ファンタジーは自由なものである。故に何でも可能だが、一つ道を踏み外すと荒唐無稽という穴に落ちる。
そのせいか、トールキンの『指輪物語』『ホビット』である程度向上したとはいえ、文学の中での地位は
未だ低い。
 しかし、そのファンタジー(SF)界にありながらベストセラー作家の名を得た女性が存在した。
 『ダーコーヴァ年代記』のマリオン・ジマー・ブラッドリーである。この作品は、ダーコーヴァと呼ば
れる、かつて人類が不時着した後忘れ去られ、間を置いて再発見された惑星が舞台の異境ファンタジーで
ある。
 異境ファンタジーはアメリカSFの伝統と言ってもいい。この点ではブラッドリーは伝統を保持する作
家である。しかし、ある面では伝統を打破している。
 異境ファンタジーにおいて、ヒロインはヒーローの目的を強化し、物語に華やぎを与えるだけの存在で
あった。ある意味ではトゥルバドゥールやミンネジンガー以来の伝統である。
 しかしブラッドリーは、ダーコーヴァ世界においてフリー・アマゾンという一種のギルドを設定し、そ
の所属者に男の従属物としての妻にならないことを誓わせている
 このようなことからこの作家はフェミニズム・ファンタジー作家と呼ばれることになる。フェミニズム
を掲げた女流ファンタジー作家はブラッドリーのみではないが、定着させたうちの一人であるとは言える
だろう。
 そしてブラッドリーは1982年に発表した『アヴァロンの霧』において路線を変更した。アメリカの
みならずイギリスでもベストセラーとなったこの小説はアーサー王伝説を妖姫モーガンの視点から語った
もので、独特の解釈がほどこされている。1987年発表の『ファイアーブランド』も同系列である。
 古代ギリシア、トロイアの悲劇の巫女姫カッサンドラーを主役にしている。古典の中でのカッサンドラ
ーははかなげな姫巫女という印象を持つ。しかし、この作品ではその印象を根底から覆している。
 細かい変化は様々である。まず、ヘクトールの妻アンドロマケーであるが、彼女は『イーリアス』では
テーベーの領主エーエティオーンの娘となっている。しかし『ファイアーブランド』ではコルキスの王女
である。そのコルキスも、女系で蛇の女神を祀る国であるとされている。コルキスはギリシア神話ではミ
ノス王に統治される国である。また、アキレウスの捕虜となったブリーセーイスは、『ファイアーブラン
ド』では未婚女性で、自ら望んでアキレウスのもとに赴いている。『イーリアス』ではアキレウスの捕虜
となったことを幸運だったと言ってはいるものの、きっかけは夫の戦死が原因である。
 大きな差異はやはり主役であるカッサンドラーである。
 12、3歳でアマゾーン族に里子に出され、彼女らと共に旅をし、コルキスで大地女神の巫女の資格を
得ている。このアマゾーン族との旅の経験から、カッサンドラーは弓を引き剣を持つことの出来る女性と
なった。
 そしてトロイアに帰国し、太陽神アポローンの巫女となる。だが神官クリューセーに言い寄られ、彼が
アポローンに憑かれていたとしても拒む、母なる女神にかけて、と口にする。それが故にアポローンから
予言を信じられない呪いをかけられる。
 アポローンの呪詛の原因は、ギリシア神話ではただ彼の求愛を拒んだことにある。だが『ファイアーブ
ランド』ではむしろ女神の巫女となったためであるかのように描かれている。そしてカッサンドラー自身
も、自ら求めていない力からの解放を悲しんではいない。彼女が嘆いていることは、自分が神々に操られ
ることである。
 トロイアで地震が発生し、アポローンの神殿の蛇がいなくなったため、カッサンドラーは蛇について学
び直そうと再びコルキスに赴き、その帰途女の幼児を拾う。帰還後しばらくするとアカイア軍に娘を連れ
去られたクリューセーがアガメムノーンに返還を求めるが拒否される。そのことからアポローンがクリ
ューセーに憑き、アカイア軍に疫病の呪いをかけた。結果としてクリューセーの娘はトロイアに戻る。そ
の後カッサンドラーは「対等に仲間として話の出来る女」を求めていたアイネイアースと愛し合うように
なる。これはカッサンドラーにとってはアプロディーテーの僕となるに等しかった。
 ギリシア神話ではカッサンドラーは子供を拾っておらず、アイネイアースと愛し合ってもいない。この
作品とギリシア神話との差で、気にとめておくべき箇所だろう。
 メネラーオスとパリスの一騎打ちの際、ヘレネーとカッサンドラーはアプロディーテーに祈って海から
霧を寄せ、パリスを救った。
 ここでは、ヘレネーが自分を女神のようにみせた、とあり、アプロディーテーを登場させているわけで
はない。『イーリアス』においてははっきりとアプロディーテーが救ったとされており、逆にヘレネーは
何もしていない。しかし、古代スパルタにはヘレネーを祀る社が二つあり、そのうち一つは「樹の女神
ヘレネー」ヘレネー・デンドリーテスを祀っている。彼女自身が大地女神系の女神とされていたのである。
 パトロクロスがヘクトールとの戦いで死んだ直後、アマゾーンのペンテシレイアが一族を率いてトロイ
アに到着した。そしてヘクトールはアキレウスに殺された上、亡骸を侮辱される。ヘクトールの死体を取
り返すための戦いも無駄に終わり、プリアモスとアンドロマケー、カッサンドラーの交渉の結果、ヘクト
ールの遺体はその重さと同じ量の黄金と交換されることとなる。葬儀の後アマゾーンは全力を投じてアキ
レウスに挑むが、ペンテシレイアはアキレウスに殺され、アキレウスはペンテシレイアの死体を姦する。
カッサンドラーはその復讐として、ペンテシレイアの形見の弓とケンタウロスの作った毒薬を塗った
矢で、アポローンに扮しアキレウスを殺した。
 この場面においても『イーリアス』とはかなりの差がみられる。『イーリアス』ではアキレウスはプリ
アモスを哀れんで泣き、母親に諭されて12日間の休戦を快諾している。また、『アイティピオス』には、
アキレウスはペンテシレイアを殺したもののその勇ましさ、健気さ、美しさにうたれ、後悔と事故嫌悪を
感じたとある。つまりこの場面のみではないが『ファイアーブランド』では、アキレウスは英雄としてで
はなく、むしろ戦狂いの幼稚な少年として扱われている。ギリシア神話中最高と賞される英雄の扱いとし
てはやや解せない。その死も大きく変えられている。神話ではアポローンがパリスに命じて矢を射させた
のであって、カッサンドラーが自分の意志で射たのではない。また、アキレウスが踵を射られて死んだの
はその場所が彼の弱点であるからで、『ファイアーブランド』のようにケンタウルスの毒のためではない。
話が前後するが、アキレウスの強さの表現として鎧に矢などが通じなかったというものがある。これも『フ
ァイアーブランド』では、鎧がヘファイトス作成のものであるがゆえでなく、当時としては珍しかった鉄
製であるからとなっている。
 その後、パリスの矢傷は悪化する。カッサンドラーは、パリスの前妻、スカマンドロス川の神の巫女オ
イノーネーに彼の治療を依頼するがオイノーネーは拒否し、パリスは死を迎える。ヘレネーは再婚した。
アカイア軍はポセイドーンに捧げる巨大な木馬を作り、トロイア方はそれを燃やそうとするが果たせなか
った。アポローンとポセイドーンの争いがポセイドーンの勝利に終わり、ポセイドーンの起こした地震に
よって城壁が崩れ、トロイアは落城した。カッサンドラーは養い子と共に女神の神殿に保護を求めるが強
姦され、養い子は殺された。
 この場面でのギリシア神話との違いは、まずパリスの前妻オイノーネーである。神話では、彼女はパリ
スの治療を拒んだ後、悔やんで自殺している。しかしこの作品ではそのようなことはない。また、スカマ
ンドロスの神とポセイドーンは同一とされている。パリスの死はスカマンドロスの神の巫女をないがしろ
にしたが故のことだとカッサンドラーが気付く場面がある。『イーリアス』では、スカマンドロスの神と
ポセイドーンは別物とされているのだが。また、木馬の計によるトロイア陥落はあまりにも有名だが、『フ
ァイアーブランド』には出てこない。その建設へのアテーナーの関与もない。
 カッサンドラーは気を失っている間に死者の魂と出会い、「生きている人々の中でまだすることがある」
と言われた。そしてアガメムノーンの捕虜となった。ミュケーナイに連行される途上でアガメムノーンの
子を産み、アガトーンと名付ける。ミュケーナイに到着後、アガメムノーンは彼を配偶者としている女王
クリュタイムネーストラーに、戦勝祈願の生け贄として殺された娘イーピゲネイアの仇として殺された。
解放されたカッサンドラーはザキュントスという者とともに子を連れてコルキスに行く。そして実は男性
であったザキュントスと共に、男女が協力しあえる都市を造るため再び旅立つことを決意する。
 『ファイアーブランド』はここで終わる。終章での古典との違いは、まずクリュタイムネーストラーが
ミュケーナイの女王となっていることである。ギリシア神話・悲劇にそのような説はない。しかし、クリ
ュタイムネーストラーという名が「世に聞こえる尊い婦人(女王)」というような意味であったことか
ら、女神が変化したものと思われる。他の差異としては、カッサンドラーの最期が挙げられる。『アガメ
ムノーン』『トロイアの女』等ではカッサンドラーはアガメムノーン殺害時に共に殺される。この箇所に
ついては、作者自身が後記で、カッサンドラーの運命は『イーリアス』に記されていないのでアテネの考
古学博物館の資料を基に書いたと述べている。
 ギリシア社会というのは、少なくとも市民階級においては徹底した男性社会であった。女性は家事育児
に心を注ぐべきで、政治に口出しは許されなかった。公的な場への進出が許可されるのは、祭の巫女役と
してのみである。家に閉じこもり、家事に一生を費するのが当然あるべき女性の姿とされていた。現代の
アメリカ社会で公にこの趣旨の発言をすれば非難の嵐に巻き込まれるだろう。また反対に現代のフェミニ
ストがギリシアで意見を述べれば同じ事だろう。
 『ファイアーブランド』のような女性を前面に押し出すトイア戦役譚は、フェミニズム論あってこその
ものである。
 そのフェミニズム論も、60年代から70年代のものは幾分過激なところがあった。しかし『ファイア
ーブランド』発表の頃から、男女双方がセッションを行い活発な議論を交わしている。『ファイアーブラ
ンド』において、結末が男女の協力をうたうものとなり、カッサンドラーがアイネイアースと愛し合って
子を拾っているのもその影響だろう。
 また、フェミニズムの動きとして性差概念の構造と起源を探るため、神話や聖書を読み歴史を学ぶとい
うことがされている。『ファイアーブランド』では、登場人物の性格や行動が多くホメロス以前の説話に
基づいている。また、コルキスでの場面で海の生物をかたどった壺に言及しているが、ミノアIBと呼ば
れる文化時代に海洋紋様が発達していた事実に基づいたものと思われる。
 ブラッドリーは作中、神々を極力排除している。また、カッサンドラーは神々の思惑に動かされること
を悲しんでいる。
 ギリシア神話中に、神々の領域を犯したため罰せられる例は数多く存在する。アラクネ、タンタロス、
メドゥーサ、ニオベ、マルシュアス等である。ギリシアにおいて神々は、逆らえば罰する者だった。しか
し『ファイアーブランド』のカッサンドラーは神々の支配を拒んでいる。
 現代では神と人間との関係は古代に比べれば稀薄である。自然科学によっての聖書の記述の否定は好例
だろう。もちろん熱心な信仰を持つ人もおり、バイオテクノロジーへの反対の声もある。だが、古代に比
べれば少ない。
 神と人間との関係の変化も、『ファイアーブランド』に大きく影響している。
 全体としてこの作品からは、人間がなにものかに支配されることを拒む姿勢がありありと窺える。ギリ
シア社会では奴隷制が発達し、市民が奴隷をもつことは当たり前だった(歴史上かなり優遇されてはいた
が)。判断力と体力は別としてという条件付きではあるが女性は男性に生まれつき劣ってはいないと言っ
たソクラテスも奴隷廃止論にはいたらなかった。しかしブラッドリーは人間の被支配を拒んでいる。もし
ブラッドリーがギリシア世界に生まれていれば、このような発想は生まれなかっただろう。
 『ファイアーブランド』という作品は現代の、人間は皆平等であることを理想に掲げた社会において現
れ、それをよく反映したものだろう。
 
 
 
 参考資料
マリオン・ジマー・ブラッドリー
『ファイアーブランド 1〜4』早川書房 1991
『アヴァロンの霧1』『同4』早川書房 1989
『ダーコーヴァ年代記 惑星救出計画』東京創元社 1986
ホメーロス
『イーリアス 上中下』岩波書店1953 19561958
呉 茂一
『ギリシア神話上下』新潮社 1979
『ギリシア悲劇 物語とその世界』社会思想社 1968
ブルフィンチ
『ギリシア・ローマ神話』岩波書店 1978
アイスキュロス
『ギリシア悲劇I』筑摩書房 1985
エウリピデス
『ギリシア悲劇III』筑摩書房 1986
藤縄謙三
『ギリシア神話の世界観』新潮社 1971
新井明他編
『ギリシア神話と英米文化』大修館書店 1991
森本哲朗編
『驚異の世界史古代地中海血ぬられた神話』文藝春秋1988
太田秀通
『生活の世界歴史3ポリスの市民生活』河出書房1991
 
 
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