第4章キリスト教布教
 まず大陸ゲルマンの改宗からみていく。
 ノーサンブリア王エドウィンは、改宗を決心し、会議にかけてみた。そこで出た意見は、「神々に仕えたのに充分に報いられない」という意見であり、改宗となった。(『キリスト教史I』による)また。たいていのゲルマンの部族がアレイオス派であったなか、496年に洗礼を受けたクローヴィス1世はカトリックであった。これは、最大の敵西ゴート王アラリック2世がアレイオス派であったのに対して、味方であるアナスタシウス帝がカトリックであったと彼が思ったためである。(『図説キリスト教文化史I』による)以後の他部族への攻撃は異端アレイオス派の制圧を口実として行なわれた。(『キリスト教史I』による)そして751年、フランクの臣下であったピピン三世はクーデターを起こした。その時教皇に国王廃位の是非をたずねている。(『キリスト教史I』による)つまり教皇を自分のクーデターの後ろだてとして利用していたのである。クローヴィスは思いがけない勝利を得たことからキリスト教を受け入れた。(『図説キリスト教史I』による)
 大陸ゲルマンの改宗には、かなり政治的な意図があって、必ずしもキリスト教教義に賛同したためではなかった。
また、改宗の大きな立て役者の一人、カール大帝のやり方もかなりひどかった。トーテムをこわし、武力で改宗させていったのである。このあたりは聖なるオークを切り倒したボニファティウスにも言えることである。そしてカール大帝は従わなかった4500人を反逆者として虐殺した。アマンドゥスは洗礼を無理に受けさせるようダゴベール1世に頼んでいる。(『図説キリスト教史I』による)
 北欧のゲルマン人から、キリスト教の受け入れ方を見てみる。
 ある時洗礼を受けさせるためにスカンジナビア人を集めたが、彼らは洗礼服の白い布が欲しくてやってきたのであって、純粋にキリスト教に帰依しようとは思っていなかった。また、現在まで残った石鹸の鋳型を見ると、トールのシンボルであるハンマーと十字架が同時に作れるようになっている。(『図説ヴァイキングの歴史』による)また洗礼の準備段階である十字章を受けるものも多かったが、これを受けるとどちらの宗教であるとも言えたからである。つまり異教徒とキリスト教徒両方と交易できた。「キリスト教徒のサガ」によると、アイスランドでは1000年にキリスト教を受け入れることが決まったが、ひそかに異教の習わしを続けることは認められていた。他のサガなどにも、キリスト教の神とこれまでの神の力を比べたり、布教者に神明裁判を受けさせて、よしと出たから改宗するといった例がよくみられる。(『サガとエッダの世界』による) また、改宗しキリスト教支配が完全にできあがった後も、ミサはラテン語で行なわれ、一般民衆にはよくわからなかった。聖書は呪文として聞かされ、俗人には読めなかった。キリスト教徒であるには、使徒信教と聖母の祈りを知ってさえいればよかったのである。(『中世の森から』による)また聖職者であるからといって教義をちゃんと理解しているとは限らなかった。民衆レベルでは、キリスト教の受け入れは、現世利益を求めるか、経済的な問題で行なわれた。
 キリスト教布教は決して純粋に愛と許しを説いたものではなかったのである。神の刷りかえが行なわれ、教会・ゲルマン支配者が互いに利用しあい、「剣かバイブルか」という側面もあった。民衆レベルまできちんとした教えは届いていなかった。これが布教の実状だろう。
 では、その実利的なことや、脅されたことによって改宗していた人々は、改宗以前には、どのような感情を木に対して持っていたのだろうか。
         第5章 ゲルマン民族の樹木信仰
a.外部からの観察記録
 ゲルマン人達はかなり遅くまで彼らの文字をもっていなかったので、古代の生活を知ることはむずかしい。しかし、ローマ人やキリスト教宣教師達が彼らについての記録を残しているので、まずはそれらを通して彼らの宗教を探ってみる。
1.『ゲルマーニア』より
 『ゲルマーニア』は、ローマの歴史家タキトゥスによって書かれた記録である。タキトゥスが直接見聞きしたことを書いたのではなく、又聞きによるものであるので、信憑性に欠けるところがあるが、貴重な資料といえる。(Cによる)
 第9章では、ゲルマン人の神々がローマの神々に例えられている。ここで挙げられた神々には犠牲が捧げられ、また、森や林も捧げられている。建物を作って神を奉るようなことはしていなかったらしい。
 第10章では、ゲルマン人の占いについて述べられている。果樹から切りとった若枝をさらに小さくし、印をつけて白い布の上に無作為に巻き散らす。公の占いの時には司祭が、私的な占いの時には家長が、神に祈り天を仰いでその中から3つ取り上げて、それらについていた印にしたがって解釈する。結果が凶であったとき、同じ日のうちに再び占うことは許されていないという。同じ10章に、第9章にある林や森の中で、人間の普段の作業に使われたことのない白い馬が養われていた、ともある。
 ゲルマン人の諸部族について述べている章のうち、スエービー族について述べている章がある。第39章である。それによると彼らは、一年のうち定められた時期に、一族全てが、先祖代々神聖であるとされた森に、使節を通して集まった。そして人身御供を一人捧げ、秘儀を行なうという。そしてその森では、自分を、神よりも劣り、神の力を拝む者であるとして、鎖で縛られずに入ることは許されないという。また、転んだ時には立ち上がることは許されず、転がって外に出ることとされている。彼らの支配者である神がそこにいて、スエービー族の信仰の全てがこの聖なる森に向けられているという。
 第40章には、ランゴバルディー族についての記述がある。彼らはネルトゥスという女神を信じ、その女神は人間の全てに介入するとされている。また、とある島に、斧が入ったことのない一つの聖林があり、そこに女神に捧げられた、神聖な小さい車があって、その車は布で覆われていて、たった一人の司祭だけがその車に触れることが出来た。その車に女神が宿ったと司祭が判断すると、車は子供を産んだことのない雌牛にひかれ、車が行った場所で祭りが行なわれる。それが終わると司祭はその車を林に帰すという。
 第40章では東方スエービー族についてふれられている。その東方スエービー族はさらにいくつかの部族に分かれていて、うちナハナルワーリー族は、古代の信仰にかかる聖林をもつとされている。そこでは女の格好をした司祭が祭を管理していて、偶像はないとされている。
(以上全て岩波文庫泉井久之助訳注『ゲルマーニア』による) 
以上が『ゲルマーニア』の中でゲルマン人の樹木信仰についてふれている部分である。また、同じタキトゥスによる『年代記』では森の中に祭壇が設けられていたことや、「ヘルクレスの聖林」があったことが記録されている。(Cによる)ローマ人が彼らからみた「蛮族」の振舞いを必要以上に荒々しくえがき、また素朴さを賛美した傾向は否めない。だが、それらをのぞいても、ゲルマン人が森や林に対して畏敬の念を抱いていたことはわかる。
2.ブレーメンのアーダムによる観察
 北ヨーロッパでの9世紀から11世紀のキリスト教布教活動の資料として、ブレーメンのアーダムという人物が書いた『ハンブルク教会司教史』がある。アーダムは若い頃異例の抜擢により出世した。そしてライフワークとして布教活動を書き留めておこうとしたのである。これも含めて、キリスト教布教者による記録は異教への偏見のある人物の手によるものであるから、そのまま受け取ることはできないが、悪意に満ちた記述も、その裏側を見れば異教の儀式の存在を裏付けるものである。この『ハンブルク教会司教史』の第4巻は、北方の国々について述べている。北欧は最後までよくゲルマンの風俗を残していたところである。これを通して当時の信仰を探ってみよう。
 中でも注目されるものにスウェーデンについての一節がある。
 この民族はウプサラに神殿を持っていて、空中を支配し、雷、雨、風、日光、豊饒を支配する神トールがその神殿の中心にいる。そして右には戦争を指揮し、敵に対抗する力を与える神オーディンが、左には人間に平和と快楽とを贈る神フレイがいる。彼らには生け贄が捧げられる。9年ごとに全スウェーデン共通の祭が行なわれ、全ての人間が参加しなくてはならない。その供犠祭では、動物の雄が9頭づつ持ち出されて、その体は神殿を取り巻く森に吊される。異教徒にとってその森は神聖であるから、そこの木の一本一本が供犠によって力を得るとされている。かつては72の死体がぶら下げられたという。ここのことを司教(アーダムではない)が聞いたとき、ここを焼いて民衆を改宗させようとしたが、他の人間がやめさせた。それでも彼らは偶像を破壊し、人々を改宗させた。
 神殿の側の森について、アーダムは、神殿の側に巨大な常緑樹と、生け贄の行なわれる泉がある、と補遺で述べている。(Cによる)
 ここからは明らかに神聖なものと森や木が見なされていたことがわかる。また、彼らの供犠の方法が木に吊すものであることも確認できた。3.『ゲスタ・ダノールム』
 『ゲスタ・ダノールム』はデンマーク中世で最も偉大とされる歴史家、サクソ・グラマティクスによって書かれた。ルンドの大司教に依頼され愛国心に動かされて書いたものである。内9巻目は異教時代について、アイスランド人に取材して書いている。それが故に異教時代の習俗がよく残されている。
 魔術についての記載の中に木に係わるものがある。
 死者を生き返らせるときには、木に呪文を彫って死者の舌の下に挟む。また、木の皮に書かれた呪文は狂気を起こすという。
 呪文については多く、霧が起こされたり、雨なども呼べて、敵の刀をなまくらにする事もできた。(Cによる)
 b.で述べたウプサラの神殿では森についてが主だったが、ここでは露骨に木を使った魔術が行なわれていたこと、つまり木になんらかの力があるとされていたことが確認できた。
4.『迷信及び異教的習慣の一覧表』
 この成立年代はだいたい9世紀はじめとされる。ラテン語の短い30の文章から出来ていて、内容は改宗を徹底させようとする人間の注意すべきことの一覧表であるとする説が有力である。
 「nimidasと呼ばれる森の供犠について」という文がある。ここから、森で供犠が行なわれていたことが読み取れる。このnimidasという言葉は、ゲルマン語にはなく、古代ケルト語からの借用語で、ラテン語のnemus(森、聖林)、ギリシャ語のnemos(牧場、森)と同系統である。
 「木をこすりあわしてつくられる火、すなわち浄火について」という文がある。木と木とをこすってつくった火には他の火にはないなんらかの特別な能力があったということだろうか。印欧語族の間ではこのやり方でつくった火は家畜の病気に効果があるとされていた。
 「神聖な場所として彼らがあがめる不確かな場所について」という文の「不確かな場所」は教会の認可が下りてない場所である、とする説が有力である。具体的な場所としては丘や泉の側、オークや菩提樹の下が考えられる。(Cによる)
 かすかな断片しか残ってない資料であり、こちらが他の資料と突き合わせてその意味を解釈するしかない不安定なものである。しかし、その断片からでも、森や木が力を持つものとして捉えられていたことが読み取れる。 
5.まとめ
 外部の記録は偏見が交じり、信用できない部分もある、しかし客観性もある程度備えている。何より、人は自分自身にとって当り前であることは自らは気付きにくいものである。外部の人間の文書は内部の人間が見落としていたかも知れないことを伝えることが多々ある。故にこれまでみてきた文書からは、ゲルマン民族の間に木に対する信仰が確かに存在したことが読み取れる、といって差し支えないだろう。
b.法律
 ゲルマン人の様々な取り決めに時折木が重要な役割を果たすことがある。それについてみてみたいと思う。
 裁判を行なうときに、その場所を区切るのははしばみの枝とされていた。この木は聖なる木とされていたらしい。
 また、債務者が債権者にヴェッテと呼ばれるものを渡すことになっていた。これは木の枝かわらしべで、債務を負った者の全人格を表すと見なされていた。つまり信義のシンボルであり、債務を実行できないときには自分自身を債権者に渡すという意思表示だった。そしてそのヴェッテとしてはオークの枝が好んで用いられた。このことについては、二つの説がある。印欧語の木dreu-woとギリシャ語のオークdrusとが結びついてゲルマン系語「誠実」の Treueとなったという説が一つ、逆に変わらぬものという語幹がはじめにあって、それが木一般をさす言葉となり、最後にオークに結びついたという説が二つめである。どちらにしろゲルマン人達はオークの太く高くそびえる様子に永遠不変なものを見いだしたのだろう。(『中世の窓から』による) 
 古代ゲルマン人には、処刑はただ犯人を殺すためだけのものではなく、神に生け贄を捧げる儀式であった。このことは9世紀のフリースランド法に「聖所を破り、そこで何か神聖なものを持ち去る者は、海辺の、満潮の時に潮に蔽われる砂浜に連れてゆかれ、犯された神殿に祭られる神に捧げられる。」(28)とあることからわかる。また、処刑場とされたところが川や泉などゲルマン人が神聖であると見なしたところであったことからもうかがえる。
 その儀式には多く木が用いられている。アレマンネン族の判決文を見てみる。
「余は以下の通り判決す。この哀れな男を新しい綱によって明るい〔葉の落ちた〕絞首木に吊し、天と地の間にあたかも頭が絞首木に届くまで、そしてその下に木の葉や草が生えるように高く吊し、そこで綱の絞首によって死に至らしめんことを。そこで死して腐り、その体は絞首木に吊したままに放置し、空の烏のついばむにまかせ、地面から遠ざけ、以後いかなる人も物もこの男によって被害を加えられざらんことを。」(29)
 ここでははっきりと木を用いることが定められている。そのほかにも斧で落とした首を葉を落とした木の枝に突き刺したりもする。(『刑吏の社会史』による)
 供犠を捧げる道具に木が使われることがはっきりと明言されているということは、木が供犠のための道具にふさわしいものとされていたということではないだろうか。
 様々な法律についてみてきたが、いずれにおいても木が特別な役割を果たしていることが確認できた。その役割は神聖な物、もしくは神聖なことに使われる物としての役割である。ここからも木に対して信仰があったことが確認できるだろう。
c.ケニング
 ゲルマンの遺風を最もよく残している、アイスランドの詩にはケニングと呼ばれる独特の手法がある。ある言葉を巧みに言い替える手法で、多くは神話をもとにしている。
 例えば「ブリの息子の蜜酒を醸す」といえば、「詩を作る」ということになる。ここでは二重のケニングが使われている。まず、「ブリの息子」とはオーディンのことをさす。アイスランドに伝わる神話では、太鼓の牛アウズムラが塩の固まりをなめて、その固まりから出てきたのがブリ、その子供がオーディンだからである。ここで「オーディンの蜜酒を醸す」という意味であることがわかる。さらに「オーディンの蜜酒」であるが、これはオーディンが巨人のところから飲むと詩を作る才能が与えられる蜜酒を盗んだことに由来し、この蜜酒を醸すことが詩を作るということになった。このようにケニングを多用し、しかも韻を踏まねばならない詩を即座に作り上げることは専門家でないと不可能である。彼らはスカルドと呼ばれ、ノルウェーの宮廷では高い地位を与えられた。また詩を作ることは王に欠かせない教養の一つとされている。(Cによる)さほどに重要視されたケニングからは、北欧の人々が物事をどの様にとらえていたかが読み取れるだろう。
 バイキング時代に使われたケニングの中で木に係わるものはないか拾ってみたい。まず、バイキング達の戦いに使われた剣を表すケニングには、「殺人の枝」、「傷の枝」がみられる。そしてその乗り物である船には「浪をゆく樹」、「潮流の楓」がある。(30)
最も誉れ高い職業であった戦士や男を表すケニングに木がよく現れる。「勝利の白樺」、「盾のニレ」、「槍の木」などである。(31)「オーディンの樫の樹」(32)「切り込みを延ばす矢雨の樹」(33)、また息子のことを表現するのに「余のうちより生い育ちし一門の /我が妻の若枝」(34)ともいう。「風のマントの馬の樹」(35)などは三重のケニングが使われている。同じ巧みなケニングに「ヘジンの娘の出会いの多くの樹」(36)がある。もっとすなおなものに「兜の樅の樹」(37)「戦いの樹」(38)というものも見られる。まだ他にも数多くある。
 また女性も多く木で例えられている。「ベンチの菩提樹」、「黄金の腕輪のモミ」、「首輪の柳」(39)などである。 
 ケニングの成立についてはいろいろな論議が戦わされている。タブー語からきたとする説、純粋に詩の作り方の問題とする説などである。(Cによる) どれが正しいかなどを筆者に特定することは困難である。しかし、これら宮廷で誉めそやされ、人々が好んで用いたケニングに木が多く現れているということは、北欧のゲルマンの遺風を残した人達が木に並々ならぬ関心を払っていたということは確実に言えるだろう。
d.ルーネ文字
 ゲルマン諸国語がラテン語で書かれだしたのはかなり遅く、一番早かった英国で7世紀、スカンジナビアでは11世紀である。それ以前の文字としてはゴート文字があるが、現存する例があまりにも少ない。もうひとつ、興味深く、豊富に現存する文字として、ルーネ文字がある。3世紀から14世紀にかけてグリーンランドから黒海沿岸にかけて広く用いられた。ルーネ(Rune )という言葉の意味は、あちこちの言葉にみられる。ゴート語runaは、「秘密、相談、神秘」、古英語runは、それにくわえて「ささやき」、動詞のrunianには「低い声で話す、ささやく」との意味がある。古高ドイツ語runaは「秘密、秘密の相談」、動詞runenは古英語と同様の意味である。古アイスランド語runは「秘密、魔法のしるし、ルーネ文字」との意味を持つ。この言葉の意味は「秘密」であるとして差し支えないだろう。(Cによる)
 ルーネ文字は表音文字としても使われたが、単独で用いられるとそれぞれが意味を持つ表意文字となった。(Cによる)日本の万葉仮名と似たような使い方と思えばいいのだろうか。ルーネ文字の意味としては、その時代でいろいろな使われ方をし、様々な説があるが、樺やいちいなど神々や自然物に多くつながっている。また、その彫られる場所としては木が最も多かった。「秘密」という意味を持ち、木とつながりのあったルーネ文字がどのような使われ方をし、どの様な力を持っていたとされたのかを見てみよう。
1.「エッダ」より
 「エッダ」は古代アイスランドの神話詩や英雄詩を集めたもので、ゲルマン研究のもっとも貴重な資料とされる。成立年代はある程度おぼろげに推測できるが、作者となると全くの不明である。(『エッダ-古代北欧歌謡集』による)だがゲルマン人の精神をよく伝えていることは確かで、ルーネ文字に係わる記述も多いので、見てみたい。
 まずどの様にルーネ文字が出来たかを語っている箇所からみていく。「オーディンの 言」81節に次のようにある。
「お前がルーネのことをたずねたとき、いと高い神々がつくられ、大賢人(オーディン)が描かれた、神々に由来するもののことがわかった。」(40)とある。ルーネ文字は神々に由来するものであることがわかる、さらに詳しいことがおなじ歌の139節から140節までに述べられている。
「わしは、風の吹きさらす樹に、九夜の間、槍に傷つき、オーディン、つまり、わし自身にわが身を犠牲に捧げて、たれもどんな根から生えているか知らぬ樹に吊りさがったことを覚えている。/わしはパンも角杯も恵んでもらえず、下をうかがった。わしはルーネ文字を読みとり、呻きながら読みとり、それから下へ落ちた。」(41)
 ルーン文字は神の長たるオーディンが犠牲となって得られた文字とされていた。
 使い方であるが、「オーディンの 言」142節に
「ルーネをお前は見出すだろう。知恵者が描き、偉大な神神が作り、神々のフロプトが彫った占いの棒、すこぶる大きな、すこぶる堅い棒を。」(42)とある。何かに彫りつけるものとされていたということだろうか。また、同じ歌の第158節では
「首を絞められた者が木にゆられているのを見るときは、第十二にまじないをわしは知っている。わしがルーネ文字を彫りつけ、書くと、男は歩き出し、わしと語り出す。」(43)
とある。ルーネ文字には生命力を蘇らせる力があると見なされていたということだろうか。
 ルーネ文字の使用法について豊富に述べられているのが「シグルドリーヴァの歌」である。後代のブリュンヒルドにあたるシグルドリーヴァがシグルドにルーネ文字の使い方を教える件である。第6節から始まっている。「戦の樹(勇士)よ、力と名声の混ぜられた麦酒をおもちしましょう。その中には呪文と医療のルーネと効き目の強い魔法と愛のルーネがいっぱい入っているのです。/勝利を望むなら勝利のルーネを知らねばなりません。剣の柄の上に、あるいは血溝の上に、また、剣の峰に彫り、二度チュールの名を唱えなさい。/信じている女に欺かれたくなかったら、麦酒のルーネを知らねばなりません。角杯の上に、手の甲に彫りなさい。爪にナウズのルーネ( )を印しなさい。ー中略ー/妊婦の分娩を助けたければ安産のルーネを知らなければなりません。手の平にそれを彫り、関節を伸ばし、それからディース達の加護を願いなさい。/帆の馬(船)の安全を願うなら浪のルーネを使わなければなりません。舳先と舵の上に彫り、櫂に焼き込まねばなりません。高浪は治まり、波が黒くもならず、無事に港に着ける。/医者になって傷を見ようとするなら枝のルーネを知らなければなりません。樹皮の上に、東にむかって枝を垂れる森の樹の上にそれを彫りなさい。/誰からも恨みを憎しみで返されたくなければ雄弁のルーネを知らなければなりません。人々が法廷に行く民会でそれを編み、織り、すべて組み立てるのです。/誰よりも賢くなりたければ知恵のルーネを知らなければなりません。ヘイズドラウプニルの頭から、ホッドロヴニルの角杯から、滴った飲物でフロプトが解釈し、彫りつけ、考えをめぐらしたものです。/彼はブリミルの剣をひっさげて岩の上に立ち、頭には兜をかぶっていました。/その時、ミーミルの頭は思慮深くその最初のことばを語り、ルーネでしるされた真の知恵を告げた。/ルーネの彫られるところといえば、輝く神(太陽)の前に立つ楯の上、アールヴァクの耳の上とアルスヴィズの蹄の上、ルングニルの車の下でまわる車輪の上、スレイプニルの歯の上、橇の滑り木の鉄の帯の上、/熊の爪の上、ブラギの舌の上、狼の爪の上、鷲の嘴の上、血まみれの羽の上、橋頭の上、救う者(産婦)の手の平、救い手の足跡、/ ガラスの上、黄金の上、人々の護符の上、葡萄酒、居心地のよい椅子の中、グングニルの先、グラニの胸、運命の女神の爪の上、梟の嘴の上。/彫りつけられたものすべては削りとられ、神聖な蜜酒の中に混ぜられ、遠くへ運ばれました。/それはアース神のもとにあり、妖精のもとにもあり、賢いヴァンル神も人間たちももっています。/それが樗のルーネ、それが分娩のルーネ、麦酒のルーネのすべて、邪説を避け、固く信じて自分のために使用する者にとり、すぐれた力のルーネ。これを学んだなら神々が滅びるまで使いなさい。/さあ、鋭い武器の樹(勇士)よ、選びなさい。どう選ぶかはあなた次第です。いうか黙るかお決めになったのでしょう。災いはすべてあらかじめ決まっているのです。」(44)
長々とルーネについて語っているが、ルーネ文字の神聖さ、力がありありと出ている箇所である。ほとんどありとあらゆるところに彫られて使われるが、運命の女神の爪の上やグングニルの先など到底不可能なところをのぞけば、やはり自然物の上が主である。また、医療用のルーネとして木に彫りつけるルーネ文字が、最後のルーネ文字の列挙の節でぶなのルーネ文字が筆頭に挙げられているのも興味深い。前者はさきに挙げた死者を蘇らせるルーネ文字と絡めて、木に彫ったルーネ文字は生命力を宿すとされていたということだろう。
 「スキールニルの旅」にはルーネ文字のネガティブな使用法が出てくる。フレイが見初めた、巨人の娘ゲルズをフレイになびかせようと努力するスキールニルが、どんないい条件を出してもうなづかないゲルズに腹を立て、脅しに出る節である。
「ー前略ーあなたにはスルスのルーネ文字と、ほかに肉欲、狂気、不安の三つの文字を彫ろう。ですが、必要があれば、彫ったとおりを、削って消してあげますが」(45)
 この脅しでゲルズは態度をかえ、九夜の後に森でフレイと会うことを約束する。ルーネ文字の呪文の恐ろしさを示すところである。と同時に削り取ってしまえばルーネ文字には効力がなくなることを示している。忘れ薬としてもルーン文字ははたらいた。「グズルーンの歌」で、グズルーンは忘れ薬の中にはあらゆる種類のルーネを彫ったりした木片が入っていたといっている。(『エッダ-古代北欧歌謡集』による)
2.各サガより
 サガはエッダとは違い、当時の現実の人々の様子をありありと伝えてくれる。そのサガにもルーネ文字のことを伝えてくれるところがある。サガにおけるルーネ文字の使用例を見てみたい。
 「エギルのサガ」には、エギルが詩人であったためか(エギルは実在した人物である)、よくルーネ文字が出てくる。毒杯を進められたエギルは、その杯にルーネ文字を刻みつけ、自分の血を塗り、その酒が自分にとって安全かどうかたずねる詩を歌った。するとその杯はまっぷたつにわれた。ルーネ文字の力の強さがうかがえる。また、エギルはエイリーク王に追放されたことに対して、彼に復讐した。その後、エギルははしばみの棒に馬の頭を突き刺し、呪文を唱えて言った。(『アイスランド サガ』による)
「ここに侮辱の棒を立て、この侮辱をエイリーク王とグンヒルド王妃に向ける」(46)
そしてその棒を島の奥に向け、土地神にエイリーク王と王妃の追放を望み、棒を岩の割れ目に突き立てて棒にルーネ文字を刻み、呪文を書いた。(『アイスランド サガ』による)ルーン文字の効用と、はしばみの枝の力の両方がうかがえる。この棒は、「みずうみ谷家の人々のサガ」にも出てくる。ここでは杭に人間の頭を刻みつけ、悪党を呪った文句をルーネ文字でその横に刻みつけ、雌馬の死体をその杭で貫いている。同じサガで、これが立てられたときには神の怒りをうけ、立派な人々の集まる席からはじき出されるとされている。また、名前はニドスタング(嘲りの竿)であるとされている。(『北欧神話と伝説』による)杭とはしばみの枝の違いはあるが、棒とルーネ文字が結びついたときの力をありありと語っている。
 また、エギルが老いたときに、エギルの息子は海で死ぬが、その嘆きの歌はルーネ文字で木に彫りつけられている。(『アイスランド サガ』による)
 「エギルのサガ」と同じく実在の人物について書かれた「グレティルのサガ」にもルーネ文字の魔術は出てくる。
 グレティルはあるとき年老いた魔女を傷つけた。その魔女は仕返しに海岸に行って大きな木の根を見つけ、それにルーネ文字を彫り、自分の血で紅く染めて、魔法の呪文を唱えた。そして太陽の進行方向と逆に後ずさりして木の周りをまわって、多くの悪い呪文を唱えた。(『アイスランド サガ』による)そして、木を海に投げ込ませて
「それがドラング島に漂着してグレティルの大きな災いになれ」(47)
と言った。そしてグレティルはそれを浜辺で2回見つけ、その度に魔法を見抜いて薪にしようとはしなかった。しかし下男がうっかりその木を持ってきて、グレティルもよく見ずに、割ろうとしたため、骨に届く怪我をした。そしてその傷から出た病気は重くなり、それが元でグレティルは死ぬ。(『アイスランド サガ』による)木とルーネ文字の結びつきは人を死にまでいたらしめるということだろう。
 同じ木とルーネ文字の結びつきでも、生命力の復活となるものはもう一つある。前に出した「ゲスタ・ダノールム」に出てくるハディング王の伝説で、ハディング王が巨人の娘の勧めに従って、死人の舌の下にルーネ文字を彫った木切れを差し込んで、自分の運命をしゃべらせるところがある。(『北欧神話と伝説』による)「エッダ」のオーディンの言葉にもあり、ルーネ文字の力をうかがわせる。
3.まとめ
 その他のサガからも、ルーネの彫られる材料は木が最もポピュラーなものであったらしいことがうかがえる。(Cによる)木が神聖であるから、ルーネ文字が彫られたのか、神聖なルーネ文字を木に彫ることによって木に力を与えたのかはわからない。しかし、聖なるものであり、強大な力を持つとされたルーネ文字が単なる表音文字としてではなく、なんらかの力を帯びたものとして使われるとき、木に好んで彫られたらしいのは疑うべくもない。ルーネ文字との係わりからみるとき、木は明らかに力を持っているということが出来るだろう。
e.直接木と係わる儀式・まじないなど
 木を使ったまじないや、木に現れた吉兆がエッダやサガには多く出てくる。それらをみていきたい。
 「オーディンの箴言」で、
「人が生木の根でわしを傷つけるときは、第六のまじないをわしは知っている。わしの憎悪をかき立てたその男が、かえって、わしよりも、ひどい目にあうのだ。」(48)
とある。これはルーン文字の例からみてまじないと係わりがあるらしい。 先ほども挙げた「スキールニルの旅」で、スキールニルはゲルズを懐柔するために黄金の林檎をゲルズに差しだしている。それに対するゲルズの返答からすると、りんごを受け取ることはどうやら愛を受け入れる印であるようだ。(『エッダ-古代北欧歌謡集』による)りんごは愛や生殖を表すらしく、ヴォルスンガサガにも現れる。レリルという男が子宝に恵まれず悩んで、懸命に祈っていたが、その祈りをフリッグが聞きつけ、りんごを烏に姿を変えたワルキューレに届けさせた。后はそのりんごを食べた後に身ごもり、六年の懐胎期間の後男の子が生まれたという。(『アイスランド サガ』による)彼の血筋から、かのゲルマン最大と言われる英雄シグルドがでるのである。また、若さの女神イドゥンが持っているりんごとともに連れさられたので、神々が年老いてしまったという話もある。このりんごはとねりこの箱にしまわれていて、このりんごの故に神達はラグナレクまで年をとらずにいられる。(『北欧神話と伝説』による)またりんごは、予言力を持つものとしても書かれている。「ヨムスボルク・ヴァイキングのサガ」で、ゴルムル王がユルの祭に出かけようとしていたとき、途中で季節外れの青いりんごがなり、花も咲いている木を見かけた。そして次の年もその次の年も不思議なことが続いた。それをハラルドル候は改宗の前兆であるとし、青い美しいりんごのように新しい宗教は栄えるといった。(『ヨムスボルク・ヴァイキングのサガI』による)
「スキールニルの旅」で、
「わたしは森へ行った。若木のところへ魔法の杖を手に入れに。わたしは魔法の杖を手にいれた。」(49)
とある。そしてこの杖でゲルズを打てば思いどおりになるといってゲルズを脅している。(『エッダ-古代北欧歌謡集』による)若木が力を持っていることのあらわれだろうか。
 「ヒュミルの歌」には「小枝をふってくじを決め」(50)という言葉がある。「ゲルマーニア」の記述を彷彿とさせるところである。
また、ロキは菩提樹で焼いた半焼きの女の心臓を食べてしまったので妊娠し、地上に怪物が生まれた、とある。(『エッダ-古代北欧歌謡集』による)菩提樹に子供を身ごもらせる力があったということだろうか。
 木について最もよく、そしてドラマティックに述べているのは「巫女の予言」だろう。神々によって人間がつくられる。その名前はアスクとエムブラという。この名前についてはいろいろな説があるが、谷口幸男氏によればアスクはとねりこ、エムブラはななかまどであるという。いずれにせよ木の名前であることは確からしい。人間のはじめは木であるとされていた。また、この歌には有名なユグドラシルについての記述がある。この木はとねりこで、白い霧に濡れている。この木の下には神々に危機を知らせるヘイムダルの角笛が隠されている。この木は世界を支える木である。九つの根を地下に張り巡らせて、その根はそれぞれ一つづつの世界に通じている。アース神の国の、アースガルズ、ニョルズの一族の国の、ヴァナヘイム、フレイの支配する妖精の国アールヴヘイム、火の巨人スルトの支配する火の国の、ムスペル、人間界の、ミズガルズ、巨人族の国のヨーツンヘイム、死者の国のニヴルヘル、暗黒の妖精もしくは小人の国の、スヴァルタールヴァヘイム、そして極北の世界である。しかしこの木は数々の試練を受けている。そして、「グリームニルの歌」によると、ユグドラシルは山羊と4頭の雄鹿に葉を食べられている。そして地下ではニーズヘグという竜が根を噛んでいる。ユグドラシルからはケルムト、エルムト、そして二つのケルラウグという川がながれでている。また、「ギュルヴィたぶらかし」によるとこの根のところには知恵が隠されているミーミルの泉がある。そしてウルザンブルンという神聖な泉もあり、そこで神々は裁判をする。この木に運命の女神達は、神聖な、その中にはいるとすべて白くなる水のある泉の周りの泥をかけて枯れないようにしている。
 このように世界を支え、数々の宝を持つものが木であるとされている。
また、光明神バルドルを殺すのは宿り木であるし、トールが溺れそうになったときつかまったのはななかまどで、以来ななかまどは「トールの救い」と呼ばれる。(『エッダ-古代北欧歌謡集』による)
他にもエッダの中で、吉兆が木のところで告げられたりすると言った、木がなんらかの力を持つ描写には事欠かない。サガにおいてもいくつかある。「ソルリの話とヘジンとホグニのサガ」にも、木ではなく森であるがみられる。ヘジンが森に出かけると、空き地でフレイアの化身であるゴンドゥルという女に出会い、予言をされる。再び森へ行ったときにも、同じ女がいて、ビールのために邪悪へと引きずり込まれる。再び森へ行ったときにもゴンドゥルはいて、ヘジンを脅迫する。(『ソルリの話とヘジンとホグニのサガ』による)また「エイルの人々のサガ」の中の神殿の描写で、壇上の皿に入れられて生け贄の血は、供犠の小枝によって皿から振りかけられるとされている。(『アイスランド サガ』による)
 エッダとサガというゲルマン人のことを知るための大きな資料を使ってみてきたが、明らかにこれらからはゲルマン人達が木に対して畏敬の念を持っていたことが読み取れる。 
f.まとめ
様々な資料から、ゲルマン人達は木に対して呪術的な力を感じ、崇拝してきたことがわかった。エッダやサガはキリスト教布教後に記録されたものが大半であるし、北欧人がそのままゲルマン的遺風を伝えているということもできない。しかし、おぼろげにはわかるのである。3章でみたように、これらゲルマンの習慣はキリスト教徒によって滅ぼされていった。しかし、4章でみたように、キリスト教布教は不完全なもので、一部には異教崇拝を許すような気配もあったのである。
              第6章結論
 第1章で近代の豊富な民衆の木に対する思いの例を見た。そして、第2章ではキリスト教そのものの木に係わることを見た。そこには確かに木に係わる資料があり、木に対する崇拝も感じとれた。しかし、同じ聖書で偶像崇拝や木での占いを禁じていた。さらに第3章では、キリスト教教会の態度を見たが、これは徹底的に木の崇拝を敵視していた。そして第4章でキリスト教布教はそんなにきちんとしたことではないことがわかった。第5章ではゲルマン人のキリスト教以前の宗教についてみてみたのだが、ここには豊富な木への崇拝の例があった。以上からみると、ドイツの木に係わる習慣は、ゲルマン人の樹木崇拝の名残であるということが出来るだろう。もちろんケルト人にも樹木崇拝はあった。こちらの方が資料もはっきりと残っている。ケルト人は木の名前で一年を区切り、(『イメージ・シンボル辞典』による)オークをこよなく愛した民族である。また、ゲルマン人よりも先にヨーロッパにいた。樹木崇拝がケルト起源であることも考えられる。何はともあれ、そのケルトやゲルマンの遺風が力づくの布教やわけのわからないミサの間をかいくぐって、聖者伝説や行事とまじり合い、ここまで生き残ったのだろう。
 そして何よりも、人にはただ、不安になったときに頼るものが必要なのである。未来の自分の姿を示し、安心感を与えてくれるものが。それが永遠に力強くそびえ立ち、優しい影をつくってくれた木であったのだろう。そして異教時代に崇拝していた木が、数々の奇跡をなした聖人などと結びついた、多分そういうことだろう。
              終わりに
一応これでずっと抱き続けた興味にけりをつけたわけだが、多分これからも神話などには興味をもちつづけていくことだろう。ゲルマン(北欧)神話に興味を持ち出したきっかけは図書館の本だったとはっきり記憶しているが、ギリシャ神話に至ってはいつから読みだしたかという記憶すらない。少なくとも高校の頃には岩波文庫の「イーリアス」や「オデュッセイア」、ギリシャ悲劇に手を出していた。筆者にとって神話を読み続けることが自然なこととなっている。ただ、これまで神話を読んでいて、神に人が期待した役目は、安心感を与えてくれること、だということがわかったような気がする。この文を書いて、それがいっそう強まった。そのことも、神話をみっちりと読めたことも含めて、この文を書くのは楽しい作業だった。
 最後になってしまったが、専門でもないにも係わらず指導して下さった先生方、言葉もたどたどしい異国人の妙な質問に答えて下さった
Frau Irene Bocklageその他エアランゲン市の方々、そして何よりも、資料が見つからない、間に合わないとわめきまわる筆者に我慢し、時には情報を提供してくれた友人達に深く感謝の意を表する。
 
 
 
 
 
 
引用文献
(1)『イメージ・シンボル事典』、アト・ド・フリース、大修館書店   241ページ
(2)『Blatter von Baumen』,Susanne Fischer(erlautert von
Michihuyu Kitao und Sho Hayasi),白水社5ページ
(3)c.f.(2)14ページ
(4)c.f.(2)16ページ
(5)c.f.(2)24ページ
(6)『刑吏の社会史 中世ヨーロッパの庶民生活』、阿部謹也、中央   公論社50ページ
(7)『ヨーロッパ歳時記』、植田重雄、岩波書店82ページ
(8)『守護聖者 人になれなかった神々』、植田重雄、中央公論社    63ページ
(9)c.f.(2)39ページ
(10)c.f.(2)42ページ
(11)『刑吏の社会史 中世ヨーロッパの庶民生活』、阿部謹也、中央公論社92ページ
(12)c.f.(11)46ページ
(13)『Der Baum Symbol und Schicksal des Menschen』Sibylle
Selbmann,erlautert von Michihuyu Kitao und Shou Hayashi,白水社 16ページ
(14)『旧約聖書 創世記』、関根正雄訳、岩波書店16ページ
(15)c.f.(14)14ページ
(16)c.f.(14)14ページ
(17)『新約聖書』、フランシスコ会聖書研究所訳注、中央出版社
    926ページ 
(18)c.f.(17)962ページ
(19)c.f.(17)363ページ
(20)c.f.(13)24ページ
(21)『叢書死の文化1 西洋中世の罪と罰-亡霊の社会史』、阿部謹    也、弘文堂180ページ
(22)c.f.(21)181ページ
(23)c.f.(21)187ページ
(24)c.f.(21)187ページ
(25)c.f.(21)200ページ
(26)c.f.(21)205ページ
(27)『ゲルマンの民俗』、谷口幸男、渓水社119ページ
(28)c.f.(27)196ページ
(29)c.f.(11)47ページ
(30)c.f.(27)66〜67ページ
(31)c.f.(27)68ページ
(32)『アイスランド サガ』、谷口幸男訳、新潮社101ページ
(33)c.f.(32)108ページ
(34)c.f.(32)133ページ
(35)c.f.(32)179ページ
(36)c.f.(32)232ページ
(37)c.f.(32)233ページ
(38)c.f.(32)294ページ
(39)c.f.(27)69ページ
(40)『エッダ-古代北欧歌謡集』、V・G・ネッケル他、新潮社33ペ    ージ
(41)c.f.(40)38〜39ページ
(42)c.f.(40)39ページ
(43)c.f.(40)40ページ
(44)c.f.(40)144〜146ページ
(45)c.f.(40)66ページ
(46)c.f.(32)93ページ
(47)c.f.(32)286ページ
(48)c.f.(40)40ページ
(49)c.f.(40)63ページ
(50)c.f.(40)75ページ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参考文献(後ろにつけた表示は文中の記号に対応する)
『ヨーロッパ歳時記』植田重雄 1991 中央公論社(@)
『ヨーロッパの森から ドイツ民俗誌』谷口幸男他 1981 日本放送出版教会(A)
『金枝篇(1)〜(5)』フレーザー 永橋卓介訳 1966〜1968 岩波書店(B)
『ゲルマンの民俗』谷口幸男 1987 渓水社(C)
『図説 ドイツ民俗学小辞典』谷口幸男他 1985 同学社
『エッダ-古代北欧歌謡集』V・G・ネッケル他 山室静訳 1973 新潮社
『アイスランド サガ』谷口幸男訳 1979 新潮社
『サガとエッダの世界-アイスランドの歴史と文化-』山室静 1992 社会思想社
『北欧神話と伝説』グレンベック 谷口幸男訳 1971 新潮社
『ゲルマーニア』タキトゥス 泉井久野介訳注 岩波書店 1979
『守護聖者 人になれなかった神々』植田重雄 1991 中央公論社『生活の世界歴史6 中世の森の中で』堀米庸三編 1991 河出書房新社
『異貌の中世-ヨーロッパの聖と俗-』蔵持不三也 1987 弘文堂
『図説 ヴァイキングの歴史』B・アルムグレン編 蔵持不三也訳 1990 原書房
『叢書死の文化1 西洋中世の罪と罰-亡霊の社会史』阿部謹也 1989 弘文堂
『刑吏の社会史 中世ヨーロッパの庶民生活』阿部謹也 1978 中央公論社
『中世の窓から』阿部謹也 1981 朝日新聞社
『中世ヨーロッパ 西洋史(3)』木村尚三郎編 1980 有斐閣
『世界宗教史叢書1 キリスト教史I』半田元夫 今野國夫 1981 山川出版社
『図説 キリスト教文化史I』ジェフリー・パラクラフ編 1993 原書房
『新約聖書』フランシスコ会聖書研究所訳注 1980 中央出版社
『旧約聖書 創世記』関根正雄訳 1967 岩波書店
『イメージ・シンボル辞典』アト・ド・フリース 山下主一郎他訳 1984 大修館書店
『世界有用植物事典』 平凡社 1989
『西洋の誕生』柳宗玄 1971 新潮社
『植物に現れた独逸趣味の研究』原弘毅 1930 文洋社
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』阿部謹也訳 1991 岩波書店
『ニーベルンゲンの歌 前編』相良守峯訳 1975 岩波書店
『ニーベルンゲンの歌 後編』相良守峯訳 1975 岩波書店
『世界の民話1ドイツ・スイス』小沢俊夫編・訳 1976 株式会社ぎょうせい
『世界の民話3北欧』櫛田照夫訳 小沢俊夫編 1976 株式会社ぎょうせい
『Der Baum Symbol und Schicksal des Menschen』Sibylle Selbmann
erlautert von Michifuyu Kitao und Shou Hayashi 1991 白水社
 
『Blatter von Baumen Legenden,Mythen, Heilanwendung und
Betrachtung von einheimischen Baumen』Susanne Fischer,erlautert von Michifuyu Kitao und Sho Hayashi 1989 白水社
『Alpenlandische Volkskunst』Helumut Nemec 1980 Prisma Verlag Gutersloh
「ソルリの話とヘジンとホグニのサガ」菅原邦城訳注 『大阪外国語大学学報』第41号 1987
「ヨムスボルク・ヴァイキングのサガI-ヴァイキングの片影- 」谷口幸男訳『形成』第23号 糞土会 1964
「クリスマスの習俗I」福嶋正純・福居和彦『広島大学総合科学部紀要I 地域文化研究』第8巻 1982
 
      神話・民俗学へ