鴟尾について

本堂の大棟を飾る鴟尾について説明致します。


京都知事賞に輝く屋根

 この鴟尾の飾られた西方寺本堂の寄棟の屋根は、平成16年2月29日開催の京都府瓦技能士会主催の第23回屋根瓦施工コンクール、一級技能士社寺の部において、これを施工された徳舛瓦店(京都)の深町健次氏に最優秀賞(京都知事賞)が授与されました。

 「鴟尾(しび)」は、鴟が大空を舞う鳶(とび・とんび)をさすことから、「とびのお」とも、または古代の役人たちがはいた沓(くつ)と形が似ていることから「沓形(くつがた)」とも言われます。しかし、その鴟尾誕生の歴史をたどり、棟の両端を反らすことによって建物を力強く見せる工夫と、瑞祥(ずいしょう)(めでたいしるし)と辟邪(へきじゃ)(邪悪を退ける)の象徴である鳳凰の羽が結びついて出来たのが鴟尾であろうと考えられています。
 
 日本では飛鳥(6世紀末〜7世紀前半)・白鳳(7世紀後半〜8世紀初頭)時代、本格的な寺院は瓦製の鴟尾を飾るのがごく当たり前のことであったようで、最近の発掘調査によりこの時代の瓦製鴟尾の断片が全国多所で発見されています。奈良(710〜794)・平安(794〜1192)時代には、宮殿・寺院の主要な建物には金銅製を最上級とする種々の素材でできた鴟尾がのせられていたようです。しかし、平安時代の終わりと共に鴟尾を飾ることが途絶えてしまい、これにかわって鯱(しゃち)や鬼瓦が棟を飾ることになっていきました。
 
 鴟尾は、鰭(ひれ)が頂部をめぐる百済様式と、頂部で途切れる初唐様式の、二つに大分されます。前者は朝鮮半島の百済からの瓦工の渡来によって日本にもたらされた、飛鳥・白鳳時代の古い時代に見られるものです。後者は唐や新羅から伝わったもので、奈良・平安時代に作成されたものは概ねこの様式です。
 昭和59年、松阪に近い嬉野町大字釜生田字辻垣内瓦窯跡群の2号窯から出土した二個の鴟尾(高さ各125、149cm)は、白鳳瓦製としては最大級のもので、百済様式のものです。また最近のものでは、奈良薬師寺の棟に燦然と輝く鴟尾が百済様式です。一方、完全な形で現存する日本最古の鴟尾としてよく知られる、唐招提寺金堂(現在修復中)の西方の鴟尾は宝亀年間(770〜780)の作製で、高さ119cmの初唐様式の代表です。また、東大寺の大仏殿のそれは、唐招提寺のものにならって明治の修理の際に新造された木芯銅板張り金箔押しのものです。なお、唐招提寺、大仏殿とも、その屋根は寄せ棟造りです。

 西方寺では、新本堂の再建に当たり、その大棟には鴟尾をのせることを希望しました。西方寺の創建が天長元年(824)であることとから、寄せ棟造りによく映える、鰭(ひれ)が頂部でとぎれる初唐様式の鴟尾を、滋賀県大津市美濃邊鬼瓦工房に製作依頼しました。唐招提寺の鴟尾を手本に、見事な鴟尾(高さ92cm)が完成し、平成15年6月18日、建設中の新本堂の大棟に無事取り付けられました。(写真は製作後乾燥中の西方寺の鴟尾14年5月28日撮影)

 この鴟尾の選択や作製に当たって、奈良国立博物館名誉学芸員、元皇學館大学教授、稲垣晋也先生から懇切丁寧なご指導を得ました。この場を借りて先生に心から御礼申し上げます。

 
 参考図書:大脇潔著「鴟尾」、日本の美術、No.392、至文堂(1999)。