して反省!、のパターン。

夕飯はシュン太郎で、量をひかえゆっくり(30分かける)食べた。この反省の態度は効いたか、食後の血糖値は安定しているよう。高齢になって血糖に対する許容値の高低の幅が極端に狭くなっている。少し食べ過ぎれば(普通量でも)高血糖、少し下がれば低血糖でフラフラ、ということ。機能低下の膵臓に任せられず常に血糖値を気にかけていなければならないということか。老化は大変だ、と思いながらNHKの山中伸弥教授・タモリの『人体Ⅲ』を見た。細胞に含まれるミトコンドリアの話で、ほぼ知られている範囲。夜間尿は一回で、熟睡。


05/11 5本指の靴下

歩行能力が落ちている一因として靴があるのではと思う。若い時は買った靴が多少窮屈でも、履き続けると靴が伸びて足に馴染んだ。伸びすぎて型が崩れることも。言わば足は靴に勝っていた。それが老化に伴い足の方が靴に押され、圧迫されているのでは。そういえば足指がくっ付いて小さくなっているように見える。爪も歪(いびつ)になってきた。現役の時と違い一日中固い革靴を履くことはなく、今は靴下が足を締め付けている。裸足でいればいれば理想的だが、それでは冷える。

靴下に5本指のものがあるのは知っていた。指を分けるだけ指全体に横からかかる締め付ける力は減るのではないか、と考えた。水虫対策用と聞くが、下駄や草履を履くためにもいい。探すまでもなくスーパーで普通の靴下と並んで売っていた。早速試している。思ったより調子がいい。指が自由に動いて気持ちいい。靴を履くと当然多少窮屈。だが締め付け感はほとんどない。履き脱ぎには多少手間取るが、慣れるとどうもない。

靴を履いていない靴下だけのときは予想以上に足元軽く気持ちいい。一度履いた人は履き続けるのでは。靴から草履に変えたいくらい。これで歩行能力が良くなったかどうかは何とも言えないが、足が軽くなったことは間違いない。足首もスムーズ、歩く楽しさが蘇った。


05/09 牛乳を利用

終日小雨が止まず肌寒い。気温の変動が激しく疲労感でヤル気なし。それでも定期的な歯医者の検診日とあって、800mほどの歯科医院まで往復。歯の状態は年齢からすれば「良いですよ」と言われて元気を取り戻す。3,800歩ほどの運動も特効薬になってか体調回復。

牛乳を飲むと酷い下痢になったこともあり、あえてここしばらく飲まず。かって夏バテ防止に毎日1リットルパックを飲んだこともあり、牛乳が中(あた)る乳糖不耐症の体質でもなさそう。これを便秘対策に利用できないかと気づいた。ここ10日間毎朝牛乳を飲んでみた。冷たいと腸を刺激するため結果が変わると思い、レンジの「牛乳」位置で温める(50℃くらいか)。結果は酷い下痢も便秘もなく2通1休。ほぼ理想的で大成功。だがもう少し続けてみないと分からない。

腸の環境が変わったことで正常になっているのかも。カルシウムが摂取できることも骨量の減る老化にもいい。もうしばらく観察。

(参照) 『乳糖が腸内の浸透圧を高め、平衡化するために周囲から水分を取り込み、腸内の内容物を軟らかくしてスムーズな排便を促進』(日本乳業協会)とある。


05/06 ベゴニア

先月25日に買ったベゴニアをやっと植え替えた。去年は買えず2年ぶり。散歩の道端に見つけたベゴニアが、冬にすっかり枯れていた。それが最近新芽を出し葉が大きくなっているのを見つけた。こんなこともあるんだと生命力に驚いている。花の終わりに捨てず、育てる手もありそう。今年は挑戦してみるか・・。


05/05 暑さ対策を

子供の日はいい天気になりました。近くの川の両岸にかけて、多くの鯉のぼりが青空に泳いでいます。世界中の子供たちが悲しみから逃れ、幸せになるように願わずにはいられません。年入ると小さな子供を見ると笑みが浮かびます。眼が合ったりすると笑みも倍増。この子たちが自由に生きられる時代を祈ります。

さて、昨日は昼過ぎに急に気温が上がり、買物に行くころには夏日(25℃以上)でヘロヘロ、行き帰りとも休憩あり。家に着いて冷たい麦茶1杯飲むと落ち着いた。いつの間にか強くなった太陽に当たって、20分ほど歩いたのが悪かったようだ。ちょっとした油断が体調の不振を招きます。調子悪いと気づいたら、

  1. まず水分補給、猛暑日などは塩分も
  2. 空調などで室温を下げる
  3. 熱のこもらない服装
  4. ビタミンやミネラルを意識した食事
  5. 冷たいタオルで首筋などを冷やす
  6. 無理をしないで休憩する

AIで検索して整理しました。調子悪いな、と思ったら気力を振り縛って、即実行。


05/04 動くことの意味

早いものでGWも後半、天候もまずまず。大いに英気を養ってください。

骨は力を与えないと弱る、と聞いて、かかと落しをやっています。強すぎて痛みが出るようでは困ると思い、かかとへのショック程度も軽く10回、一日に3回程度でやってみました。さて骨への影響は分かりませんが、足の裏の変化はてき面でした。ここ2・3年足の裏に違和感があり、何かくっつけて歩いているような、ゴムの上を歩いているような感覚でした。加齢現象で仕方ないと諦めていました。それが無くなってきたのです。

すると歩く時の違和感がなくなり、硬かった足首も軽く、以前の歩く感覚が戻ってきました。重く引きずったような足取りもなくなりました。そこでハタと気がついたのです。老年医学記事などで、長いこと座ることの害を強調していることの意味です。貝原益軒の『養生訓』や最近のウエブ記事でも頻繁にみられます。元気でいたいならとにかく「動け動け」です。極端なことを言えば「立つだけ」でもいい(足裏に体重をかける)、とばかりです。結局は足を動かし、体の最先端の足裏に圧をかけろという事でしょう。つまり全身の血行を良くすることです。足の先まで酸素を運び、老廃物を廃棄する生理現象の促進ですね。原始時代から食べ物を求めて終日走り回っていた時は、糖尿病などなかったのですから。

糖尿病や高血圧など生活習慣病の予防に散歩が良いと聞き、ただ無闇(むやみ)無心にやっていました。ここで健康のためのいいヒントを得ました。


05/01 フリンジツリーという木

全国的にも珍しい木だそうです。初夏のような陽気、真っ白な花が夏らしいですね。足を延ばすとこんなことも。


04/30 細胞の中身

毎日がGWの爺はいつもの毎日です。でもGWには、NHKが力の入った特別番組を放映してくれます。NHKテレビの科学番組『人体Ⅲ』(#人体Ⅲ*)、見られた人も多いと思いますが、今回も驚きでしたね。ノーベル賞の山中伸弥教授とタモリを中心に、最先端の医科学の知識を解説してくれます。同じ異色コンビで、2017年に放映された人体シリーズ1回目のとき、脳が神経を通じて臓器など全身を制御している、との常識をひっくり返し、筋肉や脂肪ですら全身のすべてが脳へのフィードバックを通じて生命は維持されている、というものでした。天地動転の驚きでした。2回目は驚愕のDNAでした。今回は生命の根源の細胞を取り上げ、全身のネットワークの具体像でした。我々素人には、細胞の中身はDNAを収めた核と若干の部品がある以外は何もないと思っていました。それが技術の発達で、たんぱく質の小さな部品でびっしり埋まっていることが、目で見て分かったのです。しかも物でありながら生命体のように動くことができるのです。番組が終わってもしばらく茫然です。

親から子に伝えられたDNAの遺伝情報によって人体(40兆個ほどの細胞でできているとか)が作られていきます。これらが縦横に連携することで生命が営まれます。今まで空想だったその営みが具体的に分かってきたのです。生命とはたんぱく質という物質の構成体であり、それが一時的に命の活動をすることです。まさに釈迦のいう「命とは現象だ」なのです。画期的なことです。人類の知的レベルは大変なところに来たようです。

その命の炎がなぜ消えるのか、それが次回のテーマのようです。老化の問題も必然的に含みますね。老境にあるタモリと爺の関心も高く、いつの事か、当てもなく期待です。

* 本文中の「#+語」はこの語で検索できることを示しています。


04/27 珈琲サーバー

珈琲サーバー(珈琲ポッド)の取っ手がポコッと折れた。強化耐熱ガラス製になってから割れる事故?がなくなって長持ちしていたが、意外な部分が壊れた。やはりサーバーがないと不便で、代わりが急須では見てくれも悪い。歩くのはつらいがとうとう辛抱しかねて町中まで買いに出かけた。目盛りのデザインが変わっていたが同等品が買えた。取っ手の改良の有無は分からない。毎日使うものだから買い揃えてやれやれ。最後のサーバーになるか、爺とどちらが長持ちするか (^o^)

冬の間寒くて閉じこもっていたけど、気温が上がって外出が増えたせいか体調はすこぶる良い。やはり体を動かすことが人間の本来の生きざま。買ってきたままのベゴニアの苗が生き生きして、植え替えを催促している。道端の雑草もグングン伸びて爽やか。


04/25 ベゴニア

ベゴニアの花を植えたいのだが、苗を最近あまり見なくなった。そんな折りもおり珍しく織り込みチラシが入った。その量販店は直線なら2kmほどなのだが、わが家はノーカーだから本数の少ないバスで行くしかなく億劫である。以前は自転車でも行けたのだが、最近はふらつくので自粛している。直通のバスは一日一本、帰りは別のバス停を探すしかない。ま、スマホで発着時刻とともに一発だからどうということはないが、そのバス停まで歩くのがしんどい。

ついでに隣接の大型書店に寄って、欲しかったパソコン関係の本も買った。スマホで乗り継ぎのバス停を見つけ、それほど苦労もなく探し当てて20分ほどで着いた。バスは下校の高校生で混んでいたが、10分ほどで鉄道の駅だからそれまでと覚悟。案の定みんな駅で降りていって貸し切り状態、ここまで心配したほど疲れもなく、やれやれ。帰宅して歩数計を見たら4千歩。特に多くはない。

これだけの事ながら、バスでこの量販店に行ったのは初めてのこと。実は体力的に行けるか行く気になるか、と自信なく迷っていた。そのため去年の春は行き損ねた。だから自信がなくてもやればできる、と子供のように喜んでいる、トホ。ベゴニアは花もきれいだが、丸い葉っぱの鮮やかな緑色が魅力的で、それで植えている。


04/23 労働力は要らない

経済学者の森永卓郎氏が亡くなった。がんのため余命を宣告されたことを2023年12月に告白されていて、この間(かん)に国民に対する遺言の如く多くの本を執筆された。その中から『この国でそれでも生きていく人たちへ』(講談社2025年¥990.)を買ってきた。平易な文章で、読みかけたら引き込まれた。ある一節で笑いが止まらくなった(失礼)。

自分の周囲の若者たちを見ていて、日本の少子化は歯止めが掛るのだろうか、と不安に思っていた。日本だけでなく世界的な傾向はなぜだ、です。これに対して明快に断言です。少し引用すると『実はマルクスは少子化の理由について「資本家は労働者が翌日、再び会社に来られるだけの再生産を行うための賃金は払うが、労働者が結婚して子育てができるレベルの賃金は支払わないからだ」としている』、の一節である。この文が面白い訳でない。爺の若いときを思出し、そうだったと一瞬で合点がいったからである。ここに言う「再生産」とは労働力のことで、当時この新鮮な言葉に驚いたものである。労働者は労働力を商品として資本家に売り、それによって賃金を得て生きる以外に道はない、というのがマルクスの論理である。労働力を商品と見た視点に仰天したものである。マルクスのイロハのイを忘れてしまっている自分を笑った、あー歳だぁ。

資本主義は常に広範に修正しながらでなければ自滅する、何故なら制度そのものが人間の欲に基づいているから。事実今や世界の富は4人の資本家に牛耳られていて、共産主義を標榜する国でさえ資本主義化して危機的な状況。物を生産する領土と資源の仁義なき奪い合いである。いまやデジタル自動化の時代で労働者は要らない。このままでは世界は崩壊する局面。「それでも生きていくか」の問いである。答えは一発、思考停止して笑うしかない。森永さん勇気をありがとう、冥福を祈ります。


04/22 手首が細い

買い物帰りの公園で、一羽の燕(つばめ)の飛来を見ました。スイスイと反転して見惚れます。餌が豊富にあって、子宝に恵まれて、秋には無事に南へ戻れるといいですね。自然環境が厳しい昨今、祈るような気持ちです。

70代半ばごろから手首が細くなったのが気になります。反対の手の親指と中指の輪っかに余裕で治まります。悪代官につかまれた町娘の手首の如くです。以前はやっと親指と中指が接する感じで、グッと太さがありました。手首が細くなる一方で、むくみで足首は太くなり、気にしています。体重に変化なく、かっての手首の太さはどこへいったのでしょう。骨が細くなったのか、筋肉が無くなったのか。いや足首まで下がった、のかも。「元に戻してくれ!」

睡眠が今年になってからどうも不調で、必ず何度か目覚めます。寝入り端の一時間半から二時間後に起きる、そうレム睡眠のリズムで目覚めます。レム睡眠は眼球が頻繁に動くそうで、夢を見るときとか。寝入ってしばらくはノンレム睡眠で深く寝て、レム睡眠に移ります。体は寝ていても脳は働いていて、記憶の整理や内臓の働きを調整しているとか。寝ていても働く働き者ながら「寝させてくれ!」。

年入るとどうも思うようにいきません。でも自然の力が相手では受け入れて対応するしかありません。それが知恵ですね。夜中に起きると電気を点けて深夜放送を聴くか、テレビを観るか、本を読むか、爺のブログを更新するか、忙しい忙しい。

(04:39) つばめが来れば招かざる客も。早々に「思いっきり痒い痒い」のにやられました。明け方に刺すんですよ、憎さ百倍、さらし首です。つばめも蚊も同じ生き物なのにね。


04/20 夏日でつつじが

25℃以上の夏日の到来で暑い暑い。公園でつつじが咲きだしました。


04/19 棕櫚竹の植え替え

列島に準じて当地も25℃を超え夏日になりました。冷え性の爺もやっと、シャツは半袖に、上も薄いブレザーに変えました。季節は一気に夏に。雨が降らず川が干上がり、鯉が背びれを出して泳いでいます。

植木鉢の棕櫚竹(しゅろちく)の植え替えを迫られていて、とうとう重い腰を上げ赤玉土を買いに行ってきました。コロナ以前から土は代えていませんから、かなり目詰まりしていて、植え替えは必至。ご多聞に洩れず値上がりしています。値上がりも痛いですが、ノーカー(no car)の我が家にとって、土は値段より運ぶ手段が難点。買い物カートで1km 弱の植木屋まで買い出しです。妻が見かねてカートを押してくれました。赤玉5kg2袋と肥料10kgで積載量限界。帰り道は緩やかな登り、妻が最後まで押してくれました。感謝です。

植え替えの鉢はとりあえず3鉢です。棕櫚竹を鉢から抜いて、鉢形に沿って根を土ごと 切り落とします。根回りが元の三分の二ほどになった棕櫚竹を、きれいに洗った鉢に戻し、棕櫚竹と鉢の隙間に赤玉土を入れます。しっかり突いて、たっぷり水をやります。一日日陰に置いて、あくる日もたっぷり水をやります。一週間ほど丁寧に水やりをすればOKです。鉢の縁に一か所手のひらほどの油粕を入れてやります。これで一年は大丈夫。年中葉の緑が絶えず、和の雰囲気が楽しめます。

これだけの事ながら先伸ばしして、季節的に後はない、今日は天気もよし、必ずやりますよ、えーっ。

(04/20 19:47) 他の用事があって植え替えにかかったのは16時過ぎ。今日は2鉢を植え替え、1鉢はまた明日になりました。これでも上出来、体を動かして身が軽くなった感じです。TVニュースで北海道松前城のソメイヨシノの開花宣言、桜の列島縦断完了です。

(04/21 17:20) 棕櫚竹の植え替え、やっと3鉢完了。やれやれ、です。これで今年一年は大丈夫です。


04/17 筋肉が不足

今日は全国的には夏日(最高気温が25℃以上の日)の地域が出るなど暖かい日でした。でもあまりその実感がありません。下着も含め服装は冬と変わらず、コートを着なくなっただけ。夜も掛布団は1枚になりましたが、足が冷えるのであんかを使っています。それでも一日中薄ら寒く、不思議に思っていました。テレビを観ていたら同じような悩みを取り上げていて、原因は運動不足による冷え性との事です。運動不足による筋肉量の減衰で、老人医療でサルコペニアと呼ばれる体の状態になっているようです。番組では体重と寿命の関係、骨密度の問題などもっと広く健康問題として取り上げていましたが。

「1日1,500歩以下で2週間生活するだけで、(平均して)脚からステーキ2枚分(約400g)もの筋肉が失われたという」実証研究が引用されています。筋肉は水分や糖分の調整のための貯蔵庫でもあり、腎臓や糖尿病などの予防に不可欠です。体温の調整にも役立っています。自然は春を迎えているのに、体は依然として冬のままというのは、運動不足の結果のようです。サルコペニアから抜け出すには結局運動するしかないようです。番組では、スクワット、腕立て伏せ、上体起こしを勧めていました。一日5分でもひと月続けると結果が出るそうです。筋力が付けば体質改善ほか老人病の予防や、転倒も防げ、免疫力も付きます。今までと違う、何かおかしいな、というのは警告ですね、運動不足に注意です。


04/16 タンポポ

桜の花びらの上にタンポポの花が。でも残念ながら見事な外来の西洋タンポポです。日本の在来種は葉のギザギザが丸く厚くて、色も黄色に軽く橙色を含んで、全体に柔らかい印象でした。在来種は外来種に駆逐されて、完全に見かけなくなりました。菜の花も川べりにたくさん咲いていますが、これも外来種だそうですね。子供の頃は菜種の花と言っていました。食用のほか灯油として使った歴史は長いですね。それにヨモギ。これも外来種になりました。在来種はもっと葉がふくよかで柔らかい感じでした。手で揉むと濃い緑色の汁が溢れました。饅頭(まんじゅう)や餅に混ぜて、彩り(いろどり)よく香りもよくおいしく食べました。さらに土筆(つくし)を加え、日本人の代表的な季節の野草です。土筆も子供の時摘んだものとは違います。

日本人の生活に馴染(なじみ)の春の野草がすべて外来種とは。人や物の国際的な交流が盛んになると避けられない事態ですね。鎖国時代に戻ることはできませんが、経済的な理由で野放図に開放が進み過ぎると弊害も避けられません。日本固有の良さは努力して守っていきたいものです。和種のタンポポのように一度失えば取り返せないのですから。


04/15 ただ咲くだけ

荒れ気味の天候不順のためか体調が優れません。天候によって健康状態が左右される、なんてことはなかったのですが、これも老化現象でしょうか。気圧の変動や気温の上下などに自律神経の働きが追い付かないのでしょう。外は雨で寒いので、今日は外出を控え、ひたすら体力の温存を図っています。

水の浸いた庭に、桜の花びらが風で飛ばされてきて寂しげです。「桜の時」はほんのひと時で終わりました。満開を誇った桜並木も、もう夢の出来事のようです。日本人は桜の花のはかなさに人の生きざまを重ねてきましたが、爺にも今やっと実感を持って感じる様になりました。前にも書きましたが人間の認識速度は 80/1 秒くらいしかないとか、時間はその連続でしかありません。目で見て視覚で捉え脳で処理して桜だと認識する速度が 80/1秒 です。寝る前の今日一日でさえも 80/1 秒くらいの長さです、おそらく一生すら。と思うも西行桜か。


04/12 桜、散る

庭に花びらが風に乗ったか数片散って、今年の桜もそろそろ見納めか。時は流れてそれぞれ定めの春ですね。昨夜は一年ぶりくらいに中途覚醒なく熟睡できました。うれしくて元気が出ますね。天気も上々、新芽が伸びてきた庭の木々のため肥料をやりますね。

(04/13) 終日、雨風。散った花びらが雨に浮かんで道が白く続いています。散り際もまた桜。


04/09 筋肉を鍛える

ネットに筋肉が衰えていないかチェックする項目表が出ています。一般的普遍的な項目なので引用しますね。ひとつでも該当すると衰退の可能性があると言います。爺がやってみたら半分以上該当、立派な介護予備軍ですね、ガクン。

  1. 片足立ちで靴下が履けない * 両方は無理
  2. 家の中でつまずいたり滑ったりする
  3. 階段を上がるのに手すりが必要である * 念のため
  4. 横断歩道を青信号で渡りきれない * ときにある
  5. 15分くらい続けて歩けない * 最近は10分くらい
  6. 2kg程度の買い物をして持ち帰るのが困難である
  7. 掃除機の使用、布団の上げ下ろしなどやや重い家事が困難である

五千歩ほどの散歩だけでは筋力を落とし、歩けなくなるそうです。やはり足・腕・腹・背中など各部の筋肉を鍛えることが必要だそうです。マッチョを目指すわけではなく、体が自由に動けばいいのですから、一週間に2~3回で十分とか。寝たきりが嫌なら頑張るしか・・。


04/08 やまざくら

葉桜になっていましたが撮ってきました。

立っていても体が揺れています。腹に力が入っていないのでしょうね。いずれ歩けなくなる危機感が拭えません。ネットを探していたら、上がった血糖値を下げるために散歩は有効でも、それだけでは老化は止まらない、というサイトを発見しました。そうなんだよね、筋力を鍛えないと、ね。


04/06 老化に追われる

満開の桜がきれいですね。今を盛りの真っ白なソメイヨシノ(染井吉野)は華やかです。少し早く咲く山桜は花びらが散りそめ、葉桜になってきました。江戸時代まで桜と言えばこの山桜でした。エビ茶色の葉も渋くていいものです。

爺のことですが、今年になって、つまり数え歳の85になってから、どうも老いが急に迫ってきている気がします。高齢者向きに書かれたアンチエイジングの専門的な話はそちらに任せ、素人の爺は我が身に起きる身近な話題にしますね。最も顕著なのが歩行能力の退化です。だんだん歩けなくなってきました。いずれこうなるとは思っていても、実際に我が身に起きると戸惑います。体は毎日動かし、軽い運動や散歩はしていても、連続して歩ける距離が短くなってきます。スクワットや腕立て伏せのような運動をすると(15分くらいですが)、少し距離が戻ります。スーパーまで途中の休憩が要らなくなるとか、駅までノンストップで行けた、とか。でもその効果がだんだん短くなってきます。歩くのがしんどくなり、脚の筋肉が痛くなり、歩き続けるのが辛くなってきます。

しかも加えて血糖値が安定しなくなってきました。今までは血糖値が低くなった時の症状だけだったのが、血糖値の高い症状(食後)と低い時(空腹時)の両方の症状に襲われます。「力が抜ける、目のピントが合わない、ふらつく、頭痛がする」という中枢神経系の症状が出るようになってきました。物を食べた直後になることが多いので、血糖値が異常に高くなるのでは、と疑っています。食べる量を減らせばいいのですが、すると摂取量が不足して低血糖になりやすくなります。血糖値異常で中枢神経をやられると、体を動かすことができなくなります。出産直後の動物の赤子のように立つときヒョロつき(子供は成長)ます。自然にあって立てない・歩けないは生きることができないのです(人間は介護の始まりですね)。足腰が痛いという段階じゃないですね。

どうやら老化の正念場にかかってきました。


04/05 待ち時間

町の食堂は昼過ぎになるといったん店を閉め、5時ごろに再開するところが多いですね。閉めている間に仕込みができるから効率はいい。しかも従業員はほとんどがアルバイト雇用だから、この分は人の手配もいらず給金も払わずに済む。店側からは良いことづくめでも、逆に昼を食べはぐれた客は腹をすかして町中をウロウロと大変です。

昼食時間帯の後にいったん閉店するのは、昭和の終わる少し前ころから、爺の田舎町でも始まり、今はほとんどの店がこの中抜きです。だから外出した時はうっかりできない。困ったことにこの方式が医歯病院や理美容院でも採用しだして、今や不便に。予約制度と相まって、予約がない日は開店日でも休日閉店になることも。ここまでくると何のための営業だか。

客をないがしろにしている訳ではないだろうから、それだけ競争が激しいことを示しているのでしょう。小学生の頃、理髪(床屋と言っていた)に行くと、店の親父は鷹揚(おうよう)なもので、ゆったりとキセルで刻みたばこを吸って、お茶を飲んで、それからやおら丸坊主に刈ってもらったものです。その待ち時間が嫌で、いまだに床屋は好きになれないトラウマですね。店と客のマッチング問題、もう少しネット環境が進めば解決できるかも。


04/04 自然治癒力

昨日の続きです。言うまでもなく、水分を摂り過ぎれば尿として排出し、不足すれば口の渇きとして水分の摂取を促すようにうまく出来ています。ところがその働きが老化すると衰えてきます。血圧でも血糖値などでもそうです。それらの数値が正常な範囲を逸脱して、生活に支障が出るようになると、何らかの手当てが必要になります。老化を原因としていても、生活習慣にある場合にはそれを矯正すれば治る場合があります。自分の健康は自分で守る範疇です。軽い症状として表れ、この段階だと治せる場合が多いものです。

生活習慣を変えることはことは容易ではありません。また自然治癒力を当てにする治療法なので、一気にはいきません。時間がかかります。老人には時間はありますから、根気の問題です。生活習慣病ではありませんが、自然治癒の例です。タンスの角に指をぶつけ、唸りとともに大きな血豆が出来ました。医者に掛かるか迷う程度です。血豆だけで済みそうなので頑張りました。傷痕が無くなり完全に直るまで三か月掛りました。坐骨神経痛もそうでした。発症から三か月。肉離れは医者の診断を仰ぎましたが、ほぼ自然治癒で一か月。こんなペースです。ただ素人判断なので広く情報を集め、慎重に。


04/03 満開に

ちょっと寒いですがコートなしでも平気、暖かい日差しに桜は満開になりました。見事です。でもトランプの関税に世の中が激動する予感、桜は咲けども浮かれた気分にはなれず、どうしたものか。

夜間頻尿で寝る前の水分を控えています。ところが体の水分が不足すると、便の水分も不足して便秘の原因にもなるそうですね。水分不足は夏になると熱中症の恐怖もあります。摂り過ぎても不足でも問題、どれくらいの水分を摂ればいいのか悩ましい問題です。コーヒーやお茶が好きで、無頓着に欲にかまけて飲んでいましたが、さすがに最近は控えています。一日にどれくらい飲むのか記録してみました。すると思ったより少なくて1リットル前後です。成人の通常の摂取量2リットルのうち半分は食事で摂り、残り1リットルほどがお茶など飲料水と言いますから、大量に飲み過ぎも少な過ぎもなさそうです。このまま今の状態を続けて影響を見ることにします。


04/01 腹が張る

年入ると体もガタがきます。腸の働きも弱まり便秘がちに。去年あたりまでほぼ順調でしたが、今年に入ってから途切れ(3日以上)がち。すると大腸滞留(便秘)が長くて水分がなくなり、便が硬くなり栓したようになるタイプの便秘現象です。80歳も過ぎると大なり小なりトラブルが発生しますが、この栓詰まりタイプは多いようです。溜まったぞ!センサーは感度悪く、押し出す力も弱っているうえ、直腸が弛んで便も太くなり、スルッとはいかないのです。無理に気張ると出口が切れたり緩んだり。何より下腹が張って気分悪いですね。

この硬くなった便を柔らかくする薬があるようです。柔らかくなればスルッと出るはずです。辛抱堪らず薬量販店へ。ありました「酸化マグネシウム便秘薬(商品名:ビオフェルミン)」です。成分中の酸化マグネシウムが「便に水分を集め、硬くなった便を適度に柔らかくして、排便が楽になります」(効能書)とあります。成人1日1回3~6錠。いつものように老人であることから11~14歳条の2~4錠を適用してまずは3錠。効き具合を見て増やします。3錠では一日経っても効かず6錠にします。大成功です。

(04/02 19:30 更新) 正常な便通になり薬の服用は中止しました。



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