西方寺閻魔(十王)堂
十王堂は十王信仰に基づき建てられたお堂のことで、閻魔大王が中心になることから閻魔堂と呼ばれることも多くあります。十王信仰とは、中国の道教に起源があり、これが仏教と結びついたもので、死後の世界である冥土には十人の王が初七日から三回忌までの忌日に、生前の罪によって死者を裁くというものです。
その十王は前列右から二人目の秦広王(初七日)から順に、左に初江王(二七日)、後列左の宋帝王(三七日)より右に、五官王(四七日)、閻魔王(五七日)、それに地蔵菩薩をはさんで、変成王(六七日)、泰山王(七七日)、平等王(百か日)、都市王(一周忌)、五道転輪王(三回忌)、です。これらの十人の裁判官がそれぞれの忌日に裁判長となり、死者が裁かれます。このお堂では、五七日の裁判の様子が再現されています。
五七日では、閻魔王が裁判長となり、閻魔帳に記された罪状に従って行状を糺(ただ)していきます。下段左より三番目の冥土の役人である、司録または司命が記録などの事務をとります。その右隣にいる、三途の川で死者の衣類を剥ぎ取るという奪衣婆(だついば)(閻魔王の姉でもある)が、死者から生前の罪や行状を上手に聞き出そうとします。そのとき死者が罪を隠したり、言い逃れをしようとしますと、下段中央にある現代での再現ビデオの役割をする、浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)に、その行状が映しだされます。さらには、その両脇にいる同名・同生という名の二人の倶生神が、人が誕生するとそれ以降絶えずその両肩に乗って、その所業の善悪をすべて記録しているから、たまったものではありません。
裁判で死者が窮地に立たされたとき、閻魔王の本地仏である地蔵菩薩が、弁護士の役を演じ、何かと助け舟を出したり、善行に目を向けたりして、罪を軽減してくれます。そして、死者が、地獄に堕ちるか、極楽浄土に行けるかは、この閻魔王と地蔵菩薩の駆け引きと、罪の重さに係ります。
死者の罪の重さは、遺族などが死者に変わって施しなどの善行を行い、供養することによって、償われ、軽減されます。よって中陰中や年忌の供養は、死者の罪を軽くするための追善供養です。
最終的に、罪の重さは、下段中央近くにある罪状秤(ざいじょうばかり)という秤で計られます。この秤の一端には大岩が乗せられており、その一方の皿に死者が立たされます。そのとき、岩が持ち上がれば、地獄行きの判決が下されます。(なお、この罪状秤の竿、皿、鎖のみ、紛失しており、このたび後補しました。)
このほか、裁判が正当かつスムースに行われるための道具として、檀拏幢(だんだどう)という台に、生前の悪行を見通す男の頭部と、善行を見通す女の頭部(人頭杖(にんずじょう)という)が、乗せられています。
このように、西方寺の閻魔十王堂にはその必要な全てが揃っており、貴重なものと思われます。
西方寺に所蔵される明治三年の境内周辺地図によりますと、現在の門前の駐車場の東南端にある槙の古木から道を挟んだ地に、海珠庵、十王寺、という西方寺十四ヶ寺の末寺のうちの二ヶ寺がありました。これらは明治五年の布告により、無檀、無住のため、廃寺の憂き目に会い、十王寺にあったこれらの十王等の尊像が西方寺に移されました。それらを祀った先の閻魔十王堂は、明治三十九年当山第三十一世、真浄和尚によって建立されたものです。
このお堂も、昭和62年、迪生大和尚により、修理が行われたものの老朽化が進み、本堂新築再建に次ぐ第二期工事の一環として、新築再建工事が進められ、平成17年7月25日に完工、7月29日に入仏回向を厳修しました。