州崎舘跡
上ノ国の町の北の外れ、海沿いの小高い丘の上にあるのが州崎舘跡だ。1457年に発生した和人の鍛冶屋と小刀を発注したアイヌとの間に発生した言い争いに端を発するコシャマインの戦いにおいて当時の蝦夷地を支配していた安藤氏の家臣であった武田信広が上ノ国花沢館館主である蛎崎季繁とともに戦い、めざましい活躍を見せたことから季繁に気に入られ、武勲として季繁の養女である安東政季の娘を妻とし、武田信広の新居として1457年に築いた館跡である。その後、夷王山に勝山館を作り移転したことでこの州崎舘跡は廃城となったが、武田・蛎崎氏が道南和人社会の中で支配者として成長する基礎を固めたところであり、さらに和人勢力の移り変わりを知ることのできるところとして貴重な遺跡となっている。近年になってから中国銭2500枚や中国製青磁、白磁、国産の珠洲系陶器や人骨などが出土している。しかし州崎舘のあった場所には現在は砂舘神社があり発掘調査などはほとんどされていないことから館の内部構造など詳細はわかっておらず遺跡等は何も残っていない。神社の入口に州崎舘跡の碑があるが上まで登っても州崎舘跡を伺わせるものは残念ながら何も残っていない。入口には州崎舘跡の碑の他、砂舘小学校跡の石碑もある。
州崎舘跡データ
展望 :-
資料性:★★☆☆☆
観光客:★☆☆☆☆
お勧め:★☆☆☆☆
期間:通年
お勧め:昼間
費用:無料
施設:-
電話:-
郵便:049-0622
住所:檜山郡上ノ国町字北村82-1
北緯:41.8100
____:41°48'35"95
東経:140.1179
____:140°07'04"50
マップコード:807794797*21
MGコード:-
マップル地図:2H-3
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