「ヴォルスンガサガ」は名作の誉れ高い作品である。大陸に起源を持ち、「ベーオウルフ」、「ニーベル
ンゲンの歌」など他の叙事詩との関連も深い。
 大まかに二つの部分に分けられる。ヴォルスング一族の中でも最強と歌われたシグムンド王の活躍に関
わる部分、そして「ニーベルンゲン」にも登場するゲルマン最高の英雄、竜殺しのシグルドにまつわる部
分である。
 この二人以外にも英雄は存在する。シグムンドの嫡子であるフンディング殺しのヘルギ、グンナル一族
等である。その中でも異彩を放つのがシグムンドの甥にして息子、シンフィエトリだろう。
 
 彼の出生はヴォルスング一族の災厄に端を発する。シグムンドの双子の妹、シグニューはシゲイル王に
嫁ぐが、その婚礼の宴で起こった事件がもとでシゲイル王はヴォルスング一族を滅亡させる。逃げ延びた
のはシグムンドただ一人だった。
 シグニューはシゲイル王との間に出来た息子二人を、一族の復讐の役には立たないとして殺し、「純血
のヴォルスング」を生むために姿を変えてシグムンドの隠れ家へと足を運び、子を得る。それがシンフィ
エトリである。
 シンフィエトリは十歳になるとシグムンドの元へとおくられ、森で育つ。やがて鍛え上げられたシンフ
ィエトリを伴ってシグムンドはシゲイル王の館へと忍び込み仇を討つ。最期に館に火を放ち、シグニュー
を讃えて共に国に帰ろうと言うが、シグニューは近親相姦及び夫と子の殺害を犯したからには生きていら
れない、と告げてシゲイル王と運命を共にする。
 この後、二人は故国を奪還する。シグムンドは正妃を娶り、生まれたヘルギを正嫡とし、シンフィエ
トリはヘルギの補佐として名声を高めていった。
 
 多くの民族において同腹かつ同じ父を持つ相手との相姦は禁忌である。その絶対的な罪の子であるシン
フィエトリが名声を得ることは可能だったのだろうか。
 
 それが可能な条件として、シンフィエトリの出生が秘匿されている場合がある。
 成立が八世紀にまでさかのぼれるとされる「ベーオウルフ」にシイェムンドとその甥フィテラとして登
場する。この物語ではシイェムンド、すなわちシグムンドの竜退治が語られるのみでフィテラについての
言及はない。
 次に北欧の信仰を知る上での重要資料である「エッダ」での描かれ方を見てみる。
 「エッダ」とサガに共通して名は「シンフィエトリ(カタカナ表記でシンフィョトリとされる場合もあ
る)」である。この名の解釈は「白黒まだらの足枷をした者」というものが通説である。
 この「足枷」が近親相姦による出生をあらわすという説がある。また、「狼」の言い換えとする説もあ
る。前記「ベーオウルフ」との関連から「シン」はシグムンドとの韻を踏ませる必要上から付けられ、本
来の名は「フィエトリ」であるとする解釈も可能である。
 名そのものが近親相姦をあらわすという説を採るならば、シンフィエトリの出生は隠されていない。
 では、名の意味が他のものである場合はどうか。
 彼にたいする周囲の言動を検討してみよう。
 まず「エッダ」にあらわれているものである。「フンディング殺しのヘルギの歌」にシンフィエトリは
登場する。彼の異父弟にあたるヘルギについてはっきりと「シンフィエトリの弟」であると述べられてい
る。シンフィエトリがシゲイル王とシグニューの息子であるとされているならばこの関係は成立しない。
そして「弟を殺し」という箇所からはシグニューの血を引いていることが読みとれる。
 「シゲイルの継子」「自分の兄の胸を切り裂く」などという表現からもシンフィエトリがシグムンドと
シグニュー双方の血を受け、かつそれが敵方にまで知れ渡っていることが読みとれる。
 彼の最期を扱う「シンフィエトリの死について」でははっきりとシンフィエトリがシグムンドの長男で
あるとされ、「父上」「息子よ」と、酔ってはいるが宴の席上で言葉を交わしている。
 「エッダ」の記述からはシンフィエトリの出生が周知の事実であることが読みとれる。
 「ヴォルスンガサガ」においても「自分の兄弟を殺し」「シゲイルの継子」などと呼ばれ、またヘルギ
の母に「継子」と言われていることからシグムンドとシグニューの血を引いていると知られていることが
解る。
 シンフィエトリが兄妹の間に生まれた子供であることは周知の事実だった。だが近親相姦は確かに罪と
された。シグニューの言葉に「これほどまでのことをした」という一説があり、また、罪でないのならば
そもそも魔女と姿を変える必要などない。
 デンマークの歴史書、「ゲスタ・ダノールム」では兄弟の妻との婚姻が近親相姦であると非難されてい
る。ならば実の兄妹の結婚は言うまでもないだろう。
 
 逆にゲルマンの婚姻において適切であるとみなされるものはどのような形態をとっていたのか。
 まず最も正式とされたのが「ムント婚」である。
 第一に双方の父親が話し合い、男性側から女性側に家父長権の代償として「ムントシャッツ」と呼ばれ
るものが支払われる。第二に結婚の宴が開かれる。これはその宴に出席した者が、宴の記憶によって結婚
の証人となる役割を持つ。そして第三に証人の前で床入りが行われて結婚は花婿自身かその父と花嫁との
間の契約として完了する。翌朝花嫁が処女であった場合、男性側から女性側に朝の贈り物「モルゲンガー
ベ」が贈られる。これがなされない場合その婚姻は取り消しとなる。
 それに次ぐものとして和合結婚「フリーデルエーエ」がある。
 双方の親による話し合いとムントシャッツはなく、互いの合意で行われる。公衆の面前で女性を家に連
れて帰り、床入りの翌朝モルゲンガーベを贈ることで完了となる。
 主に身分の違う者の結婚で行われ、この結果生まれた子供に相続権はほとんど無かった。また後に父親
が別の女性とムント婚を行った場合、その女性との子供に正式な相続権はある。
 そして儀式などが全くないものが略奪結婚である。これは女性本人及びその親の同意なしに行われる、
ムント婚の違法形態で実力行使によるものである。死罪とされた時代もあるが、事実上の略奪結婚のあと
親同士が話し合ってムント婚になる場合もしばしばあったという。
 法律上は以上であるが、実際にはゲルマン人は一夫多妻制をとり、内縁の子も相続権を主張できた。私
生児に不利な点はなかったと言える。ゲルマンの結婚に置いて決定的に重要なことは床入りの証明である
と言える。
 その証明がどのように行われたかと言えば、証人の存在をあげることである。ムント婚における宴の出
席者及び床入りの証人、和合結婚における公衆の面前での帰宅はそのためにある。
 この観点から見れば床入りの証明が行われていないシンフィエトリは、少なくとも法律上は父親が不明
であることになる。シグニューのムント婚の相手であるシゲイル王、すなわちヴォルスングの仇の子であ
るということにもなりかねない。
 また略奪婚からムント婚への変化も、近親相姦であり、母親が死んでいる以上なし得ないだろう。
 社会とは法に基づいた人間関係であった北欧社会にあって、出生が法の外にあったシンフィエトリの
立場はかなり危ういものであったと推測される。
 
 では、法の外で生まれた者が何故「名望を得る」ことができたのか。キリスト教徒によって書かれた歴
史書であるので比較対照としてはいささか問題があるが、「ゲスタ・ダノールム」によく似た例があるの
で参考としたい。
 第二の書五節に「フンディング殺しのヘルゴ」という人物が登場する(類似点も注目したい)。彼は
トーラという娘を陵辱し、その結果娘ウルサが誕生する。トーラは陵辱の復讐としてウルサをヘルゴの
目に付く場所に行かせ、近親相姦の罪を犯させる。そしてロルブという息子が生まれる。
 書き手は近親相姦は大罪であるとしているが、責めるのはほぼトーラのみである。ロルブは「知らなか
った」点からさほど断罪されてはいない。
 息子ロルブは嫡子となり、国を継いで気前の良さを讃えられる王となる。彼の優れた部分が近親相姦の
罪を浄めたとまで言われる王であった。
 
 自国の歴史書であるので、かつての支配者を罪人、法の外にある者とはしないだろうが、両親の罪は
子には及ばないと読みとることは可能であろう。
 「ヴォルスンガサガ」においてもシンフィエトリが非難されている点は兄弟の殺害や、潜伏時代の犯罪
についてであり、兄妹間の子供であることについては「シゲイル王の継子」という言葉にほのかに表れる
のみである。
 
 近親相姦による子という汚点はその後の武勲や行動により補いうる、と言えるだろう。ただし武勲を
立てられなかったり、素質が劣っていたりした場合の資料は見あたらない。目立った長所がない人物であ
った場合には社会の中に入れなかった可能性もある。
 
 総じてシンフィエトリは結果としては出生の罪を被らなかったものの、常に緊張を強いられる、非常に
危うい土台の上に立っていた人物であると推測する。
 
 
参考資料:
 「アイスランドサガ」谷口幸男訳 新潮社
 「エッダ」谷口幸男訳 新潮社
 「デンマーク人の事績」谷口幸男訳 東海大学出版会
 「ゲルマン北欧の英雄伝説」菅原邦城訳 東海大学出版会
 「サガから歴史へ」熊野聰著 東海大学出版会
 「西洋中世の男と女」阿部謹也著 筑摩書房
神話・民俗学へ