松浦武四郎が納沙布日誌に「此場所の繁栄夷地第一とも云べきか。昼夜の差別もなく舟々の出入絶間なし」と記録した根室は和人地から知床岬までの東蝦夷地の中で東へ向かう人々が行き交う地であった。彼は嘉永二年(1849年)にこの地から国後島、択捉島へと渡った。

ファーストライト
冒険者
北方領土返還運動
根室

 納沙布岬(東海に突出、岩石峨々として長く尾の如く・・波浪を起す) 東経145度49分16秒
 北方領土からの日の出 北海道で長期滞在をするなら根室へ行かなければ話にならない。北方領土返還問題についても語れない。「根室を訪れなければ」と思っていたがその思いをさらに強くしたのは根室市観光協会のポスター「冒険者たちの岬」を見たときであった。屈斜路湖畔に滞在している間に四回訪れた。駅前の観光協会案内所で話をしたらポスターをいただき感激。夜は岬に車を停めて泊。根室湾に沈むラストライトも、北方領土から昇るファーストライトも身が震えるほど美しかったのは歴史の重さを知ったからでもあった。6月の納沙布岬の日の出は3時37分。
 

 画像は根室市観光協会のポスター「冒険者たちの岬」
 最東端の地である根室は多くの冒険者たちが夢を見た地である。根室港を後にして期待と不安を胸に最上徳内近藤重蔵高田屋嘉平衛松浦武四郎が、また一攫千金を狙った野心家たちが国後島、択捉島などへ渡った。そしてある者は名声を獲得し、ある者は歴史に名を刻むことなく消えた。そして今、根室は奪われた領土にもっとも近い地である。ある意味では日本の北方史が凝縮した地である一方自然と資源に恵まれた地でもあり、もてなしの心豊かな人々が住む素晴らしい地である。
ポスターには
 
北海道・東のはじまり
     根室
 みんなこの岬で夢を見た
 日本で一番東に位置するマチ・根室。
 納沙布岬は、その中でも
 最も東にある最東端の岬。
 夏、目に痛いほどの青い紺碧の海が広がり、
 冬、シベリアの海で生まれた流氷が流れ、
 やがて水平線を真っ白く埋めつくす。
 国境を越えて流氷が来る海は、
 ロマンの揺りかご。
 かってこの岬や海峡を舞台に、
 幾人もの冒険者たちが
 見果てぬ夢を追いかけた。
 その夢の破片は、
 日本で一番早く訪れる朝日の中で、
 今日も輝いている。」 とあり、
 
松浦武四郎については
 
江戸時代から明治時代にかけて、北海道をはじめ、千島・樺太などをくまなく探検し、多くの地図や記録を残した北方探険家。根室にも幾度か訪れ、当時の様子は「知床日誌」の中に紹介されている。後に開拓史の判官となった。
 
とある。
ポスターにはほかに
・ ラクスマン 最初のロシアの遣日使節。1792年根室に来港。
・ リンドバーグ アメリカの飛行家。1931年、水上飛行機で根室港へ寄港。
・ 高田屋嘉平衛 択捉島への航路を開拓。択捉島、国後島、根室などに漁場を開発。
が載っている。なお根室には高田屋嘉平衛の像がある。
 北方領土(国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島)返還運動
 稚内のノシャプ岬からカラフトを見るとかすんで見えるが根室の納沙布岬から貝殻島まではたったの3.7キロである。くっきりと見える。この島々は歴史的にも日本固有の島であり、昭和36年アメリカ国防省も「歴史的事実を注意深く検討した結果、クナシリ、エトロフの諸島(北海道の一部であるハボマイ、シコタンとともに)は常に日本の領土の一部であり、正当に日本の主権下にある」との見解を出した。北方領土を故郷とする人々の望郷の念は強いだろうことを肌で感じた。
 根室の自然には仰天した。風連湖とその回りの砂州、春国岱の動植物の多さには感嘆であった。一万羽のオオハクチョウ、エゾシカの群れ、ハマナスの群生、オオワシ、オジロワシ等々質量を誇る自然が広がっていた。春国岱の原生野鳥公園ネイチャーセンターのロビーから群がる野鳥を観察するひとときは至福であった。このセンターの講座には参加をし林の沼でエゾアカガエルの卵を見せてもらった。根室の自然情報はこのセンターで聞き、後日海峡で悠然と泳ぐ鯨(鯨の骨を多く集めたり 東部能都之也布誌)を見ることとなった。北方原生花園の花々、柱状節理の断崖なども根室の世界であった。

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