四月某日天気の良さに浮かれて花見を決行。当初名古屋城を予定していたものの諸事情により伊勢神宮
に変更。これは管理人の笑いに満ちた参拝記録である。
 
 伊勢神宮には過去何度も行っているがのんびりと散策をするには実に良いところである。興味深い場所
も多々あり、テーマを決めて予習していくと結構な探索が楽しめる。だが今回の目的は花見。気楽に出か
ける。
 
 まずは外宮(げくう)から。伊勢神宮は「外宮」と「内宮」があり、外宮から先に参拝するのがしきた
りである。片方のみの参拝は「片参り」と呼ばれる。実際の害はないが地元の人間やそこそこ知識のある
人間が聞くと首を傾げるので要注意。とはいえ高校時代の地元民友人は伊勢神宮にどの神が祀られている
か知らなかった。「天照大神」を「てんてるだいじん」と読む人も実在する。まあ好みの問題であろう。
 近鉄「伊勢市」下車。正面の道をまっすぐに歩けば程なく外宮に着く。
 普段は行かない「勾玉池」に行ってみる。ここは花菖蒲が有名である。さすがにまだそのシーズンは早
いが、外周にそって少し歩くと緑の中に桜がちらほらと見えた。まとまって咲いている桜もよいが、緑の
中の桜もまた春の証のようで好ましい。
 名所だけあって管理されているが、されていない部分の方がのたくった木の根が竜のようで面白い。伊
勢神宮の池に住まう竜とは何とも蠱惑的である。
 しばらくぼんやりとした後内部へと入っていく。案内板のところでボランティアであろう方が若いカッ
プルに案内をしている。この場所は非常に伝統ある古式ゆかしい場所で、と話していた。江戸時代は相当
内部まで御師の住居などがあっただろうし明治期に随分変わったはずではとつっこみをその場でいれない
だけの分別は持っている。えらいわ私。かしこいわ私。(いたた)
 とりあえず本殿へと。平日とはいえシーズン中で絶好の天気の日に人が少ない。大丈夫かね、と観光立
国の将来を心配する。ふと注意書きに目をやる。
「宮城内につき云々」
宮城。そうか宮城なのか。何故かこみ上げる笑いをおさえつつ歩む。
 本殿でごく普通に拝んだ後拝殿の横から少し覗き、退出。鰹木の形などは何度本を見ても片っ端から
抜けていく。鳥居の形などにも注目すると面白いはずだが。
 今回の目的は花見なので神宮杉が並ぶ宮城内に用はないはずだ。だが「多賀宮 風宮 土宮」と表示が
ある。以前に行ったこともある。
 行かいでか。
 途中には稲や御幣を収める蔵がある。蔵と言っても普通にある土塀でなく高床式。気になって見てみた
が鼠返しはない。食われたらどうするんだ。それとも実はがっちりコンクリで内部を固めてあるのか。
 三つの宮に行く道筋は人気がまったくない。晴れた春の日はゆっくり一人になりたい時には最高の場所
である。本日の目的である桜はないが上機嫌で歩く。緑が綺麗な場所であるが故に夏場は虫に注意。
 時間なのか、袴姿で箒など掃除道具を持った方々を見る。私達参拝者にとってはこの場所は非日常その
ものだが、その方々にとっては日常である。視点も当然違ってくるのだろう。
 この道筋で、ある宮を真上から眺めることになる場所がある。建物の構造が見えて面白い。家人が若い
頃、祭の御輿を職場の窓から見ていたら上司に「神様を見下ろしてはいけない」と叱られたという話を思
い出す。叱る観点が違いませんか。
 ゆっくりと散歩を楽しんだ後内宮へのバス停に向かう。時刻表を見ると日祝日よりも平日の方が本数が
少ない。観光地の証というものである。
 外宮から内宮への道筋には頭宮神社や神宮関係の博物館・美術館がある。それなりに楽しい場所である
が今回は素通り。道路横の桜を堪能しつつ暫くのバス。
 
 内宮前に到着。外宮とは異なりそれなりに人がいる。案外片参りの人は多い。さて、と宇治橋へと歩い
ていくと国道終点表示が目に入った。内宮が国道の終点とはまた、と脚を止めて見入ってしまった。
 改めて宇治橋へ。五十鈴川の両岸は木が茂っている。その中にぽつぽつと浮かぶ桜色が映えて鮮やかな
色合いを作っている。橋に三脚を据えている方々も多い。そのなかで擬宝珠を囲んで姦しく記念撮影して
いるお嬢さん方がいた。確か何番めかの擬宝珠に何か入ってたんだよなあ。
 渡ってすぐのところで袴姿のお姉さんが何か配っているので見に行くと、神宮茶室の特別公開チラシだ
った。茶室のことなど何も解らないがせっかくなので立ち寄る。
 外からの見学のみだが、周囲に川があり池もしつらえてある。言うまでもなく庭もあり、せせらぎ音を
聞きながらゆったりとした時間をすごせそうな場所だ。茶道をたしなんでいる人が見たならばまた違う感
想を持つのだろう。ふとチラシをみると「献納 松下電器産業株式会社並びに関連企業一同代表松下幸之
助」……庭付き茶室献納するのか。維持費はどうしているんだろう。
 いらんことを考えながら戻ると、御神楽の奉納でもするのか舞台がしつらえてあった。竜と鳳凰、それ
ぞれを描いた宝珠型の板が二つあり、その上に円の周囲に放射状の細い棒を巡らした太陽のような金と銀
の板がある。極彩色である。平安神宮を見てもわかるが、仏像や神社などは本来このように派手なものな
のだろう。
 しばらく見てから参道を歩く。外宮と同じで桜は少ないが、かえって映えている。松を手入れしている
庭師さんもいてのどかな雰囲気がよい。五十鈴川で手を浄める。昔は御手洗でなくここで浄めていたとか。
 内宮の長い参道をほてほてと歩く。杉の多いところなので花粉症の人には地獄だろうが緑が多く癒しを
求める人間には絶好の場所。
 本殿に到着。内宮の本殿前には石段があり、写真撮影はここまで。確かここの石段には踏まない方がい
い石があったが思い出せないので取りあえず端を登る。
 拝殿に行くと、何故かスーツにアタッシュケースのお兄さんがいる。仕事関係のついでか。そういえば
外宮でもスーツ姿の人を二、三人見かけた。新聞に遷宮費用の寄付を呼びかける記事が掲載されていたの
で、そのために来た人達かもしれない。時折礼装のお母さんとスーツやワンピースの子供の二人連れも見
かける。入学式帰りのお参りだろう。
 来た道を引き返し、風日祈宮への脇道に入る。川に架かる橋を渡らねばならない。杉木立の中を横切っていくが、木立の中には光があまり届かない。それが切れる川と橋にのみ陽の光がさす。
 完全に彼方と此方である。本殿よりも別世界を感じさせる点では上だ。脇道なので人の気配がないこと
がその雰囲気を増す。
 宮自体は小さく、木に囲まれている。薄暗い中での社は神殿なのだと実感させてくれた。
 その後社のない瀧宮にも立ち寄って本日の参拝は終わり。
 
 このまま帰るかと思っていたが、休憩所の方から音楽が聞こえてきたので足を向ける。奥の舞台で能
(多分)が演じられていた。面や衣装をつけずに袴での上演。謡は「老いせぬや」のみ聞き取れた。
ゆっくりとしたリズムの節回しは事前知識がなければわからない。それでもせっかくの機会なので最後ま
で見ることにした。
 音がよく響いていたが、生だったのだろうか。能舞台自体音響効果を考えてつくられているものだろう
が、座ったままの発声はきつくないのだろうかと素人の考えを巡らしながら見る。背景の松は青いものだ
ったがこれも、確か何か意味があったようなというレベルの知識しかない。
 思ったよりも長かった上演が終わり、今度こそ参拝終了。日も傾き始めている。
 
 直ぐ側の宮川堤の桜を暫く眺める。満開で最も綺麗な時期のようだった。まだ花見の宴会客もおらず、
今年の桜はまず満足できた。
 その後おかげ横町で赤福を食べて精進落としのあと帰宅。
 
 日本人のこころの故郷、などということはおいておいても静かな気分に浸れる場所であるので機会があ
ればどうぞ。びんぼぼ観光立国に救いの手を…。
 
 伊勢神宮公式サイトはここ
 
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