2003.6.1から2003.7.31までの間
 
 「明治以前の日本人は湖に鈍感だったが、明治後、西洋人が野尻湖などに赤い屋根と、窓のある洋館をたてるようになってから、湖が、あたらしい美意識で感じられるようになった」 
                                       司馬遼太郎 「風塵抄」
 
北海道の湖沼を訪ねて 4
 オコタンペ湖、えぞ松沼、夫婦池、駒止池、神の子池、厚岸湖、火散布沼、氷切沼、オンネ沼・タンネ沼、ボッコ沼、羅臼湖、涛釣湖、藻琴湖、ポント沼、シブノツナイ湖、カムイト沼、ポロ沼、キモマ沼、大沼、竜神沼、鏡沼

北海道の湖沼を訪ねて 4
 1868年に明治となって以来、北海道は開拓に開拓を重ね大きく変化した。その中にあって湖沼も同じ運命を辿り、面積が少なくなったものが多い。
 山田秀三著「北海道の地名」の「長都」の中に「昔は千歳川の中流がとてつもない大きな沼になっていて、その沼に流れ込んでいたオサッ・ナイ川の名を採ってオサッ・トー(長都川の・沼)と呼ばれ・・・長都沼の方はだんだん干拓されて姿を失って行った」とあり現在その地を訪れても江戸時代に記録されたその面影はない。そのことを思うと今ある湖沼はどんな運命を辿るのだろうかと心配する。

屈斜路湖カヌー転覆水死事件
 2003年6月、僕たちが北海道に入ってから間も無く悲しいことに屈斜路湖で天候の変化によるカヌー転覆水死事件があった。北海道へ行けばいつも屈斜路湖畔で長期滞在をする。したがって友人も多く、この出来事は残念でたまらない。屈斜路湖はいっけん穏やかで事件など起こりようがないと感じられる。がしかし、長く屈斜路湖畔に住んでみえた弟子シギ子さんの「わたしのコタン」には「屈斜路湖はおだやかでも、急に、『やませ』と言う風が吹き荒れて危険な湖です」とあり、武田泰淳著「森と湖のまつり」には「クッシャロ湖は、阿寒地帯の三つの湖の中で一番大きい。よく晴れた日でも湖心へ漕ぎ出せば、舟はかなり動揺する」とある。また安政五年(1858年)旧暦四月に和人ではじめてアイヌの人に屈斜路湖上を丸木船で案内してもらった松浦武四郎は「久摺日誌」に「帰らんとするや、西風吹き起こり、波浪逆立ち、一葺の小舟いかんとも成難きに、其火坑の傍に坐し風の止むを待に、小使の云るは、湖水の波は海と異にして、風起るや直に浪立、止む時は又直に静れり」と記録している。これらを見ると屈斜路湖だけではないであろうが湖は急に変化することがあることを知っておくべきではなかろうか。湖畔の友人に聞いたところでは「太陽が雲に隠れただけでも波が立つことがある」と語っていた。
 
 たくさんの湖沼を訪れるに従ってあまり人に知られていないものもあるために場所等を一部GPS緯度経度で表した。

オコタンペ湖 千歳市奥潭
 北海道三大秘湖と言われているらしいこのオコタンペ湖は支笏湖へ流れ込んでいるオコタンペ[o-kotan-un-pe 川尻に・村が・ある・もの(川)] (北海道の地名)の上流にあり、地名が「奥潭」であるのを知れば「なるほど」と思ったりする。松浦武四郎はオコタンべ川のことをヲコタヌシヘツと記録し、夕張日誌に「小川、湖中第一の川也。此上絵庭(岩山)に当たる嶺は百余年前に燃出たりとて焦石簇々と立並び遠望すれば仏菩薩の肩を摩したる如く犖危傾し離飛墜が如し」とある。冬歩くスキーをはいてオコタンペ湖上を歩くと恵庭岳がそれはそれは美しくみえると聞いているので二度行ったが道道78号線入口に先客の車があって駐車できなかったので支笏湖で遊んだ。
 
駒止湖 上士幌町糠平
 北緯43度15分24秒、東経143度5分33秒にある湖の名はあまりの美しさに旅人が馬を止めて見入ったところから駒止湖と付いたらしい。いかにも和人流の名づけ方であり、アイヌの人たちはどう呼んでいたのであろうかと考える。正直言って変哲もない湖であるがこの駒止湖を含めた然別湖周囲は当地域を代表する象徴的動物、ナキウサギの生態にたいへん貴重であることが世界最大の民間自然保護団体の支部「WWFジャパン」(世界自然保護基金)の「1999年度自然保護事業報告書 エゾナキウサギの保全ーナキウサギの保護を通して自然との共生の道を探るー」を読めばよく分かる。湖を見る際にはそのものだけを見ずにその周辺までも含め幅広く周到に見つめれば意義はさらに深くなるに違いない。ちなみに駒止湖を西小沼、東雲湖を東小沼と言う。
 
夫婦池 旭岳 東川町
 旭岳の池と言えば山々を写す「姿見の池」が有名。しかし不思議さから言えばすり鉢池と鏡池を合わせた夫婦池をあげたい。はじめて夫婦池を見たとき、同じ高さの地に並んで位置していながら、なぜすり鉢池と鏡池の残雪の量がこうも違うのだろうかと思った。この両池を合わせて「眼鏡池」と言えそうだが左右のガラスが違いすぎる。世の中には性格の違う夫婦もいるからやっぱり「夫婦池」がよいのだろう。
 
えぞ松沼 松山湿原 美深町仁宇布
 北海道最北限の高層湿原、松山湿原(797メートル)へ登ったと言うより妻に登らされた。妻は花が目当てであるが僕は「最北限」の修飾語に魅かれて付き合いをした。登って行った松山湿原の入口には鐘が吊るしてあった。幸い微風もなく池は鏡のようで幻想的。湖面は周囲の情景を余すところなく写していた。つつじ沼、はい松沼等があったがもっとも印象的だったのはえぞ松沼であった。さすが最北限の高層湿原にふさわしく太くもなく高くもなく巨木ではないが何百年と風雪に耐えた頑固さを感じさせるえぞ松が湖面に映っているのは感動的だった。日本の重要湿地説明は松山湿原にトンボ類が豊富とある。驚きだ。ここへ登れたことを妻に感謝した。あとで松山湿原の案内図を見ていたら駐車場のすぐ近くに天竜沼という大きい沼があることを知ったが見逃した。
 
神の子池 清里町
 周囲220メートル、深さ5メートルの神の子池近くの摩周湖は「此湖水水口無して、湖底より水潜りて・・・百日の旱にも減ぜず、また梅雨雪融の時も増さざりしとかや」(久摺日誌)で、この摩周湖の伏流水が神の子池でも噴出している。説明板に、水量は一日で12000トン。水温は年間通して8度とあった。神の摩周湖の子どもの神の子池。清里町に相応しい清らかな池である。神の子池への入口は道道1115号線摩周湖斜里線の北緯43度39分32秒、東経144度33分16秒にあり、車で入ることができる。
厚岸湖 厚岸町
 「北海道駅名の起源」によると厚岸は「アイヌ語『アッケシ・イ』(牡蠣のある所)の転訛であるといわれているが、アッ・ケ・ウシ(オヒョオ楡の皮をいつもはぐ処)と思われる」とあるが厚岸は「尺余の牡蠣厚朴等夷地第一の品也」(松浦武四郎 納沙布日誌)とあり今も牡蠣の産地である。この地にある厚岸湖は、生物の生育・生息地として典型的または相当の規模の面積を有している、稀少種固有種等が生育・生息している、特定の種の個体群のうち相当数の割合の固体数が生息している、として日本の重要湿地に指定され、また厚岸湖・別寒辺牛湿原としてラムサール条約に登録されていることを知る人は残念ながら少ない。厚岸へ行くと必ず道の駅味覚ターミナル・コンキリエで牡蠣を食べる。ここの牡蠣は湿原から栄養豊かな水が入る厚岸湖で育ったもの。だから美味い。なお、松浦武四郎の「蝦夷日誌 一編 巻之拾」に「此辺大なる蠣殻重りて一箇のしまをなすを、毎年夷人ども鉞もて打砕き海ニすつること也。左も無時は澗より此沼に船行がたくなり也」とある。
 
火散布沼 浜中町
 厚岸町から道道123号別海厚岸線を走って浜中町に入ったら「散布」(ちりっぷ)の付いた地名の藻散布、火散布、養老散布、渡散布が出てきた。ここにある火散布沼と藻散布沼が松浦武四郎の「納沙布日誌」に記録した「チロフ」と「モチロフ」らしい。車の中で「納沙布日誌」を開いたら「キイタプ迄の間チロフ(大沼口)モチロフ(小沼口)二ッ沼あり。其口越難き故に舟にて行玉へと其支度をなし・・・」「また岬廻りモチロフ(川有、上沼)近比迄番屋有し由。また岬を廻りシチロフ(沼口)此両所だに無時は南岸を陸路まま来に宜しと。此二川草生踏ぬかりて深しと」とあった。この地名はアイヌ語のあさり貝からきているらしい。火散布沼、藻散布沼もともに日本の重要湿地である。
 
氷切沼 浜中町霧多布湿原
 GPS緯度経度、北緯43°4′48″ 
           東経145°4′56″
 霧多布泥炭形成植物群落を育てている霧多布湿原には大沼、長沼をはじめたくさんの沼があるが、霧多布湿原センターから湿原の中を通る「MGロード(Marshy Grassland Road 湿原の道)」 にもっとも近い沼が氷切沼である。湿原センターの講座に参加するためにセンター下の駐車公園で2夜P泊をした際朝夕散歩して氷切沼を見た。霧多布湿原は日本の重要湿地の一つでラムサール条約登録湿地。センターの人に妻と二人で一日案内していただいたがこれほど人々の生活と結びついた湿原は他に見ない。またセンター近く、湿原、霧多布岬では花の開花時期が異なるのにはまったく驚いた。氷切沼のあたりは、6月23日に訪れたときはワタスゲの群落が広がり、7月10日はエゾカンゾウが咲きはじめていた。湿原の杭にオジロワシが止まっていた。餌になる生物の豊かさを感じた。
 
オンネ沼・タンネ沼 根室市牧の内
 湖沼は山と違って、人の目の高さでは形が分かりにくい。「ここに丘でもあれば登って湖沼を見たい」と思うことが何度もある。根室市の太平洋側にあるオンネ沼とタンネ沼もそんな沼だ。オンネ沼は大きい沼。タンネ沼は細長い沼。実際に上から見たらどんな形なのだろうか。根室湿原群は日本の重要湿地で、選定理由に「特に南部沼・オンネ沼は環境が悪化しておらず道東本来の湖沼植生が残る」とある。根室半島台地の樹林の奇怪さも堪能した。
 「オンネ沼とタンネ沼を上から見たいものだ」と思っていたら、偶然、「松浦武四郎著、丸山道子訳 納沙布日誌」に「根室半島上空より納沙布岬を望む」写真があった。タンネ沼は釣り針のような形をした細長い沼だった。
 
ボッコ沼 別海町野付
 野付半島を車で入り龍神崎灯台近くの駐車場へ車を置き、長靴に履き替えてさらに半島崎へと歩く。国後島へもっとも近いこの野付の海岸は砂が締まっていて歩くのには都合がよいが花の季節は半島の中央部の舗装のしてない道を歩いて行く。陽気につられて歌でも歌いながら歩くと右手のボッコ沼から鳥の群れが騒がしくいっせいに飛び立ち、そこに沼のあることがわかる。野付湾は日本でもっとも広大で非常によく発達したアマモ群落地でホッカイシマエビ、アサリの重要生息地であるから水鳥も多いのであろう。それにしても六月下旬七月上旬の野付半島の花の凄さは筆舌では表現できない。
 
羅臼湖 羅臼町
 羅臼湖へ入るために二日間晴れるのを待った。その間に熊の湯に入った。三日目に小雨になった。天候が回復するのを期待して行くことにした。羅臼から知床横断道路を登り、標高690メートルあたりのカーブの多い「見返り峠」近くの北緯44°1′52″東経145°6′24″の地が羅臼湖への登り口であった。長靴を履いてきたのは正解であった。霧に包まれ眺望は今ひとつ恵まれなかったが一の沼、二の沼、三の沼、四の沼、五の沼、羅臼湖とそれぞれによかった。斜里側へ下りてカムイワッカ湯の滝に入った。知床国設野営場内には人目も恐れずエゾシカが歩いていた。天候には今ひとつ恵まれなかったが楽しい日を過ごした。
涛釣沼 斜里町大栄
ニクル沼 小清水町止別
 涛釣沼と近くのニクル沼を見に入った。数年来の小雨量のためかニクル沼は痩せ細りたまり水のような沼で牛が遊んでいた。涛釣湖は海別岳を背景に静かに佇んでいた。この涛釣沼とニクル沼を含む涛釣沼周辺湿地は、国土地理院の調査によると、明治・大正時代には735.76ヘクタールあったが現在は44.26ヘクタール。実に691.50ヘクタール減少し93.98%の変化率と激減。かってはどれくらい大きな湿地であったのか想像もつかない。かって涛釣沼とニクル沼は親子として名づけられていたらしいが現在はこの二つの沼は斜里町と小清水町に分かれている。考えさせられた沼であった。
 
藻琴湖 網走市北浜
 6月中旬の花の盛りに小清水町開基100年記念公園から涛沸湖や小清水原生花園の横を通り網走市エコーセンターまでの35キロを歩いた。その際に藻琴湖もじっくり見た。藻琴湖は「モコトウ 川巾十五六間、舟渡し。上に小き沼有。其周一里と思はる。・・・左右土地肥沃、蘆荻多く、水到て精冷」(廻浦日記 巻の二十四)。「トーフツ渡船場跡」を見つけたが残念ながらモコトウ渡船場跡を見つけることができなかった。屈斜路湖の奥にある山をこの地から見れば「藻琴山」で和人がつけた名らしい。釧路側からは「トエトクシペ 湖の・奥に・いる・者」。北見側からは松浦武四郎の記録によると「トウエメクシヘ。又ウライウシノホリと云」とある。歩きながら「開基とはどういう意味なのだろうか」と考えた。
 
ポント沼 網走市能取
 能取湖の近くのポント沼(小さな沼)の横には旧国鉄湧網線の線路跡地を利用したサイクリングロードがあり舗装整備されていて若者に人気があるらしい。これを国土交通省道路局HPで調べたら「一般道道網走常呂自転車道線(オホーツク自転車道)」で「網走市南3西4から常呂町栄浦までの40.2キロ」とあった。北海道には「ポント、ポント沼」(小さい沼)がたくさんある。これ等をみんな調べたら愉快だろうと思う。屈斜路湖畔にも「ポント」があるが樹木に覆われて写真が撮れない。冬季は凍結して沼に見えない。山中、林中のポントの写真撮影は難しい。
 
シブノツナイ湖 紋別市沼の上
 関西弁でいえば「なんでここが紋別なんや?」と言いたくなる。市町村合併が広域で行われるようになったら「なんでここが?」と驚くことが多くなるのだろう。「廻浦日記巻の二十三」にシブノツナイ湖を「シュフヌツナイ」と記録し、面白いことが載っている。「シユフヌツナイ 沼有、周一里も有り。 此沼雑喉有。少し風浪有る時は沼口破れて船渡りに成るよしにて、馬船一艘、刳木船一艘を備へたりしが、一昨日の大風にて砂等揚て沼口閉りて其処を歩行にて行」。風波によって湖と海のつながっている砂地が切れたり繋がったりしたのであるがかってはこのような湖沼がたくさんあったのだろう。
 
カムイト沼 猿払村浅茅野
 クッチャロ湖の北にはポン沼、モケウニ沼、瓢箪沼等大小の沼が点在するがいずれも国道から離れていて入っていく道も分かり難い。
 「少々疲れた。早くP泊地へ行きたい」と思いつつ走っていたら妻が「カムイト沼はこちら」の案内板を見つけて「行こう」と言った。「次回にしよう」と言ったが「機会を逃したら見にいけないかもしれないから」と湖沼巡りを楽しみにしている僕を導いた。そしてカムイト沼で感動的な出会いをした。ひと気のないカムイト沼に着いたら僕たちの車へ働いてみえた一人の男の人が寄ってみえて「三重県かな?」と。なんとその人は僕たちが住んでいる松阪市の隣の伊勢市出身の人であった。遠い伊勢を離れ奥さんの実家のあるこの地へ転居してきたとのこと。「三重県は遠くてなあ」としみじみと語られる話に人生の不思議さを感じ、また日本最北の村、猿払村で同県出身に人にあった偶然さに旅のよさを感じた。伊勢から遠い猿払の奥さんの地へ来られたこの人はきっと奥さんを大切にされる人だろうと感じた。カムイトは静かに語り合うに相応しいやさしさと静寂に満ちた沼であった。きっとカムイ(神)がいるに違いない。カムイト沼での出会いで今回の湖沼を訪れる旅の目的は十分達したと思ったが湖を求めてさらに北上した。 
 
ポロ沼 猿払村浜猿払
 猿払村セールスポイントの一つは「ポロ沼」だ。説明には「ポロ沼 数ある猿払村の沼で一番大きく国道からすぐ見えるところにあり夕景が素敵な沼である」とあり、写真のほとんどは国道側からの夕景である。しかし僕は湖の西側道道1089号線のポロ川に架かる天北猿払橋の上から見た。ここから見た沼は「ポロ」(大きい)にはみえなかったが水量豊かなポロ川をも含めてみたポロ沼はなかなかのものであった。北海道環境生活部の「アイヌ語地名リスト」によると「猿払 サラプツ ヨシ原の・川口 ヨシ原の川の川口の所(現在の浜猿払)の名が、付近一帯の地名となったもの」とある。浜猿払はポロ沼から流れ出る猿払川の海岸側である。「サルブツ 川有、巾三十間。・・・此川筋の奥に沼有。周四里といへども野地にて斗りがたし」
 
キモマ沼 猿払村芦野
 ポロ沼から少し走ると左にキモマ沼が見え始めたが樹木に隠れている。しかし間もなく坂の上から見えるようになった。キモマ沼を見たとたん沼よりも対岸の丘の上にある大きな牧舎が目に飛び込んできた。
「どんな人が住んでみえるのだろうか」
「子どもさんはおられるのだろうか」
「おじいさんやおばあさんは?」
 シラーの戯曲「ウイリアムテル」の中に「一人でいる時が一番強い」のセリフがある。人と関わることは煩わしく、何事につけ一人でいるときが一番強いと思っている自分が「どんな人が住んでみえるのだろうか」と人恋しく思うのは北海道へ来てから54日目という長さからだろうと思った。
 あの牧舎のある家を訪ねることができたらと思った。
 国道に戻ると、オホーツク海とは反対の道の左側 夕景の中に猿骨湖が見えていた。
 
大沼 稚内市声問村
 稚内の「大沼」を調べたら「シュプントウ沼 うぐひ魚・沼」とあった。この大沼は白鳥の飛来で有名になったが、これは「白鳥が見たい」と言う我が子の夢を実現するために努力された吉田敬直さんの力によるとバードハウスに説明があった。氷割り、鳴き声、おとりのダミー、白鳥の凧などさまざまな工夫をされたそうである。白鳥が生活と背中合わせになっている北海道では子どもたちが白鳥にある種の感情を持つらしい。屈斜路の友人からいただいた弟子シギ子さんの「わたしのコタン」には「白鳥が私達に吹雪が来る事を早く教えてくれる話をフチに聞いてからは、ますます白鳥と仲良くなりたいと思い・・」とあり、浜頓別町のクッチャロ湖で白鳥の世話をしておられる山内昇さんは樺太にいた子どもの頃にお母さんから「白鳥の足につかまって飛んで行けば北海道のおばあちゃんのところへ行けるのよと聞かされていた」ことが今の世話の原点らしいことを「街道を行く オホーツク街道」で語ってみえた。涛沸湖の北浜公園の白鳥も子どもの働きが発端。
 
竜神沼 稚内市稚内村
 竜神沼の場所を教えてもらったのは、「低山趣味U 猪名川町周辺のハードハイキング 松浦武四郎追蹤北海道の浜歩き」(広谷良韶著 株式会社遊文舎)であった。ここに記された場所を頭に入れて稚内市野寒布岬から海辺を南下した。廻浦日記に記録されたヲロンナイ(現ウロンナイ)、リエンルン(現ルエベンルモ)、マタルナヱ(現マタルナイ)を過ぎ、「ルイランは道え上ると云ことのよし」のルイラン(現ルエラン)へ来た。ここは坂を登って行く道道106号線と海岸線254号線の分岐点の坂の下。竜神沼へは坂の下神社の登り口から。「カモヱトウ 周り蘆葦多し。是はリイシリ島の山霊の神水と申伝ふなり」。かなり登った小高いところに坂の下神社と沼はひっそりと佇んでいた。広谷さんに感謝して降りた。広谷さんは兵庫県の人で松浦武四郎が歩かれた北海道の浜を追蹤してみえる。今はどんな夢に遊んでみえるのだろうか。 
 
鏡沼 天塩町サラキシ
 北海道へ行く度にお世話になるコンドミニアムの桑原敏夫さんの奥さんは天塩の生まれ。僕たちが「天塩へ行ってきます」と言うと「また天塩?どうして天塩がそんなにいいの?」と驚きながらもその都度天塩について語っていただく。「鏡沼はね、子どもの頃たくさんしじみ貝がいたの。今では信じられないほど採った」とのこと。鏡沼のある所はサラキシ。蝦夷日誌二編巻之九に「サルケシ 下りて沼の傍に出る。此処テシホの元川になる由」とある。もしかしたらこれが鏡沼かなと思ったりした。2003年夏の湖沼を訪ねるはここが最終になった。天塩町鏡沼海浜公園キャンプ場に車を入れ、「てしお温泉 夕映」にゆっくり入った。
 
 北海道へ来てから56日目。夜、妻と、オロロンラインを一路南下し63日目には帰省して旅を完結させる計画を立てた。

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