海苔養殖の変革

海苔は江戸時代後期(享保年間)まで自然採取で、石や貝殻,流木等に付着した海苔が伸びきってちぎれ、海辺を漂っていたのを拾い、押し拡げて乾かしたものでした(展延法)。その後、活簀(いけす)に海苔が生えることにヒントを得て、海にノリソダ(ノリヒビ)を立てて,海苔を採る方法を知りました。 海苔養殖の始まりです。
その後、「浅草紙」の漉き製法にヒントを得て、のりを
細かにたたき、刻んで紙状に抄いて作るようになりました。(抄製法)1帖、2帖と数えられるのも、それに由来します。
東京湾の大森、品川地域が主要産地でありました。

江戸時代後期から昭和前期まで海苔養殖は、木ヒビ(ケヤキ、ナラ,柏等)、竹ヒビ(孟宋竹)を使用していましたが資材の不足から椰子網に変わっていきました(網ヒビ)。これまでは支柱柵漁場の生産で遠浅の漁場しかのり養殖は、出来ませんでしたが、昭和中期頃から人工繊維が開発され、軽くて丈夫な網(クレモナ網)に変わり、またのりの胞子を培養して確実にのり網に付着させる人工採苗法の普及。それに伴う漁場の拡大、「浮き流し養殖法」の開発によって深い海でものり養殖が可能になりました。
その結果、生産量は増え、それに伴い、比較的高価な食品であったのりの価格が手ごろなものになってより多くの人に親しまれるようになりました。 


参考文献:海苔の歴史  著者: 宮下章 

参考文献:海苔の知識    轄P信社

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