| さよなら、大佐。 アンタのことが好きだったよ 残像(6) 「…頭部損傷のショックによる、記憶の混乱らしいのよ」 病室の騒ぎを聞き駆けつけた、彼の有能な秘書官はそう言った。 彼女の感情を抑えた口調はいつもの通りだか、細面の顔には、 心労のためであろう、やつれが見てとれる。 全権指揮を持つ上司が倒れている今、事件の事後作業の進捗状況は芳しくなく その膨大な処理に忙殺されているらしかった。 ― ここ数年の、記憶が断片的に抜け落ちてるみたいで ― エドワード君のことも、 芒洋と自分の耳を通過していく言葉に エドワードは呆然と、目を見開いた。 自分のことをまったく覚えてない? 馬鹿馬鹿しくて笑う気にもならない。 医師の話によると、記憶の喪失とは言え断片的であり、 日常生活に支障が出るようなことは無いらしい。 常識的なことは何一つ忘れているわけではないし、 もともと肝の据わった彼のことだ。 記憶喪失の事実を受け止め、未だ病床の身ながらホークアイに指示し 抜け落ちている記憶分のフォローのための資料を早急に集めさせたのだと言う。 「若干12歳で国家錬金術師に合格とはね」 ベッドに半身を起こし、感心したようにロイが言う。 エドワードは、ベッドサイドに置かれた介助用のイスに腰掛け、ぼんやりとそれを眺めた。 広い病室には、エドワードが押しかけた最初の状態のまま、2人きりだ。 ホークアイは簡単に経緯を説明すると、警備と仕事のために足早に部屋を出て行った。 もしかしたら見抜かれたのかも知れない、とエドワードは苦い顔をする。 聡明な彼女のことだ。 自らのこんな状態を他人に見られたくない、という心情を汲み取ってくれたのかもしれない。 きっと自分は、子供のような表情を浮かべていたのだと思うから。 縋るべきものを失った、子供のような顔を。 ロイの手の内にある紙束がぱさりと小さな音を立てている。 恐らく、手にしているそれは自分について書いてある資料なのだろうか。 今、ロイの中にある自分の情報は、その紙束に書いてある分しか無いわけだ。 エドワードの事を全て忘れているのならば。 「…俺達のこと、どの程度覚えてるわけ?」 絞るようにして声を出した。 「すまないが、その辺り全くと言っていいほど、記憶が無くてね。国家錬金術師の勧誘のため リゼンブールへ向かおうとしていた所までは覚えているのだが…」 まさかこんな、おチビちゃんだとは思ってもいなかった、と朗らかに笑うロイに、 普段なら聞きとがめてわめき散らすであろう単語に反応する気力も沸かなかった。 「心配しなくてもいい。資料に目を通した限り、君達兄弟については随分と興味深いし 若干心配な点が無くも無いが、まあ、問題ないだろう。後見は滞りなく続けよう」 ロイは資料から目を離すと、エドワードに野心の滲む笑顔を向け、瞳を細めた。 ―そんなことが聞きたいわけじゃない。 「事故の時のことは?」 「全く」 ロイは両手を軽くあげ、お手上げのポーズを取る。 どの程度把握しているのかわからないが、 エドワードを庇って受けた事故だった事は、後の事情説明で知り置いているらしかった。 「…助けてくれて、有難う」 「どういたしまして、かな。覚えの無いことに、礼をいわれるのもおかしな感じだがね」 エドワードがぼそり、と呟くと、ロイが小さく笑った。 その笑顔がひどく遠く感じる。 「それだけ?」 「それだけ、とは?」 ロイが不思議そうな顔を浮かべた。 「アンタから聞きたいことがあったんだ。でももう無理みたいだ」 ―アンタは全部忘れてるんだろう? こんなにも自分は覚えているのに? 自分をからかう意地悪な声とか ふと垣間見せた優しさとか 痛いほどに捕まれた手の温度 初めて出遭った時の瞬間も― そう、 多分あの時から想っていたんだ。 永劫の暗闇から連れ出してくれた人。 今だったらわかるのに。 急に押し黙ったエドワードに、覗き込むようにロイが怪訝な目を向ける。 「エドワード=エルリック?」 自分の知っているロイはそんな風に呼ばない。 『鋼の』 厳つい二つ名での呼び方ではあったが、そう呼ばれることが自分は嫌いではなかった。 諭すように、甘さの滲んだその声音。 同じ声を同じ顔を持っているのに、目の前に居るロイはエドワードの事を知らない。 では、自分の知っているロイは、彼は何処に居る? 『鋼の』 呼んで。 俺を呼んでよ。 「エドワー…、」 ロイの目が見開かれる。 エドワードの頬を、音も無く涙が滴った。 NEXT |
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04/11/02
むむむ。