過去ログ2025(01/13-03/30)
03/30 あぶない
気温は低いが日差しの暖かい春日和の朝です。ベランダ(猫の額ほど)へ降りた拍子に「ツンのめって」倒れそうに。気と足が宙に浮きました。でも幸いなことに我が家は小さく狭いですから、そう、バタンと横に倒れる空間がありません。気は空(くう)を泳ぎながらもベランダの柱につかまり、「老人がこける(転倒)とはこれか」と納得していました。足が硬くなり前へ出ないのです。
一週間ほど前の寒の戻りで、またまた散歩もしない冬籠り(ふゆごもり)状態になっていました。コタツでテレビばかり視ていました。そのせいで極端な運動不足です。体は正直です。昨日も300mほどの公園までヨタヨタとしか歩けないことに気づいていました。「もう年齢のせいで歩けなくなってきたのかなあ」とズルを考えます。でもネットで検索したリハビリの医者は、運動をすれば「死ぬまで歩けます」と言っているのを思い出します。ラジオ体操の真似事で少し体を動かします。体は曲がるし動きます。腕・脚の筋肉も相応にあるようには見えます。でも転倒は避けられないんですね。やはり「動く事自体に意味」があるのでしょうか。
昼過ぎからは掃除をしています。はい、体を動かしています。
(16:00) 外気温10℃前後、雲の厚い寒い日に。外出のため慌てて冬用のジャケットを着込んでいます。桜は三分咲きほど。
03/29 桜が咲いた
近くの川端の桜を見に行ってきました。咲いていました、一分咲きです。
ちょっと肌寒いですが、桜が咲くと本格的な春の訪れです。天気が気温が、激しく変わります。上着をかけたり脱いだり、ベストを着たり脱いだり、こまめな対応が必要です。寒さ堪えて付き合いの花見などは危ない危ない。若いときは多少横着構えても大丈夫ですが、今や油断は禁物。なにしろ自律神経が有意に働かず、春風邪を引いたりします。発熱・嘔吐・頻脈などちょっとしたトラブルが入院騒ぎになったりします。用心に越したことはありません。野山へ遊びの時期でももうみんなに期待されることはなく、ひたすら自分の体調に気をつけていればいい立場です。ははは、年寄りは気楽なものです。桜見物も余裕です。
03/28 春を楽しむ
季節の変わり目に少しでも早く対応して、体調を縮こまった冬から高温の春に切り替えさせることが不調を乗り切るひとつの方法です。日本人は桜が好き、花見で騒ぐのが好きなのも春になったことを喜び、そのことで春の気候に早く慣れさせ、体調の変化を促すのです。「自律神経よ、暖かい春だよ」です。農作業、近年は新年度入りの準備に追われますから、体調不良の猶予はありません。土筆(つくし)を取ったり蓬(よもぎ)を摘んだり、調理して食べるのも先人の知恵。
買物の道すがら橋から見下ろす河原に菜の花が花盛り、黄色い色が春霞みに映えます。公園には雪柳(ゆきやなぎ/写真)が真っ白に満開。見上げる桜はつぼみが膨らんで、明日には咲くでしょう。上げて春の装いです。心うきうき春を満喫して体調も落ち着いてきます。体調が整うとうれしい春です。
03/27 変化に活つ
昨日は南の高気圧に覆われ、三重県も一部は一気に25℃を超える夏日。外出していたこともあって、暑さにやられてグッタリ。夕食も食べかね風呂も入れずバタンキュー。でも妻が気遣って買ってくれた好物のおはぎ一個はペロリ。おかげで今朝は体調も平常に戻り、やっと更新の気力も。気候の変化に極端に弱くなりました。
今朝は18℃でうすら寒くて、コタツと空調の暖房(設定23℃)を入れています。18℃は人間には絶好の気温のはず、寒いと感じるのは10℃以下になった時でした。でも最近は気温の変化に対する対応力がほとんどなくなくなっています、加齢が原因ですね。子供は冬でも半ズボンやスカートで走り回っているのと対照的です。
季節の変わり目に、体調不良になり半病人になるのは外気温・気温差や気圧・湿気・日照時間などの環境条件、この時期の花粉や黄砂の飛散が体に影響するからです。人体が外的要因に対応するのは自律神経ですが、これが加齢とともに働きが衰えていくことです。体調不良には、いつも言われる「①バランスの取れた食事②睡眠時間の確保③適当な運動」です。これも理想的には難しく、努力はしても思うようにはいきません。自律神経の衰弱という絶対的な問題があるからです。これは努力の外であり、避けられない問題です。
衰えた自律神経を頭脳で対応して補うことです。まず自然現象には勝てません。冷暖房などが進んでもそれを原因としてまた別の問題、乾燥とか細菌の繁殖や冷房病などが起きます。年寄りがクーラーはあるのに使わず熱中症で死亡、などが象徴しています。ですから自然現象と戦わず容認して、避けることです。昔の人はそのために知恵を絞ってきました。今でも先人の工夫の上に生活しています。衰弱する自律神経の働きを個性的な「人知で補う」視点で、自分の体調を維持したいものです。
03/25 自律神経が
目が覚めたら室温18℃、夕刻の今の外気温22℃、暑いです。近年は三寒四温の寒暖差が広がって体調が追い付かず、元気なく絶不調。もっぱら体力温存とばかり終日だらり。夕刻になってこれじゃダメと庭の草引きをしました。雑草を引き枝を払い水をやる、狭い庭でも結構運動になります。庭を回ているだけで1,814歩で1km近くを歩いたことになります。浮遊感のふらつきが抜けず、転倒しないうちに、まぁこれでいいか。
03/24 沈丁花の香り
今朝雨戸を開けたら沈丁花の香りがワーッと漂います。一気に満開になりました。ポッド植えを買って庭に植えて置いたものです。大きくなって計ってみたら樹形幅1m。真っ白な花も可憐で印象的です。金木犀も南天も若葉が芽吹いて、一斉に春の訪れです。
NHKが盛んに放送してますが、100年前の3月22日にラジオ放送が始まりました。もちろん当時は金持ちの道具でしたが、器用な日本人はすぐ模倣品を作り、半額にしたとか。爺が高校生の頃になると、手のひらに納まるソニーのトランジスタ・ラジオが発明販売されました。それまでは親指ほどのミニチュア真空管を使った弁当箱ほどのラジオでしたから画期的で、ラジオブームが起きました。教室の窓の外にはNHKの地方局の放送所と大きなT字形のアンテナの鉄塔が見えていました。日本で最初につくられたラジオ(鉱石ラジオ)と同じ原理で、アンテナから出ている放送を聴こうと自作しました。普通ラジオはどこの放送局でも聴くためバリコンと言う部品で選局をします。でも目の前の放送局の放送が聴けたらいいのですから、可変のバリコンを省略して半固定のコンデンサに変えます。ドライバーを回して電波を探します。可聴範囲に放送局は目の前の一局ですから、レシーバーから音が聞こえたらOK。電池など使いませんから、24時間鳴りっぱなしです(レシーバーの付け外しのみ)。窓ぎわの席に代わってもらい授業そっちのけでラジオを聞いていました。アンプ回路はなしですから、音は小さくても雑音など全然なくて原音に近い美しい音でした。
今やラジオはコメ粒ほどのICチップになりました。なッとしても手作りはできません。若いときは面白かったなぁ
03/23 自然の春よ
年取るとどうしても法事に忙しくなります。今日は市街地の外縁に建つお寺でした。寺の本堂の裏は中規模の墓地になっていて、その向こうには緑色を帯びだした広々とした田んぼが広がり、春霞のかかる遠方の山につながっています。折からの春の陽気を絵に書いたような風景です。
墓地と田んぼの境に幅10mほどの小川が流れていて、始まった農作業のためかなりの水量の水がとうとうと流れています。小学生の頃よく歌った『春の小川』が聞こえんばかりです。でも何か違和感が、そう生き物の姿が全然見えません。魚どころか虫一匹カエル一匹いません。違和感を超えて生命の絶滅かと、恐怖を感じます。筆者の一生と重なる農業のありようは、害虫駆除と米穀増産でしたから。その努力の結果、見事成果が実ったのです。
でもこんな寂しい風景になるとは。何か違っているように思います。生き物が住めない地球は、やがて人間も住めなくなるはずです。現に食料となる農業も漁業も人工栽培による産物ばかり。気象条件などに異変があれば簡単に全滅します。もっと手堅く安心できる生産を考えたいものです。自然破壊もいとわぬ金儲けに釣られて生産する社会は限界です。小川にフナやドジョウたちが、オタマジャクシが戻ってくる時代に戻したい。
03/22 墓参り
運動不足で困った時の神頼みならぬ仏頼みで、ちょうどお彼岸さん、歩いて1.4kmの菩提寺へ墓参り。帰りは回り道で、休み休みでヒョロヒョロ歩いてなんと歩数9272歩。一気に運動不足解消でした。動機不純の墓参りで仏さんに怒られるかも。でも在りし日を思い浮かべ、丁重に菩提をお祈りしました。縁あるみんなを見守ってください。帰路は風があるもののぽかぽか陽気で汗ばむほど、通りの地蔵さんの椿が一気に咲いて、ポロリと道端に。見上げた椿をパチリ。
03/21 また動かない
寒の戻りで寒い寒いと言ってる間にちょこ一週間が過ぎて春の彼岸の只中(ただなか)。冷たい北の風は吹き荒れて(10m/s)も陽は暖かいですね。また魅力的な生活不活発病にかかり、コタツでテレビを観ています。正直なもので体力は落ちて、浮動性めまいに襲われています。少しでも気を緩めると自律神経失調症になり、確実に不調になり筋力がなくなります。若いときは多少サボっても体調が変わることはなく、回復も早いものです。80代ともなるとこのままでは被介護生活に一直線。
貝原益軒『養生訓』から現代の最先端の生命科学も、長命には食事・運動・睡眠を規則正しく取ることと言います。毎日の生活の中で生き生きと活発に動け!、です。老化の予防・改善の方法はネットに詳しく出ています。気温の戻りに合わせ生活を見直すことにしますね。でもオーバーワークとの綱渡り、難しいですね。
03/15 オーバーワーク
テレビとビデオは居間にあり、パソコン(WINDOWS10でデスクトップタイプ)は自分の部屋にあります。ほとんどはテレビにつながっているビデオデッキで再生して観ます。たまにパソコンにつないで画面をプリント画面にすることがあります。ビデオに録ったテレビ番組をパソコンで見るためには、パソコンを居間に移動してHDMIのコードでつなぐ必要があります。PC本体とディスプレー、ネットやマウスなども一緒の移動ですから大変です。ただ苦にならない作業なので、いつも頑張ってやります。
ところが今日はやられました。移動したパソコンを元の位置に戻す作業です。半日がかりで昼前にOSも無事立ち上がりやっと完了。さて昼過ぎ買い物に行こうかというとき、どうしても体が言うことを利(き)かないのです。体がふらついて浮遊状態、歩くにも足が動かないのです。まさに「私の意志を体が拒んでいる」状況です。仕方なく今日の買い物は中止です。滅多にないことです。
疲労困憊したことはあってもこんなことは初めての経験です。つい老化と結びつけてしまいます。体が限界を超えて大変なことになったのではないかと心配に。コタツに入って静かにして様子をみます。が、30分ほど経っても救急車を呼ぶほどの事態にはならず、やれやれ。夕食は普段通りに食べれて、早めに就寝。朝起きたら何とか普段通りの体調になっていました。好きなことをしているとつい度が過ぎます。体が悲鳴を上げていても気が付かないのでしょう。今までなら休憩できたのでしょうが、気がつかないのも老化現象でしょう。トホ・・
03/14 青信号で渡れない
連日気温が上がってやっと冬とお別れ、春を感じる頃になってきました。季節の変わり目は変化に追いつかず体調不良になり勝ちです。今年は花粉の飛散量が多いとかで、花粉症でない爺も目が痒くて困っています。皆さんは大丈夫ですか。
また爺の愚痴です。先日、青信号の点灯で歩き始めて、渡りきるまでに点滅を始めました。歩くのが遅くて青信号で渡り切れないのです。初めてのことで、大ショック。電車で席を譲られたときに匹敵するショックです。青信号で渡れないとフレイル予備軍と言う説もありますから。自分で思う以上に老化は忍び寄っています。部屋の温度は20℃そこそこあるのですが寒さを感じます。若いときは10℃で暖房なしでも平気だったのにね。
散歩して軽い体操もしていますが、歩行能力は落ちてときに青信号で渡れなくなりました。気を張って努力していても現状維持は難しいものです。何もしなければ3日で歩行能力喪失、フラフラになります。問題は努力しても老化は粛然として進むことです。当たり前ですね、努力して老化しないで済むなら寿命は尽きませんから。80を過ぎると何としても進む老化と、百歳超で粛然としておられる老人の違いは何でしょう。生まれ、ですか。80を過ぎてまだ望むは欲というものですね。いや、悟っても・・(迷)
03/12 電話の文字化
土手に雑草のホトケノザがピンク色の、オオイヌノフグリが青色の小さな花を咲かせ、春が来たのを告げています。周期的に雨が降って草木は眠りから覚め、虫もそろそろと這い出して、春を喜びます。いい季節を迎え体調も少し落ち着いています。
目耳が衰えて、苦手な人付き合いが一段とまずくなり、毎日もっぱらテレビ三昧です。でも音声が不自由で聞き取れない時があります。佐藤さんと加藤さんが聞き分けられないタイプの難聴です。眼は何とか見られます。そのため気に入った、または気に入りそうな番組はビデオにいったん録画します。それをウインドウズ11の音声文字化アプリで読んでいます。このアプリ、まだまだ開発途上で同音異語がうまく処理できません。そのため意味不明になったりします。特に固有名詞がダメで、無茶苦茶。今はやりのAIに期待するところです。
電話の文字化が官民で進んでいるようです。電話を受けるとスマホに文字が表示される方式とか。これはいいアイデァで便利そう。これが満足に使えるなら、対面でも携帯電話に話しかけてもらえば会話が成り立ちますね。早く普及すると良いですね。するとテレビも常に音声がテロップで流れるようになり、わざわざビデオに録る手間が省けます。早く普及してほしいですが、更にテレビ漬けになっても困りものですね。
(追記) 通話相手の声を文字にする電話アプリはいくつかあるようです。ここで話題にしているのは、日本財団電話リレーサービスの『ヨメテル』です。利用は有料です。アプリの紹介まで。
03/09 お雛さま
「03/02 外出に慎重」で諦めていた『お雛さまめぐり』は今年限りとあって諦めきれず、念のためネットで調べたら、なんと3日を過ぎても10日まで開催とあり、ラッキー!。以来体調を見計らい出掛けるチャンスをうかがっていました。幸い今朝は快晴で気温も高く春日和、そのせいか心配な体調もまずまず、妻と念願のお雛さまを見てきました。伊勢市二見の旅館や店舗がそれぞれ秘蔵する自慢のお雛さまを店頭に飾っています。写真はJR二見浦駅に陳列されたものです。
町あげて盛り上げようという熱気があふれています。中心になったのは『賓日館(ひんじつかん)』という閉館した大型旅館に飾られたもので、量といい豪華さにも歴史にも驚かされました。素晴らしい物です。街を一回りして1時間ほどでした。
見とれてよく歩いた(5千歩ほど)せいか疲れたようです。最後に名勝の海岸を見ようと両側砂浜の5段ほど(腰高)の低い堤防に上ったとき最後の段でつまづきバッタリ両手突き。ケガしなかったものの運次第ですから、この程度で無理なんですね。老化を思い知らされます。お雛さまに会うのもなかなかに難儀です。
03/07 薬の飲み過ぎ
寒い日が続きます。啓蟄(5日)は過ぎたと言うのに、例年なら咲いている公園の地蔵さんの椿が未だ咲きません。今年は若干遅れているようです。
寒いこともあるのでしょうが夜間頻尿が治まりません。今年になってから1晩に2~3回起きます。加齢病だから仕方あるまいと思えど寒い時に3回ともなると堪えます。以前、漢方薬の八味地黄丸を服用して夜間1回になったことがあります。そこでまた服用することにしました。定評あるツムラの漢方薬で、量販店スギ薬局で買ったものです。
用量は、同封の説明書には大人15歳以上1包1日2回と書かれています。15歳未満7歳以上2/3包、4歳以上7歳未満は1/2包(以下略)で同じく1日2回。老人に対して特に減量はありません。用量が15歳・7歳で区切って指定されるのは、新陳代謝の基礎代謝が年齢によって異なるからでしょう。基礎代謝は年齢のほか性別・BMI・体格・体温などによっても違ってきますが、年齢による変化が大きいのでしょう。男性ですが基礎代謝量は18歳ころ1,600kcalをピークに山形になっています。15歳で1,500kcalほど、7歳で1,000kcalくらいです。比べて老人は65歳で1,450kcal、75歳以上になると1,200kcalほどです。
65歳以上の老人になると、15歳以上の1包では過剰摂取になるのでは。事実病院でも老人の薬量について薬品によって見直しがされているようです。八味地黄丸は丸と言いながら顆粒状の薬で、分けることができます。問題は説明書にも言及はありませんが、素人では 3/2 分割することが難しいことです。天秤ハカリを買いも使いもできませんから、問題の指摘に止まります。老人の過剰摂取のブレーキにはなるかな。
03/04 思い出の十国峠
熱海に日金山(ひかねやま/771m)という山があるそうです。NHKの『にっぽん百低山』で見ました。吉田類さん(TV『酒場放浪記』で有名)がゲストと二人で登山して、身近な山を紹介しています。日金山って初めて聞く名ですが、死者の魂が集まる山として近在では有名だそうです。どこの地方にも死者が行くと伝わる山があります。そうしたひとつでしょう。この日金山は通称十国峠とも呼ばれているそうです。相模国や武蔵国のような10の旧国が眺められ、この山を通って行き来したからでしょう。
ひょっと思い出したのが島倉千代子の『十国峠の白い花』です。「ああ 箱根に残る 思い出を」と歌われていますが、やはりこの峠のことです。1963年の発売ですから62年前のことで、爺が23歳の時です。作詞石本美由紀さんで、作曲はハーモニカで有名な宮田東峰さん。当時大ヒットした曲で、広大な高原を想像しながら聴いたものです。でも歌手の島倉さんも亡くなり、すっかり忘れていました。それを筋違いの山の番組で思い出しました、ほぼ60年ぶりに。この歌詞が頭に残り、いつかは行きたいものと思っていたのでしょう。定年後最初の旅行先に選んだのは箱根でした。十国峠は行けませんでしたが、熱海は温泉目当てで3回ほど行きました。
長生きすると思いもしないきっかけで、昔の事が蘇ります。しかも不思議と思い出したくないことは忘れているのか思い出さないものです。行ったことのない若い日の十国峠の思い出です。
03/02 外出に慎重
明け方から15℃の高温で小雨、8時に起きかねて、起きた時から絶不調。やる気皆無でコタツでゴロゴロ。1時間半ほど居眠りしたらちょっと持ち直して部屋掃除、いつもの春先きです。
伊勢市の営業をやめた大きな旅館が、毎年近在のお雛さまを集めて展示して公開しています。壮大な規模で評判です。妻が見たいとのことで「ぜひ行こう!」と。そのお雛さま、今年が最後になるとか。寒さにめげて先延ばし、毎年見そびれて、後がなくなりました。でもこの体調では出掛ける(電車で30分)のは無理のようです。家の中ならともかく外へ出て不都合があると人に迷惑かけます(電車での不調は酔う症状が付加される)。どうしても慎重になります。去年なら体力的に行けたのに残念。
出来る事が減っていく・・、淋しいですね。季節が良くなれば外出のチャンスもあるでしょうから、無理しないことにします。
(03/03 16:50 更新) 寒のぶり返し、昨日より6℃も低い終日9℃の寒い日です。外出どころか買物さえつらい日になりました。関東以北は猛吹雪とか。冬に逆戻りです。でも水仙は花を開き始めました。
(2025/03/10 追加) ラッパ水仙ですね。春の陽を浴びて満開になりました、色も濃く。
02/28 季節の変わり目
2月は今日で終わり明日から3月。今年の2月は寒かったですね。体調は大丈夫ですか。3月になると温暖な日が現われて、三寒四温の季節の変わり目になります。年間でも一番体調の悪くなる言わば弱い時季です。花粉症のようなアレルギー症状(花粉症ではない)に悩まされます。水っぽい鼻水が止まらずテッシュが離せません。頭が痛くなることも。部屋を暖房して23℃以上にしてしばらくすると軽くなります。酷くなるとメンタルをやられて倦怠感に襲われ、何も手に着かずヤル気なし。
自律神経失調症だと言われます。気温や気圧の変化に自律神経の対応が追い付かないとか。結局、体質もあるようですが、栄養・睡眠・運動を考えて、体力をつけ体調を維持するしかないようです。それがうまくいかないようで、寒の去る春の彼岸までガマンです。近くの川に渡り鳥が集まって、忙し気に餌を採っています。鳥たちには春が来ているようです。
02/25 中途覚醒を生かす
(19:15 更新) 今年になってから「寝られない病」に罹(かか)って抜け出せない、トホホ。夜中に2回以上起きて、その後寝つきが悪く、眠気が一日中抜けず、ボッー。以前は寝られなくても気にしない事で通常に戻ったものの、最近はいつまで経っても治らない。それでも八十路の爺には睡眠不足でも特に困ることはなく、日常生活に支障はないのですが、気分が憂鬱。熟睡の爽快感が懐かしい。
中途覚醒は、一部の病的な睡眠障害以外は、普通は老化現象であることに間違いなさそう。治すには結局は食事・運動・休養に十分配慮して健康な生活を心がけることに尽きるようです。テレビの医療番組で、中途覚醒を体験する視聴者が参加する特集をしていました。驚いたことにみんな中途覚醒を悩んでいないことです。老化現象は必然の事と捉えることで、中途覚醒に対応しています。焦らず床に横たえ体を休める、瞑想する、深夜放送を聞く、本を読む、編み物を編む、などなど。静かで集中できる深夜を有意義に生かしているようです。
老化すれば8時間の睡眠時間は必要なく、6~7時間も寝れば十分でしょう。仮に22時に就寝すればどうしたって寝過ぎになります。昔は電気がなく寝過ぎの分は早起きして仕事(農作業)でしたが、今は真夜中でも昼と同じように活用できます。爺も「草木が眠る丑三つ時」にコーヒーを飲んで、テレビの見逃し番組を観ていることがあります。観終わったら眠気に誘われぐっすり寝られて、不思議と睡眠時間の帳尻は合います。ほとんど一日中寝ても体が育つ赤ん坊から、青壮年期には睡眠時間はだんだん減少して活動する流れの、つまりはその果ての余裕の楽しみの段階なのかも。と考える方がイライラするより余程長生きにつながります、ね。
02/23 紅梅
極寒も少し緩み風もなく、春を探して近くの公園へ。紅梅が今を盛りに満開で、確かに春が。
02/21 夜間の煩悶
夜間の中途覚醒はずっと1回だったのですが、10日ごろから2~3回になりガックリ。その日は寝不足感が強く、コタツで30分ほど居眠り。すると寝不足感は消え、頭もすっきりします。すること(仕事)のない年寄りですから、昼寝しても何の支障もなく問題はないのですが、昼間から寝ている罪悪感が(昔人間ですから)。叱られる怖いお爺ちゃんもいませんから、現代風に割り切ればいいのですが・・。
真夜中に目覚め(中途覚醒)たとき、1時間半か2時間ほどしか寝ていないにかかわらず、はっきりと起きる時がきたと、ぱっちり目覚めます。80歳くらい以前なら眠くて起きるのがつらかったのですが、飛び起きるくらいで頭も冴えています。その代わり今度は寝るに寝られず、寝つきが悪いのです。時たまテレビを観て起きているときも。この眠りに対する欲のなさは何でしょうね。寝過ぎている、いや一晩平均すれば7時間前後程度です。これより切り詰めると昼間に眠気が。
昼間の運動不足が原因でしょうが、冬とて寒くて表にも出られず、家の中で多少とも体を動かしていても絶対量が不足なんでしょうね。それと目覚めたときは尿も切迫状態。夜間覚醒と夜間頻尿の関係も悩ましく未解決。また八味地黄丸でも試しますか。
02/20 変わらない体重
爺の体重は60歳以降ほぼ55.5kg(-0.5kg以内)で一定ながら、見た目は以前より痩せています。手指や手首を握ってみると断然細い。筋肉は80歳までに30~40%少くなるとか。臓器などを構成する細胞や細胞内液、骨や骨格筋など体を構成する基礎的な部分は年齢によって大きな変化はないでしょうから、筋肉が減った分は脂肪組織が増加して、体重に変化がなく帳尻が合うのかも。
高齢になるとどうしても食事量が減る上に、消化吸収機能など全身の衰えで十分な栄養が取れません。しかも糖尿病・がんなど疾患により、脂肪組織を代替えの栄養に変えて使い果たすと、体重が減って激ヤセになるのでしょう。体重が変わらないのはこの微妙なバランスを示しています。当面、今の食事とそれを支える運動・休養で、脂肪組織を守ることですが、理想的には筋肉として体重を維持することのようです。
02/19 雨水のはず
(21:50 修正) 昨夜夕食後咳が出たため、用心して風邪薬を飲んで早めに床入り。薬が効いたのかいつもは2回以上の夜間頻尿は珍しく1回のみで、計8時間の睡眠が取れて風邪もどこへやら。こんなに思惑通りにいく事もあるんですね。起きたものの寒い日で、ベランダの温度計は3.5℃の外気温。全国的に寒波の再襲来、日本海側は大雪のようです。
午後、何気に外を見たらしんしんと雪が降っています。この分なら積もるかもと期待したものの降ったり止んだりでガックリ。落ちた雪は瞬時に溶けて、雨が降ったように辺り一面をひと通り濡らして終わりました。雪国の苦労を思えばありがたいことです。暦の上では雨水(うすい/二十四節気)のはず。雪が雨に変わるころなのに記録的な大雪とは。今日は外出もなく、ティーバッグの紅茶を淹(い)れています。
(02/20 追加) 明け方に寒さで目が覚めました。なんと室温8℃です。外の温度計を見るとちょうど0℃。氷点下だった2日に続く寒さです。もうすぐ3月、寒中の底ですね。風邪などを引かないように、充分着込んで気をつけてください。
02/17 クローズアップ
「02/08 虫メガネと老眼鏡」でこの両者が同じ物である、としました。ならば、いま使っている老眼鏡を虫メガネとしてスマホでクローズアップ写真を撮ってみよう、です。スマホのレンズの前に老眼鏡を重ねます。手で支えるのは厄介ですが、どんな格好でも老眼鏡とスマホのレンズが重なっていればいいのです。表示画面を見て、スマホ+老眼鏡を前後させてピントを合わせます。老眼鏡の度数によりますが、かなり大きく写ります。そしてスマホを動かさないように、手品師よろしくシャッターを押します。目の前にある孫娘のコップを撮ってみました。
スマホだけの最短距離の写真よりアップできています。花や虫など小さい物を撮ってみてください。スマホを三脚で固定するなど工夫すれば、もう少し楽に撮れます。
02/16 家の中を歩く
寒いので巣ごもり状態、家の中ばかりで過ごしています。健康のために良くないと分かっているのですが、歩いて4千歩ほどのスーパーに、一日置きに買物に行くのを免罪符にしています。昨日はほぼひと月に一回の理髪に行ってきました。スーパーとほぼ同じ距離です。暖かな日で外出にもってこいの日になりました。それにもかかわらず歩きながらバス停の時刻表を見たのが運のつき、つい5分待ちのバスに乗ってしまいました。
頭を刈って帰りは時刻表には目もくれず、意地でも歩きました。バスなら降りるはずのバス停で、後から来たバスと同着になり複雑な気分。ともかく3千歩ほどを稼ぎました。普段歩いていないせいか両ひざが少し痛みます。加齢とともにだんだん強くなり、いずれは歩けなくなるんだろうな、と思ったりします。「歩き続けるためには歩くこと」という難題が浮かびます。老化現象に対しては、如何(いか)にそれまでのペース・体力を維持するか、です。外が寒いとき、歩く能力を如何に維持するか、です。『養生訓』では家の中を歩けと言います。小さな我が家では歩数は知れてますが、やらないよりましか、と考え直しています。家事・掃除などでできるだけ動けということですね。
02/14 物忘れ対策
高齢に物忘れは付き物です。簡単に見つかる失せ物も再々生じます。80歳代半ばにもなるとひどいものです。検索する事が生じて、スマホを探して入力する時にはすでに検索語を忘れていて、立ち往生。気持ちの悪い思いをしながら、前後に何をし何を考えていたか、必死で探ります。ダメなときは思い出せないもので、こんな時は諦めます。諦めはいさぎよく、忘れたことを忘れるのに努力は要りません。あくる日に同じ場面になって、ひこっと忘れた検索語が浮かぶことがあります。記憶力って凄いです。
忘れてもいいように、できるだけ記録しています。記録の道具はもちろんスマホ。まずはノートというアプリです。メモを取るように文字で書き込んでいきます。日付を項目にして整理してデータを書き、内容によってホルダーに分類していきます。例えば、「2025」というホルダーに項目は 2025/01/01 から 2025/12/31 まで、毎日の記憶すべきことを書き込んでいきます。寝る前に書くとかはダメ、忘れるからです。できるだけ記録することが生じたその時に書きます。できないときはできるときにすぐです。そして夜の整理では必要のないデータを消していきます。凄いデータ量になりそうですが、映像と違って文字ですので知れています。2020年から5年分溜まってますが、ストレージに占める割合はわずかです。
カメラで撮った映像もすべて記録です。例えば写真に撮った電車・バスの時刻表や料金表などもデータです。映像はデータ量が膨大ですので、できれば外部記憶に移します。ウエブの記事もデータです。これもデータ量が大きいので、できればURLで記録します。必要な部分だけ印刷したりします。これで安心して忘れることができます。ここで最大の問題は、ここまでして残したデータを、ほとんど活用せず、見もしないことです。スマホの肥やしになるだけです。これを避けるためひと月・いち年単位で整理をします。使わなかったデータはできるだけ消します。残ったデータはテーマによってまとめます。テーマは固有名でまとめていきます。検索が早く正確にできるからです。くれぐれもスマホに使われないように。
02/12 消え去っていく
「一瞬」(02/11)で思い出したことがあります。若いときは一日や一年は同じ事の繰り返し(積み重ね)だと思っていました。この歳になってみると違うことが分かりました。一日や一年の時の流れは、過去の日時が増え残りの日時が減っていて、決して同じではないのです。若いときは圧倒的に長い一生の時間を目の前にしていましたから気がつきません。でも残り少なくなると動的な時の流れが切羽詰まって迫ってきます。一日一日は同じではないのです。
釈迦の初期経典の中に、諸行無常とは「すべての物事は一回きりで変わってしまい、同じ現象は二度と現れない。すべての現象は二度と元に戻らず、絶えず消え去っていく」と解説されています。誰も逆らえない真理です。さらに人の命も単なるひとつの現象にすぎないというのです。ローソクの炎と同じ、光り輝く現象もいつか消えます。油と酸素が変化する現象です。これらがなく(亡く)なれば消滅です。
抹香臭い話で恐縮ながら爺のメモです。同じ毎日の繰り返しと漫然と生きてきた爺の後悔で、すぐ忘れてしまいますから。そうそう、昨日春を告げるオオイヌフグリの花を見かけました。
02/11 一瞬か
喫茶店も原材料の値上がりで経営が難しく、昔から続く古い喫茶店が閉店しています。テレビでも、名古屋市内の66年間続いた純喫茶の閉店を伝えていました。コロナ以降赤字経営でも頑張っていたそうですが、店主の高齢化、店舗の老朽化でついに思い切ったそうです。最後の日、カーテンを引きドアを閉めながら、つぶやいた一言は「(喫茶店営業は)今思うと長いようでアッと言う間の一瞬です」。
いや、人の人生も死ぬ間際の一瞬、今日一日も終われば一日は一瞬、つらい時間も気がつけば過去の出來事、人が感知できるのは「今の一瞬」のみ。あっけないものです。未来は知れず、過去は単なる記憶。今の一瞬をどう生きているかがすべてです。喫茶店を閉める事でこの真実に気づきました。
(爺メモ) ご愛読いただきありがとう(web:061363)。
02/10 氷点下
昨日お寺で手水鉢に丸く氷が浮いているのを見ました。こんな光景は記憶がないほど久しぶりです。今朝はまたベランダの温度計が-1℃になっていました。外気温計が氷点下を指すのも記憶にありません。当地でも記録的な寒さです、記憶に間違いがなければ。20年ほど前は雪もよく積もりました(孫とよく雪遊びしました)し、今より寒かったように思います。温暖化が叫ばれ暖かい冬が続きました。この寒さには雪で苦労する人には悪いですが、多少安心するところも。この寒波が過ぎれば春ですね。
02/09 仏教の核心
法事があってお寺へ行ってました。いえ菩提寺ではなく知人の寺です。子供のときから見慣れた普通のお寺です。寺は法事があると連れていかれ、大人から仏教の話をよく聞きました。阿弥陀さんや地蔵さんなどの仏(ほとけ)、地獄や極楽の存在も疑わずに育ちました。もちろん今は全く信じていませんが。科学少年でもありましたから。
今の若い人はどうなんでしょう。これから先の時代、お寺が存続することは厳しい時代でしょう。本尊があって、金銀ギラギラの祭壇があって、意味不明のお経を聞く。何のことかさっぱり分からず違和感たっぷりの世界です。亡くなった人を極楽へ迎えに来る仏たちを描いた来迎図が掛かっています。平安時代の往生要集に基づいて描かれた絵です。熱心に念仏を唱えると、死ぬ間際にこのような感覚を得るということで、成仏を描いたものです。
一種の幻覚でしょうか。人間の多種多様な苦しみの中でも、死の苦しみが一番ですから、これから逃(のが)れるために必死だったのです。仏教は仏陀(お釈迦さん)から起きていますが、現存する仏教とは無関係です。お釈迦さんが説いたのは「諸行無常」の一言。これは誰もが認める真理です。幻想を説いたのではありません。諸行無常を悟ることで苦しみから逃れました。仏教の核心です。
02/08 虫メガネと老眼鏡
虫メガネを使っていると、針に糸を通すときのように、虫メガネを持つ手がほしいときがあります。以前、耳に掛ける眼鏡型のルーペというのがあったのですが、最近は見かけません。首を前後してピントを合わせますから、使い憎いだろうと敬遠していました。レンズの拡大率が上がるとピントの合う範囲が狭くなりますから、なおさらです。でも年齢がすすんで視力が落ちてきたためか、そうも言っておられなくなってきました。第一、ルーペ(虫メガネ)と老眼鏡がどう違うのかよく分かりませんでした。
老眼鏡を離して新聞などを見ると文字が大きく見えます。凸レンズなんだと納得します。虫メガネで文字を見ても大きく見えます。より大きくなります。どちらも同じ凸レンズながら拡大率が違うんだ、と理解。見た目以上にどれくらい違うのか、です。レンズの屈折率はD(ジオプトリー)で表します。強い老眼鏡のレンズの場合で2.0Dくらいで、実物の1.5倍くらいに見えます。1.8倍に見るためには3.0Dくらいのレンズが要ります。はっきり見える位置(ピントの合う位置)は一点だけで、その前後ではボケます。このピントの合う位置がDが大きくなるほど見るものとの距離が近くなります。このため近くがボケる老眼を補正するために、ピント位置を近寄せる凸レンズを使います。凸レンズの拡大する性質と、ピント位置を短くする作用を、それぞれ虫メガネと老眼鏡として利用しているようです。
老眼鏡は新聞や本を読むために、30cm位置くらいでピントが合うように調整して作ってもらいました。でもパソコンのディスプレーの全画面を見るためにどうしても50cmくらいまで離してしまいます。その分は眼に負担がかかるのか目が疲れます。逆に手が3本要ることでは、妻の老眼鏡と重ねて掛けることで解決します。かなり拡大できますから、これは便利です。ちょっと格好は悪いですが。
02/07 耐寒気温が5℃も
今季最強の寒気団の襲来というだけあってよく冷えます。我が家の暖房は灯油ストーブと空調機です。起きたときや外から帰ったときなど室温を一気に上げたいときはストーブ、上がった室温を維持したいときは空調機です。それに起きている間は居間のコタツが入れ放しになっています。日中に寒くなると暖房しますが、その暖房を入れる契機になる室温は、歳(年齢)を取ると共にだんだん上がってきました。若いときは「10℃切るとちょっと寒いね」だったのですが、最近は15℃まで下がると「暖房を入れるね」です。80代老夫婦二人の「寒くて辛抱堪らん耐寒温度」が上がっています。ですから最近は暖房を入れている時間が長くなって、家計上の問題も。
老化で皮下脂肪が薄くなって寒いのでしょうか。新陳代謝が下がって体温を作る力が弱まったのでしょうか。いずれにしても年入ると寒いのです。最近まで気が付きませんでした。でもそう言えば若いときは薄着だったのに、最近やたらと着込むようになっています。それに寒い外へ出るのも億劫(おっくう)になっています。厄介な老化現象なのです。
02/06 何度読んでも
何度読んでも笑いがこみ上げてきます。貝原益軒の『養生訓』の一節です。
[132] 世に富貴・財禄をむさぼりて、人にへつらい、仏神に祈り求むる人多し。されどその印なし。無病長生を求めて、養生を慎み、身を保たんとする人は稀れなり。富貴・財禄は外にあり。求めても天命なければ得がたし。無病長生は我にあり、求めれば得やすし。得がたき事を求めて、得やすき事を求めざるはなんぞや。愚なるかな。たとひ財禄を求め得ても、多病にして短命なれば、用なし。(『養生訓』)
(爺メモ) 続けてカウンタの数字が上がっています(061353)。
02/05 えっ、カウンタが
カウンタの数字が上がっています。誰か見て頂いているのでしょうか。うれしいですね。ブログの表題通り自分のために書いていますが、それが少しでもお役に立つことがあれば望外の喜びです。SNSも多種多様になりました。このサイトはネット時代初期の、広告や金銭の一切絡まない素朴なスタイルを続けています。言わばデジタル縄文サイトです。ご支持をお願いします。
いま一時的な視覚障害の閃輝暗点(せんきあんてん)が起こり、画面が見づらくなっています。突然視野の中心部がボケはじめ、ギラギラ光りながらドーナッツ状(円環状)に広がっていき、20分もすれば視野の外へ出ていき回復します。それまで休憩・・・。
眼より脳神経の不調のようで、一般的に起きるいわゆる星が散る症状に似ています。寒いためか最近よく起こります。病気のようにみえますが、医療の対象にされず老化現象のようです。老化現象なら辛抱強く付き合うしかありません。
(爺短信) 13:30/今季最強の寒波が列島に襲来、日本海側は記録的な豪雪。当地も吹雪になるが1時間ほどで止む。室温8℃(起床時の外気温2℃)。
02/04 大寒波襲来
晴れてはいるが風が強い(西9m)。日本海側の北陸と東北が大寒波襲来で、テレビは豪雪のニュースで大忙し。すだれが風に当って時おり大きな音がする。空き箱を物置に入れたのは正解だった。で、買物も今日は休む。
ヒヤシンスの花が終わった。花びらが萎れ枯れてきたので、全部摘み取った。このまま葉が枯れるまで時おり水をやるという。花がないと淋しい。
02/02 節分
今年も早やくも一月が過ぎた。今日2日は節分で、明日3日は立春。閏年調整の関係で例年より一日ずれるらしい。北日本は今季最強の寒気到来というが関東以南はそうでもない。明け方珍しく小雨が降ったようだ。この頃の起床時間は早いと7時、遅いときは8時ごろである。たまに寝不足のときは9時になることがある。冬の間は起きたときこそストーブを焚き空調を動かすが、だいたい10時を過ぎれば暖房は要らなくなる。
今は夜間頻尿と便秘、ふらつきに困っている。いずれも加齢による老化現象で、医者に掛かるほどではない。だがいずれもこれ!、という治療法はなく、辛抱強く付き合っている。半年ほど続けたアリナミンを止め、先月20日から養命酒に変えている。どちらもとくに薬効を感じないが、気安すめである。
夕食にはイワシの甘露煮が出た。
01/28 夜間頻尿
最近また夜間排尿のため2回ほど起きる。夜間覚醒の記録を調べてみると、22日からここ1週間ほどは毎晩2回起きている。それ以前は1回である。だがさらに2020年(80歳)まで遡ってみると2回はおろか3回の時期もある。しかも各年とも漢方薬の八味地黄丸を服用している期間がある。老化により委縮した腎機能は戻るわけはなく、夜中に一回起きるのは仕方ないとして、2回以上起きる場合に夜間頻尿としてカウントしている。
夜間頻尿は基本的にはそれ自体病気ではなく老化現象であり、過度の心配はいらないし根治も難しい、という。高齢になって生活・身体・生理が変化したにもかかわらず、漫然とそれ以前からの生活習慣を変えないことが原因である。お茶・コーヒー・ビールなど水ものを無造作に飲み放題に飲んでいた若いときは体が対応できても、高齢になると腎臓や膀胱にとってオーバーワークになる。つまり夜中にトイレへ立つのも生活習慣病なのである。
以前、水ものを極端に控えてみたら脱水様の症状に悩まされた。口とのどの異常な渇(かわ)き、便秘、むくみ、尿の異常、夏の熱中症など。やはり必要な水分は不可欠。無造作に飲んでいた水ものを意識的に少し控える。飲まなくても済む無駄な水ものは飲まない、で様子をみる。
MEMO:「20121130,0245,web,『魏志倭人伝』の里は歩幅25.5cm×3≒76.5cmの100倍である、を発見」、76.5cmは1歩か。卑弥呼墓百余歩は80m位の円墳か。
01:27 URLをメールで送れない
開いているウエブページでメールアプリ(Gmail)を立ち上げると、閲覧中のページのURLが自動的に挿入されていて、送信先を指定するだけであった。この機能が作用しなくなった。URLをメールにコピーすればいいのだがやはり面倒。色々やってみるが戻らない。何か勘違いしているのか。
01:26 HP立ち上げ
HPを閉鎖していたが、日常の出来事を記録するため「爺の覚え書き」を立ち上げた。公開を前提としたものではなく、あくまでも私的な覚え書きである。記録であるとともに脳ミソの整理であり、衰退した記憶力を補うためである。
01/18 ヒヤシンスが咲いた
特に暖かい日ではないが良く晴れた気持ちのいい日だった。釣られてコタツのカバーを洗濯した。先日コーヒーを思い切りこぼしたからである。最近どうも手元が危ない。
ついで正月に買ったヒヤシンスも陽気に釣られてか、淡いピンク色の花を咲かせた。買ったときは球根三つにつぼみが付いていたが、つぼみをひとつ指が当たって落としてしまった。今は咲いている花とつぼみが一つづつ。花は一つの球根に小さな花が密生して、下から上に咲いていくタイプである。しばらく楽しめそうだ。
01/15 メモ:猛暑災害
気象庁によれば2024年夏の平均気温の平年差は過去最高を記録した。総務省の統計で5-9月に熱中症で救急搬送された人が9万7,578人と、08年の調査開始以来最多に。死者も一千人を超えることが常態化し「猛暑災害」の状況だ。(20250115/朝日新聞)
01/14 散歩
最近とみに「する事」がなくなってきた。いや出来る事がなくなってきた。定年で仕事を終えて、以後20年ほど好きな事をして過ごしてきた。主として温泉巡りだった。旅行と写真の趣味を満たしてくれるからである。そして古代史である。古代史はネットにつなげ、パソコンの趣味にかなう。これらの趣味が充実した生活を保障してくれた。
歩行能力が衰え、交通機関も立っては乗れない。ひとり旅を含む旅行は体力的に難しくなった。古代史は学会を牛耳ってきた大和王朝説がついに瓦解。江戸時代の本居宣長の『古事記伝』以来の天皇一元説が、証明なき仮説であることを露呈。九州説も立証に至らず、日本の古代史は無きも等しい状況に立ち至った。写真もスマホの普及で、写真は万人の物となり趣味として成立せず。一生を貫いてきた趣味は時代の流れに流され、何もなくなった。
とて、何もせず終日ボケーとテレビばかり見ていては健康を損なう。意識して体を動かすと体力を維持できることは体験済みである。そのため家の掃除と散歩で何とか体を動かしているが、余生を伸ばし充実したものにするにはどうしらいいか、思案のしどころである。今までのような誤魔化しは効くまい。庭いじりやパソコンがあるか。
01/13 水撒き
ひょっこり目が覚めて、枕元の小さな時計を見ると7時半。7時半起きが目標だから、ラッキーとばかり起き上がると、なんと柱時計は6時半。寝ぼけてまた布団をかぶったが寝つけず、結局7時に起きた。外は快晴、風も治まり室温も13℃。前日までの列島を覆う今季最強寒気団が嘘のよう。テレビは北日本の豪雪風景と共にインフルエンザの爆発的な流行を伝える。湿気に弱い菌のため、玄関先から庭と家の周りを念入りに散水した。気休めも大事。朝食のコーヒーは手間のかからぬインスタントにした。妻の買い置いたものだ。