2009 北の大地にて その2

2009 北の大地にて
       その2


6月29日
 音更の北海道立十勝エコロジーパークでその広大な緑の中をサイクリングで。十勝が丘公園(ハナック)にも寄った。巨大な花時計が作られており、近くには十勝馬唄歌碑もあり、歌も聴くことができた。扇が原展望台を通って然別に出ることにした。思い出の東ヌプカウシヌプリの登山口にはヒオウギアヤメの花がたくさん咲いておりきれいだった。この山は帯広から見る姿が特に美しい。然別湖は船で遊覧した。そのまま幌鹿峠を越えて糠平湖まで行き、ぬかびらキャンプ場に入った。湖の近くでクマゲラの開けた大きな穴をたくさん見つけた。近くの温泉にも行った。
6月30日
 案内の方に連れていただいて、北海道遺産の旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋の探勝にでかけた。ここは前にも何度か来たことがあるが、さて今はどうなっているか?通行止になっているゲートを通行許可証を持った案内の方に開けてもらって、タウシュベツ橋梁を見に入った。コンクリート橋の中でもっとも有名な橋である。見て驚いた。あまりにも崩壊が進み無残な姿に胸が痛くなった。もっともダム湖の水位が上がっているときで、その上部だけしか見えなかったのだが。湖を回って上からもこの橋を眺めた。水面にわずかに見えるのがタウシュベツ橋梁である。ここで珍しい大きな蟻塚を見たのもおもしろかった。他のコンクリート橋やそれに続く線路の跡、幌加駅にも行ってみた。幌加駅跡には相変わらずルピナスの花が一面に咲いていた。この後、ひがし大雪博物館へ。ことに美しい蝶が印象に残った。
 午後出発し、幌加の隣の十勝三股駅跡に。ここにもルピナスとセンダイハギが美しく咲き乱れていた。三国(十勝、石狩、北見)峠、石北峠を越えて道の駅「おんねゆ温泉」に立ち寄って、大きなからくり時計を見、北見へ。東陵公園に着く。実は前回ここでアカシアの雨にうたれて一夜を過ごしたことが忘れられず、アカシアが風に舞う姿を期待していたがここではすでに遅くわずかに花が残っているのみ。散歩するとアカシアの花びらが道の両側にたくさん吹き寄せられていた。ここで泊。
7月1日
 北見では、中の島公園に「松浦武四郎当地方初踏査の利用河川」の説明板を確かめにいき、図書館へ行ったりした。美幌で買い物をし、激しい風とものすごい濃霧の峠をそろそろ下り、和琴半島でも歩いて一周しようかと言っていたのを大雨のためやめてエメラルドレイク屈斜路に逃げ込む。「また雨を連れてきて」と笑われる。友人夫婦と会食を楽しむ。
7月2日
 午後雨があがったので、砂湯、川湯、硫黄山、藻琴山展望台を経て4月25日に開いた小清水峠へ。あいにく斜里岳の端正な姿は見られなかったが、途中欣明水、砥草原小学校跡を訪ねたりしながら斜里へ。引き返して神の子池、裏摩周展望台、養老牛を辿るドライブ。
7月3日
 尾岱沼から観光船に乗ってトドワラへ。打瀬舟がたくさん出ていたのでその優雅な姿を何枚もカメラに収める。トドワラは立ち枯れの木がほとんど倒れ無残な姿になっていた。「幻の町キラク」のあたりも定かではなかった。船を下りて、いつもの白帆さんで郷土料理を堪能。車で回って野付の竜神崎燈台まで入った。2週間前に来た時とは花の種類は変わってセンダイハギ、エゾニュー、そしてキスゲの黄色い絨毯が一面に敷き詰められていた。夜は親友一家に来てもらって遅くまで歓談。
7月4日
 やはり霧の中の美幌峠を越え女満別へ。「めまんべつメルヘンの丘」に寄り、再度ワッカ原生花園に来て、サイクリング。ここでも花の種類が変わり、咲いている数も格段に多い。ムシャリンドウ、カワラナデシコなど前回見られなかった花が咲き、スカシユリが色も鮮やかにたくさん咲いていた。海岸にはハマエンドウ、フウロ、ハマナス、コウボウムギ、ハマヒルガオが。途中釣りをしていた青年が大きなカレイを見せてくれた。今回は馬車にも出会った。次に、ところ遺跡の森を訪れた。ところ埋蔵文化センター、東京大学文学部常呂資料陳列館、ところ遺跡の館などである。ここで偶然見つけたものに驚いた。以前東北旅行をしたとき、同じ三重ナンバーということで偶然知り合ったTさんの名前を発見したのである。「えっ、Tさんも今北海道を旅行中なのか!この広い北海道でお名前を見つけるとは!」 この夜は道の駅「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」で入浴と泊。国有鉄道中湧別保線区之碑があり、除雪車や客車が置かれていた。
7月5日
 Tさんと携帯電話で話す。三重の知人とこうして北海道で話しているなんてなんと不思議で楽しいことではないか。紋別でオホーツク流氷科学センターへ。初めてのことではないが、厳寒体験室で氷点下20度の世界を体験。手袋を脱いで素手でふれた途端に消えるしゃぼん玉がおもしろかった。天塩川のカヌー下りが諦めきれず、天気予報を見て電話すると、明日がいいということになり、急遽中川町に向う。道の駅「にしおこっぺ花夢」に寄り、「松浦武四郎名寄川上流到達地」の木標を見てナポートパークへ。
7月6日
天塩川をカヌーで25km下る
 期待を膨らませたカヌー下りである。曇っていて少し風が強いが、川は濁りもとれて流れも安定している。NPOの三箇理事長さんや菊田さんにお世話になり、カヌーを筬島の「北海道命名之地」碑のところまで運んでいただく。前々回下ったときはこの下流からの20km、今回は25kmのコースである。嬉々として漕ぎ出した。風もあまり気にならない。ところが川の向きが変わり、地形が変わる度に風向きや強さが変わって、ときにはパドルが効かず艇をくるりと回してしまったり、悪戦苦闘する箇所もあり、前々回のように悠々とというわけにはいかない。でもそれもいい体験であり思い出であった。巣穴に群れるショウドウツバメ、カワセミ、オジロワシを観察しながら、水鳥に水先案内を頼みつつ楽しく下った。今回は中洲に下りて遊んでいるということがなかったので、前々回よりはるかに短い時間で下りきった。思い出に残る天塩川カヌー下りであった。ナポートパークオートキャンプ場泊。
7月7日
 美深では「松浦武四郎踏査之地」碑や歌碑を訪ね、名寄では名寄商工会館へ寄り、朱鞠内湖へ。ここではボートで湖の上に出る。ダム湖である。湖に沈んだ大木の仲間であろう切り株が湖の周囲にたくさん見られた。ー41.2度を記録したと記されていた。帰りに「願いの像」を見つけた。こう書かれていた。「日中戦争から太平洋戦争に至る(1935年ー1943年)までの9年間、朱鞠内は過酷な強制連行・強制労働の現場でした。数千人の日本人労働者と三千人の韓国人・朝鮮人が名雨線(現深名線)鉄道工事と雨竜ダム工事に従事させられました。強制労働の末、死にいたらしめられた人々は、次々と朱鞠内の土に埋められていきました。戦後復興の時代、私たちは犠牲者をかえりみる思いを失って時が流れました。1976年、空知に一つの運動がおこりました。鉄道工事・ダム工事の犠牲者を調査し、遺骨を発掘し追悼しようとする「民衆史掘りおこし運動」に多くの人々が参加し、朱鞠内では「追悼法要協力会」が結成されました。参加者による調査の結果、これらの工事の中で204人(現在まで)の犠牲者の氏名が判明しました。その中には36人の強制連行による韓国人・朝鮮人の犠牲者がありました。1980年から4度にわたる発掘調査で、朱鞠内共同墓地周辺の笹ヤブの下から6体の遺骨が掘り起こされました。それらの遺骨は参加者の手で改葬され、40年ぶりに遺族の手に還されていきました。韓国への遺骨返還の旅が続けられました。戦争の嵐の中で、山間の地にいのちを失った多くの「タコ」と呼ばれた労働者の哭と、他国へ強制連行された人々のいかりと悲しみにふれた私たちは、この運動をとおして、二度と再びこのような犠牲を強いることがあってはならないことを学びました。ここに、犠牲となった人々、遺族、そしていのちの尊さにめざめたすべての人々の思いを込めてこの像を建立します。この地から、人間のいのちの尊厳をとりもどし、民族の真の和解が実現できることを願って。」   道の駅「森と湖の里ほろかない」で入浴と泊。
7月8日
 江丹別峠を越えて当麻へ。孫に果物を送る。道の駅「びえい・丘のくら」へ寄り、吹上温泉キャンプ場へ。白銀荘で夕食と入浴。
 
7月9日
三段山へ
 早朝十勝岳温泉に移動し、三段山(1748m)へ登ることにした。以前行ったことのある安政火口への道を分けるとすぐに三段の沼があらわれた。鼻歌気分も間もなく厳しい登りとなる。この山で出会った唯一の人は、この厳しい登りの途中で降りてこられるのに出会った。頂上は晴れていて眺望がよかったという。喜んで先を急ぐ。やっと稜線に出た。しばらくで安政火口が下に見えた。頂上までいけばもっとすごい光景が見られる。ところがまもなくガスが上ってきた。そしてあっという間にガスに包まれた。それでも風があるから頂上は・・・と歩き続ける。思いの外花の多い山で、その可憐な姿に慰められた。ウコンウツギ、エゾイソツツジ、ゴゼンタチバナ、コケモモ、エゾルリソウ、チシマキンバイ、そして名前を知らない真っ白でイワヒゲを上にむけたような花。2時間あまりで着いた山頂は、ときどき切れ込んだ絶壁の火口が覗くだけ、十勝連山が360度広がるという眺望はすべてガスの中であった。
 下りて分岐のところまでいくと、スペインの人たちと出会いしばし歓談する。凌雲閣で入浴し、大正泥流の痕跡として巨大な溶岩が残されているのを見て、気に入った道の駅「しかおい」泊。
7月10日
 神田日勝記念美術館へ入るつもりだったが、ちょうど町制50周年式典のため駐車場が混んできたため諦める。同じ鹿追町の道の駅「うりまく」はライディングパークになっており、雨でなかったら乗馬を楽しむのにと残念がる。今日は道の駅めぐりになってしまった。「ピア21しほろ」「しほろ温泉」・・・入浴と食事、いいところだが泊にはあまりに早すぎる。「ステラ★ほんべつ」「あしょろ銀河ホール21」とまわり、とうとう「足寄湖」に決めて泊。
7月11日
 Tさんが雌阿寒岳に登られてよかったと聞いたので、そうだ、私たちも登ろうということになり十勝からこちらに向かって来たのであった。足寄峠を越え雌阿寒岳の美しい姿を見ながら阿寒に入る。阿寒湖畔野営場へ。雌阿寒岳は明日登ることにして、今日はスキー場の上の
白湯山へ
 スキー場から約2kmのコースである。小さな起伏のある自然林の中を進み、チップ川の上流の小川に出た。この小川は上のボッケ地帯から流れる温泉であった。左右にボッケを見ながら、急斜面を登り1時間20分で白湯山山頂に着いた。下りる途中たった一人で登ってくるオーストラリアの若い女性に会った。勇気あるなあ。
 鶴雅で入浴し、夜はコタンの店を散策し、友人・知人と歓談した。
7月12日
雌阿寒岳登山
 標高1499mの雌阿寒岳は約2万年前に火山活動を開始、何度も噴火を繰り返して複雑な山体を作った山である。現在も活発な噴火活動を続けている。登山コースはいくつかあり、今回は見晴らしもよく最もポピュラーなコースである野中温泉から登ることにした。山麓部はエゾマツ・トドマツの森林に覆われている。アカエゾマツの純林の中のかなり傾斜のきついジグザグ道をゆっくりと登っていった。樹林が低くなり見事なハイマツ帯にでた。涸れた大沢をわたり、5合目附近はハイマツのトンネルをいく。ひと足ごとに高度感をます火山の素肌が現れた火山礫の急な登りを登っていく。眼下の樹海の中にエメラルド色のオンネトーが見えた。その美しいこと! さらに急登を続け9号目で火口を眼下にする外輪山に辿り着いた。迫力ある火口を見ながら雌阿寒岳頂上、2時間50分の行程であった。頂上からは噴煙のむこうすぐ目の前に寄生火山阿寒富士(1476m)の端正な姿があった。快晴に恵まれ360度の眺望は息を呑むほどすばらしかった。今回の8つの山のうちのNO.1かな。旅の終わりにこの山に出会えたことに感謝した。夫の鳴らす口琴の音が山々に響きすいこまれていった。お花畑をいくオンネトーへ下りるコースは1時間以上長くかかるということで、登ってきた道を下りた。
 道の駅「しほろ温泉」で温泉を楽しみ泊。
7月13日
 帯広から幕別へ行き、「蝦夷文化考古館」へ。白人(チロット)コタンのアイヌ指導者であった故吉田菊太郎氏が蒐集された文化財を陳列・保存している館である。帯広に戻り、美術館、百年記念館を見学するつもりであったがいずれも休館、そう今日も月曜日であった。ばんえい競馬が開催されていたが雨のため断念。かわりに芽室の花菖蒲園へ。広大な公園に色とりどりの花菖蒲が咲き誇っていた。大雨の日勝峠を越えて、道の駅「樹海ロード日高」泊。
7月14日
 二風谷アイヌ文化博物館、沙流川歴史館を訪ね、知人と話しこみ、萱野茂ニ風谷アイヌ資料館も見学した。鵡川へ。これまた知人を訪ね、おすしをご馳走になりながらゆっくり過ごす。「むかわ四季の館」では早すぎるし、さりとて太平洋側には適当な道の駅がない。苦肉の策で高速道に入り、樽前SAで泊。
7月15日
 白鳥大橋を渡って、道の駅「みたら室蘭」へ行き、次いで栽培水産試験場へインターネットで知り合った魚拓作家の方のマツカワ(カレイの仲間)の作品を見せてもらいに行った。民俗資料館へも立ち寄った。その後、道の駅「だて歴史の杜」へ。宮尾登美子文学記念館、開拓記念館、迎賓館(伊達邸)を見学。久しぶりに黒松内温泉に入り、道の駅「くろまつない」で泊。
7月16日
 山越駅に寄り、松浦武四郎の説明板のある稲荷神社へ。以前ここを訪れた時拝殿に名刺を挟んでおいたのを、かなり経ってから雪の中から見つけ出しお便りをくださったことがあり、突然ではあったがお話が聞けたらと伺ったのである。あいにくご主人はお留守であったが、またお邪魔する機会を楽しみに・・・森町に夫の友人を訪ね、道の駅「つど〜る・プラザ・さわら」を経て「間歇泉しかべ」を楽しむ。かねてより一度訪ねたかった北海道遺産の内浦湾沿岸の縄文文化遺跡群の一つ「大船遺跡」へ。屋外に「石皿」としてかなり大きな石がたくさん積んであるのを珍しく見た。レプリカではあったが、国内最大級の「土偶」(国宝)も見ることができた。南茅部町民保養センターで入浴、大船河川公園キャンプ場泊。夜中にピーピーピーと鳴っていたのは熊除けか?
7月17日
 とど法華の水無海浜海岸へ。満潮の前後数時間だけ入ることができるので有名な無料の露天風呂に時間を合わせて入りに行ったのである。潮の満ち干によって温度も変わるそうだが、このときはちょうどよい湯加減、潮風に吹かれて気持ちよかった。鎌倉時代、日蓮宗の開祖日蓮大聖人の弟子日持聖人がこの地(水無海岸)から永仁7年(1299)唐(中国)に渡ったことから「唐渡法華」といわれるようになったという。恵山岬燈台を見に行ったり、「ピカリン館」へ入ったり。ここで、高田屋嘉兵衛が豊漁と航海安全を祈願して恵山登山道中腹に石碑を建てていることを知る。「恵風とどぽっくる」で入浴しているとき、テレビのニュースでトムラウシでの遭難事故を知る。晴天の岬は実に気持ちよくゆっくりと休息。道はここで切れているので少し戻り、道の駅「なとわ・えさん」へ。海岸を散策する。ここから以前登った恵山の荒々しい山肌が見られ懐かしかった。アイヌ歌人違星北斗の「幌別の浜のハマナシ咲き匂い恵山の山の遠くかすめる」を思い出した。キャンプ場泊。
7月18日
 本州との最短距離の地を見て函館に出る。朝市をぶらぶら・・・函館博物館へ、今日から始まった「アイヌの美ーカムイと創造する世界」展を見に行った。ここでもまたまた佐々木先生に・・・3度めである。早く着いたので14時の津軽海峡フェリーに乗船し、17:40青森着。東北道の花輪PA泊。
7月19日
 前沢SA、国見SA、五百川PAを経て、磐梯熱海で下り、11年前に泊った懐かしい宿でゆっくりしていこうということになったが、3連休の真ん中、どこも満室で諦め、高速道に戻って、磐梯山SAを経て、阿賀野川SA泊。
7月20日
 黒崎、米山、新井、妙高、松代と順調にきたが、岡谷JCKと伊北の間で事故渋滞、駒ケ根で温泉に入っていこうとの計画も流れる。3連休の最終日、高速道はどこも渋滞気味、自宅に戻ったのは10時半であった。思えば長い長い旅であった。
 
 
 
山よ・風よ・草原よ
第11回 全道フットパスの集い
       in かみふらの
8月27日
 今回は5泊6日の旅であるので飛行機で。
 この日は千歳泊。
8月28日
 レンタカーで、二風谷へ。8月はじめたいへんお世話になったKさんを訪ねた。Kさんは、松茸ごはんと地元産山菜・野菜等を用いた手作り豪華お弁当を作って待っていてくださり大感激!! お弁当をおいしくいただく。富良野プリンスホテル泊。
8月29日
 「全道フットパスの集い in かみふらの」に参加するため上富良野に移動、集合場所の日の出公園へ。フットパスとは「森林や田園地帯、古い町並みなど、地域の昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩く(Foot)できる小径(Path)のことである。イギリスが発祥の地とされており、日本各地で整備が進められている。」 ことに北海道ではたいへん盛んで、今回はその全道大会。上富良野には11のフットパスが用意されている。今日は、「和田草原とどんぐりの郷パス」(約7km)を歩いた。私たちは、2003年「でっかいどう オホーツクマーチ」(6日間)で100kmを歩いたことがあったが、全く雰囲気の違うことに驚いた。速さや距離を競うのではなく、花を愛で、風を感じ、雄大な光景をカメラに収めた。街路には、エゾコリンゴ、ヒメリンゴがたわわに実をつけていた。自然を楽しみながらマイペースで歩く実にさわやかなウォーキングであった。
 2時から各地のフットパス事例紹介や、古街道研究家・宮田太郎氏の講演会、夫が松浦武四郎と上富良野について少し話をさせていただいたり・・・その後の交流会は、南米アンデス音楽ドテカボチャスの生演奏をバックに、テーブルには、地元産物の手作り料理が所狭しと並びたいへん盛り上がった。今夜の宿は、前に何度かお世話になったペンション「ステラ」さん。
8月30日
 第二日は、Aコース「フラワーランドパス 約4.5km」 Bコース「千望峠コース 約10km」があり、私たちはBコースへ。大雪連山十勝岳は活火山で噴火を繰り返している。殊に大正15年5月24日の大噴火は、大岩石を巻き込み、大木をなぎ倒し、山間数10mもの残雪を噴火熱(火砕流)が溶かし、時速40kmで上富良野平野を直撃、馬80頭、人命144名が犠牲になったという。三浦綾子さんの「泥流地帯」の舞台である。はからずもその主人公のモデルとなった人ゆかりの方と一緒になりいろいろお話を聞けたのも楽しかった。上富良野の原野にはじめて入殖したのは明治30年で田中常次郎団長ほか7名による三重団体の開拓者であった。千望峠パスのある地区は、明治40〜41年にかけて土佐団体、秋田団体、越後団体の入殖者によって開拓された土地である。畑の中の道を歩き、ゆるやかな草原を登っていくと、古いトラクターや発動機などが多数展示されているところがあった。ここが1回目の休憩場所、ふかしたジャガや原始ケ原の名水がふるまわれ心なごむ。森林地帯の木陰コースを行くと心地よい風が吹きぬける。やがて2回目の休憩場所江幌貯水池。明治35年頃になると水稲栽培が意欲的に行われるようになった。大正15年の十勝岳大爆発による大被害もあり、水源確保のため貯水池を作ろうということになり、昭和2年ため池が完成した。それがこの江幌貯水池。しかし昭和45年から始まった米作り減反政策で水の必要性が大幅に減り、昭和48年にニジマス、ワカサギの稚魚を放流したりしたが、現状では水田灌水以外には利用されていないそうだ。森林を抜けると眼前に十勝岳連峰と上富良野の市街地が広がりすばらしい眺望であった。松浦武四郎も通ったであろう道を辿り、彼の越えたルーチシを見ながら歩く。なんとも心地よい。3回目の休憩地を過ぎるとあと2km、名残惜しいような気持ちで歩いた。千望峠では心づくしのカレーライス。山谷さんの十勝連峰とアイヌ古道(松浦武四郎の通った道)のお話を興味深く伺った。
 午後は、例の吹上温泉露天風呂に行ったが、さすがに男性ばかりで入りつらく、白銀荘で温泉を楽しみ、望岳台へ。今夜もステラさんへ連泊。その夕刻は政局の激変を物語るような豪快な夕焼けであった。
8月31日
 もう一度日の出公園に上り上富良野を見渡した。その後、南富良野へ伊勢団体を率いて入殖した三重県松阪市出身の木田幸次郎の顕彰碑を訪ねた。また前回楽しいお話を聞かせてくださった方を訪ね、サホロ湖キャンプ場に上っていったが、残念ながらお見えにならなかった。この夜は札幌グランドホテル泊。よく行く「西鶴」でおいしいお鮨を堪能。札幌はなんといってもこれが楽しみ。
9月1日
 珍しく昼の便で千歳から帰松。
             天塩川をカヌーで下る

戻る