いつものあれではございますが、この文章の場合言語上の問題により、資料的価値はさらに少なくなっ
ています。そのあたりを重々お含み置き下さい。
 
 ワールドコン以前の問題として初の個人海外旅行。それなりに不安も感じつつ、「スーツケースいっぱ
ーいにつーめこんだー」と歌いながら出発進行(お若い方はわからなくてよろしい)。
 
 飛行機の座席は通路側も確保出来、機内食もまあそこそこの味。さして問題もなかったもののやたらだ
だっぴろいアムステルダム空港で勝手がよくわからずに落ち込みながらもグラスゴー空港に到着。入国審
査の際、「こちらに兄がいる」というと係員の表情が硬くなったことに驚く。帰りの航空券を見せて通し
てもらい、外に出ると運良くグラスゴー中心部行きのバスが来ていた。
 中心部からホテルへの移動で地下鉄に乗る。と、どうやら試合観戦帰りらしいサッカーファンの集団に
遭遇した。「フーリガン」という単語が脳裏に浮かぶ。こっち来るなーと念じつつ(失礼な)どうやら目
的の駅に降りることが出来た。親切な方々の助力のおかげでホテルに到着出来たが、時刻は11時をまわ
っていた。ホテルの方に「疲れているならまず熱い紅茶を飲みなさい」といかにもなアドバイスを受ける。
同室の方は既にお休みだったので、挨拶はそこそこにしてお休みなさい。
 
 翌日、同室の方の御家族や、2007年大会委員会の方々と顔をあわせて改めて御挨拶し、一緒に朝食
に。幸い安い朝食を出してくれるお店を発見し、フルブレックファーストを注文した。目玉焼きと豆の煮
込み、ベーコン、焼きトマト、薄いトースト。お茶は別料金だった。感想。塩辛い。だがテーブルに塩と
胡椒の瓶が備え付けてあるということはそれらを使う人がいるということで。イギリス人の味覚なんて信
用するものか。
 ついでに食料その他を買い込めるコンビニも探す。雑誌コーナーに何やらサンダーバードの雑誌が。早
速購入される方もいる。私はサンダーバード世代でないのでパス。海外の人形特撮と言えば「了解」の代
わりに「テンテン」言ってたあれしか記憶(強制終了)
 会場はグラスゴーのコンベンションセンターのようなところとホテルだった。コンベンションセンター
の愛称は「アルマジロ」だそうだがむしろだんごむし。もしくは王虫(字がでません)。広いコンコース
に案内、銀行の出張所、多分常設のスタンドがあった。この銀行にはトラベラーズチェックの両替、スタ
ンドには食事とずいぶんお世話になった。他にも臨時の売店などあって、とりあえず胃に何か入れるぶん
には困らない。アルコールも扱っていた。朝に行くと参加者の方々が食べ物片手にプログラムのチェック
なさっている姿は日本大会の開始前会場ロビーとよく似ている。
 ホテルの方にも食事の出来るところがあり、渡り廊下で接続されていたが私はとうとう最後まで道順が
理解できず、一度会場を出てホテルの玄関から入っていた。
 初日はまず受付。パンフレットその他をいただく。名札はチェーンで首に下げるか安全ピンでつけるか
選択式になっていた。私はチェーンをいただいたが、他の日本人参加者の方、今年の日本SF大会で配ら
れたストラップの方が良いとそちらをつけてらした。持っていらしてたんですね・・・。
 パンフレットには二種類あった。日本でいうところのプログラムブックであるスーベニアブックと、タ
イトルが「ION TRAILS」となっているもの。今見たら後者の日付が3005年になってるわ。
とはいえ誤植ではない。グラスゴーが宇宙港という設定であり、その案内という形式をとっていたからだ。
「ドワーフによって採掘され、ドラゴンに守られた黄金が通貨として好まれる」や、嗜好品のリストにチ
ョコレート、スコッチウイスキーはまだしもロミュランエールやプルーンジュースがあった。SF大会だ
ねえ。
 その後は一人でグラスゴー観光。町並みは再開発中らしく、古い石造りの建物と近代的なビルが混ざっ
ている。街角のそこかしこに観光名所へはこっち、と案内が出ているので迷う心配はあまりなし。
 まあ山森ですから宗教博物館と大聖堂へ。博物館のイスラエル・パレスチナ対立を宗教上のものとする
解説に日本語でつっこみいれつつ堪能。その後遅いお昼を兼ねて博物館のカフェでお茶。サンドイッチと
紅茶で朝食と同じ値段。む。
 ここで買った「スコットランドの教会」に、教会用語の解説が出ていた。いや助かるわこれ。
 大聖堂は、ゴシックを「石の森」と表現することに納得しつつ本物だとはしゃぐ。が。聖堂で足下に注
意をはらわないと、よそ様のお墓や記念を踏んづけることになる。こちらの皆様気になさらないようだが
極東の人間は気にする。
 時間が丁度いいので、ロンドン在住の兄に「到着しているよ」と連絡をいれようとして電話ボックスに
入った。カード専用機。ち、と思いながら向かいにあったボックスへ。コイン投入口故障中。おのれイギ
リス。三つ目は大丈夫だったけれどもかなり探して歩いた。日本ほどではないだろうが、公衆電話が少な
くなっているのかもしれない。
 観光案内所に行ってテレフォンカードと詳しい案内を入手し、この日の観光はおしまい。
 町歩きも楽しみつつホテルに戻って皆さんと夕食。得体のしれないデザートには手を出せない根性なし
です私。
 
 午前中2007年大会のブースの手伝いをする。ととりあえずひんしゅくものの失敗はしていないと思いたい。
 2007年大会やその他のイベント誘致活動ブースのある場所は「エキシビションホール」と呼ばれ、
ディーラーズルームとはまた別だった。インターネットラウンジや、連絡手段のブードゥーボード(参加
者全員の名前が張り出され、連絡のメモを置いて、連絡したい人の名前のところにピンを刺しておくもの)
もそこに設置されていた。参加者の実用コミュニケーションのための場所といった趣である。ネットラウ
ンジは使い方がよくわからなかったのでパス。日本語対応のものはないようだったし。また、ここにも軽
い飲食の出来る場所がある。
 午後からは、みたい企画がオープニング前にあったので失礼して企画室にむかった。
 キリスト教とファンタジーについて。まず筆頭にあがるのは、当然「指輪物語」である。トールキンは
カトリック信者であり、ミドルアースは明らかにヨーロッパ中世を模している。だがキリスト教からは自
由である。この物語の目的は「準創造」であり、宗教的なものとは、すくなくともトールキンが意図して
かかわってはいない。
 そしてもう一つの傑作、「ナルニア国物語」のルイスはプロテスタントだった。アスランにみられるよ
う、アレゴリーを多用し、メッセージを伝えることを目的として物語を書いている。
 だが両者に共通するのは、異なるもの、指輪ならばオークといった多種族に対しての不親切である。こ
れは、二人が生きた当時の環境が原因であろうという論になっていた。「差別」で有名なのはアメリカの
キャンベルだそうだが。
 そしてファンタジーでも、欧米と異なる文化の人間が造った者、たとえば日本の漫画、アニメはまった
く異なるとされた。異世界を創造するにしても、自らの文化とは切り離せないということだろうか。「想
像もつかないようなものは想像出来ない」とは誰の言葉だったか。
 パネリストの方の、
「異教徒で違う文化の人が読んだらまた違うんだろうね」
という(らしい)言葉に
「ここにいるよ極東出身の異教徒が(カトリックの宗教教育を一応うけてはいるが)」
といいたくなった。どうでもいいがpagan「異教徒」という単語はどのようなニュアンスを持つのだろう。
この後何回も耳にしたのだが。
 
 そしてオープニング。初めて聞くパグパイプの音色は思ったよりも鋭く、かたつむりが這うような音で
はなかった(元ネタは私の世代の女性ならわかるだろう)。グラスゴーは「地球で最も繁栄している宇宙
港」と言う設定だった。スタッフはスペースポートクルー。ジェイン・ヨーレン、テリイ・プラチェット
といったゲストオブオナーの挨拶の後グラスゴー自治体側からの挨拶もあり、また実行委員会長がいかに
もなスコットランドのおじさんに扮する一幕もあった。宇宙海賊が地元ファングループとはいかに。ああ
SF大会だ。
 その後は「真実の中世」という企画に行ったものの、すみません疲れが出てたのか英語が子守歌になり
ました。ぐう。
 気を取り直して「日本ファンダムへの入り口」に行った。主にSF大会の模様が紹介されていた。こと
に受けていたのは、大量のスミス(マトリックスのあれ)の写真だった。都市型大会と合宿型の違いも説
明され、「我々は温泉のあるところならばどこででも大会を開く」と行っていたのもやはり笑いを誘って
いた。
 失礼ながら意外に関心をもっていらっしゃる方は多く、日本はSF界では興味の対象なのだと思う。
 この日の企画参加はこれでおわり。ホテルに戻り、翌日に備えて早く休む。
 
 金曜日はSF大会からは離れてヨーク訪問。この町にあるバイキング博物館が主目的だ。
 朝が早いので、駅のスタンドで買ったサンドイッチとりんごを車内販売の紅茶で食べて朝食にする。湿
度の関係か、バゲットの皮がぱりぱりで美味しく、また量もあるのでちょっとした食事には充分だ。余談
だが、ここではりんごを一ついくらと表示していたが、以前ドイツはミュンヘンの売店ではキログラム表
示だった。「一つだけ買えるか」と訊いて、何を言っているんだこいつはという雰囲気で「もちろん」と
言われた。でもキロ表示だったら迷うよ外国人は。
 そして車内販売のおじさんに「イギリスのコインよーわからん」と言って笑われる。
 車窓からの風景は牧草地などが多く、流石に美しい。だがやはり落書きや雑然とした場所もそれなりに
ある。「世界の○窓から」スタッフの皆様お疲れさまです。
 駅構内のツーリストインフォメーションで地図を手に入れ、さてと歩き出すといきなり街壁。本物だ本
物だと眺めながら歩いた。
 ヴァイキング入植当時の様子を、人形を使って臭いまでリアルに再現しているのが売りの博物館は、日
本の北欧本でも時折紹介されている。日本語のオーディオ解説があるのがありがたい。きてれつな日本語
でもなかった。しかし設定が「タイムマシンに乗って昔を見に行こう」は。いいんだけどさ。
 考古学上の発見に基づいて造られている人形や町は想像以上にみすぼらしい。ファンタジイで描かれる
きらびやかさとはほどとおい。こういう雰囲気をだすことは難しいのだろうか。
 やや低年齢向けかな、という展示を見て売店に行き、絵葉書や、このヘイムダルどうみてもヘルメスだ
ろうという愉快な本を買い込んだ。
 町中で日本グッズのお店を発見する。傍らにいたアメリカ人らしい人がキモノだとはしゃいでいるので
首を横に振る。営業妨害はやめよう。ひやかしで店に入って英語版「アキラ」発見。経営者の方はこちら
で結婚された日本女性でした。町全体が観光地化してはいるものの、狭い路地に並ぶ店が中世の町を思わ
せた。
 町の中の公衆トイレを利用した。ヨーロッパでよくあるという、個室の扉を開けるためにコインが必要
なタイプだ。んが。入っていた人が出てくるときに扉を押さえ、開いた状態で次の人に代わるというシス
テムが確立していた。わはは。これで水の流れがよかったら。
 そしてまた大聖堂でとちくるう。だから東洋人はお墓を踏んづけるの嫌いなんだってば。
 つくづく「石の森」。そして天井のリブにも装飾が施されている。映画「ロードオブザリング」のサル
ーマン・ガンダルフ対決の場面を思い出すような、華麗な装飾が天井に施された塔もあった。教会建築に
興味のない方には面白くも何ともない写真をとって楽しんだ。ただ、「ヨークシャーの魂」と言われるス
テンドグラスや「グリーンマン」と言われる彫刻は絵葉書に任せた。うまくとれる自信がなかったので。
 この大聖堂はローマのバシリカと同じ場所に建っている。ローマ・ノルマン・中世が綺麗に重なってい
て、よく言われるヨーロッパの三要素のお手本のようだ。その地下にはいると、ローマの遺跡がよく残っ
ている。一世紀ごろの泉もあった。コインを入れたのは日本人か。そしてノルマンの遺跡あるところ必ず
引き合いに出されるバイユタペストリ。どうもヨーク大聖堂の昔の司教様がバイユに縁のある方らしいが。
ノルマンの建築物はローマの再利用らしい。
 その後は駆け足で昔牢獄だった博物館を見、市壁の上を歩いて駅に戻った。歴史ある建物の裏で、ロー
プが張られて洗濯物がはためいていた。日本でも京都の東寺だったか、裏手にまわると縁側で猫が丸くな
っていた。
 遅いお昼兼おやつは再び列車内でサンドイッチ。幸い暗くなる前にグラスゴーに戻ることが出来た。
 この夜は日本人主催のパーティーがあり、お手伝いに行く。親子で和服をお召しの方がいらっしゃった
ので、お手伝いが一段落したところで自分も着替えた。そのまま、入り口でのお出迎え兼参加証へのシー
ル貼りをお手伝い。予想以外に和服姿はうけて、写真をサイトに載せる許可を求められた。外国のどこか
のサイトに自分の写真がのっていると思うと少し不思議。
 他のパーティーで、悪役を集めた展示物の中にCL○MP作品やファイ○ルファンタジーの登場人物を
見つけ苦笑する。ノルウェー主催のパーティーで、北欧にエッダやサガをモチーフにしたSFやファンタ
ジイはあるのかと聞きたかったがうまいこと人をつかまえられず。悔しい。せっかくの世界大会なのに。
また2007年にねらおう。
 もうひとつの後悔はクリンゴンの集団と写真をとっておかなかったことで。ちっくしょう。
 
 土曜日、夜のマスカレードを楽しみにしつつ「イギリスの風景とファンタジー」
スコットランドの天気が変わりやすいのは初日に雨に降られて実感し、また雲の動きが激しいのもよくわ
かった。それがインスピレーションを受けやすいのだとか。またイギリスの田舎は、ストーンヘンジのよ
うな遺跡があってイマジネーションに繋がり、ファンタジーを書きやすい。そういえばトールキンのホビ
ット庄はもののみごとにイギリスカントリーサイドですね。また、とても語弊のあるいい方ではあるもの
の。ごく一般的なアメリカ人にとっては古代のものは物珍しく、ニューエイジに影響を与えたという話も
あった。
 たいして、ロンドンなどの都会にも言及された。確かに教会建築などはその像(ガーゴイルなどですね
多分)がフォークロアなどで役に立つものの、うるさいので想像力が刺激されないらしい。また、脈々と
今人々が生活し続けている場所での歴史の再構築は難しい、と聞こえた。
 確かに今人が存在しているとどうも生々しいというのはある。突き詰めて言えば、ファンタジーにおけ
るイギリス風景は古代のもの、ということだろう。
 「ファンタジーのダークサイド」すみません英語が子守歌になりました。それでもかろうじて聞き取れ
たところでは、違う力を持っている存在は悪役になり、逆に主人公のためのものであれば虐殺であっても
正当化される。何と申しましょうか。9・11のあとではどうも。
 さてお楽しみのマキャフリイ企画、「あなたの世界の地図づくり」。
 ここでまず例に出されたのが、「現代では一マイルは十五分の道のりだが他の世界では異なる」という
こと。つまり他の世界ではこちおらの常識を通用させてはいけない、ということか。かといってあまり細
かすぎるのも適切でない、と考えられている。詳しい説明はストーリーを停滞させる。「HOW ARE
 YOU」に、健康状態についてえんえんと説明するようなものという解説がされていた。例として「白
い竜」のジャクソムは、竜騎士、太守、若者という三つの社会階層を行き来し、それで自然に説明になっ
ている。これは一つの技術。しかもそれでストーリーが動く。
 日本の大会でも似たような企画で何回も言われているが、大切なのはキャラクターとストーリーである。
ディテールのリアルさに文句を付けられれば、じゃあユニコーンという存在はリアルなのかという素晴ら
しい説明がなされていた。中世に教育を受けた女性を出すことはどうなのか、と言う問題については「男
性登場人物とのバランスの問題」と説明されていた。マキャフリイも、「パーン」の舞台である「ルクバ
ト星系」の「ルクバト」は天文の資料からとったが、発表後「ルクバト」は恒星でなく惑星だと指摘され
たとき、「私の世界ではそうなんだ」と答えたそうだ。……素晴らしいのかどうなのか。
 ファンタジー作家はたいがい同じことを考えるらしい。そしてマキャフリイの力強い言葉。
「自分が住みたいと思う世界を造りなさい」
流石です。
 この後はディーラーズルームやアートショーに行く。日本のディーラーズと違って、こちらはグッズ類
が非常に多い。ドラゴンのぬいぐるみやフィギュアなどは見ているだけで楽しい。また、壁に宇宙や惑星
の絵が飾ってあり、雰囲気が出ていた。
 「これ付けてみていいですか」を皮切りにつたない英語でおしゃべりもできた。そして猫Tシャツに散
財。Tシャツ屋さんに「日本にも行くよ」と言われる。是非来ていただきたいが、サイズを考慮していた
だきたい。日本には3Lを必要とする人はあまり存在せず、Mあたりが標準かと思われる。海外の方も来
られるから難しいところではあるが。
 言うまでもなく古本を買いあさりました。「パーンの人々」手に入れたかったけれども見あたらず。ネ
ットで古本買うと一万円は楽に超える。少し残念。
 アートショーは「マイクル・ウィランの原画」これにつきる。「パーン」ではなかったものの、幻想動
物がとても美しかった。
廊下で鍵盤ハーモニカを演奏されているお兄さんがいた。曲目は「ハレルヤ」などポピュラーなもの。毎
年なのだろうか。是非日本にもいらしてアニソンを。
 そして夜、マスカレード。アメリカの大会よりは多分規模も小さかったのだろう。だがかわいらしい子
供達の妖精の後、乗りまくったビール腹の妖精が出てきたり、ノームがSFにはまって大会を開き、「峠
の我が家」の替え歌で「ビールとチョコレートの溢れるところ」などと歌いながら大会候補地の宣伝をし
ていたりとたっぷりと笑わせてもらった。パンフレットにもあったが、ビールとチョコレートは世界大会
では欠かせないものなのだろうか。「ヴィクトリアンシークレット」のタイトルで、ヴィクトリア朝の格
好から当時の肌を覆う下着になるだけのストリップもあった。中には、ひとりで衣装の柄で南方の伝説を
再現しているものもあり、これは優勝していた。
 大会企画として「コスプレの鉄人」要するにヨーロッパとアメリカのコスプレイヤーがその辺にある
布で制限時間内に衣装を造り、できばえを競うもの。ヨーロッパチームの勝ちでした。
 どうでもよろしいが、案内のパンフレットにスタッフ一覧が掲載されていた。何この「ニンジャチーム
マネージャー」って。
 
 日曜日の企画は・・・すいませんいい加減疲れが出てきていたのかメモも記憶もあまり残っていませ
ん。出来る範囲で。
「未来は非西洋か」環太平洋SFといういい方がされていた。だが、西洋が経済的中心(忠臣というすん
ばらしい変換が)になる傾向があり、名前が全部アングロサクソンになっているそうだ。違う言語の名前
が出てきていても西洋のスタイルで活躍する。自国のSFがある日本(=非西洋)にしても、既に西洋化
されていて独自のものはあまり残っていない。パネリストの方はサイバーパンクの後オリジナリティにつ
いて考えるようになったそうだ。サイバーパンクはハイブリッドで、イギリスすらもアメリカナイズされ
ているという話だった。60年代ぐらいまではそうでもなかったが、現代はいいとこどりで文化が混じり
合っているそうだ。アジアが経済力をつけた証か、という推論がされていた。そのアジアでのSF状況に
ついて。中国ではSFや出版が政府によって教育として行われているらしく、またインドではコンベンシ
ョンもあるらしい。そういえば参加者の国籍一覧のところに台湾もあった。
 面白かったが、次の企画もあったので中途退席。この企画にはパネリストに小谷真理氏がいらした。ご
らんになってはいないとは思いますが妙な勘違いしていましたらすみません・・・。全ての関係者の方々
に言わなければなりませんな。
 「登場人物としてのヨーロッパ人」
 つまり小説に歴史上の人物を登場させることについて、らしかった。ここでも人物の実情と物語上の必
要性のすりあわせが問題になっていた。物語の要請に応じる、という考え方のようだったが。印象に残っ
ているのが、全てを実際のままに伝える必要はない例として
「スラッシュもの(日本でいうボーイズラブ)を見てみなさい」
あらあらまあまあ。
 眠かろうが疲れていようがマキャフリイのサイン会。30分前に行ったところもう列が出来ていました。
欧米の皆さんイラスト集やハードカバーをお持ちだった。私は十数年前に買った、もう小口がセピアを通
り越して茶色になっている「竜の戦士」。愛着をわかっていただければそれでいいのです。並ぶ前にディ
ーラーズで「パーン」の最新シリーズを買うと「サイン用か」と聞かれた。「自分の持ってきてるから」
と答えると何故か笑われた。
 順番がくると、色々伝えたいことを英語でシミュレーションしていたにもかかわらず言えなくて、写真
を御願いするのが精一杯だった。
 今写真は写真立てにおさまっています。生きててよかった。
 夜にはマスカレードと並ぶメインイベント、ヒューゴー賞授賞式。受賞作品は日本で発表されていない
ものがほとんどだったのでよくわからなかった。トロフィーの台座は地元出身のマッキントッシュデザイ
ン風にしたてたもの。ガラスなどを組み合わせた、と言っていたように思う。
 だが面白かったのが、司会や賞を渡す役目の方々。二人の司会のうち一人がフランス語で話しながら出
てきて、ヒューゴー賞の紹介で「ヒューゴー」をビクトル・ユゴーとし、「レ・ミゼラブル」をディスト
ピアSFと言ったりする。またロボット工学三原則を「オートマタは魚料理に赤ワインをサーブしてはな
らない」などとしていた。フランス語でロボットは「オートマタ」なのだろうか。ヴェルヌの故国フラン
スに敬意を表してか。そして話をヴェルヌに繋げていた。
 たいそうどうでもよろしいが、皆さん「コニー・ウィリスがどうたら」おっしゃっていたのは何だろう。
 短編のプレゼンターとして出てきていたG・R・R・マーティンが「この人選は私の作品の長さゆえの
ものか」とぼやいていたのが笑えた。
 受賞結果についてはあちこちで発表されているので。
 このあとヒューゴー賞の記念パーティ招待状をいただいたので、気軽にジーパンでいくと皆さん正装や
それに似た服装。慌てて部屋に戻って和服に着替え、あらためて出席した。締めるところは締めるらしい。
そしてサマーウールの小紋に半幅帯で正装になってしまう海外ブラボー。
 
 最終日月曜。お楽しみだったマキャフリイの朗読は都合で中止されていた。まあサインをもらえたこと
でよしとする。どうなっているのか調べて下さったお兄さんありがとうございます。
 「SF作家と猫」SFファンは本当に猫が好きらしい。売っているTシャツの柄も猫が多く、企画を聞
きに来た人達の中で猫を複数飼っている人の割合は半分以上だった。猫に使われている代名詞がWHOだ
ったし。うん。気持ちはわかる。残念ながら他の用事との兼ね合いで途中退場。しかし欧米の猫は「しゃ
ー」で庭先に来た熊を追い払うのか。
「ファンタジーとフォークロア」また趣味な。
フォークロアは民衆、神話は宗教という位置づけで話が進められていく。
 ハリーポッターの主人公、ハリーは失われた王子であり、これはフォークロアでよくある貴種流離譚で
あるとの解釈がなされた。また、ここでもファンタジイは結局西欧の文化であるとのことが言われていた
(気がする)。
 終わった後、パネリストの一人がサガを研究しているアメリカ人だったので、「2007年には日本に
来てまたお話をしてください」というと「もちろん」と返してくださった。楽しみにしていますよ。
 全ての企画が終わり、クロージング。ゲストオブオナーの方や委員長からのお話があり、次の大会への
引継。そしてパグパイプで締めくくられるあっさりとしたものだった。
 2007年の委員会の方々とちゃんとしたレストランで夕食をいただいた。そのレストランで気になっ
たのが「ハイランドゲームテリーヌ」。テリーヌはわかるが「ハイランドゲーム」とは何か。以前写真集
で見たハイランドのお祭りで行われるゲームは丸太投げなどで、食べ物とは縁遠いように思ったが。答え
は「ハイランドゲーム=ハンティング」。つまり狩りでとれるような、兎や鹿などの肉のテリーヌだった。
オレンジソースでおいしくいただきました。「野っ原(のっぱら)の獣のテリーヌですか」と言ったら何
故か目一杯笑われた。だって野っ原じゃないですか。
 私は翌朝早いのでラストのパーティには出席せずにホテルに戻った。
主に企画巡りを主体にしたので、日本の大会とよく似ていると言えば似ている。だけれども、企画を聞い
ている人達が積極的に議論に参加しているのがやはりヨーロッパであると感じさせられた。また、英語が
よくわからなくても親切に接してもらえたのだが、「ここは英語がわからない人がいて当たり前の空間で
あるし、仲間意識もある。ロンドンでこうだとは思わない方がいい」と言われた。SFファンの仲間意識
は国境をこえるということか。
 
 翌朝は御挨拶もあまりできないまま空港へむかった。そして両替所で、日本では円に出来ないスコット
ランドポンドをイングランドポンドに替えようとして断られる。ツーリストインフォメーションで両替で
きる場所はないか聞いてみると、「あそこにどうぞ」と先刻の両替所を示された。「He said n
o!」暫くの沈黙の後、「まあロンドンではだいたい使えるから」という言葉が返ってきた。これからス
コットランドにご旅行の皆様、スコットランドポンドはイギリスで日本円に替えるのが無難かと思われま
す。
 本が原因で荷物超過料金とられました。
 そしてゲートはゲート閉鎖15分前に変更されてオープン。あまりのことに、どうやら同じ便に乗るら
しいイギリス人に「ゲート変わったんですか」と尋ねると苦笑いしながら「そうみたいだね」。遅延に動
じないイギリス人。日本だったら十分毎に放送がはいっていそうな気がする。
 まあ違ったら搭乗券つっかえされるさとそれらしいゲートに行った。よかった正解で。おのれブリティ
ッシュ○ッドランド。
 
 ヒースロー空港のカウンターで念のためにリコンファームを御願いすると失笑されて「OK」。何故に。
ロンドンヒースロー駅で赴任中の実兄と待ち合わせ。の筈が職場の最寄り駅まで行かせられた。いいけど
さ。ロンドン滞在中は彼の家に泊まる。一週間有効な地下鉄のパスを買い、家に向かった。ロンドンの地
下鉄は事前に思っていたほど不親切ではなかった、英語に不慣れな者には聞き取りにくいが、一応車内放
送があり、扉も自動で開いた。驚いたのが、かなり地下深くにもぐることだ。場所柄、下手に浅いと遺跡
があるのだろうが。そのせいか、車内も日本に比べると狭かったような気がする。兄は息が詰まるようで
嫌いだとぼやいていた。
 到着の日は荷ほどきと体調調整にあてた。久しぶりの米飯だったが、米の種類と水が違うせいか今ひと
つ。だが贅沢はいうまい。夜はガイドブックやコピーしてきたトー○スクックとにらめっこしてお休みな
さい。
 
 ロンドン観光初日は誰が何と言おうと大英博物館。写真をとろうとしてカメラを忘れたことに気づく。
ち。テロ対策か、入り口で荷物チェックを受け、日本語ガイドを入手した。入り口で売っているガイドに
も館内見取り図は出ていたが、開きにくいので改めて地図を買った。出発前に目当てのものがある部屋は
チェックしておいたので突き進む。
 日本人どころか人気自体が少ないヨーロッパ中世コーナー。遙かな時の彼方に去った、猛き男達のどよ
もしを耳に響かせる武具に囲まれ、それはあった(阿呆)。フランクスの小箱!サトンフーの兜!ああヴ
ェルンドが飲み物もってるよ。小箱は中世コーナーでも目玉品らしく、部屋の中央に麗々しく置かれてい
た。長時間眺めて、職員の方にうろんな目つきで見られました。武器などは、やはり鉄や木材で出来てい
るせいか、復元された物も多かった。よくこの状態から復元できる、と思ったもの多数。
 見取り図片手に進むと、大英博物館の至宝であろうロゼッタストーンもあるエジプトコーナー。エジプ
トも不案内な私はさっと眺めて通り過ぎた。人混みがすごかったせいもある。それと比較すると中世コー
ナーは本当に地味だった。
 中東美術も白眉とされているらしい。川の中にいる魚などは、種類の特定などは可能なのだろうか。し
かしこれだけのものを発掘して持ってくる、華やかなりし時代の大英帝国貴族の財力とオタクっぷりと傲
慢さには何ともはや。
 そしてギリシア彫刻と壺絵。デメテル像に、アキレスとアマゾン族の闘い。戦に出かける息子を見守る
家族。神殿の彫刻。これはあの本で見たあれだ、と嬉しいやら懐かしいやら。十代の記憶は以外に残って
いた。見られてよかった。美術品の略奪問題はおいといて。ここになければ、内戦や何やかやで破壊され
ていたかもしれない。
 メインの展示物からは少しずれた小部屋にある、未整理のものや、地味なものを見て、素人なりに様々
な憶測をめぐらせるのもよし。
 特別展示は日本の上方歌舞伎。知識がないので一応見るものの、さらりとながす。入り口で係員のお兄
さん「学生?」違います。
  お昼は博物館内のカフェでサンドイッチとサラダ、苺のクリームがけ。クリームがまさに「クリーム
色」で驚いたが、濃厚で疲れた身体にちょうどよかった。8月に苺が食べられるのかイングランド。
 興味がないところ・馴染みのない文化のところもいちおうひととおりまわった。コーナーがあるかぎり
可能なら全てをまわるのは当然でしょう。神社なら奥の院まで行きます。しかしヨーロッパと地中海沿岸、
中近東以外はひとくくりにする気か大英博物館(収蔵量の問題かもしれない)。そしてクロークを通りす
ぎると、歌舞伎コーナーにいた係員の人がいて目が合い、笑われた。何故に。
というわけで朝10時から5時半まで入り浸り、ショップで80ポンド散財して(ヘイムスクリングラの
英訳本!)レジのお兄ちゃんに「よい夜を」と言われる。
 ところで最寄りの地下鉄駅から博物館に行くまでの間に、両替所か銀行を探してスコットランドポンド
をイングランドポンドに替えようとした。近くにスコット○ンドバンクがあったので申し出ると、「うち
では受け付けない。ソーホー界隈に受け付けるところがあるからそこに行け」。出来るところに迷わず行
ける自信がなかったので近場で別のところを探すことにする。出てすぐのところに両替所があったので頼
んでみるもやっぱり断られる。もう兄に頼もうかと考えながら歩いていると目に入ったトー○スクック。
ここならとつっこむも矢張り駄目。がく。結局後日兄に頼んでスコ○ィッシュロイヤルバンクの支店で替
えてもらった。その時兄がイギリス人の同僚に話したところ、「利益の発生しないことを断るのは当然だ
ろう」と言われたそうだ。「お客様は神様」の国から来た元接客業脱力す。
 大英博物館では問題なく受け付けてくれたけれども、日本に帰る段階までにはどうにかしておかないと
ほんとうに困る。皆様お気を付け下さい。
 これは以後の日々すべてだが、日が落ちると駅からの道を間違えやすくなるので早めに兄宅に帰る。自
分で食事を作ってお休みなさい。
 
 さて遠出の日である。目的地はカンタベリ。主目的は言わずと知れた大聖堂。列車の時刻その他は日本
で調べてきてあったので、ホームで駅員に確認してから乗り込んだ。
 そこそこ空いている車両に腰を落ち着け、暫くすると車内放送があった。よく聞き取れないが、devide
という単語が判別できた。そういえば列車の中には途中で行き先が分かれるようなものがあった気が。
 ここに座ってもいいかというにいさんを勝手にしとれ私は今それどころではないと無視して、文字の流
れる電光掲示板を必死で見詰めた。どうやら前四両とそれ以後で分かれるらしい。何度も確認し、カンタ
ベリへは今いる車両で大丈夫だとわかってやっと一息ついた。だがしかし、車内改札のときに「どこに行
く」と聞かれたので無駄な努力であった。
 今回鉄道での移動用に、一ヶ月のうち8日間乗り放題のパスを用意していった。規定では、車内改札の
時パスポートと一緒に提出することとなっている。これが車掌さんによってチェックが違う。パスポート
と重ねられたパスをちらっと見るだけで済ませる人もいれば、パスポートナンバーから日付から確認する
人もいる。新幹線の車掌さんが聞いたら卒倒しそうだ。
 駅のホームの自販機で、町の地図を買った。商売気が強かったけれども。綺麗な絵地図で記念になると
思う。
 駅前にノルマン時代の砦跡があったのでついでに寄っていった。本当に一部分のみが残っているだけだ
ったが、見張り塔の中に入れたので行ってみる。階段が狭い。日本人女性として大柄ではない、むしろ小
柄な私と、白人男性一人がどうにかすれ違うことができる程度だ。長い剣を振ることなど絶対に出来ない。
中世の城の本などでよく書かれていることを実感した。
 さて大聖堂。ヨークでも思ったが、細い路地を抜けていくと門があり、それをくぐると教会という町の
つくりは大きな教会のある町では標準なのか。教会の門をくぐってもまだ住居やブティック(らしき建物)
があった。教会を中心に発展してきた、ということなのだろうか。
 カンタベリは入場と内部写真撮影に料金がいる。維持に一日九千ポンドの費用がかかる、という理由ら
しい。まあそうでしょうねえ。外にある売店で案内を買い、外からの撮影は許可いるかと尋ねると「いら
ない。内部の許可も中の売店で大丈夫」との返答だった。
 受付で「学生?」。ちゃうゆうとろうが。東洋人は若く見えるあれなのかそれともただ単に貧乏臭い格
好して(洗いざらしノーアイロン綿シャツ+ジーパン+よれよれスニーカー+リュック+化粧なし)いた
からか。
 地下の閉場時間が近いから気を付けてねーとの声を聞きつつ内部散策。見事な石柱とステンドグラス、
内部装飾は流石多くの巡礼者を集める大教会。・・・そして上を見て歩いて人様のお墓を踏んづける。ユ
ニオンジャックやその他旗の下がった一画がある。戦没者のためのものらしい。貴族や騎士階級の人のた
めだそうだ。有力者とのつながりが強いところならば、その権勢も危険視されたのも無理はない。
 簡単なマップはいりませんか、と案内の人に声をかけられた。言語は、と訊かれたので日本語の有無を
尋ねると渡してくれた。礼を言って歩き始めると「いったい何種類の言葉を用意すればいいんだか」。聞
こえてるよ。そしてその程度の英語は理解するよ。
 内部の写真は絵葉書ですませようと思っていたものの我慢出来なくなって売店で絵葉書と一緒に許可を
もらった。そして黒太子の墓(レプリカじゃなかったら撮影しません)などを撮って悦に入る。奥に行く
とトマス・ベケット暗殺に使われた剣と槍が、現場に展示してあった。本物だろうか。いい感じに錆びて
いたが。聖遺物が気軽に展示されているわけもないだろうが。 外の回廊に出る。中庭の芝生が蒼く、爽
やかな気候で・・・と思ったら墓があった。気を取り直してふと天井を見上げると、リブの交差点に紋章
が飾られている。盾のかたちだったので、おそらくは寄進したか縁のある貴族のものだろう。帰国後パン
フレットで確認すると、プランタジネット朝との繋がりがよくわかるものだそうだ。ほー、と見ていると
三本足紋を発見した。シチリアノルマン系かそれともマン島か。
 議事堂もあったので、中をのぞいてみる。椅子も何もないそこは、ただの部屋にしか見えなかった。往
事は剃髪の修道士達が並び、謹厳な場所だったのだろう。
 書庫にも行ってみたかったが、公開されているかどうかもわからなかったのでパス。
 内部に戻ってステンドグラスを見ていると、「ここは巡礼の場なのでひととき御一緒にお祈り下さい」
という(らしい)放送がはいった。そういえば「聖職者との面談はお気軽に」との張り紙もあった。「巡
礼地」カンタベリ健在。 ステンドグラスの絵にもさまざまなものがある。私レベルが見て見当のつく聖
書の一場面や聖人画、さっぱりわからないもの。きちんと理解できればもっと楽しいのだろうが、時間を
さらに消費するだろうことは確実なので善し悪し。
 時間も迫って来たので地下に入った。一時代前のものだ。地上の華麗さとは対称的な彩色のない(ある
いは剥げた)低い天井、装飾のない、ところどころ石の欠けた棺。祈りの場所には、地上のような華麗な
ステンドグラスはおろか、椅子や祭壇すらもない。ただ、朴訥な石の床があるのみだ。その当時のカンタ
ベリがどのようなものであったかはしらない。だが、権勢を得る前の、ただ信仰の場所であった時代には
ふさわしいような気がした。
 いいかげん歩いて疲れたので塔に登るのはパスし、教会敷地内のちょっとした売店でスコーンを買って
お昼兼お茶。日本で言うならおにぎりとペットボトル緑茶の感覚だろうか。ティーバッグをカップに入れ
たまま紅茶を飲むのにも慣れました。手の上でスコーンくずを小鳥に食べさせて隣のテーブルにいらした
老婦人お二人に笑われる。
 修道院跡にも行きたかったので大聖堂はきりあげることにし、土産物店兼売店に入った。紋章の入った
クッションなどグッズが所狭しと置かれている。どこでも文化財の維持にはお金が・・・と少しもの悲し
い。バイユタペストリのグッズも種類が豊富だったが、何か関連があるのだろうか。なお、この売店から
出ると構内にはもどれませんのでお気を付け下さい。
 宗教改革で破壊された修道院跡に行く。廃墟。青々と茂る草の上。世界遺産でピクニックをしている親
子連れ。「祇園精舎の鐘の声」とか「沙羅双樹の花の色」などと呟きたくなる。史跡の面積はかなり広い。
この面積を占めていた建築物を破壊するのに費やされる労力はと考えると、いかに危険視されていたかが
よくわかる。
 管理センターに出土品が展示されていた。主に彫刻などだが、これが建物のそこここに配置されていた
のであれば、現在の大聖堂と同じく壮麗なものだったのだろう。売店では本の他に、修道院らしくハーブ
ソープも売られていた。行きたかったのよシュルーズベリの修道士カドフェルツアー。
 管理センターで支払いの時、小銭で丁度の金額を出すと「lovely」と言われた。そういう使い方
なんだと思う。
 このあとは駅に戻りながら町並みを見て歩いた。確かに看板などは少なく、建物の色合いも落ち着いて
いる。だが、それは観光地であるから整えているのだろう。再開発中であり、大規模集合住宅もあったグ
ラスゴーの路地裏や、兄宅付近の商店街では張り紙やゴミ箱、商店の看板などで雑な雰囲気があった。景
観に気を遣うヨーロッパ、というのは観光地や階級が上の人間が住む場所ではないのだろうか。
 イギリス中どの町にでもあるのではないだろうかと思うローマ博物館はまあローマだねえと。イギリス
の博物館はしかし、子供にパズルや発掘体験をさせるのが好きですね。日本ももっと・・・と思うが、か
つて書店のキッズコーナーを管理して、売り物である本に対する手ひどい扱いに泣かされた人間としては
首を横に振らざるをえない。
 中世の巡礼を収容した、1170年創立の病院の博物館があったので寄っていく。カンタベリ巡礼とい
えば相当な人数があったはずだが。狭い。ベッド7、8台をおける程度だった。談話室もそれほど広くは
ない。その当時のままの規模かどうかはわからないが。多分ここで治療を受けられる巡礼は幸運だったの
だろう、と一人納得して駅に戻った。
 
 翌日は円卓目当てのウィンチェスター。誰ですか拳銃を連想しているのは。時間があったらソールズベ
リも、と車内で時刻表とにらめっこ。
 車内の設備は、電光掲示板でお知らせが流れるもの、放送だけのの、対面式で四人がけの座席があるも
の、二人がけだけのものとけっこう差がある。路線や運行距離によって違うのだろうか。
 ウィンチェスターの駅は、観光地の割にはこじんまりとしていた。表に出てみても、日本で鉄道会社が
開発したベッドタウンのような光景だった。イギリスの鉄道駅は郊外にあると聞いていたが。
 駅前のインフォメーションで(これがまた小規模旅行会社のカウンターのように実用一点張り)ガイド
をもらい、さあ出発。近代的なショッピングエリアを抜けると、観光客向けのインフォメーションセンタ
ーなどがある地帯に入る。主要道路に面した建物の壁には、色彩豊かな花々が植えられた鉢が飾ってあっ
て、駅とは裏腹の観光地らしい華やかな雰囲気が漂っていた。
 とりあえずアルフレッド大王像を見に行く。ロータリーの中心にそびえ立ち、盾を持ち剣を掲げた偉大
なる王、というイメージだ。20世紀初頭の作らしい。
 さていかにも観光地風に整えられた公園を横切って大聖堂に。周囲には芝が植えられ、爽やかな夏空の
下家族連れがピクニックをってだからなんで墓の側で。
 この大聖堂は王室との繋がりが深く、それ故に彫刻なども見事だが、ゴシックとロマネスク、二つの様
式がはっきりとわかる形で存在している。それはもう私程度でわかるくらいに。普段本や写真で見ている
ことが、実物で確認できるというのはとても嬉しいことだ。あと英文学が好みのかたにはジェイン・オー
スティンの墓も見逃せないだろう。
 話が前後するが、ワールドコンで一緒になったスコットランドの方が、「嵐が丘」を「classic」
と言っていた。文脈から判断するに「古典」という意味合いだったと思われる。「嵐が丘」で古典ならば、
英文学における「ベオウルフ」はいかに。
 地下には、季節によっては近くを流れるイッチン川の水が入ってくる。基盤大丈夫なのかな、見ながら
思った。後日案内をよくよく見ると、やはり危険だったらしく、水に潜って調べたことがあるらしいこと
がわかった。その時に使われた潜水服が大聖堂内に飾られていた。告白します。最初見たとき。「殉職で
もなさったのか」と思いました。
 二階に書庫があり、有名な装飾写本が展示されているらしいので階段を上る。受付で「チケットは」と
聞かれるので、ここで支払い大丈夫かな、と思いながら財布を出した。と同時に係りの人と側にいらした
人に笑われる。ここで言うチケットは、入場の時買った物のことだそうだ。それでもって側にいらした人
も同じミスをしたらしい。つまりは大抵の人が間違うということだな。表示に再考を要す。E判定。
 写本は展開展示されていた。本物や本物や。ちょうどツアー客がいたので後ろにくっつき、ガイドの方
の説明を聞いた。装飾に黄金とアフガニスタンのラピスラズリが使われていて、その青の見事さから「ウ
ィンチェスターブルー」と呼ばれているとか(「ラ・コンテス・ブリュー」みたいやね)。ツアー客が去っ
た後、近づいてゆっくりと見てみた。飾り文字の中にある細かい天使画や、字の位置をそろえるための線
など、よく手作業でここまでと思う。
 満足するまで見て書庫に行った。大判で分厚く、革装の古い本が所狭しと並んでいた。入室や手に取る
ことは禁止されているのでどの程度の年代かはわからない。だが、古びた革背表紙が並ぶ雰囲気は、重厚
でいかにも知の殿堂といったものである。だから紙の本には決してなくなって欲しくない。電子図書に馴
染んだ世代が見れば、CDその他の媒体も何らかの感慨を持つのかもしれないが。
 同じ二階で宝物庫や、宗教改革の時に破壊された残骸を見る。宝物はともかく、残骸は本当によくまあ
ここまでと思える。彫像など、完全な姿であればどのようなものだったのだろう。逆に言えば、そこまで
豪華なものを作るほどに権勢を持って疎まれていたのかもしれないが。
 大聖堂に満足したところで、付属のレストランで軽い昼食をすませ、構内を散策。外に出るとゴシック
とロマネスクがくっきりとわかる。また、演劇の会があるのか、舞台が設営されている最中だった。劇の
題材によっては格好のロケーションである。
 大聖堂の敷地を出てから城跡に。地図を頼りに、世界遺産の隣にサッカーグラウンドかいとひとりつっ
こみしながら案内所にたどり着く。カンタベリのものとは違い、掘っ建て小屋の切符販売所といった趣で
ある。それはいいが。人がいません。パンフレットが置いてあり、その値段表示もありますが人がいませ
ん。呼び出しインターフォンなどもありません。いいんですかー入っちゃいますよいいんですかーと思い
ながら城跡に行った。
 こちらは、この辺りは建物のこの部分にあたる、と小さな案内板があったので比較的わかりやすかった。
ただよくここまで壊れたな、というのは同じである。
 身長158センチの私が背中を曲げずにくぐれる程度の出入り口が丸ごと残っていたので案内を見てみ
ると、客を迎えるための門だったと書かれていた。案外小さい。だが、昔は装飾などで華麗だったのかも
知れない。
 独自の水道設備を備えていたり、部屋の窓が案外大きかったりすることに驚きながらまわる。やはり案
内板は欲しい。
 一部分使われている建材が違ったり、明らかに普通の石でなく、水晶などの鉱物らしい断面があったり
するところを何点か写真に収めた(私はミネラルファンではありません。珍しかっただけ)。そしてここ
でも演劇練習のグループがいた。何かの催し物なのかもしれない。
 ひととおり眺め、木製の柵と鉢植えで綺麗に飾られたイッチン川沿いの遊歩道を歩いて、ナショナルト
ラストに登録されている粉ひき場に行った。粉挽きの機械は周囲からのぞき込めて、水車から歯車に力が
伝わって粉が挽かれる仕組みがよくわかる。中世ヨーロッパでは粉挽きは差別対象だったと思うがさてこ
こではいかに。そして売店で関係のない猫グッズを買い込む。
 円卓のある場所に向かう途中で市博物館に入った。公民館を兼ねているような場所で、まあ日本でいう
なら地方役場を定年退職した方々が嘱託で運営しているようなところ。と言えばわかっていただけるだろ
うか。ウィンチェスターの絵画や歴史などをふうん、と思いながら眺める。で。郷土の有名人コーナーが
あって。故プリンセス・オブ・ウェールズとオーランド・ブルーム。それはいい。だがなぜに展示方法が
フィギュア。しかもオーランド・ブルームはレゴラスフィギュアだよ。思いがけず笑かしていただきまし
た。そしてやっぱりあったローマ博物館。
 移動ついでに小さな本屋に入った。SFとファンタジイのコーナーをみるとワールドコンゲストオブオ
ナーのプラチェットの本が並んでいた。こちらではメジャーな作家なのだなと思いつつ買ったのは中世壁
画の本だった。
 そして本日メインの円卓。その他に目立つ物が何もない建物の壁に、どどーんと掛かっていた。アーサ
ー王もあんまり詳しくないので、騎士の名前もメジャーものしか確認できず。だが、説明もないというこ
とは、イギリスの人にとっては説明不要なものなのだろうと。
 同じ建物の側面から、中世絵画を模したという庭園に出られる。その絵(のコピー)が戸口にあった。
私の記憶が確かならば、これは旧約聖書の、人妻のお風呂のぞき見した賢者だったか王だったかの逸話で
はないですか。んなもんありがたがるのかイギリス人。
 日本語でぶつぶついいながら一応見に行った。2、3坪ほどの小さな庭だった。泉と水路、東屋がしつ
らえられ、かわいらしい草花が植えられている。中世写本に出てくる閉じられた庭のようだ。しかしその
ことを除けば。一応大学の時ヨーロッパの庭園について少し、ピクチュアレスクだのなんだのとかじりま
した。ですが普段見慣れているのは松と槇の植えられた庭です。すみませんそこらの草が生えてるように
しか・・・。
 売店で絵葉書などを買い、市門の跡に行った。町の景色が綺麗に見えるらしいので屋上に向かう。扉に
「頭上注意」とあった。確かに、私でも狭いと思うくらいに天井が低い。屈んでとおりぬけようとして「ぶ
ぎゃお」。屋上にいらした方に「うちの子もやったわよ」と笑われた。屋上から見ると、道路が一本まっ
すぐに通り、大聖堂の塔も見え、電線やガードレールなどがないぶん町並みはとても綺麗だった。だがど
こか生活感がないようにも見えた。
 景色を堪能すると、そろそろ駅に行かなくてはならない時間になっていた。グルカ兵博物館に後ろ髪引
かれつつ駅に急いだ。
ソールズベリには時間的に無理があり、ロンドンに帰った。この日はロンドン三越に寄って義理土産問題
を解決。地図上での位置が端だったため、きちんとたどり着けるか不安だったが。三越の袋を手にした日
本人がたくさん歩いていたので問題はなかった。日本語と、何も言わなくても先回りして選択肢を示して
くれる接客態度。ああ日本の店舗だ。
 帰宅すると兄がいた。「今日はウィンチェスターにアーサー王の円卓見に行った」「ああ、あの石で出来
てる」ひょっとして映画「キング・アーサー」のあれを連想したのだろうか。日本人の認識はこんなもん
だということ。
 
 さて最終日は再びロンドン。まずはナショナルギャラリー。トラファルガースクエアのすぐ近くでとて
もわかりやすい。ここはターナーのコレクションで有名らしい。中学時代英語のテキストでターナーにつ
いて読んだのが懐かしいが、ここはやはり中世絵画のコーナーに直進した。・・・キリスト教図像事典持
ってくるんだったちくしょー。日本ではまずお目にかかれない量がある。近代絵画でもそうらしいが、中
世やルネサンス期のヨーロッパ絵画は、象徴などを読み解く楽しみがあるから好きだ。もし出来るなら、
展示されている絵の前で図像事典などを2、3冊広げて筆記用具片手に座り込みたい。ブリューゲルやボ
ッシュなんてもう。
 その他ファン・アイクなども堪能し、19世紀末絵画は時間の都合でパスして次の目的地ビクトリアア
ンドアルバート博物館に向かった。
 前夜に兄からとりあえず普通の観光もしておけといわれたのでロンドンの街を散策ついでに歩いた。あ
ービッグベンねはいはいウェストミンスターは混んでなかったら入りたかったなーバッキンガム派手ねー
ハイドパーク広いねーほーここがセビルローストリートかハロッズおっきいねー。以上。
 途中第二次大戦記念碑のあたりを通った。サブマシンガンというのか、とにかく何か両手扱いの大きな
銃を構えている警備の人が複数立っていた。第二次大戦記念碑は確かにテロの標的としては格好のものだ。
イギリス現在準臨戦態勢。やだね。
 さてV&A博物館。工芸品を主に集めた場所だ。案内をもらってざっと眺める。この階段は2階と3階
のみに繋がっていてこの通路はこの部屋だけで。何ですかこの迷路は。建設当初は小さい建物で、順次建
て増した結果らしい。
 世界各地の建設物などのレプリカを集めた場所に行く。おおお北欧の教会扉や柱。これは撮らねばと思
い、係のにいさんに撮影は大丈夫か尋ねる。イギリス接客業とは思えないにこやかな表情で、「この博物
館内はどこでも撮影可能ですよ。フラッシュもね」と答えられた。ではとせっせと撮影。そしてふと後ろ
をみると聖人の木製彫刻。司教冠を被った大きい物とその周囲に聖母マリアやピエタ像、四体ある。もし
やと思って作者を確認する。ティルマン・リーメンシュナイダー。ドイツ中世木像彫刻の最高峰と言われ
る彫刻家で、後年叛乱に意識してか担ぎ出されてか関わり、失敗に終わって手をつぶされたという経歴の
マイスターだ。ひゃっほい。複製品かどうかまでは確認しなかったが、見られると思っていなかったので
浮かれる。ドイツ本国でも、作品は各地の教会に散らばっているので見にくいと聞いた。以前本を読んで
から興味を持っていたのでとても嬉しい。
 このコーナーには、他にも世界各地の建設物や彫刻のみごとな棺(またかい)が展示されているのでじ
っくりと見ると楽しい。いささか置きすぎの気はあるが。
 日本コーナーもあり、根付や印籠などが見事だった。博物館への入場者はそれなりにあったれど、ここ
にいたのは明らかに東洋系の顔立ちをした人が主だった。なんだかね。
 例のごとく中世コーナーに。アーサー王や聖書、聖人伝説をモチーフにした浮き彫りなどが楽しい。絵
画に限らず美術品は読み解きが楽しみである。「ああ綺麗だね」もいいけど。だから、わたしの知識不足
のせいもあるけれど印象派はあまり食指が動かない。くわえて日本で展覧会があるとだいたい人混み。興
味のないものを見にわざわざ人混みにお金を出して行くほど気力はない。
 「工芸品」ということになるのか最近の掃除機もあった。うん多分あと五十年くらい経てば立派な資料
だ。
 ほんのりと薄暗い展示室にあったのは、中世のタペストリだった。花畑のなかにユニコーンと女性がい
る絵柄だ。タイトルや詳しいことは忘れたが、よく本で見るものだ。これはとくにいいものなのだろうが、
こういうものが城の壁に掛けられていたのだなあ、と思った。写真撮影などにおおらかなイギリスの博物
館も、ものが有機物の場合は厳しい。
 そして、何か本棚のようなものがあるところにおさめられていたのは各種布地見本だった。蜘蛛の巣に
たとえられる古いボビンレースや本物の中世の布地もある。私は本物だ本物だと面白そうなところを出し
てみるだけだったが、服飾史やデザインに興味のある人ならば一日いても飽きないのではないだろうか。
 その他の展示室も一応見てまわり、ロンドン散策はおしまい。公衆電話から日本の旅行会社ロンドンデ
スクに電話し、ストライキをしていたヒースロー空港の状況を確認してから地下鉄に入った。
 駅で小さなパンフレットを渡された。よく見てみると、テロの情報提供や心理ケアの連絡先だった。イ
スラムの方達むけの案内もあった。良い方向に向かうといい。
 この日は最後なので、夕食は兄のおごりで日本食だった。多分日本人の方が経営の個人レストラン。突
き出しにおみそ汁、サラダ、鮭の塩焼きに御飯と漬け物、デザート二人前で日本円換算約一万円。兄コメ
ント「日本だったら一月でつぶれる」。珍しく意見が合致した。
 
 翌朝は起きてすぐヒースローに向かった。ストライキの余波か、立て込んではいたけれども私の手続き
は、本を別便にしたおかげで重量超過もなくスムーズに終了した。
 予定通りにいけば出発まで1時間ほどのはずだ。ゲート近くで売店を見て時間をつぶす。
 何か放送が入った。私の乗る便が30分ばかり遅れるらしい。乗り継ぎには3時間ほど余裕があるので、
まあ待つ時間は合計すれば一緒だねと流した。30分後。まだ遅れるとの情報が入る。おいおいおい。団
体客の添乗員さんが笑顔を浮かべて走り回っておられる。そして乗客の間に奇妙な連帯感が生じた。
 結局飛行機に乗れたのは、乗り継ぎ便が出発する30分前だった。待っていてくれるといいけど、と思
いながら席に座るとさらに1時間遅れるとアナウンス。諦めました。
 アムステルダムに着くと案の定置いてきぼりをくらっていた。アテンダントの方が逆切れしている。男
性アテンダントは何故か陽気に歌っている。あーあ。何はともあれカウンターで替わりの便を手配しても
らった。「では四時間後のクアラルンプール行きに乗ってください」。・・・は。クアラルンプールってど
この国ですか。公用語と通貨は何ですか。せめて英語は通じますか。「それが大阪行きだといちばん早く
到着します」さいですか。今思えば、成田か名古屋あたりはどうか調べてもらえばよかったのだ。
 何はともあれ連絡用テレホンカードと食券をもらって空港内暇つぶし。食券で買えたのはサンドイッチ
とりんごとお茶だった。まあいいけどさ。一息ついてから兄に連絡して日本にも到着が遅れる旨伝えよう
としたら、もらったテレホンカードがうまく作動しなかった。電話機に八つ当たりしたぐらいは許される
だろう。
 免税品店をひやかしたり空港内の美術館に行ったり休憩用ソファがあるところでぼうっとしたりしてい
ると四時間は過ぎた。今度は無事出発。
 お隣は友達同士らしい白人にいさんふたり。会話もなく過ごしている間に機内食が出た。アジア便故か
お箸がついていたので使う。ふと横を見ると、隣のにいさんが箸をしげしげと眺めていた。どうやら箸に
馴染みがないらしい。日本食が流入していない国の人なのか、と一人納得しておみくじクッキーを開ける
と「隣人に気を配れ。お前の助けを必要としているかもしれない」だった。さよで、と思いながら食事を
終えた。
 行きの便でもそうだったが、到着前にカップラーメンかアイスクリームかを選べるスナックが出される。
すっきりしたものが欲しかったのでアイスクリームを選択した。あと少しで脚のばせるわ、と思いながら
食していると何やら視線が。隣のにいさんが箸とラーメンを持って「助けてください」という表情をして
いた。さっきのおみくじクッキーはこれか。ところで皆さん箸の持ち方を英語で説明してみて下さい。私
は諦めて手を持って教えました。にいさんのお友達らしき人は「お前馬鹿か」と言う顔をしていた。
 クアラルンプール空港に到着。湿気を含んだ空気は紛れもなくアジア。もろもろの不安を抱きつつ空港
内に足を踏み入れると看板に日本語案内が。うんアジアの観光地だからね。一気に脱力した。
 早速カウンターに行き大阪行きの搭乗券を出してもらうことにする。スカーフを巻いて額に飾りを付け
た係員さんが首を傾げながらモニターを見ていた。「何か問題でも」「大丈夫。30分後にまた来て」便の
出発は八時間後だったので、流石にまだ早かったかと判断し、取りあえずこのままではお茶もできないと
両替所を探しにいくことにした。
 「ここの通貨に」と言って両替所のにいさんに嫌な顔をされた後頃合いになったので再びカウンターに。
「あなたの荷物が見つからないので、15分後に来て下さい」係員さんにあたっても仕方がないので、今
度はカウンター前のベンチに座って待った。よく考えれば嫌な客だ。15分後にカウンターに。「もう1
5分待って下さい」もう嫌だ。ベンチに戻った。再び。「見つかりました」。万歳三唱。
 お茶にしたり土産物店をひやかしたり書店で立ち読みしたりしている間にあと2時間になったので指定
ゲート前に行き、買った本を眺めて過ごす。「日本人ですか」と英語で声をかけられたので視線を上げる
と、南アジア系らしい顔立ちのひとがいた。
 なんでも仕事で日本に行き、色々都市をまわるが位置関係がさっぱりわからないので教えて欲しい、と
いうことだった。
「愛知はどこですか」「このあたり」「名古屋とは」「・・・愛知というのは地域の名前でね」と小さな日
本地図を片手にパキスタン人と日本人が英語で会話していた。「シン○ンキューホテルとは日本のどのあ
たりにあるのですか」「―ぱーはっぷすおーさか」。しかし英語がとても流暢だった。御丁寧なことに名刺
をいただく。来日直後に地震だ台風だとあったけれど仕事は御無事に終わったのだろうかアドマニ氏。
 クアラルンプール・大阪間でのせられた航空会社の機内食の方が美味しかったのは何故だろう。途中空
港を経由し、いったん下ろされる。小さな空港のベンチで休んでいると白人のにいさんが「ロンドンから
ですか。私も置いて行かれました」と抑揚も丁寧語も完璧な日本語で話しかけてきた。同志。四国の大学
に留学しているそのにいさんとひとしきり日本語で愚痴をこぼしあって再び機内に戻った。
 大阪に着き、眠れなかったせいかよれよれになって荷物をターンテーブルの前で待つ。・・・出てこな
い。先刻のにいさんに「大丈夫ですか」と心配されながらさらに待つ。最後の方にやっと出てきてこれで
もう安心。テーブルから下ろしてくれたにいさんありがとう。
 入国審査は問題なく終わり、スーツケースを宅配に預けて何より先に日本食だ。冷やしうどん美味しか
った。
 空港から大阪市内、そして家への移動の間は疲れすぎていたのか眠れなかった。途中で家族の分もふく
めてお昼御飯を買い、家の扉をあけると猫が足下にすり寄った。
 ただいま。
 
 
 多少の無理をして行ってよかった。それが一番の感想です。そして何か泥沼にはまった気も。行動を御一緒してくださった方々、本当にありがとうございました。
 
SFコンベンションその他外出記へ