2003 登・歩・乗・浴

2003年 北海道
 登る・歩く・乗る・浴す
 ただ通り過ぎるだけの旅と異なり、長期滞在の楽しさは何をするかの選択肢が多いことである。これは無職の特権であるから「無職ならぬ夢職」である。 

自制心を持たずに登る・歩く・乗る・浴すを行えば自然は確実に破壊される。そのことを肝に銘じて感謝の気持ちで接した。

登る
 
 1945年高校一年生のときに北アルプスの常念岳に登った。それ以来山に登り続け、今、北海道の山へのめり込んでいる。ことしは6月と7月に登ったために花に恵まれた。
 
オロフレ山はシラネアオイに包まれていた。
 6月5日晴、かねてからシラネアオイの群落が素晴らしいと聞いていたオロフレ山(1230.8m)へ登ろうと洞爺湖畔から登山口へ向った。「『十月に来るべきだったわね』と、後ろの座席で初老の婦人が、おなじ年格好の同姓に話しかけているのがきこえた。十月ならオロフレ峠あたりの原生林の黄葉がすばらしかったろうという」(司馬遼太郎著 街道をゆく 北海道の諸道)。登山口の売店で情報を聞いたら「今が一番美しい季節だ」と。次々と登山者が降りてくる。「シラネアオイは勿論他の花も素晴らしいですよ。三重県から?じゃ絶対登らなければ」。午後三時になっていたが登り始めた。登山路の周りの、断崖の花が満開で、妻は写真を撮りまくった。斜めから差し込む夕陽で花が一段と映えた。下山したのは六時。駐車場に車がいなかった。 「白根葵咲きけりといふよ山彦も 水原秋櫻子」  オロフレ山はほんとうにシラネアオイの山だった。家族と恋人と友人と楽しみたい山だ。
 
ピヤシリ山(986.6m)はガスの中だった。 7月1日(火)名寄市にある道立トムテ文化の森キャンプ場でP泊。次の日は、眺望が素晴らしい山、サンピラ現象を見ることができる山、樹氷の山と賞賛されているピヤシリ山へ登る予定にしていたが天候があまりよくないとテレビが伝えた。宗谷本線を通る列車の音が近くに聞こえる。がしかし「天候を選んで後日」という訳にはいかない。翌日、ダート道のピヤシリ観光道路を登って登山口へ車を置いて登り始めた。兎が飛び出した。道路脇に真っ青な美しいフキがいっぱいあった。利尻島、オホーツク海まで見えるという山頂はガスに包まれていた。「天候に恵まれれば家族で何度でも楽しめる道北一の山であろう」と思ったが「遠くに住む僕はもうこの山へ登る機会はないだろう」と少し悲しくなった。
 
東ヌプカウシヌプリ(1252.2m) この山に登らなければ
 十勝平野から始めてこの山を見て「あの山へ登らなければ」と思った。それは20年も昔だ。「ヌプ・カ・ウシ・ヌプリ nup-ka-ush-nupuri 野の上に・いる・山」(北海道の地名 山田秀三著)は広大な十勝平野が山岳地帯となる北西に位置する。まさに平野が尽きる場所にある印象的な山だしナキウサギの生息地としても有名。「北海道での登山をこの山で終える」と言い続けてきたがこのままだと登れなくなるかもしれないと登った。眼下に広がる十勝平野のどでかいこと。十勝平野は「開拓のはじめは豚と一つ鍋」(依田勉三)であったことを思い出した。山頂から右奥に花畑があった。
 
最北限の高層湿原 松山湿原
 湿原だから花が多いのは理解できる。説明に「トンボの種類が多い」とあるが「こんな高層湿原にトンボの種類が多い」とは驚きである。この湿原を歩いていたらモウセンゴケがあってたまげた。「ええ?こんなにたくさん食虫植物のモウセンゴケが?」とも思った。しかし昆虫が多いことを知ればモウセンゴケがたくさんあるのも納得。「最北端」とか「最東端」とつけば「宿」「岬」「ガソリンスタンド」「レストラン」等々賑やかであるが最北端の高層湿原は静かであった。
 
北海道の最高峰 噴煙と花の旭岳(2290.3m)
 6月29日(日)旭岳に登ろうと向ったが今日から雨が続くと。「ああ、ついてない」。妻が「旭岳はお天気のよい日に登りたい」と言うので天塩川筋を回って7月6日(日)快晴の日に登った。最高の登山日和であった。長いスキー用ストックを使った中学生ぐらいの子が汗だくになって登ってきた。「クロスカントリースキーの訓練?」「そうです」。山はやはり快晴の日がよい。豪華絢爛な噴煙と優雅華麗な高山植物の旭岳を心ゆくまで堪能し、妻は友人のアイヌ民族古典舞踊家と詩人へのお土産の果物を買って北海道のホームグランド屈斜路湖畔へ帰った。
 
摩周湖の見える花の絨毯、西別岳(799.8m)
 西別岳は想像をはるかに越えた「素晴らしい」のひと言につきる山だった。登った日は7月7日(月)であった。アイヌ民族の聖なる湖、松浦武四郎が「マシウトウ」と記録した摩周湖も見え、嬉しくなって頂上からアイヌ民族の友人に携帯で電話してしまった。下山してから「西別岳への途中にあるリスケ山は個人の名をつけたものだ」と聞いて驚いた。満開のエゾツツジの多さ見事さに脱帽であった。
  ケルン立つお花畑の十字路に 田上石情
歩く
 100キロ以上歩いた。
  足の裏がめちゃくちゃになった。
「道は足で歩け。楽をしようと思ってもいい事はない」(中国映画 山の郵便配達人)と言われ、父親から郵便配達人を引き継いだ息子は毎日40キロを歩く人生が始まった。松浦武四郎も一日に40キロは歩く健脚だった。偉大な国学者、本居宣長も吉野山への旅日記「菅笠日記」を読むと驚くほどの健脚だ。文明が発達して人間はしだいに歩かなくなった。僕もその例に漏れないが2003年の北海道長期滞在中はよく歩いた。足を何回もテーピングした。歩いたお陰でいろんなものを見た。新しい世界が広がった。地元でする街道歩きとは一味違ったものを感じた。
 
メルヘンコースを女満別湖を目指して30キロ歩く
 「でっかいどうオホーツク6DAYマーチ」に参加した。ウオーキング大会なるものに始めての参加である。正直言って天候のせいもあり北見・端野のコースは常呂川河川敷は楽しかったがあとは今ひとつであった。しかし女満別メルヘンマーチのコースは「さすが北海道!」であった。この日までに30キロ歩いた。歩いているうちに足の裏に水ぶくれができたのでナイフで切り裂いてテーピングをした。天気はいい。花も美しい。女満別湖が見えている。歩いて自然を見つめ自然に触り自然と話をした。夜は、衛生協力費600円を払って女満別湖野営場の駐車場でP泊。夕陽がすごく綺麗であった。早朝はアサリを採っている船を見続けた。
 
命にかけて今日歩きける 35キロ
 小清水町開基100年記念公園から網走市エコセンターへ
 大会五日目。35キロを歩く。区切りごとに目標を立てて「あの丘まで」「あの林まで」と歩く。背中のゼッケンに「命にかけて今日歩きける」と書いたら、何人もの人から「今日は命がけですか」と聞かれたのでその都度「北海道の名付け親の松浦武四郎は『あやうしとしりべつ川の白波を命にかけてけふわたりける』と三度目にしてようやく倶知安のソウシケへ入りました。『命にかけて今日歩きける』はここからとったのです」と説明。妻と花で立ち止まり、湖で写真を撮り、史跡で説明を読み、ハーモニカを吹きながら歩いたら雑誌社の記者が「珍しいウオーカーだ」と。ゴールは最後尾だった。小清水と網走を歩かせていただいた感謝の一日だった。翌日も網走市内を大会関係者の内匠英雄さんの説明を聞きながら5キロを楽しく歩き、再会を誓い合った。「でっかいどうオホーツク6DAYマーチ」で100キロを歩いた。足の裏がめちゃくちゃになった。
 
湖沼を訪ねて歩く
 あの湖は???
 車に乗っていると湖の様子がよく分からないから歩いて近づく。まるで椋鳩十の「大造じいさんとガン」の大造じいさんが葦をかきわけて岸辺のガンを狙うようである。しかしあまり近づくと大きすぎて写真が撮れなくなる。どこで撮ればいいか思案する。よい場所は足で稼ぐしかない。「ええっと、あの湖は・・・」まだずーつと先である。
 
国後島に最も近い野付半島の浜を歩く
 登山靴、長靴、スニーカーは必ず持っていく。冬はそれにクロスカントリースキーの靴も加える。長靴は海岸を川を雪どけ道を歩く際の必需品だし、カヌーに乗るためにも必要である。長靴を履いて歩くのに楽しいところは海岸である。五年前の春、大風が吹いた翌日歩いた海岸にホッキ貝がたくさん打ち上げられていたのにはまったく驚いた。7月16日この日は国後島にもっとも近い野付半島の渚を歩いた。本当は松浦武四郎が記録した番屋や通行屋のあった地まで歩きたかったが体の調子が悪く残念ながら引き返した。
 いつかこの野付半島を松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図十四」を見て、また関連の記録を読みながら歩こうと思った。
 そして同年2003年秋、年内にまた再度訪れ、秋葉 實先生解読の「加賀家文書 現代語訳版 第一・第二巻」をも持って念願の半島先端まで歩いた。
乗る
 
 いろんな方法で旅を楽しむことができる。その方法の一つが乗り物だ。
 
ワッカ原生花園は自転車に乗って
 ワッカ原生花園の花々を見るためには歩く、馬車に乗る、バスに乗る、自転車に乗るの四方法があるが一番よい方法はネイチャーセンターで自転車を借りて乗り回ることだと思う。歩くよりも少し早い速度でオホーツクからのサロマ湖からの風を感じながらそして止まって花々を見るといっそう鮮やかに目に飛び込む。北海道各地の自然センター、ネイチャセンター、ビジターセンターで自転車を貸してくれるところがある。
 
トロッコに乗って風を切る
 松山湿原へ登るために美深町の奥へ入っていって偶然「トロッコ王国」を見つけた。妻は道路と平行して走っているトロッコに乗った若者と手を振っているうちに「あれに乗りたい」と言った。人がしているものを見ると「自分もしたい」と思うのが妻の悪い癖である。困ったものである。その結果、ラフティングにも気球にも乗った。しかし乗馬だけは挑戦しない。馬が可哀そうだと言うのである。その点、トロッコは発動機だったから体重が多くても負担にならない。往復4キロをトロッコに乗った。
 
カヌーは最高!
 天塩川は日本一の川だった
 北海道で川を下るためにカナディアンカヌーをプロから指導を受けてある。2003年は北海道へ入って間もなく道東の湖でカヌー転覆死亡事故が起こった。そのために何軒かの業者に電話したがカヌーを借りることができなかった。そこで松浦武四郎の記録を持って天塩川流域を回った際にカヌーを借りて25キロ下った。ショウドウツバメが巣作りをしている土手、ピパ殻が落ちている岸辺、水鳥が水先案内をする川面、オジロワシが飛ぶ空、そして川中から見る山々、日本でもっとも長い距離のカヌーツーリング大会が行われる天塩川は日本一の川だと心底実感した。別寒辺牛川でも釧路湿原もカヌーで川下りをしたが、インストラクターつきであり、それは自分で漕いでいても「乗せてもらう」であり、「乗る」とは大違いである。天塩川を下ってから「北海道命名之地」標柱を仲間とともに立てられた川口精雄さん宅に伺い、天塩川の自然についてたっぷり教えていただいた。
 
フェリー物語
 奥尻島
 利尻島、礼文島、焼尻島、天売島へは渡ったことがある。しかし津波の大災害のあった奥尻島は観光気分で回るのには失礼で抵抗があった。しかし被災10年目に渡るのも意義あるだろうと6月3日(火)江差から朝七時出航の奥尻島行きのフェリーに乗った。強風注意報発令中で船が揺れた。周りの人は平然としているが自分は気分が悪くなって何度もトイレに駆け込んだ。心配した船員さんが「少し風に当たったほうがいいですよ」と。これで少し苦しさは去った。観光タクシーで案内してもらった奥尻島は、菅江真澄の「えみにのへさき」に記録された奥尻島の印象の悪さと渡島に揺れたフェリーでの船酔いを打ち消すに充分な素晴らしさで「来てよかった」と思った。
 漁火銀座のフェリー
 7月27日(日)晴 いよいよ北海道から離れる。20時10分函館発青森行のフェリーに乗った。妻とデッキで二ヶ月間の旅の話をしていたらイカ釣り船の近くを通った。目もくらむほど明るい集魚灯の光の中に驚いたことに無数の鳥が飛び交っていた。船員さんが「このあたりを漁火銀座というのです」と教えてくれた。幻想的な美しさが旅の最後を飾ってくれた。青函連絡船は夜乗るべきだと思った。
浴す 無料露天風呂
 
 2003年の北海道滞在で印象の強い出来事は妻が露天風呂に入ったことであった。水着を着て入ってもよい露天風呂もあるが使用禁止のものもある。妻は水着可に備えて自分で入浴着を作って持っていった。
 
鹿の湯は自然そのものだった
 国設然別峡野営場の奥に「鹿の湯」がある。シイシカリベツ川にそってダート道を登って行くがこの序曲を過ぎると自然そのものの無料露天風呂があった。入浴着に着がえて入りながら妻が「入浴着を作ってきてよかった」としみじみ言った。そして「この露天風呂に紅葉の頃に入ったら最高だろうなあ」と付け加えた。この川筋には露天風呂がたくさんあるらしい。
 
オンネトー湯の滝は誰もいなかった
 駐車場に車を置いて山道を30分歩き、「オンネトー湯の滝」へ行った。幸い、誰もいなかった。阿寒の神様が二人のために素晴らしい露天風呂を貸切にしてくれたのである。「入らないと罰が当たる」と思った。お祈りの真似事をして入らせていただいた。妻は入浴着を使わなかった。帰り道で人に会った。「手ぬぐい持って来ましたか」と聞くと「ええ、てぬぐい?」と言う人には「マンガン含有量が日本一の無料の素晴らしい露天風呂がありますよ」と。「手ぬぐいを持ってきた」と言う人には「いやあ、いい湯だったよ」と。
 
小さいが素晴らしい養老牛のからまつの湯
 小さいがこんなに美しく澄んだ湯の露天風呂はそうざらにはない。有名な羅臼の「熊の湯」ほどは熱くないが水を導いて調節が必要だ。入浴していたのは五人。僕たち夫婦。地元の女の人。旭川と帯広から来た男の人であった。「写真を撮らせていただいてホームページへ入れてもよろしいか」と聞くと「なんぼでも」と。自然は人間におおらかさをもたらす。ちなみに僕が真ん中だ。
 7月12日(土)羅臼の「熊の湯」へ行った。地元の人が入ってみえたので「入らせていただいてもよろしいか」と聞いて入りいろいろ話を聞いた。外国の青年が一人覗きに来たので二人で「入れ」と手招きした。青年が着ているものを脱いで足をつけたとたん「ウワオー!」とあまりの熱さに驚いて叫んだ。その姿をみて地元の人は身振りで「首まで入れ」と示した。青年は一度首まで入ってあわてて出て行った。きっとひどいカルチャーショックだったに違いない。
 
ギョ! PH1.8 ?
  僕より妻が大喜びのカムイワッカ湯の滝
 妻が入浴着を作った最大の目的は「カムイワッカ湯の滝」につかることだった。草鞋を借りて登って行ってごうごうと流れ落ちる湯を見たとたん妻は「凄い」と叫び、僕は「カムイが命じて我々に与えてくださった自然の恵みだ」と驚嘆した。入ったとたん傷口がピリピリした。湯を口に含んで「これPHどれぐらいだろう」と声に出したら若者が「自然センターにPH1.8と書いてありました」と教えてくれた。「ギョ! 1.8?そうかもしれない」と思った。僕は滝壺で泳ぎまくった。妻は念願を果し満足げであった。
 

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