すいこまれそうな青 静かな水面 湖には人をひきつける魔力があります。特に北の大地 北海道の湖はめぐり行く季節の中で多彩な表情を見せてくれます。(NHKテレビ 北海道 湖水紀行)
 
北海道の湖沼を訪ねて 3 道東編
 
 網走湖。サロマ湖。能取湖。コムケ湖。塘路湖。シラルトロ湖。コッタロ沼。摩周湖。キンムトウ(湯沼)。屈斜路湖。ペンケトウ。阿寒湖。オンネトー。チミケップ湖。然別湖。
 
 「金烏三竿の上るに到りて目覚、湖水にて面を洗ひしに、其弐三丁かた傍を見たれば、長さ纔に一丈五六尺計の独木舟を繋げり。依て是を取らしめ、今日余此処沼の傍を少し見物せんことを談ずるに、一同大に悦び、・・・」(松浦武四郎 戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 東部安加武留宇智之誌 弐)。この一同を「妻」に置き換えての「湖沼を訪ねて」の冬はいつも歩くスキー・ネイチャースキーを持っていった。これが行動範囲を格段に広げてくれた。

北海道の湖沼を訪ねて 3
「北海道は冬が一番いい」と誰にでも何度でも言う。「北海道は冬が一番いい。それも道東がいい」と繰り返す。バンバンに凍結した「湖沼を訪ねる」のは予想をはるかに超える豪快な楽しさを満喫できるがしかしひとたび荒れると恐怖の世界となる。「惣て此沼湖といへるものは、少し風起り来りけるも纔時に浪波起り来りて・・・」の如く風が吹くと湖上の粉雪が舞い上がって視界を遮り気温も急激に下がるが氷がどこへでも導いてくれる。

「湖沼を訪れる」ことと郷土資料館等を訪れることを同格にすると湖沼がそこに住んだ、住んでいる人にどのような恩恵をもたらしたかがよく分かる。

網走湖 道東 網走市 網走郡女満別町 日本の重要湿地
 網走湖を見下ろすために夕景を見るためにクツチヤロノホリ(天都山)へ何度か行ったことがある。ここには素晴らしい北海道立北方民族博物館がある。また網走市には網走市立郷土博物館、北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ、モヨロ貝塚館がある。網走湖周辺に栄えた旧石器・縄文・続縄文・オホーツク・アイヌ各文化に接することができる。特に網走のモヨロ遺跡はオホーツク文化発掘の地であることを念頭に置いて湖と博物館を回りたい。国指定の名勝、天都山からは網走市、オホーツク海、網走湖、能取湖、涛沸湖、藻琴湖、知床連山までも見ることができる。
サロマ湖 道東 常呂郡常呂町 常呂郡佐呂間町 紋別郡湧別町 日本の重要湿地
 周囲90q、北海道でもっとも大きく全国で3番目の面積を持つサロマ湖はかって秋には海が荒れて波高くなり寄せる砂で口が閉まり20qの砂嘴によってオホーツク海と隔てられた。そのために雪どけの増水期に「潮切り」という湖水を海に流す口を作った。1858年の松浦武四郎の記録に「トウブト 此処沼口也。此沼口秋頃に成るや必ず閉りけるが、其水閉る時は増して三尺五尺も嵩み、・・・・。依て余り長く閉り居り候ハヾ必ず是を切破るとのよし」(戊午日誌 第二十六巻 西部登宇武都誌)とある。昔は街道であった20qに及ぶ砂嘴は現在二箇所で切ってあり海と繋がっている。常呂町側に幅200m、長さ5kmの規模のある国指定史跡、常呂遺跡がある。2500の竪穴住居跡が残っている。主に擦文文化でなかにはオホーツク文化のものもあり異民族が共存していたらしいとのことである。「ところ遺跡の館」「ところ遺跡の森」はぜひ見ておきたい。
 切る口
能取湖 道東 網走市 日本の重要湿地
 司馬遼太郎の「オホーツク街道」の中の「北天の古民族」に能取湖、卯原内のサンゴ草と祭りについて描かれている。これを読んで「卯原内のサンゴ草を見なくては」と思った。「秋の旅のとき、ホテルの人が『サンゴ草』の話をしてくれた。『野の一面が、その草で真赤になるんです』行ってみると、なるほど大地が赤かった。・・・・踏めば足がめりこみそうなほどの厚さをもった赤い絨毯の原だった」(オホーツク街道)。 
コムケ湖 道東 紋別市 日本の重要湿地
 西蝦夷日誌巻之八に「ホンヒラ小平を過て一里九丁五十間コンケト(コムケと訛る。小川。上に沼有り)。名義はしれず」とあるが北海道の地名には「中央部が細くくびれていて曲がっているので、komke-to 曲がっている・沼と呼ばれていた」とある。この湖は湖面標高0.8メートル、最大水深5.3メートルの海跡湖(国土地理院s53年度調査)。紋別市街から遠い沼上浜側は水上バイク等も見かけず静寂に包まれ静かなひとときをもらった。湖畔は野鳥の楽園と聞いた。
塘路湖 道東 川上郡標茶町 日本の重要湿地
  中国か台湾の人への観光案内の「北海道的魅力」の中に「塘路湖 位於標高8公尺之池、周圍18公里、面積6.2平方公里、最深水深達7公里、為釧路濕原湖群中最大之湖。夏天、可享受獨木舟、冬天、可享受冰上垂釣若鷺等楽趣味」とある。湖畔に塘路カヌーステーション,塘路湖エコミュージアムセンター、元村ハウスぱる等がある。初心者がカヌーを楽しむのに、また冬は歩くスキーで湖上を楽しむのにもっとも適した湖である。
「此村また莞を一種の蓆に製し出す。其品極て妙也。また楡皮衣を出す。其色大白にして他に並ぶものなし。是をトウロの名産とす」(戊午東西蝦夷山川地理取調日誌)
シラルトロ湖 道東 川上郡標茶町 日本の重要湿地
 塘路湖の北にある湖。説明書に「海跡湖」とあって驚いた。海が後退し湿原となるのにどれほどの年月を要したのだろう。塘路湖エコミュージアムセンターの人に野鳥観察のためにこの湖畔に連れていただいた。湖を見下ろす樹上に大きな巣箱がかかっていた。環境庁と地元の人たちが架けた特別天然記念物シマフクロウのための巣であった。四月雪解けの頃でシラルトロ湖は増水していた。前庭にタンチョウが遊んでいた「憩の家かや沼」の温泉に入って借りている別荘へ帰った。二年後の冬、僕たちは養老牛でコタンコロカムイ(シマフクロウ)を見た。
コッタロ沼 道東 川上郡標茶町
 「沼? 湖?」。おそらくコッタロ沼だろう。標茶町コッタロ湿原展望台へ登ったら見えた。「コツタロと云小川有。其上少し水の湧処有る也」等の記録が「東部久須利誌 中」にある。釧路市から国道386号線を走り、塘路湖を越えてすぐ左に入ってJR線路を跨ぐ。そしてコッタロ川に沿って地道を遡る。
 
摩周湖 道東 川上郡弟子屈町
 摩周湖についても屈斜路湖についても一番はじめに記録したのは松浦武四郎である。
・ ゆたかにも岩のめ枕まきてしるこれぞゆるがぬ御代のためしと 松浦武四郎
 摩周湖には、弟子屈生まれの更科源蔵が「北の国の物語」で書いた「島になったおばあさん」のカモイシュ(中島)がある。このカムイシュへ渡った人物がいる。猪谷六合雄である。一週間かかって準備し湖畔へ下りていかだを組んで渡り、島で一夜を明かしたが風でいかだが壊され一週間留まらざるを得なかった。這う這うの体で辿り着き十日間ほど休養を要した。
キンムトウ(湯沼) 道東 川上郡弟子屈町
 キンムトウ(湯沼)は屈斜路湖畔の池の湯から東に入る山道にある。静寂そのもの。風で木と水がそよぐ音と野鳥の鳴き声しか物音がしないほど静かである。弟子屈町史によると「沼湯は湯沼≠ワたはキムチウ(沼)≠ニも呼ばれ、火口原のうち最も低い地に横たわるが、南側のリシリ山の噴出による「せき止め湖」である。沼湯はその名が示すように、温泉が出ていたが、現在は止まり、水質はPH7(中性)で、水温も21℃(気温22℃)であった。その形は東西に細長い三日月状で、東西径は300メートル、南北幅は約100メートル弱である」とある。東側近くには地熱が噴出しているボッケがある。ほんとうの秘沼である。
 
 初秋ぶみ    −城左門に
   秋早み
     山湖のほとり
   君去りて
     のち二日
   すすき穂に出て
     月みちてそろ
                堀口大学
 
 
屈斜路湖 道東 川上郡弟子屈町
 日本のカルデラ湖面積ランキングNo1 
 屈斜路湖については観光案内書にいくらでも載っている。ここでは文芸を。
 松浦武四郎(久摺日誌 四首)安政五年
・ ともしする荒血雄蝦夷が暁の別れは宵の床にぞ去りける
・ 夏の夜は胡沙吹こめし朧夜のおほろのまゝにしらみねにけり
・ 汐ならぬ久寿里の湖に舟うけて身も若かへるこゝちこそすれ
・ 久寿里の湖岸のいで湯やあつからん水乞鳥の水乞てなく
 松浦武四郎は久摺日誌に屈斜路湖の和琴半島の噴火の物凄さを書いているがそれを読んだ鷲津毅堂の漢詩がある。大町桂月は大正十年に漢詩を。昭和になって国府犀東が漢詩を作っている。
・ 考古学者 駒井和愛
  うるはしき屈斜路湖畔のいでゆふね秋の日ざしに乙女らは浴ぶ
 屈斜路湖を見るには美幌峠が人気がある。僕は冬、小清水峠の風雪に耐えて立つダケカンバを通して御神渡りの走る屈斜路湖を見るのが最高の景観だと思う。屈斜路湖畔には二種の天然記念物がある。和琴半島のミンミンゼミ(八・九月に出現)と湖畔のマリゴケ。
ペンケトウ 道東 阿寒郡阿寒町 日本の重要湿地
 「此川口より五六丁上に一ツ滝有。其上に沼一ツ有と。其周廻凡二里位有。其また上に小さき沼一ツ有と」(戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 第九巻 東部安加武留智之誌 弐)と記録された小さき沼のペンケトウは北海道の形をしている。阿寒横断道路の観光の名所であるがこれを見るのには冬が一番くっきりとしていて美しい。
 
 
阿寒湖 道東 阿寒郡阿寒町 日本の重要湿地
 阿寒湖は四季楽しんだ湖だ。しかし、滞在の拠点地とする屈斜路湖畔からの冬の横断道路は難所。急勾配、凍結、よく通行禁止になるがそれでもこの阿寒湖へ足が伸びる。僕はこの阿寒湖を「チップ(姫鱒)の母なる湖」と呼びたい。明治27年阿寒湖から支笏湖へのチップの移植が始まった。明治33年にはその支笏湖から道南の大沼へ。さらにまた明治35年には支笏湖から十和田湖へと移植され、その成果は「我、幻の魚を見たり」(主演 大河内伝次郎)の映画となった。最終的に支笏湖から道内外の60の湖に姫鱒が移植された。夜間の阿寒湖の寒さに震え上がったことがある。
オンネトー 道東 足寄郡足寄町
 道立阿寒・オンネトー自然休養林にあるオンネトーは雌阿寒岳から噴出した溶岩が螺湾川の最上流部を堰き止めてできた湖である。この螺湾川は同じ町内で足寄川となり、順次流れながら利別川、十勝川となって太平洋に注ぐがこの川筋に沿って道路が足寄町、本別町、池田町と続き最後は中川郡豊頃町大津寿町で河口へ達している。要所要所を見ながらこの道を数日間かけて走ってみたいと思っている。
チミケップ湖 道東 網走郡津別町
 秋、偶然、山奥のこの湖に行ったことがある。一人の青年が静かな湖に腰まで入って釣りをしていた。松浦武四郎もこの湖については記録していないだろうと思って調べたら「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 第九巻 東部安加武留宇智之巻   弐」に「チヌケプトウ」にあった。冬にまた行ってたった一軒のチミケップホテルに泊まって湖上を散歩した。松浦武四郎の北蝦夷餘誌に「其辺りに馴鹿を数頭飼置有たり。惣てヲロツコは雪車を曳し、又娘を嫁さすにも雪車を飾り、それに載せて馴鹿にひかせて遣はすとかや」とあるがだれもいない湖上をスキーで滑っていると湖岸の森から飾られたソリに乗った花嫁が渡って来るような雰囲気に浸った。ホテルには素晴らしい絵本がたくさん置いてあった。
然別湖 道東 河東郡上士幌町 河東郡鹿追町 日本の重要湿地
 標高800mの然別湖は自然への導きをしてくれる体験型の湖のように感じる。湖の周囲には川、山、動植物(特に天然記念物のナキウサギ)等いたれりつくせりの自然がいっぱいである。そして十勝平野へ下る道道85号線からみる十勝平野の眺望は素晴らしいのひとことに尽きる。
 
パノラマ画像 屈斜路湖
 山田秀三は「北海道の地名」の「弟子屈」の中へ「日本最高の自然の中の町だろうか」と書いている。この弟子屈町で長期滞在をする際にお世話になる方々は両手の指を使っても数え切れない。キノコ狩りに連れていただいたり、サワンチサップ登山、摩周樹氷スキーツアー、屈斜路湖上ネイチャスキー、観察会にと参加させていただいたり・・・。特に屈斜路湖畔では感謝しきれないほどの心温まる親切を受け学習会に参加させていただいたりもする。湖を見下ろす集落の裏の丘は僕たち夫婦のフィールド。三重県の人間には考えられない世界をここで知り味わった。残された人生であと幾度この屈斜路湖を見ることができるだろうか、と考える。屈斜路湖は僕たちにとって第一等の湖であることには間違いない。

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