2011 北の大地にて

2011
北の大地にて
6月30日〜7月29日の旅の記録
9月19日〜10月28日 40日間の旅の記録
 今回こそ「今日は何をしようかな?」と考えるようなゆとりのある旅にしたいと願いながら・・・やりたいことがいっぱいあって、追いかけられるような忙しい日々になってしまった。1999年の初心にかえりたいなあ!


6月30日
 夕方松阪を出発、この日深夜敦賀港より新日本海フェリーで出航。
7月1日
 夜8時30分、苫小牧港着。道央道に入り樽前SAでP泊。
7月2日
 スカシユリがたくさん咲く道央道を走り、黒毛和牛が放牧されているのを眺めながら白老ポロトコタンへ。アイヌ民族博物館は5軒のチセ(萱葺きの家)や博物館、植物園、飼育舎などからなっている。年々整備されていくそれらの施設を久しぶりに見学し、アイヌ古式舞踊を鑑賞し、山丸伝承課長と話しこみ時の経つのも忘れた。その後近くの広大な仙台藩白老元陣屋跡を訪ね資料館を見学した。中味の充実したすばらしい資料館であった。「レストラン カウベル」で白老牛のすてきなランチを堪能。道央道に戻り、輪厚PAでP泊。
7月3日
 これまた久しぶりに「北海道開拓の村」へ。時間がたっぷりあったので、馬車に乗ったり歩いたりして広い広い村内を隈なく見て歩いた。午後は北海道開拓記念館へ。特別展「伊勢神宮と北海道」を鑑賞し、かねて申し込んであった関連歴史講座・学芸員三浦泰之氏の「幕末の志士松浦武四郎と伊勢神宮」を聴講するためである。講座はたいへん興味深くおもしろいものであった。百年記念塔に立ち寄ってから定山渓へ。ここに4ケ月住んでいたころいつもお世話になっていた坂東石油さんに寄ってみた。10年以上経つというのに覚えていてくださりご夫妻としばし歓談。定山渓ホテルで温泉を楽しみ定山渓駐車場でP泊。
7月4日
 札幌で北海道アイヌ協会札幌支部事務局長の貝澤さんにお目にかかり、お願いごとをし、快諾していただいた。道央道を三笠ICで降り上富良野へ。桂沢湖(ダム湖)を過ぎると、三段滝があった。はじめての道ではないのだがこんなすばらしく美しい滝があるのに今まで気づかなかった。今夜は国設白金野営場。近くのホテルパークヒルズの温泉へ。
7月5日
 環境ボランティア野山人代表の佐川さんをお尋ねしこれまたあるお願い事をする。快く応じてくださることになりほっとする。実は北海道に来てからあちこち走り回っているのは、来年あるイベントをすることになり、そのことのお願いにまわっているのである。日の出公園を散策し咲き始めたラベンダーを楽しむ。もう一人会いたい方があったので当麻まで戻る。あいにくお留守であったので奥さんにその旨お話し、旭川、上川、層雲峡を走りぬけ、るべしべ道の駅の温根湯温泉へ。夕方散歩していて偶然出会った方の「イトムカ鉱山と水銀」の話を興味深く聞いた。
7月6日
 道の駅に隣接する「山の水族館」を見学し、北見でコインランドリーへ。美幌峠を経て屈斜路に着く。やれやれやっと来た。懐かしい友人、知人と話し込む。今夜は砂湯でP泊。満天の星であった。
7月7日
 今回弟子屈に来たのには大切な役割があった。7月中旬、松浦武四郎をキーワードに地域興しに取り組んでおられる天塩川流域13市町村との交流を深めようとわが松阪市長が来道されることになっており、「夢交流事業」として松阪市と弟子屈町の小中学校が交流を続けている関係で、弟子屈町にも立ち寄られる、その打ち合わせと依頼をする役割である。コタンの友人に案内の依頼をし、役場で打ち合わせ、きめ細かな受け入れ準備をしてくださっていることに心から安心し感謝する。かねてより懇意にしていただいている郷土史研究家細川さんが近くオープンする資料館の準備をしておられたのでお訪ねする。公開されるのがとても楽しみな資料館である。図書館へ行ったり、10月に1ケ月滞在したいので、コテージの持ち主の方を訪ねお願いしたり・・・忙しい1日だった。砂湯泊。
7月8日
 そろそろ北へ向わないと・・・阿寒へ行く。早めに「鶴雅」で温泉に浸り、夜は遅くまでアイヌコタンで遊ぶ。キャンプ場泊。
7月9日
 釧北峠を越え、一面のじゃがいもの花に見とれながら津別、美幌、網走と走りワッカ原生花園へ。ここはいつもサイクリング。スカシユリ、キスゲ、フウロなど可憐な花が咲き快適なサイクリングが楽しめた。折から道路に出るとオホーツクサイクリング大会参加のたくさんの自転車に出会った。コムケ国際キャンプ場泊。
7月10日
 興部、雄武から美深へ抜ける。途中久しぶりにトロッコ王国のトロッコに乗る。以前は確か足踏み式であったが電動になっていた。そういうと若い係員が首を傾げ・・・時の流れを感じた。この夜は天塩川温泉でキャンプ場泊。
7月11日
 音威子府役場、「北海道命名之地」碑(新しく建て替えられていた)、砂澤ビッキ記念館(休館日で残念)、中川町役場、ナポートパークキャンプ場と忙しく走り回り一応の用を済ます。午後は天塩に出、キスゲの黄色に染まるオロロンラインのドライブを楽しみ、稚咲内、抜海駅、稚内、雄大な宗谷丘陵を走りぬけ、猿払、浜頓別のクッチャロ湖へ。夕陽の美しいこの湖のキャンプ場はお気に入りの場所。浜頓別温泉ウィングで夕食と入浴。
7月12日
 近くの浜頓別港にはまだ行ったことがなかったので寄ってみることにした。ここで思いがけず漁から帰られた河島さんという方と会い、松浦武四郎のことをよくご存知だったので嬉しくなって話し込む。そしてそして、生のホタテとツブ貝をご馳走になった。そのおいしかったこと!! 神威岬を通り、音威子府に戻り、砂澤ビッキ記念館へ。そして以前お目にかかり意気投合した河上實館長に北大演習林(記念館の森にもなっている)の原生林を車で案内していただいた。ビッキの愛した巨木「ビッキの木」を見せていただいた。巨木が立ち並ぶ原生林ではあったが、日差しがあり比較的明るかった。北海道の原生林を改めて感じた。余談ながら河上館長と夫は誕生日が12日しか違わないことがわかりますます懇意にしていただいた。「松浦判官宿泊聴佛法僧之地」木標も見てきた。今夜も静かで気に入った天塩川温泉キャンプ場で。
7月13日
 今回北上する時に通らなかったところを訪ねた。恩根内の「松浦武四郎宿営之地」碑の横には「旭川開発建設部名寄河川事務所」設置の新しい看板が建っていた。そういえば砂澤ビッキ記念館前にも建っており、天塩川のあちこちに建てられている。美深アイランド、名寄川ナイフト ピヤシリ橋のところに建っている看板(河川事務所の設置した「天塩川」という看板で松浦武四郎の記録から抜粋したものが記されている。)を見、士別のサホークランドへ。本場のジンギスカンを堪能。剣淵・絵本の館(休館日)、和寒へ北海道カナディアンカヌークラブ代表でダウン・ザ・テッシスペシャル2011大会長でもある酒向さんを訪ね、塩狩峠へ。三浦綾子記念館へも。この夜は、道の駅「森と湖の里ほろかない」。
7月14日
 朱鞠内湖に寄り母子里のクリスタルパークへ。昭和53年2月17日 日本最寒気温となるー41.2℃を記録したところである。つららをイメージしたクリスタルピークスが凍てつく寒さを表現していた。幌加内には、北海道大学雨竜研究林、名古屋大学太陽地球環境研究所附属母子里観測所などあって、かなり走った北海道にもまだまだ知らない世界があって驚いた。美深峠の看板はなかなか趣があって楽しい。渡り鳥がたくさん飛んでいった。天塩川の難所「スーポロの碑」を探しに行く。あるにはあったが・・・道がない・・・でももしや松浦武四郎の記録が! 草を掻き分け、泥に足をとられながら辿り着く。しかし残念ながら記録は書かれていなかった。佐久を通って中川町ナポートパークへ。2夜をここで過ごす。早速知人が「今夜佐久の祭りに行こう」と誘ってくださる。佐久の町は旧く立派な建物が残っていて、往時の繁栄を忍ばせていた。祭りは食べて、歌って踊ってたいへん楽しいひとときを過ごせた。
7月15日
 このキャンプ場に来るとほっとする。電源つきだし、施設がしっかりしている。洗濯したり、ビデオの編集をしたり、役場へ行っただけで終日ゆったりと過ごした。 
ダウン・ザ・テッシ-オ-ペッ スペシャル2011
 20周年記念の当大会は、天塩川100マイル(151km)カヌーツーリング大会として7月16日〜20日の5日間に亘って行われる。
 第1日 名寄〜美深             34km 
 第2日 美深〜音威子府          25km
 第3日 音威子府〜中川          32km
 第4日 中川〜天塩大橋          42km
 第5日 天塩大橋〜天塩川河川公園  18km
Aコースは100マイルコース、Bコースはショートコースで第2〜3日コースを下る。夫と私は日程と体力の関係からショートコースをエントリーしていた。
7月16日
 蝦夷梅雨とかで曇天と雨の日が続く。天塩川は中止となった昨年の怒涛逆巻く状況とは違うが水量多く濁っていて流れが速い。今日も小雨の中第1日目のスタートが切られた。私たちはたまたま3連休を利用して北海道へツーリングを楽しみに来ていた息子と美深アイランドで会い昼食を共にした。ここ数年息子も北海道へ来る機会が時々あるが、北海道で出会ったのは初めて・・・フフフ 40代だが私にとっては目に入れても痛くない(?)大切な息子! 無事で旅を続けることを祈って別れた。4時30分から美深アイランドで開会式が行われ、そのあとジンギスカン大会。
7月17日
「松浦武四郎 北海道命名之地」木碑 除幕式
 エントリーしていたカヌーツーリングをキャンセルして急遽「北海道命名之地」碑除幕式に参列させていただくことになった。これは二度とない絶好の機会である。碑は高さ約5m、北大演習林から伐り出されたトドマツで、高橋はるみ北海道知事の揮毫になるもの。知事からは「地域の魅力を発信する一助になれば幸い」とのメッセージが寄せられた。夫も松浦武四郎記念館名誉館長として除幕の綱を引かせていただいた。旧碑は1995年、武四郎がアイヌ民族との交流を通じて北海道の名称を考案したとされる地に村民ら有志が建てたが腐食が進んでいた。夫は「蝦夷地を開くことを使命としながら、アイヌの側に立ってその文化の素晴らしさを記したのが武四郎だった」と碑の完成を喜んだ。来賓祝辞に続いて、音威子府中学校代表のメッセージが読み上げられたのも、未来を受けつぐ若人の決意が込められていて心強く好ましく感動した。午後はナポートパークでレンタルしたカヌーを音威子府まで運び、夜、交流会に参加した後、ナポートパークに戻った。
7月18日
いよいよカヌーツーリング 
 どきどきしていた。酒向大会長にゼッケンの紐を結んでもらって、いよいよカヌーへ。天候は打って変わって晴天、風もそんなに強くない。天塩川は水量多く濁っているものの流れは穏やかに見える。「大丈夫!!」と心のなかで・・・ところが流れに乗った途端、水の流れは速く、私の力ではパドルが思うに任せず方向が定まらない。見くびっていたわけではないのだが、岸から見ていた流れとは全然違う。私たちは今まで4回ここを下っているのだが、1艇(私たち2人)だけで、川も澄み川底が見えて流れも穏やかな日、力量に合わせてのんびり景色を眺め、中州に上がってコーヒータイムを楽しむそれは優しい天塩川であった。それでもどうやら慣れてきて、まわりのカヌーの人と話す余裕もでてきた。この日は95艇、161人の参加であった。力量に差のあるこれだけの艇を率いる大会運営はさぞたいへんなことだろう。しかし非力な私たちが大勢の艇に引き離されることなくついていくことの難しさを思い知らされた。ようやく中間上陸地「北海道命名之地」に着いた。ここで、夫が北海道命名の由来を話し、全員で記念撮影。私たちは前列の真ん中に座らせていただき、左隣が佐近音威子府村長、一人おいてその隣が酒向大会長である。ここをスタートしてカヌーは再び流れに乗った。今回は水が濁っていて川底は全く見えない。いったいどれほどの水深があるのやら。瀬になっているらしいところ、支流が合流し流れが特に速くなっているところ、隠れている岩場、それらの難所を指示に従って慎重に進む。今大会のスタッフは110名と書かれていた。そのうちレスキューと記されているのが29人も。これだけの方が見守ってくださる。遅れる艇があり隊列が長くなると前走艇が止まれの合図、隊列を整え、後走艇が見守る。これだけの用意周到な計画のおかげで20回に及ぶ大会を無事故で実施してこられたのだ。ベテランの人たちも早く下りたいだろうに不満げな様子も見せず、素人同然の艇を見守る。「みんなが無事に」そこには強い仲間意識があるように感じた。これぞカヌーツアーの醍醐味なのか。私たちも疲れはあるものの順調に下っていた。ようやく佐久の橋が見えてきた。昼食上陸地点佐久カヌーポート(25km地点)である。ああやれやれと橋に目をとられた一瞬、カヌーは見る間に岸に押し流され、目の前に岸から突き出た木の枝が迫ってきた。避けようとした途端バランスを崩して!!!沈(チン) ライフジャケットを着けているから浮き上がりはしたものの速い流れに見る間に押し流される。すぐに駆けつけてくださったレスキュー艇もバランスを崩し沈。前走艇も含め5艇ほどで取り囲んでくださるが流れが強くて艇に上ることも岸に近づくこともできない。やっと上陸できたのは200mも流された下流であった。失敗してはじめて実感できた。この大会の重みと、「天塩川の水を飲んだの。これでやっとあなたたちも天塩川の仲間になれた!」 会う人ごとにかけてくださる言葉と視線の温かさを! そういえば昨年の大会レクチャーで救急部長のドクターの「自分の命は自分で守れ」と笑わせておられた言葉を思い出した。お世話になりました。ここで私たちはリタイヤ。ほろ苦い、でも充実した思い出に残るカヌー大会でした。
第1回 天塩川学セミナー
 「天塩川流域全体の地域振興を考える」ことを目的とした天塩川流域活性化コンソーシアム主催のセミナーの第1回が中川町で開かれた。中川町役場の方が旭川まで出迎えてくださった松阪市長、松浦武四郎記念館長一行の到着を待って会は開かれた。昨年流域13市町村議長が松阪に来られ、その時ご招待を受けたのだ。そのためセミナー第1回を中川町でセットしてくださった。驚いたことに13市町村首長、議長はすべて出席だったとか。コンソーシアム代表の、開催地川口中川町長の、来賓松阪市長のご挨拶もそれぞれに地域性の溢れたすばらしいものであった。その後、「天塩川流域は松浦武四郎を愛する人たちの聖地」と題した講演を夫がさせていただいた。「川は流れる」のハーモニカ演奏にはじまり、「ふるさと」の演奏に終わる講演は、天塩川流域ほど団結力をもって地域興しに取り組んでおられる市町村を私は知らないと、松浦武四郎への思い、天塩川への思い、その流域に暮らす人々への熱い思いに溢れたわが夫ながら心に染み入る講演であったと思う。
7月19日
 市長一行とカヌー大会第4日の出艇を見送った。川口町長が旗を振り、スターターは松浦武四郎記念館長。その後、市長は酒向大会長のカヌーに同乗し4kmを下る。戻って、中川町役場、エコミュージアム、北海道命名之地碑、砂澤ビッキ記念館、美深道の駅の歌碑、美深町役場、名寄市役所と勢力的に訪問。すべて中川町役場の方が案内してくださる。私たちも自分の車で着き従う。中川町の皆様にはほんとうにお世話になり感謝しきれない。その夜、私たちは今回1ケ月の旅でたった1度宿をとった。層雲峡のノーザンロッジで市長一行と同宿したのである。
7月20日
 銀河・流星の滝、恩根湯温泉により北見で弟子屈町副町長の出迎えを受ける。峠の湯の歌碑、ツキミソウの美しい美幌峠を経て屈斜路へ。「市長さん、ようこそ私たちの心のふるさとへ」 7人のコタンのみなさんが迎えてくださり磯里博己さんの案内で、松浦武四郎歌碑、祭壇、イオマンテの熊の檻など屈斜路湖畔をまわり、チセで日川さんの話を聞き、アイヌ民族衣装を着せていただいた。アイヌ民俗資料館も見学し、時間がなく短時間ではあったが心のこもったおもてなしをうけた。弟子屈町役場、弟子屈小、道の駅、摩周湖、ウバユリがたくさん咲いているのを眺めながら硫黄山へ、そして川湯中と今日も一日大忙しの日程であった。私たちは砂湯P泊。
7月21日
 弟子屈町役場の方に女満別空港まで送っていただくという市長一行を見送り、やれやれこれから自分たちの自由な時間。そこで知人宅を2軒訪ね、風連湖の走古丹、尾岱沼、野付とドライブしてきた。いずこも花は少なかったがヒオウギアヤメは一面に咲いておりきれいだった。今夜も砂湯泊。
7月22日
 藻琴山登山口展望台から屈斜路に別れを告げ、小清水原生花園へ。知床自然センターへ寄って、知床峠・・・羅臼岳がすばらしく美しかった。らうす自然保護センター、羅臼港、知人宅へ寄って今夜は自然とみどりの村キャンプ場。深夜、漁火がきれいだった。
7月23日
憧れ続けた知床岬
 私は「松浦武四郎の立った知床岬に立ってみたい」と長い間憧れ続けていた。知床岬は許可を受けた者を除くと立入禁止。そこで数年前漂流物の清掃作業ボランティアとして上陸しようと羅臼側で数日待ったことがある。しかし波が高くて近づけないとのことで断念したことがあった。今回、ウトロから知床岬行きの観光船が出ることを知り、ウトロに戻った。ゴジラ岩観光のクルージングは9時30分出航した。切り立った断崖絶壁、そこから流れ落ちるカムイワッカの滝、硫黄の滝などを見ながらルシャ湾に近づく。ここからはヒグマの世界。間近で、親子連れのヒグマ、海を泳ぐ姿など計8頭のヒグマを見ることができた。それより驚いたのは、小さな湾(入江)ごとにいくつもの番屋が建っており、定置網が仕掛けられていたことだ。私の秘境知床のイメージとはかなり違っていた。立松和平著「知床に生きるー大船頭 大瀬初三郎とオホーツクの海」の主人公知床番屋長の大瀬初三郎さんが、ヒグマと共存するための取り組みをしておられるのをBS放送で観たことがあったが、その番屋がルシャ湾のそれだとのこと。また戸川幸夫の小説「オホーツク老人」・・・漁網をネズミに齧られるのを防ぐため、番屋では猫を飼っている。その猫に餌を与えるため老人が一人知床岬の番屋で一冬を過ごす話だ。あまりの極寒に猫の数匹が死んだという。これが森繁久彌主演「地の涯に生きるもの」として映画化された。撮影は羅臼側でなされ、羅臼に森繁久彌のオホーツク老人の像がある。しかしその舞台はこれらの番屋のひとつだそうだ。感慨に耽っているうち、船は知床岬へ。ここでは鹿が増えすぎて生態系が壊れてきているので、その対策事業が進められている。運良くこの船でそのための人と機材を運んでいたので普通は入ることのない港まで船が入った。断崖と草原、灯台、ああここが松浦武四郎が立った知床岬か! 勿論上陸は許されない。私は心を込めて岸に手を触れた。この夜、ちょうど斜里でしれとこねぷた祭りがあると知り、夜を待ってそれを楽しみ、小清水ふれあいセンターへ。ここでは日帰り入浴ができる。
7月24日
 小清水じゃがいもフェスタ、こしみずリリーパーク、美幌北療祭などに立ち寄り、津別、陸別、足寄、秋を感じさせるハギの花を見ながら本別、池田、幕別・・・あいにく友人には会えず、忠類の道の駅へ。
7月25日
 ナウマン象が鳴くのを聞き出発。天馬街道を走る。ヒマワリ、ハンゴン草、コスモス、秋の気配が感じられる。そしてさすが日高・・・「馬横断注意」の看板。浦河町立郷土博物館を訪ねたがあいにく休館日。幌別民芸に浦川太八さんを訪ね、すばらしいマキリやタシロを見せていただき、ホウの木、鹿の腱、エイの皮で作った鹿笛を購入。昼すぎには道の駅「みついし」着。
7月26日
 静内稲田家屋敷跡、桜舞馬公園、レックススタッドという馬舎を見学、二十間道路を走り、道の駅「むかわ四季の館」に寄り、早来の鶴の湯温泉で硫化水素塩泉を楽しむ。ときわキャンプ場泊。
7月27日
 ウトナイ湖に行く。サンクチュアリは閉まっていた。そのかわりすばらしい野生鳥獣保護センターができていた。夕方、苫小牧市博物館を見学。苫小牧東港へ。11時30分フェリー出航。
7月28日
 夜8時30分、敦賀港入港。
7月29日
 未明、自宅着。
 
9月19日 夕方家を出て、敦賀港へ。
9月20日 新日本海フェリーは午前1時出航、午後8時30分苫小牧港着。そのまま日高道、道央道を走り、砂川SA泊。
9月21日
 野菊の群生を楽しみながら深川で下りる。道端のハンゴン草がきれいだ。石狩川を渡る。まだ刈り取られていない稲穂に驚く。早朝神居古潭を訪ねた。アイヌ語で「魔神が住む所」という意味。両側から山が迫り、石狩川の川幅が急速に狭まるこの地では、川は渦を巻く激流となり最深部の水深は78m以上になる、古く人々の交通手段が川を下る舟であった頃、ここで多くの舟が激流にのまれたので、魔神が住むと恐れられたという。その激流を見ながら橋を渡る。川向こうには、明治期に建設された遺構の残る駅舎と蒸気機関車があった。上川神社、神楽岡公園に立ち寄って旭川を後にした。道央道はハマナスの実が紅く色づき、ハギが咲いていた。日本最北の料金所剣淵で下り、ヒマワリが一面に咲く畑を見ながら名寄バイパスを走り、道の駅「もち米の里なよろ」で昼食をとってから中川町のナポートパークへ。このキャンプ場で5泊する予定。
9月22日
 この日、オホーツク海でのサケ釣りを誘って下さっていたのだが、台風の余波で波が高く断念。国道ではない内陸部の道を通り稚内まで行くことにした。パンケ川でサケの遡上を覗き、歌内駅、幌延の北緯45度通過点を経て日本最北の温泉郷豊富温泉に。この温泉はナトリウム塩化物泉で、かすかに石油臭があり「油風呂」とも呼ばれる。その温泉に浸かり、噴出する天然ガスを利用したジンギスカンを食べた。目的の稚内では、声問にある「松浦武四郎宿営の地」碑を訪れた。「松浦武四郎踏査による東西蝦夷山川地理取調図完成150年を記念し、松浦武四郎の偉業を称え、後世に長くその遺徳を伝えると共に、アイヌの人たちの助力に感謝する為有志相図ってこの宿営碑を建立する。」とあった。2009年に建てられたものである。聲問神社に寄り、帰途は例によってススキの美しい私の大好きなオロロンラインを南下、天塩を経て帰った。
函岳へ
9月23日
 砂澤ビッキ記念館の河上館長さんが、「函岳へ案内してあげよう。」といってくださったので、館長の車に乗せていただいて出発。ところが途中の山道で、「事故があり、今ドクターヘリが降りるから、引き返してください。」とのこと。やむなく諦める。その後朱鞠内湖へ。幌加内で新そばをいただき、美深や音威子府の武四郎が訪れたであろうあちこちを案内していただいた。音威子府役場へ立ち寄ったのちキャンプ場へ。
9月24日
 朝、裏山へなめこ採りに案内してもらっていたら、河上館長から電話があり「あまりにいいお天気だからもう一度函岳へ。」と。お言葉に甘えて再挑戦。今回は順調に加須美峠を越える。そこからは別世界の高原が広がる。見渡す限りの樹林帯、ダケカンバの林を抜けるとハイマツが現れ、その向うに笹原と草原、北海道ならではの風景が広がっていた。館長が昨年から「是非見せたい」と言っておられた景色である。山頂は青空に映えて標柱がくっきりと建っていた。1129m道北一の山である。にもかかわらず山道は頂上直下まで延び、この日は美深町のイベントもあって、バスまで上っており、美深町長や役場の人、知り合いの道新の記者、札幌の知人にも会い、驚きの連続。「来年はパンケ山に案内する」と言ってくださった館長と別れ、私たちは中頓別から知駒峠へ行き、知駒岳へ登った。
9月25日
 もう一度パンケ川へ。今度は川の岸まで降りてみた。すると、橋の上からでは想像もつかないような遡上するサケの群れが見られた。折り重なるように泳ぐサケの群れの生命力に圧倒された。今日は中川町の祭り、広い河川敷にテントが立ち並び出店、舞台では丸太押し相撲大会、よさこいソーランなどが繰り広げられていた。知人に仲間入りし、バーベキューを楽しんだ。
 中川町を去る前に天塩川流域にあったという「松浦武四郎の探検調査宿泊地」の説明板を探しにいってとうとう見つけた。
9月26日
 JRで稚内まで旅をするなど思い残すことも多々あるが、中川町に別れを告げ、旭川紋別道を上川層雲峡で下り、温根湯、北見を通る。ここでもヒマワリ畑が広がる。端野、美幌を経て屈斜路へ。今夜は砂湯泊。満天の星空であった。
9月27日
 川湯エコミュージアムに寄ってから、コテージオーナーさんに挨拶に行く。道新も予約し、今日から1ケ月、エメラルドレイクのコテージで過ごす。夕方早速図書館へ。
9月28日
 アイヌ民俗資料館、役場、図書館、弟子屈小、知人宅など周り挨拶をして、弟子屈神社へ。
9月29日
カムイヌプリ(摩周岳)登山
 年齢には勝てない。冬からの肩痛が9ケ月ぶりにようやく回復、左手が上るようになってきたと思ったら、右足の筋肉や関節ががくがくする。夫とて同じだ。数年前から腰痛と足痛で「50年以上続けてきた登山ももうだめだ。」と弱音。そんな夫が「摩周岳に登ろうか。」という。このチャンスを逃す手はない。早速図書館でルートを確かめているのを見て知人が「草原まで行って戻ってくればいいよ!」とてんで登頂など無理だといわんばかり。それでも2人では心細く、友人夫妻を無理やり誘って同行してもらいこの日早朝第1展望台を出発。濃いガスの中であった。標高差こそ300mあまりだが、距離は7.2km、それもなだらかな稜線歩きを予想していたのだが、思いの外アップダウンが激しい。やがてガスが晴れ、真っ青な青空が。コースは笹刈りなどよく整備されている。ふと左手を見ると摩周湖の青い湖面がはるか下の方に望めた。笹原の中に何やら立っている。コースを外れ見に行くと「子午線標」であった。右手に西別岳、左手はるか前方にめざす摩周岳が見えている。西別岳分岐を過ぎ、カムイヌプリへは左折して進む。火口壁の上を辿っているので頂上に近づくにつれ勾配がきつくなる。左足下は崖だ。火口壁の上を辿れなくなると急斜面を巻き込むようにして山頂へ。3時間30分、感激の登頂を果たした。山頂は、高度感のある岩場の上で、阿寒や知床の山々までの展望が欲しいままであった。足下の深い火口、摩周湖は深い青、これぞまさに摩周ブルーの湖面が輝いており、松浦武四郎が泊まったという紅い壁の洞窟も見えた。2人だけならおそらく途中でリタイヤしていたことだろう。同行してくださったご夫妻に心から感謝である。
9月30日
 アイヌ民俗資料館に行き、帰りに砂湯や硫黄山を回ったのみ。
10月1日
 毎朝、コテージの周りをエゾリスが走り回り、胡桃を齧っている姿がなんとも愛らしい。午後、摩周文化会館へ「更科源蔵文学賞授賞式」に。更科源蔵作詞の校歌をもつ学校6校の校歌合唱を聞かせてもらった。
10月2日
 弟子屈から標茶までを歩こうとその下見に出かけたついでにシラルトロ湖、塘路湖を経て釧路まで行ってきた。釧路では久しぶりにサケ番屋で食事をして、鶴居村を通って戻った。
10月3日
 友人に山ブドウ採りに連れて行ってもらった。今年はドングリをはじめとする木の実が不作、山ブドウもたいへん少ない。北海道どこともそうで、ヒグマが里に出てくることが多いそうだ。山でたいへん色の美しいカケスを見かけた。スポーツ公園で友人と話し戻った。夜は遅くまで弟子屈郷土史研究家の知人宅で、研究会メンバーの方と5人で歓談した。帰り道、タヌキ、キツネ、エゾシカと出会う。
10月4日
 サンペコタン、熊牛原野(南弟子屈)を通り、中標津森林公園ビジターセンター、ゆめの森公園、標津サーモンパークを訪ね、資料館へ寄って戻る。
10月5日
 友人宅の畑でエハ(土豆)堀をさせてもらった。お昼は、多和平へ。見渡す限りの放牧地が広がり、北海道のど真ん中にいるという感じ。しゃれたレストランで、これまたしゃれたランチを堪能する。夜は、収穫し、いただいてきたエハの皮むきをせっせと。
10月6日
 久しぶりの雨。「弟子屈の蔵」(資料館)をゆっくりと見学させていただいた。
10月7日
 明日三重から来道の友人二人を旭川空港まで迎えに行く。日帰りはきつかろうとこの日出かけた。美幌、北見、留辺蘂、石北峠、層雲峡、高速道を経て、道の駅「旭川」へ。
10月8日
 午前中、旭岳ロープウェイでもと考えたが、旭川市内を回ることにした。先ずは久しぶりの三浦綾子記念文学館と外国樹種見本林の散策。続いて、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館(国の重要文化財建物)、井上靖記念館、スタルヒン球場、北鎮記念館(ここには松浦武四郎関係資料がたくさん展示されていた)、北海道護国神社などを訪ねた。旭橋を渡り空港へ。友人二人を迎え、早い日没と競争するように昨日来た道を、層雲峡の流星・銀河の滝、石北峠、るべしべ道の駅でオレゴール時計を聞き、美幌で食事ののち9時過ぎコテージ着。
 
 
10月9日
 来道した友人二人にカヌー体験をと知り合いのカヌーインストラクターに依頼したところ、収穫期の畑作業が忙しく今カヌーツアーは休業中、仕事前の早朝ならとのこと、それもおもしろかろうと・・・日の出前の午前5時、レクチャーを終えて湖に漕ぎ出す。その後約2時間釧路川の源流下り。私たちは到着地で待つ。やがて朝もやの中に現れたカヌーはなかなか幻想的。朝日が昇り川面がきらきら輝く予定だったが、この日はあいにく曇り空。それでも二人はずいぶん楽しかったようで大満足の様子。朝食後、アイヌ民俗資料館、砂湯、硫黄山、摩周湖を訪れ、まりも祭りに参加するため阿寒に向う。キャンピングカーの中でエハご飯を炊きながら・・・双湖台に寄り、阿寒湖キャンプ場へ。ここでバーベキューを楽しむ。阿寒アイヌコタンで互いの友人、知人と再会を喜びあい、いよいよまつり会場へ。私たちも持参の民族衣装をきていたので、一般観光客とは別で、祭りの最前列で見守ることができた。その後、タイマツ行列、各地の伝統舞踊・歌などを楽しんだ。間にある小さな画像はエゾリスなんだけどわかるかなあ。
10月10日
 阿寒、足寄、高速の長流枝PAで休憩、音更すずらん公園に松浦武四郎歌碑を見に行った。公園の木々は色づきはじめ、大きなマツボックリをたくさん拾った。高速に戻り、十勝平原PAで持参のおにぎりで昼食、下りて狩勝峠へ。あいにく雨になってしまったが、峠の紅葉は真っ盛りですばらしく美しかった。南富良野役場で開拓碑を見、私たちのなじみの宿、上富良野のステラ着。夕食後、吹上温泉白銀荘へ案内していただく。その帰途、丘の上で、天体観測好きのステラご主人から、星の話をいろいろと聞かせてもらった。この夜は満月で、なにより空の広さに驚いた。
10月11日
 旭岳の紅葉は終わっており、このあたりを回ることにした。上富良野の佐川さんにご挨拶に伺い、まずは吹上温泉露天風呂へ。もう20年も前の話だろうが「北の国から」で宮沢りえさんが入ったという無料露天風呂である。いつのことだか私がはじめて入ったころは湯衣など着けず、野趣溢れる山奥の小さな温泉であったが、近頃は観光化され水着は当たり前・・・昔の面影がなんだか懐かしい。望岳台、道の駅「丘のくら」、深山峠の松浦武四郎碑、かんのファーム、ゼルブの丘などを巡り、仕事の関係で一人先に帰る友人を旭川空港に送る。その後、もう一人の友人と三人で丸瀬布の秋葉先生をお訪ねする。旭川紋別道を走っている時、上川天幕(中越)のあたりで並行して走る線路の上にヒグマ発見!驚いた! この夜はいつものことながら、マウレ山荘で、北海道の松浦武四郎研究会の方々10人と共に秋葉先生にご馳走に預かる。秋葉先生がとてもお元気でなにより嬉しいことであった。層雲峡Pまで走り、車中泊。友人にとってはキャンピングカー泊初体験。
10月12日
 早朝に、ロープウェー、リフトを乗り継いで黒岳7合目まで上る。リフトの下には霜柱が。葉を落としたダケカンバの白い幹が連なっている様が美しい。いつだったか層雲峡の岩壁が真っ赤に燃えていたのに感動したものだったが、今年の紅葉は暖かさで今ひとつ、それでも紅葉の層雲峡、黄色を主体に輝いていた。大函、三国峠、三股、幌加駅、タウシュベツ橋展望所、森のトロッコを楽しみ、然別湖へ行こうとしたが通行止めで、糠平湖へ。ここで名物の豚丼を食べる。第三音更川橋梁を見て、六花亭に寄り、宿泊する帯広北海道ホテルへ。ここには松浦武四郎に関するものがたくさん展示されている。この夜、アイヌの友人を招き、歓談、会食。この日、屈斜路湖に白鳥が来たと連絡が入る。
10月13日
 道東道を走り、十勝清水で下りる。快晴の日勝峠を越え、道の駅「日高」、石勝樹海ロードを走り夕張から再び道東道へ(10月末この道東道は繋がるので、日勝峠越えも最後になるかも)、新千歳空港に友人を送った。帰りは、占冠ICから入り十勝清水、帯広、足寄まで真っ赤な月に向って快走し、どこかで車中泊してもと考えていたのだが、そのまま阿寒を通って屈斜路に戻った。走行距離 531.7km。
10月14日
 コタンに壊れたエペレセッ(熊の檻)を立て直す作業をしていると聞き、見に行く。立派なエペレセッができていた。午後友人の博己さんときのことりに行く。今年はきのこもさっぱりで、それでも山を知り尽くしている博己さんのこと、舞茸を採ってきた。彼と帆立ご飯を炊いて食べた。買い物に行く途中、白鳥と丹頂を見かけた。
10月15日
 あまり天気はよくない。昼食は、コテージで友人夫妻と会食を楽しむ。急に紅葉が進み、屈斜路はすばらしく美しい。
10月16日
 しきりに落ち葉が舞う。アイヌ協会の芽室支部との交流会があると聞き、仲間に入れて貰う。生活館でウ(オ)パシレラ、湖から吹いてくる風の話を聞いた。アイヌ料理を作るのが楽しみ。エハアマム、イモシトオハウ(イモシト、大根、人参、牛蒡、椎茸、昆布、あげなど具だくさん)、キトピロの酢味噌あえ、南瓜とシケレベのラタシケップのほか、ワラビと紫しめじのメンミ和え(人参、ショウガ、昆布、わかめ入)、酢の物(鶏肉、キュウリ、ゴマ)、煮物(干しコゴミ、ふき、蒟蒻、天ぷら蒲鉾、ゴマ)、漬物(たくあん、茄子)など。保存食の豊かさに驚く。帰り道、道路が落ち葉で埋め尽くされていた。
10月17日
 室内に天道虫が増えてきた。滞在の日にちが残り少なくなっている。弟子屈小へより、裏摩周へ行った。清里、野上峠・・・黄葉のトンネルで、紅葉のグラデーションがすばらしい。藻琴峠まで上り、硫黄山、川湯間の道で黄葉が夕陽に輝くのを楽しみ、砂湯を通って帰った。強風のため落ち葉で車輪がすべり、北海道各地で列車が止まったと道新に出ていた。
10月18日
 念願の弟子屈〜標茶を歩くことにした。早朝に車で標茶駅まで行き、車を置き、7:05発の列車で摩周駅まで、7:45歩き始める。好天だが風が冷たい。フードを被り歩く。普段何気なく車で走っている道にこんなに坂道があったのかと驚く。仁多から国道R391へ。松浦武四郎が歩いたように歩きたいのだが、もちろん当時の道は国道そのものではない。しかしそれは探しようもなく、記録された地点を辿っていくしかない。仁多橋、更科踏み切り、南弟子屈、昭栄小へ寄り、磯分内跨線橋と黙々と歩く。堺橋に到着。とうとう弟子屈と標茶の堺である。磯分内橋を渡り磯分内で昼食をとる。瀬文平橋を渡り、ようやく標茶駅に着いたのは3:30 27km、正味7時間歩行というところか。疲れた。正直、道標などあるわけではなく、見るべきものもない、おもしろくない道程であった。しかし歩き通したという満足感だけはしっかりと残った。
10月19日
 コテージもまわりはみごとな紅葉。昨日の疲れは残っているものの滞在日のことを考えると・・・和琴小、和琴半島を訪ね、久しぶりの津別峠展望台へ。屈斜路湖が輝いて見えた。この峠も間もなく雪で閉鎖されることだろう。資料館へ寄り、雪虫が飛び始めたことを話して戻った。画像は、白鳥が静かに浮かぶ屈斜路湖。
10月20日
 第63回弟子屈町総合文化祭展示部門を公民館へ見に行った。この日は、アイヌの人たちの手作り伝統作品が多数並んでおり圧巻だった。図書館へ寄り、弟子屈町の小中学校でただ一校行ったことのない奥春別小へ行ってみることにした。奥というから山間の小さな集落を予想していたのだが、どうしてどうして広大な牧場の広がる開けた土地であった。弟子屈の広さを思った。続いて、900草原へ。多和平とはまた違った趣のあるすばらしい草原である。ジンギスカンを賞味し、パークゴルフを楽しんだ。
10月21日
 和琴小で、「屈斜路かがやきタイム(KKT)」発表会を見せてもらった。全校生11人が各自課題を持ち、今年のかがやきタイムで取り組んできた成果の発表会である。みんな生きいきとした発表ですばらしかった。
10月22日
 夫が明日、当麻で話をすることになっている。今回道北の旅で、浜頓別にも是非行きたいと思っていたのだが日程の関係で諦めた。そこでこの際ついでに(?)、浜頓別まで行ってみるかということになった。なんだか北海道人の「ついそこ!」の感覚が。早朝起床、コテージのまわりで赤ゲラやカケスが遊んでいる。出発して間もなく畑に白鳥が100羽以上餌をついばんでいるのを発見、びっくりする。美幌峠はガスがかかり幻想的。美幌、女満別、卯原内(能取湖)、網走、北見、常呂、サロマ湖、佐呂間、湧別、紋別と北上する。赤マンマの絨毯が美しい。続いてオホーツク海に沿って興部、雄武、枝幸、道の駅「マリーンアイランド岡島」で昼食、北見神威岬を経て浜頓別の斜内に着く。ここの知人とは7月に浜で出会い、松浦武四郎について語り合い意気投合した方なのだ。持参した資料をもとに、今回も話に花が咲く。お土産にホタテやツブ貝をたくさんいただいて大喜び。道の駅「チューリップの湯」で宿泊予定だったが雨が激しくなったので、もう少し先へということになり、上湧別、遠軽、丸瀬布から旭川紋別道に乗り愛別ICから道の駅「当麻」へ。ついでにが549.5kmの大旅行になってしまった。
10月23日
 町内を探索したり、郷土資料館を見学したり。いちょうの黄色が美しい。当地を巡り、武四郎の記録を読むと一層よくわかる。午後、伊香牛ぷらっとホールで、夫が「松浦武四郎と歩む郷土の歴史」という題で講演をさせていただく。帰途を心配してくださったのだが、愛山・上川から旭川紋別道、上川・層雲峡でおりて、層雲峡、石北峠、るべしべ温根湯温泉、美幌へ寄って、そういえばこのルートこの1ケ月で何回通ったことか。
10月24日
 そろそろ帰り支度。落ち葉が道路を埋め尽くしている。山粧う季節、錦秋の輝きに自然の神秘と生命力を思うと少々感傷的になる。川湯のそばやさんで、そばをいただく。そば好きの客の多さに驚く。「弟子屈の蔵」に行って知人と話し込み、4軒ほど知人宅をまわって別れの挨拶を。夜は、友人一家にコテージへきてもらい、別れの会食、歓談を。
10月25日
 カラマツが色づきはじめた。午後、弟子屈小で、弟子屈の小中学校の先生方に、夫が「松浦武四郎と弟子屈」との題で話をする。少しでも松浦武四郎のことを知り、その生き方に学んでいただきたいとの思いからだ。夜は、教育委員会、校長、教頭先生方の有志が宴を開いてくださる。
10月26日
 いよいよ出発の日。画像は別れの朝のコテージ周辺。屈斜路コタンの友人に挨拶をし、川湯に向う。屈斜路湖半の道は、殊のほか美しい紅葉に包まれていた。足寄から道東道へ。からまつの林が美しい。音更の柳月「スイートピアガーデン」で休憩し、占冠で下りて日高へ。平取、鵡川、ここでししゃも寿司の夕食。フェリーが苫小牧港を出航したのは日づけが変わってすぐ。
10月27日
 波がかなり高くゆれたが、午後8時30分敦賀港着。
10月28日
 未明、帰宅する。
 
 
 
 
               
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                 

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