2008 北の大地にて

2008
北の大地にて
 今年は所用もあって、3泊から5泊の旅であるが、数度にわたって北海道を旅することになった。
・8月22日から25日まで6人のグループ旅行で道東へ。
・9月5日から9日まで、室蘭、二風谷、新得、富良野岳原始ケ原、新十津川へ。
・10月15日から18日まで松浦武四郎生誕190年等記念事業・「武四郎の足跡を訪ねて IN 北海道」に参加した。
・2008年 6度めの北海道である。何度訪れても北海道には強く魅かれるものがある。今回は、12月7日から11日まで、全くのプライベートな旅であった。


8月22日
 釧路空港に降り立つ。今回は武四郎の足跡を訪ねる旅であるので、まずは釧路の幣舞公園の武四郎像を。像は木陰にひっそりと佇んでいた。案内のアイヌの人の衣服の袖口にアイヌ文様が刻んであるのを見つけた。さすが女性、観察が細かい!
 引き返して阿寒に向う。滝見橋の近くで武四郎碑を見る。そばに咲いていたトリカブトは色鮮やかであった。次いでボッケへの道にある武四郎漢詩碑を見て、阿寒湖畔へ。夕景の中に雄阿寒岳が浮かび上がっていた。阿寒コタンでは知り合いの店をあちこち覗いたり、アイヌ民族衣装を着せていただいたり、アイヌ民族の友人と記念撮影をしたりと、時間はあっという間に経っていく。松明行進に参加したり、「北の大地に熱い風が吹く」と題したライブを楽しんだりしていたら遅くなり、いつもの屈斜路湖畔レンタルコテージに着いたのは夜中の11時半であった。
8月23日
 早朝に屈斜路コタンを歩いた。コタンの露天風呂、武四郎碑、ヌサ、チセなどを見て周った。その後、一路根室へ。途中、「伊能忠敬 最東端到達記念柱」の立つ風蓮湖入口に立ち寄り、一面のハマナスの原で、真っ赤な実を少し採取したりした。
 根室で先ずしたことは、花咲港に寄り、花咲ガニを食べることであった。花咲ガニを一杯ずつ注文したら、おまけに定食がついてきて、その定食たるや、焼きさんま、鉄砲汁、さんまのさしみ他8品の皿や小鉢の並んだトレイ、ご飯・・・びっくり仰天しながら堪能した。満腹のおなかをかかえて岬へ。それでも寄り道。日本最東端の駅「ひがしねむろ」。日本最東端の学校「珸瑤i小学校」。学校は休日であったが、先生が一人仕事をしてみえて、いろいろとお話をしてくださった。思いがけず楽しいひとときであった。いよいよ「本土最東端 納沙布岬」である。展望塔から眺めると、北方領土歯舞諸島は目の前である。殊に貝殻島の灯台は手を伸ばせば届きそうな位置にある。岬から3.7kmだそうである。四島のかけ橋のアーチをくぐり、「寛政の蜂起和人殉難墓碑」を見た。いわゆるクナシリ・メナシの戦いである。これは和人の墓碑、処刑されたアイヌの人の墓碑は別の場所にある。アイヌの人々は、自分たちの祭壇の前で毎年イチャルパ(供養祭)を行い、その時は必ずこの墓碑の前でもイチャルパを捧げるという。灯台を望む最東端に立ち、目の前の海とその向こうに広がる北方領土に思いを馳せた。
8月24日
 早朝、コタン温泉(露天風呂)で遊ぶ。弟子屈が殆ど周ってなかったので、大急ぎで・・・摩周湖・・・湖面はどうにか見えたが、霧の摩周湖状態。漢詩碑もいまだ倒れたままなのでパス。硫黄山、砂湯。池の湯では、武四郎碑を見に入った。アイヌ民族資料館とアイヌチセの中を見学する。弟子屈を後にし、美幌峠を上り、美幌の湯の前で武四郎碑を見る。朝日ケ丘展望台で一面のひまわり畑を見る。このあと網走へ行き北方民族博物館へ寄る予定にしていたのだが、お昼も過ぎ、北浜の駅にあるぽっぽ亭でラーメンが食べたくて博物館をパス。ようやくオホーツクに一番近い駅「北浜」に着く。目的の一つであった用意してきた名刺を貼る。ところが!「ぽっぽ亭」は本日休業!一行のあまりの落胆ぶりを見かねた電車を待っていた人が「止別駅にも同じような店がありますよ」と。喜び勇んでそちらに向う。途中の止別川で、たくさんのサケが上っているのが見られた。しかもキタキツネがサケを引っぱって食べている姿まで。「おいしそう。一切れちょうだい!」と叫んで笑い転げるが、体力温存とばかりに動きの鈍い女性群。予定した小清水百合パークどころではない。2時を過ぎてから止別駅「えきばしゃ」にようやく到着。待望のラーメン・・・おなかが空いていたせいばかりではなく、まことにおいしかった。遠音別川でカラフトマスの遡上を見、いつみても美しいオシンコシンの滝で遊んでから、知床自然センターへ。フレペの滝への散策も予定していたのだが夕刻が迫り、センターの中で迫力のある知床の自然の映像を見て引き返す。港で、松浦武四郎碑を見て、その横のオロンコ岩という巨大な岩に登るつもりであったのもパス、今夜の宿「知床プリンスホテル 風なみ亭」へ。
8月25日
 最終日。ウトロは晴れていたのに、知床峠はガスの中。残念ながら羅臼岳は見えなかった。羅臼に下りる。車窓より「熊の湯」を見て、しおかぜ公園へ。森繁久弥演ずる漁師の像と記念撮影。マッカウス洞窟へ。松浦武四郎碑は見られたが、ひかりゴケの洞窟は山崩れのため立ち入り禁止に。羅臼港も漁が休みだったのか閑散としていた。ここからはひたすら釧路へ。中標津を過ぎると、牧場ばかりで人家は少なく・・・従ってコンビニさえなく・・・コンビニはどうでもいいのだがトイレが・・・それでもかなり時間がかかり、和商市場の勝手丼もパスして、釧路空港へ。そうそう今回の旅で、丹頂鶴は3回見ましたよ。かくして笑い転げた6人の珍道中も無事に閉幕。おつかれさまでした。
松浦武四郎の碑を訪ねる旅
9月5日
 今回は千歳から室蘭に向う。「ムロラン地名発祥の地」へ。アイヌ語語源は「小さな下り路」 大きな説明板に、室蘭の名付け親は松浦武四郎であること、さらに「・・・この地は開港した「新室蘭」に対して「旧室蘭」と呼ばれるが、さらに地名発祥の誇りをこめて「元室蘭」と呼ばれることになり、現在は「本室蘭」と呼ばれている。町名としては現在「崎守町」と称しているが、これは室蘭の地を守る防人の心意気を伝えるものである。」と記されていた。
9月6日
 「白鳥大橋」をわたって、展望台からアイヌ歌人偉星北斗の「幌別の浜のハマナシ咲き匂い恵山の山の遠くかすめる」の恵山を見ようとしたが、あいにく曇っていて残念ながら見えなかった。「アイヌ文化フェスティバル」会場へ。フェスティバルは、「アイヌ文化賞・アイヌ文化奨励賞」の贈呈式からはじまった。9人の方々が受賞されたが、代表してアイヌ文化賞の鈴木ヨチさんが挨拶された。その言葉の一つ一つが感銘深く心に響いた。その後「松浦武四郎が愛した大地への願い」と題し、夫が講演させていただいた。さらに口承文芸 カムイユカラ(神謡)「アベ フチ カムイ」と、白老民族芸能保存会のアイヌ民族舞踊があった。アイヌ伝統文化を堪能した。
 今夜の宿は二風谷の民宿「チセ」
9月7日
 「二風谷アイヌ文化博物館」のすばらしい展示を見てから、すずらん群生地の方へ向かい貫気別の知人宅を訪ねた。ちょうど山から戻ったばかりという知人に会え、再会を喜んだ。その後日勝峠を越え一路新得へ。佐幌ダム上流の松浦武四郎野宿之地を見たかったからである。碑文を書かれた方が案内してくださるはずであったが、前日からの雨で山道は無理とのこと、残念。それでも諦めきれず、車で入れるところまで入り、後は歩くことにして進む。ところがダムのところまでは舗装路、その先もダート道ながらきちんと整備されていて難なくあと270mの標識のところまで入れた。「松浦武四郎野宿之地」の石標はすぐ近くにあった。それは笹原の中にひっそりと立っていた。
 上富良野へ向う途中、南富良野に立ち寄った。この地は松阪市の茅原というところの人が入植したという。集落は金山ダムの底に沈んでしまったが、入植の名残を留める「いせばし」の名が残っているという。その橋を見に行った。現在はすばらしい橋であった。さらに行くと、大正時代、農産物の搬出のためにかけられた「幾寅橋」、先人の築いたこの橋を後世に伝えるため、残された橋脚の一部を移して往時の姿を復元したという橋があった。そばに思いがけず更科源蔵の詩がかかげてあった。
 
    水色のふるさと
 
 こゝにふるさとがあった
 肩を組んで毎日通った道があった
 たんぽゝのさく道はポプラの陰を通り
 たのしいざわめきの満ちた学校と
 遠い思い出とにつながっている
  今ひたひたと小波よせるこの湖の底に
 
 朝つゆにぬれた小鳥の巣と
 家畜たちの身ぶるいと虫のすだきと
 豆の花ねむる夕ぐれがあり
 幼い夢と希望と口笛と
 母のともしびとがあった
  今は銀色の魚の泳ぐこの水底に
 
 光のみちた 水は今
 思い出と四季をうつして静かである
 水よ 古里を抱いてはなさぬ水よ
 新らしくはじまる大地の歴史の上に
 うるおいとなり花となり灯となれよ
  ふるさとの水よ 鹿越の湖よ
 
 今夜は新富良野プリンスホテルに泊る。
9月8日
 早朝にホテルを出て集合場所に向う。実はかねてより念願の原始ケ原の木標をぜひ見たいと思い、その正確な場所の地図を問い合わせていた。すると図らずも今年の4月山にまだ固雪の残る頃「松浦武四郎の十勝越え」150周年記念のイベントとして、松浦武四郎の歩いた道をそのまま歩かれたお仲間が案内してあげようと、「松浦武四郎上富良野調査150周年記念・松浦武四郎記念碑散策フットパス」なる催しを開いてくださることになった。主催は「上富良野アイヌ古道を歩く会」、共催「上富良野町教育委員会」、後援「上富良野町郷土をさぐる会」、「かみふらのフットパス愛好会」、「環境ボランティア・野山人」である。
 富良野岳・原始ケ原登山口に集合したのは総勢20名、早速に登り始める。いきなりの急勾配である。途中、滝コースを分ける。こちらは更にきつい沢登りであるうえに降り続いた雨で水かさが多くとても無理。林間(尾根)コースを進む。尾根に出てしばらく行くと「天使の泉」という湧き水があった。そのおいしいこと! さらに進むと「広原の滝」水量多く美しい滝であった。滝の上を丸木を渡しただけの橋を恐る恐る渡る。そこからは岩場でさらに勾配がきつい。その上、雨の後でよく滑る。あえぎつつ登るといきなり視界が開けた。富良野岳の高層湿原・原始ケ原である。その広いこと! 富良野岳への道を分け、湿原を進むと、あった! 夢にまで見た真っ白な木標がすっくと立っていた。「松浦武四郎通過の地」と書かれていた。大感激!! その上快晴である。富良野岳も眼前に美しい姿を見せてくれた。「アイヌ古道を歩く会」の方に山々や武四郎の歩いた道について詳しくお話を聞く。さらに五反沼まで行こうということになったが、笹藪が深くて進めなかった。本州ならさしずめ木道というところだが、この広い湿原はどこでも歩ける。小さな池塘は松の盗掘あとだとか。珍しいモウセンゴケもあった。十分に景色を堪能してから下った。
 紹介していただいたすてきな「民宿・ステラ」で、お風呂を使わせてもらい、上富良野町長さんにご挨拶に伺い、その後上富良野のあちこちを車で案内していただいた。夜は「松浦武四郎記念館館長を囲む集い」を開いてくださり、その後、ステラで懇親会。上富良野でのすべてをお世話いただいた「かみふらのフットパス愛好会」代表の佐川建設社長様にはどれだけ感謝しても感謝しきれない。ありがとうございました。いままで碑を巡るのは、調べ、土地の人に聞き、探し当てることにこそ意味があるとして、いつもそうしてきた。しかし今回はその土地と松浦武四郎を愛する皆さんに案内していただき、皆さんとともに歩けたことに大きな意味があったと心から思った。
9月9日
 久しぶりの「なかふらの・ラベンダー園」を楽しんだ。そして、芦別、赤平を通り、新十津川へ向った。金滴酒造前にある石標を見るためである。「松浦武四郎宿泊地跡」と刻まれていた。ほんとうはあと1〜2碑めぐりをしたかったのだが、飛行機の時間が迫っており、千歳空港へ急いだ。
松浦武四郎生誕190年等記念事業
武四郎の足跡を訪ねて IN 北海道
10月15日
 総勢35名の旅である。釧路空港に降り立ち、先ずは幣舞橋を通って幣舞公園へ。ここで武四郎の銅像と対面。何度も来ているが武四郎を勉強している仲間と見るそれはまたひとしおの想いがある。その後、丹頂鶴の出迎えを受けつつ一路阿寒湖へ。滝見橋の歌碑は日暮れが近いためバスの車窓より。阿寒湖畔にある武四郎の漢詩碑を見学して落ち葉を踏みしめながらボッケまで散策。今夜の宿「あかん悠久の里 鶴雅」に着く。夕食の後、アイヌコタンを歩く。コタンでたくさんの友人・知人と再会できたのは嬉しいことであった。なかでも有名な彫刻家の床ヌプリさんと久しぶりにお会いし、話すことができたのは何よりの喜びであった。タイマツ行列に参加した後、「イオマンテの火まつり」を見る。
10月16日
 阿寒横断道路を通り弟子屈へ。途中車窓より双湖を眺める。代表者が弟子屈町役場を表敬訪問している間、弟子屈町文化センターにある更科源蔵資料館を見学する。なかなか立派な資料館ができていて驚いた。きょうは社団法人・北海道ウタリ協会弟子屈支部主催の「松浦武四郎来訪150年記念・松浦武四郎の足跡探勝とアイヌ古式舞踊体験交流会」に参加させていただく。後援は、弟子屈町・弟子屈町教育委員会・てしかが郷土研究会である。まずは「松浦武四郎足跡探勝会T・『久摺日誌』のテシカガを訪ねる」 で、てしかが郷土研究会の細川音治さんのご案内で久しぶりに裏摩周へ。ここで武四郎の辿った道と野営した摩周湖の洞窟について詳しいお話を伺った。あらためて武四郎の健脚ぶりに感嘆する。まだ青いシコロの実が鈴なりになっているのを発見、三重県との気候の違いを実感した。その後、摩周第一展望台・川湯温泉・川湯硫黄山へ。硫黄山はいつもより噴煙が激しく立ち昇っていた。道東は例年より暖かくどこに行っても紅葉の最盛期、屈斜路湖畔の紅葉のトンネルを通り池の湯へ。ここでも武四郎の歌碑を見学。屈斜路コタンに着く。露天風呂や祭壇(ヌサ)・チセなどを見る。さらに武四郎の歌碑の前で、この碑ができたいきさつと建立者の奥様の話を聞く。記念行事は松浦武四郎来訪150年記念講演会「松浦武四郎の足跡を訪ねて弟子屈へたどり着く」・屈斜路コタンの人たちとの交流・弟子屈町屈斜路古丹アイヌ文化保存会の皆さんによる国指定重要無形文化財・アイヌ古式舞踊がチセの中で行われた。夕暮れ迫る中、アイヌ民俗資料館も見学させていただいた。さらに宿泊先の屈斜路プリンスホテルでは、弟子屈町役場の方々や屈斜路コタンアイヌ文化保存会の皆さんとの交流会、その後、アイヌ詞曲舞踊団「モシリ」の野外コンサート「カムイイピリマ」を鑑賞した。迫力満点! 
10月17日
 この日も「松浦武四郎足跡探勝会U」として、屈斜路コタンから屈斜路湖、釧路川源流のネイチャーボート下りを楽しむ。松浦武四郎もこの川を丸木舟で下ったという150年前に思いを馳せる。2日間にわたる弟子屈町の皆さん、屈斜路コタンの友人、知人の皆さんの温かい心からのおもてなしに感謝することしきりである。ほんとうにありがとうございました。
 私たちのバスは、美幌峠で屈斜路に別れをつげ、峠の湯の前にある武四郎歌碑を見学、網走へ。ここでは北方民族博物館を見学、オホーツク海岸を走り、遠音別川でサケの遡上を見る。オシンコシンの滝を車窓に見て、知床自然センターへ。今日も薄暮の中でウトロの武四郎碑を訪ねる。宿泊した「知床グランドホテル 北こぶし」には武四郎コーナーもあった。
10月18日
 いよいよ最終日。夜明け前に近くのオロンコ岩に登った。いつも上に立ちたいと思いつつ実現できず、今回はじめて願いが叶った。夜明けの港や出て行く船を飽かず眺めた。そして降りてきたとき思いがけずすばらしいショーを見ることができた。まるまると太ったキタキツネを見つけ後からくる知人に知らせようととうせんぼした。するとかわいそうに逃げ場を失ったキタキツネは、なんと垂直に近い岩の防護網を登り始めたではないか。網に足を挟まれないか、落ちないかとはらはらしながら見守るうち60mはあろうかと思われる崖をとうとうてっぺんまで上りきった。見ていた6人はおもわず拍手! 知床横断道路を通り羅臼へ。羅臼岳は頂までその姿を見せてくれた。マッカウス洞窟前に立つ武四郎の碑を見学。根室海峡をはさんで眼前にきょうはうっすらと国後島が見えていた。その後バスは延々と釧路へ。旅の締めくくりは和商市場。早朝から夜遅くまで計画いっぱいの4日間であったが、友情に感激し、学ぶところの多い充実した旅であった。
 
 
 
 
気ままな旅とはいえ、私には訪れたいところがあった。道内にたくさんある松浦武四郎ゆかりの地と碑などのうちまだ見たことのない数箇所を周ってみたかったのである。今回は、浦臼町字晩生内の説明版、雨竜町面白内・面白内神社にある「宿泊之地」碑、増毛町彦部・彦部橋の「信砂越えの地」標柱、八雲町由追・由追稲荷神社の説明版の4箇所である。
12月7日
 早朝に家を出て、午前中に千歳空港着。覚悟はしており、レンタカーを借りたところで「札幌は雪」と言われたものの道央道は雪もなく快適。ところが「美唄・奈井江間が吹雪通行止め」の表示・・・えっなんで? 美唄が近づくにつれ雪が舞ってきて納得。美唄ICで下り、浦臼に向う。自動車道はともかく一般道は降り始めのこの時期除雪が充分でない。路肩はまるでわからず、センターラインもわからない。郷土資料館へ行くが冬季閉館中で、案内板も雪に埋もれている。やむなく275号を北上する。道路は白一色でつるつる、ハンドルをとられるが進むしかない。大型トラックが横転している。鶴沼を過ぎ説明版があるらしいところまできた。地形から、ここから農道を石狩川に向い船着場のところらしい。除雪作業をしてみえた人に聞くがよくわからない。しかもこの農道は入れそうもない。諦める。滝川ICから道央道に戻り、冠雪している道を走り旭川鷹栖へ。リニューアルした旭川博物館へ行く予定だったが、悪戦苦闘に思わぬ時間をとり、時間切れ。いつもの藤田観光ワシントンホテルへ。「北海道を甘くみるでない!!」ことを思い知らされた。
12月8日
 さあ博物館へと思ったら、月曜休館日。もうひとつ行きたかった「川村カ子トアイヌ記念館」へ。ここでは館長さんともお話ができ楽しかった。雪は止んだが、一般道はまだ雪も深く、雨竜も増毛も諦めた。しかし道央道は昨日通行止めになった道路とは思えないほどきれいに除雪されていた。
 北広島の旧島松駅逓に寄ることにした。ここは室蘭街道の最も古い駅逓である。駅逓は、交通不便な地に駅舎、人馬等を備えて宿泊・人馬継立・逓送等の便をはかるために置かれた施設である。あいにくここも月曜閉館。ハス池や井戸が保存されていた。またここは、明治10年4月16日、札幌農学校教頭ウイリアムスミスクラークが学生や職員と訣別した地で、それを記念して「青年よ大志を懐け」のモニュメントが建っていた。
 この夜は、登別温泉第一滝本館で温泉を楽しんだ。
12月9日
 さすが道南、雪もほとんどない。南茅部大船遺跡に寄りたかったのだが冬期休業中。黒松内に入ると路肩に雪が残っている。八雲ICで下り、旧街道の松並木を見ながら山越に向う。ここはもと山越内と呼ばれ日本最北の山越内関所のあったところ。また蝦夷地と和人地の境である。駅舎も関所に見立てて作られ、近くに「山越内関所之跡」碑、罪人を斬るために腰掛けさせたという夜泣き石、会所の井戸があった。その先に、「蝦夷地・和人地の境跡」木標、さらに先に神明大稲荷神社があった。ここは松浦武四郎もしばしば訪れたところで、説明板が立っており、次の和歌があった。
 天地の神も知りませ国の為め
        千島の奥に思い入る身を
 さらに南下する途中、明治元年、榎本軍鷲ノ木上陸地跡に立ち寄った。時間があったので、森町で久しぶりに夫の東北大学時代の親友に会いにいった。再会を喜び合う二人にしみじみ男の友情を感じた。駒ケ岳が雪化粧した美しい姿を見せてくれた。
 函館では、北方民族資料館で、学芸員さんと話し込んだ。チサングランドホテルに泊り、その夜は西波止場赤レンガ倉庫などを楽しんだ。いつもの巨大クリスマスツリーが美しく輝いていた。
12月10日
 札幌に向うのに洞爺湖を回ることにした。「北海道洞爺湖サミット宣言の地」碑を見たり、サイロ展望台へ寄ったりして、お目当ての「武四郎坂」へ。有珠山噴火後の道や家並みのあまりの変わりように驚いた。武四郎が山道で眺めた洞爺湖のすばらしさを絶賛したというこの坂もすっかり様相を変えていた。その上気温が高く靄がかかって湖も見えにくかった。
 留寿都の「赤い靴公園」に寄った。野口雨情作詞、本居長世作曲の「赤い靴」の舞台である。故あって幼い娘きみを外国人宣教師に託して留寿都の開拓に挑んだ母親を思う娘の物悲しい銅像「母思像」がある。
 懐かしい京極の「ふき出し湧水」に足を延ばすことにした。ここはかつて私たち夫婦の生活の場の一部であった。道すがら後方羊蹄山の雄姿が見えたときは涙のこぼれる思いがした。雪の中の湧水は静かでおいしかった。
 中山峠を越えて定山渓へ。小金湯では、「小金湯サッポロピリカコタン・アイヌ文化交流センター」で、長時間展示を見たりして楽しんだ。札幌グランドホテル泊。夜は、大通り公園を散策し、美しいイルミネーションを眺めた。
12月11日
 午前中、札幌の「弘南堂書店」でゆっくりと話し込み、午後はまた雪になるということで支笏湖まわりで千歳へ。支笏湖はガスの中であった。予報どおり雪になり、路面は真っ白。18:30発の飛行機であったが飛行場積雪のため離陸できるかどうかのスリルを味わった。
     
 
 
 
 
 
 
 
    
 
 
 
 
 
 

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