古代北欧の信仰を知るには、かなりの部分を文献に頼らねばならない。どの研究中においても言及され
る資料に「ユングリンガサガ」と「デンマーク人の事績」がある。どちらも似た時期に書かれてはいるが、
その内容についてはかなり差がある。
 今回は北欧の神々の王とされるオーディンについての記述に着目してその差を考えてみたい。
 
◎ ユングリンガサガ
 この作品は代々のノルウェー王について語った「ヘイムスクリングラ」序章にあたり、王朝の由来につ
いて述べるものである。この文章内におけるオーディンの扱いは、「エッダ」や同じ作者による「ギュル
ヴィたぶらかし」ともかなりことなり、興味深いものである。
 まず、「ユングリンガサガ」におけるオーディンはアシーアーと呼ばれる地、アーサヘイムの支配者と
なっている。このアシーアーは遙か東方の地とされている。その支配者がオーディンである。
 王である彼は偉大な戦士であり、勝運に恵まれていた。また何処にあっても彼の名を呼べば救われると
される存在とされている。長く旅に出ることもあるが、王としてはまず申し分ない存在であったといえる
だろう。
 また、「エッダ」その他では魔術・詩芸にも長けるとされている。「ユングリンガサガ」においてもミ
ーミルの首に生命を与えている。また、その住居をオーデンセに移した理由を未来がわかり、魔法に通じ
ていたのでとされている。また、好きなように姿を変え、火や海など自然を操れるとある。その他死者を
目覚めさせ、人間に死や災いをもたらすなど負の側面も併せ持つ。そしてこれらのことをアースに教えた
とされる。
 そして厳密には神でないとされているオーディンはスヴィーショーズで病にかかる。最期には槍の先で
自らの身体に印を付けて、武器で死んだ者は皆自分のものであるとする。
 ここよりオーディン信仰が始まったとされている。その後をニョルズ、フレイが継いでいる。
 若干気になるところはあるものの、オーディンについての直接の描写はまず好意的であると言えるだろ
う。
 
◎ デンマーク人の事績
 題が示すとおりに、デンマークの歴史を僧がまとめたものである。祖国賛美のために書かれたものであ
るが、様々な史料を参照し、既に散逸しこの書物でしか知ることの出来ない風習も織り込まれている、宗
教・民俗を調査する上で欠かせないものである。
 まずオーディンの住居であるが、これはウプサラとなっている。ウプサラに聖所があったという記述は
他の文書にもみられる。だが、オーディンがこの地に居住していたのは住民の愚鈍によるという記述があ
る。
 彼個人の記述として彼が神と呼ばれていたのはその本性からのことでなく、一般の意見に従ってのこと
であるという記述がある。ここでいう「一般」の定義がどのようなものであるかはわからないが、好意的
なものではないだろう。また、神々の頭目ではあるが不完全な神であると言われる。
 「エッダ」にもあるバルドル殺害譚はこの「デンマーク人の事績」にも記載がある。ただしバルドルの
横恋慕に端を発するかなり趣の異なる挿話となっている。ここでオーディンはバルドルの仇を討つ者を得
るため王女に近づくが、様々に姿を変え、また、王女を狂気のようにしている。魔術使いであることは「ユ
ングリンガサガ」と共通している。
  この二点をみると「デンマーク人の事績」においてオーディンの扱いは、邪教の神そのものであるが、
いくぶん異なる描写もある。デンマーク王フロートはオーディンを父として生まれて恩寵を得、「好戦的
でいつも片目で満足している」と言う描写からはオーディンが軍神として扱われていることが読みとれる
だろう。また、予言者ウッグルとして現れたオーディンに見放されて王が滅びる描写もあり、あるていど
王の運命を支配する者であるという概念も読みとれなくはない。
 「デンマーク人の事績」においてオーディンおよびアースの描写は、異教に対する攻撃的なものと、神
々への敬意をある程度示すものとの二通りあるといえるだろう。
 
 では何がこれらの差違の原因となったのか。
 
◎作者について
 「ユングリンガサガ」はアイスランド人スノリ・ストゥルルソンによって、王室の由来を物語るもの
として記された。だが彼はノルウェー人でなくアイスランド人である。
 彼はスカルド詩人のための概説書「スノリのエッダ」の著者であり、また同時に豪族の首長であり
歴史家、法律家でもあった(当時は「豪族の長」であることの意味に法律家であることも含まれていたの
だろうが)。政治的な野心もかなりあったとされ、義理の息子に暗殺される最期を迎えている。
 彼はアイスランドで育ち教育を受けた。血縁には「賢者アリ」と呼ばれる歴史家もいる。彼の時代は
アイスランド改宗から二百年の長い年月を隔てているが、スノリが古い物語に深く傾倒していたことは
「ユングリンガサガ」序文から読みとれる。
 スノリが何故古詩やサガに興味を抱いていたのかは推測することしか出来ない。ただ豪族の教養として
接していた可能性も否定できない。だが、「巫女の予言」四十六節「鉾の時代、剣の時代がつづき、盾は
裂かれ、風の時代、狼の時代がつづいて」を彷彿とさせる時代に彼は生きていた。アイスランド建国時代
を「古き良き時代」として慈しみ、古詩を支えとして異国の王に仕えていたのではないだろうか。そして
史書を編纂せよと命ぜられた時、王の祖先を描くという口実の基に彼方に去った良き時代をいとおしみな
がら古詩を読み、自らの祖先達が崇め奉った神を猛き軍神として描いたのではないだろうか。
 
 他方「ゲスタ・ダノールム」の著者サクソ・グラマティクスである。「グラマティクス」という名自体
があだ名である彼について詳しい経歴はわかっていない。それなりの家柄であり、デンマークの司教アブ
サロンに仕える書記であったことがはっきりとしている。
 だが「ゲスタ・ダノールム」前文において彼はその姿勢を明らかにしている。デンマークの賛美という
目的ではあるが、それを彼に依頼した司教への尊敬を述べてやまない。代々仕える立場であればそれも当
然であろう。
 サクソは歴史を正しく記すために異教時代や外国、ことにアイスランドの史料を分け隔てなく使用した。
だが、司教の信頼に応えるためのものであれば、異教にたいして厳しくなることもやむをえない。オーデ
ィンにたいする記述のぶれも、司教への気配りと歴史資料のあつかいの狭間にたたされた故のものと読み
解くことはできないだろうか。
 また、彼がスノリのように自国語での教育でなく、教会での純然たるエリート教育を受けたことも見逃
せない。キリスト教の教義を絶対として育てば、異教にたいする姿勢もおのずからスノリとは異なってく
るだろう。
 
◎まとめ
 以上駆け足で、しかも二つの史料に限ってではあるがオーディンの記述の差について考えてきた。二つ
の史書は祖国賛美という目的で、非常に異なる立場にあった者によって記された。
 ひとつの信仰が人間によって異なる解釈、記述をされ、またそれが後世に伝わってさらに異なる読み解
き方をされていくという好例ではないだろうか。
 
参考資料:
『ユングリンガサガ(1)(2)』谷口幸男訳 糞土会「形成」掲載
『デンマーク人の事績』谷口幸男訳 東海大学出版会
『エッダ―古代北欧歌謡集』谷口幸男訳 新潮社
『エッダとサガの世界』谷口幸男 新潮社
 
 
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