歴史と文学と自然と 東北の旅

歴史と文学と自然と
       東 北 の 旅
 
 東北は誠に魅力的である。何度も訪れているがその興味は尽きることがない。桜前線を追っての旅もすばらしかったし、山にもたくさん登った。また多くの温泉も堪能した。
 今回は、宮沢賢治と石川琢木の故郷を訪ねたい。また「都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」と詠った能因法師の足跡を辿って、300年後に西行が通り、西行を慕ってその500年後に松尾芭蕉が辿った路「奥の細道」。そして菅江真澄の世界。松浦武四郎の「東奥沿海日誌」「鹿角日記」に描かれた世界も感じてみたい。長年思い続けている岩木山、鳥海山登頂も果たしたい。なにしろ年齢、体力の衰えは待ってくれないから急くこと欲張ることこの上ない・・・


7月15日
 7月に入ったら早々に出発を予定していたところ、梅雨がなかなか明けず、この日ようやく出発。これでは計画していた佐渡は諦めねばならず、東北めぐりもかなりはしょって・・・いつもの道を600km走りに走ってこの夜は黒崎PA泊。すごい夕焼けがひろがっていた。
宮沢賢治を巡る
7月16日
 ヤマユリがたくさん咲く東北道をひた走り、まずは花巻で降りる。通行料8400円。ああ土日なら1000円なのに! 前にも訪ねたことはあるが、今回はじっくりと宮沢賢治の世界・イーハトヴの世界に浸りたいと思ったからである。なにはともあれ宮沢賢治記念館へ。よだかの星彫刻碑に迎えられ、山猫さんと一緒に記念写真をパチリ。この館は、宮沢賢治の深遠な思想と、詩や童話、教育や農業を巡る環境・信仰・科学・芸術・農村などの総合的な資料が展示されている。なかなか難しく理解し難い部分も多いがじっくりと見て廻った。宮沢賢治童話村は前回訪れたのでパス。イギリス海岸へ。その後、花巻温泉・ホテル紅葉館で入浴の後、イギリス海岸・詩(うた)の森公園でP泊。若者たちが花火を楽しんでいた。
7月17日
 駐車場に胡桃の実がたくさん落ちていた。早朝、イギリス海岸を散策。宮沢賢治がイギリス海岸と名付けたここは、北上川と瀬川が合流する地点で凝灰質の泥岩が川岸に広がり、賢治は生徒達とこのあたりを歩き、胡桃の化石を拾ったりしたという。しかし今は昔のその面影は殆ど見当たらない。花巻文化村、花巻農業高校を見て、羅須地人協会(賢治設立)へ。農業高校の敷地内、まず目につくのが「宮沢賢治の像」、日時計花壇(賢治の設計図を再現)、その奥に「賢治先生の家」。入口に例の「下ノ畑ニ居リマス 賢治」の黒板。ここは内部も見学できた。農業高校の職員の方がていねいに対応してくださった。この学校の生徒や職員の心の中に賢治の精神が今でもいきづいているという。続いて「桜地人館」へ。まずは同心屋敷を見てお茶をご馳走になり、「雨ニモマケズ 詩碑」へ。高村光太郎揮毫になる大きな詩碑であった。「桜 地人館」は、宮沢賢治の作品、出版物、高村光太郎の書、萬鉄五郎の代表的絵画等、舟越保武の作品が収蔵されていた。ここの職員の方に手作りの地図をいただき、紹介された「やぶ屋」で、賢治セット(天ぷらそばとサイダー)なるものを賞味。
石川啄木のふるさとへ
 「石をもて追われるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし」の渋民村である。「石川啄木記念館」へ行った。渋民小学校旧校舎、琢木が代用教員時代に間借りしていた旧斎藤家住居が残されており、中庭には二人の子どもと手をつないで座る琢木の像、歌碑、裏山に「石川啄木慰霊塔」などがあった。琢木が幼少時を過ごした宝徳寺へ行き、「琢木文学碑マップ」に従って町を歩いた。町のいたるところに歌碑があった。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひきて妻としたしむ」琢木の屈折した心の裡を想った。「橋はわがふる里・・・」ではじまる「鶴飼橋に立ちて」の鶴飼橋にも行ってみた。つり橋は鉄製のつり橋に架け替えられていた。「ユートピア姫神」まで行き入浴の後、戻って「渋民公園」でP泊。
7月18日
 朝起きて見廻すと、渋民村はのどかな村であった。追われるごとく出た渋民村であっても、琢木にとって「かにかくに渋民村は戀しかりおもひでの山 おもひでの川」であり、「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」であったのだ。
 渋民を後にして走る。北上川は大雨で濁っていた。岩手山が巨大な姿で迫ってきた。松尾八幡平ビジターセンターへ寄り、アスピーテラインを八幡平へ向う。ガスがかかってきた。後生掛温泉に入ろうとしたが駐車場が狭くて入れない。蒸の湯(ふけのゆ)温泉まで戻る。ここは夫が学生時代のなつかしい思い出を語る温泉で、前にも何度か来たことがある。立ち上る噴煙のま近くの温泉を楽しんだ。八幡平ビジターセンターを経て東北道へ。岩木山神社に参拝の後、岩木青少年スポーツセンターキャンプ場へ。
岩木山登山
7月19日
 何度目の挑戦だろう。今日やっと念願が叶う。晴れている。鯵ケ沢街道を走り、津軽岩木スカイラインへ。駐車場に着いたのが8時半。始発のリフトは9時。あらあらガスが出てきた。9合目山頂駅は濃いガスのなかであった。でもここまで来たからにはやむをえない、雨合羽をきて登山開始。45分で山頂に着くもののやはりガスの中。山頂では10人ほどの方が奥宮の修理にあたっておられた。方角を聞くと奥宮は下の岩木山神社に向いて祀られていると・・・なるほどごもっともごもっとも。降りるとリフトも止まるかと思われるはげしい風と濃いガス。それでも念願の山頂を踏むには踏んだ。鯵ケ沢で楽しみにしていたイカ焼きを食べ、18時の青函フェリーの予約がやっと取れたのでフェリー乗り場に向う。函館に着いたのが10時15分。道の駅「なとわえさん」に着いたのが夜中の11時20分であった。
 
 帰りは東北三大祭りの真最中、駐車できるところがあれば、「青森・五所川原のねぶた祭り」か「秋田の竿灯祭り」でも覗いていこうかなどと暢気なことを言っていたが、7月20日にフェリーの予約を問い合わせるとどうにも難しい。やっと8月3日の苫小牧発秋田行きがとれた次第。
8月4日
 朝7時30分、秋田港に着く。
平田篤胤墓所へ
 平田篤胤は荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学の四大人と称されている。「国学とは、純粋な我国古来の精神や道徳を探求し、それを学ぶことの大切さをといたもの」とされている。墓所は遺言(なきがらはいずくの土になりぬとも魂は翁(本居宣長)のもとに住むかな)に従って衣冠束帯の姿でこの地に葬られ、師である本居宣長のいた伊勢の方角に向けられていると記されていた。本居宣長の故郷に住む者としては是非参拝しなければと訪れた次第である。墓所は小高い丘の上に静かに佇んでいた。
菅江真澄を知りたい
 東北を旅する度、菅江真澄の名に出会う。そこで菅江真澄資料センターのある秋田県立博物館を訪ねた。パンフレットにはこう記されていた。「菅江真澄は、江戸時代後半の傑出した旅行家です。その足跡は、生地三河から北は「蝦夷地」にまでおよび、しかもその生涯の半ば以上を北奥羽の地ですごしました。彼の残した記録は、紀行文や随筆とよぶにはあまりにも多くの魅力に満ちています。私たちがいま真澄をとりあげるのは、それらの記録のなかに、私たちがくらす地域の歴史や文化をよりふかく知るための、たくさんのてがかりがあると考えるからです。」 説明を聞きながらゆっくりとその生涯を辿っていくと、真澄の全体像とその記録のすばらしさがおおよそ掴めたような気がしてきた。来てよかったと思った。
 雄物川を渡り、中島台レクリェーション公園へ。テレビで観た獅子ケ鼻湿原を歩いてみたいと思ったからである。湯の台温泉の鶴泉荘で入浴。途中の川には土木学会選奨土木遺産・上郷温水路群と書かれていた。温水路は、「融雪水による冷水温障害克服を目的として考案され、日本の初めての温水路群であり、連続する落差工の美しさが風景にとけ込み、当時の姿を現在に残している貴重な土木遺産である。」そうだ。幾段にもせき止められ水を温めているのだろうその川の様子がなんとも美しい。中島台では、ヒグラシが鳴き、ホトトギスの声も聞こえた。
8月5日
 昨日夕刻、偶然にもテレビに出てみえたボランティアガイドの方とお会いし、今日案内していただける幸運にめぐり合った。
獅子ケ鼻湿原を歩く
 霊峰鳥海山の麓に広がる自然休養林をガイドさんの懇切丁寧な説明を聞きながらのたっぷり4時間の散策はまことに至福の時であった。数百年にわたる巨木の森は、ブナの奇形木群がつくる生命の神秘空間であった。ブナは燃料が石油に変わる戦後間もないころまで、古来より薪や炭の材料として村人の生活に不可欠であった。積雪の上から出た部分の幹を伐って利用し、これはまた積雪時は搬出が容易であったことにもよるのだが、それを繰り返すうちに、伐り口が一種のカルス(治傷組織)となりコブ状になっていったのである。木道のそばにある「燭台ブナ」・別名「ニンフ(森の妖精)の腰掛」・樹齢約300年、幹まわり7.62m、日本一の太さの奇形ブナ「あがりこ大王」、その他にも数え切れない程の奇形ブナがあった。氷河期の「ムカシブナ」に類似した希少種「鋸歯葉ブナ」もあった。またギンリョウソウにも出会ったし、炭焼窯跡も見た。清らかで豊富な湧水群「獅子ケ鼻湿原」も魅力的だ。ここは、ブナの原生林に囲まれた標高500〜550mの斜面に約26haの広さをもつ湿原で、11ケ所の豊富な鳥海山伏流水の湧水に恵まれ、湧水の周辺や川底のいたるところに多種多量、かつ希少種のコケ類が密生している。出つぼは、最大の湧水ポイントである。湧水であるため水温は7.2〜7.3℃と非常に低く、しかも年間を通じて殆ど変化しない。またPhは4.4〜4.6とかなり酸性。そのため世界的に稀有なコケ生態群域を形成している。これらのコケが流水の中で絡まりあってボール状に発達しているのが「鳥海マリモ」である。紅葉の秋にも是非もう一度訪れたいと思った。
 この日は、秋田から酒田へ移動、湯の台温泉・鳥海山荘で入浴し、明日に備えて湯の台口登山道入口の駐車場へ。 
8月6日 
鳥海山に挑む
 霊峰鳥海山(2236m)は、出羽富士とも呼ばれる東北唯一の独立峰で長年憧れ続けた山である。本来なら登山は山を楽しむでなければならず、「挑む!」などであってはならない。わかってはいるが、年齢・体力の限界を感じている今、これが本格的な登山の人生最後の山であろうことから、私にとってまさに「挑む!」だったのである。そこで当初は、象潟口(鉾立)ルートで山小屋を利用して2日がかりで登りたかったのだが、ここ数日の好天と今後の日程を考えて、鳥海山へのいくつものコースの中から、傾斜は急だが最短コースという湯の台口(滝の小屋)ルートを選んだ。結果的には、傾斜も言われたほどではなく、たくさんの高山植物に出会えたし、雪渓も楽しむことができてよいコースを選んだと思っている。早朝4時ごろから登山者がどんどん登っていく。そんなに急ぐこともあるまい。私たちは6時登山開始。滝の小屋までは予定タイムどうり快調。ここから八丁坂の登り、高山植物が目を楽しませてくれる。黄のトウゲブキ、紫のハクサンシャジン、白いミヤマトウキ、赤いクルマユリ等々をカメラにおさめながらゆっくりと登る。河原宿小屋に着いた。標準時間を少々オーバー。小屋の前からすばらしく美しい外輪山が望めた。ここからの登山道はまさに高山植物の宝庫。ハクサンフウロ、ヒナザクラ、群生するニッコウキスゲ、チョウカイフスマ、チングルマは小屋付近では咲き終わっていたが、高度を上げるにつれて今を盛りと咲き競っている。しかしなんとも暑い。お茶は十分持っていったが、冷たい雪渓の水を頭からかぶり、冷たいタオルで首から手を拭く。それでも熱い。岩場を登る足がふらついてきた。が、雪渓は久しぶりで、快適、快適。やっとのことで薊坂に到着。予定時間をかなりオーバー。ここには鳥海山の固有種チョカイアザミが咲いていた。ここから伏拝岳までが正念場、40分ほどだという。「そこから行者岳を越えて御室までは極楽ですよ。せっかくここまで頑張ったのだから登らなければ!」と登山者に励まされるが、山頂にガスがかかってきたこともあり、下りの体力を考えて勇気ある撤退!!を決めた。お互い70歳を越えているし、田部井淳子さんじゃあるまいし! この決心が大正解。通常時間の2倍以上をかけてゆっくり降りてきたつもりだったのに、暑さと疲労でバランスを崩し岩場で転倒してしまった。あまりの疲れにこの夜は鳥海山荘泊。極楽、極楽。
8月7日
 猛禽類保護センターや城輪柵跡、酒田港に寄り、吾妻スカイラインを楽しむ予定のところをパスして日本海側を一路南下、日本海東北道、北陸道、長野道を走り、新井PAで泊。
8月8日
 帰松した。往復の東北を総合すると今回もなかなか充実した旅であった。
 
 
 
岩木山8合目駐車場にて
 
 
 
 
 
 
 
岩木山山頂
 
           秋田側より鳥海山を望む
 
 
 
 
 
 
 
 
            鳥海山8合目あざみ坂分岐点

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